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『アジア無銭旅行』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

この本は、詩人の金子光晴氏が戦前のアジア・ヨーロッパ放浪の旅を回想した晩年の三部作、『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』から、往路・復路のアジアの部分を抜粋し、アジアを題材にしたいくつかの詩を加えてまとめたものです。

1928年、日本での暮らしに精神的に行き詰まった金子氏は、子どもを親戚に預け、十分な旅費も先の見通しもないまま、妻を連れて逃げるように日本を発ち、パリをめざします。

最初に向かったのは、当時、「ながれものの落ちてあつまるところ」だった上海でした。彼らは現地で何とか旅費を工面し、南へと船を乗り継いでいきます。

政治的混乱の続く中国、欧米諸国の植民地東南アジア、そして時は世界大恐慌の前後。金子氏は、陰鬱な現実と、世界をあてどなくさまよう自分自身の行状とその内面を、ひたすら見つめ続けます。

彼は、旅先で出会う日本人たちが、人を民族で分け隔て、一等国の人間としてふるまおうとする姿に内心反発を覚えながらも、結局はそういう人々の情けと人的ネットワークにすがり、得意ではない絵を彼らに売りつけてまで旅費を稼がなければならない立場でした。また、彼自身も、決して清貧の旅人だったわけではありません。今の時代はともかく、当時なら公にすれば物議を醸しただろうエピソードも、作品の中で赤裸々に描かれています。

「よくよくの愚劣な男でなければやらない道をよくもあるいてきたものだ」と自ら言うように、それは何度もダークサイドに転げ落ちそうになりながら、ギリギリのところで踏みとどまるような危うい旅でした。

しかし、いくら先へと進んでも、旅の解放感や高揚を味わえるどころか、二人の前には、常に金策に追われ、どこまでも堕ちていくような出口のない日々が続くだけで、その先に、何かわかりやすい希望の光が差し込むわけでもありません。

あれさびれた眺望、希望のない水のうえを、灼熱の苦難、
唾と、尿と、西瓜の殻のあいだを、東から南へ、南から西南へ、俺はつくづく放浪にあきはてながら、
 あゝ。俺。俺はなぜ放浪をつづけるのか。


実際にこういう旅をする人というのは、昔も今も、圧倒的な少数派なのだろうし、彼らと同じような旅をしたいと思う人も、あまりいないでしょう。

それでも、この本を読んでいると、元の三部作を全部通して読みたくなってきます。アジアのエピソードは、彼らの4年にわたる旅の一部にすぎないし、金子氏の独特の文章にはけっこう中毒性があるようで、波乱に満ちた旅の物語を、もっと読みたい気持ちにさせられてしまうのかもしれません。

ちなみに金子氏には、同じ時期の東南アジアの旅を描いた名作、『マレー蘭印紀行』がありますが、この本は、その舞台裏として読むこともできると思います。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書

at 18:29, 浪人, 本の旅〜東南アジア

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『森の回廊』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本の著者、ジャーナリストの吉田敏浩氏は、1985年にタイから国境を越えてビルマ(ミャンマー)の反政府ゲリラ支配地域に入り、以後3年7か月のあいだ、ゲリラと行動を共にして、彼らの「解放区」における人々の暮らしの実情と、その生活文化をつぶさに目にしました。

特に、ビルマ北部のカチン州の奥地を日本人が訪ねたのは、吉田氏が戦後初めてのことで、この本は、日本ではほとんど知られていないカチンの人々の暮らしを伝える貴重な記録となっています。そして、それ以上に、内戦地域の「森の回廊」をひたすら歩き続けた、長く苦しい旅の記録でもあります。

彼はビルマ潜入後、まず、カヤー州から北上するカチン独立軍の部隊とともに、シャン州を縦断してカチン州をめざすのですが、ビルマ政府軍の執拗な追撃を逃れながら、雨季の山中を進むその旅は困難をきわめ、直線距離で約550キロを移動するのに7か月もの時間がかかっています。

カチンの人々の共通言語であるジンポー語を習得した吉田氏は、カチン州に到着後もゲリラ戦の現場や内戦の傷跡を取材するのですが、そこは第二次世界大戦当時、インドから中国への軍需物資輸送ルート「レド公路」をめぐって、連合国側と日本軍が死闘を繰り広げた舞台でもありました。彼はそこで、何十年も続く内戦の苦しみばかりではなく、人々の記憶に焼きついた、かつての戦争の傷跡にも直面することになります。

一方で、彼は州内の各地方にも出向き、山中の村々を泊まり歩きながら、焼畑農耕に生きる人々の暮らしや氏族社会の強固な絆、彼らの神話や精霊信仰の祭り、シャーマンによる心霊治療など、カチンの人々の生活文化も精力的に取材しています。

彼はマラン・ブラン・ジャーというカチンの名前を与えられ、カチン州に2年余り滞在するのですが、そろそろタイに戻ろうという頃になって、彼は重いマラリアに罹って動けなくなり、やがて意識不明の状態に陥ってしまいます。

生死の境をさまよう吉田氏が回復するきっかけとなったのは、かつて取材した高名なシャーマンによる心霊治療でした。

その後も彼の苦難は続くのですが、旅行記としてこの本を読まれる方のために、内容の紹介はこのあたりまでにしておきます。

数年にわたる濃密な旅を描くにあたって、紙面の制約もあってか、吉田氏は現地の実情を伝えることに徹していて、その筆致も淡々としているのですが、それでも文章の端々に、想像を絶する旅の困難が見え隠れしています。

彼が旅をした内戦地域では、そこにいる誰もが生命の危険にさらされていたことは言うまでもありませんが、戦況・地形・気候・体調による移動の制約に加えて、どこへ行くにも反政府ゲリラのエスコートが必要という状況では、自由な形での取材や旅は非常に難しかったはずです。

また、決して豊かとはいえない食事、不十分な装備、ほとんど不可能に近い国外との連絡、たった一人の日本人として味わう深い孤独、そして医療体制の不十分な山中での重い病……。旅の苦しさを挙げていけばきりがありません。

それほど困難な旅を、吉田氏に最後まで続けさせたものは、一体何だったのでしょうか。

そこには、これまで外部にほとんど知られていなかった、カチンの人々の声を代弁したいという使命感があっただろうし、一度旅を始めてしまったら、何があっても自分の足で最後まで歩き抜く以外に、生還できる手段がなかったこともあるでしょう。

しかしそれ以上に、取材というレベルをはるかに超えて、誇り高く生きる山の民の暮らしに積極的に溶け込み、彼らから真剣に学び、彼らの生き方に心から共感する姿勢なしには、長い旅をまっとうするのは難しかったのではないかと思います。

とはいえ、必要最低限のモノだけで生きる山の暮らしは、文字通りの質実剛健です。この本で紹介されるカチンの人々の暮らしぶりも、多くの読者にとっては非常に地味に見えてしまうのではないでしょうか。少なくとも、私にとってはそうでした。

ただ、そこには、乾季の終わりの焼畑の火入れに始まり、種まき、雨季の草取り、そして乾季の収穫と農閑期の狩猟という、一年を通じた生活の循環があり、それは気の遠くなるような時間の流れの中でひたすら繰り返されてきた、人類の基本的な生活パターンと言うべきものです。

そこには、吉田氏のように現地に長期間滞在し、生活を共にすることによって、初めて心の奥深くから実感できる何かがあるのでしょう。そして、それはきっと、いくら言葉を重ねても、何枚の写真を並べても、伝えきれない性質のものなのだろうという気がします。

吉田氏の旅の後、ビルマ政府軍とカチン独立軍とは停戦し、その状況は現在も続いています。ちなみに、以前にこのブログで紹介した高野秀行氏の『西南シルクロードは密林に消える』の中には、カチン州をめぐる最近の状況が詳しく描かれています。

ただ、カチンの人々を始め、ビルマで民族自決への闘争を続けるそれぞれの少数民族に、いつか自治と平和を手にする日が来るとしても、それとは別に、彼らが遅かれ早かれ、世界中を覆いつくそうとするグローバリゼーションの波に直面するのは避けられません。

グローバリゼーションが、必ずしも悪いことばかりだとは思いませんが、彼らがこれまで命懸けで守り抜こうとしてきた伝統的な生活文化や人々のつながりが、劇的な変化に見舞われるのは確実です。そして、彼らがこれから迎えるに違いないそうした試練を思うと、何ともいえない切なさを覚えるのです。

この本に描かれているのは、もう20年以上も前の旅だし、ビルマをめぐる状況はその後大きく変化しています。それでも、カチン州などの辺境地域を旅した外国人は今なお非常に限られているだけに、この本は現地の貴重な報告として、また、類まれな旅行記として、今後も読み継がれていく価値があると思います。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



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at 18:53, 浪人, 本の旅〜東南アジア

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『漂海民バジャウの物語 ― 人類学者が暮らしたフィリピン・スールー諸島』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本の著者で人類学者のハリー・アルロ・ニモ氏は、1960年代に、漂海民バジャウ(サマ・ディラウト)のフィールド調査のため、フィリピン南部のスールー諸島に約2年間滞在しました。

彼はそこで、バジャウの日常言語であるサマ語を覚え、自らも家舟に住んで彼らのコミュニティに加わり、ときには彼らの漁に同行したり、慶弔の儀礼に立ち会ったりしながら、さまざまな調査を行いました。

ニモ氏は、その人類学的な成果について、すでに何冊かの本にまとめていますが、この本では、そうした客観的でアカデミックな研究からはこぼれ落ちてしまっていたもの、つまり、人類学者である以前に、彼が一人の人間としてスールーの人々に向きあうなかで体験し、彼自身の人生にも大きな影響を与えた、いくつもの印象深いエピソードが取り上げられています。

そこには、家舟に暮らし、魚群を追って島々をさすらうバジャウの人々を中心に、フィリピン人や中国人、アメリカ人など、スールー諸島に暮らすさまざまな人間が登場します。

なかでも、過酷な運命に翻弄され、アウトサイダーとして孤独に生きるなかで、人を信じることができなくなってしまった中国人商人の話(「ラム」)、恋多きバジャウの歌姫の出奔とその結末(「サランダの歌」)、クリスチャンとしての強い信仰に支えられ、人生の残り時間を辺境の人々への医療の普及に捧げたフィリピン人シスターの話(「それぞれの神へ」)、スールー海の人々に恐れられる一方で、フィリピン政府への反抗の象徴として地元の英雄でもあった一人の海賊との友情を描いた話(「アマック」)は、読んでいて深く心に沁みました。

美しいスールーの自然を背景に展開するこれらのエピソードは、「物語」と呼ぶにふさわしく、どこかおとぎ話のような印象さえ受けます。そして、そこからは、生きることの切なさ、哀しみのようなものが伝わってきます。

もちろんそれは、これらの物語が、若い頃のニモ氏自身の体験を回想する昔語りであること、また、彼の世界観に基づいて体験を解釈・再構成し、物語として意識的にまとめ直したからということがあるのでしょう。

ただ、この本に心を打たれるのは、それが単なる昔の思い出にとどまらず、そこに、感受性豊かな彼が青年時代にスールーで目にしたありのままの生と死、喜びや悲しみ、人々が知恵と持てる限りの手段を駆使して精一杯に生きる姿が、シンプルに、かつ繊細な配慮をもって描かれているからなのだと思います。

また、この作品は、異文化の中で暮らしながら、現地の慣習やモノの見方に完全に巻き込まれることなく、アウトサイダーとしてさまざまな出来事に中立的に向きあえる旅人の特権的な立場や、その代償としての孤独やストレス、そして、旅人の宿命として避けることのできない人々との別れについて、一人の人類学者の内面を通して描いた、優れた旅行記でもあります。

ニモ氏の滞在後しばらくして、スールーの島々は開発の波に飲みこまれたばかりか、激しい内戦の舞台にもなってしまいました。この本の最終章には、後に現地を再び訪れた彼が、そこに見たものが描かれています。

それは、とても悲しい光景でした。

1960年代に、ニモ氏がそこで確かに目にしたひとつの世界は、すでにこの世から消え去ってしまい、私たちはもう二度と目にすることができません。この本のエピソードが、どこかおとぎ話のように感じられてしまうのは、それが私たち読者には手の届くことのない、遠い別世界の出来事だと分かっているからなのかもしれません。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
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at 19:29, 浪人, 本の旅〜東南アジア

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『インドネシアの寅さん ― 熱帯の民俗誌』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

この本は、インドネシアの「旅する売薬行商人・香具師(やし)」をテーマにした民俗誌です。

といっても、学術的な堅苦しいものではなく、旅行記・エッセイ風のくだけた文章なので、インドネシアやその民俗文化について予備知識のない人でも、それほど抵抗なく読めるのではないかと思います。

ただ、現在の日本では、「香具師」という言葉を聞いて、それがどんな仕事なのか想像できない人の方が多いかもしれません。

彼らは熱帯アジア特産の「秘薬」をたずさえて、小さな便船に揺られながら島から島へ行商の旅をやっている。それぞれが工夫した大道芸で客寄せをやりながら、大声で威勢のいい口上を述べて秘薬を売る。娯楽の少ない辺境の島々では、この香具師の大道芸は大変な人気で、当日の市場の「華」である。
 香具師たちは、町や村の安宿に泊まりながら、仲間内の情報を頼りに、この人出で賑わう巡回市や参詣人がよく集まる祭礼を訪ねて旅するのだ。その行商のやり方は、ひと昔前まで日本の縁日や夜店でよく見かけた「ガマのアブラ売り」とそっくりだ。いうならば、熱帯の島々を旅する「フーテンの寅さん」である。

もっとも、この本の中でも詳しく説明があるように、「フーテンの寅さん」は正確にいえば百貨売りのテキヤで、香具師そのものではありません。

著者の沖浦氏によれば、江戸時代の日本には「諸国妙薬」や「南蛮渡来の秘薬」を売り歩く香具師がいたのですが、明治維新後の製薬・売薬の国家管理と規制によって、彼らはオリジナルの生薬を売ることができなくなりました。

多くの香具師がテキヤへと商売を変えていくなか、近世香具師の唯一の生き残りといえる存在が「ガマのアブラ売り」でしたが、それも1970年代末には姿を消してしまったそうです。

それでも、インドネシアの辺境の島々にまで足を向ければ、明治以前の日本の香具師の姿を彷彿とさせるような、大道芸で客を集めて秘薬を売る行商人の姿を、今でも見ることができるのです。

この本は、日本人にあまりなじみのないインドネシア東部の島々の紹介や、そこに生きる香具師の姿とその仕事、彼らが最も活動的なスラウェシ島での調査の旅、さらには近世日本の香具師との比較など、なかなか盛りだくさんの内容です。

ところで、インドネシアの香具師は現在数千人といわれていますが、その出身地は、政治・経済・文化の中心であるジャワ島などのいわゆる「内島」ではなく、ほとんどがスラウェシ島・スマトラ島・ボルネオ島などの「外島」です。また、「海の民」ブギス族や、ボルネオ島の先住民であるダヤク族の出身者が多いともいわれています。

その背景には、広い海域に無数の島々が散在するインドネシアの自然条件や、東西からの複雑な文化流入のルート、島ごとに異なる多様な文化、独立後のインドネシアの政治経済的な構造など、さまざまな要因があるのですが、インドネシアでも非常にマイナーな存在である辺境の香具師に焦点を当てることで、「内島」という中心を見ているだけでは分からない、インドネシアの複雑で多様な姿が立体的に浮かび上がってくるのが、とても面白いと思いました。

また、香具師については、文献による記録がほとんどないことや、近代化の波にのまれて、インドネシアでも今まさに消えつつあることを考えると、この本はその姿を記録に残しておこうとする貴重な試みだと思います。

ただ、ノンフィクション好きの私としては、読んでいて少し物足りないような気がしました。こういうテーマの場合、例えば、香具師に弟子入りしてしばらく一緒に島々を巡業するとか、一人の香具師を長期間追いかけて、その暮らしや同業者のネットワークを克明に記録するとかの方が、はるかに面白い記録になるだろうと思います。

まあ、そう口にするのは簡単でも、実際問題として、文化人類学者のフィールドワークならともかく、売れるかどうかも分からない一冊の本の企画のために、そこまでの旅と取材をする人はいないのかもしれませんが……。


本の評価基準

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 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
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at 19:51, 浪人, 本の旅〜東南アジア

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『アジア・旅の五十音』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本は、東南アジア庶民の食文化を網羅した『東南アジアの日常茶飯』などで知られるライターの前川健一氏が、アジアの旅にまつわるさまざまな言葉を、「あ」から「ん」まで50音順に配列したユニークな作品です。

「ガイドブック」「ドミトリー」「ひとり旅」「旅費」など、個人旅行に関するさまざまな用語から、「警官」「下痢」「怖い」「詐欺」といった旅のトラブル、「孤独」「ささやかなぜいたく」「旅の自慢」「ぬけ殻」「値切る」など、旅人の生態についての文章、また、「自己責任」「旅行と旅」など、旅についてちょっと考えさせられる項目もあれば、「雨」「ロウソク」「ワッパー」のように、心に残る旅先でのエピソードが描かれていたりします。

50音順に言葉を並べてあるといっても、辞典のように無味乾燥な用語集ではなく、どの項目にも前川氏の膨大な旅の体験がにじみ出ていて、しかもちょっとひねりが効いていて、読んでいて飽きません。

