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『猫町』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

『猫町』は、北越地方の温泉宿に泊まっていた主人公の「私」が、山の中で道を見失い、奇妙な町に迷い込んでしまうという内容の短編小説です。

昔の作品で著作権が切れているので、上記の Kindle や、青空文庫で読むことができます。
青空文庫 萩原朔太郎『猫町』

いちおう物語の最後にオチがあるのですが、前半の導入部分がネタバレみたいになっているので、エンターテインメントという点から見れば、あまり完成度は高くないのかもしれません。

ただ、個人的には、物語そのものよりも、作者が主人公に託した問題意識が、現代の旅人が置かれた状況を先取りしているようで、とても興味深く感じられます。

主人公の「私」は、旅をするうちに、どこへ行っても、結局は同じような人間の、同じような生活があるだけだと思うようになり、旅への憧れを失ってしまいます。「無限の退屈した風景」に飽きた彼は、もっと自由な世界を求めるあまり、ついにはドラッグにのめり込んでいくのですが、このあたりについては、作者自身の体験が反映されているようです。
ウィキペディア 「萩原朔太郎」

この作品が書かれた1930年代には、仕事以外で飽きるほど旅に出かけられる人間など、ごく一部の有閑階級だけだっただろうし、別世界を求めてドラッグに手を出す設定にしても、それ自体がむしろ別世界の話だと感じた読者の方が多かったのではないかと思います。

ところが、時代は変わり、今やその気になりさえすれば、普通の日本人が世界各地を旅することも夢ではなくなりました。長い休みのたびに旅行を楽しむ人はめずらしくないし、バックパッカーとして長い放浪の旅に出る人もいます。

そうした旅人の中には、何度も旅を重ねるうちに、主人公の「私」のように旅に飽き、旅への憧れの気持ちをなくしてしまった人もいるかもしれません。

また、長年にわたるグローバル化によって消費社会のシステムが世界の隅々にまで浸透したことで、どこに行っても同じような店や商品を見かけるようになり、現地の人も私たちと似たような生活をし、似たようなことを考えるようになりつつある、という傾向もあります。

さらに、マスメディアやインターネットを通じて大量の情報を浴び続けているせいか、苦労して出かけて行った旅先で、新鮮な体験を楽しむどころか、過去にどこかで見たものを再確認しているような感覚に襲われ、幻滅してしまう旅人もいるかもしれません。

少し大げさな言い方かもしれませんが、現代においては、ここではないどこか別の場所への無邪気な憧れみたいなものを抱き続けるのがどんどん難しくなりつつあり、結果的に旅からロマンチックな要素が消えつつあり、望むと望まないとにかかわらず、多くの人が、『猫町』の主人公のような状況になりつつあるような気がします。

とはいえ、私たちは、小説の登場人物みたいに、ドラッグに手を出すわけにもいきません。

たぶん私たちは、それでも世界のどこかに何か素晴らしいモノや体験が残されているはずだと信じて、がむしゃらに世界を駆け回るよりも、そうやって常に心の渇きを覚え、何かを求めずにはいられない自分自身の内面にこそ目を向けてみるべきなのでしょう。

この小説の中では、身近な世界をそのままで別世界に変える一つのヒントとして、「景色の裏側」を見るというキーワードが示されていますが、それ以外にも、私たちがこれまでの生活を通じて無意識のうちに身につけてきた価値観や世界観にちょっとした変化が加わるだけで、世界は劇的に違って見えてくるはずです。

そうやって、自らの内面に揺さぶりをかけ続けるような旅ができるのなら、きっといつまでも退屈とは無縁でいられるだろうし、あるいは、さらに深く自身の内面を見つめ直していくうちに、いつしか、ここではないどこかへの激しい渇望感に囚われることもなくなり、そもそも旅に出る必要すらなくなっていくのかもしれません……。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書

at 18:53, 浪人, 本の旅〜旅の物語

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『銀河ヒッチハイク・ガイド』

 

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

このところ、現実世界では暗いニュースばかりが続き、なかなか明るく前向きな気持ちになれないので、少しでも気分を変えようと、昔から名前だけは聞いていたSFコメディの名作、『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読んでみることにしました。

この作品については、ウィキペディアに(ネタバレを含む)かなり詳しい紹介があります。興味のある方はそちらを見ていただきたいのですが、物語の冒頭でいきなり地球が破壊されてしまい、ただ一人生き残った平凡なイギリス人が、「銀河ヒッチハイク・ガイド」現地調査員の宇宙人と一緒に銀河系を放浪するという、とんでもないストーリーです。
ウィキペディア 「銀河ヒッチハイク・ガイド」

