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『野宿入門 ― ちょっと自由になる生き方』

 

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

この本は、高校時代に「野宿デビュー」してから十数年、野宿愛好者として実践を重ねてきた女性による、ユニークな野宿入門書です。

「野宿」という言葉には、どこかネガティブな印象があります。自然の中でのキャンプを野宿と称する人はいないし、バックパッカーや貧乏旅行者はそれなりにいても、駅や公園で野宿しながら旅するという人は、かなりの少数派でしょう。

それでも、呑みすぎて終電を逃し、財布にはタクシー代もなくて途方に暮れたという経験は、意外に多くの人がしているのではないでしょうか。そんなとき、ふつうは歩いて何とか家まで帰ろうとか、財布の中身と相談して、ネットカフェや24時間営業のファストフード店で朝まで時間をつぶそうとか考えるのでしょうが、そこに「野宿」という選択肢が加わるなら、お金の心配がないのはもちろん、いざというときでもなんとかなるという、心の余裕のようなものが生まれるかもしれません。

この本では、そうしたピンチを野宿のきっかけとして有効利用してしまおうという「消極的野宿」に始まって、自分からすすんで野宿を愉しむ「積極的野宿」まで、さまざまな野宿のスタイルや、野宿地の決め方、必需品、お巡りさんの職務質問対処法、夏の蚊や冬の寒さ対策、雨の日の野宿についてなど、野宿者が知っておきたい基礎知識の数々が、肩の力の抜けた、ユルい文章で解説されています。

安全対策のポイントにしても、便利な道具の活用法にしても、ちょっとしたスキルを身につけておくだけで、もしもの場合の野宿でも、それは格段に安全・快適なものになるはずです。

ただ、この本では、実際に野宿を経験していけばおのずと分かるような、こまごまとしたノウハウまでは触れられていないので、これをマニュアルのように使おうとしても、あまり役には立たないかもしれません。

この本の中にも書かれているように、野宿というのは実践をつうじて各自が自分なりの「野宿スキル」を高めていく部分が大きいし、この本で著者のかとう氏が力を入れているのは、「野宿」という、一般の人間にはとても縁遠い行為に、いかにして興味をもってもらえるか、そして、興味をもった人が、どうすればその最初の一歩を踏み出し、野宿の世界を垣間見ることができるのか、という点なのだと思います。

つねにお金と引き換えに、便利で安全で快適な生活を享受している私たちの多くにとって、野宿というのは、不便で危険で不快な体験そのものに見えるはずです。野宿のそんなマイナス・イメージを払いのけ、自分の小さなプライドとか、いつもと違う行動を嫌う日常の惰性とか、寝ている間に何が起こるか分からない不安など、自分の行動を制約するさまざまな心のバリアーを突破して、思い切って最初の野宿に至るまでには、人によって越えなければならない障害がたくさんあるのでしょう。

それでも、この本の一見ほんわかとした文章を読めば、そのうちの幾人かは、そうした障害を何となく乗り越えられる気がしてくるかもしれないし、野宿のネガティブな側面よりも、魅力的な側面に目が向くようになるかもしれません。

それは、自分の知識や知恵や感覚をフル稼働させて、刻々と変化する状況を読み、手に入るものだけを最大限に活用し、人とのコミュニケーション能力を駆使し、体を張って何とか無事に夜を乗り切るという、一連のプロセスを愉しむことであったりするのでしょう。

あるいは、それは、非日常的な体験をつうじて、自分をとりまく世界を深く濃く味わうこと、また、ギリギリの状況を切り抜ける経験を重ねることで、いざというときでも「なんとかなる」と思えたり、つねに幅広い行動の選択肢をもっていられるという意味で、本のサブタイトルにあるように、「ちょっと自由になる」ことだったりするのかもしれません。

ちなみに、私もこれまでに何度か野宿をしたことはあるのですが、いずれも、ちょっと特殊な状況でやむを得ずにしただけの話で、かとう氏のように積極的に野宿旅行を楽しむという域には到底及びません。

