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『大震災の後で人生について語るということ』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本は、いま日本社会を覆っている大きな不安の正体を、「人生設計のリスク」という観点から説明しようとするものです。

人生設計といっても、人によって、その意味するところはさまざまでしょうが、著者の橘玲氏は、人生の意味とか精神的な心構えといった抽象的な議論には踏み込まず、その経済的な側面にしぼって語っています。

本の前半では、戦後の日本人の人生設計を四つの神話が支配してきたこと、それに基づいた投資のポートフォリオが潜在的に大きなリスクをはらむものであったこと、そして、20年以上前のバブル崩壊以来、そうしたリスクが顕在化しつつあることが示されます。

四つの神話とは、

 ”堝飴鎖析叩 А〇ち家は賃貸より得だ
◆_饉區析叩 А‖腓な会社に就職して定年まで勤める
 円神話 : 日本人なら円資産を保有するのが安心だ
ぁ々餡反析叩 А…蠻後は年金で暮らせばいい

といった考え方のことですが、日本人の多くがこうした思考パターンに基づいて、自らの人的資本はひとつの会社だけに、金融資本はマイホームという不動産に集中投資してきました。これは、たしかに戦後の高度成長期には最も確実な投資戦略だったかもしれませんが、現状はもはやそうではありません。

 リスクを回避し、安定した人生を送るために、私たちは偏差値の高い大学に入って大きな会社に就職することを目指し、住宅ローンを組んでマイホームを買い、株や外貨には手を出さずひたすら円を貯め込み、老後の生活は国に頼ることを選んできたのです。しかし皮肉なことに、こうしたリスクを避ける選択がすべて、いまではリスクを極大化することになってしまいました。
 この事態は九七年の金融危機(あるいは九〇年のバブル崩壊)からはじまっていたのですが、多くの日本人は“不都合な真実”に顔をそむけ、3・11によってはじめて自らのリスクを目の前に突きつけられたのです。


そして橘氏は、97年のグローバルな経済危機以降、日本で中高年男性の自殺者が急増していることを指摘し、累計で10万人以上の死者を出すこの「見えない大災害」が起きたのは、戦後の経済成長に最適化された人生設計のリスクがあらわになったからだとしています。

彼の話はとてもシンプルで分かりやすく、私たちがいま感じている不安の正体について、ひとつの明解な解釈を与えてくれているように思います。そして、とても分かりやすいだけに、いま目の前にある問題の大きさと深刻さが見えてきて、戦慄を覚えずにはいられません。

本の後半では、以上を踏まえ、神話なきこの世界で、国家や会社のリスクから個人のリスクを少しでも切り離すための、いくつかのヒントが示されます。

橘氏は、人的資本に関しては、日本の大企業のような閉じられた「伽藍の世界」に適応しようとするよりも、自分の専門性を磨き、社外で通用するような汎用的な知識や技術を蓄積し、開かれた「バザールの世界」で通用する「評判」を獲得していくべきだとし、金融資本については、「経済的独立」とはいかないまでも、それを国家の経済的リスク(金利上昇・インフレ・円安)からできるだけ切り離すための、いくつかの具体的なアイデアを提示しています。

もっとも、幸か不幸か、私の場合は、必死で守るほどの資産など持ち合わせていないので、後半の内容を頭に入れても、それを生かせる機会はないのですが……。

ところで、この本に書かれているのは、個人の家計を支える経済的な基盤についての現状認識と、それを守るためのノウハウ、つまり、人生の経済的な側面についてだけです。

言うまでもなく、人生には他にも大切なことはいろいろあります。しかし、一方で、ある程度の経済的な裏づけがあって初めて、そうした大切なことを考える余裕も生まれてくるのだし、また、社会全体が経済的なリスクを極大化する方向に向かっているとするなら、せめて自分とその家族の生活だけでも守れるように、なんとか知恵をしぼりたいという気持ちはとてもよく分かります。

ただ、人生設計のポートフォリオをリスク分散型に組み換えるといっても、橘氏自身も、それがほとんどの日本人にとっては、たんなる「絵空事」にすぎないだろうということを認めています。

