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『フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略』

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評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

 

ネット上では、もはや当たり前となった感のあるフリー(無料)の商品やサービス。人間、タダという言葉の響きには逆らえないもので、私も無料と知るとつい手を出してしまうのですが、一方で、いつかどこかでこのツケを払わされるんじゃないかとか、このままいろんなものがタダになったら世界の経済はどうなるんだろうとか、心のどこかで一抹の不安を感じるのも確かです。

いま、インターネットを席巻している無料化の流れに乗っかることは、果たしていいことなのか、それとも、長い目で見れば良くないことなのか……。これはたぶん、けっこう重大な問題だと思うし、見かけの損得にはとらわれずに、できるだけ広い視野で自分なりに考えてみる必要があるように思います。

まあ、私の場合、そうやって偉そうなことを言うわりには、この本が出版されて1年以上経った今頃になって、ようやく手にとっていたりするわけですが……。

それはともかく、この本では、IT技術の革新が生んだ新たなフリーの形を中心に、無料経済に関するさまざまなトピックが取り上げられています。

著者のクリス・アンダーソン氏によれば、ネットの世界では、コンピュータの情報処理能力、デジタル記憶容量、通信帯域幅の三つが、今や安すぎて気にならないレベルに達しつつあります。

そうした環境では、デジタル化された商品なら、ほとんど限界費用ゼロで大量に複製・供給できるため、そこに新たなフリーの形が生まれています。

彼は、いま存在しているフリーのパターンを、以下の四つに分類しています。

1.直接的内部相互補助(すでにおなじみのマーケティング手法で、何かを無料にすることで客の気を引き、他の商品で利益を出す)
2.三者間市場(テレビ局とスポンサーと視聴者の関係に相当)
3.フリーミアム(基本版や基本利用料を無料にし、少数のユーザー向けのプレミアム版やプラスアルファのサービスで利益を出す)
4.非貨幣市場(贈与や無償の労働、不正コピーなど、貨幣市場の外にあるもの)

インターネットにおける2の例としてもっとも有名なのは、オンライン広告の利益でさまざまな無料サービスを展開するグーグルでしょう。また、2については、20世紀に生まれたマスメディアのビジネスモデルが、ネットの出現によって、他の産業に拡大しつつあるともいえます。3に関しては、フリー化が急速に進むオンラインゲーム市場などの例が紹介されています。
ウィキペディア 「フリーミアム」

ただ、2も3も、見かけこそ目新しいものの、フリーの訴求力で潜在的な顧客を集め、そこから何らかの形で収益を上げるという点では、決してこれまでの資本主義のルールを逸脱しているわけでもなく、1のような従来型のフリーと、本質的な違いはないのかもしれません。

こうして、ウェブの世界では、フリーを中心とする新たな経済生態系が出来上がりつつあり、すでに無視できない規模になっています。アンダーソン氏によれば、それは控え目に見積もっても 3,000億ドルに達するといいます。

しかし一方で、ネット上で無料で読めるニュースが新聞社の経営を悪化させたり、ウィキペディアが百科事典の市場をまたたく間に縮小させたりと、急速なフリー化が猛威をふるっているように見えるのも確かです。そうした例を見ていると、その進行を手放しでは喜べない気がします。それは、やがて数多くの産業に壊滅的な打撃を与え、多くの人から仕事を奪う結果になるのではないでしょうか?

アンダーソン氏によれば、フリー化は、従来の市場における売り上げなど、見かけ上の価値を縮小させているように見えるものの、無料化によって多くの利用者にメリットがもたらされるなど、富が、計測しにくい形で再配分されているのだといいます。

また、興味深いことに、インターネットの出現で、「評判」や「注目」という、これまでは計量できなかった漠然とした概念が、目に見える量として扱えるようになりつつあります。例えば、ウェブ上では、リンクをされた数は「評判」、トラフィックの量は「注目」と見なすことができるのです。

評判や注目を数値として扱えるなら、やがて、それを貨幣的な価値に変換することも可能になるかもしれません。つまり、フリーを効果的に用いるなどして高められた評判や注目などの非貨幣的な価値が、何らかの形で経済的な収益に結びつく可能性があるわけです。

もっともそれは、本来カネとは無関係だった世界のものごとが、資本主義経済の枠組みの中に、次々と飲み込まれていくということなのかもしれませんが……。

この本は、単純なフリー礼賛論というわけではありませんが、読んでいるとやはり、ウェブを中心としたフリー化の流れは止めようがないのだというメッセージが伝わってきます。また、デジタル化されたものは遅かれ早かれ無料になる運命なのだし、フリーの周辺でお金を生みだす方法はあるのだから、今後もこの世界で生き延びようとするなら、フリーを前提とした新たなしくみに適応するしかない、という気がしてきます。

ただ、それはそうなのでしょうが、その一方で、近い将来、ホワイトカラーの仕事がどうなっていくのか、ちょっと不安になります。

アンダーソン氏は、「無料のモノやサービスが有料のものと釣り合って発展する必要がある」と言ってはいるものの、無料で有用な商品が次々に供給されるようになり、人々の生活やビジネスがそれを前提とするようになれば、20世紀型の高コスト体質の巨大企業がこれまでのようにサバイバルするのはどんどん難しくなっていくだろうし、現在人間の手によって行なわれている膨大な事務作業の多くも、仕事としての意味や価値を失っていくのではないでしょうか。

そうなると、いわゆる先進諸国の人口の多くを占め、新興国では新たに続々と生まれつつある中産階級というものは、これからどうなるのでしょうか? グローバル化によって世界レベルの競争が激化し、フリー化も進んだ世界において、彼らすべてを十分に養っていけるだけの仕事は残されているのでしょうか?

