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旅の名言 「まだそのときじゃないのかな……」

 旅立つときはいつもそうだが、もう全面的に面倒くさい。
 毎回、もっと気力充実してから出発したいと思うけれども、そうやって待っていても気力はとくに充実しないのであって、まだそのときじゃないのかな、と思ったときが実は潮時である。条件が整い、気力が高まってから行動しようと思っていたら、いつまでたっても人生何も起こらないのだ。それよりとにかく何でもいいから出発してしまって、それから決心を固めていくほうが早い。

『スットコランド日記』 宮田 珠己 本の雑誌社 より
この本の紹介記事

紀行エッセイストの宮田珠己氏が、自らの日常を独特の文体で綴った脱力エッセイ、『スットコランド日記』からの引用です。

宮田氏は、新しい紀行エッセイを書くために四国遍路に行こうと思い立つのですが、それがどんなエッセイになりそうか、旅に出る前の時点では何の見通しも立たず、旅の間の天気や旅費のことも心配になり、さらには荷造りも面倒になって、何となく旅を先延ばしにしようという雰囲気になりかけていました。

この日記を読むと、宮田氏が本当に旅好きだということがよく分かるのですが、そういう人物であっても、やはりそれなりの旅に出るとなると、「もう全面的に面倒くさい」と感じてしまうのが面白いところです。

それでも、彼はとにかく思い切ってフェリーに乗り、徳島へ向かいます。「条件が整い、気力が高まってから行動しようと思っていたら、いつまでたっても人生何も起こらない」ということを知っているからです。

もしかすると、よく旅をする人と、そうでない人の違いを生んでいるのは、こういう風に、旅立ちに対する抵抗感というか、面倒臭さや不安みたいなものをうまく乗り越えるコツを身につけているかどうかなのかもしれません。

旅に行かない人でも、長い人生の中で、たまには旅に出てみたいと思う瞬間があるのではないかと思います。

ただ、それを心に思うのと、実際に数々の面倒を乗り越え、不安を克服して、それを実現させることとの間には、かなりの壁が存在しています。せっかく旅に行きたいと思っても、現実のさまざまな壁にぶつかった時点で、旅をあきらめてしまう人は多いのかもしれません。

旅によく行く人でも、実は、現実の壁が同じように存在しています。しかし彼らは、その壁を乗り越えるコツ、あるいは、壁そのものを低く越えやすいものにうまく変えていくコツを、経験を通じて、意識的・無意識的に身につけているのではないでしょうか。

たとえば、宮田氏の場合は、旅への決心がゆるぎなく固まるのを待たずに、とりあえずさっさと動き出してしまうことで、旅立ちへの抵抗を、うまくかわしています。

旅に限らず、誰でも、何か新しいことを始めようとする瞬間には、周囲の条件が整い、自分自身の気力も最高潮であってほしいと思うものですが、彼の言うように、パーフェクトなタイミングが訪れるのを待っていたら、「いつまでたっても人生何も起こらない」のです。

何かを起こすためには、見通しが立たないとか、現実的な不安がいろいろあるとか、完璧を期するためとか、手続きが面倒だからとか、そうしたさまざまな口実を見つけては現状維持を図ろうとする自分の心を、うまく出し抜く工夫も必要なのでしょう。

「まだそのときじゃないのかな、と思ったときが実は潮時である」というのは、旅に限らず、人生のいろいろな場面で応用できそうな名言と言えるかもしれません。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:47, 浪人, 旅の名言〜旅の予感・旅立ち