最初は単なるドタバタ劇かと思ったのですが、SFらしくスケールの大きな仕掛けや予想外の展開に驚かされ、ブラックな笑いや宇宙的ナンセンスに脱力し、そして妙に人間くさい宇宙人たちのキャラクターを楽しんでいるうちに、独特の世界に引き込まれていました。

原書は1979年の刊行で、もう30年以上も前の作品ですが、新しい翻訳のおかげもあってか、今読んでも古さを感じません。

それにしても、やっぱりコメディはいいなあと思います。

鋭い皮肉も、残酷なまでのナンセンスも、強引な物語の進行も、ユーモラスで飄々とした語り口のおかげで抵抗なく受け入れられるし、ヘタをすれば虚無的になってしまいそうな内容が、笑いのおかげでうまく中和されている気がします。

私はSFというものをほとんど読んだことがないので、膨大なSFの作品群の中で、この本がどのような位置を占めるのかよく分からないのですが、他にも名作と呼ばれる作品を、いろいろ読んでみたいという気持ちになりました。

できれば、あまりシリアスなものではなく、少しでも笑える作品を……。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
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 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



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at 19:10, 浪人, 本の旅〜旅の物語

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『魂の流木』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本は、アメリカの経済学者マイケル・S・コヤマ氏が、波乱に満ちた自らの半生を描いた自伝的小説です。

以下、本の前半のあらすじをまとめましたが、かなりのネタバレになりますのでご注意ください。

物語の主人公、小山文治は1934年にタイで生まれますが、タイ人の母はすぐに亡くなり、父はビルマのイギリス軍を支援していたために、第二次大戦中に日本で処刑されてしまい、たったひとり残された文治は孤児院へ送られます。

終戦後、東京の孤児院を脱走した少年は、三宮の闇市になんとか居場所を見出しますが、学校に通えない彼は、もっと勉強をしたいという強い思いに駆られていました。やがて彼は、親切な高校の先生と知り合い、その先生の奔走のおかげで特別に高校への入学を許され、パン屋に住み込みで仕事をしながら優秀な成績で卒業します。

東京の大学に入ると、彼はすぐにアメリカからの奨学金を得てカリフォルニアの大学に留学します。彼は、タイ人の移民枠を使ってアメリカへ入国したため、大学院へ行く前に徴兵されることになるのですが、入隊するとG2(陸軍諜報部)の要員として抜擢され、士官学校へ入るために、帰化してアメリカ市民権を取得、マイケル・フミハル・コヤマと名乗るようになります。訓練を受けてパリに赴任したマイケルは、やがて、さまざまな秘密任務に従事するのですが……。

複雑で不幸な彼の生い立ちは、人生前半の彼に巨大すぎる困難となってのしかかりますが、死を前にした父が文治少年に残した教訓、「自分を信じて、危険を乗り越えて生きろ。同じ人生ならチャレンジして困難な道を進め!」という力強い言葉と、もっと学びたいという本人の強烈な思いが、闇市を放浪する孤児というどん底から、彼を這い上がらせました。

彼は、自分をとりまく状況に人生の主導権を渡すことなく、彼自身の求める人生を勝ち取っていきました。そしてむしろ、彼のその複雑な生い立ちそのものが、諜報という分野で彼に活躍の場を与えることになるのです。彼は、世界という舞台を広く大きく使って、先の見えない、ユニークな人生行路を歩んでいきます。

もちろん、言うまでもないことですが、そうした彼の成功は、彼ひとりの才能と努力だけで成し遂げられたわけではありません。この物語には、節目節目で彼の人生を大きく変えた、親切な人々との出会いが描かれています。しかし、もしも彼自身が人生の主導権を手放し、運命に身を任せてしまっていたら、そうした出会いはなかったか、あってもそれを生かすことはできなかったのでしょう。

この本は、「事実をベースにしたフィクション」ということなので、話のどこからどこまでが事実かは分からないし、たぶん細かな部分では脚色も加えられているのでしょうが、大筋としては、作者であるマイケル・S・コヤマ氏の身に起きたことがそのまま語られているように思われます。

語り口は、シンプルで淡々としていて、コヤマ氏の「本業」である、経済学関連の難しい話もほとんど出てきません。また、少年時代・青年時代の話と、諜報の秘密任務の興味深いエピソードが話の中心になっているのは、一般の読者向けに書かれたからなのでしょう。