この本を読んでいると、誰でもその気になりさえすれば、野宿はいつでもどこでも始められる、例えば、自宅のすぐ近くの公園でだって寝られるんだということがよくよく分かるのですが、頭のなかに近所の公園を思い浮かべ、では、自分が今日の晩にでも、そこでゴロリと横になって眠れるだろうかと考えてみると、う〜む、私もまだまだ自由な人間からはほど遠いようです……。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



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at 19:10, 浪人, 本の旅〜日本

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『狩猟サバイバル』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります


この本は、「サバイバル登山家」として知られる服部文祥氏の、サバイバル・シリーズ第3作です。

 

 サバイバル登山とは簡単に定義すると「電池で動くものはいっさい携帯しない。テントもなし。燃料もストーブ(コンロ)もなし。食料は米と基本調味料のみで、道のない大きな山塊を長期間歩く」という登山である。岩魚や山菜、ときにはカエルやヘビまで食べながら、ひとりで大きな山脈を縦断する。私がサバイバル登山と名前をつけた。

服部氏は、学生時代からさまざまなタイプの登山の経験を積み重ねていくうちに、「自分の力で山に登っているという強い実感」を求めて、そしてまた、生きている手ごたえや、自由の感覚を得るために、山の中で自ら食料を調達し、最低限の装備だけで登山をなし遂げるというスタイルにたどり着き、1999年から10年にわたって実践してきました。

ただし、これまでに行われたのは、主なタンパク源として岩魚を釣り歩くことができる、夏山でのサバイバルです。夏のサバイバルに成功したら、自然な流れとして、次は冬ということになるわけですが、服部氏は、やはり着々と手を打っていました。

彼は2005年から、山梨県の山村の狩猟チームに加わり、そこで狩猟のノウハウやケモノの解体などを学びつつ、平行して単独猟の実践も試みてきました。狩りを初めて3シーズン目に、ひとりで鹿を仕留めることに成功した彼は、2008年の2月、テントもコンロももたず、米と簡単な装備、そして猟銃を携えて、冬の南アルプスに分け入っていきます。

夏はともかく、厳冬期に不十分な食料・装備で山に入るのが、いかに危険なチャレンジであるかは、登山については全くの素人の私でさえ分かります。それにもちろん、いくら猟銃を持っているといっても、必ずしも獲物に遭遇し、仕留められるという保証はありません。

それがどのような山行になったのか、その詳細は、ぜひ本文を読んでいただきたいと思います。彼の登山のスタイルへの賛否はともかく、そのユニークな登山の記録は、充分読むに値します。

ちなみに、彼は自分の能力の限界をわきまえて行動しているし、状況次第では廃屋や山小屋にも泊まっています。ただ、もしも好天に恵まれていなかったら、もしも獲物を仕留めることができなかったら、彼は冬山から無事に帰還できたのだろうかと、読んでいて不安を覚えるのも確かです。

また、大型哺乳類を狩るという行為は、私の中に、さまざまな居心地の悪い感情を引き起こします。そもそも銃や狩猟の世界になじみがないために、そこに心理的な抵抗を覚えてしまうという理由が大きいのでしょうが、それだけではなく、個人の精神的な満足のために山の頂をめざす登山者が、そのための食料として鹿の命を奪うことは、はたして正当で必要な行為なのだろうかとも思うのです。

しかし、そんなことを言っている私も、ふだん平気で哺乳類の肉を食べているわけです。登山のために野生の鹿を殺すのがダメなら、ただ日々を生きるために、誰かに家畜の殺生をまかせるのはどうなのか、ということになるでしょう。

この本を読んでいて居心地の悪さを感じるのは、結局のところ、私が都市的で頭でっかちな生活にすっかり慣れきっているためで、これまで都合よく視野の外に置いてきた、生きることに伴うさまざまな根源的な問題と、改めて向き合わざるを得なくなるからなのかもしれません。

それでも私自身は、服部氏が実践するサバイバル登山そのものについては、そういう山登りのスタイルがあってもいいと思うし、彼のユニークな山行記を通じて、そのワイルドな山旅を楽しませてもらっています。

事の是非はともかく、一般的な登山よりもはるかにハプニングの多いサバイバル登山のプロセスや鹿狩りの描写は、読んでいてとてもスリリングだし、それは自ら体験した者でなければ書けない、優れたノンフィクションになっていると思います。

ただ、サバイバル登山は、誰にでも許されるものではないという気はします。危険で難易度が高いからだけでなく、環境への負荷を考えると、多くの人間が実行できる性質のものでもないからです。もしも大勢の登山者が中途半端に彼のマネをして、あちこちで焚き火をしたり野生動物を狩るようになったら、すぐに山が荒れてしまうでしょう。

服部氏の場合は、山の中で自由に振る舞うことと引き換えに、食料・装備・行動について、自らに厳しい制約を課しています。しかし、自然保護に関して次第に厳格になっていく昨今の風潮を考えると、サバイバル登山というスタイルは、実践者がほとんどいない今だからこそ黙認されている、ある意味では特権的な行為なのかもしれません。

というわけで、この本を読んでいると、心の中にさまざまなジレンマが浮かび上がってくるし、そして、それは自分自身の現在の生活を批判的に照らし出すものでもあるために、けっこう居心地の悪い思いもするのですが、むしろだからこそ、 服部氏の本は、ユニークな登山の方法論を通じて、私たちの社会がいつの間にか覆い隠してしまった、この地上で人間が生きることの生々しさを垣間見せてくれる、貴重な存在なのだと思います。


服部文祥著 『サバイバル登山家』の紹介記事
服部文祥著 『サバイバル! ― 人はズルなしで生きられるのか』の紹介記事


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
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at 19:20, 浪人, 本の旅〜日本

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『スットコランド日記』

文庫版はこちら

Kindle版はこちら

 

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

 

この本は、紀行エッセイストの宮田珠己氏が、2008年4月から「WEB本の雑誌」上で連載した日記のうち、最初の1年分をまとめたものです。

彼の作品を読んだことのある方ならおなじみの、どこまでが本気で、どこからが冗談か分からないような独特の文体で、「いつも前向きに後ろ向き」な彼の日常がユーモラスに綴られています。

日記を読むと、宮田氏はさすがに旅行作家らしく、日本各地へ頻繁に取材の旅に出ているのですが、その帰りには寄り道をして別の場所を旅し、さらにプライベートでも家族を連れて、あるいは一人で、しょっちゅうあちこちに出かけています。それどころか、仕事場で原稿を書いているときも、天気がいいと机に向かっていられなくなり、ついふらふらと外出してしまうほどです。

ここまでくると本人も書いているように、まさに「外出依存症」で、宮田氏の旅好きは筋金入りです。

それにしても、読んでいてうらやましいのは、彼が、フリーならではの時間的な自由を享受しながら、さまざまな分野に好奇心のアンテナを張りめぐらし、自分自身の興味関心の方向性にも忠実に従って、自分にとって未知な風景・未体験の世界を探求し続けていることです。

仕事をきちんと仕上げ、家族を養い、子供たちともしっかり遊びつつ、そういう生き方を貫くのはかなり大変なはずで、実際、この日記からは経済的・精神的な厳しさも垣間見えますが、それでも何とか生活が成り立っていて、その生活ぶりをユーモラスに語る余裕があるというのは、やはり宮田氏の才能なのでしょう。


本の評価基準

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at 18:33, 浪人, 本の旅〜日本

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『道の先まで行ってやれ! ― 自転車で、飲んで笑って、涙する旅』

 

 

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

この本は、自転車による世界一周旅行記『行かずに死ねるか!』の著者、石田ゆうすけ氏の最新作です。

彼は、世界一周を終えてから数年もの間、自転車の旅をしていなかったそうなのですが、雑誌に旅行記を連載する仕事が決まったのを機に、チャリダー(自転車で旅する人)としての旅を再開しました。

この本に収められた旅は、いずれも数日間と短いのですが、沖縄の離島から北海道まで、彼の興味の赴くまま、日本各地を自由に旅するバラエティ豊かなもので、ロマンティストで、うまい食事ときれいなお姉さんには目がない彼が、笑いあり涙ありの、ユニークで中身の濃い旅を展開しています。

数年のブランクのせいもあるのか、冒頭の数回の旅は、何となく様子見というか、慣らし運転をしているようなところがあって、石田氏の関心の向けどころにしても、旅の展開にしても、ちょっとありきたりな印象を受けてしまうのですが、旅を重ねるうちに、やがて彼は熟練した旅人の感覚をしっかり取り戻したようで、後半ではその本領を発揮し、彼らしい、生き生きとした旅を見せてくれます。

それにしても、彼は、旅先でちょっと目に留まった変わった店や、地元の人とのふとした会話など、ささやかなきっかけをとらえて、それを面白い体験に発展させていくのが本当にうまいと思います。

こういうのは、ただ当てずっぽうにやってもうまくいかないことが多いのですが、彼の場合は、豊富な旅の経験に照らし合わせながら、旅で鍛えた直感や、内面の微妙な感情に素直に従うことで、おいしい展開になりそうな芽を、逃さずにつかまえることができるのでしょう。

そしてそれは、結局のところ、石田氏が、この世界のいたるところにポジティブなものを見出し、面白がることのできる才能があるということなのだと思います。

この本を読んでいると、自分のペースで旅を組み立てられ、あちこち自在に動き回れて、地元の人とも心理的に近づくことのできる自転車旅行の面白さがしっかりと伝わってきます。

誰もが石田氏のように旅することはできないのでしょうが、私もいつか、自転車で自由な旅をしてみたいという気持ちになりました。


石田ゆうすけ著 『行かずに死ねるか! ― 世界9万5000km自転車ひとり旅』 の紹介記事


本の評価基準

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at 18:27, 浪人, 本の旅〜日本

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『浦島太郎はどこへ行ったのか』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

日本人なら、たぶん知らない者のないほど有名な浦島太郎の物語。しかしこの昔話が、実は、かつて日本の歴史書の中に描かれた「史実」であったということは、ほとんど知られていないのではないでしょうか。

『日本書紀』には、丹後国の浦嶋子が雄略天皇の治世22年(西暦478年)に蓬莱山を訪れたという記述があり、『丹後国風土記』の逸文には、浦嶋子と蓬莱の亀姫との悲恋が語られています。その後、中世の『御伽草子』に描かれた浦島太郎の話によって、亀の恩返し、龍宮、乙姫、玉手箱など、現代まで伝わっているようなモチーフが広まったとされています。
ウィキペディア 「浦島太郎」

もしも浦島太郎の話が単なる空想物語ではなく、その一部にせよ、何か歴史的な事実が反映されているのだとしたら、この不思議な話をどのようにとらえればいいのでしょうか? 彼の前に現れた亀とは? 龍宮はどこにあったのか? 玉手箱の中身とは? 等々……。

この本の著者、高橋大輔氏は、そうした謎の正体を突き止めるべく、浦嶋伝説の舞台であった丹後半島をふりだしに、他に伝説の伝わる土地や、謎を解く手がかりになりそうな場所を片っ端から訪れ、果ては「蓬莱」の痕跡を求めて、中国にまで足を伸ばします。

浦島太郎の物語の謎に惹かれる人は多いでしょうが、実際にそこまで徹底的な探索をする人はまずいないでしょう。「子供が考えつくようなことを、大の大人が大真面目でやる」ところに、この本の面白さがあります。

高橋氏は各地への旅を繰り返し、同時に古代史に関わる膨大な文献の山と格闘し、現場で得たインスピレーションと文献の記述とをつき合わせていくのですが、そのプロセスを通じて、有史以前のはるか昔から日本と周囲の世界を結びつけてきた海上のルートの存在と、そこからもたらされたさまざまな技術や文化、そして、それを担ってきた古代の海人族と浦嶋伝説との深い結びつきが浮かび上がってきます。

そして彼は、旅の最後に、浦嶋子が実在の人物であったことを前提に、彼が実際にたどり着いた「蓬莱」とはどこであったのかなど、浦嶋伝説をめぐる謎についての大胆な仮説を提示しています。

もちろん、この仮説を古代史の専門家がどう評価するのかは私には分からないし、その仮説に説得力を感じるかどうかも、それぞれの読者次第でしょう。それにそもそも、龍宮や玉手箱の正体が分かったところで、一体それが何の得になるのか? と言われてしまえばそれまでです。