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旅の名言 「長い旅行にでかけるという行為には……」

 たっぷりと時間をかけて車でアメリカ大陸横断旅行をしてみたいと、前々から考えていた。というか、もっと正確にいうならば、ずっと夢見ていた。「そこには何か目的があるのか?」と訊かれても困る。特別な目的なんてなにもないからだ。大西洋の波打ち際から太平洋の波打ち際まで、山を越え川を渡り、とにかくアメリカを一気に突っ切ってしまおうじゃないか――僕が望んでいたのはただそれだけのことである。「行為自体が目的である」と明快に言いきってしまえれば、それはそれでかっこいいのだろうけれど……
 いずれにせよ、長い旅行にでかけるという行為には、狂気とまではいわずとも、何か理不尽なものが間違いなく潜んでいる。だいたいどうしてそんなしちめんどうなことをしなくてはならないのか? 時間もかかるし、費用だって馬鹿にならないし、それでいてけっこう疲れる。トラブルが降りかかることもある。いや、「降りかからないこともたまにある」と言ったほうが話は早いかもしれない。スクラブル・ゲームの広告のコピーはいつも「これなら家でスクラブルでもしていればよかったな」というもので、旅先でいろんな災難にあっている気の毒な旅行者の漫画が描かれている。僕はその広告を見るたびに、「そうだ。まったくそのとおりだ」と強く頷いてしまう。旅行とはトラブルのショーケースである。ほんとうに家でスクラブルでもしているほうがはるかにまともなのだ。それがわかっているのに、僕らはついつい旅に出てしまう。目に見えない力に袖を引かれて、ふらふらと崖っぷちにつれて行かれるみたいに。そして家に帰ってきて、柔らかい馴染みのソファに腰をおろし、つくづく思う。「ああ、家がいちばんだ」と。そうですね?
 それはむしろ病に似ている。 (後略)


『辺境・近境』 村上春樹 新潮文庫 より
この本の紹介記事

瀬戸内海の無人島からノモンハンの戦場跡まで、さまざまな場所へのさまざまなスタイルの旅を収めた村上春樹氏の旅行記、『辺境・近境』からの一節です。

村上氏は、「アメリカ大陸を横断しよう」の章で、東の端から西の端まで、車で一気に大陸を横断する旅を描いているのですが、その旅には確固とした目的などなく、ただ、アメリカを一気に突っ切ってみたい、という思いがあるだけでした。

仕事のための出張や、ストレスから解放されるためのバカンス、あるいは冒険や探検の旅など、人が旅に出るにはそれなりの理由と目的というものがあるし、長い旅であれば、なおさらそうだと考える人は多いと思います。

実際、村上氏も書いているとおり、「旅行とはトラブルのショーケース」であり、とにかくひたすら疲れるものなので、しっかりとした目的意識がなければ、長い旅など到底やり遂げられないような気もします。

でも、私自身の経験からいっても、長い旅だからといって、そこに、人にうまく説明できるような立派な理由があるとは限りません。

むしろ旅人は、「目に見えない力に袖を引かれて、ふらふらと崖っぷちにつれて行かれるみたいに」旅に出てしまうことも多いのではないでしょうか。そんなとき旅人は、自分が一体何をしようとしているのか、自分がどこへ向かおうとしているのか、はっきりと自覚しているわけではないのです。

合理的に考えれば、それは、何か得体の知れないものに駆り立てられて、安心・安全な日常生活の安逸をみすみす放り出してしまうことであり、その見返りがトラブルと疲労ばかりなのだとすれば、そこには「狂気とまではいわずとも、何か理不尽なものが間違いなく潜んでいる」ということになるのでしょう。

たしかに、「それはどこか病に似ている」のかもしれません。

知らないうちに自分の中に忍び込み、自分自身のコントロールを奪い、辛い運命を自分に押しつけてくるとんでもない何か……。少なくとも、安心・安全を理想として生きる人にしてみれば、旅とはそういうものにしか見えないのかもしれません。

でも村上氏は、旅とは「何か理不尽なもの」が自分を駆り立て、どこか見知らぬ場所へ運び去ってしまうプロセスだということを認めつつも、それを受け入れているというか、むしろ楽しんでさえいるように見えます。