それにしても興味深いのは、コヤマ氏が生活の拠点をあちこちと変え、さまざまな言語と文化を身につけ、また、社会における表と裏の顔を使い分けながらも、自分のアイデンティティに関して、哲学的な苦悩の袋小路に入り込んだりはしなかったということです。彼は、人並み外れた明晰な思考力に恵まれている一方で、自分が何者であるかという問題に関しては、不毛な思考のドロ沼に足をとられることがないのです。

むしろ彼は、自分の複雑な生い立ちそのものを、前へ進み続けるための手段として、プラグマティックに利用しているようにすら見えます。それは父の残した言葉に集約された、一つのシンプルな人生観が大きく影響しているのでしょうか。

ただ、この本を読んでいると、つい自分の人生と引き比べてしまいます。私がそうであるように、多くの読者も、文治少年に対して深い共感を覚えるよりはむしろ、自分にはこれほどの才能もなければ、彼ほどの努力もできないと思ってしまったり、彼のことが、自分とはかけ離れた特別な人間だと思えてしまうかもしれません。

ミもフタもない言い方をしてしまえば、これはどん底からの典型的な成功物語であり、読む人によっては、それを単なる自慢話として受け止めてしまう可能性もあるということです。それでも、今や功成り名遂げて一流の学者として生きる人物が、このような形で、あえて自らの暗い生い立ちを率直に告白するというのは、ほとんどないことなのではないでしょうか。

それはともかく、第二次大戦の前に生まれた人々というのは、コヤマ氏に限らず、誰もが本当にいろいろな体験を重ねてきたのだということを改めて思います。そして、今この時代に生まれ、あるいは青年時代を過ごしている人は、当時とは比べ物にならない豊かさの恩恵を受けている反面、彼のように波乱に満ちた、しかし痛快な人生を送る余地は残されているのだろうか、という気がしないでもありません……。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
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at 18:44, 浪人, 本の旅〜旅の物語

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『闇の奥』

Kindle版はこちら

 

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

あの有名な映画『地獄の黙示録』の原案となったイギリス文学の古典『闇の奥』。以前からずっと気になっていたのですが、先日、文庫で新訳が出ているのを知って、思い切って読んでみることにしました。

物語は、イギリス人船乗りのチャーリー・マーロウが、若い頃に「向こうの大陸(アフリカ)」で遭遇した衝撃的な出来事を仲間に語るという形で進行します。

東洋の海で何年か過ごした後、マーロウはふとしたきっかけから、アフリカの大河を行き来する蒸気船の船長になりたいという思いにとりつかれ、ある国の象牙交易会社と契約して、現地に派遣されることになります。


大河の河口から内陸部へと向かう困難な旅の途上で、マーロウは、奥地の出張所に赴任したクルツという社員の噂を耳にします。クルツは並外れた知性と教養の持ち主で、大量の象牙を集めるという抜群の成績を上げたにもかかわらず、奥地からの帰還を拒否してそこにとどまり、しかも病に冒されているというのです。

マーロウは、他の社員らとともに蒸気船に乗って、クルツのいる緑の魔境へと分け入っていくのですが……。

巻末の解説や年表によれば、この旅の物語は、作者コンラッドの実体験がもとになっているそうで、当時船員だった彼は、1890年にベルギー国王の私領だったコンゴ自由国(現在のコンゴ民主共和国)に船長として赴任し、コンゴ河を遡上する旅の途上で、過酷な植民地支配の実態を眼にしています。
ウィキペディア 「コンゴ自由国」

これからこの物語を読まれる方のために、あまり詳しくは書かないことにしますが、『闇の奥』というタイトルが暗示しているように、主人公マーロウは、暗鬱で危険な旅の途上で、さまざまなおぞましい光景を眼にし、やがて、魂のダークサイドに堕ちたクルツと対面することになります。

解説によれば、一世紀以上前、この小説が世の中に与えた衝撃は、国際政治をも動かすほどだったといいます。また、この作品をどのように評価するかをめぐっては、いまだに賛否が分かれ、さまざまな論争を生んでいるようです。

ただ、少なくともその物語の描写に関するかぎり、昨今の映画や小説の即物的でグロテスクな表現に慣れてしまっている私には、正直、それほどのインパクトは感じられませんでした。

また、主人公マーロウの饒舌な語りは、時に脱線し、話が前後するだけでなく、あいまいで象徴的な表現が多く、決して読みやすいとは言えません。私の場合は、この短い小説の途中で何度も何度も行き詰まり、最後まで読み切るまでにものすごい時間がかかってしまいました。

