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2008.09.23 Tuesday
日本人の激写集団
チベットを旅していたときのことです。
ラサからサムイエに向かう途中に大きな河があるのですが、橋がかかっていないため、そこでは発動機のついた渡し舟を利用することになります。
十分な数の客が集まるまで、渡し舟は出発しないので、そのとき私は船着場で一時間以上もブラブラしながら、舟が出るのを待っていました。
周囲にはこれといって見るべきものもなく、チベットらしい荒涼とした風景が広がっているばかりです。
そこに一台のバスがやってきて、日本人とみられる中高年の一団がゾロゾロと降りてきました。全部で20名以上はいたでしょうか。一見したところ、よくある団体ツアーの観光客のようでしたが、何か少し雰囲気が違います。
彼らの全員が、高級そうな一眼レフを構えていて、持っている機材の量もかなりのものです。中には一人で三台のカメラをぶら下げた人もいます。きっと趣味で写真をやっている者同士が集まり、「秘境チベット撮影ツアー」みたいなことを企画して、ここまでやって来たのでしょう。
一団の人々は、キョロキョロとあたりを見回しながらこちらの方まで歩いてくると、現地のチベット人を見つけて取り囲み、写真を撮り始めました。
その光景は何とも異様でした。
20以上のカメラが一斉にその人物に向けられ、バシャバシャとシャッターが切られ続けます。みな撮影に集中しているのか、ほとんど無言です。まるで政治家や芸能人を追いかけるマスコミのようですが、ここはチベットの田舎です。
ハイテク製品で「武装」した日本人の一団と、チベット人の呆然とした様子、それに周囲の荒涼とした風景があまりにちぐはぐで、私は泥水でも浴びせられたような、何とも言いようのない気分で、彼らの行動をただ遠巻きに眺めていました。
ひととおり撮影が済むと、一団に同行していたガイドが、「1、2元払ってあげてくださぁ〜い!」と呼びかけました。
すると今度は、撮影を終えたオッサンたちの多くがチベット人「モデル」の前に黙って列をつくり、その全員が一人ずつチップを渡していきます。
日本人ツアー客にとっては、一人が払う金額は駄菓子代程度でしかないのかもしれませんが、それでも20人分ともなれば、それなりの金額にはなるし、ましてや現地のチベット人にとっては相当な大金です。
それに、お金を渡すなら、せめて誰かが撮影のお礼を言って、まとめて渡すなりすればいいのに、これでは何だか、「とりあえず渡しとけば文句ないだろ」みたいな乱暴さすら感じます。
彼らはチベットのあちこちで、あるいは世界のあちこちで、こんなことをしながら「撮影ツアー」を続けているのでしょうか? その姿がありありと目に浮かんでくるようで、私はとても暗い気持ちになりました。
もちろん、ツアーに参加しているメンバー一人ひとりの身になって考えてみれば、彼らの行動の理由はそれなりに理解できないわけではありません。
彼らにとっては、憧れの「秘境」チベットにやって来て、見るものすべてが新鮮で珍しく、子供のように高揚していて、何にでもカメラを向けずにはいられないのかもしれないし、そのためにこそ大量のフィルムや機材を用意してきたわけです。それに旅の時間は限られているので、変に躊躇をして、シャッターチャンスを逃すわけにはいかないのかもしれません。
もしかすると、撮影のために現地の人に対して失礼なことをしているかもしれないけれど、どのくらいまでならOKで、どこからがダメなのか、その辺の微妙なことは外国人には分かりません。そもそも、そんなときのためにこそガイドがいるわけで、何か問題が起こりそうになったら、ガイドがきちんとフォローするなり、アドバイスしてくれるはずだと安心しきっているのかもしれません。
それに、観光客が現地の人に一斉にカメラを向けるようなことは、日本人だけに限ったことではなく、他の国のツアー客の行動としても、多かれ少なかれ見受けられることです。
しかしやはり、私にとって、その日の光景は何か特別なインパクトがありました。
彼らが地元の人を取り囲み、まるで草木を撮影するみたいに黙ってシャッターを切り続ける光景は、恐ろしいというか、気味が悪いというか、とにかく同じ日本人としてその場にいることが恥ずかしくなるようなものでした。
もしも、カメラマンが一人か二人だけだったなら、彼らもあんなに大胆な行動には出なかったような気がするのです。彼らの傍若無人さには、何か強力な集団心理みたいなものが働いていたのではないでしょうか。隣の人と同じことをしているんだから、別にいいではないか、というような……。
しかも、撮影に夢中になっていて、他のことを考える余裕がないのか、ガイドに言われたとおりに、みんなが反射的に同じ行動をとっている様子も、まるで羊の群れを見ているようで不気味でした。
当然のことですが、彼らの撮影する美しいチベットの人物像や風景には、カメラを構える20人もの仲間の姿は映り込んでいないはずです。出来上がった写真だけを見せられる人は、チベットで繰り広げられた異様な撮影風景のことなど知ることもないのでしょう。
しかし、こういうことを偉そうに言っている私自身はどうなのでしょうか?
実は、そのとき私も一眼レフを持ち歩いていたのです。さすがにバックパックからカメラを取り出して、一緒に撮影するようなことはありませんでしたが。
それなら、20人で撮影するのはダメで、1人ならいいのでしょうか?
そう突き詰めていくと、旅先にカメラを持ち歩き、現地の人を撮影するとはどういうことなのか、考え込まざるを得ません。
その頃、「写真が撮れない症候群」に陥っていた私は、ときどき建物や風景を撮るほかは、ほとんど人にカメラを向けることができなくなっていましたが、この光景を目の当たりにした衝撃のせいか、ますますカメラのシャッターが切れなくなってしまったのです。
もっとも、今になって思うのですが、当時の私は、旅先で見知らぬ人を撮影するということに関して、ちょっと神経過敏だったのかもしれません。
こういう微妙な罪悪感のようなものは、もしかするとプロのカメラマンも感じることがあるのかもしれませんが、きっと彼らは、仕事をする上での一定のポリシーを守ることで、それを克服しているのでしょう。
また、旅人や観光客でも、常識的なマナーを守ったり、人間としての自然な感覚や感情を大切にし、相手を尊重する気持ちがあれば、撮影すること自体に問題はないのだと思います。また、その国の文化や個人の性格によっては、見知らぬ人に写真を撮られることを気にしないばかりか、むしろ歓迎する人々もいます。
結局、これは撮影する側・される側の人間関係の問題であって、プロであろうとアマチュアであろうと、両者の間に自然で良好な関係が築ければ、現地の人たちを傷つけたり、トラブルになったりすることはないのでしょう。
今考えると、チベットで見た光景に私がショックを受けたのは、一方的に撮影しまくり、お金をばらまいて去っていく人たちの姿からは、両者の間の人間的なつながりのようなものを全く感じることができなかったということなのだと思います。
皆様は、この、「撮影する側・される側の人間関係の問題」について、どのように思われますか? あるいは、旅先で撮影するにあたって、常に心がけているポイントなどはありますか?