かつての工業化社会のような、稀少な資源を管理するための論理と倫理で今なお動いているリアル世界の経済と、インターネットから広がりつつある、21世紀的な潤沢さの論理と倫理によって動くフリー経済とを、どのような形で共存させ、バランスをとればいいのか、そして私たちの社会の将来像がどんなものになるのか、この本では明確な見通しは示されていません。

とにかく、フリーに関しては考えるべきことが多すぎて、この本をひととおり読んでみても、頭の中がスッキリするというよりは、むしろ混沌とした未来を垣間見ているようなモヤモヤ感に襲われます。

まあ、未来のことなど誰にだって分からないわけで、それをあれこれ先走って心配しても仕方がないのでしょうが……。


本の評価基準

以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書 

at 19:08, 浪人, 本の旅〜インターネット

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『電子書籍の衝撃』

Kindle版はこちら

 

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

 

現在アメリカを中心に普及が加速しつつある電子書籍ですが、それは本の流通や消費のあり方を、どのように変えていくことになるのでしょうか? 

著者の佐々木俊尚氏は、この本の中で、自らの思い描く本の将来像を、電子化で先行する音楽業界などの具体例をまじえながら、分かりやすく示そうと試みています。

前半では、キンドルやiPadなど、電子書籍を快適に読めるタブレットの登場と、そうした画期的なデバイスの市場投入によって、電子書籍の流通プラットフォームを押さえようとするアマゾンやアップルなどの熾烈な競争について描かれています。

ただ、こうした話題については、マスメディアで何度も取り上げられているので、詳しく知っておられる方も多いでしょう。

まあ、私個人としては、どの企業がプラットフォームを支配するにしても、とにかく安くて使いやすいデバイスが出回り、日本でも数多くの電子書籍が楽しめるようになるなら、それで充分だと思っています。

この本で興味深いのは、やはり後半部分、電子書籍のプラットフォームが確立したあと、私たちにとって、本を読むという行為がどのように変化していくのか、その将来像を語っている部分でしょう。

これまで、紙の本を印刷し、書店へ配本するという作業には大きなコストと手間がかかっていましたが、電子化された本ではその必要がなくなるため、出版へのハードルが下がります。それによって、書き手自身が本を出版する「セルフパブリッシング」が可能になります。

また、流通コストが実質的にゼロに近づくので、書籍の価格が大きく変わる可能性があります。実際、アメリカではすでに低価格化が始まっています。

さらに、出版社にとっては、在庫を抱えるコストもなくなるので、過去に出版された本を絶版にする必要もなくなります。

その結果、電子書籍の流通プラットフォーム上では、プロとアマチュア、新旧の本が同じように並ぶ「フラット化」が進行します。

当然、それは本の流通・消費のあり方や、出版社のビジネスモデルに大きな変化をもたらさずにはいないでしょう。

それに関連して、佐々木氏は、現在の日本の出版業界の衰退の大きな原因は、日本の若者の活字離れとかインターネットの普及にあるのではなく、その流通プラットフォームの劣化にあるのだと厳しく指摘しています。雑誌の流通網をベースに形成された、日本独特の本の大量流通の仕組みや、取次や書店が本を買い取るリスクを負わない「委託制」が、出版の質の低下を招いてきたというのです。

これまでのような、マスメディアの広告やベストセラー・ランキングを参考に、みんなが同じような本を読むマス流通の仕組みが衰退していく一方で、ブログやレビューサイト、SNSなど、各種のソーシャルメディアが重要な役割を果たすようになり始めています。

電子書籍の流通プラットフォームの確立に合わせて、今後は、ソーシャルメディアに流れる多様な情報を通じて、読者一人ひとりが、それぞれの好みに合った本を見出せるような新しいマッチングの仕組みが形成されていくでしょう。

このあたりのことは、ふだんからソーシャルメディアを使いこなし、その恩恵にあずかっている方なら、改めて説明するまでもなく、実感として理解できることなのではないかと思います。

私も本好きの一人として、電子書籍の普及とともに新しい読書の世界が広がっていくのはすばらしいことだと思います。また、「読者と優秀な書き手にとっての最良の読書空間を作ること」が最も大切だという佐々木氏の主張や、この本で描かれるポジティブな将来像に、強い共感を覚えます。

ただ、現実に目を向けると、これから何年かのあいだは、欧米から広がる急速な電子化の波と、現状維持をはかろうとする日本の出版業界の動きとが、激しいぶつかり合いを演じることになりそうで、その決着がつくまでのあいだ、日本の読者は、さまざまな不便やまわり道を体験させられそうな気がします……。

あと、この本では詳しく触れられていませんが、電子書籍の普及は、本の流通の仕組みだけでなく、本そのものの体裁も大きく変えていきそうな気がします。

例えば、現在、一般的な本は200ページ前後ですが、印刷や流通上の制約からそうなっている側面も大きいと思います。電子書籍なら、数十ページしかないコンテンツを一冊の本として独立させたり、極端な話、短編小説やエッセイ集をバラ売りすることも可能になります。