そして、読んでいるうちに、断片的な文章の堆積の向こうに、前川氏の独特の旅のスタイルや、価値観や世界観までもが浮かび上がってきます。

予定を決めず、片道だけの切符を手にし、観光地を避け、気の向くままにひとり旅を繰り返す彼のスタイルに憧れる読者は多いと思いますが、一方で、それは今の日本社会の主流である忙しい生き方とは相容れないところもあります。

彼のような旅をしたいと思っても、実際のところ、行動に踏み切れない人の方がずっと多いのではないでしょうか。そしてそれは、自分の好きなように旅を続けながら、どうやってメシを食っていけばいいのか、つまり、どうやって仕事と両立させるのかという、旅好きの人間にとっての一大難問が立ちはだかっているためかもしれません……。

ところで、この本の中でも触れられていますが、ひとり旅には、いろいろな物思いや、思考や、過去の記憶を誘うところがあります。

そして、そうした思考は、腰を落ち着け、何か一つのテーマについてじっくり探究していくというより、旅先の多彩な風物に触発されるせいか、関心がありとあらゆるテーマに広がっていくような気がします。あるいは、車窓の風景が次々と流れ去っていくように、ある記憶や思いがとりとめもなく心に浮かび、しばしのあいだ旅人の心をとらえ、やがて静かに消えていくような感じになるのではないでしょうか。

そう考えると、一見脈絡のない、さまざまなテーマの断片的な文章を集めたこの本の形式自体が、旅、とくにひとり旅を続ける旅人の内面そのものをリアルに表現したモデルであるような気もしてきます。

この本を読んでいると、旅行記やエッセイというより、もっと生々しい印象を受けるのは、そのせいなのかもしれません。もっとも、それは私にとって決して不快なものではなく、どこかアジアの安宿でくつろぎながら、あるいは屋台で料理をつつきながら、年季の入った旅人のよもやま話に耳を傾けているような楽しさを感じるということなのですが……。


本の評価基準

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 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
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at 19:10, 浪人, 本の旅〜東南アジア

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『マレー蘭印紀行』

Kindle版はこちら

 

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

 

この本は、今から80年ほど前、イギリス、オランダによる植民地支配が行われていた当時のマレーシア、シンガポール、インドネシアを巡った日本人の旅行記です。

この本の著者、詩人の金子光晴氏は、昭和3年(1928年)から7年(1932年)にかけて、妻を伴い、ほぼ4年間にわたる海外放浪に出ました。ここでは、その長きにわたる放浪のごく一部、ヨーロッパへの行き帰りに立ち寄ったマレー半島、ジャワ島、スマトラ島への旅が描かれています。

4年もの海外旅行と聞いて、金持ちの諸国漫遊かと思う方も多いかもしれませんが、金子氏は本文の中で、自分たちの旅を、「金もなく行きつくあてもない旅」であったと述べています。巻末の「解説」によれば、実際、彼の旅は、似顔絵や風景画を描いたりして細々と旅費を稼ぎながらの、先の見えない苦しい流れ旅だったようです。

それはともかく、この本のハイライトは、やはり、マレー半島のジャングルに船で分け入り、日本人が経営するゴム園や鉱山を訪ねるところでしょう。

今でこそ人類は自然環境を圧倒する勢いで、地球上の熱帯雨林自体がその消滅の危機にさらされているほどですが、80年前の当時は、比較的開発の進んでいたマレー半島でさえ、ジャングルの中に点在する開拓地に一歩踏み込めば、そこはいまだに猛獣や土匪が跳梁し、マラリアの蔓延する恐るべき場所だったようです。

しかしそんなジャングルにも、さまざまな事情や思惑から、故郷を遠く離れて「南洋」にたどり着いた日本人が暮らしていました。そしてまた、そこは、支配者としてのヨーロッパ人や、肉体労働者として苛酷な労働に携わるマレー人・中国人・インド人など、多様な人種や民族が入り交じる、人種のるつぼのようなところでもありました。

金子氏は、人間の営みを圧倒するような旺盛な生命力を見せつける熱帯の自然と、そこに生きるさまざまな人々の姿を、一言一句にまで繊細な神経の行き届いた文章で、感覚的に、美しく描き出しています。

当時、アジアが欧米の植民地支配にあえいでいたのはもちろんですが、彼が旅していたのは世界恐慌の前後で、現地はゴムの大暴落による不況にあえぎ、経済進出をめぐって各国の利害も激しくぶつかり合っていました。そんな当時の国際情勢も反映されているとはいえ、この旅行記全体からは、何か、この地上で人間として生き続けることへの、やり場 のない哀しみのようなものが濃厚に漂ってきます。

そしてそれは、社会のアウトサイダーとして、あてどなく世界をさまよう金子氏の境遇と、その内面をも映し出しているのでしょう。というより、彼は、当時の東南アジアの自然と社会の現実を素材として借りながらも、この旅行記によって、「金子ワールド」ともいうべき、美しくも哀しい、彼独自の心象風景を創造していたのだろうという気がします。

現在、急激な経済成長をとげつつある東南アジアの多くの国々では、意識的に観光ルートから外れ、一種の闇の領域にあえて踏み込まないかぎり、彼が80年前に見たような人々の悲惨な暮らしや、その深い哀しみを見出すのは難しいと思います。しかしむしろ、だからこそアジアを旅する人は、かつてそこがどんな世界だったかを知っておくという意味で、こうした昔の旅行記を読んでみる価値はあるかもしれません。

それと、こんな表現が適切かどうかは分かりませんが、金子氏は、あるいは、早すぎたヒッピーだったのかもしれないという気がします。戦前の日本の社会で、きっとものすごく窮屈な思いをしながらも、アウトサイダーとして世界を放浪し、しかしそれだけに終わらずに、自らの世界観や内面を、後世に残るような作品に結晶させた人物がいたことに改めて驚かされました。


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at 18:41, 浪人, 本の旅〜東南アジア

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『バンコク迷走』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

この本は、旅人として、生活者として、そしてライターとして、二十数年間もバンコクと付き合ってきた旅行作家の下川裕治氏が、急速に変貌しつつある現在のバンコクについて描いた作品です。

都市交通(タクシー、バイクタクシー、バス、BTS)、食事(激安屋台、タイのコーヒー事情、酒、冷房レストランの禁煙法)、住環境(タイのアパート事情、スクムウィット、カオサン、ラングナム通り界隈)などなど、旅行者や長期滞在者にとっては非常に身近なテーマが取り上げられており、タイに何度も足を運ぶリピーターや「沈没系」の旅人なら、とても面白く読めるのではないかと思います。

他にも、タイの警察官との交渉術や、タクシン政権下での人々の意識の変化、顔の見えないマジックミラー越しに応対する不親切で威圧的な日本大使館の領事部など、興味深い話がいくつもあるのですが、私が個人的にもっとも関心を引かれたのは、やはり、バンコクに暮らすという選択肢が、多くの日本人にとって急速に現実味を帯びつつあるという事実でした。

下川氏は、日本人のバンコク長期滞在者が、最近ラングナム通り周辺に集まりつつあることに触れ、その住人たちの生活ぶりについて具体的に紹介したうえで、こんな風に書いています。


バンコクはいま、アジアで最もコストパフォーマンスがいい街といわれている。一定レベルの設備やサービスを備えたアパート、日本とさほど変わらない生活スタイル、そして食事……一定の料金を払って受けることができる生活が、アジアのなかで最も豊かなのである。

また、こうしたコストパフォーマンスだけではなく、ラングナム通り周辺には、あまり外国人ズレしていない、ひと昔前のタイの下町のいい雰囲気がまだ残っていることも魅力のようです。

もっとも、日本人にとって快適なそうした環境が、これから先もそのまま保たれるのか、あるいはラングナム界隈も、カオサンのような地上げの嵐に見舞われてしまうのか、そして、バンコク自体が、これからも外国人にとって魅力的な街であり続けることができるのか、誰も予測はできないのですが……。

この本は、バンコクについてある程度の土地カンのある人、また、若い人よりは、どちらかというと、ひと昔前のバンコクを知っている中年以上の(元)旅人のほうが、よりしみじみと楽しめるのではないかと思います。


本の評価基準

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 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
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at 18:36, 浪人, 本の旅〜東南アジア

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『東南アジアの三輪車』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

アジアを旅していると、日本ではとっくの昔に姿を消してしまった懐かしい乗り物や、その地方でしか見られない奇妙で独特な乗り物に出合ったり、実際に乗ってみることができるという楽しみがあります。

