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見るべきか、やめておくべきか

ここ数年の間に、Netflix や Hulu など、定額見放題の動画配信サービスが次々に始まったこともあり、日本でも、ネット経由で映画やドラマを見る習慣がさらに広がりつつあるようです。

 

と言っても、私自身は GYAO! のような無料サービスしか利用したことがなく、有料サービスがどのくらい便利で快適なものなのか、頭の中で想像してみるだけなのですが、無料サービスの方も、以前に比べればずっと充実してきていて、最近では、選ぶのに困るくらいのさまざまな作品が配信されています。

 

これは、私たちにとってすばらしい状況ではあるのですが、一方で、ちょっとした悩みのタネを、新たに生み出しているように思います。

 

それは、私たちの限られた時間を、いったい何に振り向けたらいいのか、という問題です。

 

例えば、ちょっとした空き時間があるとして、それで映画やドラマを見るという行動を選べば、近所に散歩に出かけたり、誰かと話をしたり、ゲームをしたり、音楽を聴いたり、本を読んだり、何か手の込んだ料理を作ってみたりといった、ほかのさまざまな選択肢をあきらめることになるし、映画やドラマを見ると決めた後も、今度は膨大な作品リストの中から、どの作品を選び、どの作品をあきらめるかという決断をしなければなりません。

 

そして、度重なる決断を乗り越え、実際に行動に移したところで、それがあまり面白くなかったりすれば、もしもほかの選択肢を選んでいたら、もっとハッピーな気持ちになれたかもしれないのに……と、自分の失敗を後悔することになるわけです。

 

でもまあ、だからといって、こういう問題をいちいち真剣に考えすぎると、日常生活がしんどくなってしまうので、私たち人間は、こういうことを適当にスルーしながらうまくやる術も身につけています。

 

映画を最後まで見てつまらなければ、それなりにガッカリはしますが、それでもムダになる時間は長くて2時間ほどなので、あまり深刻に考えることもなく、そのまま忘れてしまうことができる人は多いのではないでしょうか。

 

問題は、連続ドラマの場合です。

 

1シーズン、十数話の作品でも、全部見れば10時間近くになるので、それだけのまとまった時間を、ほかのことに使えば、ずっと有意義に過ごせたりするかもしれません。

 

ただ、テレビでいま放送中のドラマを見るような場合、そこまで熟慮して決断をする人はあまりいないでしょう。とりあえず最初だけでも……という気軽な気持ちで見始め、それが面白ければ来週も、という感じで何度か試し、かなり引き込まれるようなら、1シーズンの間、週に1時間だけ捻出することを考えればいいわけです。

 

もしかすると、その作品が大ヒットして、将来、続編が作られたりすれば、そのときはさらに時間をとられることになるかもしれませんが、将来のことなんて現時点では分からないわけだから、もしもそうなったら、またその時に考えればいい、と割り切ることができます。

 

つまり、見るべきか、やめるべきかという決断は、最初のうちは、1話見るたびに小出しに行われることになるので、それぞれの時点で、かなり気軽に判断をすることができるわけです。

 

しかし、ネットの見放題サービスなどで、過去の大長編ドラマに手を出そうとするような場合には、話が違ってきます。

 

過去の大ヒットドラマの中には、何度もシーズンを重ねた結果、全部で100話を超えるようなものさえあり、最後まで見たらトータルで何十時間消費することになるのか、あらかじめそれを正確に計算できてしまうだけに、思い切って見始めるべきか、やっぱりやめておくべきか、まるで「究極の選択」のような決断を迫られ、実に悩ましいのです。

 

それらは、絶大な人気があったからこそ次々に続編が作られ、大長編になったわけで、 あえて解説や他人のレビューなど読まなくても、大長編だという事実そのものによって、面白さは保証されているといえます。実際、第1話を試しに見てみると、どんな作品であれ、それなりに面白いし、引き込まれます。次が見たくなり、その世界に浸りたくなり、結末を知りたくなります。だから、後で面白くなかったと悔やむような可能性はほとんどないと思うのですが、逆に言えばそれは、途中でやめるにやめられない、ということでもあります。

 

