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『荒野へ』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

1992年の秋、アラスカの荒野に打ち捨てられたバスの中で、一人の若者が餓死しているのが発見されました。

若者の名前はクリストファー・ジョンソン・マッカンドレス(敬称略、以下クリスと呼びます)、裕福な家庭に育ち、2年前に優秀な成績で大学を卒業していましたが、卒業の直後、家族や友人の前から突然姿を消していました。

彼は名前を変え、2年もの間、ヒッチハイクでアメリカ各地を放浪していたのですが、その年の春、アラスカのマッキンレー山の北の荒野へと一人で分け入っていったのです。「数か月間、土地があたえてくれるものを食べて生活する」つもりだと言い残して……。

この本の著者、ジョン・クラカワー氏は、クリスの親族や学校時代の友人、そして放浪中のクリスと親交のあった人々への詳細なインタビューを行い、彼の残した手紙や日記の記述なども交えて、彼の生い立ちからアラスカで亡くなるまでの複雑な経緯を描き出しています。また、彼がなぜ全てを捨てて放浪の旅に出たのか、なぜ荒野へ向かい、そこに何を求めていたのか、そして、彼がなぜ命を落とすことになったのかを明らかにしようとしています。

ちなみにこの本は、数年前に公開された『イントゥ・ザ・ワイルド』という映画の原作にもなっています。もしかすると、そちらをご覧になった方も多いかもしれません(私はまだ見てませんが……)。
Yahoo!映画 『イントゥ・ザ・ワイルド』

クリスの死は、当時アメリカ国内でセンセーショナルに報じられ、貧弱な装備と食料だけでアラスカの原野に入った彼の行動に対しても、賛否両論が巻き起こりました。ある者は彼を、常識がなく傲慢で愚かな若者とみなし、ある者は彼の「異常」な行動の原因について精神分析までしてみせました。またその逆に、勇気と高い理想をもった若者として、彼を擁護する者もありました。

クラカワー氏も指摘しているように、クリスは荒野でサバイバルするためのきちんとした訓練を受けていたわけではないし、その行動も、冷静に検証してみる限り、たしかに軽率なところがあったことは否めません。しかし、食料として持ち込んだわずかな米以外は、野生の動植物だけを狩猟・採集しながら4か月近くもの日々を持ちこたえた点からすれば、彼は決して無能な人間ではありませんでした。

また、クラカワー氏自身、登山家であり、若い頃にはやはりアラスカで死と隣り合わせの体験をしています。彼は、クリスの若さゆえの過ちを客観的な立場から指摘しつつも、彼の中に、自分によく似たものがあると感じていたし、だからこそ、この事件をそのまま簡単に忘れ去ることができませんでした。この本には、クリスの短い生涯とその冒険に対する、クラカワー氏の深い思い入れが感じられます。

もちろん、そう感じるのは、彼ばかりではないはずです。

私も、クリスほど徹底した、エキセントリックで危険な旅ではなかったとはいえ、長い旅を経験したことがあります。だから、彼の生き方には深い共感を覚えるし、少なくとも彼の気持ちの一端は理解できるような気がします。

彼は学業優秀だっただけでなく、スポーツや音楽の才能にも恵まれていたようですが、放浪生活の中でなしえたこと、表現しえたことを見るかぎりでは、彼は歴史に残るような偉大な冒険家だったとは言えないでしょう。むしろ表面的には、彼はどこにでもいるような若い風来坊の一人に過ぎなかったのかもしれません。

しかし、そのことがかえって、彼の存在を身近に感じさせるのでしょうか。この本を読んでいて、クリスの人生が一歩一歩死へと向かっていくそのプロセスに、何ともいえない切なさを感じました。

そこには、私自身も、どこかでボタンを掛け違えれば、彼と同じように旅の途上で死んでいたかもしれないという思いもあります。

それにしても、彼の死がこれだけ大きな反響を引き起こしたのはなぜなのでしょう?