そもそも、結局のところマーロウは緑の魔境で何を体験したのか、彼にとって、クルツとは一体どのような存在だったのか、そしてクルツの最後の言葉の意味は何か、など、この小説の肝心な部分についても、読者次第でさまざまに解釈できる余地があります。これらをどのように受けとめればいいのか、考え出すときりがなく、解説を読んでいろいろと腑に落ちる部分もあるとはいえ、それでもスッキリせず、モヤモヤとしたものが後に残るのです。

それでも、この作品は、世界中の作家に大きな影響とインスピレーションを与え、小説・映画などジャンルを問わず、『闇の奥』の系譜ともいうべき数多くの作品を生み出してきました。

それは、闇の世界への危険な旅、そこで出会う狂気に満ちた人物との対決、その体験のインパクトによって決定的に変えられてしまう主人公、というこの物語の基本パターンが、アフリカのような遠い世界にだけあてはまる話ではなく、むしろ、私たち一人ひとりが共通して抱える心の闇との出遭いや、自分自身の影との対決という、普遍的な魂のドラマを暗示しているからなのかもしれません。

そして、そういう視点からこの物語を眺めていくと、マーロウがクルツという未知の人物に次第に心惹かれていくプロセスや、異形の者として彼の前に現れたクルツを忌避することなく、むしろ全身全霊をあげて対峙しようとするその姿に、さまざまな深い意味を読み取ることができるように思います。

いずれにしても、今回は、何とか最後まで読み通すのがやっとで、この本の発するメッセージをうまく受け止められた感じがしませんでした。いつか機会があれば、もう一度チャレンジしたいと思います。

この本は、決して気楽に読めるわけではないし、楽しい読後感も期待できないのですが、読み進む苦しみに見合うだけの「何か」は、きっと得られるのではないかという気がします。


本の評価基準

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at 18:50, 浪人, 本の旅〜旅の物語

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『クヌルプ』

Kindle版はこちら

 

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

 

この本は、100年ほど前のドイツを舞台に、放浪の旅に一生を捧げた人物を描いた小さな物語です。

小説は主人公のクヌルプをめぐる三つの短いエピソードで構成されていて、「いつも途上にあって、どんな土地にも長くとどまらないこの渡り鳥」の旅暮らしと、彼の最期が描かれています。

クヌルプは、少年時代のある挫折をきっかけに、社会のメインストリームから外れ、いつしか「無職の流浪者」として生きるようになりました。

まともな職につくこともなく、詩や歌や踊りを楽しみ、自然を愛する「いわば人生の芸術家」(訳者の高橋健二氏によるあとがき)として、彼は束の間の人生を謳歌するのですが、止むことのない過酷な旅は、彼の体を少しずつ蝕んでいくのでした……。

社会にしっかりと適応し、立派な仕事と家庭をもっている人々からすれば、帰るべき場所をもたず、あてどなく旅するなかで体を病み、ついに死に瀕するクヌルプは「かわいそうなやつ」でしかないのかもしれません。

しかし、雪の降りしきる山中でついに力尽きたクヌルプに、「神さま」はこう語りかけるのです。「定住している人々のもとに、少しばかり自由へのせつないあこがれを繰り返し持ちこ」むために、クヌルプはそうやって「あるがまま」の自分を生きなければならなかったのだと……。

この小説は、ストーリー展開を楽しめるようなエンターテインメントではないし、物語の舞台も、書かれた時代も古いため、読んでいてちょっと違和感を感じる人も多いでしょう。

それでも、孤独な漂泊者というパーソナリティの一つの典型が、主人公クヌルプの姿を通して生き生きと表現されているように思います。そしてそれは、あの有名な「アリとキリギリス」の寓話のように、近代社会で求められる勤勉なパーソナリティとは、ポジとネガのように対をなすものでもあります。

私がこの本を最初に読んだのは、たしか高校生の頃だったと思うのですが、そのストーリー自体は、ごく断片的に記憶に残っただけでした。しかし、何年も後になって、自分もまた放浪的な長い旅に出たところをみると、この短い小説を通じて、一種の放浪の美学みたいなものが、私の無意識に深く植えつけられていたのかもしれません……。

それにしても、旅の愛好者としてこの本を読んでいると、クヌルプの最期には、ヒッピーや筋金入りのバックパッカーの悲惨な末路を見るようで心が痛みます。そこには小説的な救いがあるとはいえ、100年前の放浪者の運命としては、こう書かれるよりほかなかったのでしょうか。

もしも現代にクヌルプが生きていたら、今のこの世界の中で、どんな漂泊の人生を歩むことになるのでしょう?

やはり昔と同じように、旅の途上で人知れず朽ちていく運命をたどるのでしょうか?

クヌルプ的なパーソナリティに強く魅かれるというより、自分の中に似たようなものを抱え込んでしまっている私にとって、この問題は他人事とは思えないのです……。

放浪タイプの旅人なら特に、この本にはいろいろと感じるものがあると思います。どこかで目にすることがあったら、ぜひ読んでみてください。


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 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
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at 18:58, 浪人, 本の旅〜旅の物語

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『ロロ・ジョングランの歌声』

 

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

この物語のヒロインは、29歳の雑誌編集記者。1998年に騒乱のさなかの東ティモールで命を落とした従兄の新聞記者の死の謎を追って、インドネシアや東ティモールを旅するという設定です。

そしてまた、これは、ジャーナリストや国際ボランティア、開発援助に携わるビジネスマンなど、旅を仕事とし、さまざまな国や地域を転々としながら生きる人々の物語でもあります。

ストーリーはヒロインの仕事や恋愛、そして、次第に明かされる謎を軸に展開するのですが、物語の背景として、日本政府によるODAや民間のボランティアなど、インドネシアを舞台とした国際協力活動の世界、とりわけその影の側面が詳しく描かれています。

「助けたいという気持ちと、その中にある偽善。そして利権」……。この世には、そもそも純粋な善など存在しないのかもしれませんが、多くの人が薄々気がついているように、美談として語られる国際協力の分野もまた、その例外ではありません。

しかし、作者の松村氏は、単純な正義を振りかざして、そうした影の部分を断罪するような立場はとりません。この物語のヒロインのように、実際に国際協力の現場に踏み込んでみれば、そこにはさまざまな人々の立場や動機や事情があり、その国の文化慣習があり、国家間の関係や歴史的な経緯もあることが見えてきます。

松村氏は、そうした多様な立場や視点を象徴するような人物を物語に登場させ、それぞれに語らせることによって、簡単に割り切った答えを見出すことのできない、国際協力の世界の複雑な様相を、巧みに描き出しています。

もっとも、この本は、いろいろな仕掛けを盛り込んだ知的なエンターテインメントとしてよく作り込まれているので、国際協力の現場とか、インドネシアや東ティモールというテーマに興味があるかどうかに関係なく、ストーリー展開そのものを追うだけでも十分に楽しめると思います。

ただ、個人的には、細かすぎるほどのヒロインの心理描写とか、現実にはありそうもない、メロドラマ風のややこしい人間関係には、読んでいて違和感を覚えました。あるいは、こういう特徴というのは、エンターテインメント系の小説ではごく一般的なことなのでしょうか? 私はこうしたジャンルの小説をほとんど読んだことがないので、よく分からないのですが……。


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at 18:41, 浪人, 本の旅〜旅の物語

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『シッダールタ』

 

評価 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です

この物語の舞台は、何千年も前、ブッダが生きていたころのインドです。

バラモンの家に生まれた、美しく賢い少年シッダールタ。両親はもちろん、周囲のすべての人々からも愛されて育ちますが、やがて青年になった彼は、究極の自己である真我を求め、それを自ら体現することを目指し、彼の友ゴーヴィンダとともに家を捨てて沙門の生活に入ります。

それから数年、二人は森の沙門たちのもとで、自我を滅却するための苦行に打ち込むのですが、シッダールタの心の渇きはつのるばかりでした。

やがて、ブッダの名声を聞きつけた二人は、森を出て舎衛城のブッダのもとを訪れます。ゴーヴィンダはただちにブッダに帰依しますが、シッダールタは、あらゆる師や教えに従うことを拒んで、「自分自身への道」を歩もうとします。

彼はブッダともゴーヴィンダとも別れ、絶対的な孤独を感じながら、ただ一人遍歴を続けます。そして、ある町へたどり着いたとき、シッダールタは、美しく賢い遊女カマーラに出会います……。

わずか百数十ページの短い物語ですが、人生における究極の問題とその解決というテーマが、美しく、シンプルに、ストレートに描かれていて、とても中身の濃い一冊です。

私は、たしか高校生のころにこの本に出会ったのですが、それ以来、機会あるごとに何度か読み返してきました。

初めて読んだときには、悟りについて語られるやや理屈っぽい部分はもちろんのこと、ブッダと別れ、わざわざ享楽と権勢の世界に溺れていくシッダールタの歩みについてもよく理解できませんでした。

それでも、歳をとって、私もそれなりに人生経験を積んだおかげか、一見無駄な苦しみにも思われる彼の遍歴に託された意味の深さが、少しずつ分かるようになってきた気がします。

