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「インド病」の新理論!?

先日、バックパッカー向け雑誌『旅行人』元編集長の蔵前仁一氏が、ブログで面白い記事を書いていました。

インド病と腸内フローラ 旅行人編集長のーと

「インド病」とは、マラリアやデング熱のような、熱帯地方に蔓延する怖い病気ではなく、インドに行った人が経験するといわれる、奇妙で強烈な違和感のことです。
記事 インド病
記事 旅の名言 「僕は変な病気を……」

インドを旅した人や、現地で暮らした駐在員の中には、帰国後、日本の社会がすごく変に感じられたり、インドのことが頭から離れなくなったりといった「症状」を呈する人がいるのですが、インドに関わったことのある人々は、そういう激しい逆カルチャーショックのことを、多少のユーモアを込めて、昔から「インド病」と呼びならわしているのです。
ウィキペディア 「カルチャーショック」

蔵前氏は、冒頭に挙げたブログ記事の中で、この「インド病」の原因が、インド滞在中に生じた腸内フローラの変化にあるのではないかという、大胆な仮説(?)を提示しています。

腸内フローラとは、腸内の多種多様な細菌などが作り出している、一種の生態系のことで、最近では、その構成パターンが、私たち宿主の健康状態はもちろん、場合によっては性格までも左右しているのではないかといわれ、人々の注目を集めています。
ウィキペディア 「腸内細菌」

たしかに、インドに長居している人の腸内細菌が、食事や生活環境を通じて、次第に現地での暮らしに適したパターンに変わっていくことは十分に考えられるし、人によっては、性格までもが「インド化」してしまうことも、もしかしたらあり得るのかもしれません。

そして、そうやって「インド化」した状態で日本に帰れば、今度は当然、日本の食事や生活に対して、大いに違和感を感じるだろうし、そこから日本向きの腸内フローラに戻るためには、もう一度、苦労して適応のプロセスをやり直さなければならなくなる、というわけです。

もっとも、私は専門家ではないので、学術的にみて、こうした説明がどこまで妥当なのかは分かりません。それにもちろん蔵前氏も、こういう話を半分ジョークとして書いているのでしょう。

ただ、「インド病」のような、旅人が経験するさまざまな違和感を、少しだけマジメに考えてみようとするなら、人間の心と身体がつねに連動している以上、心の領域で起きるカルチャーショックだけでなく、腸内フローラの変化のような、身体の領域で起きているプロセスまでも、きちんと考慮に入れる必要があるのかもしれません。

そういえば、海外生活者の体験として、現地で暮らし始めて数か月の時点で、ひどい体調不良になったり、現地の料理を全く食べられなくなったりと、苦しさがピークに達するものの、それを何とか乗り越えると、現地の食事や生活に違和感を覚えなくなる、といったような話を何度か見聞きしたことがあります。

例えば、旅行作家の下川裕治氏も、かつて一家でバンコクに暮らしたときの体験を書いています。
 
 娘たちの病状は元旦の日に悪化した。まず長女が高熱を出し、おなかが痛いと訴えた。これは普通の風邪とは違うような気がした。その頃は、バンコクに暮らし始めて、ちょうど三カ月が経つ頃だった。僕には思いあたる病気があった。海外で暮らし始めて三カ月が経つ頃、原因不明の高熱や下痢に襲われることがあるのだ。海外で暮らすということは、今まで以上の適応を体に要求する。まず水が変わる。食べ物も変わる。気候も変わる。そんな諸々のストレスが体に溜まり、一気に噴きだすのがこの病気のようだった。僕自身、この病気は二、三回、経験していた。海外暮らしが長い日本人には、同じ体験をもつ人が多い。
「まあ、いってみれば、その国に暮らしていいという通過儀礼のようなもんですな」
 といえるのは、その病気が去ってからであって、そのときはもう大変なのである。熱にうなされ、下痢に苦しむ。大人だったらそれでも通過できるが、子どもとなると……。