しかし私はむしろ、こうした結論部分よりも、そこにいたるまでの試行錯誤、つまり、わずかな手がかりを求めて文献を渉猟し、日本の各地を飛び回るというプロセスこそ、探求者にとって最も価値のある、楽しい時間だったのだと思います。

高橋氏はこの本の旅を、「物語を旅する」こと、つまり「伝説や神話、昔話、あるいは物語に秘められた謎を追い、フィクションとノン・フィクションが重なり合う接点を求める旅」であるとしていますが、こうした探索の旅というのは、ツボにはまれば非常に面白そうです。

ただし、今回のように古代史が関わってくると、虚実入り乱れた膨大な文献の混沌とした世界に足を踏み入れることになるので、下手をするとそこから一生出られなくなりそうですが……。


本の評価基準

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at 18:54, 浪人, 本の旅〜日本

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『日本浄土』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

この本は、写真家の藤原新也氏が日本各地を旅し、島原、天草、尾道、能登など、日本の地方の現在を写真とともに伝える紀行エッセイです。

あとがきで彼自身が「これまで行って来た数多くの旅の中でもっとも目立たない地味な旅」と書いているように、旅のエピソードや、それを描く藤原氏の筆致、そして本書に収められた写真にも、取り立てて目をひくような派手さはありません。

それでも、五島うどんを食うためだけに五島列島まで出かけたり、天草ではママチャリで旅することを思い立ち、中古のママチャリの買い物カゴに、なぜかまねき猫の置き物を入れて走ったりと、地味ながら随所に藤原氏らしさがにじみ出ていて楽しめます。

また、この本に収められた小さな旅の多くが、彼の人生に何らかの結びつきのある場所をたどる旅です。旅先の風景を幼少の頃の思い出と重ね合わせたり、あるいは今は亡き親しい人々を追憶するような旅は、時の無常を感じさせずにはいませんが、一方でそれは、過去と現在が静かに交錯する、味わい深い旅でもあります。

ちなみに、この本の中には、明治生まれの藤原氏の父が、駆け落ちの最中に野犬の群れと立ち回りを演じたという話が出てきます。私はそれを読んで、藤原氏がガンジス河の中洲で野犬の群れと対峙したエピソード(『黄泉の犬』参照)を思い出し、やっぱり親子だな……と思いました。


本の評価基準

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 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
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at 18:48, 浪人, 本の旅〜日本

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『サバイバル! ― 人はズルなしで生きられるのか』

Kindle版はこちら

文庫増補版(2016年)はこちら

 

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本は、「サバイバル登山」というユニークな登山スタイルの実践で話題を呼んだ、服部文祥氏のデビュー作『サバイバル登山家』の続編に当たります。

 

 サバイバル登山とは、食料や装備をできるだけ持たずに道なき道を歩く長期登山のことをいう。持ち込む食料は調味料と少々の米だけ。電池で動くもの(ライト、ラジオ、時計)や機械仕掛け(コンロ)、そしてテントも燃料も持って行かない。登山道や山小屋はできるだけ避けて通る。そうやって長く山登りを続けていく。
制約の多い窮屈な登山と思われるかもしれないが、禁止事項を並べているのは、説明するのにてっとり早いためだ。ひらたく言えば「自分の力で山に登る」ことを突き詰めた登山である。こうでもしないと現代では、文明品をはじめとする「他人の力」に頼ることになってしまい、自分の力で山に登ることなどできないのだ。

今回は一般読者向けの新書ということもあり、登山や釣り関係の用語についても丁寧なフォローが加えられるなど、山登りになじみのない人でも読み進められるような配慮がなされています。

本の前半には、日本海に面した青梅から上高地まで、北アルプスの山中を12日間かけて単独で縦断したサバイバル登山の様子が詳しく描かれています。それを読めば、服部氏の山登りのスタイルがどのようなものであるか、具体的に理解できると思います。

また、後半では、携行する装備のリストや解説に加えて、食料となる岩魚を釣る方法や焚き火のテクニックなど、サバイバルの方法の具体的な説明もあります。また、サバイバル登山の意味について、彼が何年もの実践を通じて培ってきた考え方も示されています。
 