ところで、この本の『シッダールタ』というタイトルを見て、仏教の開祖ゴータマ・シッダールタの生涯そのものを描いた作品かと思われた方は多いと思うし、私も最初に読む前にはそう思っていました。

しかし、作者のヘルマン・ヘッセ氏は、物語の中に聖者としてブッダ自身を登場させてはいますが、主人公シッダールタを、ブッダとは別の道を歩む一人の求道者として描いています。そして、訳者の高橋健二氏によれば、シッダールタの波乱に富んだ魂の旅の描写は、「ヘッセ自身の宗教的体験の告白」(あとがきより)でもあるといいます。

もともと、悟りがいかなるものであるかは、言葉で表現し尽くせるものではないのですが、この作品からは、あえてそれを物語のテーマとして取り上げ、真正面からその表現に挑戦したヘッセ氏の、作家としての真剣さ、真面目さが伝わってくるようで、読んでいて背筋が伸びる思いでした。

私がアジアの国々を旅していたころ、バックパッカーの集まる安宿街の本屋の店先で、この本の英語版をよく見かけたものです。この物語自体は、すでに90年近くも前に書かれたものですが、スピリチュアル系のバックパッカーや放浪の旅人の間では、今でもけっこう人気があるのかもしれません。

日本では、この本はもう絶版になったのかと思っていましたが、今回調べてみたら、まだそのまま新潮文庫のラインナップに残っているようで、ちょっとホッとしました。

それにしても、こういう本が、世界各地の書店の本棚の隅にさりげなく並んでいるのだと思うと、何だかワクワクしてきます。こうした素晴らしい本との出会いがあるからこそ、読書はやめられません。

もっとも、そうやって活字の世界に溺れるのもまた、煩悩の一つなのでしょうが……。


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『ニコチアナ』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本は、タバコという不思議な植物にスポットを当て、その人間との密接で複雑な関係を、ミステリー仕立てで描いた知的エンターテインメントです。

物語の主な舞台は2000年代初頭のアメリカ。そこでは、憲法修正による「禁煙法」成立に向けて、禁煙運動が盛り上がっているという設定です。

日本企業で無煙シガレットの企画開発に携わるメイは、提携するアメリカのタバコ会社のCEOから、既に同じアイデアで特許を申請していた人物がいると知らされます。無煙シガレットの発売を前に、彼らはその人物とコンタクトをとる必要に迫られるのですが、その男は数年前に失踪したきり、行方が分からなくなっていました。

メイは、カルロスという青年とともに、その男の足跡を追って北米大陸を横断する旅に出るのですが、同じ頃、アメリカの各地では、栽培タバコを変質させ、幻覚成分を生じさせてしまう謎の疫病が爆発的に広がり始めていました。やがて彼女は、探している男が、実は南米の高地アマゾンからやってきたシャーマンであること、そして彼が、タバコ畑に広がる謎の疫病の秘密をも握っていることを知ります……。

物語には、シガレットをこよなく愛する南部気質のカリスマ経営者や、直接行動を厭わない過激な禁煙運動家、謎の疫病の原因を追究する植物ゲノム研究者、そしてマヤ人の末裔として秘密の絵文書を守り続けてきた人物など、多彩な人々が登場します。また、物語の舞台も、アメリカの各地から、高地アマゾンへ、グァテマラへ、そして日本へとめまぐるしく移り変わります。

小説の中では、日常的・ビジネス的な世界や、自然科学の世界、エキゾチックな神話と象徴の世界が交錯し、ストーリーの展開自体もかなり込み入っているので、私の場合、最初のうちは話の流れがなかなか把握できず、読み進めるうえで多少の根気が必要でした。もっとも、それは私自身がこういう種類の知的エンターテインメント小説を読み慣れていなかったせいもあるでしょうが……。

それにしても、ネタバレになるのであまり書けないのですが、マヤの秘密の絵文書とか、5世紀にわたる壮大な魔法の成就とか、物語の仕掛けがかなり大がかりなので、最後にはどうまとめるんだろう、物語としてうまく着地できるんだろうかと、期待半分、心配半分で読んでいました。

南米のシャーマンが出てくるので、あるいは一部のスピリチュアル本のような、何でもありのぶっ飛んだ結末になってしまうのかとも思いましたが、その点については、最後まで知的な裏づけとストーリー展開が維持されていて、物語としてそれなりのオチというか、まとまりもついています。ただ、ちょっと話を広げすぎたせいか、すべてが最後にスッキリと収斂するという感じではなく、そこがエンターテインメントとしてはちょっと微妙なところかもしれません……。