それに、そうしたリスク分散のおかげで、かりに一部の日本人が、近い将来襲ってくるかもしれない「想定外」の事態をうまくやり過ごすことができたとしても、それ以外のはるかに大勢の人間が深刻なダメージを受けるのだとしたら、自らの幸運を単純に喜ぶ気持ちにはなれないのではないでしょうか。

たしかに、この世界は残酷なのかもしれないし、そこで生きることに伴う避けようのないリスクを、各人がバラバラに引き受けるという選択肢もあるのでしょうが、社会全体として巨大なリスクに耐えうる仕組みが用意できるのなら、それに越したことはありません。

橘氏も、この本の最後の部分で、政治の側から取り組むべき点について、雇用の流動化など、いくつかの提言をしていますが、その実現の可能性については悲観的なようです。

私はやはり、各自が必死でサバイバルを模索するよりも、多くの人が知恵を出し合い、社会全体で困難を乗り切れるような方法を見出せないかと思うのですが、現実の政治を遠くから眺めているかぎりでは、それがあまりにも甘い考えだと言われても仕方がないのかもしれません……。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書

at 18:38, 浪人, 本の旅〜人間と社会

comments(0), trackbacks(0)

『減速して生きる ― ダウンシフターズ』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

本のサブタイトルにある「ダウンシフター(減速生活者)」とは、アメリカの経済学者ジュリエット・B・ショア氏の言葉で、「過度な消費主義から抜け出し、もっと余暇を持ち、スケジュールのバランスをとり、もっとゆっくりとしたペースで生活し、子どもともっと多くの時間を過ごし、もっと意義のある仕事をし、彼らのもっとも深い価値観にまさに合った日々を過ごすことを選んでいる」(J・B・ショア『浪費するアメリカ人』岩波書店)人々を表しているそうです。

この本の著者、盧箴〇瓩癲△泙気砲修里茲Δ弊験茲鮗ら選び取った一人です。本書には、彼自身が、深い悩みの中で新しい価値に気づき、それを実現していくまでの詳しいプロセスと、日々の実践や人々との交流を通じて紡ぎ出された、自給・自立・自由をめぐるシンプルな生活哲学が語られています。

盧篁瓩蓮大学卒業後、大手小売企業に就職し、仕事に追われる20代を過ごしました。しかし、稼いだお金で欲しかったモノを揃えてみても、生活に充実感はなく、バブル崩壊後の経済状況の中で過酷さを増す業界や仕事のあり方にも疑問を覚え、将来の自分の姿を思い描けずにいました。

彼は、30歳のときに会社を辞め、しばらく国内・海外を旅したあと、BARを開きたいという自分の夢を実現するために、友人の飲食店で働きながら料理の技術を覚え、4年後に小さなオーガニック・バーを開店します。

その小さなビジネスと、自分にとって充分な暮らしのレベルが持続可能となるためには、一日当たり5人のお客さんが来てくれれば大丈夫と計算した彼は、「繁盛しないこと」をポリシーにし、店の運営をすべて一人でこなすなど、余計なものをすべて省いた「ミニマム主義」を徹底することで、少ない売上でも黒字経営を続けてきました。

そのおかげで、お客さんに遠慮することも、あえて販促活動をすることも不要になり、提供する酒や料理から、店内のBGM、店の内装や運営のスタイルまで、すべてにわたって自分のこだわりや主張を反映させることが可能になりました。

やがて、彼の店にはユニークな人々が集まるようになり、人々のつながりが、さらに新しい動きを生み出していきます。盧篁瓩癲田んぼを借りて自ら米作りに取り組み、家族の食べる米を自給できるまでになったそうです。

彼のサクセスストーリーは、表面的には、「脱サラ」→ 飲食店経営という、ありがちな話の一つに過ぎないように見えるだろうし、もっと派手な金銭的成功を求める人の興味もひかないかもしれません。

しかし、そこには、常識として世の中で通用している価値観からの質的転換、むしろ、逆転といえるほどの大きな変化があります。そして、彼自身がその転換を自覚し、この本でそれをはっきりと語っていること、また、彼の店のスタイルも、生活上のさまざまな実践も、その一つひとつが社会に対するメッセージになっていることが、この本をとてもユニークなものにしています。