JUGEMテーマ:旅行
ラサからサムイエに向かう途中に大きな河があるのですが、橋がかかっていないため、そこでは発動機のついた渡し舟を利用することになります。
十分な数の客が集まるまで、渡し舟は出発しないので、そのとき私は船着場で一時間以上もブラブラしながら、舟が出るのを待っていました。
周囲にはこれといって見るべきものもなく、チベットらしい荒涼とした風景が広がっているばかりです。
そこに一台のバスがやってきて、日本人とみられる中高年の一団がゾロゾロと降りてきました。全部で20名以上はいたでしょうか。一見したところ、よくある団体ツアーの観光客のようでしたが、何か少し雰囲気が違います。
彼らの全員が、高級そうな一眼レフを構えていて、持っている機材の量もかなりのものです。中には一人で三台のカメラをぶら下げた人もいます。きっと趣味で写真をやっている者同士が集まり、「秘境チベット撮影ツアー」みたいなことを企画して、ここまでやって来たのでしょう。
一団の人々は、キョロキョロとあたりを見回しながらこちらの方まで歩いてくると、現地のチベット人を見つけて取り囲み、写真を撮り始めました。
その光景は何とも異様でした。
20以上のカメラが一斉にその人物に向けられ、バシャバシャとシャッターが切られ続けます。みな撮影に集中しているのか、ほとんど無言です。まるで政治家や芸能人を追いかけるマスコミのようですが、ここはチベットの田舎です。
ハイテク製品で「武装」した日本人の一団と、チベット人の呆然とした様子、それに周囲の荒涼とした風景があまりにちぐはぐで、私は泥水でも浴びせられたような、何とも言いようのない気分で、彼らの行動をただ遠巻きに眺めていました。
ひととおり撮影が済むと、一団に同行していたガイドが、「1、2元払ってあげてくださぁ〜い!」と呼びかけました。
すると今度は、撮影を終えたオッサンたちの多くがチベット人「モデル」の前に黙って列をつくり、その全員が一人ずつチップを渡していきます。
日本人ツアー客にとっては、一人が払う金額は駄菓子代程度でしかないのかもしれませんが、それでも20人分ともなれば、それなりの金額にはなるし、ましてや現地のチベット人にとっては相当な大金です。
それに、お金を渡すなら、せめて誰かが撮影のお礼を言って、まとめて渡すなりすればいいのに、これでは何だか、「とりあえず渡しとけば文句ないだろ」みたいな乱暴さすら感じます。
彼らはチベットのあちこちで、あるいは世界のあちこちで、こんなことをしながら「撮影ツアー」を続けているのでしょうか? その姿がありありと目に浮かんでくるようで、私はとても暗い気持ちになりました。
もちろん、ツアーに参加しているメンバー一人ひとりの身になって考えてみれば、彼らの行動の理由はそれなりに理解できないわけではありません。
彼らにとっては、憧れの「秘境」チベットにやって来て、見るものすべてが新鮮で珍しく、子供のように高揚していて、何にでもカメラを向けずにはいられないのかもしれないし、そのためにこそ大量のフィルムや機材を用意してきたわけです。それに旅の時間は限られているので、変に躊躇をして、シャッターチャンスを逃すわけにはいかないのかもしれません。
もしかすると、撮影のために現地の人に対して失礼なことをしているかもしれないけれど、どのくらいまでならOKで、どこからがダメなのか、その辺の微妙なことは外国人には分かりません。そもそも、そんなときのためにこそガイドがいるわけで、何か問題が起こりそうになったら、ガイドがきちんとフォローするなり、アドバイスしてくれるはずだと安心しきっているのかもしれません。
それに、観光客が現地の人に一斉にカメラを向けるようなことは、日本人だけに限ったことではなく、他の国のツアー客の行動としても、多かれ少なかれ見受けられることです。
しかしやはり、私にとって、その日の光景は何か特別なインパクトがありました。
彼らが地元の人を取り囲み、まるで草木を撮影するみたいに黙ってシャッターを切り続ける光景は、恐ろしいというか、気味が悪いというか、とにかく同じ日本人としてその場にいることが恥ずかしくなるようなものでした。
もしも、カメラマンが一人か二人だけだったなら、彼らもあんなに大胆な行動には出なかったような気がするのです。彼らの傍若無人さには、何か強力な集団心理みたいなものが働いていたのではないでしょうか。隣の人と同じことをしているんだから、別にいいではないか、というような……。
しかも、撮影に夢中になっていて、他のことを考える余裕がないのか、ガイドに言われたとおりに、みんなが反射的に同じ行動をとっている様子も、まるで羊の群れを見ているようで不気味でした。
当然のことですが、彼らの撮影する美しいチベットの人物像や風景には、カメラを構える20人もの仲間の姿は映り込んでいないはずです。出来上がった写真だけを見せられる人は、チベットで繰り広げられた異様な撮影風景のことなど知ることもないのでしょう。
しかし、こういうことを偉そうに言っている私自身はどうなのでしょうか?
実は、そのとき私も一眼レフを持ち歩いていたのです。さすがにバックパックからカメラを取り出して、一緒に撮影するようなことはありませんでしたが。
それなら、20人で撮影するのはダメで、1人ならいいのでしょうか?
そう突き詰めていくと、旅先にカメラを持ち歩き、現地の人を撮影するとはどういうことなのか、考え込まざるを得ません。
その頃、「写真が撮れない症候群」に陥っていた私は、ときどき建物や風景を撮るほかは、ほとんど人にカメラを向けることができなくなっていましたが、この光景を目の当たりにした衝撃のせいか、ますますカメラのシャッターが切れなくなってしまったのです。
もっとも、今になって思うのですが、当時の私は、旅先で見知らぬ人を撮影するということに関して、ちょっと神経過敏だったのかもしれません。
こういう微妙な罪悪感のようなものは、もしかするとプロのカメラマンも感じることがあるのかもしれませんが、きっと彼らは、仕事をする上での一定のポリシーを守ることで、それを克服しているのでしょう。
また、旅人や観光客でも、常識的なマナーを守ったり、人間としての自然な感覚や感情を大切にし、相手を尊重する気持ちがあれば、撮影すること自体に問題はないのだと思います。また、その国の文化や個人の性格によっては、見知らぬ人に写真を撮られることを気にしないばかりか、むしろ歓迎する人々もいます。
結局、これは撮影する側・される側の人間関係の問題であって、プロであろうとアマチュアであろうと、両者の間に自然で良好な関係が築ければ、現地の人たちを傷つけたり、トラブルになったりすることはないのでしょう。
今考えると、チベットで見た光景に私がショックを受けたのは、一方的に撮影しまくり、お金をばらまいて去っていく人たちの姿からは、両者の間の人間的なつながりのようなものを全く感じることができなかったということなのだと思います。
皆様は、この、「撮影する側・される側の人間関係の問題」について、どのように思われますか? あるいは、旅先で撮影するにあたって、常に心がけているポイントなどはありますか?
JUGEMテーマ:旅行
2008.01.21 Monday
消灯時間の攻防
チベットのラサに滞在していたときのことです。
2006年7月に青海チベット鉄道(青蔵鉄道)がラサまで開通して以来、チベットは空前の観光ブームに沸いていて、今では中国人や世界各国からの観光客が年間に数百万人も訪れるといわれていますが、私がチベットを旅したのはその何年か前のことでした。
当時、ラサではすでに急速な「中国化」が進んでいて、もはや秘境という感じではなくなっていましたが、それでも街で見かける旅行者といえば、観光客よりもチベット人巡礼者の方が多いと感じられるくらいで、街にもまだまだ牧歌的な雰囲気が残っていたような気がします。
私が泊まっていたホテルのドミトリーは大部屋で、各国からのバックパッカーが20人くらい詰め込まれていました。あまりいい条件の部屋ではありませんが、チェックインをした時には疲れていて、あまりあちこち宿探しをしたくなかったのと、当時そのホテルは日本人バックパッカーのたまり場になっていて、知り合いの旅人の姿も見かけたので、とりあえずそこに腰を落ち着けることにしたのです。
確か、ラサに着いた翌日のことだったと思います。日本人旅行者どうしで雑談をしているときに、同室の若い日本人バックパッカーが、その部屋の「ぬし」のことを教えてくれました。