ところで、私自身はスモーカーなのですが、この本を読んで、自分はこれまでタバコというものについて何にも知らなかったんだな、ただ目の前にあるシガレットという製品を吸い続けていただけなんだな、ということを改めて思い知らされました。

この小説には、ナス科のタバコという植物や、それが新大陸から爆発的に広がり、世界中の人々に受け入れられてきたプロセスについて、さまざまな知識が散りばめられています。

そしてまた、依存症や嫌煙権など、タバコをめぐるさまざまな問題が、その根底において、私たちが生きている近代という時代の本質そのものと切り離せないものだということも浮き彫りにされています。

タバコはその点で、いわば、近代社会の影を象徴するような存在なのかもしれません。

この小説はあくまでフィクションですが、多彩な登場人物のそれぞれが、タバコをめぐる様々な立場や視点の存在と、それぞれの利害が複雑に絡み合う現実を象徴しているように思えます。タバコを吸う人も嫌いな人も、このユニークな小説を読めば、今までとはまた違った観点から、タバコという不思議な植物について改めて考えるきっかけになるかもしれません。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
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at 18:50, 浪人, 本の旅〜旅の物語

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『未知の贈りもの』

評価 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です

久しぶりに、ライアル・ワトソン氏の作品を読み返してみました。

この『未知の贈りもの』は、ニューエイジ・サイエンスの書であり、オカルトであり、南洋の自然に関するエッセイであり、ファンタジーであり、旅行記でもあるような、つまりは、「科学者と夢想家が同居している(訳者あとがき)」ワトソン氏の知識と思想と行動の集大成のような作品です。

インドネシア東部の島々に興味をもった「私」(ワトソン氏)は、現地でチャーターした小舟で東部列島を旅していているうちに嵐に遭遇し、数日後、ヌス・タリアンという小さな火山島に流れ着きます。

島の人々に客人として迎えられた彼は、学校の先生としてそこにしばらく滞在することになり、ティアという不思議な少女に出会います。彼女は不幸な生い立ちをもつ孤独な少女でしたが、踊り手としてのたぐいまれな能力に恵まれていたばかりか、共感覚や予知など、いわゆる超感覚的な力をも持ち合わせていました。

ラマダンの最中、海岸に打ち上げられた若いクジラの死を看取ったことをきっかけに、ティアは驚くべき癒しの能力に目覚めます。しかし、彼女の起こした奇跡は、正統派イスラムの教えを根づかせようとする人々と、伝統的なアニミズムの名残りを守り続ける人々との間に深刻な対立を招くことになったのでした。

対立は緊張の度を強め、やがて……。

ワトソン氏は、自らを一連の出来事の観察者という立場に置き、サンゴ礁の島の豊かな自然や、島の生き物たち、古い伝統の色濃く残る村の暮らしの生き生きとした描写を交えながら、ティアをめぐる不思議な物語を語っていきます。

そして同時に、生命体としての地球、聖なる場所の意味、超感覚的知覚や心霊治療に見られるサイキックな力、量子力学がもたらした古くて新しい宇宙観と人間の意識の問題など、いかにもワトソン氏らしいテーマがこれでもかというくらいに盛り込まれています。

ティアの物語を縦糸とすれば、ワトソン氏のニューエイジ的で饒舌なコメントが横糸の役割を果たしているといえるかもしれません。本書の緻密な構成とあいまって、この本全体が、まるできらびやかで謎めいた文様の織物のようです。

彼は、アカデミックな自然科学者が禁欲し、決して踏み込もうとはしない薄闇の領域に軽々と足を踏み入れる一方で、オカルト的なものを全て肯定してしまうような過ちに陥ることもありません。彼は見える世界と見えない世界の微妙な境界を自在に往来しながら、「意識と現実の縁のみに存在する無形の神秘に実質を与え」ようと試みているように見えます。

それはまさに、本書のテーマでもある「踊り」そのものであり、彼もまたこの世界の存在と同調し、この本という舞台で、知的なダンスを繰り広げているのかもしれません。

ただ、ワトソン氏はこの物語について、「島の名以外はすべて変らない事実」であると書いてはいるのですが、それがいわゆるノンフィクションという意味での「事実」かどうかについては、私も多少の疑問を感じます。また、彼は、一部の世界では「トンデモ科学」の親玉みたいに言われているし、それでなくても、人によっては、オカルトっぽさの漂うこの本の内容に抵抗を感じる人もいるのではないかと思います。

しかし、物事の真偽や白黒をハッキリさせようとするような読み方では、この本の魅力を十分に味わうことはできないでしょう。この本の魅力は、一見したところ堅固に見える私たちの日常世界の周縁部に垣間見える、不思議で何とも説明のつかないもの、人間にとって未知の領域に、あえて分け入っていく冒険的な面白さやワクワク感にあるからです。

