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旅行熱遺伝子

先日、ネットでちょっと面白い記事を見かけました。

 

運転が下手?なまけもの?実はそれ、遺伝子のせいかもしれない。親から子へ遺伝する意外な10の性格・性質 カラパイア
 

人間の遺伝にまつわるさまざまな小ネタを集めたものですが、その中に、旅に関するものがありました。ドーパミン受容体の遺伝子に、「旅行熱遺伝子」と呼ばれる変異(DRD4-7R)があって、その変異を持つ人は冒険スピリットに富んでいる、というのです。

実は、この「DRD4-7R」については、以前から、ネットメディアでは何度か取り上げられているようです。
世界人口の20%がかかっている「病気」- ワンダーラストとは? HUFFPOST
 

「旅行熱遺伝子」とはいうものの、これは別に、旅や冒険みたいな行動ばかりを誘発するわけではなくて、要は、目新しいものに強く心を惹かれるようになる、ということのようです。それが旅への衝動となって現れることもあれば、いつも新しい恋人を探し回っていたり、あるいは、興味関心の対象がコロコロ変わって落ち着きがない、というパターンになることもあるのでしょう。

 

ちなみに、欧米人と比べると、日本人でこの変異を持つ人の割合は低い、という調査結果もあるようです。
「日本人は遺伝的に挑戦が苦手」脳科学でわかる国民性を中野信子氏が解説 ログミー
 

これらが科学的にどれだけ裏づけのある話なのか、懐疑的にとらえる人もいるようだし、私も専門家ではないので、結局のところどうなのか、ハッキリとは分かりません。それでも、「旅行熱遺伝子」の話はともかく、パーソナリティの形成に遺伝がかなり関与しているのは確かなようです。

 

人には、それぞれに持って生まれた性格みたいなものがあるんじゃないかと感じている人は多いと思いますが、そういう生活知のようなものが、最近になって徐々に科学的な根拠を得つつある、ということなのだと思います。

 

ただ、人間の性格が、ある程度遺伝子によって決まってくる、ということが科学的に明らかになり、その詳しいメカニズムが説明可能になったとしても、個人的には、だからといって、自分の遺伝子を詳しく調べてみたい、という気持ちにはならないだろうという気がします。

 

たしかに、遺伝子が人間の心の働きにどのように関わっているのか、それを一般的な知識として知っておきたいとは思いますが、そのことと、実際に自分の性格とどう付き合っていくかということは、全く別の問題だからです。

 

例えば、旅好きの人が遺伝子検査をして、かりに「旅行熱遺伝子」を持っていると判明すれば、「ああ、やっぱり」と思うでしょうが、持っていないと判明しても、「それなら、ほかに何か別の原因があって旅好きになったんだろう」と思うだけの話で、どちらにしても、何か新しい展開がそこに生まれることはないでしょう。

 

逆に、落ち着きがなさすぎる自分の性格に嫌気が差している人が遺伝子検査をして、「旅行熱遺伝子」が見つかっても、「ああ、やっぱり」と思うでしょうし、持っていないと判明したところで、「それなら、ほかに何か別の原因があって落ち着きがなくなったんだろう」と思うだけで、この場合も、やはり何か新しい展開が生まれることはないし、これまでの悩みが解決するわけでもないでしょう。

 

つまり、物心ついて以来、誰もが自分の欲求や行動のパターンに振り回されては、なんとかそれに適応することを繰り返す中で、自分の性格がどんなものなのか、好きにせよ嫌いにせよ、それなりに把握していくわけで、遺伝子検査は、それに科学的なお墨付きを与えるくらいの意味しかないのではないか、という気がします。

 

それに、少なくとも現時点のテクノロジーでは、自分の遺伝子を好きなように変えることなど不可能なので、自分が生まれた時点で両親や先祖から受け継いだ遺伝子と、それがもたらすさまざまなプラスやマイナスを、そのまま受け入れて生きていくしかありません。

 

結局のところ、私たちにとって重要なことは、自分のパーソナリティが遺伝的にどう説明できるか、ではなくて、自分自身のそうした性質の「変えられなさ」とどう向き合い、受け入れ、折り合いをつけていくか、という問題なのではないでしょうか。もちろん、遺伝子がすべてを決定するわけではなく、周囲の環境や自分の努力次第で変えられる部分もあるので、何をどのように変えていけばいいか、よく考えて行動する必要もありますが。

 

そしてそれらは、自分の遺伝子について知らなくても、十分にできることなのだと思います。

 

 

JUGEMテーマ:旅行

at 19:31, 浪人, 地上の旅〜旅全般

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スマホか、旅の思い出か

先日、ネットでちょっと面白い記事を読みました。

 

旅先でもずっとスマホを覗き込んでいると、 旅の経験から「エンゲージメント」と「非日常性」が失われ、せっかくの思い出が記憶に残らなくなってしまう、という内容です。

 

旅先でもスマホでメール処理…結果、「美しい記憶」が失われる理由 WIRED

 

上の記事には、その裏づけとなる具体的なデータが示されているわけではないし、私も記事のネタ元までさかのぼってきちんと確認したわけではないのですが、旅先でスマホを使うことによって、目の前で起きていることに集中できなくなったり、日常と同じ行為を旅に持ち込むことで非日常性が薄れてしまうという説明は、たしかにその通りだという気がします。

 

ただ、もし旅行者が、旅先でも仕事のメールを見ずにはいられなかったり、SNSで友人たちとの他愛ないやり取りを延々と続けてしまうのだとしたら、本人の心の中では、旅の目新しい体験よりも、スマホを通して得られるいつもの経験の方が、ずっと重要だと判断しているということです。

 

つまり、本人は、旅に出てリフレッシュしたいとか、いつもと違う経験をしたいとか、心の表面ではいろいろなことを考えているのかもしれませんが、それとは裏腹に、心の底ではいつもの日常を手放すつもりなど全くない、ということなのだと思います。

 

上の記事は、旅行中はスマホを控えめにしましょう、みたいな常識的なアドバイスで締めくくられていますが、みんながそれに従って自分の欲求を完璧にコントロールできるなら、そもそもスマホ中毒みたいな問題も起きていないでしょう。

 

問題は、ふだんの生活で肌身離さずスマホを持ち歩き、つねに画面を覗き込んでいるような人なら、まず間違いなく、旅先でもスマホを見ずにはいられないだろうということで、そうである限り、どんなにエキゾチックな異郷に行ったとしても、その人の心の中に、いつもと違う世界が入り込む余地はないということです。

 

逆に、その人が一大決心をして、たとえば丸一日、スマホを見るのをガマンしてみるなら、きっと大変な苦しさを伴うとは思いますが、それは、大金をはたいて海外旅行をしたりするよりも、ずっと非日常的な経験となり、後々まで記憶に残るような、印象的な一日をもたらしてくれるかもしれません。

 

まあ、こんなことを偉そうに書いている私自身も、ネットにつながらない日なんてないのですが……。

 

 

記事 「何もしない」という非日常
記事 日常の非日常化と非日常の日常化

記事 「ネット断食」の試み

 

 

JUGEMテーマ:旅行

at 18:58, 浪人, 地上の旅〜旅全般

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旅への幻想に振り回されることについて

前回の記事では、旅を重ねていくうちに、子供のころから抱いていた異国への幻想が失われていったことを書きました。
記事 異国への幻想

 

ただ、いま読み返してみると、そうした幻想に浸ることで味わえた幸福感も一緒に消えてしまったことを、感傷的に振り返るような内容になっていて、幻想を失うデメリットを強調しすぎたかな、という気がします。というか、むしろ、幻想に振り回されることがどれほどの災いなのか、きちんと説明していませんでした。

 

異国や旅への幻想は、結局のところ、思い込みや勘違いで出来上がっている部分が大きいので、それらが強力であればあるほど、旅先の現実とのあいだで矛盾や混乱を生じることになります。当然、それは旅をする上でさまざまなトラブルを引き起こすし、場合によっては旅人を危険にさらすこともあります。

 

だから、この世界をできるだけ曇りない目で見るためにも、安全に旅をまっとうするためにも、そうした幻想は、できるだけ早く手放してしまう方がいいのですが、ちょっと話がややこしいのは、幻想というのは、自分の意志でホイホイと捨てられるようなものではないし、幻想が打ち砕かれる瞬間は、当人にとって非常に苦痛だったりするので、それを手放すどころか、逆に必死になって守ろうとしてしまいがちだということです。

 

例えば、パリにずっと憧れていた日本人が、実際に旅をして現実のパリに幻滅し、心を病んでしまうようなケースは、「パリ症候群」と呼ばれているようですが、パリにかぎらず、長い間、自分の理想を投影し、大事にしてきたイメージが目の前で崩壊していくのは、旅人にとって大きなショックだろうし、その瞬間には、幻想から解放された喜びどころか、苦しみしか感じないでしょう。
ウィキペディア 「パリ症候群」

 

そうしたショックから回復するには、人にもよるでしょうが、それなりの歳月が必要です。そして、心の深い傷が癒えたあと、ようやく、当時の自分がどれだけ偏ったイメージにとらわれていたかに気づき、そうした幻想を失った自分が、少しだけ自由になっていることを、しみじみと実感するのです。

 

私の場合は、特定の国や街への強い思い入れはありませんでしたが、旅を続けるうちに、どこへ行っても心から旅を満喫できていないようなモヤモヤを感じるようになりました。

 

それは、旅が長くなりすぎて、好奇心や新鮮な感覚が失われたせいもあったのでしょうが、それに加えて、一目見ただけでその土地に夢中になってしまうくらい素晴らしい場所に、いつまでたっても出合えないというフラストレーションも大きかったのではないかという気がします。

 

それが特定の街への幻想だったなら、「パリ症候群」みたいに一気に壊れてしまい、幻想が生き延びることもなかったのでしょうが、私の場合、「素晴らしい場所」とは何なのか、具体的な条件がハッキリしていたわけでもなく、もしも理想の場所にたどり着いたら直感的にわかるはず、みたいな、怪しげな思い込みがあるだけだったので、もっと旅を続ければ、どこかにそんな場所が見つかるかもしれない、あるいは、どこかで予想もしていなかったようなものすごい体験が得られるかもしれないという、根拠のない期待となって、心の中にいつまでも居座り続けました。

 

そして、それが常に期待のハードルを上げてしまうので、どれだけ素晴らしい風景を目にし、貴重な体験をしても、目の前の瞬間に集中し、心から満足することができなかったのでしょう。

 

考えてみれば、少年時代の私の異国への幻想は、何年にもわたって旅への憧れをかきたて、さらには、さまざまな心の壁を乗り越え、実際に旅を始める後押しをしてくれたわけですが、それが同時に、旅に対する過剰な期待となって、むしろ、旅を心から味わうことを邪魔する、タチの悪い足かせになってしまったのでした。

 

しかし、当時の自分は、そういうことにはほとんど無自覚でした。どこに行けばいいのか、どうしたら満足のいく旅ができるのか、何も分からないまま自問自答を続け、試行錯誤を重ねるうちに、私の旅は、旅行者があまり訪れないマイナーな場所をめざしたり、困難の多いルートや方法をあえて求める、苦行のようなスタイルになっていきました。自分が幸せな気分に浸れるような理想の場所を求めるはずだったものが、心の中の幻想に振り回されることで、逆に、ストレスばかりの苦しい旅になり果ててしまったわけです。

 

そのまま、旅は迷走を続け、あるときふと、紛争地帯に足を踏み入れることまで考え始めている自分に気づいたとき、こんなことを続けていたら、そのうち命を落とすことになるんじゃないかとゾッとしました。

 

登山家や冒険家、戦場カメラマンなど、危険と隣り合わせの旅をしている人たちは、明確な目的意識はもちろん、必要な経験や能力も持ち合わせているだけでなく、生きて帰ってくるために周到な準備をし、それでもどうにもならない場合があることも覚悟して旅に臨んでいるはずです。しかし、そのときの私には、命をかけてもいいと思えるほどの思い入れもなければ、経験も能力も、しっかりとした覚悟もなく、そんなフラフラとした気持ちで絶体絶命の危機に見舞われても、こんなはずじゃなかったとジタバタするのが目に見えていました。

 

そんな自分の状況が見えたとき、どれだけ幻想を追ったところで、その先に「約束の地」なんてないんだと痛感し、私の旅は(いったん)終わりました。

 

本当に後悔するような状況になる前に気づけたのは幸いでしたが、前回の記事でも書いたように、それはたぶん、それまでの間に体験してきた旅の現実によって、幻想の威力が次第に薄れ、それに従わなければならないという強迫観念からも、少しずつ自由になれていたからなのでしょう。

 

そして、幻想から覚めたことで、それまでの自分が、どれだけ不自由なモノの見方をしていたかに、改めて気づかされたのでした。

 

子供のころの幻想を手放した大人たちが、別にスーパーマンになるわけではないように、幻想を失うといっても、それによって何か特別に素晴らしいことが起きるわけではありません。ただ、大人になってから子供時代を振り返ってみれば、当時の自分がモノを知らず、考えも浅く、出来ることもわずかで、いかに不自由に生きていたかがよく分かるし、それにくらべれば、(あくまで相対的にではありますが)大人の自分がずっと自由に生きていることに気づくはずです。

 

どんな幻想であれ、それに振り回されているあいだは、つねに混乱と不自由の中にいるわけで、その一部だけでも手放すことができれば、生きていくのがそれなりに楽になるし、現実の世界とも、もっと折り合いをつけられるようになるのだと思います。

 

このあたりに関しては、旅にかぎらず、仕事や恋愛でも、同じことが言えるのかもしれません。

 

もっとも、この世界はとてもややこしく出来ていて、何年もかけて、ようやくひとつの幻想から自由になったと思えば、それもまた、別の大きな幻想の中だったりするわけですが……。

 

 

記事 「旅人の楽園」は幻想?

 

 

JUGEMテーマ:旅行

at 19:00, 浪人, 地上の旅〜旅全般

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