 私には自由の明確なイメージがある。
原始の環境にたった一人で存在すること。それが私の自由だ。
天候によって快適と不快が左右され、われわれが日頃手にできるような食べ物は何もない。外敵におののき、害虫にも悩まされる。どこにいくにも時間がかかり、病気になっても頼るものはない。なんとも不自由な生活だ。しかし、それらすべての制約、強制は自然環境そのものから発している。
義務もルールも法律も、妻の小言や社会的責任も、予定も約束もいっさいなく、モンゴロイドのオス、身長一七五センチ、体重六三キロに立ち返ったそのうえで、自分の身体能力とこれまでの経験を駆使して、ただ感じるままに生きる。
そこには死ぬかもしれない自由まで含まれている。
サバイバル登山とはその「自由」を具現化するための方法に他ならない。物理的に日常の生活圏から遠のき、もろもろの力強い装備も街に置いていく。人間社会との関係を断ち切って、現代文明のディフェンス力圏外に身をおく。私という存在そのままになれる瞬間、これが私の究極の自由なのだ。
そんな状態で自分が何を考えるのか、何を感じるのかを私は知りたい。日常的にズルい生活を続けているので、せめてそこから離れたらどんな気がするのか感じたいのだ。
もしアクシデントがあっても誰も助けに来てくれない。人知れず死んで消えていく。そこまでして自由を求めるのは、「ありのままの自分」を求めているからだと思う。

もっとも、服部氏は原始時代に戻れと言っているわけでも、文明や便利な道具をすべて否定しているわけでもありません。ただ、山に入るときには、そうした要素を自らの登山から可能な限り削ぎ落とし、厳しい自然に直接向き合うことで、体力・技術・知識・判断力などを含めた自分の本当の力を試してみたいということなのだと思います。

そして、時には生と死がせめぎ合うようなギリギリの状況にあえて自らを追い込むことで、自分の中に浮かび上がってくる、「生きたい」というシンプルで純粋な意志を確認しようとしているのだと思います。

とはいえ、サバイバルの実践は生易しいものではないし、安心・安全・快適を求める世の中の風潮とも逆行しています。サバイバル登山というプロセスの価値も、あくまで個々人が内面的に見出していくもので、周囲の人々からの称讃や評価を期待できるようなものではありません。

この本の中でも、何を持っていくかという装備の選択や、実際にどこまで自分の理想を貫くかについて、現在も迷いや試行錯誤があることが正直に書かれています。例えば、蚊の猛烈な襲撃に耐えかねて蚊取り線香を持参したり、携行する食料に関して以前より自己規制が甘くなったり、山行の途中で避難小屋のデポ食料のカップラーメンに手をつけてしまったり……。

それにしても、この本は一見したところサバイバル登山の実践マニュアルのような体裁にはなっていますが、正直なところ、そのリスクや困難のレベルを考えると、この本に刺激されてそれを実行してみようという登山者は、たぶんごく少数にとどまるだろうという気がします。私も、登山すらほとんどしたことがないので、とてもマネをしようとは思いません。

むしろ、国立公園内で焚き火をしたり山菜を採ったりする彼の行為に対して、一般的な登山者のマナーという観点から批判的にとらえる人の方が多いかもしれません。アマゾンの書評を見ても、この本に関しては評価が両極端に分かれているようです。彼の直截で挑発的ともとれる文章が、読者を刺激してしまうということもあるのかもしれませんが……。

それでも、私個人としては、命懸けで一つのスタイルを追求し続ける服部氏の生き方には敬意を表したいと思うし、彼の立ち位置は、安心・安全・快適に向かってひたすら進み続ける私たちの社会のあり方に批判的に光を当てる一つの極として、今後も大きな意味を持ち続けるだろうと思います。


服部文祥著 『狩猟サバイバル』 の紹介記事


本の評価基準

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『ニッポン地下観光ガイド』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

