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旅の名言 「まだそのときじゃないのかな……」

 旅立つときはいつもそうだが、もう全面的に面倒くさい。
 毎回、もっと気力充実してから出発したいと思うけれども、そうやって待っていても気力はとくに充実しないのであって、まだそのときじゃないのかな、と思ったときが実は潮時である。条件が整い、気力が高まってから行動しようと思っていたら、いつまでたっても人生何も起こらないのだ。それよりとにかく何でもいいから出発してしまって、それから決心を固めていくほうが早い。

『スットコランド日記』 宮田 珠己 本の雑誌社 より
この本の紹介記事

紀行エッセイストの宮田珠己氏が、自らの日常を独特の文体で綴った脱力エッセイ、『スットコランド日記』からの引用です。

宮田氏は、新しい紀行エッセイを書くために四国遍路に行こうと思い立つのですが、それがどんなエッセイになりそうか、旅に出る前の時点では何の見通しも立たず、旅の間の天気や旅費のことも心配になり、さらには荷造りも面倒になって、何となく旅を先延ばしにしようという雰囲気になりかけていました。

この日記を読むと、宮田氏が本当に旅好きだということがよく分かるのですが、そういう人物であっても、やはりそれなりの旅に出るとなると、「もう全面的に面倒くさい」と感じてしまうのが面白いところです。

それでも、彼はとにかく思い切ってフェリーに乗り、徳島へ向かいます。「条件が整い、気力が高まってから行動しようと思っていたら、いつまでたっても人生何も起こらない」ということを知っているからです。

もしかすると、よく旅をする人と、そうでない人の違いを生んでいるのは、こういう風に、旅立ちに対する抵抗感というか、面倒臭さや不安みたいなものをうまく乗り越えるコツを身につけているかどうかなのかもしれません。

旅に行かない人でも、長い人生の中で、たまには旅に出てみたいと思う瞬間があるのではないかと思います。

ただ、それを心に思うのと、実際に数々の面倒を乗り越え、不安を克服して、それを実現させることとの間には、かなりの壁が存在しています。せっかく旅に行きたいと思っても、現実のさまざまな壁にぶつかった時点で、旅をあきらめてしまう人は多いのかもしれません。

旅によく行く人でも、実は、現実の壁が同じように存在しています。しかし彼らは、その壁を乗り越えるコツ、あるいは、壁そのものを低く越えやすいものにうまく変えていくコツを、経験を通じて、意識的・無意識的に身につけているのではないでしょうか。

たとえば、宮田氏の場合は、旅への決心がゆるぎなく固まるのを待たずに、とりあえずさっさと動き出してしまうことで、旅立ちへの抵抗を、うまくかわしています。

旅に限らず、誰でも、何か新しいことを始めようとする瞬間には、周囲の条件が整い、自分自身の気力も最高潮であってほしいと思うものですが、彼の言うように、パーフェクトなタイミングが訪れるのを待っていたら、「いつまでたっても人生何も起こらない」のです。

何かを起こすためには、見通しが立たないとか、現実的な不安がいろいろあるとか、完璧を期するためとか、手続きが面倒だからとか、そうしたさまざまな口実を見つけては現状維持を図ろうとする自分の心を、うまく出し抜く工夫も必要なのでしょう。

「まだそのときじゃないのかな、と思ったときが実は潮時である」というのは、旅に限らず、人生のいろいろな場面で応用できそうな名言と言えるかもしれません。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:47, 浪人, 旅の名言〜旅の予感・旅立ち

