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『アジア無銭旅行』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

この本は、詩人の金子光晴氏が戦前のアジア・ヨーロッパ放浪の旅を回想した晩年の三部作、『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』から、往路・復路のアジアの部分を抜粋し、アジアを題材にしたいくつかの詩を加えてまとめたものです。

1928年、日本での暮らしに精神的に行き詰まった金子氏は、子どもを親戚に預け、十分な旅費も先の見通しもないまま、妻を連れて逃げるように日本を発ち、パリをめざします。

最初に向かったのは、当時、「ながれものの落ちてあつまるところ」だった上海でした。彼らは現地で何とか旅費を工面し、南へと船を乗り継いでいきます。

政治的混乱の続く中国、欧米諸国の植民地東南アジア、そして時は世界大恐慌の前後。金子氏は、陰鬱な現実と、世界をあてどなくさまよう自分自身の行状とその内面を、ひたすら見つめ続けます。

彼は、旅先で出会う日本人たちが、人を民族で分け隔て、一等国の人間としてふるまおうとする姿に内心反発を覚えながらも、結局はそういう人々の情けと人的ネットワークにすがり、得意ではない絵を彼らに売りつけてまで旅費を稼がなければならない立場でした。また、彼自身も、決して清貧の旅人だったわけではありません。今の時代はともかく、当時なら公にすれば物議を醸しただろうエピソードも、作品の中で赤裸々に描かれています。

「よくよくの愚劣な男でなければやらない道をよくもあるいてきたものだ」と自ら言うように、それは何度もダークサイドに転げ落ちそうになりながら、ギリギリのところで踏みとどまるような危うい旅でした。

しかし、いくら先へと進んでも、旅の解放感や高揚を味わえるどころか、二人の前には、常に金策に追われ、どこまでも堕ちていくような出口のない日々が続くだけで、その先に、何かわかりやすい希望の光が差し込むわけでもありません。

あれさびれた眺望、希望のない水のうえを、灼熱の苦難、
唾と、尿と、西瓜の殻のあいだを、東から南へ、南から西南へ、俺はつくづく放浪にあきはてながら、
 あゝ。俺。俺はなぜ放浪をつづけるのか。


実際にこういう旅をする人というのは、昔も今も、圧倒的な少数派なのだろうし、彼らと同じような旅をしたいと思う人も、あまりいないでしょう。

それでも、この本を読んでいると、元の三部作を全部通して読みたくなってきます。アジアのエピソードは、彼らの4年にわたる旅の一部にすぎないし、金子氏の独特の文章にはけっこう中毒性があるようで、波乱に満ちた旅の物語を、もっと読みたい気持ちにさせられてしまうのかもしれません。

ちなみに金子氏には、同じ時期の東南アジアの旅を描いた名作、『マレー蘭印紀行』がありますが、この本は、その舞台裏として読むこともできると思います。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書

at 18:29, 浪人, 本の旅〜東南アジア

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『森の回廊』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本の著者、ジャーナリストの吉田敏浩氏は、1985年にタイから国境を越えてビルマ(ミャンマー)の反政府ゲリラ支配地域に入り、以後3年7か月のあいだ、ゲリラと行動を共にして、彼らの「解放区」における人々の暮らしの実情と、その生活文化をつぶさに目にしました。

特に、ビルマ北部のカチン州の奥地を日本人が訪ねたのは、吉田氏が戦後初めてのことで、この本は、日本ではほとんど知られていないカチンの人々の暮らしを伝える貴重な記録となっています。そして、それ以上に、内戦地域の「森の回廊」をひたすら歩き続けた、長く苦しい旅の記録でもあります。

彼はビルマ潜入後、まず、カヤー州から北上するカチン独立軍の部隊とともに、シャン州を縦断してカチン州をめざすのですが、ビルマ政府軍の執拗な追撃を逃れながら、雨季の山中を進むその旅は困難をきわめ、直線距離で約550キロを移動するのに7か月もの時間がかかっています。

カチンの人々の共通言語であるジンポー語を習得した吉田氏は、カチン州に到着後もゲリラ戦の現場や内戦の傷跡を取材するのですが、そこは第二次世界大戦当時、インドから中国への軍需物資輸送ルート「レド公路」をめぐって、連合国側と日本軍が死闘を繰り広げた舞台でもありました。彼はそこで、何十年も続く内戦の苦しみばかりではなく、人々の記憶に焼きついた、かつての戦争の傷跡にも直面することになります。

