このブログ内を検索
新しい記事
記事のカテゴリー
                
smtwtfs
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< September 2017 >>
過去の記事
プロフィール
            
コメント
トラックバック
sponsored links
携帯
qrcode
その他
無料ブログ作成サービス JUGEM

夏が来れば思い出す

夏が近づき、気温も高くなってきて、台所の生ゴミからあの独特の匂いが漂ってくるとき、あるいは、生ぬるい水道水を口にふくんで、かすかな生臭さを感じるようなとき、私はタイやバンコクの街を思い出します。

 

こんなことを書くとタイの人に怒られてしまいそうなので、急いでつけ加えておくと、私にとって、その匂いは決して不快なだけのものではなく、むしろそれは、たくさんの楽しい思い出と結びついているのです。

 

もうずっと昔、初めての海外旅行でバンコクの街を歩き回って、そのアジア的な混沌に魅せられたのですが、それと同時に、屋台の立ち並ぶ道端から漂ってくる、饐えたような強烈な匂いもまた、私の心にしっかりと刻みつけられました。

 

宿のベッドで目が覚めて、枕元にすら漂っている街の匂いに気づいた瞬間、自分はいま、異国にいるのだという実感をしみじみと味わったものです。

 

最初のうちは、そうした匂いへの抵抗感とか、日本で身につけた衛生観念が邪魔をして、街の安食堂や屋台で食事をするのがためらわれたのですが、ツーリスト向けの小綺麗なレストランが見つからないときなど、ちょっと勇気を出して路上での食事にチャレンジしてみるうちに、その楽しさに少しずつ目を開かされていきました。

 

地元の人々がふだん口にしている、飾り気のないシンプルな、しかしタイ料理らしいはっきりとした個性を感じる料理の数々は、ツーリストカフェの無国籍風料理よりずっとおいしかったし、蒸し暑い土地なので、壁のない広々とした場所で食べている方が、涼しくて快適でした。

 

それに、そこでは、短パンによれよれのTシャツ、ペラペラのビーチサンダルという、いかにも貧乏旅行者という格好をしていても何の違和感もありません。また、店の人も近くのテーブルで食べている客も、私たち外国人旅行者に余計な干渉はせず、適度に放っておいてくれます。そんなゆるい雰囲気の中で、汗を滴らせながら、定番のタイ料理を夢中になって食べているとき、私はワクワクする楽しさや、何ともいえない解放感を覚えていたのだと思います。

 

その後、タイや他のアジアの国々を何度も旅するうちに、路上で食事をすることは、私にとって、旅の日常になっていきました。そしてあの、スパイスの香りが入り混じった生臭い匂いもまた、街角のごくごく当たり前の存在として、いつしか意識することもなくなっていました。

 

長い旅を終えて日本に帰ってきたとき、街のどこもかしこも清潔で、静かで、きちんとしていることに逆カルチャーショックを受けました。きちんとしすぎていて、何だか窮屈にさえ感じられたほどです。しばらくすると、そうした違和感は消えていきましたが、それでも、南国的なゆるさを求める気持ちは、帰国後も心のどこかでずっとくすぶり続けていたのかもしれません。

 

いつのことだったか、もう覚えてはいないのですが、ある暑い日に、台所の生ゴミの匂いをかいだ瞬間、タイでのさまざまな思い出が、心の中に一気に溢れ出してきました。そして、それは不思議な解放感を伴っていました。理由もなく、明るい笑いがこみ上げてきたのです。

 

それ以来、ちょっと生臭い匂いをかいだときなど、必ずというわけではありませんが、心の片隅が、懐かしいような楽しいような、ふわっとした温かい気持ちになることがあります。それは、しばらくすると別の感覚にかき消されてしまうような、ささやかな感覚にすぎないのですが、それでもそれは、日々の生活に、ちょっとした彩りを与えてくれているように思います。

 

いま、経済成長の続くアジアの国々では、日本と同じような、細かいところまできちっとした、清潔で静かで便利で快適な暮らしに向かって、多くのものが急速に変化しつつあります。きっと、バンコクの路上のあの匂いも、街の美化とともにやがては消えていくことになるのでしょう。

 

それでも、私の記憶の中のタイやバンコクは、今でもあの匂いとしっかりと結びついたままだし、それはたぶん、これからもずっと心の中から失われることはないと思います。

 

そして、夏が近づき、台所であの独特の匂いをかぐたびに、私にささやかな解放感を与えてくれるのかもしれません。

 

 

JUGEMテーマ:旅行

at 18:56, 浪人, 地上の旅〜東南アジア

comments(0), trackbacks(0)

スマホか、旅の思い出か

先日、ネットでちょっと面白い記事を読みました。

 

旅先でもずっとスマホを覗き込んでいると、 旅の経験から「エンゲージメント」と「非日常性」が失われ、せっかくの思い出が記憶に残らなくなってしまう、という内容です。

 