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旅の名言 「長い旅行にでかけるという行為には……」

 たっぷりと時間をかけて車でアメリカ大陸横断旅行をしてみたいと、前々から考えていた。というか、もっと正確にいうならば、ずっと夢見ていた。「そこには何か目的があるのか?」と訊かれても困る。特別な目的なんてなにもないからだ。大西洋の波打ち際から太平洋の波打ち際まで、山を越え川を渡り、とにかくアメリカを一気に突っ切ってしまおうじゃないか――僕が望んでいたのはただそれだけのことである。「行為自体が目的である」と明快に言いきってしまえれば、それはそれでかっこいいのだろうけれど……
 いずれにせよ、長い旅行にでかけるという行為には、狂気とまではいわずとも、何か理不尽なものが間違いなく潜んでいる。だいたいどうしてそんなしちめんどうなことをしなくてはならないのか? 時間もかかるし、費用だって馬鹿にならないし、それでいてけっこう疲れる。トラブルが降りかかることもある。いや、「降りかからないこともたまにある」と言ったほうが話は早いかもしれない。スクラブル・ゲームの広告のコピーはいつも「これなら家でスクラブルでもしていればよかったな」というもので、旅先でいろんな災難にあっている気の毒な旅行者の漫画が描かれている。僕はその広告を見るたびに、「そうだ。まったくそのとおりだ」と強く頷いてしまう。旅行とはトラブルのショーケースである。ほんとうに家でスクラブルでもしているほうがはるかにまともなのだ。それがわかっているのに、僕らはついつい旅に出てしまう。目に見えない力に袖を引かれて、ふらふらと崖っぷちにつれて行かれるみたいに。そして家に帰ってきて、柔らかい馴染みのソファに腰をおろし、つくづく思う。「ああ、家がいちばんだ」と。そうですね?
 それはむしろ病に似ている。 (後略)


『辺境・近境』 村上春樹 新潮文庫 より
この本の紹介記事

瀬戸内海の無人島からノモンハンの戦場跡まで、さまざまな場所へのさまざまなスタイルの旅を収めた村上春樹氏の旅行記、『辺境・近境』からの一節です。

村上氏は、「アメリカ大陸を横断しよう」の章で、東の端から西の端まで、車で一気に大陸を横断する旅を描いているのですが、その旅には確固とした目的などなく、ただ、アメリカを一気に突っ切ってみたい、という思いがあるだけでした。

仕事のための出張や、ストレスから解放されるためのバカンス、あるいは冒険や探検の旅など、人が旅に出るにはそれなりの理由と目的というものがあるし、長い旅であれば、なおさらそうだと考える人は多いと思います。

実際、村上氏も書いているとおり、「旅行とはトラブルのショーケース」であり、とにかくひたすら疲れるものなので、しっかりとした目的意識がなければ、長い旅など到底やり遂げられないような気もします。

でも、私自身の経験からいっても、長い旅だからといって、そこに、人にうまく説明できるような立派な理由があるとは限りません。

むしろ旅人は、「目に見えない力に袖を引かれて、ふらふらと崖っぷちにつれて行かれるみたいに」旅に出てしまうことも多いのではないでしょうか。そんなとき旅人は、自分が一体何をしようとしているのか、自分がどこへ向かおうとしているのか、はっきりと自覚しているわけではないのです。

合理的に考えれば、それは、何か得体の知れないものに駆り立てられて、安心・安全な日常生活の安逸をみすみす放り出してしまうことであり、その見返りがトラブルと疲労ばかりなのだとすれば、そこには「狂気とまではいわずとも、何か理不尽なものが間違いなく潜んでいる」ということになるのでしょう。

たしかに、「それはどこか病に似ている」のかもしれません。

知らないうちに自分の中に忍び込み、自分自身のコントロールを奪い、辛い運命を自分に押しつけてくるとんでもない何か……。少なくとも、安心・安全を理想として生きる人にしてみれば、旅とはそういうものにしか見えないのかもしれません。

でも村上氏は、旅とは「何か理不尽なもの」が自分を駆り立て、どこか見知らぬ場所へ運び去ってしまうプロセスだということを認めつつも、それを受け入れているというか、むしろ楽しんでさえいるように見えます。

旅の中で起こるさまざまなことは、自分のコントロールを超えています。しかし、だからこそ、それはマンネリ化した生活に刺激をもたらさずにはいないし、これまでの自分の限界を超えていくような、別の視点や新たな経験も与えてくれるのではないでしょうか。