さすがに何十時間ものまとまった時間があれば、そのドラマを見る以外にも、面白いことがいろいろできるでしょう。何か自分にとって全く新しいことを学んだり、始めたりすることさえできるかもしれません。果たしてそういう楽しみや可能性をあきらめてまで、その作品を見始めるべきなのか、いろいろと考え込んでしまうのです。

 

もちろん、大長編を見終われば、豊かな作品の世界に浸り切った満足感や、何かを成し遂げたという充足感を味わうことができるでしょう。しかし、それは同時に、人生の貴重な時間を、ある特定のドラマに捧げたということでもあるのです……。

 

そして、これは長編ドラマに限ったことではなくて、長編小説とか、ゲームとか、ほかのさまざまなことについても同じなのかもしれません。

 

自分の自由になる時間は限られているのに、世界中のさまざまな素晴らしいコンテンツが、あの手この手で私たちを誘惑しようと手ぐすねを引いて待ちかまえています。その一つひとつに足を踏み入れるまでの敷居はどんどん低くなりつつあり、その一方で、一度足を踏み入れてしまえば、それは、それ以外のさまざまな選択肢をあきらめることを意味します。

 

何かを得ようとすれば、何かを捨てるしかない……。それは、この世に生きる上で常につきまとうジレンマですが、長編ドラマにチャレンジしようか、やっぱりやめておこうかと悩むたびに、それがこの世界の現実を象徴しているようで、何とも言えない切ない気持ちになるのです。

 

でもまあ、何を選ぶべきか悩んでいるだけでも、時間は同じように失われていくわけだから、失敗や後悔を恐れず、いまの自分が「これだ!」と思った選択を信じて、どんどん行動に移していくしかないのですが……。

 

 

JUGEMテーマ:インターネット

at 19:10, 浪人, ネットの旅

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記憶の発掘

先日、このブログで、Spotify を「懐メロ」プレイヤーとして使っている、みたいなことを書いたのですが、それがきっかけで、自分にとっての懐メロを、もっといろいろと集めてみたくなりました。

記事 Spotifyと「懐メロ」

 

Spotify 公式のプレイリストを始め、年代別のヒット曲を集めたコンピレーション・アルバムなどを片っ端からチェックして、聞き覚えのある曲を探していくと、曲名もアーティストの名前も知らなかったけれど、サビの部分だけはよく知っているような曲が次々に見つかりました。

 

たぶん、子供のころや学生時代に、テレビやラジオで何度も流れていたか、あるいはその後、テレビのコマーシャルとかバラエティ番組のBGMで耳にする機会があったのでしょう。繰り返し聞かされて心に刻み込まれていたせいか、サビの部分を聞いた瞬間、「ああ、これこれ!」と思い出したのですが、それまでは記憶の底に埋もれていて、意識に上ることはありませんでした。

 

もしもその曲が、もっと魅力的で、どうしてももう一度聴かずにはいられないと思い詰めるほどだったら、きっと、過去のどこかの時点で、必死で曲名を調べたりしたんだろうと思います。でも、昔はメロディーや歌詞の一部から曲名を調べるのは難しかったし、かりに曲名が分かったところで、それを聴きたければレコードやCDを買うしかなかったわけで、実際に聴きたい曲にたどり着くまでにはいくつものハードルがありました。

 

そんな状況だったので、当時、どこかで聞いて何となく気にはなっても、そのままになって、いつしか忘れ去ってしまったような曲が、きっとたくさんあったのでしょう。

 

音楽好きの人なら、ふだんからさまざまなメディアを通じて多くの曲に接する機会があり、その中で、気になる曲の名前などを知るチャンスもあると思いますが、音楽にあまり縁のない暮らしをしてきた私は、大量の音楽をまとめて試聴できる Spotify のようなサービスと出合うことで初めて、昔のモヤモヤを少しずつ解消できるようになったわけです。

 

そして、今回、初めて曲名が分かった昔の歌を久しぶりに聴いていると、本当に好きでよく知っている曲のように、具体的ではっきりとした思い出が浮かんでくるというほどではありませんが、その曲を耳にしていたころの記憶の断片というか、当時の雰囲気のようなものが、ぽつぽつと蘇ってきます。それらの曲は、たとえ今まで忘れてしまっていたとしても、膨大な記憶の世界を支える大事なパーツとして、確実に自分の一部になっていたのです。

 

