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旅の名言 「私が未知の外国を……」

 素のままの自分を山に放ちたい。なぜなら、その方が面白いからだ。すべてがわかり、完璧に安全だとわかっているならクライミングなどしなくてもいい。わからない中で、自分の力を全開にして立ち向かうところに面白さがあるのだ。
 その山野井氏の意見はよく理解できた。そして思ったのだ。私が未知の外国を旅行するときにほとんどガイドブックを持っていこうとしないのも、できるだけ素のままの自分を異国に放ちたいからなのだ、と。放たれた素のままの自分を、自由に動かしてみたい。実際はどこまで自由にふるまえるかわからないが、ぎりぎりまで何の助けも借りないで動かしてみたい。
 もちろん、うまくいかないこともある。日本に帰ってきて、あんな苦労をしなくても、こうやればよかったのかとわかることも少なくない。しかし、だからといってあらかじめ知っていた方がいいとも思えない。知らないことによる悪戦苦闘によって、よりよく知ることができることもあるからだ。その土地を、そして自分自身を。

『旅する力 ― 深夜特急ノート』 沢木 耕太郎 新潮社 より
この本の紹介記事

『深夜特急』の著者、沢木耕太郎氏による旅のエッセイ、『旅する力』からの名言です。

冒頭の、「素のままの自分を山に放ちたい」というのは、クライマーの山野井泰史氏の言葉です。

山野井氏は、できるだけ軽量化した装備で頂上を目指す自分の登山スタイルを説明するさいに、そのような表現をしたのですが、沢木氏はこの言葉を受けて、ガイドブックなどを持たずに異郷に飛び込んでいく自分の旅のスタイルも、同じような動機に基づいているのだと語っています。

「素のままの自分を異国に放ち」、ぎりぎりまで何の助けも借りずに、自分を自由に動かしてみたい……。

それは、未知の環境にあえて自分を投げ込み、何も分からない状況から、自分がどれだけ一人で動けるか、そして、何も仕込んでいない新鮮な目に何が映るかを試してみるような旅です。多少のリスクやトラブルは覚悟の上で、「わからない中で、自分の力を全開にして立ち向かうところ」に面白さを見いだし、旅が与えてくれる自由の感覚を最大限に引き出そうとする旅のスタイルだといえます。

もちろん、沢木氏も書いているように、そういう旅のやり方にはメリットもあればデメリットもあります。ちょっとした情報を知らなかったばかりに、ムダと思えるような苦労をしたり、知っていれば防げたトラブルに巻き込まれる可能性もあるでしょう。

それに、自分以外に頼れるものが何もない状況では、未知の土地で臨む一瞬一瞬に、真剣勝負で向き合わざるを得ません。

だからやはり、それなりに旅慣れていない人は、こういう旅には不安を覚えるだろうし、安心・安全で快適な旅を求める人なら受け入れがたいスタイルでしょう。

最近では、携帯情報端末を使いこなし、目的地に効率的にアクセスしたり、旅先でのエンターテインメントを最大限に楽しむような、スマートな旅のスタイルが普及しつつあるようですが、沢木氏の旅は、ある意味では、最近のそういうトレンドとは正反対の方向性を目指しているといえるかもしれません。

しかし、異郷であえて悪戦苦闘し、混沌とした状況から少しずつ自分なりの旅を作り上げていく体験は、旅人に、濃密で自由な時間を約束してくれるだろうし、それはまた、自分がどういう人間で、何ができるかを、これ以上ないくらいにはっきりと見せてくれるのではないでしょうか。

……とはいうものの、私はといえば、未知の土地をガイドブックなしで旅することはあまりありません。

ガイドブックなしで旅をしたことも、あるにはあるのですが、情報収集にかなりの手間がかかったり、知らないがために不便で割高なルートをとってしまったり、移動時間や旅のスケジュールの目処が立たずに余計な心配をしたりと、いろいろあって、やはりある程度の情報は必要だと思うようになりました。

もちろん、ガイドブックや旅行代理店に頼ることのデメリットも承知してはいるのですが、それ以上に、自分の問題解決能力というものを、あまり信用していないのかもしれません……。

まあ、旅のスタイルは人それぞれだし、周囲の助けを利用するかしないかについては、どちらが正しいという問題ではないのでしょう。旅する土地の状況や、旅の目的、あるいは本人の年齢や体調を考慮しつつ、各自が最適だと思うバランスを見出していけばそれでいいのだと思います。

それと、若いうちは、一般的に人生経験や知識があまりないという意味で、本人の意思とは関係なく、旅するときはいつでも、現地に素のままで放り込まれているようなものかもしれません。一方で、若いうちなら、現地で大変な目にあっても、気力と体力で何とか対応できる余地もあります。