旅先でもスマホでメール処理…結果、「美しい記憶」が失われる理由 WIRED

 

上の記事には、その裏づけとなる具体的なデータが示されているわけではないし、私も記事のネタ元までさかのぼってきちんと確認したわけではないのですが、旅先でスマホを使うことによって、目の前で起きていることに集中できなくなったり、日常と同じ行為を旅に持ち込むことで非日常性が薄れてしまうという説明は、たしかにその通りだという気がします。

 

ただ、もし旅行者が、旅先でも仕事のメールを見ずにはいられなかったり、SNSで友人たちとの他愛ないやり取りを延々と続けてしまうのだとしたら、本人の心の中では、旅の目新しい体験よりも、スマホを通して得られるいつもの経験の方が、ずっと重要だと判断しているということです。

 

つまり、本人は、旅に出てリフレッシュしたいとか、いつもと違う経験をしたいとか、心の表面ではいろいろなことを考えているのかもしれませんが、それとは裏腹に、心の底ではいつもの日常を手放すつもりなど全くない、ということなのだと思います。

 

上の記事は、旅行中はスマホを控えめにしましょう、みたいな常識的なアドバイスで締めくくられていますが、みんながそれに従って自分の欲求を完璧にコントロールできるなら、そもそもスマホ中毒みたいな問題も起きていないでしょう。

 

問題は、ふだんの生活で肌身離さずスマホを持ち歩き、つねに画面を覗き込んでいるような人なら、まず間違いなく、旅先でもスマホを見ずにはいられないだろうということで、そうである限り、どんなにエキゾチックな異郷に行ったとしても、その人の心の中に、いつもと違う世界が入り込む余地はないということです。

 

逆に、その人が一大決心をして、たとえば丸一日、スマホを見るのをガマンしてみるなら、きっと大変な苦しさを伴うとは思いますが、それは、大金をはたいて海外旅行をしたりするよりも、ずっと非日常的な経験となり、後々まで記憶に残るような、印象的な一日をもたらしてくれるかもしれません。

 

まあ、こんなことを偉そうに書いている私自身も、ネットにつながらない日なんてないのですが……。

 

 

記事 「何もしない」という非日常
記事 日常の非日常化と非日常の日常化

記事 「ネット断食」の試み

 

 

JUGEMテーマ:旅行

at 18:58, 浪人, 地上の旅〜旅全般

comments(0), trackbacks(0)

インドでぼられない心得!?

もう2か月ほど前になりますが、ネット上で、作家の橘玲氏のインド旅行記を読みました。

 

北インドの観光エリアとして有名な「黄金のトライアングル」で、しつこい客引きにつきまとわれたり、きちんとした身なりの通行人に平気でウソをつかれたりして、結局は土産物屋に連れ込まれてしまうという話です。

 

インドで出会った2人の紳士と「信用の根本的な枯渇」体験について 橘玲の世界投資見聞録
他人を信用しない国インドで”ぼったくられない”ための考察 橘玲の世界投資見聞録

 

インドの観光地では、いまだに同じことが延々と繰り返されているんだなと思ったのですが、面白かったのは2番目の記事の後半でした。

 

橘氏は、自らの経験をもとに、買い物などでぼられたり、騙されたりしない心得を書いています。それは、目の前のインド人たちは信用できないという前提ですべての説明を疑ってかかり、しつこく迫られるようなら、彼らに面と向かって、「悪いけど、君のことは信用できないよ」と告げ、にっこり笑って席を立てばいい、というもので、相手はぎょっとした顔をするかもしれないが、誰も信用できないインドでは、それで相手が気分を害したりはしないのだそうです。

 

私もインドでは、したたかな客引きや商売人にずいぶん閉口させられましたが、さすがにそこまで言ったことはありません。それに、橘氏がやってみて効果があったからといって、ほかの日本人がそれをそのままマネしても、果たしてうまくいくのかは分かりません。

 

というより、特に旅慣れているわけでもない、ごく一般的な日本人が、生身の人間を前にして、それほどの強い「ノー」を言い放つことができるのだろうか、という気がします。

 

相手が信用できないと通告することは、私たちの暮らす日本社会では、強烈な拒絶を意味するからです。

 

別に日本に限ったことではありませんが、先進国と呼ばれる国々では、社会的・経済的なコミュニケーションを活発にし、取り引きにおける余計なリスクやコストを最小化するために、長い歳月を費やして、お互いを信用する方がメリットが大きくなるような社会システムを作り上げてきました。

 

そこでは基本的に、ある程度の条件を満たした人間は誰でも仲間だとみなして信用することで、すべてのプロセスがスムーズに進むようになっています。そして、そうした仲間のネットワークが国全体、さらには国際的な取引関係にまで広がっていくことで、互いに繁栄できる仕組みになっています。

 

日本の場合は、島国であることや、日本語人口が圧倒的に多いことなど、好条件もあいまって、他の国以上にそうしたシステムがうまく回っているように思います。

 