クリスの、ある意味では純粋すぎる生き方、「その勇気と向こう見ずな天真爛漫さとやむにやまれぬ欲求」に駆り立てられて、「既知の世界の果てを越えて」いこうとする生き方は、荒野をめざす若者の典型的なパターンをくっきりと映し出しているし、その短い人生が放つパワーが、心の奥深くに誰もが持っている同じような衝動をくすぐるのではないでしょうか。

そしてそれは、富や社会的な成功によっては決して満たされることのない、人の魂のもっと深いところに潜む衝動です。そこには、世間的な豊かさや、安心・安全を求める小市民的な感覚を吹きとばしてしまうような、どこか危険な香りが漂っています。

クラカワー氏が書いているように、「彼がもとめていたのは、まさしく危険であり、逆境であり、それにトルストイ的な克己」でした。そして、アラスカの荒野には、その「もとめていたものはあり余るほどあった」のです。

「訳者あとがき」にもあるように、クリスの死は「彼とは直接関わりのない人々の価値観をもはげしく揺さぶり、おそらく不安と共感を呼び覚ました」のです。だからこそ、無名の若い放浪者の死が、激しい賛否の声を巻き起こし、多くのアメリカ人に深いインパクトを与えたのでしょう。

もっとも、クリス本人が旅の中でいったいどんなことを考えていたのか、将来はどんな人生を歩んでいくつもりだったのか、今となっては、もう本当のところは分かりません。

しかし、少なくとも彼は、自分でもうまく表現できないような、やむにやまれぬ衝動に駆られ、理屈や損得を超えて、未知を探求し、結果として人間という存在のフロンティアを押し広げてきた多くの人々の系譜に連なる存在なのだと思います。

この本には、クリス以外にも、アラスカで命を落としたり、あるいは荒野に姿を消した何人もの人物のエピソードが登場します。そういう点でも、この本は、「既知の世界の果てを越え」ようとする危険な旅の途上で、これまでに命を落とした数え切れない人々への鎮魂の書であるとも言えるかもしれません。

もちろん、彼らの行為のすべてが、手放しに称賛できるものではないかもしれませんが……。



本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします


JUGEMテーマ:読書

at 19:13, 浪人, 本の旅〜南北アメリカ

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『チャーリーとの旅』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

ジョン・スタインベック氏は、『怒りの葡萄』や『エデンの東』で知られる、アメリカのノーベル賞作家です。彼は、若い頃にアメリカ各地を放浪し、その後も世界のさまざまな土地を旅してきましたが、58歳になったとき再び、激しい「放浪病」に取り憑かれてしまいました。

彼は、ピックアップトラックの荷台に住居スペースのキャビンを載せたキャンピングカーを特注し、1960年、老犬チャーリーとともに、反時計回りにアメリカをぐるりと一周する16,000キロ、4カ月間にわたる長い旅に出ました。

すでに老いを感じ始めていたスタインベック氏にとって、愛犬と一緒とはいえ、一人でひたすらハンドルを握り続ける旅というのは、決して楽なものではなかったようです。ただ、国内では広く顔と名前の知られていた彼が、自分の正体に気づかれることなく、アメリカの現実の姿に直接触れることができるという点では、これは素晴らしいアイデアでもあったのです。

ただ、彼は分別をわきまえた大人なので、旅先で若者のように羽目を外すこともなければ、重大トラブルに巻き込まれるようなミスもしません。また、外国への旅とは違って言葉の問題はないし、自分で運転するとはいえ、あふれんばかりにモノを詰 め込んだ、新品のキャンピングカーによる優雅な旅でもあります。

そういう意味では、この旅行記に、冒険的な荒々しさや、全く未知のもの、エキゾチックなものとの出合いを期待することはできないかもしれません。

それでも、秋から冬にかけての季節の移ろいや、州ごとに異なる風土、そこで出会った印象的な人々の姿が、簡潔で本質をつく鋭さと、同時に温かさとユーモアにあふれた素晴らしい文章で描き出されています。

また、旅先での出来事について、アメリカという国や現代の文明について、そして旅について、折りにふれてさまざまな考察が繰り広げられているのですが、それらはスタインベック氏の豊富な人生経験とバランス感覚に裏打ちされていて、味わい深く、安心して楽しむことができます。