また、音楽やビジュアルと融合したコンテンツを開発したり、読み手の好みに応じて、縦書きと横書きを切り替えるようなことも可能でしょう。

それともう一つ。これもこの本の内容とは直接関係ありませんが、読書家はこれまで常に書店をチェックし、欲しい本はその場で確保しないと、他人に買われたり絶版になったりして、二度と手に入らなくなるという恐れにさいなまれてきました。

しかし電子書籍化が進めば、本はいつでもどこでも手に入るので、読者は読みたい本のリストだけ作っておいて、それをもとに、読み始めるまさにその瞬間に本を買えばいいということになります。

そうなると、いわゆる「積ん読」をする必要がなくなるわけですが、これまで「積ん読」のために必要以上に本を買っていた人はかなり多いはずで、その分の需要がごっそり減ることになれば、出版業界に意外と大きなインパクトを与えるかもしれません……。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
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at 18:41, 浪人, 本の旅〜インターネット

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『デジタルネイティブ ― 次代を変える若者たちの肖像』

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評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

 

この本は、昨年の11月10日に放送された『NHKスペシャル デジタルネイティブ』の内容を、取材や番組制作のプロセスを交えて書籍化したものです。

13歳で起業し、SNSで世界中から専門技能を集めてカードゲームを開発したアメリカの少年、「ネット上の不特定多数への信頼」をベースにしたさまざまなサービスを生み出す「はてな」創業者の近藤淳也氏、そして、市民運動に関心のある200か国20万人以上が集まるSNSを運営し、ネット上に自分たちの「国連」をつくり出そうとする若者たち……。

この本では、インターネットの発展と時を同じくして成長し、ネットとリアルを同じ現実としてとらえ、ネットの可能性を信じ、地位や肩書にとらわれず、互いの情熱や能力によってつながりながら、強力なネットワークを生み出していく「デジタルネイティブ」たちの姿が紹介されています。

もちろん、ここに登場する人々は、TV番組としてのインパクトと分かりやすさを求めて選ばれた特別ケースであって、インターネットを利用する若い世代の平均的な姿を示しているわけではないでしょう。

また、新しいタイプの若者が現れつつあることに一般の注意を喚起するうえで、番組は一定の役割を果たしたと思うのですが、「デジタルネイティブ」という言葉が意味するもの、つまり、その具体的な特徴や、彼らがもたらす将来の社会変化の可能性について、明確にその姿を描くところまでは至っていないようです。

ただ、ネット世界にある程度なじんでいる人なら、「デジタルネイティブ」に関する詳細な研究を待つまでもなく、以前からインターネットの可能性として言われつづけてきたことをまさに体現する存在として、彼らのことを驚きよりは共感をもって受け止めるのではないかという気がします。

私はこの本を読んでいて、むしろインターネット「以前」の世代、つまり現在40代より上くらいの、社会的にはマジョリティといえる人々が、こうした新しいタイプの若者たちに対して、今後どのような反応をするかの方が気になりました。

若く優秀な人々が、彼らのネットワークとネットの効率性を駆使して、「大人」たちの経済的・社会的な実力を凌駕する時代が、もしかすると、私たちが思っているよりもずっと早くやってくるかもしれません。

そのような事態に直面したとき、実務能力ではネット世代に到底かなわない年長者らは、今までと同じように古臭い精神論を掲げ、「年長者に従え!」と虚しい説教をくり返すのでしょうか? それとも彼らの地位と権力を賭け、これまでの社会経験で身につけたしたたかさを発揮しつつ、若い世代に対して死にもの狂いの戦いを挑むのでしょうか? あるいは、世の中の激動に抗することもできず、ただそのありさまを傍観することになるのでしょうか……。

インターネットがリアル世界にもたらす葛藤は、決して「世代間闘争」に収斂するものではないと思いますが、それでも、世の中を実際に動かすパワーを誰がどのような形で握るかをめぐって、これから何年にもわたって、世の中が激しく動くのは確実でしょう。

それともうひとつ、ネットの世界で多様なバックグラウンドの人々がフラットにつながるといっても、現実的なコミュニケーション言語としては、圧倒的に英語が使われているという現状があります。

英語圏の人々にとって、これは大きなアドバンテージであり、また同時に、世界中の人々とホワイトカラーの仕事を奪い合うことになるという意味では脅威でもあるのですが、(英語に堪能な一部の人を除く)日本人の場合、ネットの可能性以前の問題として、言語という大きな壁が立ちはだかっています。

これは、私たちにとって決定的に不利なことなのでしょうか? それとも、世界的な大競争に直接巻き込まれない幸運に、しばし安堵すべきなのでしょうか?

まあ、安堵するといっても、与えられる時間的猶予はわずかだろうし、翻訳ソフトが高度に発達すれば、そうした壁もいずれ乗り越えられてしまうのでしょうが……。

それにしても、すでに年齢を重ね、今さら若い人と同じスピードで新しいテクノロジーを吸収することなんてできないと思う人は、こうした本を読んだり、将来の見通しについて考えるだけで脅威を感じてしまうかもしれません。

しかし、すべての世代の人々にとって、インターネットには影ばかりではなく光の側面もあるはずです。

本当に自分が情熱をもってやりたいことを見つけた個人が、出身・性別・年齢・地位や肩書きとは一切関係なく、ネット上のネットワークとインフラによって驚くべき力を手に入れる可能性が広がっているというのは、これまでの社会の仕組みの中で分不相応な特権を享受していた一部の人を除けば、やはり多くの人にとっての希望だと思います。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
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at 19:23, 浪人, 本の旅〜インターネット