日本語を話せて、できればちゃんとした会社の従業員などの肩書があり、きちんとした服装をしていて、話の内容に筋が通っている、みたいな簡単な「テスト」にパスすれば、相手をそのまま信用してかまわないし、それで問題はほとんど起きないのではないでしょうか。実際、テストの内容は時代を追うにしたがってどんどん簡略化されてきたし、今や、日常生活においては、自分が相手をテストしていることさえ、ほとんど意識しなくて済むほどです。

 

ただ、そういう環境が当たり前になってしまったために、海外で日本と違う環境に直面すると、きちんと「信用テスト」をせずに仲間と認定してしまったり、テストにパスしない人間をどう扱えばいいか分からず、はっきりと「ノー」が言えないために、さまざまなトラブルに巻き込まれる日本人も大勢いるようです。

 

とはいえ、日本では、信用できないと相手に告げるということは、絶対的な多数派である、信頼できる人間同士のネットワークから放逐することを意味するし、それはつまり、村八分の宣告みたいなものです。日本人としては、友人にひどい裏切りを受けたので絶交するみたいな、よほどのケースでなければ、そんな経験をすることもないでしょう。

 

そして、私たちは、信頼を失うというのがどういうことか、学校や会社といった組織での体験や、マスコミの報道などを通じて、その恐ろしさを心に深く刻み込まれているし、自分だけはそんなことにならないように、仲間のネットワークから放逐されないように、強い同調圧力に耐えながら、必死で「いい人」を演じ続けています。

 

目の前の相手に、おまえは信用できないと言い放つことがどれだけ深刻なことかを知っているからこそ、私たちは、そうすることに相当な覚悟を必要とするのではないでしょうか。

 

でも、インドに行くと、橘氏が書いているように、いつどこで誰からどのようにだまされるかわからないという、「信用の根本的な枯渇」体験が次々に押し寄せてきます。そこは、お互いに信頼し合おうという考え方の通用しない、極端な言い方をすれば、隙を見せた者が容赦なくつけ込まれる弱肉強食の世界です。

 

そういう社会が暮らしやすいかどうかは別にして、いったんそういう世界に足を踏み入れたら、日本で身につけた相互信頼の美しい作法はいったん忘れて、現地でうまくサバイバルできるやり方に、素早く切り替えなければなりません。

 

そのために、最初のうちは、勇気を振り絞って、相手にきっぱりと「ノー」を言い渡すことも必要になってきます。

 

ただ、誤解のないように補足しておくと、北インドの観光地で、日本人旅行者がカルチャーショックを受けるのは確かですが、インドの客引きや商売人のやり口には一定のパターンがあるので、ガイドブックや旅仲間のアドバイスを頭に入れた上で何度か対応すれば、彼らのやり方に少しずつ慣れ、そのうちに、彼らをうまくあしらうコツも身についていきます。

 

やがて、余裕が出てきて、インド人の商売の仕方をじっくり観察できるくらいにまでなれば、それはそれで、日本ではなかなか体験できない、一種のエンターテインメントとして楽しむことさえできるようになるかもしれません。

 

それと、先ほど、隙を見せたら容赦なくつけ込まれると書きましたが、そのレベルには上から下までものすごい幅があります。

 

インドにも、本当に危険な裏の世界があるのだろうし、そういう世界に下手に入り込むと、それこそ命に関わることにもなりかねないと思いますが、北インドの観光地で旅行者からぼったくろうとしている人々のほとんどは、ごく普通の庶民であって、商売を抜きにすれば、それなりにいい奴だったりすることもあります。旅人を騙すやり口にしても、完璧とまではいえず、けっこうすぐにボロが出たりするところに、何ともいえない人間味が感じられたりもします。

 

それに、隙を見せられないのは、別にインドに限った話ではありません。現代の日本にも、お互いを信用できない弱肉強食の世界は存在するし、そういう世界の騙しのテクニックの巧妙さは、北インドの普通の商売人の比ではないかもしれません。

 

インドの場合、騙される、ぼられるといっても、ほとんどの場合、金額的にはたかが知れています。もちろん、旅先では注意するに越したことはありませんが、あまり深刻に考えすぎず、たとえぼられたとしても、面白い体験をしたとか、騙されることへの免疫がついたと考えるくらいの気持ちでいた方が、旅を楽しめるのではないでしょうか。

 

そして、たとえインドの商売人たちにイライラさせられることがあっても、彼らもまた、この地球の上に生まれ、与えられた条件の中で何とか知恵を絞って生き抜こうとしている、私たちと同じ人間だということへのリスペクトは忘れないようにしたいと思います。

 


山田和 著 『21世紀のインド人 ― カーストvs世界経済』 の紹介記事
記事 カトマンズの宝石店で
記事 旅の名言「人を疑うことで……」
記事 旅の名言「騙されることは……」

 

 

JUGEMテーマ:旅行

at 19:10, 浪人, 地上の旅〜インド・南アジア

comments(0), trackbacks(0)