一方で、彼は州内の各地方にも出向き、山中の村々を泊まり歩きながら、焼畑農耕に生きる人々の暮らしや氏族社会の強固な絆、彼らの神話や精霊信仰の祭り、シャーマンによる心霊治療など、カチンの人々の生活文化も精力的に取材しています。

彼はマラン・ブラン・ジャーというカチンの名前を与えられ、カチン州に2年余り滞在するのですが、そろそろタイに戻ろうという頃になって、彼は重いマラリアに罹って動けなくなり、やがて意識不明の状態に陥ってしまいます。

生死の境をさまよう吉田氏が回復するきっかけとなったのは、かつて取材した高名なシャーマンによる心霊治療でした。

その後も彼の苦難は続くのですが、旅行記としてこの本を読まれる方のために、内容の紹介はこのあたりまでにしておきます。

数年にわたる濃密な旅を描くにあたって、紙面の制約もあってか、吉田氏は現地の実情を伝えることに徹していて、その筆致も淡々としているのですが、それでも文章の端々に、想像を絶する旅の困難が見え隠れしています。

彼が旅をした内戦地域では、そこにいる誰もが生命の危険にさらされていたことは言うまでもありませんが、戦況・地形・気候・体調による移動の制約に加えて、どこへ行くにも反政府ゲリラのエスコートが必要という状況では、自由な形での取材や旅は非常に難しかったはずです。

また、決して豊かとはいえない食事、不十分な装備、ほとんど不可能に近い国外との連絡、たった一人の日本人として味わう深い孤独、そして医療体制の不十分な山中での重い病……。旅の苦しさを挙げていけばきりがありません。

それほど困難な旅を、吉田氏に最後まで続けさせたものは、一体何だったのでしょうか。

そこには、これまで外部にほとんど知られていなかった、カチンの人々の声を代弁したいという使命感があっただろうし、一度旅を始めてしまったら、何があっても自分の足で最後まで歩き抜く以外に、生還できる手段がなかったこともあるでしょう。

しかしそれ以上に、取材というレベルをはるかに超えて、誇り高く生きる山の民の暮らしに積極的に溶け込み、彼らから真剣に学び、彼らの生き方に心から共感する姿勢なしには、長い旅をまっとうするのは難しかったのではないかと思います。

とはいえ、必要最低限のモノだけで生きる山の暮らしは、文字通りの質実剛健です。この本で紹介されるカチンの人々の暮らしぶりも、多くの読者にとっては非常に地味に見えてしまうのではないでしょうか。少なくとも、私にとってはそうでした。

ただ、そこには、乾季の終わりの焼畑の火入れに始まり、種まき、雨季の草取り、そして乾季の収穫と農閑期の狩猟という、一年を通じた生活の循環があり、それは気の遠くなるような時間の流れの中でひたすら繰り返されてきた、人類の基本的な生活パターンと言うべきものです。

そこには、吉田氏のように現地に長期間滞在し、生活を共にすることによって、初めて心の奥深くから実感できる何かがあるのでしょう。そして、それはきっと、いくら言葉を重ねても、何枚の写真を並べても、伝えきれない性質のものなのだろうという気がします。

吉田氏の旅の後、ビルマ政府軍とカチン独立軍とは停戦し、その状況は現在も続いています。ちなみに、以前にこのブログで紹介した高野秀行氏の『西南シルクロードは密林に消える』の中には、カチン州をめぐる最近の状況が詳しく描かれています。

ただ、カチンの人々を始め、ビルマで民族自決への闘争を続けるそれぞれの少数民族に、いつか自治と平和を手にする日が来るとしても、それとは別に、彼らが遅かれ早かれ、世界中を覆いつくそうとするグローバリゼーションの波に直面するのは避けられません。

グローバリゼーションが、必ずしも悪いことばかりだとは思いませんが、彼らがこれまで命懸けで守り抜こうとしてきた伝統的な生活文化や人々のつながりが、劇的な変化に見舞われるのは確実です。そして、彼らがこれから迎えるに違いないそうした試練を思うと、何ともいえない切なさを覚えるのです。