残念ながら、現在この本は絶版になっているようです。興味のある方は図書館や古書店で探してみてください。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



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at 18:47, 浪人, 本の旅〜旅の物語

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『アジア新聞屋台村』

 

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この物語の主人公であるタカノ氏は、早稲田の風呂なし三畳のアパートに住むフリーライター。「将来の展望どころか目先の仕事もろくになく、安酒だけが心の友という大学探検部クズレの独り者の男」です。

ある晩のこと、そんな彼のもとへ、原稿を依頼する奇妙な電話がかかってきます。それがきっかけで、彼は台湾人の若い女性社長が切り盛りする不思議な国際新聞社、「エイジアン」の存在を知ることになります。

その新聞社では、日本に住むアジア系外国人のために、いくつもの言語で月刊新聞が発行されているのですが、その内容も編集方法も、タカノ氏の度肝を抜くような常識はずれなもので、その粗製濫造ぶりは、まるでアジアの屋台を彷彿とさせるものでした。

それでも、その「猥雑で、お気楽で、和気あいあい」とした会社の雰囲気に、そしてそこで働く若いアジア人女性の多さにタカノ氏は心惹かれます。

彼はその会社で唯一の日本人スタッフとして、編集作業を手伝うことになるのですが……。

この本には、「エイジアン」で働くアジア系外国人、「エイジアン人」たちの多彩なキャラクターが、実に生きいきと描かれていて、タカノ氏と彼らの巻き起こすカルチャー・ギャップのドタバタ劇に、とにかく笑えます。

また、主人公の不器用な恋の行方や、会社を襲う危機など、物語としてもうまくできているので、「アジアもの」が好きな人も、そうでない人も、エンターテインメントとして楽しめると思います。

この本に描かれている架空の会社「エイジアン」や登場人物の「エイジアン人」たちには強烈な実在感があるし、物語の中にちりばめられた各国の裏事情やそれぞれの民族性、あるいは在日外国人の暮らしぶりについての描写もリアルです。

それらのほとんどは、作家・高野氏がこれまでに体験したり、取材したりした事実に基づいているのでしょう。この本は、物語の展開を小説として楽しみながら、同時に、アジアの人々について、通り一遍ではない、ちょっとディープな知識が得られるというお得な本でもあります。

ただ、読んでいくと、小説の中の「エイジアン人」とは、アジア系外国人の一般像を描いているというよりは、アジアという範疇も超えて、どこか突き抜けたところのある、特別な人たちの集団だという気がしてきます。

彼らは、外国である日本にやってきて、民族も習慣も考え方も違う人間同士で日本語を共通語として仕事をしています。それだけでも大変なチャレンジなのですが、彼ら一人ひとりも、自分のおかれた状況や内面に大きな矛盾を抱えながら、それをそのままに、わが道を行くような強烈な人生を歩んでいます。

いつもビジネスのことばかり考えているくせに、確実に儲かる話はなぜか毛嫌いする社長をはじめ、故郷に帰れば上流階級の大金持ちなのに、東京でのつかの間の貧乏ゴッコを楽しんでいるタイ人留学生たち、不自由と知りながら、イスラム教徒としての厳格なルールにこだわり続けるインドネシア人、いくつもの名前と言語を使い分ける、国籍不明の人物、そして、カネにならないと知りつつ、人の書かないことを書くことにこだわるタカノ氏……。

みな、楽な方に流れようと思えば簡単だし、実際にその誘惑に常にさらされているにもかかわらず、あえて辛くて困難な道を自らに課しているのです。そして、自分のやりたいことを貫くために、さまざまな副業にも手を出し、会社に経済的に頼り切らない、自立した態勢すら築き上げています。

自分本位に動くしたたかさと、細かいところにはあまりこだわらない大らかさ、そして挑戦する姿勢。そんな人々が集まる場所だからこそ、「エイジアン」には、物事が始まる瞬間の、生きいきとしたパワフルな混沌がつねに体現され、維持され続けているのでしょう。「何でもアリ」という、ハチャメチャなパワーが渦巻く、そんな奇跡のような場所を、高野氏はこの本の中で巧みに描き出しています。

そんな場所は、現実の世界に存在するのでしょうか。そう思いつつも、この本を読んで、その「エイジアン魂」に触れていると、とにかく元気が湧いてきます。

個人的には、すごく面白く、また、いろいろと深く考えさせられる一冊でした。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
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