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『ウェブ時代をゆく ─ いかに働き、いかに学ぶか 』

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評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本は、ベストセラーになった『ウェブ進化論』の姉妹篇ともいうべき本です。
『ウェブ進化論』の紹介記事

『ウェブ進化論』は、「リアル世界」とは別の法則で動く「ネット世界」の出現がもたらす大変化の本質について洞察した本でしたが、今まさにその変化の只中に生きている私たちにとって、より重要な問題は、私たち自身がこの大変化をどうサバイバルするのか(どうやって飯を食い続けていくのか)、これからの時代をどういう心構えで生きていけばいいのかという問題でしょう。

本書はまさにそれをテーマとしています。「もうひとつの地球」であるネット世界が、時間と距離の制約を越えて世界中の人々を結びつけ、「志」を持つ「個」をエンパワーするインフラとして急速に整備されつつある中で、その素晴らしいインフラを最大限に活用することを前提に、私たちがどのように学び、どのような働き方を目指していくべきかについて、この本には数多くの前向きなアイデアが詰め込まれています。

『ウェブ進化論』同様、この本もオプティミズムに貫かれていますが、そこには、インターネットの特性に対する深い理解に加えて、ネット利用者自身の積極的な貢献を通じて、大きな可能性と同時に危険にも満ちたネット世界を、より良いものに変えていきたいという狙いがあるのでしょう。

私個人としては、ネット進化がもたらす新しい職業の可能性や、新しい社会のあり方について、梅田氏の提示するビジョンに強い共感を覚えます。

 

 バーチャル経済圏や境界領域の発展とともに、日本社会にも新しい職業環境が多様に花開く方向性を信じたいと思う。学歴より「いま何ができるか」が問われ、組織を出たり入ったりも自由、再挑戦はいつでも可能で、「個」が多様な生き方を追求できる社会。プロスポーツ選手のように若いときに一生分稼ぐビジネス世界の可能性も開かれる一方、オープンソース的に参加できる職業コミュニティも増える。専門性や趣味の周囲でそれほど大きくはないけれどお金が回り、そこそこ飯が食えるチャンスが広がり、社会貢献も個性に応じてできる。そういう新しい職業環境が大いに拡がっていくイメージを、未来のビジョンとして持ちたいと思うのである(第七章)。


こうした新たな社会の萌芽ともいえるオープンソースの世界においては、自分の「志向性」をはっきりと見いだし、「好きを貫く」ためにハードワークも厭わない人間が大きな成果と見返りを得ています。金銭的な報酬や組織の強制力によって働いている人間は、そうした人々に太刀打ちできないでしょう。

だとすれば、私たちにとっては、どこにより多くのお金が回っているかを気にする以上に、どうやって自分の志向性を見い出していくかがより重要な課題となるのではないでしょうか。しかもこれは、各人による主体的で内面的なプロセスであり、誰かから指示してもらったり、学校のカリキュラムを通じて学べるようなものではありません。

そういう意味で、私がこの本の中で最も興味深かったのは、自らの志向性を発見する手段としての「ロールモデル思考法」の解説です。

 

 ロールモデル思考法とは、ただ「誰かみたいになりたい」「こんな職業につきたい」という単純な願望から一歩進み、自分の志向性をより細かく定義していくプロセスである。
 世に溢れる「人の生き方」や「時間の流れ方」に興味を持ち、それを自分の問題として考える。外界の膨大な情報の無限性を恐れず、自分の志向性と波長の合う信号を高速でサーチし続け、自分という有限性へマッピングする。波長の合う信号をキャッチできたら、「時間の使い方」の優先順位を変えてコミットして、行動する。身勝手な仮説でもいいから、これだと思うロールモデルにのめりこんでみる。行動することによって新しい情報が生まれ、新しい人々と結びつき、また新しいロールモデルを発見することになる。ロールモデルを発端に行動し、さまざまな試行錯誤をする中で、意欲や希望の核が生まれ、世界は広がっていくだろう。「好き」な対象さえはっきりすれば、ネットはそれを増幅してくれもする。個の成長とともに、ロールモデルはどんどん消費し新しくしていけばいい。どんな偉大な人物であろうと、自分のために消費してしまえばいい。探し、試し、客観視し、必要なら卒業し、動く。人生の局面に応じたたくさんのロールモデルの引き出しを持ちながら、それを灯台代わりに生きていくのである。
 いちばん重要な判断を、直感に基づくロールモデル思考法で行い、その後のサバイバルには緻密な戦略を立ててこつこつと執行するのである。


もちろんこれだけではピンとこないかもしれませんが、この本には梅田氏が自らの志向性を発見してきたプロセスも具体的に語られていて、非常に参考になります。

漠然とした「自分探し」の域をはるかに超えて、すさまじいまでに真剣で緻密なそのプロセスには驚かされますが、もしかするとこれからの時代には、それだけ真摯に自分と向き合う覚悟が多くの人に必要とされるようになるのかもしれません。

ネット進化の今後については、まだまだ分からないことの方が多いし、この本で提示されたビジョンについても、まだ確実に実現するとは言えない状況ですが、私たちの多くがこれから先何十年も生きていくことを考えれば、そうしたビジョンやさまざまなアイデアについて、自分自身の生き方と重ねて深く考えてみる価値は十分にあると思います。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
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at 20:11, 浪人, 本の旅〜インターネット