それにしても、そうやって自分にとっての懐メロを調べる作業をすることによって、これまでずっと心の奥深くに埋もれたままだった音楽のかけらを、意識の光の当たるところまで引っ張り出してくるのは、まるで、記憶の発掘をしているみたいで、とても面白いと感じました。

 

テレビの懐メロ番組をぼんやりと見ながら、懐かしい曲が流れるのを何となく待っているよりは、こうして Spotify のような「音楽の図書館」にこもって、自分から積極的に、過去をあちこちほじくり返してみるのも、たまにはいいのかもしれません。

 

まあ、あまりやりすぎると、封印していたはずの、過去の恥ずかしい思い出なども一緒に蘇らせてしまいそうですが……。

 

それはともかく、昔のさまざまな曲が私の心に刻み込まれたのは、それらの曲を気に入った誰かが、映画やテレビ番組やCMのBGMとして使ったり、ラジオでリクエストしたり、街中で何度も流したりしていたからです。あるいは、過去の時点ですでに、それがおなじみの名曲として、さまざまなメディアで繰り返し取り上げられるような存在だったからです。

 

人に好まれた音楽は、そうやってあちこちで何度も流され続けることで、次の世代の人々の心の中に、無意識のうちにしっかりと植えつけられていきます。若い世代の中には、そうした古い曲に魅せられて、それがその人にとっての特別な一曲になったりすることもあるでしょうが、多くの場合、そこまではいかなくても、気がつかないところで世界観や美意識に微妙な影響を与え、各人の膨大な記憶の世界を味わい深くする、隠し味のような存在となっていくのかもしれません。

 

ただ、そうやって後世に残る名曲やヒット曲よりも、もっとずっと多くの曲が、時間とともに忘却の彼方に完全に消え去っていくのだと考えると、なかなか切ないものがありますが……。

 

 

JUGEMテーマ:インターネット

at 18:51, 浪人, ネットの旅

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Spotifyと「懐メロ」

音楽ストリーミングサービスの Spotify が、昨年の9月に日本でのサービスを開始してから、1年ほど経ちました。

 

数千万もの楽曲にアクセスできるとはいうものの、「大人の事情」で日本のアーティストの曲は限られているし、無料サービスの利用時間に上限があったり(再生する曲を自由に選べるのは、パソコンだと、1か月につき15時間まで、スマホはシャッフル再生のみ)しますが、とにかく無料でそれなりに楽しめるのはありがたく、ときどき使わせてもらっています。

 

Spotify には、各国別の人気曲やSNSで話題の曲、ジャンル別・シチュエーション別のプレイリストなどが用意されていて、とりあえず何のあてもなくても聴き始められるようになっています。また、Release Radar (各ユーザーの好みを反映させたプレイリストが毎週更新される)のように、新しい音楽と出合うきっかけを与えてくれそうな、面白い機能も無料で使えます。

 

もちろん、自分の聴きたい曲がはっきりしているなら、膨大な曲の中からピンポイントで検索することもできます。

 

ただ、これまで1年近くのあいだに、個人的に Spotify をどれくらい利用したかとなると、全部で十数回、時間にしても、トータルで数十時間に満たないのではないかと思います。これは、Spotify に問題があるということではなくて、単純に、私が音楽にあまり縁のない生活をしているからです。

 

若いころはともかく、最近はめっきり音楽を聴かなくなったし、それで平気になってしまいました。当然、今の世界の音楽の流れには全然ついていけてないのですが、歳をとったせいか、Spotify が面白そうな曲を教えてくれていても、そうした機能を生かして、自分にとって新しい音楽を積極的に開拓していこうという意欲が湧いてこないのです。

 

もしも、学生時代にこうしたサービスに出合っていたら、もっと気軽に新しい音楽を試し、その結果、日常生活の中で、音楽がもっと存在感をもつようになっていたのかもしれません。そういう意味では、Spotify のような素晴らしいサービスに出合うのが、ちょっと遅すぎたという残念さはあります。

 

それでも、Spotify に利用価値がないというわけではありません。

 

