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地球の旗

1か月ほど前に、ネット上で面白い記事を読みました。
WIRED ネットで話題を呼んでいる「地球の旗」の謎

スウェーデンの大学生が、卒業制作の一環として、美しい「地球の旗」をデザインしてみた、という内容で、宇宙飛行士が身につけたり、火星に旗を立てている想像図もあって、近い将来、こういう旗が使われる時代がくるかもしれないという、具体的なイメージをかきたててくれます。

ネットでざっと見てみましたが、これ以前にも、「地球の旗」を個人的にデザインしたり、実際に作ってみたという人は少なくないようです。

また、SF映画やアニメの世界では、「地球連邦軍」とか「地球政府」みたいな組織がよく出てくるので、作品によっては、そうした組織のシンボル・マークが登場するシーンもあるかもしれません。

ただ、いずれの場合も、個人がちょっとした思いつきを形にしたとか、フィクションの世界で設定を作り込んで遊んでみた、といった感じで、今のところ、公的な組織が、「地球の旗」を本気で制定しようという試みはないと思います。

もちろんそれは、これまでその必要が全くなかったからだし、これからも当面は、そうした旗が必要になる機会はないだろうという気がします。

地球人類や地球上の全生命、あるいは惑星としての地球を象徴するための旗が必要になるとしたら、当然、それを見せる相手、つまり、地球上の生命とは別種の、いわゆるエイリアンがいなければなりません。しかし、それだけではなく、彼らが「旗」というシンボルを視覚的に認識できて、なおかつ、その意味を正確に把握してくれる必要もあります。

そのためには、エイリアンとのコミュニケーションを通じて、「旗」だけではなく、互いの平和共存に関して、基本的な理解が成立していなければならないでしょう。

とはいえ、彼らとのファースト・コンタクトが突然すぎて、あまり悠長なことを言ってられない場合もあるだろうし、そうしたコンタクトが現実になる前に、敵対的なエイリアンとの遭遇に備えるという名目で、「地球防衛軍」みたいな組織が、先行して作られるケースもあり得るのかもしれません。

そういう場合には、相手が「旗」というものを理解できるのか、みたいな難しい問題はとりあえず脇において、人類の団結を促すことを目的に、防衛組織のシンボル・マークが設定されたり、あるいは国連旗が、その当面の代用とみなされる可能性もあるでしょう。

ただ、国連にはすべての国が加盟しているわけではないので、その旗が人類を代表できるのかという問題があるし、大陸の形を描いた旗のデザインにしても、それは、人類が地上にしか生きられなかった、20世紀半ばの古い価値観を反映しているように見えてしまうかもしれません。

かといって、「地球の旗」を公式に制定しようということになれば、誰がそれをデザインし、どういう組織がどんなプロセスでそれを決めるのかをめぐって、地上のさまざまな利害関係を反映した、とても泥臭い駆け引きが繰り広げられることになりそうな気がします。

それはともかく、未来の人類が、惑星間・恒星間を移動できるくらいのテクノロジーを持つようになったとして、やはりそのときでも、他の天体に到達するたびに、「地球の旗」を立てて回りたいと思うものなのでしょうか?

もしも、この宇宙に、私たちと同じかそれ以上の知性をもった異星人が全く存在しないのだとしたら、荒涼とした宇宙で、ただ自己満足のためだけに、黙々と旗を立てて回る人類の姿はあまりにも切なく、また虚しく見えてしまうだろうし、逆に、知的なエイリアンがどこかに存在していたら、彼らが私たちの前に姿を現すかどうかはともかく、得意げに旗を立てまくる人類の姿をみて、イラッとするんじゃないかという気がしなくもありません。

彼らが、人類のそうした行為を、「愛すべき愚かさ」だと笑って許してくれればいいのですが……。

もっとも、宇宙に進出し、さまざまな惑星やスペース・コロニーに移住するようになった人類が、エイリアンをイラつかせるくらいの存在になるよりも前に、互いの生活環境や価値観の違いをまとめ切れなくなって分裂し、「地球の旗」を掲げる保守勢力と、別の旗を掲げる新興勢力とのあいだで、激しい戦いが始まる可能性の方が高いのかもしれません……。


記事 「宇宙人を見つけたら?」

at 19:06, 浪人, つれづれの記

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動けない自分

4月25日に起きた、ネパール中部の大地震から1か月が過ぎました。

隣国を含め、八千人以上の方が亡くなる大災害で、有名な観光地やトレッキング・ルートも被災し、観光業は壊滅的な打撃を受けました。

私は、かつてバックパッカーとしてネパールに数か月滞在し、美しいランタン谷をトレッキングしたこともあります。ネパールは今でも大好きな国の一つで、ニュースで被災地の映像を見るたびに、いたたまれない気持ちになります。

それなのに、ボランティア活動に参加するとか、募金に応じるとか、自分なりにできることを考えて行動に移したかといえば、そういうことは何もやっていません。

地震の被害のことは、いつも心の片隅にひっかかっており、忘れることはできないのに、かといって、止むに止まれぬ気持ちに促されて、そのまま行動に出るほどの強い気持ちが、今の自分にはないのです。

そして、そんなモヤモヤした自分に向き合いたくないからなのか、ネパール関連のニュースを見るのすら、なんとなく避けてしまいます。

もちろん、そうやって一人で葛藤したところで、それが具体的なアクションに結びつかないかぎり、いま苦しんでいる人たちには何の足しにもならないし、自分にとっても意味はないのだと思います。

そういうことを頭ではわかっていても、どうしても動くことができません。

たぶん、私は、自分自身の無力さを、認めたくないのだと思います。

それは、自然がもたらす災害に対して、人間は常に無力だ、という意味ではありません。

自分は、この世界に生きる人間の一人として、誰か苦しんでいる人に手を差し伸べるくらいの余裕ならある、というか、そうありたいと思ってきました。

しかし、いざとなると、経済的に、あるいは精神的に、それができない自分に気づきます。そして、動けないのは、今回に限った話ではありません。

かといって、そんなちっぽけで非力な自分も認めたくない、ということなのでしょう。

情けない話ではありますが、もう自分を取りつくろうのはやめにして、動けない自分の姿こそ、今のありのままの現実だということを、まずは受け入れなければならないのだと思います。


JUGEMテーマ:日記・一般

at 19:28, 浪人, つれづれの記

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おかげさまで9周年

このブログを2006年に始めてから、まる9年になりました。

これまで、記事を読んでくださった皆様に、心よりお礼申し上げます。

どうもありがとうございました。



9周年といっても、現在、このブログは半休眠状態で、ここ数年は、年に十回ほど記事を書くのがやっとです。

以前、更新の頻度が少しずつ減っていたころには、中途半端に続けるくらいなら、思い切って止めてしまったほうがいいかなと思うこともありましたが、無料ブログで維持費の問題がないこともあって、何となく決断を先送りしたまま、こうして今でも続いています。

現状を維持するだけでもコストがかかる「リアル世界」では、そういうやり方は許されないので、これも「ネット世界」ならではの恩恵といえるかもしれません。

そういえば、今使っているこのブログサービス JUGEM も、ネット企業の激しい栄枯盛衰を乗り越えて、9年前と変わらないサービスを提供し続けてくれているのは、とてもありがたいことです。

これから先、いつまで更新が続くか自分でも分かりませんが、ネタを思いつくかぎりは、マイペースで記事を書いていきたいと思います。



今後とも、このブログをどうぞよろしくお願いいたします。


JUGEMテーマ:日記・一般

at 19:07, 浪人, 感謝

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