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『フラット革命』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

本書は、ITとインターネットの分野で精力的な取材を続けているジャーナリストの佐々木俊尚氏が、ネット世界の出現が引き起こしつつある社会の大きな変化(フラット化)と、その先に姿を見せ始めた新しい社会の枠組みについて、日本における具体的な事例を手がかりに描き出そうという試みです。

1990年代後半以降のインターネットの爆発的な普及によって、マスメディアによる情報の独占は崩壊し、匿名言論や多数のブロガーの出現によって、言論の徹底的なフラット化が進みつつあります。それは「誰が言ったか」、つまり発言者の所属する組織や肩書きよりも、「何を言ったか」が問われるような世界が出現しつつあることを意味します。

また、佐々木氏によれば、「戦後社会」と呼ばれる日本の古い共同体的な枠組みが、2000年代前半に完全に終焉を迎えました。日本の経済発展を支えてきたその堅固な枠組みは、私たちに息苦しさと隷従を感じさせるものでしたが、それは同時に、<われわれ>という共同幻想による安心感をも与えてきました。

いま、帰属すべき共同体を失った膨大な数の人々が、よるべなく漂流を始めています。

 人々はかつて、共同体に支えられ、マスメディアを経由することで、世界との強固なつながりを持っていると信じられた。だが共同体は温かい繭ではなくなり、マスメディアの<われわれ>幻想も消滅した。この結果、共同体によって提供されていた世界認識システムは崩壊してしまった。いまやコミュニティやマスメディアを経由して、世界を認識することはできなくなってしまったのだ。
 だから人々は、自分自身の力によって、ひとりで世界認識へと立ち向かわなければならない。
 だが自分自身でそれを引き受けるということは、とても厳しくつらい。だから成功する人もいれば、失敗する人もいる。


そして本書の後半では、フラット化した世界における公共性(異なる意見や異なる立場にいる人たちのさまざまな意見をとりまとめ、民主主義の中へと落とし込んでいく社会の機能)の問題が取り上げられています。

マスメディアという権威の中心が力を失ったあと、来たるべき社会では、誰が、どのような形で公共性を担っていくのでしょうか。それとも、そのようなものは失われ、社会はコントロールを失った混乱状態に陥ってしまうのでしょうか。

佐々木氏は、すべての当事者が情報のやりとりに参加し、中央のコントロールなしに直接意見をぶつけ合い、評価、分析、批判、反論といったさまざまな活動がすべてオープンにされ、その過程のすべてが、社会を構成する<わたし>たち全員の前に可視化されることが、新たな公共性を生み出していくのだと考えます。

そしてそれは、ラディカルな民主主義という、民主主義の新たな可能性につながっていくのだと佐々木氏は言います。

もしそれが、フラット化の先にある新たな社会の姿であるとすれば、そこでは多様な価値観や考え方を持った人たちが同じ社会を構成し、「友愛も隷従も存在しないけれども、しかしそこにお互いの存在を許容し、議論として対決し続ける」ような、「闘技的民主主義」が発展していくことになるのかもしれません。

本書は、インターネットの普及がもたらす社会の大変化という、非常に大きなテーマを扱っているのですが、佐々木氏自身がその渦中に巻き込まれた「ことのは事件」を始め、彼自身による取材に基づいた具体的な事例に沿って、とても読みやすく、分かりやすく書かれています。

ただ、私個人としては、「フラット革命」の行く末に関しては、私たちの想像をはるかに超える大変化が待ち構えているような気がしています。

例えば、この本の中では触れられていませんが、「戦後社会」の終焉やフラット化といった、外なる世界の大変動と平行して起きている、スピリチュアリズムの隆盛やオカルトブームといった、私たちの内なる世界の大変動のことも考え合わせると、こうした変動の行き着く先は、ラディカルな民主主義にとどまらず、私たちが世界を認識する枠組みのもっと根本的な変化につながっていくような気がします。

いずれにしても、佐々木氏の言うように、その変化は既に後戻りのできないところまで来てしまいました。

この先に待っているものが何であれ、私たちにできることは、ポジティブな姿勢でそれと向き合い、一人ひとりが新しい世界で何とか生き延びる方法を見い出すことしかなさそうです……。


本の評価基準

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at 17:24, 浪人, 本の旅〜インターネット

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『フューチャリスト宣言』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

本書には、『ウェブ進化論』の著者梅田望夫氏と、TVでもおなじみの脳科学者茂木健一郎氏による対談と、それぞれが若い人々へ向けて行った講演の記録が収められています。インターネットが人間社会にもたらす大きな可能性と、すでに起こりつつある社会の根本的な変化について、二人は前向きに、熱く語っています。

梅田氏は『ウェブ進化論』の中で、インターネットの急速な普及によって、ここ10年ほどの間に、従来の社会とはまったく別のルールで動く「もうひとつの地球」が出現しつつあることを示しましたが、この対談では、その大変化にどう対応していくべきなのか、私たち一人ひとりが考える上でヒントになりそうなさまざまなアイデアを提示しています。

ちなみに、梅田氏は、この本のタイトルにある「フューチャリスト」という言葉について、次のように書いています。

フューチャリストとは、専門領域を超えた学際的な広い視点から未来を考え抜き、未来のビジョンを提示する者のことである。
 では私たちは、何のために未来を見たいと思うのか。
 「自分はいま何をすべきなのか」ということを毎日必死で考えているから、そのために未来を見たいと希求するのである。
 私たちはいま、時代の大きな変わり目を生きている。それは、同時代の権威に認められるからという理由だけで何かをしても、未来から見て全くナンセンスなことに時間を費やし一生を終えるリスクを負っている、ということだ。
 同時代の常識を鵜呑みにせず、冷徹で客観的な「未来を見据える目」を持って未来像を描き、その未来像を信じて果敢に行動することが、未来から無視されないためには必要不可欠なのである。
(梅田望夫「おわりに」より)


新聞やテレビなどの従来型メディアは、インターネットの危険や混乱を強調しがちですが、いくらネガティブに考えてみたところで、もはやインターネットのなかった時代に後戻りはできません。そうだとしたら、「そこでリテラシーを持って生きのびる術をそれぞれの人が身につけなければいけない(梅田氏)」のです。

私もその通りだと思います。「黒船がやってきた」以上、覚悟を決めて、新しい生き方に前向きに取り組むしかないようです。いま世界で何が起きているのかを冷静に把握し、ポジティブであり続けようという強い意志をもって、「ネット世界」と「リアル世界」の間でバランスをとりながら、問題を一つひとつ克服していくしかないのでしょう。

一方、茂木氏は、インターネットの出現は「知の世界のカンブリア爆発」であり、脳の使い方を劇的に変えるという意味で、人類にとっては言語を獲得したとき以来の大変化になるのではないかと語っています。

彼はネットの開く可能性に心底ワクワクしているようです。そして、「命を輝かせるためには、インターネットの偶有性の海にエイヤッと飛び込まないと駄目」なのだと言います。

二人ともそれぞれの専門分野で第一線の仕事をこなしながら、多くの人々・情報に能動的に接し、「自分はいま何をすべきなのか」を絶えず考え続けています。また、ネットの可能性に賭け、新しい試みに果敢にチャレンジし、それを「人体実験」的に自らの生き方に適用しようとしています。

二人のような社会への貢献はとても無理だとしても、その生き方について、私が学ぶべきことは多いと感じました。


本の評価基準

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at 18:52, 浪人, 本の旅〜インターネット

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『ネットvs.リアルの衝突 ― 誰がウェブ2.0を制するか』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

先日、梅田望夫氏の『ウェブ進化論』を読んで、「リアル」世界では絶対に成立し得ない、全く異質のルールに基づいた「ネット」世界が出現しつつあるという考え方に共感を覚えました。

それ以来、「ネット」と「リアル」という分かりやすい分類が、私の頭にこびりついて離れません。性質の異なる二つの世界がこれからどう関わり合っていくのか、「ネット」の拡大によって社会がどう変わっていくのか、ということは、私にとっても大きな関心事です。

今回、『ネットvs.リアルの衝突』という、「そのまんま」のタイトルの本を見つけたので、さっそく読んでみました。

梅田氏の『ウェブ進化論』が、「ネット」の全く異質なルールの存在を示したものだとすれば、『ネットvs.リアルの衝突』は、それを前提に、既にあちこちで起きている「ネット」と「リアル」の摩擦の現場を描いているといえます。

 たとえばWinny(ウィニー)というP2Pの理想を背負ったファイル交換ソフトは、二〇〇〇年代の日本社会に突如として異形の空間を出現させ、国家権力と真っ向から対峙することになった。
 一九八〇年代初めにリチャード・ストールマンが起したフリーソフトの運動は、九〇年代に入って経済活動の中に囲い込まれ、さらには中国や日本、欧州の国家戦略の道具と化した。
 美しい互助精神で飾られていたインターネット共同体は、アメリカと中国の国家対決の狭間で、あてのない泥沼の中に引きずり込まれている。
 そしてウェブ2・0による世界のフラット化を、フランスや日本政府は経済戦略の中に囲い込もうとしている。
 これらはまったく異質な文化の衝突であり、覇権をめぐる戦いでもある。国家が採っている戦略は「排除」と「囲い込み」であり、しかしコンピュータの世界の側は、その二方面戦略に対して有効な反撃を実現できていない。


佐々木氏は、1960年代のカウンター・カルチャーの中で生まれた、中央集権に対抗し、人々にパワーを与えるためにコンピュータを開放するという考え方が、現在の「ネット」の理想と情熱の源流になっているとして、その流れをたどっています。しかしその理想は、インターネットの爆発的な普及とともに、「リアル」を代表する国家や企業活動のルールと激しく衝突するようになるのです。

従来型の社会を代表する国家や企業は、「ネット」の危険な部分は「排除」し、有用な部分については「囲い込み」を図ろうとします。これは、「リアル」の側から「ネット」をコントロールしようとする戦略です。

本書の前半では、「排除」の例として、ファイル交換ソフト Winny(ウィニー)が、「リアル」世界の著作権法に抵触し、排除されていく過程が描かれています。

後半では、「囲い込み」の例として、コンピュータ業界の「標準化」をめぐる闘争、国家の世界戦略に取り込まれていくオープンソース、インターネットガバナンスをめぐる争い、国家主導の検索エンジン・プロジェクトなどが描かれています。

こうした「リアル」からの激しい干渉は、「ネット」自体を変質させることになるのですが、一方で、日々進化を遂げるテクノロジーは、「ネット」の理想を推し進めながら、次々に新しい地平(「リアル」から見れば「異形の空間」)を作り出していきます。

