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地味な小旅行の楽しみ

◆ 外出の自粛は終わったけれど……

 

5月25日に国内の緊急事態宣言がすべて解除されてから、約1か月が経ちました。6月19日には、県境を越える移動も解禁され、海外はともかく、国内については、かなり自由に旅行できる状態に戻りつつあります。

 

ただ、旅行をする側としては、感染のリスクが消えたわけではないので、見知らぬ土地に出かけることに不安を感じるだろうし、現地の宿や飲食店がどの程度まで感染防止対策をとってくれているのか、気になる人も多いでしょう。

 

そもそも、仕事や冠婚葬祭以外で旅行する人のほとんどは、娯楽や気晴らしのためにそうするのであって、旅先での冒険やリスクを求めているわけではありません。事あるごとに感染への不安を覚えるようでは、旅をしていてもちっとも楽しくないだろうし、むしろ道中では心配ごとが多すぎて、かえって疲れ果ててしまうのではないでしょうか。

 

それに、受け入れ側としても、観光業に携わる人々はともかく、一般の住民にしてみれば、感染しているかもしれない外部の人間が入り込んでくることに、あまりいい気はしないだろうと思います。

 

このあたりの感情は、きれいごとやタテマエでは済まないところがあるし、地元経済の復興が大事とはいえ、そのための施策を急ぎすぎると、地元内での感情的な対立を生んでしまうかもしれません。

 

旅人としては、この時期に旅行を再開するにしても、心の中の不安は払拭しきれず、あまり浮かれた気分にはなれないだろうし、地元の人々の複雑な心情を考えると、いかにも観光客といった格好でウロウロするのは、何となくはばかられる気がするのではないでしょうか。

 

 

◆ 地味な小旅行の楽しみ

 

そんなことをボンヤリ考えていたら、何か月か前に、ネット上で話題になっていたマンガを思い出しました。

 

地味な小旅行の面白さを、とても簡潔に紹介したものです。

 

ジミタノ!ひとり散歩 ナンセンスダンス

 

非常に短くて、すぐに読み終わるので、あえて内容を要約するまでもないでしょう。興味のある方は、ぜひ目を通してみてください。

 

個人的には、このマンガに描かれているような地味な小旅行こそ、旅のおいしいところを手軽にマイペースで味わえる、すばらしいやり方だと思うし、作者の Sipla さんも、その楽しみ方を過不足なく表現されていると思います。

 

しかも、こういう小さな旅なら、旅への不安をそれほど感じなくてすむだろうし、観光地に人が押し寄せたり、地元の人に感染への恐怖を感じさせたりという、ネガティブなインパクトを与えることもないでしょう。そういう意味では、旅人側にも受け入れ側にも負担にならない、今のような時期にこそふさわしいタイプの旅だといえるかもしれません。

 

いずれにせよ、上記のマンガを一度読んでみれば、必要なことは十分に伝わるはずだし、そこにつけ加えるべきことも何もないのですが、蛇足だと分かっていながら、あえていろいろと説明を加えたくなってしまいました。

 

そういう余計なお世話をしたくなるとは、自分もずいぶん歳をとったのかなあ、と思います。以下の文章は、本当に蛇足なので、気が向いたらお読みください。

 

 

◆ 非日常を体験できる、コスパの高いやり方

 

マンガに描かれたわずかな情報から判断するかぎり、作者の Sipla さんは、まずは電車などを使って、たぶんそれほど遠くはない、自分にとって「できるだけ 縁のない場所」に向かうようです。「用もなく うろついて いるのは 自分だけと 思われる場所」ともあるので、観光客がそぞろ歩いているような有名な街ではなく、本当にどこにでもありそうな、それでいて、自分がこれまで行ったことも、関わったこともないような、未知の街に出かけるのでしょう。

 

ただ、そこは観光地ではないので、きっと、SNSでみんなに自慢したくなるような、見映えのいい写真は撮れないだろうし、とりあえず観光客向けの名所とか娯楽施設に行ってみる、という選択肢もありません。人によっては、現地に着いても、いったいそこで何をしたらいいのか分からず、途方に暮れてしまうかもしれません。

 

しかし、何をしたらいいのか分からないというのは、頭の中のプランがまったくの白紙ということであり、それはつまり、今から何をするか、いくらでも自由に決めていいし、決められないなら、とりあえず何も考えずに歩き出したっていい、ということでもあります。

 

観光地だと、つい、ガイドブックに載っているようなおすすめのプランに従ってしまい、非日常のはずの旅が、かえってありきたりな観光旅行のパターンに陥ってしまうことが多いのですが、まったく見知らぬ土地に、しかもノープランで乗り込んでいけば、その場の展開しだいでどうなるか分からない、ワクワクするような非日常を楽しむことができるのではないでしょうか。

 

わざわざ地球の反対側まで出かけて、エキゾチックな異文化を体験したり、観光地で高いカネを払って名所や娯楽施設に入ってみなくても、身近なところに非日常はいくらでも存在しているのですが、私たちは、旅というのは、遠くに行って、名所をめぐって、美味しいものを食べて、おみやげを山のように買って帰るものだ、みたいなイメージをずっと刷り込まれてきたために、身のまわりの非日常みたいなものに目がいかなくなっている面があります。しかし、例えば、ちょっと電車に乗って、これまで一度も降りたことのない駅で下車し、その辺をただぶらぶらと歩いてみるだけで、そこには予想以上の非日常があるはずです。

 

かといって、有名な『孤独のグルメ』みたいに、現地でうまそうな店を嗅ぎ分けて楽しむ、みたいな方向に向かい出すと、それはそれで、旅のハードルが上がってしまうかもしれません。

 

Sipla さんの描く「ひとり散歩」の場合は、グルメとか、何らかのテーマをとことん追求していくわけではないし、おしゃれな感じの店をチェックしていくわけでもありません。昼食は、中華料理店のラーメンとビールで十分、みたいな、実質本位というか、「意識低い系」というか、肩からかなり力が抜けた感じがあります。

 

でも、ただ肩の力を抜いているだけでは、それは結局、日常生活とほとんど同じになってしまいます。そこで、現地では、ちょっと勇気を出して、普段は行かないタイプの店に入ろうとしてみたり、「普段は聞かない 音楽を聴いてみたり」、その街に自分が住んでいたら「あったかもしれない 生活を想像する」ことによって、Sipla さんは、自分の中の非日常感をそれとなく盛り上げているようです。

 

極端な非日常を目指して、どこか遠くに行ったり、刺激的な体験を求めたり、何かのテーマを深く追求していくわけではなく、かといって、いつもと同じ安易さを求めるわけでもなく、日常にかなり近い非日常、別の言い方をすれば、日常と非日常との境界線上を歩くようなところに、むしろ、とても味わい深い世界が広がっているし、そういう非日常は、身近なところで簡単に体験できるという点で、とてもコスパが高いのではないでしょうか。

 

そして、そういう散歩や小旅行に面白さが感じられるようになれば、わざわざ遠出をする必要はなくなっていくのかもしれません。近所でさえ、まだ歩いたことのない道が必ずあるはずだし、入ったことのない店もあるはずです。行きつけのショッピングモールやスーパーの中にだって、いつも素通りしている一角があるのではないでしょうか。
記事 日常が旅に変わるとき

 

 

◆ 目的地を決めない

 

ほとんどの人は、あらかじめ目的地を決めてから旅に出かけるので、それがもたらすマイナス面を意識することはまずないと思いますが、実際には、目的地や旅の目的をハッキリと決めることによって、それが旅の中心、またはすべてになり、旅人がそれ以外のことに注意を払わなくなってしまいがちになるという、けっこう大きな問題があります。

 

同じような理由で、出発前にあまり下調べをしすぎるのも、現地での体験が、事前に仕入れた知識に引きずられがちになるというデメリットがあります。せっかく初めての土地に行くのだから、街の見どころとか、美味しい店のこととか、名産品とか、いろいろ知っておきたいのは山々だし、実際、そうすることで、ちゃんとした旅行をしたという満足感も得られるのですが、逆に、そのことによって失われてしまうものもあるのです。

 

特に、私たちは、日々の仕事を効率よく進めていくために、目的や優先順位を明確にし、余計なことを意識からバッサリと切り捨てる習慣を身につけているので、旅先でも、ついその習慣が出てしまい、目的地を効率よくまわったり、短い時間でできるだけ満足度の高い体験をしようと頑張りがちです。そして、そのために厳選した事前の計画に含まれないものは、なかなか目に入らなくなってしまいます。

 

しかし、逆に、目的地も旅の目的もはっきりと定めずにいれば、現地では常にフリーな気分でいられるので、目の前に現れるさまざまなことが鮮やかに目に入ってくるし、その場の成り行きにまかせることで、面白い展開を呼び込む可能性も開けてきます。

 

Sipla さんは「目的地は ないので いい感じが する方へ行く」と書いていますが、直感に従って、自分の気持ちに正直に、自由に動けるのは、目的地のない、散歩のような気楽な旅だからこそだと思います。

 

 

◆ 自分もまた、現地の人々から見られているという意識

 

一方で、Sipla さんは、観光地ではない街を歩き回るときの注意点もしっかりと示しています。

 

例えば、他人の家は、「あまりジロジロ 見ないようにする」必要があるし、どうしても見たいなら、「自然にどれだけ見れるか… チラ見のスキルが 問われてくる」のです。

 

また、不審者だと誤解されるリスクを減らすため、「散歩に行く時は 小奇麗にしてから 行くようにしてる」とも書いています。

 

私たちは、旅行先で、街並みや道行く人々を、けっこう無遠慮に眺めることに慣れていますが、それは観光地だから、現地の人も、ジロジロ見られることに多少は慣れていて、変なトラブルになることがめったにないからだと思います。ただ、それは、観光客から一方的に見られるのを、地元の人たちが完全に受け入れていることを意味するわけではないし、彼らもまた、旅行者をさりげなく、ときには批判的に観察していたりするものです。

 

だから、どこを旅しているにせよ、私たちは単なる見物人でいられるわけではないし、相手からもしっかりと見られているのだということを、常に頭の片隅に入れておかなければなりません。

 

特に、観光地ではないところで散歩を楽しむということは、地元の人たちが観光客向けの寛容な顔をまったく用意していない、彼らの日常生活の領域に踏み込んでいくということでもあり、そこでは、むしろ観光地以上に、自分が「よそ者」だという強い自覚をもち、相手を不必要に刺激しないようにする必要があります。

 

 

◆ 神様が隠したユーモアを発見する楽しみ

 

ほかに、マンガの中では、面白い建物や変わった店、街角の変なモノを見つける楽しさも描かれています。

 

そういうものは、毎日見ている地元の人は、あまりにも慣れてしまって、かえってその面白さに気づけなかったりするし、何か目的があって先を急いでいる旅行者も、なかなかそこまでは気がつかないでしょう。その結果、とくに予定もなく、ブラブラと街を歩いているような暇人だけが、それらを発見できたりするのかもしれません。

 

まあ、そういうものを見つけたからといって、何か具体的な利益があるというわけではありませんが……。

 

ただ、それらの中には、誰かが意図的に面白いことをしようとしたわけでもないのに、さまざまな自然の力とか、いろいろな人たちの長年にわたる無意識の行為とかが複雑にからみあって、いつの間にか珍風景や珍現象を生み出していて、たまたま気がついた人の笑いのツボを刺激するようなものもあります。まるで、宇宙がこっそりとつぶやいたジョークみたいに。

 

ネット上には、そういうものを集めて世界中に公開しているサイトもあるし、それらを見て気軽にほっこりすることもできますが、見知らぬ街をあてもなく歩き回っているうちに、その片隅でユーモラスなモノや出来事を見つけて、それらをそっと愛でるという面白さもあるのではないでしょうか。

 

それに気がついたのは、もしかしたら自分だけかも、と思うような地味な可笑しさに出合うことには、神様が内緒でウインクしてくれたような、心がじんわり温かくなるような楽しさがあります。