旅といえば、何となく若者の特権みたいなイメージがありますが、この本を読めば、旅は幾つになっても始められるのだということ、また、人生経験を積んだ人間にしか生み出せない旅のスタイルや味わいというものもあるのだということが実感できるのではないかと思います。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
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at 18:54, 浪人, 本の旅〜南北アメリカ

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『森と氷河と鯨 ― ワタリガラスの伝説を求めて』

文庫版はこちら

 

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

アラスカに魅せられ、その自然と、そこに生きる人々の姿を追い続けてきた写真家の星野道夫氏。彼は1996年、ロシアのカムチャツカ半島でキャンプ中に、ヒグマに襲われて亡くなりました。

この本は、未完に終わった雑誌連載と、死の直前に綴られた日誌がまとめられた彼の遺作です。

この写真紀行は、星野氏がクリンギット・インディアンのボブ・サム氏に出会うところから始まります。スピリチュアルな雰囲気を漂わせる彼との不思議な出会いに導かれるようにして、星野氏は南東アラスカの各地を旅するのですが、アラスカやカナダだけでなく、シベリアのモンゴロイドの神話でも大きな役割を果たすワタリガラスの伝説を追ううちに、彼の旅はアラスカ北部へ、さらにベーリング海峡を超えてシベリアへと続いていきます。

 

 

 ぼくは、深い森と氷河に覆われた太古の昔と何も変わらぬこの世界を、神話の時代に生きた人々と同じ視線で旅をしてみたかった。この世の創造主であるというワタリガラスの神話の世界に近づいてみたかった。それとも、自分の心はそれができないほど現代文明の固い皮膜に包まれているのだろうか。

 


厳しくも美しいアラスカの自然をとらえた、ため息の出るような写真の数々を眺めていると、心が次第に鎮まっていくような気がします。というよりそれは、何か私たちよりも圧倒的に大きな存在というものを感じて、畏怖の念に打たれ、心が沈黙してしまうといったほうが適切かもしれません。

また、星野氏の、素朴で誠実で、スピリチュアルな気配の漂う文章を読んでいると、人間が生きていくうえで本当に重要なものとは何か、本を閉じて、しばらくの間考えずにはいられなくなります。

星野氏の急逝によって、この写真紀行は未完のままとなってしまったし、彼の心の中で表現されないままに存在していたさまざまなものは、もう作品となって私たちのもとに届くことはありません。

それが、とても残念です。


本の評価基準

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 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
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at 19:16, 浪人, 本の旅〜南北アメリカ

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『マヤ文明 聖なる時間の書 ― 現代マヤ・シャーマンとの対話』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

本書は、宗教人類学者の実松克義氏が、グアテマラ南西部高地のマヤ・キチェー地方で今もなお古代マヤ文明の精神文化を受け継ぐシャーマン(サセルドーテ・マヤ)たちを訪ね、彼らとの対話を通して、マヤ人の神秘的で奥深い思想の本質に迫ろうとする異色の作品です。

恥ずかしい話ですが、私はこの本を読むまで、「マヤ人たちは密林の中に巨大なピラミッドを残し、ある日忽然と姿を消してしまった」というおなじみの誤った俗説を信じていました。

この本で私は、マヤ文明はスペイン人征服者によって滅ぼされたこと、マヤの人々はその後もグアテマラの地に生き続け、彼ら自身の言葉(キチェー語など)を守り続けてきたこと、そして多くのシャーマンたちによって、彼らの伝統的な精神文化の一部も継承されてきたことを初めて知ったのです。

しかし本書は、そんな私のような初心者でも、知的興奮を覚えながら興味深く読み進めることができる内容になっています。

それは、実松氏が現地に全く手がかりのない状態からフィールドワークを開始し、体当たりでシャーマンたちとのコンタクトを図りながら、少しずつ彼らの内的世界に対する理解を深めていったプロセスが、読者も追体験できるような構成になっていて、実松氏が感じた驚きや発見の興奮、そしてさらなる探究を待っているマヤ文明の多くの謎の存在が、生き生きと伝わってくるからです。