もちろん、チャレンジ精神が心の奥底でふつふつと湧いている人なら、年齢に関係なく、沢木氏のような旅をやってみる価値はあるのではないでしょうか。

もっとも、やはり歳をとると、混沌とした状況の中で自分を自由に動かしてみる楽しさとか、悪戦苦闘の面白さよりは、肉体的、精神的に少しでも楽をしたいという気持ちが忍び込んでくるのは避けられませんが……。


JUGEMテーマ:旅行 

at 19:04, 浪人, 旅の名言〜旅について

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旅の名言 「つまり、旅は……」

旅は、自分が人間としていかに小さいかを教えてくれる場であるとともに、大きくなるための力をつけてくれる場でもあるのです。つまり、旅はもうひとつの学校でもあるのです。
 入るのも自由なら出るのも自由な学校。大きなものを得ることもできるが失うこともある学校。教師は世界中の人々であり、教室は世界そのものであるという学校。
 もし、いま、あなたがそうした学校としての旅に出ようとしているのなら、もうひとつ言葉を贈りたいと思います。
「旅に教科書はない。教科書を作るのはあなたなのだ」
 と。

『旅する力 ― 深夜特急ノート』 沢木 耕太郎 新潮社 より
この本の紹介記事

旅行記の名作『深夜特急』の著者である沢木耕太郎氏が、青年時代のユーラシアの旅と『深夜特急』執筆のプロセスを、自らの半生とともに振り返るエッセイ、『旅する力』からの名言です。

冒頭の引用は、『深夜特急』の韓国語版に書かれたあとがきの一部で、沢木氏は、旅を「入るのも自由なら出るのも自由な学校」に喩えて説明しています。

「学校」という言葉には、決められたカリキュラムに従って知識を詰め込まれる場所、というイメージが強いのですが、彼のいう「もうひとつの学校」は、そうしたイメージとはむしろ対照的な意味合いをもっているようです。

「教師は世界中の人々であり、教室は世界そのもの」だとしたら、そこは、予定調和などなく、偶然と変化の波が激しく打ち寄せる、油断のならない場所です。しかし、沢木氏によれば、それこそが、人間として「大きくなるための力をつけてくれる場」なのです。

沢木氏は、『旅する力』の中で、旅は「思いもよらないことが起きる可能性のある場のひとつ」であり、そこに身を晒すことで、旅人は「偶然に対して柔らかく対応できる力」、つまりは「自分の身の丈」を伸ばしていくことができる、といった趣旨のことを書いています。
旅の名言 「旅もまた……」

ただ、この広い世界そのものを学校とみなすとしたら、当然、そこには役所の定めた公式の教科書みたいなものは存在しないわけで、それは全くの自由を意味する反面、人によっては、どこから何に手をつけたらいいか、あまりにも漠然としすぎているように感じられるかもしれません。これまでの学校教育で、教科書に書かれたことを正確に記憶するという学習パターンにすっかりなじんでしまった人は、教科書などないといきなり言われても、途方に暮れてしまうでしょう。

こうして偉そうなことを書いている私も、一人旅を始めたばかりのころは、ガイドブックを教科書がわりに、そこに載っているおすすめの観光地を片っ端から周るような旅をしていました。もちろん今でも、ガイドブックに頼らず、自分の力だけで自由自在に世界を飛びまわれるなどとは思っていません。

たぶん私にかぎらず、どんな旅人でも最初のうちは、ガイドブックなり、旅行代理店なり、旅の仲間なり、いろいろなモノや人々の助けに頼らざるを得ないし、そうして旅をある程度続けていくうちに、少しずつ、自分のやりたいこと、自分の作りたい旅のイメージができてくるのでしょう。

もっとも、ガイドブックに全面的に頼った旅をするにしても、そこは言葉も通じない見知らぬ土地であり、何かと勝手の違う世界です。いくら計画通りにすすめようとしても、いやむしろ、計画通りにすすめようとすることでかえって、旅人はさまざまなアクシデントやハプニングに見舞われるはずです。

それらにどう対処するか、そのつど自分の力を試されるという意味では、どんなささやかな旅であっても、ガイドブックをなぞるだけのような旅であっても、大いなる学びの場としての旅のプロセスは、すでに始まっているのかもしれません。

とはいえ、旅を通じて自分が何を学びつつあるのかということは、実際に旅をしている時点ではピンとこないことの方が多く、旅を終えてさらに時間が経って、昔の旅を自分の人生とともに振り返るような機会に、ああ、そういうことだったかと、初めて見えてくることも多いのだろうと思います。

それに、「学び」とか、自分の身の丈を伸ばすというようなイメージにこだわりすぎると、旅が堅苦しくなり、苦しい修行のようになってしまうかもしれません。

それでも、旅を単なる気晴らしや現実逃避とみなすよりは、そこに何らかの学びがあるはずだと考えたり、自分がやっていることには、(今は漠然としているけれど)長い目で見れば深い意味があるかもしれないと思うほうが、少なくとも、今まさに自分が続けている旅について、前向きな気持ちでいられるような気がします。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:31, 浪人, 旅の名言〜旅について

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旅の名言 「だから、旅を……」

 いまは旅にとって幸福な時代ではないかもしれない。辺境も秘境も失われ、どこかにユートピアがあるはずだという素朴な楽園幻想も持てない。グローバリズムの浸透によって、どこへ出かけようと、ここでないどこかを見出すのはとても困難だ。どこまでいっても、結局自分の脳内をぐるぐるまわっているような閉塞感もますます深まるだろう。旅になど出なくても、かんたんに世界の情報も得られるし、長い旅から戻ったものの、仕事が見つからなかったり、着地点を見出せずに苦しんでいる人たちもいる。
 でも、だとしても、旅をあきらめてはいけないと思う。きっと、まだ見えていないものがある。いまは見えていなくても、時をおけば、きっとなにかが見えてくる。ほんのささやかな旅であっても、そこには情報に還元しつくせない無数の経験が存在している。そうした経験は心の中でゆるやかに熟成し、日々の生活をべつの文脈から見ることを可能にしたり、ものごとの意味を新しく捉え直す力になったりすることがある。だから、旅をあきらめてはいけない。


『孤独な鳥はやさしくうたう』 田中 真知 旅行人 より
この本の紹介記事

作家・翻訳家の田中真知氏による旅のエッセイ『孤独な鳥はやさしくうたう』の「あとがき」からの引用です。

引用前半の一段落で、田中氏は、現代の旅につきまとう閉塞感について、簡潔に、的確にまとめています。

「いまは旅にとって幸福な時代ではないかもしれない」という彼の言葉に同意するかどうかは人それぞれかもしれませんが、国内・海外を問わず、旅が好きで、すでにあちこちを見てまわったことのある人なら、旅の現状をめぐって彼の言わんとするところはだいたい理解できるのではないでしょうか。

ほんの数十年前までは、この地球上にも、人類未踏の場所がいくつも残されていたし、探検家ならともかく、普通の旅人には簡単に近づけないような秘境の地というものも数多く存在しました。

この地上に、ほとんど誰も知らない、あるいは、普通の人間には決してたどり着けない場所があるという事実は、秘められた土地についての人々の想像をかきたてずにはおかなかっただろうし、それはまた、「どこかにユートピアがあるはずだという素朴な楽園幻想」にもつながっていたのだろうと思います。

しかし今や、普通の旅人にとってさえ、手の届かない場所というものはほとんどありません。さすがに紛争地帯へは行けませんが、かつての秘境でも、多少の出費さえ覚悟すれば、ツアーで簡単に訪れることができます。未知の土地が失われたことで、そこに私たちの幻想を重ねる余地もなくなりました。

それでも、人類全体ではなく、私たち一人ひとりの視点に立つならば、世界的に有名で、すでに多くの観光客が足を踏み入れた場所であっても、自分がまだそこに行ったことがないのなら、それは未知の土地だと言えないこともないのかもしれません。

実際、毎年数多くの人々が、国内・海外のありとあらゆる土地を旅し、それぞれの人にとって見慣れぬ風景や異なる文化に出会うたびに、新鮮な感動を味わっているはずです。

また、ガイドブックを片手に、自分で飛行機・鉄道・バスやタクシーを乗り継ぎ、世界を自由に、格安で旅するというスタイルも、ここ数十年間のあいだに若者を中心に広まった新しい旅の楽しみ方で、そうした新しい旅の可能性も、まだまだ完全に追求され尽くしたとは言えないのかもしれません。

ただ、一方で、そうした自由旅行の広がりは、世界各地にゲストハウスや旅行代理店、観光客向けのカフェやレストランなどを次々に生み出すことになり、その現象は、有名観光地の周辺ばかりではなく、辺境と呼ばれるような地域にまで及びつつあります。

同時に、グローバル化の進展にともなって、どこの国でも、ある一定水準以上の収入のある人々は、世界的なブランドの同じようなモノを買い、同じような音楽や同じような映画を楽しみ、同じようなニュースに興味をもち、同じようなことを考え、結果として、同じような暮らしをするようになりつつあります。

観光インフラの普及は、旅を便利で快適なものにしてくれたし、グローバル化のおかげで、私たちは異国の人々とも共通のバックグラウンドをもつことになり、それが旅先でのコミュニケーションを容易にしてくれるのですが、一方で、それらは、世界の金太郎飴化ともいうべき状況をもたらしているのかもしれません。