  一九六〇年代に生まれたコンピュータ文化の理想と情熱は、やがて国家や企業活動の中に呑み込まれて、徐々に変質していった。
 しかし二〇〇〇年代初頭のP2P、そして二〇〇四年に出現したウェブ2・0という新たなパラダイムで、その理想は再び復活する。
 ところがその理想は、再び岐路に立たされている。
 この理想は、これからいったいどこに向かっていくのか――国家戦略と企業活動の中に巻き込まれて消滅していくのか、それとも世界を変革させるパワーとなっていくのか。


本書では、「ネット」と「リアル」の衝突がこれからどういう方向に向かうのか、ある意味では、それが知りたいからこそ本書を読むという人が多いのではないかと思うのですが、明確な見通しは示されていません。

しかし、それも止むを得ないという気がします。実際のところ、変化する要素が多すぎて、あてずっぽうでもなければ、予測するのはほとんど不可能なのではないでしょうか。

ただ、考えてみると、「リアル」を代表するとされる国家や企業にしても、それを構成する個々のメンバーは、同時に「ネット」のユーザーでもあるわけです。社会的なアイデンティティとしてはある企業に属し、「リアル」の立場で仕事をしているとしても、家に帰ればそのアイデンティティを脱ぎ捨て、「ネット」の理想を追求する立場に変わるかもしれません。

「リアル」、「ネット」と分けて考えることで、何となく別々の実体があるかのように思ってしまいがちですが、ある意味では、二つの異なる世界が、各々の個人の中に同居しているとも言えるのです。

そういう意味では、「ネット」と「リアル」の衝突というのは、むしろ一人一人の人間の内面で起きており、人によってその程度に違いはあるにしても、私たちは二つの異なる世界の間で引き裂かれながら、激しく変化する社会の中で、各人が自分なりのバランスというか、適切な着地点を見出そうとして模索を続けているということになるのではないでしょうか。

そして、もしそうならば、二つの世界の衝突がこれからどうなるかは、突き詰めれば、私たち一人一人が、自らの責任で解決しなければならない問題ということになるのかもしれません。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします

at 20:05, 浪人, 本の旅〜インターネット

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『ウェブ進化論』

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる
ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる
梅田 望夫

 

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評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

最近何かと話題になっている『ウェブ進化論』ですが、私も遅ればせながら読んでみました。

1990年代に爆発的に普及を始めたインターネットですが、今やその発展は新たな段階へと達しているようです。梅田氏は「ネット世界」と「リアル世界」双方を含んだ社会全体の変化を考える上で、「次の10年への三大潮流」として「インターネット」「チープ革命」「オープンソース」を挙げています。

この三大潮流が相乗効果を起こし、臨界点を超えたことで、リアル世界では絶対に成立し得ない、全く異質のルールに基づいたネット世界が発展を始めたと梅田氏はいいます。その法則は

 

 

第一法則 : 神の視点からの世界理解
第二法則 : ネット上に作った人間の分身がカネを稼いでくれる新しい経済圏
第三法則 : (≒無限大)×(≒ゼロ)=Something、あるいは、消えて失われていったはずの価値の集積

 


であり、これを象徴する企業がグーグルだということになります。グーグルは、検索サービスを提供する企業という見かけ以上の存在で、ネットの「あちら側」に巨大な「情報発電所」ともいうべきシステムを作り上げ、ネット上の厖大なデータを非常な低コストで処理するとともに、精緻なアルゴリズムに基づいて「世界中の情報を組織化」し、「知の世界の秩序」の再編成をしようとしているのです。

こうしたことは、日頃ネット世界に暮らしている人たち、特に若い人たちにとっては、理屈はともかく感覚的に把握されているはずで、既にこの新しい環境に適応している人も多いのでしょうが、梅田氏はこの本を通じて、主としてリアル世界で長年生きてきた人たちに、新しいルールに基づくネット世界の概要と今後の方向性を示し、リアル世界とネット世界を架橋する「共通言語」を提示することで、引き裂かれつつある両世界の溝を埋めようとしています。

もちろん、リアル世界そのものが消えてなくなるわけではないので、ネット世界を無視してリアル世界だけで暮らすことも当分は可能でしょう。梅田氏が指摘するように、変化は「長い時間かけて緩やかに起こる」のです。しかし現在起きている変化は確実に社会を変えていきます。それが避けられないものであるならば、むしろ重要なのは、何が起きているかをよく知ったうえで、その中で自分はどのように生きるか、各自が考えて選択していくことだと思います。

非常に情報量の多い本で、今後の社会の変化を考える上で重大な問題提起もいくつかあります。著者の見解に賛同する、しないにかかわらず、読むだけの価値はあると思います。

ただ、梅田氏があえて意識的にネット世界のポジティブな面を見ようとしているためか、読んでいて気になるところもいくつかありました。

まず、「不特定多数無限大」という表現がキーワードとして頻出するのですが、ネット世界の特徴として「不特定多数」は理解できるとしても、なぜ「無限大」なのか、ちょっと引っかかります。どれだけ多くの人とつながったとしても、その総数は最大で60億人であり、個人から見たその数字がどれだけ大きいとしても無限ではありません。また、ネット上に「表現」するということは、表現したい何かを記号化、フォーマット化された有限なデータに変えるということでもあり、ネット上だけですべてのリアリティをカバーできるということはありえません。ネットに移せない「何か」が存在しているということは、常に意識しておく必要があると思います。(そのあたり、梅田氏も羽生善治氏の言葉を引きながら、少し触れていますが)