この本に登場するシャーマンたちは、おどろおどろしい魔術的な人物もいれば、大学で哲学を教えていた知的な人物もいて、それぞれが非常に個性的です。

生きた伝統の持つこうした混沌とした多様性は、研究者にとってはやっかいなことなのだろうし、祈祷・占い・呪術・奇跡・迷信などが氾濫する彼らの世界は、豊かさというよりもむしろ、本質を見失った「現代マヤのシャーマニズムが陥っている危機的状況」を反映しているのかもしれません。

しかし一方で、そうした混沌の中から少しずつ手がかりを見出し、探究の旅を重ね、マヤ人の精神的伝統の本質に迫っていくという作業は、研究者にとって挑戦しがいのある、魅力的な仕事でもあるのではないでしょうか。

 私はこうしたシャーマンとの交流をとおして混沌としたマヤ・シャーマニズムの世界の中に入って行った。そしてその最も重要な存在である異神サン・シモン、マヤのカレンダー、またマヤの十字架に出会った。だが時間が経つにつれて、さらにその彼方に見えてきた、より原初的な古代マヤの精神的伝統がある。それはマヤの聖なる書『ポップ・ヴフ』に描かれている、壮大な宇宙進化論と調和の思想である。そして最後にこれらのすべてを貫く深い川が「時間」という唯一無二の神であることを知った。
 本書はこうした私自身の未知の次元への発見の旅を記録したものである。


現代のシャーマンとの対話と思索を通じて得られた本書の結論部分が、古代マヤ人の思想を正確に再現したものであるかどうかは、現時点ではほとんど検証のできない問題だろうし、従ってそれをどう受け止めるかは、それぞれの読者に任されているといえます。

私はむしろ、マヤ人の神秘的な思想をめぐる多くの謎を解明することに生きがいを見出し、未知の領域に飛び込んで熱心に探究を続けてきた実松氏の長い旅のプロセスこそ、この本の持つ、より大きな魅力であるような気がします。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
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at 18:57, 浪人, 本の旅〜南北アメリカ

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『イルカと墜落』

文庫版はこちら

 

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

本書は、沢木耕太郎氏自身が遭遇した飛行機の墜落事故を中心に描いた、異色のブラジル旅行記です。

アマゾン河の流域には、いまだに文明と接触したことのないインディオが相当数いるといわれ、ブラジルでは「イソラド」と呼ばれています。しかし、イソラドはアマゾンの熱帯雨林が焼き払われ、開拓されるにしたがって奥地へと追い立てられており、免疫のない彼らは、奥地まで踏み込む木材業者、金鉱堀りや遺伝子ハンターと接触するたびに、文明社会から持ち込まれた病気の蔓延によって壊滅的なダメージを受けています。

沢木氏は、イソラドに関するテレビ番組を制作するNHKのスタッフに同行してブラジルへ飛び、イソラド保護のために文明と未接触の彼らとのコンタクトを試みている、国立インディオ基金(FUNAI)のシドニー・ポスエロ氏のもとへ取材に向かいます。

「イルカ記」は、国境の町タバチンガからアマゾン支流のイトゥイ河をさかのぼり、ジャバリ渓谷で活動を続けるポスエロ氏と会見するまでの、沢木氏のブラジル第一回目の旅を描いています。

「墜落記」は、第二回目の取材の旅で起きた飛行機の墜落事故に、沢木氏自身が巻き込まれた顛末を描いています。

ポスエロ氏がイソラドの状況を空から調査する作業を取材するため、国境の町リオ・ブランコから前線基地に向かう途中、沢木氏ら5人を乗せた双発のセスナ機が、機体のトラブルのために墜落してしまうのです。

結果的には、奇跡的に全員軽症で済むのですが、沢木氏は自らが遭遇した死と隣り合わせの状況を、前後の出来事も含めて淡々と綴っています。

深刻な事故を描いているはずなのに、読んでいて、時にユーモラスにさえ感じられるのは、沢木氏が自らの置かれた状況をどこか楽しんでいるような様子が伝わってくるからです。

 

 

どこかでそんな事故に巻き込まれてしまった自分を面白がっている私がいて、それが私を取り巻くすべてをじっと見ていたような気がするのだ。

 


