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旅人たちの夢のあと

先日、ネットで、ちょっと面白い記事を読みました。

かつて、日本人バックパッカーでにぎわっていた中国雲南省の大理の街で、彼らが残していった古本の山が、今どうなっているかを訪ねて回るという内容です。

かつて日本人がいた“本塚”めぐり  デイリーポータルZ

ただ、上の記事を面白いと感じる人は、かなり限られるかもしれません。たぶん、「前世紀」の1980年代や90年代に、海外を長く旅したことのある人でないと、ピンとこないのではないでしょうか。

その当時の大理は、多くの日本人バックパッカーが流れ着き、人によっては何か月も腰を落ち着けてしまうほど居心地のいい「沈没地」として、かなり有名な存在でした。私も、自分が旅に出る前から、「伝説の地」としてその噂を耳にしていたし、実際に雲南省各地をまわったときには、大理で長旅の疲れを癒しました。気候も食べ物も申し分なく、のんびりとして開放的な街の雰囲気にホッとしたのを覚えています。

その大理も、現在は観光客のほとんどが中国人となり、日本の旅人はほとんど姿を消してしまったそうで、当時、大勢の日本人が入り浸っていたツーリスト・カフェには、日本語の本の山が、ほこりをかぶってそのまま残されています。

今や、旅行者はスマホを一台持ってさえいれば、日本語の本をいつでもどこでもダウンロードできます。昔のように、長旅で活字に飢えるなんてことはなくなり、日本人行きつけの古本屋やカフェで、日本語の本を血眼で物色する必要もなくなりました。上の記事を書いたライスマウンテンさんのように、特別な動機でもなければ、ボロボロになった昔の本の山に目をくれるような旅人は、もはや一人もいないのかもしれません。

考えてみれば、ここ20年ほどのテクノロジーの進化は、旅人と本との関係に限らず、旅人の行動パターンをすさまじい勢いで変え続けてきました。

20年ほど前までは、長期旅行者の連絡手段といえば、高額な国際電話と局留めの郵便しかありませんでしたが、90年代後半に Hotmail などの無料メールサービスが登場、ネットカフェが旅人の新しいライフラインとなり、お互いに移動中の旅人同士がほぼリアルタイムで連絡を取り合うという、以前にはあり得なかったことまで可能になりました。しかし、それから10年もしないうちに、スマホの普及によって、ネットカフェは急速に廃れていきます。
記事 ネットカフェの黄昏と旅の未来

また、十数年前までは、写真はフィルム式カメラで撮るのが普通でした。旅人はつねにフィルムの山を持ち運ばなければならなかったし、撮り終えたフィルムをどこで現像するか、また、現像後にたまっていくネガやプリントを、どうやって安全に日本に送るかも大きな問題でした。もちろん、貧乏旅行者にとっては、フィルム代・現像代・郵便料金の負担もバカになりません。それが、いつの間にかデジカメが主流になり、と思う間もなく、今ではスマホで気軽に撮影し、即座にネットに画像をアップするのが当たり前になりつつあります。

旅の情報にしても、かつてはガイドブックと旅先での「情報ノート」、そして旅人同士のクチコミが頼りだったし、それは、英語を苦手とする日本人旅行者が「日本人宿」に集まる理由の一つでもありました。しかし、これもネット上のクチコミサイトや地図アプリ・翻訳アプリなどを活用することで、それ以上の情報を手に入れることが可能になり、少なくとも情報を手に入れるために、旅先で日本人同士が集まる必然性はなくなりました。

もちろん、それは、決して悪いことではありません。新しいテクノロジーのおかげで、旅はずっと安全・快適になっているわけだし、私も昔のような、不便で余計な出費がかさむような旅を、今さらしたいとは思いません。

ただ、その一方で、大理の「本塚」のように、旅人の流れや行動パターンが変わったことで、かつてのコミュニティがすっかりさびれ、まるで抜け殻のようになった姿には、バックパッカーの夢のあと、というか、世の無常をひしひしと感じさせられます。

そしてそれは、かつての自分たちには当たり前だった物事が、今の若い世代にとってはもはや意味不明な歴史的遺物に過ぎないことに気づかされ、自分が旧世代の人間だという事実を、改めて思い知らされる、ということでもあります。

あと10年、20年もすれば、20世紀のバックパッカーの旅なんて、きっと、古老が語る摩訶不思議な昔話になっているのでしょう……。
 

JUGEMテーマ:旅行

at 18:51, 浪人, 地上の旅〜中国

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砂漠の洞窟不動産

中国・甘粛省の敦煌に滞在していたときのことです。

宿のドミトリーで知り合った日本人旅行者数人と、ミニバスに乗って、世界遺産の莫高窟に向かいました。

莫高窟には唐代を中心に、前後千年にもわたって掘り続けられたという数百の石窟が残されています。井上靖氏の小説『敦煌』や、TV番組の「シルクロード」などで紹介されたこともあり、日本人にはよく知られた観光名所です。
ウィキペディア 「莫高窟」

やがて私たちの前に、断崖に穿たれた無数の洞窟が見えてきました。といっても、実際には新しくコンクリートで補修が加えられ、それぞれの石窟の入口には防犯用の鉄扉もついているので、遠目にはまるで崖下に作られたアパートか何かのように見えます。

インターネットで調べると、現在、莫高窟の入場料はべらぼうな金額になっているようですが、私が旅した頃はその数分の一ほどでした。

それでも決して安いとはいえない入場料を払うと、数え切れないほどある石窟のうちのごく一部を、中国人ガイドが引率して案内してくれます。ごく一部といっても、貴重な「敦煌文献」が秘蔵されていた場所や、天井までびっしりと仏教壁画で埋め尽くされた石窟、大仏や寝釈迦仏の安置された石窟など、主だった見どころは網羅されているし、壁画には鮮やかな色彩がまだ残っていて、当時の華やかさをしのぶことができます。

また、「基本料金」の他に、さらに高額な特別料金を払うと、他の重要な石窟も追加で見学できる仕組みになっています。

ただし、ガイドが扉のカギを持っていて、一つひとつの石窟のカギを開け閉めしながら案内するので、自分のペースで自由にあちこち覗きまわることはできません。一つの洞窟に団体でドヤドヤと入り、中を数分間見学して、またドヤドヤと出ていく感じなので、ゆっくりと壁画を鑑賞したり、感慨に浸っている余裕はありません。

個人的な理想をいえば、ひとり薄暗い洞窟の中に座り、壁画を見上げたりしながら静かに時を過ごせたらいいなあと思っていたのですが、そういうぜいたくは許されないようです。

まるで時間を惜しむかのように、あちこちの「部屋」を慌ただしく出入りしていく様子は、まるで、不動産屋に連れられてオススメ物件を見て回るのにそっくりです。それに、払う金に応じて入れる部屋が違うというシステムも、実に資本主義的というか、現代のマンションやホテルにそっくりです。

考えてみれば、かつてはこれらの洞窟の中にも多くの人が暮らしていたわけで、そういう意味では、ここも一種の不動産物件といえなくもないのかもしれません。

さらに皮肉な言い方をすれば、マンションやホテルのような物件の場合、基本的に物件を購入したり、そこに住んだり泊まったりすることで初めてお金のやり取りがあるわけですが、ここの場合は、ただ物件を見るだけのためにお金を払わなければなりません。管理する側にとっては、多くの人に見せれば見せるほどお金が稼げるわけで、これは不動産の域を超えているというべきでしょう。

私は莫高窟について、ほとんど何の下調べも予備知識もなく見学したので、「基本料金」分だけで十分満足できましたが、この遺跡について詳しい人なら、実際に見てみたい石窟がいくつもあるはずで、そのたびに特別料金を追加徴収されるとなると、相当なフラストレーションを感じるのではないでしょうか。

でもまあ、それだけ熱心なファンなら、実物をただ一目見るためだけに多額の出費を重ねることも厭わないのかもしれないし、現地の物価水準に慣れてしまったバックパッカーとは違い、団体のツアー客なら、それほど高いとも感じないかもしれません。

それに、世界中の人々に知られた人気の高い遺跡だからこそ、すべての観光客をそのまま受け入れ、自由に見学するままに任せていたら、狭い洞窟の壁面に描かれた繊細な美術品は、すぐに傷んでしまうでしょう。私が見学するその行為自体も、わずかながらその風化を促進してしまうわけで、そう考えると、こうした厳しい管理や高い入場料も仕方のないことではあります。

いろいろと余計なことを書いてしまいましたが、これは莫高窟の本質とは関係のない話で、石窟遺跡自体はすばらしいものでした。当時、西の彼方から砂漠を越えてやってきた仏教という新しい信仰に人生を捧げ、莫高窟の造営に心血を注いだ人々の熱意がヒシヒシと伝わってきます。

ただ、そうは言ってもやはり、文化財保護の名目で鉄の扉の向こうに閉じ込められ、当時の信仰とは切り離された美術品として、金持ち観光客の見物対象になってしまったこの遺跡の姿には痛々しいものを感じたし、そうした印象が、遺跡をこの目でじかに見た感動をかなり打ち消してしまったのは確かです。

莫高窟自体は、当時そこに生きていた人々の熱い信仰が残した抜け殻のようなものですが、その抜け殻があまりに美しく、後世の人々の強烈な関心を惹きつけてしまったがゆえに、時間とともに少しずつ朽ち果てていくという本来の道に従うことを許されず、こうして見せ物のような運命をたどることになったのは、何とも皮肉です。

これはあくまで個人的な趣味の問題かもしれませんが、遺跡というのは、人間の管理の手からできるだけ離れ、そのまま自然に朽ちていくままになっている方が遺跡らしいと思うし、できれば、周囲の景観も含めて、遺跡全体が醸し出す雰囲気を、ゆっくりと静かに味わえるところの方がいいと思います。

そういう意味では、世界遺産のように「超有名」になっていないところの方が、訪れた人の総合的な満足度という点では、ずっとコストパフォーマンスが高いといえるかもしれません。

例えば、同じシルクロードなら、トルファン(吐魯番)の郊外に、交河故城という遺跡があります。

宿のある市街地から、自転車をゆっくりこいで数十分ほどで行けるので、タクシーをチャーターしたりツアーに参加したりする必要もなく、好きなときに、一人でぶらっと立ち寄ることができます。

もっとも、そこには、美術的に価値のありそうな建物は残っておらず、風化の進んだ、荒れ果てた街の跡があるだけです。私が行ったときには見物する人もごくわずかでしたが、午後の強烈な陽射しの中、人の気配のない、乾き切った廃墟にボーッと立ち尽くしていると、何ともいえない感傷がこみ上げてきました。

テレビの「シルクロード」的な雰囲気をじっくりと味わいたいのなら、こうした、何でもなさそうな遺跡の方がずっとふさわしいのかもしれません。

もっとも、そんな何もないような遺跡でも、入場料だけはしっかり取られますが……。


JUGEMテーマ:旅行

at 19:07, 浪人, 地上の旅〜中国

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南京虫大発生

香港を旅したときのことです。

ベトナムのホーチミンから、飛行機で香港に飛びました。当時、ランタオ島の新空港が開港するまであと数カ月という時期だったので、九龍半島の市街地にあったカイタック(啓徳)空港へのスリル満点の着陸は、これで見納めでした。

数年ぶりに空から眺める香港は、以前よりさらにビルが増えたようで、地上をビルがビッシリと埋め尽くす姿には現実感がまったく感じられず、まるでシム・シティの画面のようでした。

飛行機はそのビルの波の中へ突っ込んでいきます。

ほとんど激突かと思われた瞬間、ビルの群れの中にボコッと穴があき、滑走路が現れました。もちろん無事着陸しましたが、まるでビルで出来た「すり鉢」の底に落ちていくようなスリル(というより恐怖)は、本当にここだけでしか味わえない感覚でした。

着陸を堪能したあと、数年前に泊まった日本人宿の某有名ゲストハウスを目指そうとしたのですが、場所を忘れてしまい、ツーリスト・インフォメーションに聞いても、安宿すぎて扱っていないと言われ、仕方なく重慶大厦(チョンキン・マンション)の隣の美麗都大厦(ミラドール・マンション)内のゲストハウスにチェックインしました。

それでも、何とかしてその日本人宿を見つけ出したいという思いは消えませんでした。

以前にそこに滞在していたときには、宿泊者同士で、さらには香港で働く日本人まで遊びにやってきて、たわいない話で毎晩遅くまで盛り上がったし、宿で知り合った旅人と九龍城を「探険」したりと、楽しい思い出がいっぱいで、今そこがどうなっているかぜひ一目見て、できればまた泊まってみたかったのです。

翌日、おぼろげな記憶を頼りに、何度もそれらしき場所を歩き回ったあげく、ようやくゲストハウスの看板を見つけました。

しかし、階段を昇って受付に行ってみると、宿泊客の姿はほとんど見当たらず、妙に閑散としています。これでは、たとえ泊まっても、ドミトリーならではの面白さがありません。みんなで話をして盛り上がるという感じではないし、旅の情報も得られそうにありませんでした。

しかも、2~3人ほどいた日本人宿泊者は、みんな元気のないやつれた顔をして、体をボリボリとかきむしり、口々に「かゆい! かゆい!」と連発しています。

どうも、南京虫にやられたようです。彼らは親切にもTシャツをまくって見せてくれましたが、全身、赤いブツブツだらけになっていました。これはどう考えても数匹というレベルではありません。宿の中で南京虫が大発生しているとしか思えませんでした。

しかし、宿のスタッフは、殺虫剤をまくなり、布団を虫干しするなりという対策をとっているようにも見えなかったし、今後もそうするようなそぶりは見えませんでした。この宿では、ふだんは番頭役の日本人アルバイトが常駐して管理をしているらしいのですが、本格的に南京虫を駆除するとなると、相当な手間も費用もかかるはずで、きっとアルバイトだけでは対応できないのでしょう。

さすがにこれでは、あまりのかゆさに夜も眠れないだろうし、何より自分があのようなブツブツだらけになるのが恐ろしくて、さすがにそのゲストハウスに移るのは断念しました。

それでも、人数が少ないとはいえ、日本人がいるというのは貴重です。

短い旅ならそれほどでもないのでしょうが、多少の長旅となると、日本語で話せる機会というのはなかなか貴重なのです。経験した人なら分かってもらえると思いますが、カタコトの現地の言葉や英語だけで生活していると、情報交換以前の問題として、何でもいいから日本語を話したいという思いが強くなってくるのです。

私は、アルバイトの番頭さんや宿泊客たちと、夕方までダラダラと話をしてから自分の宿に戻りました。

この某ゲストハウスは、今でも営業しているようです。確信をもって言うことはできないのですが、きっと当時の南京虫騒動も、なんとか無事に乗り越えたのでしょう……。


JUGEMテーマ:旅行 

at 18:40, 浪人, 地上の旅〜中国

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