彼によれば、私たちの部屋には神経質そうな欧米人のオバサン・バックパッカーが居座っていて、そのオバサンが消灯時間にやたら厳しいというのです。彼女は部屋の電灯のスイッチに一番近い場所のベッドを使っていて、9時だったか10時だったか、とにかく消灯時間になると、他の人が何をしていようがおかまいなしに、いきなり部屋の電気を消してしまうというのです。
私はそのとき、そういえばドミトリーにはそういうルールがあったのかと、初めて思い至りました。私がそれまでに泊まったアジア各国のドミトリーでは、消灯時間なんていちいち確認したことはないし、そのようなものがあると意識したこともなかったのです。
だいたい、バックパッカーには若者が多いので、概して夜更かしの傾向があるし、たとえ細かなルールが決まっていたとしても、人がどんどん入れ替わっていくドミトリーで、それが徹底されるなどとはとても思えません。
しかし、少なくとも私の場合は、そのことで何か不都合な思いをしたという記憶はなかったし、消灯時間に関しては、ルール以前の問題として、旅人どうしの気配りでうまく解決されていたように思うのです。
3〜4人の少人数のドミトリーなら、国籍は違っても、旅人どうしの暗黙の了解というものが成立します。早く寝たい人がいれば、その人に合わせて早めに消灯することになるし、話をしたい人は寝ている人に気を使って、ロビーかどこかに移動します。逆に、部屋の全員で話が盛り上がれば、そのまま遅くまで話し込んだりすることもあります。
大部屋の場合でも、夜中になると明かりがついているうちに寝る人がポツポツ現れはじめ、それがある程度の人数になると、誰かが気を効かせて消灯するという感じです。それに文句を言う人はいないし、逆に時間だからといって、有無を言わさずいきなりスイッチを切ってしまう人もいません。
そういう意味では、そのオバサン・バックパッカーは、ちょっと変わった人なのかもしれません。旅人どうしの暗黙の了解とか、その場の流れみたいなものよりも、とにかく決められたルールを絶対的に優先するタイプの人なのでしょうか。
世の中には、そういう人が一定の割合で存在するのだろうし、旅人の中にそういうタイプの人がいてもおかしくはありません。まわりの人はちょっと迷惑をこうむるけれど、ずっと一緒に暮らすわけでもないし、どうせ何日かの辛抱だと思えば耐えられないほどではない、といった感じでしょうか。
もちろん私たちには、オバサンのやり方に反対し、自分たちが迷惑していることを伝えるという選択肢もあるわけですが、頭の固そうな彼女を敵に回すことになれば、いろいろとやっかいなことになりそうだし、そもそも消灯時間が決まっているのだとしたら、「正義」は彼女の側にあります。オバサンの一方的なやり方には問題があるにしても、理屈の上では、闘っても勝ち目はなさそうです。
しかし、そうと分かっていても、日本人の彼は、やはりオバサンに一矢報いたいようでした。彼は、日記を書いたり、いろいろとやりたいことがあるのに、毎日勝手に電気を消されて本当に困る、今日こそは彼女の思いどおりにはさせない、絶対に立ち向かってやると息巻いています。彼は何となくそう言ってしまった手前、オバサンと闘う決意を固めたようでした。周りで聞いている日本人は「まあ、がんばってね」とニヤニヤ笑うばかりです。
その日の夜。
私も「闘いの瞬間」がやってくるのを何となく気にして待っていると、期待通りというべきか、多くの人が書き物をしたり、本を読んだりしていたにもかかわらず、オバサンが何も言わずにいきなり電気を消してしまいました。
例の彼は、何か書き物をしているところでしたが、すぐさま立ち上がり、スイッチに突進しました。彼は黙って電気をつけ直し、自分のベッドに戻りました。
「おお〜っ!」
日本人旅行者の間から、声にならない感嘆のため息がもれ、みな思わず顔を見合わせました。ついに戦いの火蓋が切って落とされたのです。
しかし、彼が再び自分のベッドに戻る間もなく、バチッ! と大きな音がして、再び電気が消されました。オバサンはスイッチの脇に陣取っているわけですから、当然予想された反応ですが、さすがにこの激しい反撃には、大部屋全体の空気が凍りつきました。
さあ、彼は次にどう出るか……。
私も思わず固唾を飲んで見守りましたが、結局、彼が再び立ち上がることはありませんでした。たった今のオバサンの気迫あふれる反撃にタジタジとなり、戦意を喪失してしまったようです。
さすがに彼の代わりに立ち上がる者もなく、この闘いはそのまま決着がついてしまいました。やはり誰も、あのオバサンに立ち向かうことはできなかったようです。あっけない幕切れでしたが、ある意味では、それ以上のトラブルは回避されたともいえます。
そのまま私も眠りについたのですが、真夜中になって、誰かがドアを開けたりガサゴソ動き回る物音で目が覚めました。夜遅くまでどこかで飲み歩いていた旅人が部屋に戻ってきたのでしょうか。
その人物は自分のベッドのあたりでガサガサと騒々しい音を立てていましたが、やがて入口の方に戻っていくと、いきなり部屋中の電気をつけました。
私は眩しさに目がくらみました。それまで寝ていた人もびっくりして、いったい何が起こったのかと思ったのではないでしょうか。驚いて体を起こす人こそいないようでしたが、これでは多くの旅人が目を覚ましたに違いありません。
それにしても、あの「消灯オバサン」が仕切っているこの大部屋で、真夜中にいきなり電気をつけるとは、何と大胆な攻撃なのでしょう。
いったい誰の仕業かと思って見てみると、中国人の若者でした。自分のバッグの中に入っているはずの何かを探しているのか、まだガサゴソと荷物を引っかきまわしています。はっきりとは分かりませんが、その雰囲気からして、彼は香港人や台湾人のバックパッカーというよりは、広州などの沿海部からやって来た旅行者という感じがしました。
彼はかなり酒に酔っているのでしょうか、それともいつも通りの何気ない行動だったのでしょうか。日本人ならこういう状況では、せめて懐中電灯を使うなり、周囲に気を使いながら暗闇の中で静かに探し物をするはずです。彼の大胆不敵というか、あまりにも傍若無人なふるまいにはさすがにあっけにとられました。
あのオバサンはどう出るのだろう、今度はそれが気になりだしました。これだけの重大なルール違反を、あのオバサンが黙って見過ごすとはとても思えません。
しかし、オバサンが立ち上がって電気を消す気配はありませんでした。
やがて若者は、探していたものが見つかったのか、再び出口の方に歩いていって自分で電気を消しました。大部屋は再び静けさを取り戻しました。
それにしても、オバサンは、熟睡していて部屋の電気がついたことに気がつかなかったのでしょうか。それとも、彼女にとって想定外の、あまりに大胆なルール違反に呆然として、反撃することもできなかったのでしょうか。
真相は知る由もありませんが、せっかくの空前のバトルを見損なって残念なような、でもとりあえず平和が守られてよかったような、ちょっと複雑な心境でした。
しかし、冷静に考えてみれば、消灯時間のルールを守るか守らないかなんて、まあ、喧嘩するほど大げさな問題ではありません。
私は再び眠りに落ちていきました……。
2006年7月に青海チベット鉄道(青蔵鉄道)がラサまで開通して以来、チベットは空前の観光ブームに沸いていて、今では中国人や世界各国からの観光客が年間に数百万人も訪れるといわれていますが、私がチベットを旅したのはその何年か前のことでした。
当時、ラサではすでに急速な「中国化」が進んでいて、もはや秘境という感じではなくなっていましたが、それでも街で見かける旅行者といえば、観光客よりもチベット人巡礼者の方が多いと感じられるくらいで、街にもまだまだ牧歌的な雰囲気が残っていたような気がします。
私が泊まっていたホテルのドミトリーは大部屋で、各国からのバックパッカーが20人くらい詰め込まれていました。あまりいい条件の部屋ではありませんが、チェックインをした時には疲れていて、あまりあちこち宿探しをしたくなかったのと、当時そのホテルは日本人バックパッカーのたまり場になっていて、知り合いの旅人の姿も見かけたので、とりあえずそこに腰を落ち着けることにしたのです。
確か、ラサに着いた翌日のことだったと思います。日本人旅行者どうしで雑談をしているときに、同室の若い日本人バックパッカーが、その部屋の「ぬし」のことを教えてくれました。
彼によれば、私たちの部屋には神経質そうな欧米人のオバサン・バックパッカーが居座っていて、そのオバサンが消灯時間にやたら厳しいというのです。彼女は部屋の電灯のスイッチに一番近い場所のベッドを使っていて、9時だったか10時だったか、とにかく消灯時間になると、他の人が何をしていようがおかまいなしに、いきなり部屋の電気を消してしまうというのです。
