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『インドなんてもう絶対に行くか!! なますてっ!』

Kindle版はこちら

 

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

 

インドを旅するバックパッカーが、インドとインド人にひたすらツッコミを入れまくる、『インドなんて二度と行くか!ボケ!! …でもまた行きたいかも』で、旅行記の新しい世界を切り開いたさくら剛氏の、インド旅行記第2弾がこの本です。

今回のさくら氏は、アフリカからユーラシア大陸に入って西から東へ横断し、中国をめざす長い旅の途中で、3年ぶりに再びインドに入国します。

彼は前回の体験に懲りて、旅行者を騙しボッたくるインドの小悪人を避けるため、いい人が比較的多いとうわさの南インドを回るはずだったのですが、いつの間にかデリー、ジャイプル、バラナシといった、旅行者に悪名高い北インドの街に再び入り込んでしまい、なぜか前回と同じ絨毯屋に連れていかれたり、見覚えのあるインチキ占い師のもとを訪ねたりして、相も変わらずインド人たちとの激しいバトルを展開します。

今回は一応、南のムンバイやゴアにも足をのばしたり、あのカオスの祭り「ホーリー」をデリーで迎えたり、ブッダガヤに足を運んだりと、行き先や体験の内容に多少の変化も見られるのですが、彼の行動パターンや旅行記の文体は、前回の旅とそっくりです。
ウィキペディア 「ホーリー祭」

それをワンパターンやマンネリとみる人もいるでしょうが、私個人としては、ツッコミ旅行記というスタイル自体はエンターテインメントとして独特の完成度に達しているし、著者と笑いのセンスが合う人ならば、大いに楽しんで読めると思います。

ところで、このお笑い旅行記を読んでいて、ふと思い出したことがありました。

日本に存在する巨大仏を訪ね歩いた異色の旅行記、『晴れた日は巨大仏を見に』の中で、著者の宮田珠己氏が次のようなことを書いています。

かつて、大仏というものは、救済としての仏教の象徴としてありがたく参拝する対象だったのですが、それはやがて時代の移り変わりとともに、巨大構造物を見上げるスペクタクル感を楽しむものへ、さらには人々から見向きもされなくなり、むしろ巨大なだけのその存在の無意味さによって失笑されるものへと変わっていきました。

宮田氏は、その歴史をふり返った上で、巨大仏が社会から期待される役割が、「救い→驚き→笑い」というように変化したと鋭く指摘しているのですが、インド旅行記にも、似たような傾向が見られるような気がします。

かつて、日本から遠く離れたインドの土を直接踏むことは、選ばれたごく一部の人間にしか許されない特権でした。当然、その旅の記録は、そこに行けない人々にとっては貴重な情報源であり、ありがたいお話でも拝聴するつもりで旅行記をひもといた時代があったはずです。

やがて、より多くの人間がインドを訪れるようになると、ただインドに行ったという事実だけでは読んでもらえなくなり、インドという異文化に触れた驚きなど、その内容の深さや衝撃度によって読まれる時代がやってきます。

しかし、格安航空券が普及し、充実したガイドブックが出回り、現地の受け入れ態勢も整備されて、さらに多くの旅人が自由にインドを動き回れるようになると、もはや珍しい体験とかスペクタクルな光景の紹介だけでは、旅行記を読んでもらえなくなります。

この本に限らず、今やインド旅行記は、インドに対する著者のリアクションの面白さ、それも、読者を楽しませるエンターテインメントとしての面白さがないと、手にとってもらえない時代に入っているのかもしれません。

人々にとって、自分の人生の限られた持ち時間の使い方として、あえてインド旅行記を読むという選択をする意味は次第に失われつつあり、そしてそれは、インドだけの話ではなく、海外旅行記そのものが、同じような道をたどっている気がします。

ただ、旅行記のありがたみが薄れつつある(ように見える)としても、それは、実際に旅をする意義がなくなったことを意味するわけではありません。むしろ、誰もがその気になりさえすれば、地球上のほぼあらゆる場所を旅することができる時代だからこそ、人の書いた旅行記を読む以上に、自分が実際に現地に行ったり、そこで何かを感じることには大いに意味があるのではないかと思います。

だとすれば、それがお笑いであろうと何であろうと、誰かがこうした本を読んで、自分も旅に出てみたいと思うきっかけになるなら、それは現代の旅行記として、十分に役目を果たしていることになるのかもしれません。

ただし、これは言うまでもないことですが、インドには、この本に登場するような愛すべき小悪人だけしかいないわけではありません。どこの国でもそうですが、インドにもまた、もっと深い闇の世界は存在するし、旅行者が巻き込まれるトラブルにしても、いつも笑って済ませられるものばかりではないはずです。

それでも、実際にインドを旅してみたいと思われた方には、あの『深夜特急』の著者、沢木耕太郎氏にならって、以下の言葉を贈りたいと思います。

「気をつけて、でも恐れずに」……。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書

 

 

at 18:47, 浪人, 本の旅〜インド・南アジア

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『インド人の頭ん中』

 