私のような人間でも、これまで生きてきた中で、ちょっとした思い出の曲とか、耳に残っている曲くらいならいくつもあります。学生時代によく耳にしたけれど、CDを買うほどではなかった曲とか、一時期はファンでけっこうCDを買ったりしたけれど、そのうちすっかり熱が冷め、すでにCDも処分してしまったアーティストの曲とか、異国の旅先で耳にタコができるくらい聞かされた曲とか……。要するに、「懐メロ」です。
ウィキペディア  「懐メロ」

 

そういう曲を面白半分に検索してみたら、海外の作品なら、けっこうな確率で曲と再会できることが分かり、うろ覚えのタイトルとかアーティスト名で検索したり、それでも分からなければ、当時のヒット曲をネットで調べてみたりして、しばらく懐メロを探しては、My Music(自分用の曲名リスト)に追加する作業を楽しく続けました。

 

自分用のリストを作り上げるまでに、多少の手間と時間はかかりますが、その面倒さえ厭わなければ、Spotify を自分専用の懐メロ再生機として使うことができます。懐メロは、たまに気が向いたときに聴けば十分満足できるので、無料サービスの上限時間(月に15時間)でも十分すぎるほどです。

 

そうやって、しばし懐メロに浸りながら、ふと、今の若い人たちにとっても、懐メロというものが存在し得るのだろうかと考えてしまいました。

 

懐メロというのは、ある時期、特に若い頃に、同じ曲を何度も繰り返し聴いて耳にこびりつくからこそ、後からその頃のさまざまな思い出や感情とともによみがえってくるものです。

 

昭和時代に青春を過ごした世代の多くは、今と比べれば、多様な音楽に触れる機会がなく、ラジオや街中で何度も同じ曲を聴いたり、録音したカセットテープをすり切れるまで再生するような環境でした。結果的に、一部の人気曲ばかりを耳にすることになりましたが、それがしっかりと耳に残ったことで、何十年後かに、当時を思い出すきっかけになってくれます。

 

しかし今では、あまりにもいろいろな曲を、ほとんどコストなしであれこれと聴くことができます。そういう環境でも、お気に入りの曲を、何度もしつこく聞いたりするものなのでしょうか? まあ、その辺りは人それぞれなのでしょうが、さまざまな曲を広く浅く聴いているような場合には、将来、それらが懐メロになることはないような気がします。

 

それに、かりに若い人たちそれぞれが、今現在、思い入れの深い曲を持っているとしても、その好みがバラバラであれば、たとえ同じ世代であっても、共通の懐メロを持つことはできないでしょう。

 

今の音楽のジャンルは細分化されているし、今後はさらに多様になっていくはずです。しかも、今、レコード会社が売り出している曲をみんなが聞いているわけではなく、多くの人が、Spotify などで知った、どこかの国の過去の曲に夢中になっているかもしれません。

 

だとしたら、これから数十年後に、みんながそろって感動できるような懐メロ番組を、テレビで放送するなどということはできなくなります。

 

でもまあ、今後は Spotify のような音楽ストリーミングサービスが、十分にその代わりをつとめてくれることになるのでしょう。実際、個人的に好きな曲だけを集めてプレイリストを作れるので、テレビの懐メロ番組よりも便利で感動できるという人も多いと思うし、将来、アーティストの映像なども見られるようになれば、もっと素晴らしいサービスになりそうです。

 

そして、さらに未来の世界では、きっとヴァーチャル・リアリティの技術も格段に進化して、Spotify よりもずっと面白いサービスが生まれることでしょう。そこでは、音楽以外のアイテムも含めて、自分にとって懐かしいもので満たされた、バーチャルな過去の世界、例えば、未来人にとっての『三丁目の夕日』みたいな、古き良き思い出にどっぷりと浸れる世界が個人向けに作り出され、その中に没入できるようになるかもしれません。

 

昔の人は、年末など、たまに放送されるテレビの懐メロ番組を心待ちにしたり、高いカネを払って当時のヒット曲集を買ったりするしかありませんでしたが、未来の人々は、人工知能の強力な助けを借りながら、自分専用にカスタマイズされた仮想世界に入り込んで、それこそタイムトラベルをしているような気分を味わえるようになるのかもしれません。

 

もしそんなことが可能になったら、若い人たちよりは、むしろ、ヒマを持て余した老人たちにとっての格好の娯楽になりそうですが……。

 

 

JUGEMテーマ:インターネット

at 19:21, 浪人, ネットの旅

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