私はそのとき、そういえばドミトリーにはそういうルールがあったのかと、初めて思い至りました。私がそれまでに泊まったアジア各国のドミトリーでは、消灯時間なんていちいち確認したことはないし、そのようなものがあると意識したこともなかったのです。
だいたい、バックパッカーには若者が多いので、概して夜更かしの傾向があるし、たとえ細かなルールが決まっていたとしても、人がどんどん入れ替わっていくドミトリーで、それが徹底されるなどとはとても思えません。
しかし、少なくとも私の場合は、そのことで何か不都合な思いをしたという記憶はなかったし、消灯時間に関しては、ルール以前の問題として、旅人どうしの気配りでうまく解決されていたように思うのです。
3〜4人の少人数のドミトリーなら、国籍は違っても、旅人どうしの暗黙の了解というものが成立します。早く寝たい人がいれば、その人に合わせて早めに消灯することになるし、話をしたい人は寝ている人に気を使って、ロビーかどこかに移動します。逆に、部屋の全員で話が盛り上がれば、そのまま遅くまで話し込んだりすることもあります。
大部屋の場合でも、夜中になると明かりがついているうちに寝る人がポツポツ現れはじめ、それがある程度の人数になると、誰かが気を効かせて消灯するという感じです。それに文句を言う人はいないし、逆に時間だからといって、有無を言わさずいきなりスイッチを切ってしまう人もいません。
そういう意味では、そのオバサン・バックパッカーは、ちょっと変わった人なのかもしれません。旅人どうしの暗黙の了解とか、その場の流れみたいなものよりも、とにかく決められたルールを絶対的に優先するタイプの人なのでしょうか。
世の中には、そういう人が一定の割合で存在するのだろうし、旅人の中にそういうタイプの人がいてもおかしくはありません。まわりの人はちょっと迷惑をこうむるけれど、ずっと一緒に暮らすわけでもないし、どうせ何日かの辛抱だと思えば耐えられないほどではない、といった感じでしょうか。
もちろん私たちには、オバサンのやり方に反対し、自分たちが迷惑していることを伝えるという選択肢もあるわけですが、頭の固そうな彼女を敵に回すことになれば、いろいろとやっかいなことになりそうだし、そもそも消灯時間が決まっているのだとしたら、「正義」は彼女の側にあります。オバサンの一方的なやり方には問題があるにしても、理屈の上では、闘っても勝ち目はなさそうです。
しかし、そうと分かっていても、日本人の彼は、やはりオバサンに一矢報いたいようでした。彼は、日記を書いたり、いろいろとやりたいことがあるのに、毎日勝手に電気を消されて本当に困る、今日こそは彼女の思いどおりにはさせない、絶対に立ち向かってやると息巻いています。彼は何となくそう言ってしまった手前、オバサンと闘う決意を固めたようでした。周りで聞いている日本人は「まあ、がんばってね」とニヤニヤ笑うばかりです。
その日の夜。
私も「闘いの瞬間」がやってくるのを何となく気にして待っていると、期待通りというべきか、多くの人が書き物をしたり、本を読んだりしていたにもかかわらず、オバサンが何も言わずにいきなり電気を消してしまいました。
例の彼は、何か書き物をしているところでしたが、すぐさま立ち上がり、スイッチに突進しました。彼は黙って電気をつけ直し、自分のベッドに戻りました。
「おお〜っ!」
日本人旅行者の間から、声にならない感嘆のため息がもれ、みな思わず顔を見合わせました。ついに戦いの火蓋が切って落とされたのです。
しかし、彼が再び自分のベッドに戻る間もなく、バチッ! と大きな音がして、再び電気が消されました。オバサンはスイッチの脇に陣取っているわけですから、当然予想された反応ですが、さすがにこの激しい反撃には、大部屋全体の空気が凍りつきました。
さあ、彼は次にどう出るか……。
私も思わず固唾を飲んで見守りましたが、結局、彼が再び立ち上がることはありませんでした。たった今のオバサンの気迫あふれる反撃にタジタジとなり、戦意を喪失してしまったようです。
さすがに彼の代わりに立ち上がる者もなく、この闘いはそのまま決着がついてしまいました。やはり誰も、あのオバサンに立ち向かうことはできなかったようです。あっけない幕切れでしたが、ある意味では、それ以上のトラブルは回避されたともいえます。
そのまま私も眠りについたのですが、真夜中になって、誰かがドアを開けたりガサゴソ動き回る物音で目が覚めました。夜遅くまでどこかで飲み歩いていた旅人が部屋に戻ってきたのでしょうか。
その人物は自分のベッドのあたりでガサガサと騒々しい音を立てていましたが、やがて入口の方に戻っていくと、いきなり部屋中の電気をつけました。
私は眩しさに目がくらみました。それまで寝ていた人もびっくりして、いったい何が起こったのかと思ったのではないでしょうか。驚いて体を起こす人こそいないようでしたが、これでは多くの旅人が目を覚ましたに違いありません。
それにしても、あの「消灯オバサン」が仕切っているこの大部屋で、真夜中にいきなり電気をつけるとは、何と大胆な攻撃なのでしょう。
いったい誰の仕業かと思って見てみると、中国人の若者でした。自分のバッグの中に入っているはずの何かを探しているのか、まだガサゴソと荷物を引っかきまわしています。はっきりとは分かりませんが、その雰囲気からして、彼は香港人や台湾人のバックパッカーというよりは、広州などの沿海部からやって来た旅行者という感じがしました。
彼はかなり酒に酔っているのでしょうか、それともいつも通りの何気ない行動だったのでしょうか。日本人ならこういう状況では、せめて懐中電灯を使うなり、周囲に気を使いながら暗闇の中で静かに探し物をするはずです。彼の大胆不敵というか、あまりにも傍若無人なふるまいにはさすがにあっけにとられました。
あのオバサンはどう出るのだろう、今度はそれが気になりだしました。これだけの重大なルール違反を、あのオバサンが黙って見過ごすとはとても思えません。
しかし、オバサンが立ち上がって電気を消す気配はありませんでした。
やがて若者は、探していたものが見つかったのか、再び出口の方に歩いていって自分で電気を消しました。大部屋は再び静けさを取り戻しました。
それにしても、オバサンは、熟睡していて部屋の電気がついたことに気がつかなかったのでしょうか。それとも、彼女にとって想定外の、あまりに大胆なルール違反に呆然として、反撃することもできなかったのでしょうか。
真相は知る由もありませんが、せっかくの空前のバトルを見損なって残念なような、でもとりあえず平和が守られてよかったような、ちょっと複雑な心境でした。
しかし、冷静に考えてみれば、消灯時間のルールを守るか守らないかなんて、まあ、喧嘩するほど大げさな問題ではありません。
私は再び眠りに落ちていきました……。
JUGEMテーマ:旅行
2007.01.03 Wednesday
青海チベット鉄道(青蔵鉄道)の光と影
1月2日夜9時からのTV番組、NHK総合「青海チベット鉄道〜世界の屋根2000キロをゆく〜」を見ました。
確か、以前にテレビ朝日の「報道ステーション」でも青蔵鉄道の特集があって、断片的な映像を見た記憶がありますが、今回の番組は、青海省の西寧を夜出発し、翌日夜にラサに到着するまでの約26時間の鉄道の旅を、沿線上の見どころと共に順を追って紹介するものです。
正月のゴールデンタイムに、青蔵鉄道の話題のみで一時間半もの時間をとるのは破格の扱いです。どんな凄い取材内容なのかと気になりました。また、私はゴルムド〜ラサ間のルートを旅したことがないので、どんな沿線風景なのか知りたいということもあって、見てみることにしたのです。
列車ダイヤの都合上、西寧〜ゴルムドの区間と、終着駅ラサまでの数時間は車窓が夜の闇に包まれてしまうので、観光的な見どころとしてはゴルムドを出発してから日没までの間ということになります。番組では鉄道建設や客車のハイテク技術の話題も織り込みながら、崑崙山脈の5000メートル級の峠越え、ココシリ自然保護区の野生動物、長江源流、車窓から見える湖、遊牧風景などを紹介していました。
ちなみに、この鉄道の旅については、風の旅行社のウェブサイトに写真家の長岡洋幸氏による詳細なレポートが載っているので、TVで見逃した方はそちらをご覧下さい。
鉄道ファンや旅好きの人にとってはそれなりに楽しめる内容だったと思うのですが、残念なのは、チベット高原の荒涼として雄大な風景のパノラマ感が、TVの画面では到底表現しきれないことと、冷たく薄い大気が体に作用する独特の感覚がないので、チベットを旅しているという臨場感が伝わってこなかったことでした。しかし、これはもちろんNHKの責任ではありません。