旅の中で起こるさまざまなことは、自分のコントロールを超えています。しかし、だからこそ、それはマンネリ化した生活に刺激をもたらさずにはいないし、これまでの自分の限界を超えていくような、別の視点や新たな経験も与えてくれるのではないでしょうか。

もっとも、そこで何が起こるかは予測不能であり、ときには旅人に、取り返しのつかない災難が降りかかる可能性もあります。

旅の巻き起こすプロセスを楽しむとしても、それはあくまで、旅を生き延び、帰りたい場所があるなら、そこに必ず戻ることが前提になるのでしょう。

まあ、いつか我が家に帰り着くことさえ前提とせず、常に未知へと突き進んでいかずにはいられない、完全なる旅のマニアもいるのかもしれませんが……。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:32, 浪人, 旅の名言〜旅の予感・旅立ち

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旅の名言 「ほとんど全てのアメリカ人が……」

 サグ・ハーバーの私の庭で、大きなオークの木々の下に完全装備のロシナンテ号が堂々と鎮座すると、ご近所からは面識のない人たちまで集まってきた。彼らの瞳の中には、ここから飛び出したい、どこでもいいから旅立ちたいという熱望があった。その後国じゅうで出会うことになった目つきだ。
 いつか旅に出たいとどれほど願っているか、彼らは無言のうちに語っていた。自由で束縛されず、解き放たれてあてもなくさすらいたいのだと。私が訪れた全ての州でそんな眼差しと出合ったし、切なる声を耳にした。ほとんど全てのアメリカ人が、さすらうことに飢えているのだ。


『チャーリーとの旅』 ジョン スタインベック ポプラ社 より
この本の紹介記事

ノーベル賞作家ジョン・スタインベック氏のアメリカ一周旅行記、『チャーリーとの旅』からの引用です。

旅立ちを前に、彼が特注したキャンピングカー「ロシナンテ号」が家に届けられたとき、その新車をひと目見ようと、近所からたくさんの人が集まってきました。

キャンピングカーを熱いまなざしで見つめる彼らの瞳の中に、スタインベック氏は「ここから飛び出したい、どこでもいいから旅立ちたいという熱望」を感じるのですが、彼はその後、旅先でも同じまなざしに何度も出合うことになったのでした。

彼によれば、「ほとんど全てのアメリカ人が、さすらうことに飢えている」のであり、その機会さえ与えられるなら、彼らは「自由で束縛されず、解き放たれてあてもなくさすらいたい」のです。

とはいえ、ほとんどの場合、彼らには他にしなければならない日常の義務があり、守らなければならない人やモノがあり、現在手にしている安定した生活を失いたくないという思いがあるはずです。あるいは、いっときの気まぐれで、先の見えない放浪に人生を賭けてしまうことへの恐れもあるでしょう。

いくら旅に憧れていても、スタインベック氏のように心の衝動に従い、さすらいの旅を実行に移す人はほとんどいないはずです。しかし、だからこそ彼らは、自分たちの心の奥に疼く切なる思いを実現させたヒーローとして、彼とそのキャンピングカーに熱いまなざしを向けるのでしょう。

考えてみれば、現代のアメリカという国を作り上げたのは、大航海時代以降に、さまざまな国から夢を抱いてやってきた移民たちです。そしてアメリカの先住民もまた、はるか昔、新天地をめざしてアジアからの長い旅を続けた人々の末裔であると言われています。もしかすると、アメリカ人の心の中には、他の国の人々以上に、未知の土地に対する憧れのようなものが強く息づいているのかもしれません。

もっとも、旅への衝動自体は、アメリカ人の専売特許ではありません。スタインベック氏も、同じ本の中で、人類はもともと「移動する種族」であり、土地に対する執着よりも、「ここではないどこかに行きたいという衝動の方がより大きくて古くて深いものだ」と書いています。
旅の名言 「ここではないどこかに行きたいという……」

駅の構内を行きかう人々の群れに、あるいはテレビに映し出されるエキゾチックな風景に、つい旅心をくすