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異物混入

先日、ある有名なカップ焼きそばにゴキブリが混入している写真がネット上を駆けめぐり、メーカーが商品の販売中止と回収、工場の操業停止に追い込まれました。

回収騒ぎは他社にも飛び火しているようで、食品業界の関係者は、しばらくのあいだ、いろいろと神経をすり減らす日が続くのではないでしょうか。

一連のニュースをきっかけに、もうずっと昔、ラオスのヴァンヴィエン(バンビエン)に滞在していたときの、ささやかな出来事を思い出しました。

ヴァンヴィエンは首都のヴィエンチャンからバスで数時間のところにある、山間の小さな町です。周辺では洞窟めぐりや川下りなど、それなりのアトラクションを楽しめますが、どちらかというと、何もない田舎でボケーッとしたい人向けの場所で、バックパッカーの間では「沈没地」としても有名です。
ウィキペディア 「ヴァンヴィエン」

ある日の昼下がり、宿の近くをぶらぶら歩いていて、地味な食堂に目が止まりました。

いまとなっては記憶も曖昧なのですが、それは掘っ立て小屋のような、粗末なつくりのみやげ物屋の片隅にテーブルを置いた、いちおう食事も出せます、みたいな感じの店だったと思います。

そのときは店番の若い女性が一人いただけで、ほかに客の姿もありませんでしたが、ふと、そこで昼メシを食べようという気になって、店に入りました。いつもはその近くにある、ツーリスト向けの食堂ばかりに通っていたので、たまには別の店を試してみようと思ったのです。

とりあえず、その店にも英語のメニューくらいはあったのでしょう。私は、その中から、野菜入りのヌードル・スープを注文しました。

値段は、外国人相手の食堂よりも、かなり安かったような記憶がありますが、料理自体はとりたてて特徴もない、ごく普通の味でした。

食べ始めてしばらくして、スープの中に、数センチの茶色い破片が浮かんでいるのに気がつきました。

よく見ると、昆虫の羽根です。バッタかコオロギでしょうか。

でもまあ、そこはちゃんとした壁もないような店だったし、風に吹かれてゴミが飛んできたのかな、まあ、こういうこともあるだろう、と思って、箸でつまみ、土間になっていた床に捨てたのですが、再び食べ始めると、さらに同じような破片がいくつも浮き上がってきます。

ゲッ、と思いました。羽根一枚ならともかく、何枚ともなると、気持ち悪さが半端ではありません。

それにこれは、バッタやコオロギではなくて、「あの虫」の羽根では……。

ただ、スープの中に「本体」は見つかりませんでした。知らないうちに食べてしまった可能性もゼロではないけれど、それらしい歯ごたえや違和感は感じなかったので、たぶん、野菜か何かに紛れ込んでいた虫が、調理の過程でバラバラになって、その一部がスープに入ってしまったのでしょう。

昆虫に詳しくない私には、その虫の正体は分かりません。しかし、分からないだけに、かえって、余計な想像がどんどんふくらんでいきます。

すでに、食欲はすっかり消えていましたが、かといって、店のお姉さんを呼びつけて、クレームをつけるのもためらわれました。

お互いの語学力の問題で、話がうまく通じないだろうと思ったのもありますが、かりに文句を言ったところで、変なスープを飲んでしまった事実がなくなるわけではありません。

それに何より、ここはラオスの田舎です。この程度のことは、文字どおりの「日常茶飯事」ではないでしょうか。店員さんからすれば、何か面倒な客が、虫一匹のことで大げさに騒いでる、くらいにしか思わないかもしれません。

もしそうなら、ことを荒立てても、きっと何の解決にもならないし、むしろ、独り相撲みたいになって、いっそう惨めになるだけなのでは……。

そんなことをあれこれ考えるうちに、すべてがどうでもよくなってきました。

そして逆に、食べかけの料理を残すのも何だかもったいない気がしてきて、虫の破片を全部つまみ出すと、残りを完食し、何事もなかったように店を出ました。

さいわい、その後、「健康被害」はありませんでした。まあ、さすがにその店に再び足を運ぶことはありませんでしたが……。

アジアの田舎の食堂みたいに、衛生面でいろいろ問題がある状況だと、利用者は、常に注意深くなければならないし、何かトラブルがあっても、結局は、自分の判断が甘かったとか、運が悪かったとあきらめるしかありません。そういう環境で暮らしていくのは、誰にとってもけっこうハードだと思うし、私も旅から帰るたびに、日本の清潔さに感動します。

かといって、今回の焼きそばの混入事件みたいに、ゴキブリ一匹で日本中が大騒ぎし、メーカーの存亡に関わるほどの一大事になってしまうのも、それはそれで、ちょっと行き過ぎではないかという気がします。

安心・安全の追求は大事なことではありますが、絶対的な安心を求めても際限がないし、それは当然、手間やコストの増加にもつながります。それに、ミスやトラブルが全く許されない状況は、関係者に異常なまでの緊張を強いることになるでしょう。

今後もきっと、食品に異物が混入している写真などが、ネットにたくさん出回ることになると思いますが、そういうミスをゼロにはできない以上、それが健康に直接被害をもたらすほど深刻なものでないなら、私たちにも、それを冷静にスルーする大らかさが必要になってくるのかもしれません。

 
JUGEMテーマ:旅行

at 19:14, 浪人, 地上の旅〜東南アジア

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東南アジアの国境をめぐる旅

旅行作家の下川裕治氏とカメラマンの阿部稔哉氏がウェブ上で連載していた、東南アジアの国境をめぐる旅の記事が、先日完結しました。

『裏国境を越えて東南アジア大周遊』(全20回)

2人は、バンコクを起点に、ここ数年で外国人旅行者にも開かれ始めた、主に地元民向けのマイナーな国境を越えながら、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオス、ミャンマーを旅しています。

途中、有名な観光地や大都市も通過するものの、メインテーマはあくまで国境越えなので、かなり地味でマニアックな旅が続くのですが、簡潔な文章や写真・動画を通じて現地の雰囲気が伝わってくるので、旅の好きな人なら、けっこう楽しめるのではないかと思います。

また、旅の詳細については、下川氏のブログでも読むことができます。

【裏国境の旅がはじまった】 たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治

私も十年以上前に、全くの別ルートですが、そのころ開かれていた数少ない国境を抜けながら東南アジア各国を周遊したことがあるので、読んでいたら、当時の体験がいろいろとよみがえってきたし、2人の旅の詳細についても、とても興味をひかれるものがありました。

例えば、カンボジアのプノンペンからベトナム南部のチャドックまで、メコン川をスピードボートで下るルートとか、ベトナム北部のディエンビエンフーからラオス北部に入り、ルアンパバーンへ抜ける山岳ルートなどはけっこう面白そうだし、特に、ミャンマー南部のメルギー諸島については、昔からの憧れでもあり、いつか旅してみたいと改めて思いました。

新しい国境がいくつもオープンしたおかげで、個人旅行者がより自由にルートを描けるようになったのは素晴らしいことだと思います。2人のように東南アジアを大周遊するような時間と気力のある人は少ないでしょうが、彼らのたどったルートの一部を取り入れるだけでも、旅がかなり変化に富んだものになるのではないでしょうか。

ただ、少し残念なのは、最近タイの当局が、ノービザ・陸路での国境の出入りを制限する動きに出ていることで、今後の成り行き次第では、バンコクを起点にした、こうした周遊旅行がやりにくくなる可能性があるということです。
記事 「ビザ・ラン」

それにしても、2人の旅は、(仕事のスケジュールの関係なのか)途中何度か中断をはさんでいるとはいえ、現地ではひたすら先を急いでいて、ほとんど休む間もなくバスや船を乗り継いでいくのは、相当ハードだったのではないかと思います。特に下川氏は、けっこうお年も召しているし、途中、ミャンマーでは予想外のアクシデントにも巻き込まれ、ボロボロになりながらも旅をまっとうする姿には、読んでいて頭が下がります。

それと、こういうタイプの旅というのは、もしかすると、今の若い人たちには、あまりピンとこないのかもしれないな、とも思いました。

私も、最近の旅のトレンドを把握しているわけではないのですが、ふつうに考えるなら、個人旅行者の大多数は、たぶん、ネット上の豊富な情報をうまく取り入れつつ、安く快適で、しかも中身の濃い旅を楽しみたいという思いが強いだろうという気がするし、さらに、今の旅行者は、旅の目的や意義のようなものを、とても重視するのではないかと思うからです。

東南アジアでは、いま、都市部が急速に発展しつつあり、交通機関や宿やレストランなど、旅のインフラも年々便利で快適になっているし、物価も日本と比べればまだまだ安いので、あまり苦労せずに効率よく旅を楽しみたいなら、そうした大都市や人気のあるツーリスト・スポットをまわるのがベストでしょう。

実際、そういう場所では業者同士の競争もあるので、ネット上の評判などをきちんと調べれば、かなり安くて質の高いサービスを得られる可能性が高いし、観光や娯楽などの機会には事欠かないし、旅人とも多く出会えるので、淋しい思いをする必要もありません。

また、最近では、旅先でボランティア活動に参加したり、語学学校に通うなど、明確な目的意識をもって旅に出る人も多いのではないかと思います。

逆に、陸路でマイナーな国境を越えていくような旅では、個人旅行者向けの安い交通手段がなくて、かなりの出費を強いられたり、不便な思いをすることも多いだろうし、バックパッカー向けの宿や食堂は少なく、ネット上の情報も限られています。また、何もない田舎なので、静かに過ごせるのはいいのですが、人によっては退屈を持て余すだろうし、他の旅人ともなかなか出会えないかもしれません。それに、東南アジアの僻地を旅しても、残念ながら、その思い出話に興味をもって耳を傾けてくれるような人はなかなか見つからないでしょう。

しかも、そうまでして辺境を旅する目的というか、張り合いのようなものも、最近では失われつつあるのではないかという気がするのです。

ネットが普及する前は、信頼できる現地情報といえばガイドブックと旅行者のクチコミくらいだったので、ガイドブックに載っていないような場所を旅すれば、ちょっとした冒険気分に浸れたし、自分の体験したことが、他の旅人の役に立つかもしれないという実感をもつこともできました。

しかし、今や、ネット上には、誰も情報をアップしていないような空白の場所などほとんどないし、秘境といわれる場所でも、その映像を見るだけなら簡単です。そのために、誰も行ったことのない場所へ行きたいとか、誰もしたことのないような旅がしてみたいという思いは、ほとんどかなえられなくなってしまいました。他の人とは違う、自分だけのオリジナルな旅を求めてみたところで、どうしても誰かの旅の二番煎じみたいになってしまいます。

そうなると、変にオリジナリティに走ろうとして苦労するよりも、他の人と同じような旅で満足できるなら、その方がコストパフォーマンスはずっと高いということになるし、逆に、それでもあえて人と違う旅を追求するのなら、その苦労や高いコストに見合うだけの個人的な意味や必然性があるのか、自分がその旅に心から満足できるのかという点が、常に問われることになるのです。

もちろんそれは、昔の旅人の方が、今よりもずっとオリジナリティがあった、という意味ではありません。昔は情報がなさすぎたおかげで、他の人と同じような旅をしていても、それに気づかなかっただろうし、そのおかげで、多くの人が、旅の開拓者のような気分を味わえたのだろうと思います。そして今は、他の旅人たちの行為がネット上で可視化されたために、どこに行っても、どんな旅をしていても、何だか、他の誰かのマネをしているような気分になってしまうということなのだと思います。

それはともかく、旅に快適さとか、娯楽とか、日頃のストレスの解消みたいなものを求めているかぎりは、旅の動機や目的を真剣に考える必要性はないのでしょうが、辺境にあえて足を伸ばすような旅だと、その苦労に見合うだけの強烈な個人的動機がないと、とても旅を続けられないような気がします。

私も、上の旅行記を読んでいて、とても面白いとは思ったのですが、では実際に、今、自分に同じ旅ができるのかと自問してみると、ちょっと無理だろうなと思います。

ずっと以前には、陸路で国境を越えるという行為自体にワクワクしたものだし、バックパッカーとはそういう旅をするものだという思い込みみたいなものもあったのですが、そうした旅を続けているうちに、いつしか感動は薄れてしまったし、今の自分には、もう、そういう旅をせずにはいられないような、情熱のようなものが湧いてきません。

少なくとも、今の私には、陸路での国境越えとか、「裏」ルートを攻略するような旅というのは、心に響くテーマではないのでしょう。もし長い旅に出るのだとしたら、たぶん、自分にとって、もっと切実なテーマが必要なのだと思います。

まあ、これについては、自分が歳をとって、気力・体力ともに衰えたというのも大きいのでしょう。それに加えて、還暦に近い下川氏が、今回の旅でさんざん痛めつけられている描写を読んで、すっかり怖気づいてしまったせいもあるのかもしれません……。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:40, 浪人, 地上の旅〜東南アジア

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アンコール・ワットの夕陽

もう何年も昔、東南アジア各地を旅していた頃のことです。

当時の私は、陸路の旅にこだわるバックパッカーでした。カネはともかく、時間だけはあったので、ビザの有効期間をギリギリまで使い、街から街へとゆっくり移動しながら、ガイドブックに載っているめぼしい観光地はひととおり見てまわるような、けっこうマジメな旅を続けていました。

東南アジアの観光地といえば、その最大級のものがカンボジアのアンコール遺跡です。高校生の頃に写真集で知って以来、美しい巨大遺跡アンコール・ワットや、「クメールの微笑」で知られるバイヨンなど、見どころの多いアンコール遺跡群を訪れるのは私の夢の一つでした。
ウィキペディア 「アンコール遺跡」

せっかくの大遺跡だし、長年の憧れの地でもあるし、飛行機でいきなり近くまで飛んでしまうのはもったいない気がして、できればタイ側から陸路で国境を越え、何日かかけて少しずつ移動しながら、夢にじわじわと近づいていく感覚も楽しみたいというのが当初の計画だったのですが、当時のカンボジアは政治的にかなり不安定で、陸路で移動中の外国人旅行者が事件に巻き込まれたという話をよく耳にしました。

さすがに私も命は惜しいので、もう少し状況が落ち着いてからにしようと、カンボジア行きをずっと後回しにしていたのですが、1年ほど周辺諸国をぶらぶらと旅し、他の国をざっと見終わってしまうと、さすがにもう、それ以上先延ばしにすることはできません。

かといって、安全が確保できるわけでもないので、結局、陸路で入国するという最初のプランはあきらめて、バンコクからプノンペンへ飛び、そこからスピードボートを使って、アンコール遺跡観光の拠点シェムリアップに向かいました。
ウィキペディア 「シェムリアップ」

遺跡は広い範囲に散在していて、徒歩や自転車でまわるのは無理なので、シェムリアップの安宿に出入りしているバイクタクシーを、一日か半日単位で雇います。日ざしのきつくない午前中の数時間と、2〜3時間の昼寝タイムをはさんで、日没までの数時間を使って、毎日遺跡見学に出かけました。

最初の日は、あえてガイドブックの解説は読まず、憧れのアンコール・ワットとバイヨンの第一印象を楽しみながら、好きなように見てまわることにしました。

アンコールは、インドネシアのボロブドゥールやミャンマーのバガンと並ぶ、世界の三大仏教遺跡の一つと言われています。私はそれまでに、ボロブドゥールもバガンも見ていたのですが、実際にアンコールの遺跡群を前にして感じるパワーは、それらをはるかに超えていました。

もちろん、憧れの地にようやくたどり着いたことで、気分が高揚していたのもあるでしょう。それでも、密林の中から次々に現れる巨大な石造ピラミッドや、見渡す限りの壁面を埋めつくす繊細な彫刻は、私の思考と感情を激しく揺さぶりました。

私はもう、遺跡のことで頭がいっぱいになってしまいました。翌日から数日かけて、散在する遺跡群全体をひととおり見てまわり、さらにその後の数日は、お気に入りの遺跡を数か所に絞って、その膨大な彫刻をゆっくりと見たり、その場でボーッと雰囲気にひたったり、写真を撮ったり、のんびり絵ハガキを書いたりと、気がすむまで遺跡を味わいました。

今はどうなっているか分かりませんが、当時は、あまり有名でない遺跡には見学者もほとんどおらず、バイクタクシーを入口で待たせて中に入ると、出てくるまでの間、誰にも会わないことなどしょっちゅうでした。バイヨンのような有名遺跡でも、グループツアーの人波が途切れてしまうと、広い境内はガランとして、ほとんど貸し切り状態です。