私が引っかかったのは、この番組では、青蔵鉄道のテクノロジーや自然環境への配慮、旅の素晴らしさの紹介に全ての焦点が絞られてしまっていて、そもそもなぜ西寧〜ラサに鉄道が敷かれたのか、その政治的な意味や、チベット人がこの鉄道をどう見ているかについて、ほとんど全く触れられていなかったことでした。
以前にこのブログの記事「中国のチベット旅行ブーム」にも書きましたが、私は個人的にはチベット人に同情的なので、NHKの番組では(あえて?)触れられていない、この鉄道のもつ別の側面がどうしても気になってしまうのです。
もちろん、そういう観点を持ち込めば、いわゆる紀行番組の枠組みを外れることになるでしょう。また、取材に全面的に協力してくれたであろう中国当局への配慮もあったはずです。そのような事情は分からなくもないのですが、1時間半もの時間をかけて青蔵鉄道を丁寧に紹介しているだけに、チベットの現代史やこの鉄道がもつ意味について、もう少しつっ込んだ内容があってもよかったのではないでしょうか。
ただ、一方で、私の個人的な思い入れから、いわゆる「チベット問題」に言及するとき、少数民族であるチベット人の立場に立つ傾向があることは自覚しているつもりです。そうした視点からこの鉄道について考えていると、つい善悪や被害者・加害者の二元論で判断してしまいがちになりますが、それも行き過ぎれば現実を見誤ることになるでしょう。
番組では、この鉄道を利用して新しいビジネスを始めようとする、漢人やチベット人の姿が紹介されていました。また、小さなビニール袋一つだけを持ってチベットに働きにやって来たという少年の姿も印象に残りました。
人々は国家の思惑と同じ方向で動くこともありますが、時にはそういう思惑を超えて、国家が作りあげたインフラを、自分たちのために利用し尽くそうとするしたたかさも持っています。チベット人も、もしかすると、この鉄道によって一方的に北京からコントロールされる立場になるわけではないかもしれません。中にはこれを一つのチャンスと見てうまく立ち回り、しぶとく生き延びていく人物も現れるのではないでしょうか。
NHKの番組を通じて、西寧〜ラサの旅が具体的にどんな感じであるかは、知識として十分に伝わってきました。個人的には風景の美しさや旅の情報以外のことも気になるので、この鉄道がチベットをどう変えていくのか、それはそこに生きる人々の幸せにつながるのか、これからも注意深く見ていたいと思います。
確か、以前にテレビ朝日の「報道ステーション」でも青蔵鉄道の特集があって、断片的な映像を見た記憶がありますが、今回の番組は、青海省の西寧を夜出発し、翌日夜にラサに到着するまでの約26時間の鉄道の旅を、沿線上の見どころと共に順を追って紹介するものです。
正月のゴールデンタイムに、青蔵鉄道の話題のみで一時間半もの時間をとるのは破格の扱いです。どんな凄い取材内容なのかと気になりました。また、私はゴルムド〜ラサ間のルートを旅したことがないので、どんな沿線風景なのか知りたいということもあって、見てみることにしたのです。
列車ダイヤの都合上、西寧〜ゴルムドの区間と、終着駅ラサまでの数時間は車窓が夜の闇に包まれてしまうので、観光的な見どころとしてはゴルムドを出発してから日没までの間ということになります。番組では鉄道建設や客車のハイテク技術の話題も織り込みながら、崑崙山脈の5000メートル級の峠越え、ココシリ自然保護区の野生動物、長江源流、車窓から見える湖、遊牧風景などを紹介していました。
ちなみに、この鉄道の旅については、風の旅行社のウェブサイトに写真家の長岡洋幸氏による詳細なレポートが載っているので、TVで見逃した方はそちらをご覧下さい。
鉄道ファンや旅好きの人にとってはそれなりに楽しめる内容だったと思うのですが、残念なのは、チベット高原の荒涼として雄大な風景のパノラマ感が、TVの画面では到底表現しきれないことと、冷たく薄い大気が体に作用する独特の感覚がないので、チベットを旅しているという臨場感が伝わってこなかったことでした。しかし、これはもちろんNHKの責任ではありません。
私が引っかかったのは、この番組では、青蔵鉄道のテクノロジーや自然環境への配慮、旅の素晴らしさの紹介に全ての焦点が絞られてしまっていて、そもそもなぜ西寧〜ラサに鉄道が敷かれたのか、その政治的な意味や、チベット人がこの鉄道をどう見ているかについて、ほとんど全く触れられていなかったことでした。
以前にこのブログの記事「中国のチベット旅行ブーム」にも書きましたが、私は個人的にはチベット人に同情的なので、NHKの番組では(あえて?)触れられていない、この鉄道のもつ別の側面がどうしても気になってしまうのです。
もちろん、そういう観点を持ち込めば、いわゆる紀行番組の枠組みを外れることになるでしょう。また、取材に全面的に協力してくれたであろう中国当局への配慮もあったはずです。そのような事情は分からなくもないのですが、1時間半もの時間をかけて青蔵鉄道を丁寧に紹介しているだけに、チベットの現代史やこの鉄道がもつ意味について、もう少しつっ込んだ内容があってもよかったのではないでしょうか。
ただ、一方で、私の個人的な思い入れから、いわゆる「チベット問題」に言及するとき、少数民族であるチベット人の立場に立つ傾向があることは自覚しているつもりです。そうした視点からこの鉄道について考えていると、つい善悪や被害者・加害者の二元論で判断してしまいがちになりますが、それも行き過ぎれば現実を見誤ることになるでしょう。
番組では、この鉄道を利用して新しいビジネスを始めようとする、漢人やチベット人の姿が紹介されていました。また、小さなビニール袋一つだけを持ってチベットに働きにやって来たという少年の姿も印象に残りました。
人々は国家の思惑と同じ方向で動くこともありますが、時にはそういう思惑を超えて、国家が作りあげたインフラを、自分たちのために利用し尽くそうとするしたたかさも持っています。チベット人も、もしかすると、この鉄道によって一方的に北京からコントロールされる立場になるわけではないかもしれません。中にはこれを一つのチャンスと見てうまく立ち回り、しぶとく生き延びていく人物も現れるのではないでしょうか。
NHKの番組を通じて、西寧〜ラサの旅が具体的にどんな感じであるかは、知識として十分に伝わってきました。個人的には風景の美しさや旅の情報以外のことも気になるので、この鉄道がチベットをどう変えていくのか、それはそこに生きる人々の幸せにつながるのか、これからも注意深く見ていたいと思います。
2006.10.28 Saturday
犬が恐い!
数年前にチベット(中国の西蔵自治区)を旅したとき、私の念頭にあったのは、万が一のアクシデントが起きた場合でも、助けを求められないかもしれない、ということでした。
ラサやシガツェなどの都会ならともかく、辺境の村で病気になったとしても、ちゃんとした医者や医療設備を期待することはできません。病気やケガで動けなくなったりしたら、本当に悲惨なことになるでしょう。
また、標高5000メートル以上ある峠をいくつも越えていかなければならないのですが、たとえ高山病の症状が出ても、充分な設備がないので、酸素ボンベや薬によって症状を和らげることもできません。
以前このブログに、「香港で注射器を探した話」という記事を書きましたが、そういう変な努力をしたのも、何でもいいから、こちらで可能な備えをしておくことで、旅の不安を少しでも減らしたい、という切実な思いがあったからです。もっとも注射器をいくら用意していても、医者も薬もない環境ではどうすることもできないのですが……。
話を戻します。
旅の病気に関しては、薬を用意するなど可能な限りの備えをし、歯医者に行って虫歯も治して、後は日々の体調管理をするくらいしかできませんが、そこまでやっておけば、「何か起きてもその時はその時だ!」と開き直ることもできるでしょう。
問題は突発的な事故です。交通事故やがけ崩れ、場合によっては強盗に襲われることもあるかもしれませんが、確率的には非常に低いし、そんなことをいちいち心配するくらいなら、旅に出ること自体不可能です。
それよりもはるかに確率が高そうで、日常的な危険として、私がいちばん恐れていたのは「犬に噛みつかれる」ことでした。
ご存知の方も多いかもしれませんが、辺境のチベット人は遊牧民です。ヤクなどの群れを率いてあちこちを放牧する生活を送っているのですが、番犬として非常に獰猛な犬を飼っています。トレッキングで歩いている時など、遊牧民のキャンプを横切らなければならないことがあるのですが、番犬は、遠くから人間が近づいてくるのを目ざとく見つけると、狂ったように吠え立てながらこちらに走ってくるのです。