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

この本は、ふとしたきっかけでインドのデリーに移り住み、そこで4年間一人暮らしをした女性が、日々遭遇した仰天するような出来事と激しいカルチャーショックの数々を、ユーモラスに描いたエッセイです。

著者の冬野花氏は、住む部屋を自分一人で探すことから始まって、次から次へと果てしなく襲いかかる生活上のトラブルに対処していくのですが、それはまさにインドとの闘いでした。

夏のインドの猛烈な暑さはいうまでもなく、日常的な停電・断水、日本食はおろか牛肉・豚肉・酒類さえなかなか手に入らない食生活、日本的な気配り・繊細さ・時間の正確さとは正反対のインド的スタンダード、カースト制度のしがらみから生み出される信じられないようなインド人の思考・行動パターン、さらには、女性だというだけで差別的な扱いを受けたり行動の自由を奪われてしまう現状……。

それでも、彼女はヒンディー語を覚え、カルチャーショックを乗り越えて、自分のささやかな暮らしを確立していきます。

ちなみに、似たような困難は、インドに赴任する日本企業の駐在員もみな経験しています。その詳細は、以前にこのブログでも紹介した、山田和氏の『21世紀のインド人』に描かれているのですが、駐在員については、会社から物心両面のサポートを受けられるだけまだマシかもしれません。

冬野氏の場合は、インドに関する予備知識もなければ何のツテもなく、女性の一人暮らしであるうえに、あのデリーです。インドを個人旅行した方ならご存知でしょうが、デリーは旅人にとっては鬼門ともいえる街で、バックパッカーが巻き込まれるトラブルの多さと街の印象の悪さではかなり有名なところです。私も、よほどの必要にでも迫られない限り、デリーに長居をしようとは思いません。

彼女がそれを知った上で、あえてデリーを選んだのかどうかは分かりませんが、いずれにしても、そこで長期間生活をするというのは、それだけで、日本人にとって最高難度のチャレンジの一つなのではないかという気がします。

それでも、冬野氏は必要以上にシリアスになることもなく、また、インドの歴史とか政治・経済の小難しい話などは一切なしに、あくまで一人の生活者の具体的な体験を例に挙げながら、ドタバタ劇には事欠かないインドの生活と、ツッコミどころ満載のインド人の不思議な生態を、歯切れよくユーモラスに描いています。

ただ、ときどきあまりにも言葉の選び方が率直すぎて、読んでいてハラハラするところもありますが……。

私は旅人としてインドを回っただけですが、この本には、私自身がインドで感じたり考えたりしたことと重なる部分があちこちにあって、深く共感を覚えました。

インドのユニークな生活文化の話を始めとして、値段交渉の話や、交通機関の話、さらにはインド人に対する怒りについてなど、インドに住んだり旅したりしたことのある人なら、けっこうおなじみのテーマも多く、また、インド人に対する著者のツッコミの数々に、大いに溜飲を下げる方もおられるのではないでしょうか。もちろん、インドに行ったことのない人でも気軽に楽しめる内容になっています。

それにしても、このエッセイは、一見したところ思いつきで書かれているようでいて、インドの社会やインド人について、けっこう鋭く本質を突いているように思われるところもあります。

これは、冬野氏の才能というべきなのでしょうか、それとも、インドで何度も何度も痛い目に遭い、度重なる怒りに耐え続けた人間は、誰もが精神をすっかり鍛えられ、哲学的になり、インドに対する深い理解に到達するということなのでしょうか……。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
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at 18:36, 浪人, 本の旅〜インド・南アジア

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『わけいっても、わけいっても、インド』

Kindle版はこちら

 

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

 

この本は、バックパッカー向けの旅行専門誌『旅行人』の主宰者で、作家・グラフィックデザイナーの蔵前仁一氏によるインド旅行記です。

蔵前氏はこれまでにも、『新ゴーゴー・インド』など、インドの旅を描いた楽しい著作があるのですが、今回の旅は、インドの先住民アディヴァシーの文化がテーマです。蔵前夫妻は、アディヴァシーの素朴で美しい絵画を求めて、観光客のほとんど訪れないインドの僻地へと分け入っていきます。

第1章は、ミティラー画を求めて、ビハール州のマドゥバニ周辺をめぐる旅(2004年)。
ウィキペディア 「ミティラー画」

第2章は、ラトワ族によるピトラ画(チョタ・ウダイプル周辺)を探し、ついでにグジャラート州の見どころをまわる旅(2007年)。

第3章は、ワルリー族の壁画ワルリー画(マハーラーシュトラ州タラサリ)や、ゴンド族のゴンド画(マディア・プラデシュ州など)、ラジワールというカーストの、日本の鏝絵に似たクレイ・ワークの美しい家(チャッティースガル州アンビカプル周辺)などを求めて、西のムンバイから東のプリーまで、インド亜大陸を横断する旅(2009年)。

インドの民俗画のほかにも、二人は各地の織物・刺繍・染物や、真鍮細工・陶芸などの工芸品、さらには古今の建築まで、幅広く目配りしながら旅をしています。非常に盛りだくさんでにぎやかなカラー写真から、そうしたインドの美の世界や、旅先の風景が生き生きと伝わってきます。