この本は、日本の地下世界を旅するためのガイドブックです。

一般向けに公開されている25の地下施設や地下空間が全国各地からピックアップされ、「ライフライン」、「実験施設・研究所」、坑道や採石場などの「産業遺跡」、「洞窟&鍾乳洞」、地下壕などの「戦争遺産」という5つのカテゴリー別に、豊富な写真つきで紹介されています。

洞窟や坑道については、地下世界に特に興味がなくても、何かの観光のついでに見学したことのある人も多いかもしれません。私はこの本を見ながら、東南アジアを旅していたころ、あちこちで見た洞窟や鍾乳洞、そしてベトナム戦争の遺産である地下トンネルや、インドネシアのスマトラ島で見た旧日本軍の大規模な地下壕のことなどを思い出しました。

ただ、さすがに現代の最先端テクノロジーを反映した地下施設となると、地下鉄のトンネルや地下街は別にして、私もきちんと見たという記憶がありません。

そうした施設は、テレビでもときどき紹介されることがあるのですが、まるで地下神殿のような首都圏外郭放水路や、日比谷共同溝、首都高速中央環状新宿線などのトンネル群、地底の水力発電施設など、その迫力はとにかくその場に立ってみないと味わえないのでしょう。

地下施設、地下空間を旅する魅力は、地上とは異質な空間の広がりやスケール感、反響する音、温度・湿度・匂いなどといった五感への刺激や、そのトータルな感覚としての「異界」感にあるのでしょう。地上の一般的な観光地では少し物足りなくなってしまった人にとって、地下世界、特に最先端の地下施設は、残された数少ない観光のフロンティアの一つとして、今後大いに注目される可能性を秘めているのかもしれません。


本の評価基準

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at 18:37, 浪人, 本の旅〜日本

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『神社の系譜 ― なぜそこにあるのか』

 

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

古代から多くの人々の信仰の中心となってきた宗教的な聖地というものは、そもそも、どうしてその場所に存在するようになったのでしょう? これは、考えてみればとても不思議なことで、人間の思考や理屈をはるかに超越した問題のようにも思われます。

この本は、そうした問題に光を当てる試みです。主に、神社の立地について書かれているのですが、神社と周辺の地形、あるいは神社相互の位置関係を読み解くための一つの方法として、著者の宮元健次氏は「自然暦」に着目しています。

「自然暦」とは、古代人が太陽の動きを神社の配置に応用したものです。夏至や冬至、春分や秋分の日の出や日没が、ある神社から見て、山の頂上とか、祖先の墳墓や他の神社など、特定の場所で起きるように全体がセッティングされており、このような仕組みは世界各地でも見つかっているようです。

この本では、伊勢神宮、出雲大社、熊野本宮大社、日吉大社、鹿島神宮といった、日本の超有名な神社が次々に紹介され、その周辺の重要な神社や古代遺跡、山などの自然物が、自然暦のライン上にきれいに乗っていることが示されています。

驚くべきは、そうした自然暦に基づくラインが、各々の神社周辺の地域に適用される小規模なものだけではなく、日本を横断するほどの長大なラインも見つかっていることです。

例えば、鹿島神宮から西へ向かい、諏訪大社、出雲国府跡を貫く東西のラインは、さらに海を越えて、かつての新羅の都である慶州にまで達しているといいます。

古代人は、このような正確なラインを導き出すために、一体どのようなテクノロジーを用いていたのでしょうか? この本では、当時の人々が具体的にどのような作業を行ったかについては触れていませんが、いずれにしても、こうしたラインによって日本各地を結ぶために、莫大な時間と労力が費やされたことは確かでしょう。

それにしても、自然暦の面白いところは、ある一つの神社ではなく、周辺の地形や神社相互の配置が描き出す全体のパターンを把握することによって、初めてそこに意味が浮かび上がってくるということです。つまり、ある特定の場所自体に意味があるというよりは、自然暦のシステム内において、それぞれの場所と他の場所との相対的な位置関係が意味を生じさせるのです。

そして、このシステムのすごいところは、その一部が災害や戦火によって失われたり、時代とともに忘れ去られたりしても、自然暦を理解している人間さえいれば、残された部分から全体のパターンをいつでも復元したり、補強したりすることが可能だということです。