「お金をかける」ことよりも、「時間をかける」ことや、「手間隙かける」ことに、豊かさや楽しさの秘訣があると気づいた盧篁瓩蓮効率とスピードと利益を際限なく追求し、資源やエネルギーを浪費し、人々に大量消費を延々と繰り返させるような、巨大企業を頂点とした経済システムから意識的に距離を置いて、たとえ低収入であっても、個性や好きなことを活かし、それを生業にするような生活を組み立てていきます。

そして彼は、それを単なる個人的な実践だけで終わらせるつもりはなく、周りの人々がダウンシフターズとして仲間に加わり、地域に根ざして互いにつながり合うことで、社会は少しずつよりよい方向に変わっていくだろうし、それが、やがては持続可能な社会を作り上げていくのだという信念があるのです。

何よりも、彼自身の生き方を実例にすることで、読者にもそれが可能かもしれないという現実的な「希望」を抱かせてくれるのはすごいと思います。

世の中の変化を敏感に感じとり、いま、自分は何をすべきか、意識的・無意識的に考え、心の準備を整えつつある人にとっては、この本は、その背中を一押しして、自分の夢に向かって踏み出す勇気を与えてくれるかもしれません。

私個人としては、盧篁瓩この本で展開する主張すべてに同意するわけではないし、ダウンシフターとして生きることのメリットと、組織人として生きることのデメリットが、それぞれ強調されすぎているようにも思いますが、それでも、「減速して生きる」という彼のシンプルな生活哲学については、非常に強い共感を覚えました。

ところで、ここは誤解を招きやすいところだと思うので一応触れておきますが、盧篁瓩蓮何でもかんでもシステムから降りればいいとか、文明を否定して、昔のような自給自足の生活に戻ればいいと言っているわけではありません。彼自身も書いていることですが、半自給的で、ミニマム主義に基づいた、自立した生活の基盤に軸足をおきつつも、今の世の中に、半分くらいは関わりを保ち続けることが大事だと思います。

重要なのは、大きな組織とかシステムの都合に振り回されず、各々が自分の人生の主人公になって、生きがいや喜びにあふれた人生を送ることであるはずで、自給・自立・自由といった言葉そのものにこだわって、100パーセントの自給とか、完全な自立といったような純粋さを求めすぎると、かえって本末転倒になってしまうかもしれません。

そういう意味では、価値観の転換とか逆転の発想といっても、とにかく逆方向に突き進めばいいというものではなく、そこには自分自身の実感に基づいたバランス感覚が必要になってくるということなのだと思います。

話は少し変わりますが、「減速して生きる」という発想は、アジアなどをゆっくり時間をかけて旅する、いわゆるバックパッカーと呼ばれる人たちにとっても、ごく自然に受け入れられる考え方ではないかと思います。

私が旅をしていたときには、旅人同士のとりとめのない話の中で、日本に帰ったら、あるいは海外のどこかに居心地のいい場所を見つけて、ゲストハウスを経営してみたいとか、屋台や小さな食堂でもやってみたいという話がよく出ていたような気がします。

まあ、そのほとんどは、盧篁瓩里茲Δ蔽綣造雰弉茲任呂覆、ぼんやりとした夢想とか、冗談半分の思いつきにすぎなかっただろうとは思いますが、開発途上国のゆったりとした時間の流れになじみ、スローな生活の喜びを知ってしまうと、やはり、旅が終わったあとも、どうしたらそういう暮らしを続けられるだろうかと考えてしまうのでしょう。

ただ、そうした旅人も、自分の将来をもっと具体的に考える段階になれば、さまざまな現実の壁に直面することになります。

周囲の理解という点でも、世の中の仕組みという点でも、今の日本で、個人が自分のペースで生きていくことは、まだまだ簡単ではありません。いま、ダウンシフターとして生きる人たちは、そのパイオニアとして、やりがいと同時にさまざまな苦労も味わっているのではないでしょうか。

また、この本を読み終えた人の中には、自分が心からやりたいことはいったい何だろうと真剣に考え始めて、茫然としてしまう人がいるかもしれません。

たとえ収入は少なくても、自分の夢を自分のペースで実現できたら、たしかに幸せな生活を送れるでしょう。しかし、子どもの頃から周囲に合わせ、自己主張することも、やりたいことに打ち込む楽しみも遠慮して生きてきた人、親の期待とか、学校や社会の暗黙のルールに従うことをずっと優先してきた人は、突然、本当にやりたいことは何かと問われても、むしろ当惑してしまうでしょう。