また、旅のエピソードとともに、鉄道・バスの便や所要時間、それぞれの街の雰囲気やホテルの質など、バックパッカーの視点に立った簡潔で的確な旅情報も示されているので、実際に旅をしようと思う人にも参考になると思います。

でも、読んでいていちばん面白いのは、やはり、旅先で出会う人々とのやりとりを描いた場面でしょう。この本にも、親切だけれど少々おせっかいで、お茶目なインド人が多数登場します。

さすがに蔵前氏はインドとのつき合いが長いだけあって、彼らへの応対は手慣れたもので、彼らを全面的に信用するわけではなく、かといって疑い深い目で見ているわけでもなく、相手との距離の取り方が絶妙です。そして、そこにはインドやインド人に対する温かいまなざしが感じられます。

また、この本には、自分なりのテーマを見つけ、オリジナルの旅を組み立てていく楽しさがあふれています。ガイドブックやインターネットでは情報が手に入らないような土地を、手探りで旅するのには不安もあるだろうし、さまざまな困難にも遭遇するはずですが、だからこそ筋書きの見えない面白さもあります。

実際、この本を読めば、現地の言葉を流暢に話せなくても、学者や専門家でなくても、個人として可能な限りの準備をし、旅人としての注意やマナーを守った上であれば、地球のどこでも自由に旅することができるのだということに、改めて気づかされるのではないでしょうか。

ただ、多くの人にとっては、インド先住民のアートというこの本のテーマは、かなり地味に感じられるかもしれません。そういう意味では、インドをすでに何度か旅した方や、インドについて、ある程度の予備知識をもった方にお勧めしたいと思います。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
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at 19:01, 浪人, 本の旅〜インド・南アジア

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『21世紀のインド人 ― カーストvs世界経済』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

1991年の経済改革を機に自由化へと大きく舵を切って十数年、インドは今、新興のIT大国として世界の注目を浴び、将来の超巨大市場への思惑から、外資も競うようにインド市場へと参入しつつあります。

一方で、インドに赴任してインド人の部下や使用人を抱えたり、海千山千のインド商人を相手にビジネス交渉をすることが、実は激烈なカルチャー・ショックを伴う苛酷な体験であることは、実際にそれを経験した本人と、その周囲のごく少数の人にしか知られていなかったりします。

著者の山田和氏は、これまで数十年にわたって何度もインドを旅し、インド人との付き合いも長く、インドの見せる「裏」の姿も身をもって体験してきた人物です。

山田氏はこの本の中で、豊富な実例を挙げながら、表面的なインドブームの影で苦闘を続ける外国人ビジネスマンの姿を伝えるとともに、私たちとは全く異質なインドの社会やインド人について、その「負」の面をも含めた実像を描き出し、異質な文化がぶつかり合うとはどういうものなのか、その一端を私たちに教えてくれます。

欧米や日本を基準に考えれば、ハード面・ソフト面でのインフラの未整備など、インドのビジネス環境が発展途上にあることは言うまでもありません。しかしそれ以前の問題として、インドは1ドルで仕入れたものを100ドルで売るような「シルクロード商法」がいまだにまかり通る世界であり、そこでビジネスをするということは、儲けのためには手段を選ばない、一癖も二癖もあるタフな商売人たちと日々交渉しなければならないことを意味します。    

そして、それに加えて、社会の上から下まで蔓延したリベート(賄賂)文化、強固な一族郎党主義、今でも厳然と存在するカーストに基づいた社員の差別的な採用・処遇、やる気はなく融通もきかないのに権利意識だけは旺盛なインド人社員たち……。

こうした問題は、いわゆる開発途上国でのビジネスにはつきものなのかもしれませんが、インドの場合はその深刻度がケタ外れのようです。

インドは準英語圏の国ということもあって、そこでは一見英米流の発想が通用するように見えるし、インド人も表面的には国際人として振る舞おうとします。しかし実際には、カースト制を始めとするインド社会の論理にどっぷりと浸かった彼らの行動基準は非常に「ドメスティック」で、その表と裏の大きな矛盾の皺寄せは、インドに駐在し、そこで日々彼らと接する外国人ビジネスマンたちの上に耐えがたいストレスとなって降りかかってくるのです。

特に、この本の第四章、「インド駐在員の日常……インド人社員、使用人とどうつき合うか」には、インドに単身赴任した日本人商社マンがインド人の使用人たちと繰り広げた波瀾万丈のバトルとその結末が詳しく描かれていますが、この部分だけでも一読の価値があると思います。

その生々しい体験談は、日本的な感覚からすればあまりにも現実離れしていて、どこかコミカルにすら感じられるほどですが、現実にそうした状況に巻き込まれた人間の方はたまったものではないでしょう。駐在員は、油断も隙もない昼間のビジネスで疲弊するだけでなく、リラックスできるはずの我が家に帰ってもインドの現実から逃れることができず、休暇で別の国にでも脱出しないかぎり心休まることがないのです。

この本には、インドの実状について非常に辛辣なことが書かれているし、実例の方も唖然・仰天するようなものばかりで、読んでいるだけでもため息が出てきます。しかし、山田氏はインドが憎くてこんな本を書いたわけではなく、もちろん、インドのいいところもそれなりにフォローはしています。

何だかんだと言ってみても、やはり山田氏も、インドとインド人を深く愛しているのです。「まず忌憚なく欠点を指摘し、そのあと褒めたり勇気づけたりするのは、困難な論理の国に関わっている立場の人間に必ず見られる愛と苦悩の表現」なのです。

そして、こうした本を書いた理由について、山田氏は次のように述べています。

 インドで苦労し、「負」の実像を知った者こそがインドと真につき合うことができることは自明のことであるのに、インドを知る多くの者は魅力の部分しか語らず、「負」の情報を排除する。日本のマスコミはインドの魅力ばかりを書き立て、どのような文化的差異や困難があるかを語らない。またそれらの分析も載せない。これでは広告紙面と同じで、実際多くのインド特集記事は、インドIT産業の明るい未来とともにインド首相や副首相や商業相や工業相の宣伝的コメントを併載し、あたかもこのような紙面作りが日印の明るい未来を築くと言わんばかりなのには呆れる。新聞は幸福のお手伝いをしているつもりかもしれないが、それは相手の美点ばかりを挙げ、問題点を一切伝えずに縁談を進める仲人の無責任さと同じである。相互にインターナショナルをめざすとすれば、互いに「負」の情報を蓄積し分析し、それがたんなる「負」ではなく異文化であることを知ることが重要であり、今の私たちにはそれが最も必要なことである。


インドを旅した経験があるなど、ある程度インドのことを知る人なら、自分の体験に照らしつつこの本を読めば、いろいろと腑に落ちることがあるだろうし、あるいは今まで知らなかったインドの別の一面に気づかされることもあるのではないでしょうか。

この本が出版されてからすでに数年が経ちました。その間に、インドをめぐる状況も刻々と変化しているはずですが、インド人に限らず、人間の思考パターンや生活習慣というものが一朝一夕には変わらないことを考えれば、この本に書かれている基本的なポイントは、今でもそのまま当てはまるのではないかと思います。

ビジネス等を通じてインドに深く関わる立場にある方、特にこれから駐在員としてインドに赴任する方なら、大いに読む価値があると思います。


本の評価基準

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at 19:11, 浪人, 本の旅〜インド・南アジア

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『黄泉の犬』

文庫版はこちら

 

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります


年明け早々、ヘビーな本を読んでしまいました。

『黄泉の犬』という本のタイトルや、おどろおどろしい表紙の雰囲気にたがわず、内容もかなり強烈です。

1995年、日本を揺るがした地下鉄サリン事件とその後の騒動が続いていた頃、藤原氏はオウム真理教の麻原彰光こと松本智津夫の生い立ちを知るべく、彼の生まれ故郷である熊本県八代へ向かいます。

そこで彼は、松本智津夫の目の疾病が水俣の水銀毒によるものだったのではないかという奇妙な想念にとらわれ、東京に戻ってから、それを検証しようと試みます。そんなとき、藤原氏は麻原の実兄を知るという人物と偶然に出会い、その紹介で、ついに大阪のある街に身を潜めていた実兄との会見を果たします。

藤原氏はその場で、実兄から驚くべき証言を得ることになるのですが、さまざまな事情から、記事を連載していた週刊誌上でそれを公表することを断念せざるを得ませんでした。

「第一章 メビウスの海」では、1995年当時、公にできなかったその証言の内容が初めて明かされています。この本を手にとる人の多くは、きっとこの部分に最も関心があるのではないでしょうか。麻原彰光の生い立ちの秘密というセンセーショナルなテーマに触れているからです。それに加えて、藤原氏が麻原の実兄と打ち解けていく場面は迫真の描写で、読みごたえもあります。

しかしこれは、あくまで重要な当事者による一つの証言に過ぎず、多くの規制やタブーに阻まれたこともあってか、この本ではそれ以上の検証が進まないままに終わっています。これまでの歴史的な事件がそうであるように、オウム真理教の事件に関しても、もう少しはっきりとした事実が明らかになるためには、さらなる時間が必要なのかもしれません。

第二章以降は、藤原氏が当初、雑誌連載にあたって構想していた展開に戻り、オウム事件をきっかけに藤原氏の心に甦った、若い頃のインドの旅が語られています。

ガンジス河岸の街パトナで、火葬をひたすら見続けた日々。アラハバードで、人の死体を喰らう野犬を撮影しているとき、襲いかかる野犬の群れと決死の睨み合いになった体験。そして、その極限状況で彼の意識に現れた奇妙な感覚(第二章 黄泉の犬)。

プシュカルで、年老いたヨギから理由も告げられずに聖衣を渡され、後になって、その聖衣のもつ意味をめぐってその後の身の振り方を迷い抜いた体験(第三章 ある聖衣の漂泊)。

マナリで、空中浮遊をするといって弟子を集めていた怪しげな若いフランス人「グル」と対決した話。そしてリシケシュのアシュラムで見た、欲にまみれた「聖者」たちと、それに群がるインド人や欧米人の金持ち連中(第四章 ヒマラヤのハリウッド)。

ラダックで、地獄の幻覚にさいなまれ、錯乱状態になって荒野にさまよい出てしまった日本人青年を呼び戻そうと後を追った話(第五章 地獄基調音)。

ここで回顧されているのは、今から何十年も前の1960年代後半や70年代に藤原氏がインドで体験した出来事や、そこで出会った奇妙な旅人たちのことなのですが、それが90年代にマスメディアをにぎわした、オウム真理教をめぐる異様な光景と、気味の悪いほどにオーバーラップしてきます。

90年代に多くの人が知るところとなった若者たちの逸脱の萌芽は、70年代にインドを旅する人々の間に、すでに現れていたのです。

生と死に関わる生々しいリアリティの隠蔽や管理社会化の進行しつつある、日本や欧米のいわゆる「先進国」で、自分の存在が希薄になっていくような危機感を抱き、何かを求めて、インドのようなリアルに満ちた世界に足を踏み入れていく若者たちに、藤原氏は共感を覚えながらも、その一方で、心の弱さのためにインドの厳しいリアリティに向き合うことができず、個人的な妄想に逃げ込んだり、さまざまな既成宗教の枠組みにはまり込んでしまったりする「もろい旅行者」の姿に、彼は若者の旅の脆弱化や危険を見ているのです。

もっとも、現代日本の消費社会の豊かさを謳歌する多数派の人々は、インドを放浪したりはしないわけで、彼らからすれば、インドというのは、(ビジネスを除けば)自分とは関係のない、遠い世界にしか見えないのかもしれないし、藤原氏がインドで経験したようなことも、ただ目を背けたくなるような、特殊でおどろおどろしい別世界の出来事に過ぎないのかもしれません。

しかし、バックパッカーとしてインドを旅したことのある人や、放浪の長い旅をした経験のある人なら、藤原氏ほど強烈でなくても、多かれ少なかれ同じようなことを体験しているはずだし、この本を読み進めていくほどに、改めて自らの旅と重ね合わせて、大いに身につまされるものがあるはずです。

藤原氏の言葉は、例によってあまりにも直截的で容赦がないので、きっとあらぬ誤解も受けやすいだろうし、彼のメッセージが今の日本社会においてどれだけの人々の心に届くかのは分かりません。それに私自身も、藤原氏の放つ強烈なフレーズや独特のロジックにすべて共感できるわけではありません。

ただ、この本を読んで、少なくとも彼は、オウム真理教の事件やそれを生み出した社会的な背景について、何かを語るのに最もふさわしい人物の一人であると改めて感じました。


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at 19:12, 浪人, 本の旅〜インド・南アジア

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『インドの大道商人』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本の「大道商人」とは、店舗を持たず、わずかな商品や素朴な技術だけを売り物に、人通りの多い路上に座り込んで、ささやかな商売をしつつ日々を暮らす庶民のことです。

野菜売り、果物売り、揚げ物屋、お茶売り、ジュース売り、水売り、薬売り、装身具売り、笛売り、仕立屋、洗濯屋、床屋、耳掻き、靴磨き、歯医者、両替商、代書屋、辻写真師、占い師、曲芸師、蛇つかい、力車夫、工事人夫……。

どこにでも見られるようなポピュラーな商売に始まって、各種のサービス、エンターテインメントや医療行為まで、庶民の日常生活に関わるあらゆるニーズが、路上の超零細商人・職人たちによって担われています。

インドを旅する人なら、彼らの姿を毎日飽きるほど目にするはずですが、大道商人たちの姿に注目し、ここまで徹底して取材した本は、これまで存在しなかったのではないでしょうか。

著者の山田和氏は、インド北西部のラジャスタン州や首都デリーを中心に、十年以上にわたって約300人の大道商人に取材をしたといいます。この本では、その中から100あまりの商人の姿が、美しい写真とともに紹介されています。

めずらしいところでは、体重計一つで商売する体重測定屋とか、歯ブラシになる木の枝を売る商人、ゴムぞうりの鼻緒だけを売っている鼻緒売り、持ち運び式の子供用観覧車を人力で回す遊覧車屋、なんていうものまであります。

写真を見ていると、インドの街の喧騒と混沌を生み出している人々が、一人ひとりスポットライトを当てられ、クローズアップされていくような感じがします。そして、現地を歩く旅人でさえつい見逃してしまうような彼らの姿を改めて眺めていると、一人ひとりの大道商人がつくり上げ、支えているささやかな小宇宙の数々が見えてくるような気がします。

写真の中の大道商人たちは、もちろん、埃や汚れにまみれています。豊かで潔癖になった日本人の中には、彼らの姿に、みすぼらしさや不潔さしか見出せない人もいるかもしれません。

しかし、最初のそうした表面的な感覚をやり過ごし、黙って写真を眺めているうちに、彼らの中にある、したたかな逞しさ、素朴で力強い美しさのようなものが伝わってくるのではないでしょうか。

大道商人たちと真剣に向き合い、丁寧な取材を続けた山田氏の姿勢には、「大地の民」である彼らの存在に対する深い敬意が感じられます。

ちなみに、山田氏の取材にあたってのポリシーや取材方法、旅の装備などについては、「第三章 インタヴュー事始」で詳しく触れられています。また、大道商人たちの心を体験的に理解するために、自ら路上に座り、日本から持参したある商品を売ってみたという、楽しいエピソードも描かれています。

ところで、この本のための取材は今から20〜30年前のことで、本文中に書かれているインドの物価水準やルピーの対円レートは、現在では大きく異なっています。また、インドの社会自体も、世界全体を巻き込むグローバリゼーションの中で激しく変化しつつあります。

近代化と経済発展をなしとげた日本において、大道商人が激減してしまったように、山田氏が写し取った人々の姿も、近い将来、もしかすると、インドに関する歴史的な資料になってしまう日がくるのかもしれません。

もちろん、少なくとも当分の間は、インドの街角に満ちている喧騒と混沌のパワーは健在のはずだし、人なつっこいというより、しつこいインドの商売人たちと旅人との激しいバトルも、当面なくなることはないのでしょうが……。

ただ、この本の中に写し取られている、ウソのない自然そのもののような、ありのままのインドの人々の姿を目に焼きつけておきたいという人は、できるだけ早いうちにインドを旅しておいたほうがいいのかもしれません。


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at 18:35, 浪人, 本の旅〜インド・南アジア

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『ネパール王制解体 ― 国王と民衆の確執が生んだマオイスト』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

国王夫妻を含む王族10人が犠牲となり、世界を震撼させた2001年のナラヤンヒティ王宮事件、マオイストの武装闘争による治安の悪化、多数のカトマンズ市民が街頭に繰り出してギャネンドラ国王の絶対王政を終わらせた2006年の「四月革命」……。ネパールではここ数年、政治的な激動が続いてきました。

この本では、2006年11月のネパール政府とマオイストとの平和合意成立までのネパールの政治状況の推移が、王族側とマオイスト側、それぞれの動きに焦点を当ててまとめられています。

著者の小倉清子氏はネパール在住のジャーナリストで、「マオイストの首都」である、西ネパールのラプティ県ロルパ郡にあるタバン村など、マオイストの拠点に何度も足を運び、幹部にも直接インタビューしたりと、精力的な取材を続けてきました。

ネパールの、特に山岳地帯の農村に住む人たちは、長いあいだ、二つの武装勢力のあいだにはさまれて苦しんできた。それは、国王が最高司令官を務める王室ネパール軍と、ネパール共産党毛沢東主義派ことマオイストが抱える人民解放軍である。国王とマオイスト。世界のほとんどの国ではすでに過去の産物とみなされている二つの勢力が、ネパールでは二一世紀に入って国家の土台を揺るがす存在にまで力をもった。一見して、二極の両端にあるような二つの勢力が、この時代にヒマラヤの小さな王国でいかにして同時に力を獲得したのか。その背景には、一九九〇年に複数政党制民主主義の復活というかたちで実現した政治的近代化の失敗と、民主化後、経済的近代化がうまくいかずに、都市部と農村部に住む人たちのあいだで経済格差、生活格差がますます拡大する結果になったことがある。世界最貧国の一つに数えられる国に、世界的にも裕福な国王がいるという矛盾。こうした事実を見ただけでも、この国がいかに経済的にバランスのとれていない国であるかがわかる。


ネパールの山岳地帯で昔ながらの生活を送っている人々が、いまどんな状況におかれているのか、そしてマオイストと呼ばれる人々がどんなことを考え、何を目指そうとしているのかは、新聞の報道からだけではなかなか伝わってきません。その意味では、この本は現在のネパールについて理解するうえでの貴重な資料だと思います。

ただ、この本では、量的にも内容的にもややマオイスト側に傾いた記述になっているように感じます。

また、隣のインドと中国という大国の存在、そして冷戦後の世界の動きが、ネパールの内政にも巨大な影響を与えていることは確かですが、ここ数年のネパールの政治状況に、それらがどのような役割を演じていたのか、南アジア全体の動きを鳥瞰するような視点からの解説をもっと読みたかったと思いました。

今年4月の制憲議会選挙でマオイストは第一党になり、現在、王制廃止は確実な状況になっていますが、今後、マオイストや他の政党が、新憲法制定を含めた数多くの難題をうまく乗り越えていけるのかは、予断を許さない状況のようです。

日本人にとっては、旅人として、あるいはボランティアなどの援助活動を通じてかかわりをもたない限り、ネパールという国に関心が向かうことはなかなかないのかもしれませんが、縁あってネパールに興味をもたれた方は、こうした本にも目を通してみてはいかがでしょうか。


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at 18:43, 浪人, 本の旅〜インド・南アジア

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『インドなんて二度と行くか!ボケ!! …でもまた行きたいかも』

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評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本は、インドを旅するバックパッカーの前に立ちはだかる数々のトラブルをコミカルに描いた異色の旅行記です。

自称ひきこもりのさくら剛氏は、ある日、一念発起して一人でインドへ向かい、デリー、バラナシ、ジャイプル、アグラという、北インド観光の定番コースを旅します。

しかし、この本のほとんどを占めるのは、街を歩けば次から次へと押し寄せてくる「不良インド人」たちとの不毛な戦いと、初めてのインドで襲われるカルチャーショックの数々です。

リクシャーに乗れば、目的地ではなく旅行代理店やみやげ物屋に連れていかれ、放っておけば彼らの術中にはまって、いらないモノをとんでもない高額で買わされそうになります。なんとかそこを脱出して目的地に着いても、リクシャワラー(リクシャーのドライバー)に不当な料金を要求されて怒鳴り合いのケンカになります。

街を歩けば男たちが次々に声をかけてきますが、彼らは金を目当てに見えすいたウソをつく、信用ならない奴らばかりです。

そして、右手でカレーを食べ、左手で「大」を処理し、物乞いに迫られ、原因不明の高熱で倒れ、ついにはお約束の激しい下痢……。

こういうことは、インドを旅するバックパッカーなら誰もが経験していることで、ある意味では、インド入門の通過儀礼みたいなものなのですが、この本のユニークなのは、そうしたインド人や、街で出くわした変なモノにいちいちツッコミを入れていった結果、それが一冊の本になってしまったということです。

さくら氏に限らず、多くの旅人はインド人の理不尽なふるまいにイライラしたり、怒鳴り合いのケンカをした経験があるはずです。私も似たような経験を何度もしているのですが、この本を読んでいると、不思議と怒りよりもおかしさがこみ上げてきます。

もちろんそれは、この旅行記自体が「お笑い」として書かれていて、さくら氏がネタを非常にうまく料理してくれているおかげなのですが、それに加えて、自分も今までインド人と何度もケンカをしてきたけれど、それは結局、ボケとツッコミのかけ合いみたいなものだったのだ、あの時は本気で怒ってしまったけれど、今思えば、実は私もインド人と漫才を演じていただけなのかもしれないと思えてきて、何だか救われたような気分になるのです。

バックパッカーを相手に小金稼ぎをするインド人たちの多くは、確かにうっとうしくて神経を逆なでする奴らです。でも彼らには、「なんだかんだ言って最後までワルになりきれない」人の良さみたいなところもあります。

この本の中で、さくら氏はインドとインド人をさんざんにこき下ろしているのですが、それがイヤミになっていないのは、そんなインド人に対する、そこはかとない愛情も同時に伝わってくるからでしょう。

こういう本を読んでいると、インドの面白さというのは観光名所にあるのではなく、むしろ、そこへ行こうとする旅人を邪魔しているとしか思えないインド人たちとの摩擦のプロセス自体にあるのではないか、少なくとも若い旅人たちにとってはそうなのではないか、という気がします。

それにしても、さくら氏は、自分のことをひきこもりと言っていますが、これを読む限り、適度にインド人にダマされながらも、要所要所では自分を見失わず、しっかりと、したたかに旅を楽しんでいるように見受けられます。特に本書の後半など、むしろインド人の術中にハマったふりをして、彼らとのバトルを楽しんでいるような感じさえします。

バックパッカーとしてインドに行ったことがある人は、この本で大いに笑えると思うし、これからインドに行こうと思っている人は、この本を一読しておけば、「不良インド人」の行動パターンをしっかり予習でき、少しだけ余裕をもってインドへの旅に足を踏み出せるかもしれません。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします

 

 

 

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at 18:45, 浪人, 本の旅〜インド・南アジア

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『ガンジス河でバタフライ』

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評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本は、有給休暇で世界をさすらう銀座OL、たかのてるこ氏の作家デビュー作です。先日TVドラマ化もされたので、タイトルをご存知の方も多いと思います。

本書では、初めての海外ひとり旅(香港、シンガポール、マレーシア)と、2回目のインドへの旅(カルカッタ、ブッダガヤ、バラナシ、ボンベイ)での出来事を描いているのですが、トラブル連続の常人離れした旅を、終始ハイテンションな文体で描いていて、とにかくそのパワーに圧倒されます。

たかの氏は、海外を放浪する兄を見て育ったせいか、自分も世界を股にかける旅人になりたいと憧れていましたが、小心者のため、なかなか最初の一歩を踏み出せずにいました。しかし、腹話術師になった母の姿に刺激された彼女は、20歳の夏に、ありったけの勇気を振り絞って海外ひとり旅に挑戦し、ついに「旅人デビュー」を果たします。

といっても、その旅のスタイルは、初心者とは思えないほど大胆です。ひとり旅というだけでなく、予定を立てず、ガイドブックを持たず、お金もあまり持たず、ドミトリーに泊まりながら、現地で出会う人々に導かれるように、行き当たりばったりの「体当たり系」の旅を続けていくのです。

例えば、2回目のインドの旅では、無礼講の祭り「ホーリー」の狂乱の真っ最中にカルカッタに到着してしまったり、夜行列車の中で出会ったインド人家族の家に泊まったり、ガンジス河ではバタフライをしていて死体にぶつかったりと、思わず話に引き込まれずにはいられないような数々の武勇伝が語られています。

島田紳助氏が、単行本の帯に「これを読んでこんな旅をしてみたい! と思ったヒト、あかん、やめとき、絶対死ぬで!」と書いたそうですが、まさにそんなコメントがピッタリです。

しかし、そうした旅の日々には、日常生活ではなかなか味わえない、生きている実感を呼び起こすような「何か」があるようです。彼女は、筋書きのない刺激的な旅を重ねるうちに、海外ひとり旅が「痛快で、スリルと期待に満ちた、最高のエンターテイメント」であることを知ってしまったのでした。

ところでこの本は、たかの氏の初めての海外旅行を描いているのですが、彼女がこれを書いたのは、実際の旅から10年近く経ってからのことです。

それまでの間、社会人として経験を重ねてきたせいか、この本では初めての旅の興奮とドタバタぶりを描きながらも、その文章には、いい意味での社会人としてのバランス感覚も働いているように見えます。

また、年季の入った旅人らしく、旅人の心に響くツボもしっかり押さえてあります。文章の端々ににじみ出る旅人らしい人生観も、ある意味では真っ当すぎてベタかもしれませんが、シンプルで、とても力強く感じられます。

バックパッカー体験者なら、楽しく読むうちに、自分が初めて海外へ旅した頃の新鮮な感動や、何でもないことで右往左往した恥ずかしい経験を思い出して、とても懐かしい気持ちになるだろうし、この本からもらうエネルギーで、また旅に出たいという気持ちをかきたてられるのではないでしょうか。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
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at 19:23, 浪人, 本の旅〜インド・南アジア

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『深夜特急〈3〉インド・ネパール』

深夜特急〈3〉インド・ネパール
深夜特急〈3〉インド・ネパール
沢木 耕太郎

 

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評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

『深夜特急』の第3巻は、カルカッタからデリーまでの旅を描いています。

バンコクでデリー行きの航空券を書き換えてもらった沢木氏は、カルカッタに飛びますが、偶然出会った日本人に導かれるままに、インド1日目にしてインド世界の衝撃的な洗礼を受けることになります。

その後、カルカッタの混沌に魅せられて街をうろついたり、ブッダガヤ近郊のアシュラムでアウトカーストの子供たちと農作業をともにしたり、長雨のカトマンズで無為に過ごしたり、聖地ベナレスでは焼かれていく死体を見つめたりと、沢木氏の旅のエピソードがぎっしりと詰め込まれているのですが、最もスリリングなのは、ベナレスからデリーまで、旅に病み、半死半生の状態で駆け抜けるところでしょう。

沢木氏は本文中で、自らの病の原因についていろいろと分析していますが、私はこのエピソードが、旅人の中の二つの気持ちの葛藤を象徴しているように思いました。

旅人の心の中では、旅を続けて見知らぬ土地をこの目でもっと見てみたいという前のめりな気持ちと、どこかにしばらくとどまって、その土地をもっとよく知りたいという「沈没」欲求がいつでもせめぎあっているものです。

沢木氏の場合も、酔狂と自分では言いつつも、デリーを出発点としてロンドンまで乗り合いバスで駆け抜けるという最初の計画に結構こだわっていて、早く「スタート地点」に立ちたいという気持ちが彼を西へ西へと強引に引っぱっていく反面、どこかに落ち着いてゆっくりとその街を味わいたいという気持ちもあちこちで顔を出してきます。

最初の経由地である香港で長逗留し、バンコクからシンガポールまで往復し、デリー行きの航空券をわざわざ変更して手前のカルカッタに向かい、カトマンズまで往復したりと、沢木氏はそれを「風に吹かれ、水に流され、偶然に身を委ねて旅する」と称しているものの、別の見方をすれば、それはスタート地点であるデリーに到着することを回避している、あるいは時間かせぎをしているように見えなくもありません。

旅人は誰でもそうなのだと思いますが、あるときは憑かれたように旅を急ぎ、あるときはズルズルと根を生やしたように沈滞し、ギクシャクとしながらも、旅行資金の残りを気にしながら少しずつ前へ進んでいくような、葛藤を抱えながらの旅が、この第3巻ではうまく表現されているように思います。

しかしベナレスで、焼かれ、河に流されていく死体を眺め、「おびただしい死に取り囲まれた」ことで、心の中で何かのスイッチが入ったように、氏はデリーに向けて猛然と前進を始めるのです。

それはまるで、ベナレスに象徴されるインド的な何かから逃げるようでもありました。そして病は、まるで沢木氏を前に進ませまいとするかのようですが、それを命がけで振り切るようにして、氏はようやくデリーにたどり着くのです。

インドやネパールが舞台であるこの巻でも、いわゆる宗教的な匂いやヒッピー的な要素は希薄です。1970年代半ばという時代背景を考えると意外なことですが、本文中や巻末の対談でも触れられているように、沢木氏はそういうものに対しては一線を画したいという気持ちがあったようです。そしてそれがこの本を、多くの人にとって受け入れやすいものにしていることは確かです。

『深夜特急〈1〉香港・マカオ』の紹介記事
『深夜特急〈2〉マレー半島・シンガポール』の紹介記事
『深夜特急〈4〉シルクロード』の紹介記事
『深夜特急〈5〉トルコ・ギリシャ・地中海』の紹介記事
『深夜特急〈6〉南ヨーロッパ・ロンドン』の紹介記事


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします

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