この本に描かれているのは、もう20年以上も前の旅だし、ビルマをめぐる状況はその後大きく変化しています。それでも、カチン州などの辺境地域を旅した外国人は今なお非常に限られているだけに、この本は現地の貴重な報告として、また、類まれな旅行記として、今後も読み継がれていく価値があると思います。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書 

at 18:53, 浪人, 本の旅〜東南アジア

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『漂海民バジャウの物語 ― 人類学者が暮らしたフィリピン・スールー諸島』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本の著者で人類学者のハリー・アルロ・ニモ氏は、1960年代に、漂海民バジャウ(サマ・ディラウト)のフィールド調査のため、フィリピン南部のスールー諸島に約2年間滞在しました。

彼はそこで、バジャウの日常言語であるサマ語を覚え、自らも家舟に住んで彼らのコミュニティに加わり、ときには彼らの漁に同行したり、慶弔の儀礼に立ち会ったりしながら、さまざまな調査を行いました。

ニモ氏は、その人類学的な成果について、すでに何冊かの本にまとめていますが、この本では、そうした客観的でアカデミックな研究からはこぼれ落ちてしまっていたもの、つまり、人類学者である以前に、彼が一人の人間としてスールーの人々に向きあうなかで体験し、彼自身の人生にも大きな影響を与えた、いくつもの印象深いエピソードが取り上げられています。

そこには、家舟に暮らし、魚群を追って島々をさすらうバジャウの人々を中心に、フィリピン人や中国人、アメリカ人など、スールー諸島に暮らすさまざまな人間が登場します。

なかでも、過酷な運命に翻弄され、アウトサイダーとして孤独に生きるなかで、人を信じることができなくなってしまった中国人商人の話(「ラム」)、恋多きバジャウの歌姫の出奔とその結末(「サランダの歌」)、クリスチャンとしての強い信仰に支えられ、人生の残り時間を辺境の人々への医療の普及に捧げたフィリピン人シスターの話(「それぞれの神へ」)、スールー海の人々に恐れられる一方で、フィリピン政府への反抗の象徴として地元の英雄でもあった一人の海賊との友情を描いた話(「アマック」)は、読んでいて深く心に沁みました。

美しいスールーの自然を背景に展開するこれらのエピソードは、「物語」と呼ぶにふさわしく、どこかおとぎ話のような印象さえ受けます。そして、そこからは、生きることの切なさ、哀しみのようなものが伝わってきます。

もちろんそれは、これらの物語が、若い頃のニモ氏自身の体験を回想する昔語りであること、また、彼の世界観に基づいて体験を解釈・再構成し、物語として意識的にまとめ直したからということがあるのでしょう。

ただ、この本に心を打たれるのは、それが単なる昔の思い出にとどまらず、そこに、感受性豊かな彼が青年時代にスールーで目にしたありのままの生と死、喜びや悲しみ、人々が知恵と持てる限りの手段を駆使して精一杯に生きる姿が、シンプルに、かつ繊細な配慮をもって描かれているからなのだと思います。

また、この作品は、異文化の中で暮らしながら、現地の慣習やモノの見方に完全に巻き込まれることなく、アウトサイダーとしてさまざまな出来事に中立的に向きあえる旅人の特権的な立場や、その代償としての孤独やストレス、そして、旅人の宿命として避けることのできない人々との別れについて、一人の人類学者の内面を通して描いた、優れた旅行記でもあります。

ニモ氏の滞在後しばらくして、スールーの島々は開発の波に飲みこまれたばかりか、激しい内戦の舞台にもなってしまいました。この本の最終章には、後に現地を再び訪れた彼が、そこに見たものが描かれています。

それは、とても悲しい光景でした。

1960年代に、ニモ氏がそこで確かに目にしたひとつの世界は、すでにこの世から消え去ってしまい、私たちはもう二度と目にすることができません。この本のエピソードが、どこかおとぎ話のように感じられてしまうのは、それが私たち読者には手の届くことのない、遠い別世界の出来事だと分かっているからなのかもしれません。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書

at 19:29, 浪人, 本の旅〜東南アジア

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