ちなみに、「墜落記」には、20年前に飛行機の墜落事故で亡くなった向田邦子氏を「偲ぶ会」に出発直前の沢木氏が出席したことや、ブラジルに向かう途中で一行が遭遇したアメリカの同時多発テロ後の混乱(これも飛行機の墜落事件)が描かれています。

こうした、飛行機事故を連想させる出来事の不思議な重なり合いや、墜落前に他の取材スタッフに起きていた不思議な「偶然の一致」、そして自らが旅の前に感じていた微妙な違和感などについても詳しく記されているのですが、こうした出来事は、後付けの理屈という域を超えて、大きな事故や出来事が起きる「予兆」のようなものが実際にあるのだということを感じさせます。

もちろん沢木氏自身は、そうした「偶然の一致」について、ことさらに重視したり、神秘化しているわけではなく、そうした出来事を含めた事故の前後の体験を、淡々と綴っているだけです。こうした記録を読んで何をどう受け止めるかは、それぞれの読者にまかされているということなのでしょう。


本の評価基準

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at 18:55, 浪人, 本の旅〜南北アメリカ

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『ナバホへの旅 たましいの風景』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

本書は、心理療法家の河合隼雄氏が、2000年の8月にアメリカ先住民の住むナバホ・ネーションを訪ねた旅の記録です。

ナバホ・ネーションはアリゾナ、ニューメキシコ、ユタの各州にまたがり、約23万人のナバホの人々が暮らすアメリカ先住民の「国」で、独自の政府や議会も持っています。河合氏はここで多くのメディスンマン(シャーマン)の人々と語り合い、聖地や先住民の遺跡を訪ね、旅の最後にはスウェット・ロッジも少しだけ体験しています。

本書ではもちろん、ナバホの人々の暮らしぶりや、生活と宗教がひとつになったような彼らの世界観も紹介されているのですが、河合氏の主たる関心は、ナバホの研究よりもむしろ、ナバホの人々との対話を通じて、「日本人がこの現代をどう生きるのか」という課題を考える上での何らかのヒントを得たいというところにあり、本文の内容も、メディスンマンとの対話に触発されながら、河合氏自身が考えたことが中心になっています。

そういう意味では一般的な紀行文ではないし、話の内容もやや専門的になってくるので、心理療法やシャーマニズムについてある程度の予備知識や関心のある人でないと、ピンとこないかもしれません。一方で、アメリカ先住民の文化について、あるいは「癒し」の問題やシャーマニズムに関心のある人にとっては、本書は読む価値があると思います。

河合氏は心理療法家として長い実績をもっているだけに、「現代日本において深く悩み、傷ついている人に対して何ができるのか」という問題意識から、メディスンマンの「癒し」の方法の有効性と限界を見きわめようとしています。シャーマニズムと心理療法の比較など、理論的な整理はもちろんですが、臨床家としての豊富な経験に裏づけられた鋭いコメントが文章のあちこちにさりげなく加えられていて、さすがプロだと思わせるものがあります。

本文を読んでいると、日本人と似たところもあるナバホの人々が、独自の伝統文化を守ろうと健闘しながらも、やはり圧倒的な力を誇る西洋近代文明の前に衰退しつつあることは明らかで、河合氏が懸念するように、それが日本の未来の姿に重なって見えてくるような気がします。

また、日本人に限らず、いわゆる先進国に生きる多くの人にとっては、伝統的な癒しの前提となる「共同幻想」が近代化によって失われたために、人々は孤独や不安に襲われても、今さら頼るべきものがないというやっかいな問題を抱えています。かといって、酒(アメリカ国民の7%、1,300万人以上がアルコール依存症だそうです)や薬物などに依存したところで、本質的な解決にはなりません。

そこに、現代人が生きることの難しさがあります。これに関して、河合氏があるメディスンマンに語った、「誰もが共通に信じる世界をもたないわれわれは、個人個人がスピリットの存在に気づくのを待つしかないのだ」という言葉が印象に残りました。


本の評価基準

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 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
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at 20:38, 浪人, 本の旅〜南北アメリカ

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