こちらには悪気など全くないのに、今にも喰いつかんばかりの激しさです。そんな時、私は足がすくんでしまい、キャンプのテントから主人が出てきて犬をなだめてくれるまで、そこから一歩も動けないのでした。
遊牧民のキャンプばかりではありません。寺や民家でも獰猛な番犬を飼っていることが多いので、うかつに建物に近づいたりしてウロウロするのは危険です。また、チベットでは、巡礼者が寺の周囲を時計回りに周回する(コルラする)習慣があるのですが、彼らにならって私もコルラしていると、巡礼者のくれるエサを目当てに、飢えた野犬がゾロゾロと集まってくるのです。
チベット人は犬に慣れているので、全く気にする様子もなく、ツァンパ(大麦を炒った粉、チベット人の主食)を所々に供えながら足早にコルラを続けます。しかし、私はいつも犬の動きが気になって、巡礼気分に浸ることもできません。見るからに挙動の怪しい犬を見かけたりすると、噛まれたら間違いなく狂犬病になりそうな気がして、「どうか私にだけは噛みつきませんように!」と思わず必死に祈ってしまうのでした。
これを読まれる方は、私のことをずいぶん臆病だと笑われるかもしれませんが、私が旅行していた当時、チベットで犬に噛まれたという日本人旅行者に2人も会ったのです。それほど沢山の日本人に会ったわけでもないので、これはかなりの確率だと思います。
1人は、チベットの旅を終えて、シルクロードを旅している最中でしたが、狂犬病のワクチンを何本も持ち歩いていました。何日かおきに、旅先で医者を見つけて、ワクチンを一本ずつ打ってもらわなければならないんだと言っていました。
彼の場合は、噛まれた場所が都会に近かったので、すぐに医者に行ってワクチンをもらえたのですが、それができない辺境だったらと思うと、なかなか恐ろしいものがあります。もちろん、犬に噛まれても、狂犬病でなければ、致命傷になる可能性は低いのですが。
それに、先日の記事「チベットのトイレ事情」に書いたように、犬たちがふだん喰っているもののことを思うと、あの口でガブリとやられるのだけは勘弁願いたいと思うのです……。
しかし、そんな思いをしてでも、チベットは旅するだけの価値があります。その魅力について、私にはひと言でうまく表現できる自信がありません。チベットに興味を持たれた方は、長田幸康氏のウェブサイト「I Love TIBET!」をご覧ください。
ラサやシガツェなどの都会ならともかく、辺境の村で病気になったとしても、ちゃんとした医者や医療設備を期待することはできません。病気やケガで動けなくなったりしたら、本当に悲惨なことになるでしょう。
また、標高5000メートル以上ある峠をいくつも越えていかなければならないのですが、たとえ高山病の症状が出ても、充分な設備がないので、酸素ボンベや薬によって症状を和らげることもできません。
以前このブログに、「香港で注射器を探した話」という記事を書きましたが、そういう変な努力をしたのも、何でもいいから、こちらで可能な備えをしておくことで、旅の不安を少しでも減らしたい、という切実な思いがあったからです。もっとも注射器をいくら用意していても、医者も薬もない環境ではどうすることもできないのですが……。
話を戻します。
旅の病気に関しては、薬を用意するなど可能な限りの備えをし、歯医者に行って虫歯も治して、後は日々の体調管理をするくらいしかできませんが、そこまでやっておけば、「何か起きてもその時はその時だ!」と開き直ることもできるでしょう。
問題は突発的な事故です。交通事故やがけ崩れ、場合によっては強盗に襲われることもあるかもしれませんが、確率的には非常に低いし、そんなことをいちいち心配するくらいなら、旅に出ること自体不可能です。
それよりもはるかに確率が高そうで、日常的な危険として、私がいちばん恐れていたのは「犬に噛みつかれる」ことでした。
ご存知の方も多いかもしれませんが、辺境のチベット人は遊牧民です。ヤクなどの群れを率いてあちこちを放牧する生活を送っているのですが、番犬として非常に獰猛な犬を飼っています。トレッキングで歩いている時など、遊牧民のキャンプを横切らなければならないことがあるのですが、番犬は、遠くから人間が近づいてくるのを目ざとく見つけると、狂ったように吠え立てながらこちらに走ってくるのです。
こちらには悪気など全くないのに、今にも喰いつかんばかりの激しさです。そんな時、私は足がすくんでしまい、キャンプのテントから主人が出てきて犬をなだめてくれるまで、そこから一歩も動けないのでした。
遊牧民のキャンプばかりではありません。寺や民家でも獰猛な番犬を飼っていることが多いので、うかつに建物に近づいたりしてウロウロするのは危険です。また、チベットでは、巡礼者が寺の周囲を時計回りに周回する(コルラする)習慣があるのですが、彼らにならって私もコルラしていると、巡礼者のくれるエサを目当てに、飢えた野犬がゾロゾロと集まってくるのです。
チベット人は犬に慣れているので、全く気にする様子もなく、ツァンパ(大麦を炒った粉、チベット人の主食)を所々に供えながら足早にコルラを続けます。しかし、私はいつも犬の動きが気になって、巡礼気分に浸ることもできません。見るからに挙動の怪しい犬を見かけたりすると、噛まれたら間違いなく狂犬病になりそうな気がして、「どうか私にだけは噛みつきませんように!」と思わず必死に祈ってしまうのでした。
これを読まれる方は、私のことをずいぶん臆病だと笑われるかもしれませんが、私が旅行していた当時、チベットで犬に噛まれたという日本人旅行者に2人も会ったのです。それほど沢山の日本人に会ったわけでもないので、これはかなりの確率だと思います。
1人は、チベットの旅を終えて、シルクロードを旅している最中でしたが、狂犬病のワクチンを何本も持ち歩いていました。何日かおきに、旅先で医者を見つけて、ワクチンを一本ずつ打ってもらわなければならないんだと言っていました。
彼の場合は、噛まれた場所が都会に近かったので、すぐに医者に行ってワクチンをもらえたのですが、それができない辺境だったらと思うと、なかなか恐ろしいものがあります。もちろん、犬に噛まれても、狂犬病でなければ、致命傷になる可能性は低いのですが。
それに、先日の記事「チベットのトイレ事情」に書いたように、犬たちがふだん喰っているもののことを思うと、あの口でガブリとやられるのだけは勘弁願いたいと思うのです……。
しかし、そんな思いをしてでも、チベットは旅するだけの価値があります。その魅力について、私にはひと言でうまく表現できる自信がありません。チベットに興味を持たれた方は、長田幸康氏のウェブサイト「I Love TIBET!」をご覧ください。
2006.10.17 Tuesday
チベットのトイレ事情
チベットといえば、ひと昔前までは秘境の代名詞でした。
私が学生時代に読んだ旅行記では、中国政府の許可を得て学術調査隊などの大キャラバンに参加しなければ、足を踏み入れることもかなわない神秘の世界という扱いでした。ラサのポタラ宮の描写などを読みながら、私がこんな秘境を訪れることは一生ないだろうな、と漠然と考えていたことを思い出します。
それからしばらくして、中国の西蔵自治区は外国人旅行者に解放され、一定の条件つきではありますが、バックパッカーが自由に旅することも可能になりました。今ではチベットを個人で旅するための詳細なガイドブックが日本語で出版されるまでになっています。
数年前、旅先で会った日本人からチベットの話を聞いているうちに私も行ってみたくなり、香港で半年のビザを取ってチベットを目指しました。その旅についてはいずれ書く機会もあると思いますが、今回はチベットのトイレ事情についてだけ書いてみることにします。
ただし、チベットといっても、私が旅したのは青海省などのチベット文化圏や西蔵自治区のごく一部です。トイレ事情と一口に言っても、町や村の大きさや環境によってトイレの状態は劇的に変わるので、以下はあくまでも私の経験の範囲内での話です。
また、ラサやシガツェのような都会になると、外国人が宿泊できるホテルのシステムなどは、中国の他の地方と基本的には同じなので、そういう場所のトイレについては、以前に書いた記事「中国のトイレ事情」から想像してみてください。
大きな町を離れ、地方を旅していると、トイレの設備はだんだんと粗末になっていきます。それなりの大きさの町ならば、招待所のビルの中に中国式トイレがあるのがふつうですが、私が泊まった西チベットのある町では、宿のビルの中にシャワーはおろかトイレさえなく、道路を渡った反対側にある公衆トイレを使うように言われました。