それでも、やはり、自分の夢を少しずつ形にし、それを何とかして生業に結びつけていくこと、そして、そのために、本当に必要なものを絞り込み、もっとゆっくりとしたペースで生きることを選ぶのは、とても価値のあるチャレンジだと思います。

私も、ダウンシフターズの方々の実践から学びつつ、自分なりに模索を続けたいと思います。



本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書

at 19:22, 浪人, 本の旅〜人間と社会

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『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

ホームレスの人々がブルーシートや廃材で作り上げた路上の家に、「人間が本能的に建てようとする建築の世界」を見出し、そこに秘められた画期的なアイデアの数々をまとめたユニークな本、『TOKYO 0円ハウス0円生活』については、以前にこのブログでも紹介しましたが、この本は、その著者である坂口恭平氏が、豊かな「都市の幸」を利用して生きる路上生活の中にポジティブな可能性を見出し、それを「都市型狩猟採集生活」というコンセプトでまとめたものです。

内容としては、『TOKYO 0円ハウス0円生活』とかなり重複しているのですが、今回の作品は、家も仕事もカネもなく、着の身着のままでいきなり東京のまん中に放り出された人間が、まったくのゼロからいかに生きていくかという具体的なシミュレーションの形で話が進んでいくので、非常に分かりやすくなっています。

読み手としても、かりに自分が同じ境遇におかれたら、路上での新しい生活を受け入れることができるだろうかと、いろいろと自問しながら読めるだろうし、もしものときには、都市でのサバイバル・マニュアルとしても役立つかもしれません。

路上での生活は、まずは炊き出しに並び、まだ着られる服を拾ったり、配給でもらったり、自分用のダンボールハウスを組み立てることで、最低限の衣・食・住を確保することから始まります。やがて、生活を共にする仲間が生まれ、路上生活の師匠としてさまざまなノウハウを伝授してくれる人物にも出会うことになるでしょう。

とりあえずそれだけでも、何とか命をつないでいくことは可能です。この本を読む人は、東京のような大都市の場合、いざとなっても飢える心配はないという事実を知って、驚くかもしれません。

ただ、この本で坂口氏のいう「都市型狩猟採集生活」とは、炊き出しなどの援助に頼る受け身の生活よりも、もっと積極的なもので、最終的な目標は、自らの頭で考え、独自の生活や仕事をつくり出していくことにあります。

路上生活にある程度慣れたら、周辺をくまなく歩き、都市を注意深く観察することで、よりよい食事や生活の楽しみ、さらにはささやかな現金収入の道さえ見つけることができます。大都会では、日々膨大な廃棄物が生み出されていますが、ほとんどの人にとって、それは単なるゴミに過ぎなくても、路上生活者には、その多くが豊かな資源として目に映ります。

この本では、そうした「都市の幸」をお金に変えるいくつかの方法も紹介されています。そのほとんどは、かなり地道な作業を伴いますが、自分なりに工夫を重ね、そうした仕事を続けていくうちに、それはやがて、自分の才能や生活スタイルに合った「生業」に発展していくかもしれません。

一方で、路上の家も、単純なダンボールハウスから、廃材やブルーシートを使ったより堅固で快適なものへと、自由に建て直したり、改造したりすることができます。

こうした路上や河川敷の手作りの家は、家に関する私たちの固定観念を根本から覆すパワーを秘めています。それは、家を建てるのは専門家に任せるべきだという観念や、家は非常に頑丈でなければならないという観念、あるいは、土地所有に関する観念や、電気・ガス・水道などのインフラに関する観念を次々に揺るがします。

私たちは、何もない状態で都会のど真ん中に放り出されたら、絶対に生きていけないのではないかと思いがちですが、この本を読めば、それが可能であるばかりか、むしろそれは、生活の安定のための仕事とか、人生設計とか、何十年ものローンと引き換えの持ち家のようなものに煩わされず、自分の生活を自由に創造できる、可能性に満ちた状態なのではないかという気さえしてくるかもしれません。