中でも、人力やエンジン付きの三輪車は、アジアの旅の風物詩であるだけでなく、旅人の足としても欠かせないものです。タイの場合、地方の街や村で見かける三輪の自転車はサームロー、バイクを改造したエンジン付き三輪車はサームロー・クルアン、バンコクの街を爆走する三輪自動車はトゥクトゥクなどと呼ばれています。

長くアジアを旅してきた著者の前川健一氏は、これまでに旅先で少しずつ集めてきた資料をベースに、この本の中で、東南アジア各国の三輪車事情を詳しく紹介するとともに、人力車(これは二輪ですが)に始まり、三輪自転車、エンジン付き三輪車を経て三輪自動車へと至る三輪車の歴史を整理しています。

もっとも、前川氏の興味の中心は、三輪車のメカニックな面白さよりも、地元の人々の暮らしに深く浸透し、移動手段であるとともに生計の手段でもある三輪車が、技術進歩や国内外の経済、行政との関わりの中で、都市の中にどのような「生態系」を作り上げてきたかを知ることにあるようです。

かつての日本がそうだったように、東南アジアでも三輪車は近代化の波に飲み込まれ、都心や大通りから姿を消しつつありますが、それでも国内の町工場で製造できる手軽な乗り物として、また雇用の受け皿として、三輪車はしぶとくしたたかに生き延びているのです。

ちなみに、明治時代には人力車が、戦前には大量の自転車部品が日本から東南アジアへ輸出され、そして1960年前後には、戦時賠償との関係でミゼットなどの軽三輪が輸出され、各国で新たな公共交通機関として導入されるなど、日本との意外に深い関わりも見えてきます。

こうしたテーマは、通りすがりの旅人の興味としては深入りしすぎなのかもしれないし、また逆に、日本で暮らしている人にとっては直接何かの役に立つわけではないので、この本はあまり一般受けはしないのかもしれません。

ただ、個人的には、旅の途中で何となく思いついたきりそのままになっていた色々な疑問を前川氏が代わりに解決してくれていて、スッキリした気分になりました。例えば、サームローの車夫やトゥクトゥクのドライバーが一日にどれくらい稼いでいるのかとか、インドネシアで見かけたミゼットやミャンマーのマツダK360は、いつ頃、どういう経緯で海外に渡ったのかとか……。

また、現在のバンコクのトゥクトゥクは、ミゼットの前期タイプのデザインがベースになっているが、実際は日本の軽自動車の中古エンジンを使う以外はタイの町工場で作られたオリジナルであるとか、アユタヤに行くと、ミゼットの後期タイプをベースにしたトゥクトゥクを見ることができるとか、少々マニアックなトリビアも満載なので、乗り物好きの人ならけっこう楽しめると思います。

ウィキペディア 「人力車」の項
ウィキペディア 「自転車タクシー」の項
ウィキペディア 「三輪タクシー」の項


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at 18:46, 浪人, 本の旅〜東南アジア

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『水木しげるの妖怪探険 ― マレーシア大冒険』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

この本は、夢をコントロールするといわれる不思議な民族セノイを訪ねて、半島マレーシアのジャングルに分け入った大泉実成氏の旅行記、『夢を操る』の続編に当たります。

今回は、以前の旅のスタッフに、「妖怪博士」水木しげる氏という超強力メンバーが加わっています。

水木氏によると、いわゆる妖怪とは、かつて世界中に広がっていた精霊信仰の残滓なのだそうです。そして彼は、どんな国でも、人間というものは常に千パターンくらいの妖怪に囲まれて生きているのだという「妖怪千体説」を主張します。

精霊信仰の現代における復興を唱え、自分は精霊の「広報担当」だと自称するほどの水木氏だけに、ジャングルの中で狩猟採集生活を営み、今なお精霊信仰が盛んなセノイの文化に対する興味は並々ならぬものがあります。

彼はセノイの精霊の彫刻を根こそぎ買い込み、彼らの住むバンブーハウスや儀式の様子、さらにはジャングルの風景までをひたすら撮影しまくります。70歳を超えた人物とは思えないような、彼のエネルギッシュで鬼気迫る取材風景が、この本にはユーモラスに描かれています。

ただ、水木氏のキャラが強烈すぎるせいか、大泉氏の関心はもっぱら旅先での水木氏の言動に注がれているようで、私が興味をもっているセノイの夢文化というテーマに関しては、前作以上の進展がなかったのは残念です。

10日間で何カ所も回る慌ただしいスケジュールのせいか、大泉氏の見た夢や、それをセノイの人々とゆっくり話し合うようなシーンはほとんど出てこないし、全体的にバタバタとした団体旅行の雰囲気も、マレーシアのジャングルというせっかくの舞台とはミスマッチです。

それでも、水木しげる氏やその作品世界に興味関心のある人には、彼が世界各地の妖怪を求めてどんな旅をしているのか、そのリアルな姿を描いた作品として、面白く読めると思います。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします


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at 19:01, 浪人, 本の旅〜東南アジア

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『西南シルクロードは密林に消える』

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評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

「西南シルクロード」というものを、私はこの本で初めて知りました。

それは中国四川省の成都とインドを結ぶ古代の通商路で、成都近郊で発見された出土品から、その起源は三千年前にまでさかのぼるとも言われています。

しかし、そのルート上のミャンマー北部やインド最東部の山岳地帯では、現在でもカチン独立軍やナガ軍など、少数民族の反政府ゲリラが武装闘争を続けており、そこは学者やジャーナリストでさえほとんど立ち入ることのない究極の秘境でもあります。

高野秀行氏は、戦後では世界初となる成都からカルカッタまでの西南シルクロード全踏破を目指し、2002年の春に成都を出発します。雲南省まで南下したあと、知り合いのつてで紹介されたカチン軍の手引きで、国境の瑞麗(ルイリ)からミャンマー北部に潜入します。

この先、彼ら一行の旅は波乱の連続で、先の読めないその展開はぜひ実際に本書で楽しんでいただきたいのですが、一部ネタバレでその概要を紹介すると、高野氏はさらに国境を越えてインドに抜け、ナガランド州のモコクチュンに辿り着くまで、反政府ゲリラに護衛されながら、(途中、象に乗ったり、クルマやボートでの移動もあるものの)2カ月もの間、ジャングルの中を歩き続けることになるのです。

実は、反政府ゲリラといっても、カチン軍は当時ミャンマー政府軍とは停戦中だったし、ナガ軍についてもインド軍との停戦交渉が進んでおり、実際に内戦に巻き込まれる危険性はそれほど高くはありませんでした。

しかし、高野氏自身が密入国をしているため、中国・ミャンマー・インドいずれの政府に見つかっても極めて重大な結果を招きかねませんでした。そのため、一行は政府側の検問を避け、人目を忍んでジャングルの中を進むほかなくなってしまったのです。

政府軍との停戦から数年以上経ち、ジャングルに潜む必要がなくなっていたため、カチン軍のかつての行軍ルートは生長する密林の中に呑み込まれかけており、旅は困難を極めます。

考えてみれば、高野氏と旅をともにする反政府ゲリラの一行は、外国人密入国者を受け入れたがゆえに、ある日突然、ジャングルの道なき道をたどる苦労をさせられる羽目になったわけです。高野氏は、自分の存在が巻き起こしている、そのあまりにも不条理な状況に、「日陰者」の思いにさいなまれながら旅を続けるのですが、そうした苦しみとハプニングに満ちた過酷な旅が、逆に一行の心を強く結びつけていくのでした。

ただ、西南シルクロードという言葉のロマンチックな響きとは裏腹に、そのルート上では巨大遺跡に遭遇するわけでも、驚くべき新発見があるわけでもなく、現地の人々の生活ぶりも質素で地味です。

そういう意味では、この本が一般の関心を呼ぶことはないのかもしれませんが、高野氏の四カ月の旅の内容そのものは、普通の旅のレベルをはるかに超えており、他にあまり例のない特殊な旅行記として、旅好きの人なら一読する価値があると思います。

また、この本は、他民族に支配されることを潔しとせず、誇り高くも絶望的な戦いを続ける人々、「まつろわぬ民」の現在をリアルに描いた貴重なルポでもあります。敬虔なクリスチャンで生真面目だけれど、時にはお茶目な一面も見せるカチンの人々や、「未開」の生活とグローバルな消費文化が同居するナガ人の暮らしぶりなどが、生き生きとした、そして適度に力の抜けた絶妙の文章で描かれています。

ところで、一般の旅行者に開放されていない地域を反政府ゲリラのエスコートで旅するというのは、旅人にとって究極の「裏ワザ」なのですが、もちろん失敗すれば悲惨な結末を招きます。

近代国家の主権を侵害したくないという人や、信頼できるゲリラの友人のいない旅人は、「俺もやってみよう!」なんて思わずに、こうした本を読むだけでガマンしてください……。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
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