その公衆トイレは、地面に掘った穴の上に、中国式の低い仕切りが並んでいるだけというシロモノでしたが、屋根がついており、足場もコンクリートでしっかり固めてあるので、一応安心して用を足すことができます。ただし、夜になると電灯の類いは一切なく、月明りも入ってこないので真っ暗闇になります。
夜中にそんなトイレに行きたくはないのですが、止むを得ず行かねばならないこともあります。そんな時は懐中電灯を用意して足元を照らし、懐中電灯を絶対に落とさないようにしっかりと確保した上で用を足さないと、暗い「穴」の中に足を踏み外したり、懐中電灯を落として身動きがとれなくなるという最悪の事態にもなりかねません。
しかし、それでもそこには足場や壁があるという安心感があります。
知り合いになった若いチベット僧に招待されて訪れた青海省のある僧院では、敷地の一角に数メートル四方の大きな穴が掘られていて、そこに細長い板がさしかけてありましたが、それがトイレのようでした。幸いなことに、そこを使う必要に迫られることはありませんでしたが、あの細い板の上で落ちないようにバランスを取りながら、穴に向かって用を足すというのは、かなり熟練を要するかもしれません。
さすがにこういう「穴」だけというケースは少ないのですが、小さな村の、旅人向けの安宿みたいなところになると、広い敷地の一角に壁が立っていて、その陰に掘られた穴の上で用を足すことになります。トイレに屋根はありません。
ここまで読んでこられた方は、チベットはずいぶん不潔なところだと思われるかもしれませんが、実感としてはそれほどでもないのです。
チベット高原は非常に乾燥しているため、屋根のないトイレでも雨や雪に悩まされることはほとんどないし、排出されたモノはすぐに干からびて風化してしまうせいか、臭いも思ったほどひどくはありません。天井や壁が少ないと風が通り抜けるので、粗末なトイレであればあるほど、臭いがこもらずに済んでいるという可能性もあります。
ところで、問題は用を足した後です。欧米や日本からの旅行者は (もちろん私も含めて)、トイレットペーパーを使って後始末をします。しかし、地元の人しか使わないようなトイレでは、トイレットペーパーを使った形跡が見られません。
そもそも、へき地に住んでいるチベット人が、工業製品であるトイレットペーパーを高い金を払って買うとも思えないし、かといってインド人や東南アジアの人々のように水を使って処理しているようにも見えません。
紙も水も使わないとすると……。これ以上はあまり考えないほうがいいかもしれません。
話を戻しますが、田舎の粗末なトイレを使おうとしても、場合によってはちょっと汚くて入る気になれないことがあります。それにさらに辺境に行くと、トイレ自体が見当たらないこともあります。
そんな時は、広いチベットの大地がどこでもトイレになるのです。チベットのいいところは、人が少ないことです。人の住んでいる集落でも、ちょっと歩けば、小高い丘の上や大きな岩の陰など、誰の目にもつかないような、野グソにうってつけの場所が見つかります。
そして、これが実は非常に爽快なのです。
目の前に果てしなく広がる荒涼とした大地を眺めたり、遠く雪の山脈を望んだり、目の前に迫る断崖を見上げたり、美しい湖を見下ろしたりしながらゆっくり用を足すというのは、ある意味では最高の贅沢かもしれません。もちろんこれは夏の話で、身を切るような寒風の吹きすさぶ冬のチベットでも同じように楽しめるかどうかはわかりませんが……。
それに実は、野グソの爽快さに水を差す、ちょっとやっかいな問題があるのです。人の住まないような場所でなら何の問題もないのですが、人の住む集落のそばの物陰でしゃがみこんでいると、どこからともなく野良犬がやって来るのです。中には音もなく背後から忍び寄って、ふと振り向くと自分の尻のすぐ後ろにいたりするので油断できません。
彼らが狙っているのは、我々のウンコそのものです。エサの豊富な日本の犬たちならそんなことはしないでしょうが、荒涼としたチベットの大地で生き抜いていくためには、犬が人間の排泄物を喰うというのはめずらしいことではないようです。彼らは排出されたばかりのホカホカのモノを他の犬たちに横取りされまいと、人間の尻のすぐ横で待ち構えようとするのです。
しかし、いくら何でも、見知らぬ野犬が口を開けて後ろで控えているという状態で、ゆっくり用便を楽しめる人はいないでしょう。私も集落の近くでは、後ろから忍び寄られないよう、できるだけ背後に壁があるような場所を選び、周囲に目を光らせ、ちょうど身動きがとれない大事な瞬間に犬が走り寄ってくるという最悪の事態を防ぐため、できるだけ素早く用を足すように心がけていました。
皆様もチベットで野グソを楽しむ機会があれば、背後から迫ってくる犬にくれぐれもご用心ください。
旅の名言 「便所で手が……」
旅の名言 「自分の中で何かが壊れ……」
記事 「中国のトイレ事情」
内沢旬子・斉藤政喜著 『東方見便録』 の紹介記事
私が学生時代に読んだ旅行記では、中国政府の許可を得て学術調査隊などの大キャラバンに参加しなければ、足を踏み入れることもかなわない神秘の世界という扱いでした。ラサのポタラ宮の描写などを読みながら、私がこんな秘境を訪れることは一生ないだろうな、と漠然と考えていたことを思い出します。
それからしばらくして、中国の西蔵自治区は外国人旅行者に解放され、一定の条件つきではありますが、バックパッカーが自由に旅することも可能になりました。今ではチベットを個人で旅するための詳細なガイドブックが日本語で出版されるまでになっています。
数年前、旅先で会った日本人からチベットの話を聞いているうちに私も行ってみたくなり、香港で半年のビザを取ってチベットを目指しました。その旅についてはいずれ書く機会もあると思いますが、今回はチベットのトイレ事情についてだけ書いてみることにします。
ただし、チベットといっても、私が旅したのは青海省などのチベット文化圏や西蔵自治区のごく一部です。トイレ事情と一口に言っても、町や村の大きさや環境によってトイレの状態は劇的に変わるので、以下はあくまでも私の経験の範囲内での話です。
また、ラサやシガツェのような都会になると、外国人が宿泊できるホテルのシステムなどは、中国の他の地方と基本的には同じなので、そういう場所のトイレについては、以前に書いた記事「中国のトイレ事情」から想像してみてください。
大きな町を離れ、地方を旅していると、トイレの設備はだんだんと粗末になっていきます。それなりの大きさの町ならば、招待所のビルの中に中国式トイレがあるのがふつうですが、私が泊まった西チベットのある町では、宿のビルの中にシャワーはおろかトイレさえなく、道路を渡った反対側にある公衆トイレを使うように言われました。
その公衆トイレは、地面に掘った穴の上に、中国式の低い仕切りが並んでいるだけというシロモノでしたが、屋根がついており、足場もコンクリートでしっかり固めてあるので、一応安心して用を足すことができます。ただし、夜になると電灯の類いは一切なく、月明りも入ってこないので真っ暗闇になります。
夜中にそんなトイレに行きたくはないのですが、止むを得ず行かねばならないこともあります。そんな時は懐中電灯を用意して足元を照らし、懐中電灯を絶対に落とさないようにしっかりと確保した上で用を足さないと、暗い「穴」の中に足を踏み外したり、懐中電灯を落として身動きがとれなくなるという最悪の事態にもなりかねません。
しかし、それでもそこには足場や壁があるという安心感があります。
知り合いになった若いチベット僧に招待されて訪れた青海省のある僧院では、敷地の一角に数メートル四方の大きな穴が掘られていて、そこに細長い板がさしかけてありましたが、それがトイレのようでした。幸いなことに、そこを使う必要に迫られることはありませんでしたが、あの細い板の上で落ちないようにバランスを取りながら、穴に向かって用を足すというのは、かなり熟練を要するかもしれません。
さすがにこういう「穴」だけというケースは少ないのですが、小さな村の、旅人向けの安宿みたいなところになると、広い敷地の一角に壁が立っていて、その陰に掘られた穴の上で用を足すことになります。トイレに屋根はありません。
ここまで読んでこられた方は、チベットはずいぶん不潔なところだと思われるかもしれませんが、実感としてはそれほどでもないのです。
チベット高原は非常に乾燥しているため、屋根のないトイレでも雨や雪に悩まされることはほとんどないし、排出されたモノはすぐに干からびて風化してしまうせいか、臭いも思ったほどひどくはありません。天井や壁が少ないと風が通り抜けるので、粗末なトイレであればあるほど、臭いがこもらずに済んでいるという可能性もあります。
ところで、問題は用を足した後です。欧米や日本からの旅行者は (もちろん私も含めて)、トイレットペーパーを使って後始末をします。しかし、地元の人しか使わないようなトイレでは、トイレットペーパーを使った形跡が見られません。
そもそも、へき地に住んでいるチベット人が、工業製品であるトイレットペーパーを高い金を払って買うとも思えないし、かといってインド人や東南アジアの人々のように水を使って処理しているようにも見えません。
紙も水も使わないとすると……。これ以上はあまり考えないほうがいいかもしれません。
話を戻しますが、田舎の粗末なトイレを使おうとしても、場合によってはちょっと汚くて入る気になれないことがあります。それにさらに辺境に行くと、トイレ自体が見当たらないこともあります。
そんな時は、広いチベットの大地がどこでもトイレになるのです。チベットのいいところは、人が少ないことです。人の住んでいる集落でも、ちょっと歩けば、小高い丘の上や大きな岩の陰など、誰の目にもつかないような、野グソにうってつけの場所が見つかります。
そして、これが実は非常に爽快なのです。
目の前に果てしなく広がる荒涼とした大地を眺めたり、遠く雪の山脈を望んだり、目の前に迫る断崖を見上げたり、美しい湖を見下ろしたりしながらゆっくり用を足すというのは、ある意味では最高の贅沢かもしれません。もちろんこれは夏の話で、身を切るような寒風の吹きすさぶ冬のチベットでも同じように楽しめるかどうかはわかりませんが……。
それに実は、野グソの爽快さに水を差す、ちょっとやっかいな問題があるのです。人の住まないような場所でなら何の問題もないのですが、人の住む集落のそばの物陰でしゃがみこんでいると、どこからともなく野良犬がやって来るのです。中には音もなく背後から忍び寄って、ふと振り向くと自分の尻のすぐ後ろにいたりするので油断できません。
彼らが狙っているのは、我々のウンコそのものです。エサの豊富な日本の犬たちならそんなことはしないでしょうが、荒涼としたチベットの大地で生き抜いていくためには、犬が人間の排泄物を喰うというのはめずらしいことではないようです。彼らは排出されたばかりのホカホカのモノを他の犬たちに横取りされまいと、人間の尻のすぐ横で待ち構えようとするのです。
しかし、いくら何でも、見知らぬ野犬が口を開けて後ろで控えているという状態で、ゆっくり用便を楽しめる人はいないでしょう。私も集落の近くでは、後ろから忍び寄られないよう、できるだけ背後に壁があるような場所を選び、周囲に目を光らせ、ちょうど身動きがとれない大事な瞬間に犬が走り寄ってくるという最悪の事態を防ぐため、できるだけ素早く用を足すように心がけていました。
皆様もチベットで野グソを楽しむ機会があれば、背後から迫ってくる犬にくれぐれもご用心ください。
旅の名言 「便所で手が……」
旅の名言 「自分の中で何かが壊れ……」
記事 「中国のトイレ事情」
内沢旬子・斉藤政喜著 『東方見便録』 の紹介記事
2006.08.08 Tuesday
中国のチベット旅行ブーム
中国では、今チベット旅行がブームのようです。
TVでも何度か報じられたのでご存知の方も多いと思いますが、7月1日に青海省のゴルムドとチベット自治区のラサを結ぶ路線が開通したことで、北京からラサまで鉄道で移動できるようになりました。
北京 → ラサは特別快速で48時間ということですから、比較的短時間で「大陸縦断の汽車の旅」を楽しむことができ、旅好きにはなかなか「おいしい」路線であることは確かです。しかも最高で海抜5072メートルの高地を走るため、「世界一の高所を走る鉄道」でもあり、話題性は抜群です。
世界中の旅行者の注目を浴びているこの路線を、豊かな中国人が見逃すはずもなく、冒頭の記事のように観光客が激増し、その傾向は今後も続くと思われます。8月8日の読売新聞朝刊によれば、ラサではホテルが軒並み高騰し、ポタラ宮の入場制限がされるほどだそうです。
そして北京からの鉄道路線は、ラサを越えてさらに南へ延伸される計画があります。
私は何年か前にチベット自治区を旅したことがありますが、「秘境」のイメージとは裏腹に、そこで中国政府による大規模な植民と開発が進められているのを目の当たりにしました。
世界中の多くの地点が鉄道によって結ばれることは、旅行者にとっては楽しみが増えることでもあり、一概にそれを否定するつもりはありませんが、国の事業として非常なコストをかけて鉄道が敷かれるという事実を考えるとき、その第一の目的が観光客への便宜だけであるとはとても思えません。
青蔵鉄道をめぐっては、日本ではどちらかというとその経済効果の点から報じられることが多いようですが、チベット人難民や、現在チベット自治区に住むチベット人が鉄道建設をどう見ているのかはあまり伝わってきません。
個人的には、私は故郷の地を追われたチベット人に同情的です。また、チベット自治区においてチベット固有の文化が失われ、政治的・経済的な大きな流れの中に飲み込まれていく現状に、何ともいえない寂しさを感じています。
もちろん様々な事情によって、青蔵鉄道を歓迎しているチベット人もいるはずで、物事を単純に白黒で割り切ることはできませんが、私としては、これからチベットがどう変わっていくのか、それがそこに生きる人達にとって幸せな生活につながるのか、注意深く見続けていきたいと思います。
3日付の中国新聞社によると、06年7月に青海省を訪れた観光客は前年比34%増の延べ163万人、観光収入は同30%増の8億1800万元に達した。7月1日に全線開通した青蔵鉄道の効果がはっきりと現れた格好だ。
(サーチナ・中国情報局 8月3日)
TVでも何度か報じられたのでご存知の方も多いと思いますが、7月1日に青海省のゴルムドとチベット自治区のラサを結ぶ路線が開通したことで、北京からラサまで鉄道で移動できるようになりました。
北京 → ラサは特別快速で48時間ということですから、比較的短時間で「大陸縦断の汽車の旅」を楽しむことができ、旅好きにはなかなか「おいしい」路線であることは確かです。しかも最高で海抜5072メートルの高地を走るため、「世界一の高所を走る鉄道」でもあり、話題性は抜群です。
世界中の旅行者の注目を浴びているこの路線を、豊かな中国人が見逃すはずもなく、冒頭の記事のように観光客が激増し、その傾向は今後も続くと思われます。8月8日の読売新聞朝刊によれば、ラサではホテルが軒並み高騰し、ポタラ宮の入場制限がされるほどだそうです。
そして北京からの鉄道路線は、ラサを越えてさらに南へ延伸される計画があります。
華僑向け通信社の中国新聞社がチベット自治区政府関係者の話として伝えたところよると、青蔵鉄道の支線として建設が検討されているのは、東西に伸びる2路線。ラサから東に向かってインドのアッサム州に近いニャンティ(林芝)に至る約350キロと、西に向かってシガツェ(日喀則)を経由し、さらに南に向かってシッキム州の国境に近いドモ(亜東)に至る約500キロの計画だ。
2016年までの建設をめざし、建設費用は数百億元とされている。(中略)
大陸国家の中国は、安全保障上の観点から外洋に通じる新たなルート開拓に乗り出しており、チベット経由でインドに通じ、インド洋に出る今回の計画もその一環と考えられる。
(フジサンケイ ビジネスアイ 7月20日)
私は何年か前にチベット自治区を旅したことがありますが、「秘境」のイメージとは裏腹に、そこで中国政府による大規模な植民と開発が進められているのを目の当たりにしました。
世界中の多くの地点が鉄道によって結ばれることは、旅行者にとっては楽しみが増えることでもあり、一概にそれを否定するつもりはありませんが、国の事業として非常なコストをかけて鉄道が敷かれるという事実を考えるとき、その第一の目的が観光客への便宜だけであるとはとても思えません。
青蔵鉄道をめぐっては、日本ではどちらかというとその経済効果の点から報じられることが多いようですが、チベット人難民や、現在チベット自治区に住むチベット人が鉄道建設をどう見ているのかはあまり伝わってきません。
個人的には、私は故郷の地を追われたチベット人に同情的です。また、チベット自治区においてチベット固有の文化が失われ、政治的・経済的な大きな流れの中に飲み込まれていく現状に、何ともいえない寂しさを感じています。
もちろん様々な事情によって、青蔵鉄道を歓迎しているチベット人もいるはずで、物事を単純に白黒で割り切ることはできませんが、私としては、これからチベットがどう変わっていくのか、それがそこに生きる人達にとって幸せな生活につながるのか、注意深く見続けていきたいと思います。
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