下川裕治著『バンコク下町暮らし』より
この本の紹介記事

こういう身体の不調と、腸内フローラとの間に、何らかの関係があるのかどうかについては、もちろん私には分かりません。

ただ、人間の細胞の多くは、数か月のうちに、新しく生まれた細胞に入れ替わるといわれているので、異国で暮らし始めた人の身体は、数か月後には、そこで食べたモノや飲んだ水を材料として「現地生産」された身体に、ほとんど切り替わってしまうことになります。もしかすると、そうやって身体が「現地仕様」に替わるタイミングが、心身の不調と関わっているのかもしれません。
ウィキペディア 「新陳代謝」

下川氏のいう「三カ月」という数字は、そうしたタイミングについて、多くの海外生活者が、学術的な理論はともかく、自らの体験を通じて割り出した、生活の知恵のようなものなのでしょう。

いずれにしても、地球上をあちこち移動し、生活の拠点を変えるということは、たぶん、本人が自覚している以上に、心身にかなりのインパクトを与える行為であって、場合によっては、「自分とは何か」という、アイデンティティの根幹を揺るがすほどの結果をもたらすこともあるのだということを、改めて思います。

蔵前氏がインドに行ってから、体質がすっかり変わってしまったように、一度でもどこかの国で暮らしてしまうと、再び日本に戻ってきたからといって、その心身が、出発前と全く同じ状態に戻るわけではありません。

腸内フローラの例でいえば、インドや他の国々で加わった「新メンバー」の細菌たちは、おそらく、宿主である旅人が日本に帰ってきたあと、その勢力が多少は衰えるにしても、そのまま腸内に居残り続けるのだろうと思います。そして、彼ら新参の「移民」たちは、昔から腸内で暮らしている「先住者」たちと、光も差さない真っ暗な腹の中で、激しい抗争を繰り広げつつ、やがて、新しい均衡状態を生み出していくことになるのでしょう。

帰国した旅人の心が、出発前とはすっかり変わってしまっているように、旅人の腹の中も、きっと、出発前とは別の世界になっているのです……。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:50, 浪人, 地上の旅〜インド・南アジア

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自動的な逃走

3月の大震災と原発事故の直後、さまざまな危機的状況を伝えるニュースが相次ぐ中で、外国人が慌てて日本から逃げ出しているという報道もありました。

それを読んだとき、「外国人は気楽でいいよな……」と軽い反発を覚えつつも、自分が旅をしていたときは、まさに彼らと同じように考え、行動していたことに思い至り、立場が代わると、物事というのはこんなにも違って見えるものなのだと痛感しました。

そして、もう何年も前に、インドで体験したささやかな「騒ぎ」のことを思い出しました。

仏教徒の聖地、ブッダガヤ(ボドガヤ)に滞在していたときのことです。

私はいつものように、マハボディ寺院の周辺をブラブラと歩いていました。

マハボディ寺院は、お釈迦様がさとりをひらいたとされる歴史的な場所に建っていて、その周囲には、各国からの観光客目当ての小さなみやげ物屋が軒を連ねています。

そこで日本人の旅行者を見かけ、軽く立ち話をしていると、50メートルくらい離れたところから、パン、という、何かが弾けるような音がしました。

その直後、音のした方角から、大勢のインド人が全速力で逃げてきて、目の前を次々に駆け抜けていきました。

「クモの子を散らす」という言葉がありますが、まさにそんな感じです。

同時に、周囲のみやげ物屋からも人が飛び出してきて、まるで互いに示し合わせていたかのように、一斉にシャッターを下ろし始めました。

まったく想定外の展開にあっけにとられているうちに、すでに通りからは人がいなくなり、空気は一変して、辺りには異様な緊迫感が満ちています。

このままでは取り残される、と思った私は、目の前のシャッターに手をかけていた見知らぬ店員に、「中に入れてもらえないか?」とお願いしてみました。

店員が愛想よく、「いいよ」と言ってくれたので、一緒にいた日本人を促して中に入りました。店はとても小さく、数人も入れば身動きもままならないほどですが、シャッターの下ろされたその薄暗い空間で、私たちは息をひそめ、外の動きに耳をそばだてました。店員の若者は、シャッターの隙間からじっと外の様子を伺っています。

通りは、今やすっかり静まり返り、動くものの気配もありません。

さっきのあの音は、やっぱり何かの爆発か、それとも発砲音だったのでしょうか? インド人があんなに必死で逃げていたところを見ると、何かとんでもないことが起きたのは確かです。

だとすると、次はどんな展開になるのでしょうか? まさか、暴動のようなことが起こるのでは? 私たちは、ここにずっと隠れていなければならないのでしょうか?