中には、タ・プロームのように、遺跡が発見された当時の状態をそのまま残した場所もあります。石積みの小さな寺院が巨大なガジュマルに絡みつかれ、密林に呑み込まれようとする異様な光景を一人きりで眺めながら、ジャングルに響きわたるけたたましい鳥の声を聞いていると、何か別の世界にでも迷い込んでしまったような、恐ろしいほどの寂しさを味わうことができました。

そんな風に、夢中になって遺跡に通いつめているうちに、何となく一日の行動パターンみたいなものが生まれてきたようで、陽が傾き始めると、足は自然にアンコール・ワットの最上層部へと向かいます。

辺りには、重いクーラーボックスを抱え、観光客に冷たい飲み物を売り歩く女の子たちがいます。彼らの一人から、その日の売れ残りのコカコーラを買い、見晴らしのいい石積みの上に腰を下ろしてそれを飲みながら、沈む夕陽を眺めるのが楽しみでした。

遺跡の上から西の方角を見下ろすと、広くまっすぐな中央参道にそって、物乞いがびっしりと並び、その間を、さまざまな国からやってきた観光客やガイド、地元の物売りや子どもや犬たちが、ぞろぞろと歩いているのが見えます。

昔なら、そこはきっと、王のような限られた人間だけが通ることを許された、神聖で特別な領域だったのでしょう。しかし今や、こうして遺跡の中心部に陣取ってコーラを飲んでいる私のように、遺跡への入域料としてそれなりの金額を払えば、誰でもどこにでも足を踏み入れることができる時代です。

夕陽をぼんやりと眺めながら、そんなことを考えていると、お約束どおりではありますが、カンボジアの人々の栄光と悲惨の歴史や、昔の王の絶大な権力とその無常へと、思いをはせずにはいられませんでした。

こうして、一週間以上を見学に費やし、お気に入りの場所でゆっくりと時間を過ごし、憧れの遺跡を堪能すると、さすがに満腹というか、これで充分だという気持ちになりました。

そして、アンコールの遺跡だけでなく、観光という行為そのものも、自分にはもう充分だという気がしました。

私はそれまで、ガイドブックなどで、多くの人が素晴らしいという場所や有名なツーリスト・スポットをチェックして、そこを順番に目的地にするような旅を続けていました。それは旅のやり方としてごく一般的なものではあるし、自分の勘だけを頼りにやみくもに動き回るよりは、素晴らしいものに出会えるチャンスも大きいと思っていました。

ただ、長い旅の中で、それがパターン化し、マンネリに陥ってしまったのか、自分で考えていた以上に、もはや、そういうスタイルの旅には心が動かなくなってしまっていたようで、今こうして、東南アジア最大の遺跡を見学して一区切りがついたことで、それをはっきりと自覚したのです。

でも、そうだとしたら、これからは、何を目的に旅を続けていけばいいのでしょう?

そのとき、私にはほとんどアイデアがありませんでした。

シェムリアップ滞在の最終日、見納めにもう一度アンコール・ワットに行きました。

入域チケットの有効日数を使い果たしていたので、日没直前、検問の人たちが家に帰ったあとを見計らって、急いで遺跡に向かいます。

早足で参道を歩き、いつもの場所にやってくると、ジュース売りの女の子たちも帰ったあとでした。空は雲に覆われていて、きれいな夕焼けは望めそうもありません。

それでも、石積みの上に腰を下ろすと、これまでの東南アジアの旅の思い出が次々によみがえってきて、胸がいっぱいになりました。

やがて思いは、この先の旅へと移っていきます。

とりあえず、明日プノンペンに戻り、カンボジアのビザが切れる前に陸路でベトナムに出て、ホーチミン市に向かおうという大ざっぱな予定だけはありましたが、そこで再びちょこまかと観光地をまわる旅には、気が乗りません。

今はどうしたらいいか分からないけれど、ベトナムに入ってみたら、何か次の展開が見えてくるかもしれない……。

そんなことをぼんやりと思いつつ、アンコール・ワットの最後の夕暮れを楽しんでいました。


記事 「アンコール遺跡の少年ガイド」


JUGEMテーマ:旅行

at 18:45, 浪人, 地上の旅〜東南アジア

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