坂口氏によれば、路上生活者は、都市の中で唯一、自力で「家」や「仕事」を、つまりは「生活」を発明しながら生きている、原初的な生命力を失っていない人々なのです。

実際、この本に出てくる人たちはみな魅力的です。たとえば、隅田川で暮らす都市型狩猟採集生活の達人「隅田川のエジソン」(鈴木さん)や、多摩川の河川敷で、発電機で電気を確保し、雨水を利用し、都市のインフラから独立した暮らしを実践している「多摩川のロビンソン・クルーソー」や、金を一切持たず、ダンボールハウスすらなく、与えられるわずかな食事だけで超然として生きている「代々木公園の禅僧」などなど……。

ただ、やはり気になるのは、この本が、路上生活のいい面だけを強調しすぎているのではないかということです。世の中の大多数の人々は、できれば、あるいは絶対にそういう生活をしたくないと思い、そのために辛い仕事にも必死に耐えて生きているわけで、そこに多少の思い込みはあるにしても、そう思うことにはやはり、それだけの理由があるように思うのです。

そして、この本で「都市型狩猟採集生活」を賞賛する坂口氏にしても、それを日々実践しているわけではないし、この本の内容も、知り合った路上生活者から聞いた話がもとになっています。もしも、彼自身が長年にわたって路上生活を経験し、実際の体験から紡ぎだした生活哲学を披露したのであれば、そこにはもっと強力な説得力があったのではないかという気がします。

それに、「都市型狩猟採集生活」が成り立つのも、「都市の幸」を豊かに生みだす大量消費社会があってこそだし、それぞれの都市の路上生活者の数とその生活のクオリティは、都市の豊かさと密接に関連しているはずです。

何らかの理由で都市の景気が悪くなったり、浪費を見直す動きが起きて、節約やリサイクルが活発になれば、都市の幸に頼る人々の生活は厳しくなるでしょう。

また、いわゆる開発途上国においても、都市の廃棄物を生活の糧として暮らす人が大勢いるわけですが、そこではそうした人々のあいだで、日本では考えられないほどの厳しい競争があるはずです。

ミもフタもない言い方をするなら、日本の場合は、まだまだ使えるモノをゴミとして捨てて省みないだけの豊かさと、ゴミを求める人間同士の競争がそれほど熾烈でないからこそ、ある程度文化的な「都市型狩猟採集生活」が可能になっているのかもしれません。

現在の東京で、公園や河川敷での生活が黙認されているのも、路上生活者の数がまだ許容範囲内に収まっているからこそで、もしも路上生活者が急増し、それに伴うさまざまな問題が発生すれば、当然規制は厳しくなるだろうし、そうした生活をする人間を社会から排除しようとする動きも強まるかもしれません。

いずれにしても、「都市の幸」をあてにして暮らせるのは、常に社会のごく一部の人々に限られるわけで、だとすれば、かりに何らかのポジティブな可能性がそこにあるとしても、「都市型狩猟採集生活」が、現実に多くの人々を惹きつけることはあり得ないのでしょう。

さらにつけ加えれば、やはり子どものいるファミリーとか若い女性については、そういう生活はほとんど不可能か、かなり厳しいことになりそうです。

ちょっと、批判的なことを書きすぎてしまったかもしれません。

それでも、世の中の常識的なモノの見方をなんとなく受け入れるのではなく、たとえばこの本の路上生活者のような、まったく違う視点から自分の周りの世界を眺める方法を身につけることで、あえて世の中を変えたりしなくても、目の前に全く新しい世界が開けてくるし、そこに各自が自由に創造性を発揮する余地もあるという坂口氏のメッセージは、とても重要だと思います。

今の世の中の閉塞状況を受けて、私たちはつい、問題だらけの社会システムを根本的に変えたり、全く新しいタイプの優秀なリーダーを求めたり、みんなが一斉に考え方を改めたりしなければならないのだと考えてしまいがちですが、本当にそうしようとすれば、社会全体でものすごいエネルギーが必要です。

もしかすると、そういう大変化を求める必要などなく、気がついた人から、それぞれ気軽に始められることがたくさんあるのかもしれません。そして、今の自分の生活を見直し、とりあえず自分に何ができそうかを考え、行動に移すうえで、この本は、荒削りですが、さまざまなヒントに満ちている気がします。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書

at 19:22, 浪人, 本の旅〜人間と社会

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