さまざまな不安な思いが頭のなかを駆け巡ります。単なるひなびた観光地だと思っていたブッダガヤで、まさかこんなことが起きるとは……。

それからどのくらいの時間が経ったのか、よく覚えていないのですが、たぶん、ほんの数分くらいだったと思います。

先ほど、音のした「現場」から全力疾走で逃げ去った人々の一部が、少しずつ戻ってきたようで、それを見ていた店員も、シャッターを半開きにして外に出ると、様子を見にいきました。

私もしばらく待って、大丈夫だという確信が持てたので、店を出ると、彼らにならって、とりあえず現場に向かってみました。

そこには、すでに人だかりができていました。英語の話せる人から断片的に聞いた話を総合すると、どうやらある店の主人と、その知り合いの誰かが個人的ないさかいを起こし、その誰かが火薬でかんしゃく玉のようなものを作って、腹いせに店に投げ込んだ、というのが事の真相のようでした。

政治的背景のある事件でなく、単なるケンカらしいこと、そしてケガ人もいないらしいことが分かり、少しホッとしました。とはいえ、本当にそれが事実なのかは確かめようもありません。現地の言葉で情報収集できない私は、とりあえずそこまでで納得するしかありませんでした。

数十分後には、村にはいつもの人通りが戻り、シャッターは再び開かれ、空気はすっかり日常モードに戻っていて、まるでその日、その場所には何事も起こらなかったかのようでした。

後日、ブッダガヤでは、それとはまた別の事件が起きて、このひなびた聖地も俗世間の争いごとと無縁でないことを思い知らされたのですが、それについては、いずれまた別の機会にでも書くことにします。

それはともかく、その日実際に起こったことといえば、結局のところ、軽い爆発音が一回したというだけで、それに比べて、大勢の人間が必死で逃げまどい、数分とはいえ、店のシャッターが軒並み下ろされて、聖地がゴーストタウンのようになってしまったのは、いかにも過剰な反応だったように思えます。

ただ、パニックの瞬間には、物事がこれからどうなるのか、誰にもはっきりとは分からなかったわけだし、何かのきっかけで人々が暴徒化するということも、あり得ないことではなかったのかもしれません。シャッターを閉めたみやげ物屋の人たちも、まさにそういう可能性を心配していたのでしょう。

万が一にもそんなことになったら、地元の住民だろうが、ツーリストだろうが、自分の財産と身の安全は、自分の力で守るしかありません。想定されるダメージはかなり大きく、それに自己責任で対応しなければならないとなると、甘い判断はできないし、まずは身の安全を最優先に行動せざるを得ません。

そのうえ、そのとき何が起きていたのか、実際に手に入る情報といえば、周囲の人々のとっている行動だけでした。事件現場を直接見た人はほんのわずかで、残りの人間は、目の前で逃げ惑う人々を見ただけで、自分のとるべき行動を瞬間的に選ぶしかありませんでした。

そう考えると、ほんのささいなきっかけで、人々が逃走するパニック群集と化してしまったのは、仕方ないことなのかもしれません。

それにしても、人々はパニックになっていたとはいえ、その動きには、どこか手馴れたところも感じられました。もう何度も同じ経験をしていて、やるべきことが分かっているというか、何も考えずに、とりあえずいつものように逃げておくというか……。

これはあくまで私の想像に過ぎないのですが、彼らのうちの「持たざる者」は、何かヤバそうなことが起きたら、現場から全力で逃げ出し、「持てる者」は、とにかく自分の財産を全力で守る、という行動パターンが、日々の生活を通じて体に染み込んでいて、そういうことが起きるたびに、自動的に行動のスイッチが入るようになっているのではないでしょうか。そして、いざそのスイッチが入れば、後はいちいち頭で考えるまでもなく、やるべき手順を淡々とこなしていくだけになっているのかもしれません。

その一連の行動は、ほとんど自動的で、本能的行動に近いものなので、大きな音に驚いて飛び立つ鳥の群れみたいに、ささいなことでムダに逃げ惑ったり、いちいちシャッターを閉めたりと、過剰なまでに臆病な行動をとらせてしまうのでしょう。

それでも、本人たちにとっては習慣なので、それを徒労だと思うこともないだろうし、むしろ何事もなかったときは、ああよかった、と安心して、起きたばかりの出来事がすみやかに記憶から消えていくだけのことなのかもしれません。

しかし、日本で生まれ育ったために、(テレビや映画を除けば)人々が必死で逃げ惑うシーンというものに免疫のなかった私には、それはきわめて異常な出来事として目に映ったし、ずっと記憶に残ることになりました。そして今回、日本から逃げ出す外国人のニュースをきっかけに、それを思い出したのです。

もちろん、ちょっとした「騒ぎ」に過ぎなかったインドの出来事と、今回の大震災とでは、事態のスケールも性質もまるきり違います。

それに、いま、日本人のほとんどは、あのときのインド人のように我先に逃げ出したり、店を閉めて暴動に備えたりすることもなく、冷静で落ち着いて今まで通りの生活を続けようとしており、日本から逃げ出したのは、たぶん、わずかな日本人と、一部の外国人だけです。

ただ、日本から脱出していった人々の行動を、軽率であるとか無責任だといって責めることは、少なくとも私にはできない気がします。

私がもし、海外旅行先で同じような事態に遭遇していたら、きっと彼らと同じ行動をとったはずです。

それに彼らは、私たち日本人や日本政府が何を考え、どんな情報を伝え、どんな行動をとるにしても、そうしたことから基本的には自由だし、私たちと「空気」を共有する義務もありません。

もしも、自分の身に危険を感じるようなことが起きたら、まずは自分自身の判断に従って、ひとまず安全と思える場所まで避難したいと思うのは自然なことだし、言葉の不自由な異国では、必要な情報を手に入れることもままならないことを考えると、なお一層、安全策をとっておきたいはずです。

いざというときに誰かを頼りにせず、自分の行動に自分で責任を持つことを前提にすると、最終的にどんな結論を出すにせよ、まずは自分が冷静に思考できる状態を確保しなければなりません。いま自分の置かれている状況が、それを許さないほど緊迫しているのだとしたら、まずはいったん大きく撤退して、ゆっくり判断できる避難先に落ち着き、そこで体勢を立て直す、そこまでは、とにかく自動的に逃走し続ける、というのは、それなりに合理的なことなのかもしれません。

もちろん、それは、ここ日本の中にさまざまな大切なものやしがらみを抱えていないという意味で、「持たざる者」である外国人に限った話です。

「持てる者」である私たちは、そう簡単に撤退を選ぶことなどできないし、自分にとって大切なものを何としてでも守り抜くしかありません。外国人であっても、日本国内に大切な何かを抱えている人は、私たちのように日本に踏みとどまるでしょう。

もっとも、何をどれだけ大事だと思うかは、人それぞれです。

外国人の目には、日本人は一様に沈着冷静で忍耐強く、秩序正しく見えているようですが、実際には、考えることも、言うことも、実際の行動もさまざまで、むしろこういうときこそ、日頃のタテマエの陰に隠れていた、各人の人柄や価値観が露わになっているといえるかもしれません……。


JUGEMテーマ:旅行 

at 20:43, 浪人, 地上の旅〜インド・南アジア

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ブッダガヤで除夜の鐘

長い旅をしていると、新年をどこの国のどんな街で、どんな風に迎えるかを考えることが、けっこう大きな楽しみになったりします。

というより、日本人にとっての正月のような、生活上の晴れやかで大きな節目を、長い放浪生活の中でどうやって作り出していくかというのは、実は、旅人にとってかなり切実な問題なのです。

気候も風土もさまざまな国々を渡り歩いているうちに、旅の日常からはどうしても季節感が失われてしまうし、旅が長くなると、初めての土地を訪れているにもかかわらず、新鮮な感動があまり感じられなくなってしまったりします。

そんなときは、メリハリのなくなった旅に刺激やアクセントを加えるために、旅のペースやルートを思い切って変えてみたり、いままでやったことのないことに挑戦してみたり、しばらく一つの街に落ち着いてみたりと、旅人はさまざまな工夫を試みるのですが、私の場合は、1月1日をどこで過ごすのかをあれこれ考え、その日に向かって自ら旅を盛り上げるように企画することが、そうした工夫の一つだったのかもしれません。

といっても、アジアでは、新暦の1月1日を盛大に祝うという習慣のない国が多いので、よほどの大都市でもなければ、現地の人と一緒にカウントダウンで盛り上がるようなことはできないでしょう。

だからこれは、自分の旅の節目をどう演出するかという、あくまで個人的な問題です。

自分としては、新年の初めをどんな土地で過ごすのがベストか、ガイドブックの情報、旅人からの情報、今までの経験などを総合し、いろいろと頭の中でシミュレーションしてみて、その土地に足を運び、実際に心に残るような一日を過ごせるかを試すという、一連のプロセス自体が楽しみだったのです。

もう何年も前、インドを旅していたときのこと、その年、私はバラナシ(ベナレス)でクリスマスを迎えました。

私はクリスチャンではないし、クリスマスに特に思い入れがあったわけではないのですが、たまたま宿泊していたゲストハウスのインド人オーナーが、宿泊客のためにささやかなクリスマスパーティーを企画してくれ、その日の夜はみんなで楽しく盛り上がりました。

バラナシは、治安の面でやや問題を感じるものの、その気になればいくらでも長居できそうな魅力的な街です。ゲストハウスも居心地がよかったし、急いでそこを出る必要はなかったのですが、私個人の気持ちとしては、新年をもっと静かで落ち着いた場所で迎えたいという思いがありました。

やっぱりブッダガヤかな……。

ブッダガヤ(ボドガヤ)は、バラナシからはそれほど遠くありません。お釈迦さまがさとりをひらいた歴史的な場所で、仏教徒にとっては最大の聖地です。

しかし、そこがどんな雰囲気の場所なのか、行ってみないことには全くわかりません。少なくともバラナシより田舎であることは確かですが、ブッダガヤも有名な観光地です。観光客の集まるところは、旅行者向けの便利な設備が整っていてそれなりに快適なのですが、街の人々がスレていることが多いので、行ってみたら「大ハズレ」という可能性もあります。

勝手知ったるバラナシに居続ければ、少なくともガッカリしながら元旦を過ごすという失敗はしなくてすみそうでしたが、新年まであと数日というところで、私は思い切って列車のチケットを買い、ブッダガヤに向かいました。

列車が6時間遅れたので、鉄道駅のあるガヤに着いたのは真夜中でした。駅前の安宿で朝まで仮眠をとり、乗り合いオートリキシャに乗ってブッダガヤを目指しました。

ガヤの街を出ると、すぐに周囲はのどかな田園風景になり、いかにもインドの田舎にやってきたという感じがします。しかし、ガタガタ道を揺られながら数十分、初めて見る聖地ブッダガヤは、想像以上ににぎやかでした。

後で知ったのですが、数日前までダライラマ法王が滞在されていたそうで、村はえんじ色の僧服をまとったチベット仏教のお坊さんたちでごった返していました。また、欧米人ツーリストやバックパッカーもかなりいるようです。

さらに、インド名物の怪しいみやげ物売りもそこらじゅうにいて、道を歩けば次々に日本語で声をかけてきます。

やはり、ここは典型的なインドの観光地でした。ちょっと考えてみれば、そんなことは始めから想像できたはずなのですが、ひなびた村で静かに元日を過ごそうなどという私の甘い期待は、早くも無残に打ち砕かれてしまったのでした。