それは、研究者にとっても同様で、いったんそのシステムの存在に気がつきさえすれば、ライン上の寺社相互の関係や、それらを創建したり、深く関わりをもった人物がそこに秘めた意図が、芋づる式に浮かび上がってくるのです。

日本の場合、古代人の作り上げたこのような自然暦上のポイントが、今でも聖なる場所として信仰の対象となり、保存され続けているというのは驚くべきことですが、別の見方をすれば、それは、自然暦のシステムを保持し、強化し、新たなシステムをつけ加えるという作業が、時代を通じて人々に受け継がれ、何度も繰り返されてきたということなのでしょう。

実際、この本の中でも、古代人だけではなく、豊臣秀吉公や徳川家康公が自らの神格化を図るため、その墓所の配置に自然暦のラインを応用した例や、また、明治以降の東京においても、新たな神社や施設の配置にこうしたシステムを応用したとみられる例が示されています。

もちろん、自然暦という観点だけで、聖地や寺社の立地をすべて説明できるわけではないし、こうした人工的な秩序形成システムが導入される以前、つまり「自然暦以前」の世界において、聖なる場所がどのようにして見出されたのかという問題は依然として残るのですが……。

それはともかく、昔の人にとっては、太陽の運行と聖なる場所が密接に関わりあっていることなど、改めて説明されるまでもない、常識に属することだったのかもしれませんが、私のような現代人にとっては、こうした自然暦の仕組みを知ること自体が、新鮮な驚きだったりするのです。

思えば、私自身、最後に日の出を眺めたのはいつのことだったのでしょう……。

私のように、日常の生活が自然のリズムからすっかり離れてしまった人間こそ、何か基本的で大事なことをこれ以上見失わないためにも、こうしたことを知っておく必要があるのかもしれないと思いました。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



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at 18:55, 浪人, 本の旅〜日本

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『ROADSIDE JAPAN ― 珍日本紀行 東日本編』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

1996年の出版当時に話題を呼び、私もその存在だけは知っていた写真集『珍日本紀行』。遅ればせながら読んでみました。

この本には、都築響一氏が日本各地を取材して発掘した「珍スポット」の数々が、あふれんばかりに詰め込まれています。

日本人の情念を物質化したような民俗宗教スポットに始まって、バブル期以降に日本中に建設された奇妙なテーマパーク、遊園地・博物館・温泉・宗教などあらゆる要素がてんこ盛りの複合施設、アウトサイダー・アーティストたちの生み出した奇怪な造形、さらには廃墟まで……。

これだけまとめて見せられると、笑える珍名所というよりは、何かギラギラとした人間の情念やグロテスクさの方が強く感じられて、その迫力にたじろいでしまいます。

しかし、都築氏は、こうした珍妙なスポットの存在を批判したり否定しようというのではなく、むしろそこに普段着の日本の姿を見出しているようです。

ここには日本らしい美しい風景もなければ、外国人観光客を黙らせるワビサビの空間もない。むしろ俗悪・軽薄と罵られてもやむを得ないような、ときには地元の人間でさえ存在を忘れてしまいたいスポットばかりが詰め込まれている。でも、このスッピンの乱れ顔こそが、いまの日本なのだ。そしてその素顔は、確かに美人じゃないけれど、見ようによってはちょっと可愛かったりする。


確かに、世界に自慢したいクールな日本があれば、当然、クールではない日本もあるわけで、むしろその方が私たちにとっては身近な存在です。あまり認めたくはありませんが、この写真集に載っているような風景も、今の日本の素顔であり、背伸びしていない本来の姿なのかもしれません。

それに、ある意味では、こういう珍妙な存在を次から次へと生み出し、それを平気で養っていけるほど日本は懐が深いというか、豊かな国なのだといえなくもないのかもしれません。

もっとも、公営のテーマパークや博物館など、その多くが税金をつぎ込んで建てられたのかと思うと、複雑な気分がするのも確かですが……。

なお、この本は出版当時の大判の写真集を文庫化したもので、『西日本編』とセットになっています。文庫といえど、2冊揃えれば結構な金額になるので、購入にはちょっと勇気がいるかもしれません。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
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