 

 

◆ でも、やっぱり、地味で伝わりにくい楽しみなのかも

 

とはいえ、こういう小旅行の楽しさは、かなりディープな旅好きというか、散歩の達人みたいな人しか感じないのかも、という気がしなくもありません。

 

Sipla さんは、「特別なことは起きないし、とにかく地味だけどなんだか楽しい」と書いていますが、世の中の多数派は、やはり旅先では何か特別なイベントが起きてほしいと思うものだし、せっかくの休日は、後々まで記憶に残りそうな、派手な非日常であってほしいと考えるのではないでしょうか。

 

また、もともと性格的に、地味でささやかな一人旅が向いている人や、向いていない人がいるのかもしれません。

 

いずれにしても、「ひとり散歩」みたいな旅は、個人的には、今のような時期にこそふさわしい旅のスタイルだと思うのですが、経済的な面では、旅行産業の復興にはほとんどまったく貢献しないので、メディアを通じて、それが積極的に勧められるようなことも、こういう旅がブームになることもまずないでしょう。

 

日常と非日常の境界をウロウロする地味な旅は、これからもずっと、分かる人にしか分からない、マニアックな趣味であり続けるのかもしれません。

 

 

JUGEMテーマ:旅行

at 20:15, 浪人, 地上の旅〜旅全般

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海外旅行をめぐる暗い見通し

先日、日本政府が、緊急事態宣言の対象をすべての都道府県に拡大しました。

 

すでに、海外への旅行はほとんど不可能になっていましたが、これで国内の旅行も難しくなりました。外出自粛要請に罰則規定はないので、この状況でも旅に出る人はゼロにはならないでしょうが、そういう人々に対する周囲の目は確実に厳しくなると思います。

 

先月、このブログで、もしも自分が海外旅行中だったら、旅を続けるだろうか、それともやめるだろうかと、その時点でのニュースをもとに、自分なりに考えてみたりしたのですが、その後、事態はものすごいスピードで悪化して、国内でも、海外でも、旅を続けるという選択肢がなくなってしまいました。
記事 もしも今、自分が旅に出ていたら

 

ほんの1か月前の自分の見通しが、いかに甘かったか、痛感せざるを得ません。

 

しかし、私の場合は、机上の空論が吹き飛ばされただけで済みましたが、実際に海外を旅していたり、海外で暮らしている人にとって、現実はずっと厳しいことになっています。現地で足止めされ、今なお帰国できずにいる留学生や旅行者があちこちにいるし、海外で長年暮らしている日本人の中には、リスクを十分に承知の上で、あえて帰国せず、現地に踏みとどまる覚悟をしている人も多いと思います。

 

今は、驚くようなニュースがあまりにも多くて、そうした一人ひとりの苦境や覚悟には、なかなかスポットライトが当たりませんが、多くの人が、数週間前にはまったく想像できなかった状況に投げ込まれ、先が全く見えない不安の中で、自分たちにとって最善の選択をするべく、手探りの日々を続けているのではないでしょうか。

 

もっとも、先が見えないという点に関しては、日本で暮らしている私たちも同じなのかもしれませんが……。

 

いずれにしても、この先、かなり長い期間、下手をすると数年にわたって、これまでのような海外旅行ができなくなるだろうということが、ほぼ確実になってしまいました。新型コロナウイルスのワクチンが完成するか、集団免疫が成立するまでの間、旅行者には、異国の地で感染し、そこで重症化する可能性がつきまとうことになります。

 

もちろん、冷静に考えれば、旅がそれほど長くない場合、海外でウイルスに感染する確率はかなり低いだろうし、他にも、例えばデング熱など、ワクチンも効果的な治療法もない危険でやっかいな病気はいくつもあるので、新型コロナウイルスばかりを特別扱いしたり、心配しすぎるのはおかしい、という見方もできないわけではありません。

 

ただ、実際には、そこまで割り切れない人の方がずっと多いのではないでしょうか。今回、マスメディアによる大量報道を通じて徹底的に植えつけられた「恐ろしいウイルス」というイメージは、この先もずっと、私たちの判断に大きく影響することになるような気がします。

 

それに、今後数年の間は、世界のどこで局地的な感染拡大が起きるか分からないし、それに旅人が巻き込まれると、かなりやっかいなことになるのも確かです。せっかく開いた国境が再び閉じたり、移動や外出がいきなり制限されて立ち往生する可能性は常に存在するし、慣れない異国での闘病生活とか、国によっては非常に心もとない医療体制を想像してしまうと、実際のリスクがそれほど高くはなくても、多くの人はわざわざ遠くまで出かけたいとは思わないのではないでしょうか。

 

さらに、私たち自身が旅のリスクをどう考えるかだけではなく、現地の人が、旅人を迎え入れるリスクをどのように考えるかも、これからは、無視できない大きな問題になってくるでしょう。

 

もしも、旅人がウイルスに感染して重症化した場合、かりに現地できちんとした病院に入院できたとしても、貴重なベッドや医療機器やスタッフの対応能力を外国人が占有することで、地元の誰かが生き延びるチャンスを奪うことになってしまうかもしれません。もちろん、その逆に、旅人の方が後回しになって、入院できないこともあり得ると思います。そしてその場合、宿のスタッフなど、現地の見知らぬ人たちが、感染のリスクを冒してまで旅人の面倒を見てくれるのだろうかという、さらに難しい問題に直面することになります。

 

そういったことを考えると、今後しばらくの間は、世界のどこであれ、医療インフラに余計な負担をかける可能性のある外国人旅行者は、現地の人たちにとっては、迷惑な存在でしかないのかもしれません。最悪の場合、旅行者が、自分でも気がつかないうちに、感染を広める原因になってしまうことだってあり得るのですから。

 

もっとも、今回のパンデミックとは関係なく、昔も今も、旅にはそれなりのリスクがつきものだし、旅行者も、それを受け入れる側の現地の人たちも、ある程度、そのことは認識しているはずです。

 

しかし今回は、ウイルスがもたらす病気だけでなく、それが社会や経済に与えたインパクトが大きすぎます。多くのビジネスが壊滅的な打撃を受け、真偽不明の情報が大量に飛び交い、世界中の人々が先行きへの不安や恐怖を感じています。それらが社会的な争いや少数者への差別など、ネガティブな行動に結びつきかねないことを考えると、国際的な人間の移動のリスクがとても高くなっていると言わざるを得ません。

 

例えば、新型コロナウイルスが中国から広がったということで、たぶんこの先何年も、ひょっとしたらもっと長期間にわたって、世界中の非常に多くの人々が、中国や中国人に対して厳しい目を向けることになるかもしれません。中国政府の高官はともかく、市井の人々には何の罪もなく、むしろ被害者という意味では、世界中の人々と全く同じ立場なのですが、みんながそのように考えるわけではなく、自分が「敵」と認定した誰かに、怒りや不満をぶつけようとする人は少なくないと思います。

 

そうなると、中国人と日本人を外見だけで見分けるのは難しいので、私たち日本人旅行者も、世界のあちこちで中国人と誤解され、敵意のまなざしや心ない言葉を浴びせられることになるだろうし、場合によっては、それだけでは済まないかもしれません。常に大勢で固まっていられるグループツアーならともかく、個人旅行で何度もイヤな体験をすれば、かなり心が削られることになるでしょう。

 

結局のところ、旅をする側がいくら前向きになっていても、移動手段や現地での受け入れ態勢など、旅行が再開できる環境がそれなりに整わなければ、どうすることもできません。特に、現地で旅行者が発症した場合に起きるやっかいな事態を考えると、たとえ旅行産業に依存しているような観光地でも、当面のあいだは、地元から強い懸念の声が出てくるだろうし、そうなれば、ホテルやゲストハウス、旅行者向けのレストランなども、しばらくの間は、大っぴらに旅行者を受け入れることはできないでしょう。

 

ウイルスの感染拡大がおさまり、治療法や予防法にめどがつき、旅人側と受け入れ側の心理的な恐怖が薄れ、以前のような状況に戻るまでには、繰り返しになりますが、数年以上はかかると考えざるを得ないと思います。

 

この暗い見通しを受け入れるのは、旅行業界にとっても、旅好きの人にとっても、非常に苦しいことです。こうした苦境は、もちろん、いつかは必ず終わるのですが、その日までの長い間、世界中の膨大な関係者が、どうやったら経済的・心理的に耐え忍ぶことができるのか、私には、いい方法が思い浮かびません。

 

ただ、旅をする方の側に限っていえば、海外や国内の旅ができない、という事実ばかりに意識を向けてフラストレーションをため込むよりは、早めに意識を切り替え、現時点で自分にできることに目を向けることで、この状況を乗り切っていくしかないのかもしれません。

 

今は、日本全国で不要不急の外出の自粛が求められているので、個人的な楽しみのための外出や旅行が許される雰囲気ではありませんが、そうした状況でも、食料品の買い出しとか、運動不足解消のための散歩やジョギングの途中で、街のわずかな変化を注意深く観察したり、道端の花に季節の変化を感じたりすることならできます。

 

世界の果てまで行ったり、息が止まるような絶景を見たり、エキゾチックな文化をまるごと体験したりすることはできませんが、そのかわりに、心の感度を上げ、ごくごく身近な世界にしっかりと焦点を合わせることによって、自分の近所でこれまでずっと見逃していたことや、身のまわりで起きている微妙な変化に気づくことができるようになるし、そこに驚きや面白さを感じとることができるなら、どんなに小さな体験であっても、それを旅と呼んでいいのではないかと思います。
記事 日常が旅に変わるとき

 

あるいは、緊急事態という今の状況そのものが、まさに非日常なのだから、逆にその異常さの中で、どうやって自分にとってのプラスを見つけ、精神的に乗り切っていくかという試行錯誤のプロセスそのものに、旅のような手応えを感じることができるかもしれません。

 

例えば、かつて自分が旅先で理不尽な状況に陥ったときのことを思い出したりしつつ、こういう状況の中で、どうしたら冷静さを保てるか、厳しい制約だらけの生活の中で、どうしたらささやかな楽しさや面白さを見つけることができるかを、いろいろと考え、実行に移してみることもできるでしょう。

 

そうやって、いろいろと工夫をしながら、毎日の出来事を、せめて前向きに受け止めようと奮闘し続けているうちに、やがていつかは外出自粛が終わり、近所を自由に歩き回れる日が来るだろうし、その先には、国内旅行を楽しめるようになる日が、さらにその先には、いくつかの国への渡航が可能になる日が、というように、少しずつ段階を踏みながら、私たちの行動範囲は再び広がり、旅の自由も復活していくでしょう。

 

そしてその間、身近な世界に向き合うことで鍛えに鍛えた感受性は、次に遠くに出かけるとき、旅人に大きな驚きや満足感を与えてくれるに違いありません。

 

 

JUGEMテーマ:旅行

at 20:42, 浪人, 地上の旅〜旅全般

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もしも今、自分が旅に出ていたら

昨年末に中国で見つかった新型コロナウイルスが世界各国に広がり、先日、ついにWHOがパンデミックを宣言しました。

 

日本でも、全国レベルの学校閉鎖や大規模イベントの自粛など、次々に対応策が打ち出され、中国や韓国からの入国にも大きな制限がかけられました。

 

しかし、そうした制限が、海外からの観光客の減少に拍車をかけることになり、旅行業界は、今、「激震」どころでは済まない状況になっています。

 

一方で、日本から海外への旅行についても、かなりの国々が日本人の入国を拒否したり、入国後の行動を制限したりしており、さまざまな国を自由に行き来することが難しくなっていますが、旅をすること自体は、まだ不可能にはなっていません。

 

最近では、オーストラリアなど、自国民に海外渡航を禁止する国も出てきているようだし、日本政府が近い将来、そうした措置に踏み切る可能性もないとは言えませんが、さすがに、すでに国外に出てしまった旅行者が、帰国を強制されることまではないだろうと思います。

 

とはいえ、海外旅行を間近に控えていて、まだ出発を断念はしていないという人や、すでに旅を始めて、どこかの国に滞在中の人にとっては、ここ数日、各国が国境を閉じる動きを加速している状況を見て、日に日に外堀が埋められ、追い詰められていくような気分になっているのではないでしょうか。

 

まあ、グループツアーの場合だと、悩むまでもなく、すでにツアーが延期または中止になっているケースが多いだろうし、もしもツアー中で、現地の状況が悪化していても、添乗員や現地スタッフができる限りのサポートをしてくれるだろうから、何とか無事に旅を終えられると思います。

 

しかし、個人旅行の場合は、基本的に、何もかも自分で決断し、対処しなければなりません。

 

用意していたビザが、ある日突然無効になったり、入国拒否や長期間の隔離をされたり、フライトが一気に減らされて、変なところで身動きがとれなくなるかもしれません。また、目的の国に何とか入国できても、現地では外出禁止令が出されていたり、観光施設や食堂、商店などが軒並み休業していて、観光どころか、まともな食事さえままならなくなってしまうかもしれません。地元の人々のストレスのはけ口として、差別の標的にされる可能性だってあります。

 

それに、万が一、自分がウイルスに感染し、重症化してしまった場合に、外国人はどこに相談すればいいのか、そもそも現地の病院に受け入れる余裕があるのか、治療や入院の費用をどうするのかなど、薄れる意識の中で、いくつもの難しい問題に迫られることにもなりかねません。

 

そうしたことを考えると、現在、こういう状況で、バックパッカーたちが、旅に出るか、あるいは旅を続けるかについて、それぞれどういう判断をしているのか、他人事ながら、かなり気になります。

 

もちろん、その答えは人それぞれなのでしょうが、もしも今、自分が長い旅をしていたなら、何とか旅を続けようとするのでしょうか。それとも、さすがに今回は、旅を切り上げて帰国する決断をすることになるのでしょうか。

 

先ほども書いたように、今、先がまったく見えない状況で、旅を強行することのデメリットはいくらでも挙げられますが、一方で、世界中で観光客が激減しているこの時期だからこそ、割安な料金で、混雑とは無縁のゆったりとした旅を楽しめるという、見逃せないメリットもあるでしょう。それに、現地で観光業に携わる人々からも、貴重なゲストとして歓迎されるかもしれません。

 

言うまでもなく、それは、ネットでリアルタイムの情報収集を怠らず、万が一のときには、完全に身動きがとれなくなる前にそこから脱出できるよう、具体的な「プランB」をつねに検討しておくことが大前提ですが、うまく立ち回ることができれば、何とか旅を続けられるはずだし、激動の2020年の出来事とともに、生涯忘れられない、印象深い旅になるのではないでしょうか。

 

ただし、それは、かなりの上級者向けの旅だと思います。もしも旅先で感染し、入院せざるを得ないような病状になれば、その後の隔離を含めて面倒な事態に巻き込まれるだけでなく、たとえ自分に非はなくても、現地の人々からは、諸悪の根源みたいに扱われ、白い目で見られる可能性さえあります。

 

さらに、そのことが日本国内で報道されれば、こんなときに不要不急の旅行をするなんて「不謹慎だ!」ということで、派手に炎上するかもしれません。まあ、今は、それ以外にも驚くようなニュースには事欠かないので、一人のバックパッカーが海外で感染した程度のことは、ほとんど話題にもならないでしょうが……。

 

そうやって、メリットとデメリットをいろいろと考えてみると、トラブルに遭遇する可能性がかなり高く、そのダメージも大きそうなので、もしも私が旅行中だったら、やはり、旅を途中でやめて帰国するだろうな、と思います。若いころならともかく、今はずっと慎重というか、ヘタレになっているので……。

 

もっと若かったら、現地で隔離されたり足止めされたりする体験さえ、貴重な機会だと面白がれたかもしれません。さすがに、自分が感染するような事態まで面白がれたかどうかは分かりませんが、若いころは、そういうトラブルに遭ったらどうなるかという知識も経験も想像力もなかったから、その怖さに気づかなかったかもしれません……。

 

いずれにしても、ここで書いたことは、あくまでも現時点の私が、いろいろなニュースを聞きかじった上で漠然と想像してみただけの話だし、もちろん、その判断が、一般論として、すべてのバックパッカーに当てはまるものではないでしょう。

 

旅人自身の年齢とか、旅の目的とか、今どこにいて、それまでにどんな旅を、どのくらい続けてきたかによっても、判断は大きく違ってくると思います。まだ若かったり、旅を始めたばかりだったり、どうしても行きたい場所がいくつもあったり、旅の資金や心身のエネルギーが満ち足りていれば、多少無理をしてでも旅を続けたいと思うだろうし、身体の無理がきかない年齢になっていたり、すでに旅に飽きていたり、資金が底を尽きかけていたりすれば、今回のパンデミックを格好の口実にして、旅を終わらせたいと思うかもしれません。

 

そして、それに加えて、旅人自身の性格とか、価値観とか、ふだんの行動パターンによって、判断の基準とか結論には、さらにさまざまな違いが出てくるだろうと思います。

 

例えば、人によっては、性格的に、常にあちこちを動き回らずにはいられず、もしも、どこかの国の当局から、2週間ほどの隔離生活を強制されたり、移動制限でどこかの小さな街に閉じ込められたりしたら、まさに地獄だと思うかもしれません。そういう人は、自由に動ける場所を求め、安全な国を探して必死で旅を続けるかもしれないし、あるいは逆に、それではかえってリスクが高いと冷静に判断し、どこかで全く動けなくなるよりはずっとマシだと、ある程度の不自由は覚悟で、日本に帰国することを選ぶかもしれません。

 

でも、考えてみれば、新型コロナウイルスのことで、これだけ世界中が大騒ぎをしている最中でも、日本に観光に来ている外国人はそれなりにいるようだし、逆に、入国制限をしていない国に出かけていく日本人もそれなりにいるようです。

 

そういう人たちは、いろいろなことを慎重に考えた結果として、薄氷を踏む思いで旅に出ているのかもしれないし、どうしても会いたい人がいるなど、やむを得ない理由があって、強い覚悟で旅をしているのかもしれません。あるいは、よほどの高齢で持病を抱えたりしていなければ、たとえウイルスに感染しても、重症化する可能性は低いとされているので、現地でもっと深刻な他の感染症にかかったり、交通事故に遭ったりすることにくらべれば、それほど脅威だとは感じていないのかもしれません。

 

もっとも、ただ単に、何も考えていないだけかもしれませんが……。

 

実際、何も考えずに、いつも通りの行動を続けていても、何の災難にも遭わずに旅をまっとうし、無事に帰国できる人の方が、そうならない人よりも圧倒的に多いはずです。

 

いずれにしても、感染拡大防止のために、各国が次々に打ち出してくる移動や行動の制限、店舗や施設の閉鎖、それらの結果としてのさまざまな不便や混乱、そして、人々のパニックやイライラが引き起こす差別や嫌がらせの標的になることなど、今はむしろ、新型コロナウイルスそのものよりも、ウイルスに対する社会的なリアクションの激しさによって、旅人が不便や不快感に苛まれることが多々あると思います。

 

そして、そういう一時的な不便や不快の数々を覚悟し、あえてそれらを体験し、潜入ルポでも書くつもりで、今、この時期にしかできない旅をする、という考え方もアリだとは思います。

 

それは、決して楽しい旅にはならないだろうし、今の私も、わざわざそういう旅をしたいとは思いませんが、旅先での風景や出来事が、想像をはるかに超える非日常さを見せるという意味で、そうした旅が、ふだんなら絶対にできない体験になることは間違いないでしょう。

 

旅先での隔離だって、突然の入院生活だって、何もかもが旅のうちだと思える人なら、旅を中止する必要はないのかもしれません。

 

決しておすすめはしませんが……。

 

 

記事 海外旅行をめぐる暗い見通し

 

 

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at 20:45, 浪人, 地上の旅〜旅全般

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