むしろ、私としては一企業が、世界中のウェブ上のデータをすべてコピーし解析できるほどネット世界は有限で小さい、ということの方を強く感じます。

またネット上の「新しい経済圏」に対する明るい見通しについては、ネガティブに考える根拠もいくつかあります。現在ネット世界に流れる富の源泉はリアル世界にあって、その総量もリアル世界の経済規模に規定されています。グーグルの売り上げにしても、リアル世界のモノやサービスを販売するための広告費に負っているという点で、そのビジネスモデルは今のところ画期的に新しい仕組みとはいえません。また、ネット上の表現者は多くなったとはいっても、ほとんどがリアル世界で収入を得て、ボランティアでサイトを運営している状態です。

「ロングテール」に関してもネガティブに考えられる点があります。「表現者」の立場から眺めた場合、リアル世界では固定費の問題から黙殺されてきたマイナーなモノやサービス、情報について、ネット世界に生存の場が与えられるようになったことは確かです。しかし、これも人間が介在しない劇的な低コストシステムだから可能になっているわけで、逆にいえば、エントリーのチャンスが与えられた以外は、自動化された「それなりの」対応しかしてもらえないということでもあります。そして、60億人類のアテンションの総量が限られている以上、「恐竜の首」に成長できるごく一部を除けば、エントリーしてもほとんど注目を浴びない者の方が圧倒的に多いという事実が変わることはないでしょう。

「利用者」の立場から眺めれば、限られた時間の中で必要な情報に出会うためには、ロングテールに直接アクセスせずに、「自動秩序形成システム」の助けを借りることになります。それは、知るに値する情報をあらかじめ選んでもらうという点で、いわばアルゴリズムによる「権威」の力を借りることであり、その機能面だけを見るなら、リアル社会の知的権威をめぐるシステムとあまり変わらないのではないでしょうか。

つまり、表現者にとっては非常に激しい競争が始まりますが、時間と関心の限られた多くの利用者は競争結果だけに注目するので、受け身の利用者の視界には、既に選別されて限定された表現者だけしか見えないことになり、今までの社会とあまり変わらないということになります。

重要な点は、表現者として注目されたければ自動秩序形成システムのアルゴリズムに適応したほうが有利になるため、多くの人がアルゴリズム自体に注目するようになるだろうということです。そのシステムには、単純な人気投票プログラムではなく、玉と石をいかに選り分けるかという精緻で複雑な価値判断が含まれることになるでしょう。だとすれば、誰が何を根拠にそれを設定するのか、その権限の正当性のようなものが改めて問題になってくるのではないでしょうか。

私もネット世界に長く住んで適応しているわけではないので、的はずれなことを言っているかもしれません。今後もネット世界については勉強を続けたいと思います。



本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします

 

 

at 19:25, 浪人, 本の旅〜インターネット

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『ザ・サーチ グーグルが世界を変えた』

ザ・サーチ グーグルが世界を変えた
ザ・サーチ グーグルが世界を変えた
ジョン・バッテル, 中谷 和男

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

1998年に設立されたグーグルは、今や世界的な大企業となり、ビジネスの世界に新たな伝説を産み出しましたが、その驚異的な成長の核心部分である「検索エンジン」について、その開発の歴史と社会に与えたインパクト、そして今後の展望を、グーグルのサクセスストーリーを交えてまとめたのが本書です。

私は、現在インターネットの世界で何が起きているのか、これからどうなっていくのか、リアル世界との関係はどうなるのか知りたいと思い、本書はその参考になるのではないかと期待して読みました。

この本には、「検索」という視点から見たここ数年のネット世界の激変がなまなましく描かれています。グーグルの検索エンジンを中心に、中小のネット関連ビジネスがまたたくまに築き上げた「生態系」、それがグーグルの検索アルゴリズムの微調整(グーグルダンス)によって激しく振り回される様子、IT関連企業の買収合戦と生き残りを賭けた業務提携、急成長する会社の利害をめぐる感情的反応の人間模様……。これがわずか数年の間に起こったとは信じられない気がします。

ただ、この本の内容全般に関しては、なぜか、あまり目新しい感じがしません。ネット世界の激変については、ネットサーフィンをするたびに少しずつ慣らされていて新鮮味がなくなっているからなのか、この本がネット業界の事情を伝える他の情報のネタ元になっていて、気づかないうちに同じような内容をあちこちで読んでいたからなのか、よくわかりません。

私個人としては、やはりネット世界が今後どうなっていくのかが気になるので、検索の未来を展望した第11章の「完全なる検索」を特に興味深く読みました。「完全なる検索」に向けて、より多くの情報をウェブに取り込むこと、検索のパーソナル化、セマンティックなウェブ、特定ドメインの検索、時間軸で保存されたウェブなど、発展中の様々なアイデアが示されており、その一部はすでに形になりつつあります。また、この本で指摘されていないアイデアも、これから数年のうちに次々に形になっていくに違いありません。

日々急速に変化しているネット世界の最先端は、数年もたたないうちに陳腐化してしまいます。この本は非常に多くの人々に取材して生まれた労作ですが、そういう意味では、(著者のバッテル氏には気の毒ですが)、あと数年経ったら役目を終えているかもしれません。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします

at 21:13, 浪人, 本の旅〜インターネット

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