それでも気を取り直し、村の中心にあるマハボディ寺院に参拝しました。何だかんだ言ってみても、やっぱりブッダガヤは昔から行ってみたい場所だったし、お釈迦さまがさとりをひらいたとされる場所にある菩提樹と金剛座を目にしたときには感動しました。

仏教はここから始まり、それから何百年もかけ、多くの人々の情熱によって日本にまで伝わったのかと思うと、さまざまな思いがこみ上げてきます。

境内には、数百人ものチベット僧が集まって祈願祭が行われている最中で、さらにその周囲には五体投地で祈る人々も大勢いて、壮観な眺めです。

夕方になると、参拝者が境内の至るところにロウソクを置いて、次々に火をともしていきます。暗闇に浮かび上がる大塔と無数の灯火が生み出す光景は、何とも美しく、幻想的でした。

大晦日の夜。

私は、年越しの瞬間を迎えるために、日本寺で行われる「除夜会」に向かいました。

日本寺では、ふだんは朝夕に本堂でお勤めがあり、そこで一般の人が座禅を組むこともできるのですが、その日は夜間も本堂が開放され、インド音楽の演奏会など、年越しの特別プログラムも組まれていました。

夜の11時になると、境内に集まった多くの人々に、年越しそばがふるまわれました。

といっても、大勢に少しずつ出されるものなので、腹一杯食べるというわけにはいかないし、正直なところ、「うまい!」と感激するほどの味ではありません。それでも、こうして異国の地で日本食をいただけるというのはありがたいものです。

日本を出て以来、そばなどというものは久しく食べていなかったので、日本での年越しを思い出しつつ、しみじみと味わいました。

食べ終わった頃に、除夜の鐘が鳴り始めました。集まっていた人々は、順番に鐘を撞かせてもらえます。

実は、私はブッダガヤの日本寺で、生まれて初めて除夜の鐘というものを撞きました。

100人以上にもなろうかという、国籍もさまざまな人々が、一人一回ずつ鐘を撞いていくのですが、たぶん私と同様、他の多くの人たちも、大きな鐘を撞くというのは生まれて初めてだったのではないでしょうか。

そこには、NHKの「ゆく年くる年」の映像のような、厳粛さで身の引き締まるような雰囲気はありませんでした。日本人や欧米人のバックパッカー、アジア各国からやって来た仏教徒やインド人など、大勢の人々が、遊園地のアトラクションでも楽しむようにキャッキャッと笑いながら、和気あいあいと、一人ずつ鐘撞きのパフォーマンスを演じていきます。

それは、108回ではとても収まらず、並んでいた全員が撞き終わるまで、除夜の鐘は延々と鳴り続けたのでした。

北インドの冬は、実はけっこう寒いので、みんなで境内の焚き火を囲んでいると、新年の瞬間がやってきました。

そこには、派手なカウントダウンもなければ、どんちゃん騒ぎもありません。集まった人々のあいだで、新年を祝うささやかな言葉が交わされ、和やかなムードが広がり、やがてその波が収まると、人々は静かに自分たちの宿へ帰っていきました。

私も寺を後にして、暗く静かな夜道を歩いていると、新しい一年が始まったんだという実感が、静かに湧いてきました。

考えてみれば、年越しの瞬間を他のにぎやかな場所ではなく、わざわざブッダガヤの日本寺みたいな場所で迎えようという旅人は、ある意味では私と同類で、静かにしみじみと、でも一人ではなく、みんなでどこかに集まって、一緒に新年を祝いたいと思っていたのかもしれません。

「除夜会」には、派手なアトラクションはないし、もちろん酒も入らないし、参加した人々が大いに盛り上がるという感じでもなかったのですが、さまざまな国からやってきた人々が、ただそこに一緒にいて、和やかに新年を祝う、とてもいいイベントだったように思います。

皆さんも、もしインドを旅行中に新年を迎えることになったら、いろいろな年越しプランの中に、ブッダガヤで過ごすという選択肢も加えてみてはいかがでしょうか?

もっとも、今年も日本寺で年越しそばが食べられるかどうかは分かりませんが……。


印度山日本寺ウェブサイト


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at 18:56, 浪人, 地上の旅〜インド・南アジア

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