もっとも、そこで何が起こるかは予測不能であり、ときには旅人に、取り返しのつかない災難が降りかかる可能性もあります。

旅の巻き起こすプロセスを楽しむとしても、それはあくまで、旅を生き延び、帰りたい場所があるなら、そこに必ず戻ることが前提になるのでしょう。

まあ、いつか我が家に帰り着くことさえ前提とせず、常に未知へと突き進んでいかずにはいられない、完全なる旅のマニアもいるのかもしれませんが……。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:32, 浪人, 旅の名言〜旅の予感・旅立ち

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旅の名言 「ほとんど全てのアメリカ人が……」

 サグ・ハーバーの私の庭で、大きなオークの木々の下に完全装備のロシナンテ号が堂々と鎮座すると、ご近所からは面識のない人たちまで集まってきた。彼らの瞳の中には、ここから飛び出したい、どこでもいいから旅立ちたいという熱望があった。その後国じゅうで出会うことになった目つきだ。
 いつか旅に出たいとどれほど願っているか、彼らは無言のうちに語っていた。自由で束縛されず、解き放たれてあてもなくさすらいたいのだと。私が訪れた全ての州でそんな眼差しと出合ったし、切なる声を耳にした。ほとんど全てのアメリカ人が、さすらうことに飢えているのだ。


『チャーリーとの旅』 ジョン スタインベック ポプラ社 より
この本の紹介記事

ノーベル賞作家ジョン・スタインベック氏のアメリカ一周旅行記、『チャーリーとの旅』からの引用です。

旅立ちを前に、彼が特注したキャンピングカー「ロシナンテ号」が家に届けられたとき、その新車をひと目見ようと、近所からたくさんの人が集まってきました。

キャンピングカーを熱いまなざしで見つめる彼らの瞳の中に、スタインベック氏は「ここから飛び出したい、どこでもいいから旅立ちたいという熱望」を感じるのですが、彼はその後、旅先でも同じまなざしに何度も出合うことになったのでした。

彼によれば、「ほとんど全てのアメリカ人が、さすらうことに飢えている」のであり、その機会さえ与えられるなら、彼らは「自由で束縛されず、解き放たれてあてもなくさすらいたい」のです。

とはいえ、ほとんどの場合、彼らには他にしなければならない日常の義務があり、守らなければならない人やモノがあり、現在手にしている安定した生活を失いたくないという思いがあるはずです。あるいは、いっときの気まぐれで、先の見えない放浪に人生を賭けてしまうことへの恐れもあるでしょう。

いくら旅に憧れていても、スタインベック氏のように心の衝動に従い、さすらいの旅を実行に移す人はほとんどいないはずです。しかし、だからこそ彼らは、自分たちの心の奥に疼く切なる思いを実現させたヒーローとして、彼とそのキャンピングカーに熱いまなざしを向けるのでしょう。

考えてみれば、現代のアメリカという国を作り上げたのは、大航海時代以降に、さまざまな国から夢を抱いてやってきた移民たちです。そしてアメリカの先住民もまた、はるか昔、新天地をめざしてアジアからの長い旅を続けた人々の末裔であると言われています。もしかすると、アメリカ人の心の中には、他の国の人々以上に、未知の土地に対する憧れのようなものが強く息づいているのかもしれません。

もっとも、旅への衝動自体は、アメリカ人の専売特許ではありません。スタインベック氏も、同じ本の中で、人類はもともと「移動する種族」であり、土地に対する執着よりも、「ここではないどこかに行きたいという衝動の方がより大きくて古くて深いものだ」と書いています。
旅の名言 「ここではないどこかに行きたいという……」

駅の構内を行きかう人々の群れに、あるいはテレビに映し出されるエキゾチックな風景に、つい旅心をくすぐられてしまうとき、私たち人類のすべてが心の奥底に抱え持っている、古くて深い衝動が、目を覚ましかけているのかもしれません。


JUGEMテーマ:旅行

at 19:09, 浪人, 旅の名言〜旅の予感・旅立ち

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