旅そのものは、年を追うごとに安全で快適なものになっているし、それは良いことであると私も思うのですが、ふと気がつくと、世界のどこへ行っても、似たような宿に泊まり、似たような食事をし、似たような体験をして、似たような人々と出会い、似たようなお土産を買って帰っているように思えてきます。

自分にとって本当に未知の何か、エキゾチックで新鮮な体験を求めて旅に出たはずが、旅をすればするほど、「どこへ出かけようと、ここでないどこかを見出すのはとても困難」になっているような気がするのです。

また、テレビや新聞・雑誌、旅行記やガイドブック、そしてネット上の旅行情報など、旅先に関する情報は有り余るほどで、私たちは、旅を始める前から、もうお腹いっぱいの状態です。

せっかく現地まで足を運んでも、事前に見聞きした膨大な情報のために驚きや感動が薄れてしまい、初めて実際に目にする風景に強い既視感を覚えたり、新しいことを体験しているはずなのに、何となく先が読めてしまう気がする人も多いのではないでしょうか。

異国の街角でも、どこかで見たような店に入り、自分と似たような人々に出会い、知らない国にいるはずなのに、意外性や驚きのない旅。それは、先が見通せて不安がないという意味で、安全で快適な旅ではあるのですが、そこには同時に、世界中に広がる巨大なシステムの内側に閉じ込められたまま、どうやっても外に出られないフラストレーションや、「どこまでいっても、結局自分の脳内をぐるぐるまわっているような閉塞感」があります。

さらに、これは日本特有の問題かもしれませんが、海外を数年間放浪して帰国したような旅人の中には、日本社会に激しい逆カルチャーショックを感じ、不適応の症状が出てしまう人がいるし、再び就職して日本社会になじもうとしても、職歴上のギャップを嫌う日本企業に敬遠されて、思うように職を見つけられない人もいるようです。

こういうことはすべて、実際に旅を続けてみて、始めて実感として分かってくるという面も大きいので、むしろ何度も旅を重ねたり、長い旅を続けている人のほうが、こうした旅の閉塞感にとらわれたり、旅に深い幻滅を感じる傾向があるのかもしれません。

その一方で、最近は若い世代の海外旅行離れが進んでいるという話もあります。ひと昔前のような、海外への素朴な憧れみたいなものも、今はもうなくなってしまったのかもしれないし、カネや手間暇をかけてまで旅に出ようと思わなかったり、旅に全く意味を見出せないという人も、けっこう多くなっているのでしょうか。
記事 「若者の海外旅行離れ?」

しかし、それでも、田中氏は、「旅をあきらめてはいけない」と言います。

どんなにささやかな旅であろうと、自分にとって未知の土地を訪れるという行為は、言葉や情報という形に還元することのできない、無数の経験のかたまりであり、今はそこに深い意味を見出せないとしても、旅の経験は心の中で熟成を続け、いつか、私たちの生活を別の新しい視点から見つめるための力になってくれるかもしれないというのです。

私も、きっとそうなのだろう、そうであってほしいと思います。

かつて、私が長い旅に出る決意をしたときも、これから自分が体験することは、世間的な意味ではほとんど役に立たないだろうし、旅に伴う危険もいろいろあるけれど、長い目でみたときに、自分に返ってくる何かがあるのではないか、今はそれについて何のあてもないけれど……といったようなことを、ぼんやり考えていた気がします。

でもまあ、私の場合は、旅を何年続けても、何かがはっきりと見えてきたわけではないし、旅のおかげで、自分が何かの能力に目覚めたという実感もありません。むしろ、周りの人からすれば、海外をフラフラ旅しているうちに、人生をドロップアウトしたようにしか見えないでしょう……。

それはともかく、現代の旅と閉塞感が分かちがたく結びついていて、人によっては、そのネガティブな感覚と必死で闘いつつ、自分なりの意味を求めて旅を続けているのかと思うと、なんだか切なくなってきます。

しかし、現在、世界を覆い尽くしているグローバル化や情報化の流れが続くかぎり、その閉塞感から簡単に逃れることはできないだろうし、個々人が実際に旅をする意味も、これからますます失われていくのかもしれません。

そういう状況の中では、結局のところ、自分の中に旅への強い衝動を持ち続けている人間だけが、旅を続けられるのでしょう。

今、ここで意味を見いだせなくても、旅を続けさえすれば、いつか何かが見えてくるかもしれないという田中氏の言葉は、自分の中のネガティブな思いに打ち勝ち、さらに一歩を踏み出そうとする旅人にとって、ひとつの希望だと思います。

ただ、「旅をあきらめてはいけない」というひとことに素直に励まされ、何の担保もなしに、不確かな未来の可能性に賭けることのできる旅人がいるとしたら、それはその人の中に、どんなことがあっても消えない、旅への強い衝動があるということなのかもしれません……。


JUGEMテーマ:旅行

at 19:04, 浪人, 旅の名言〜旅について

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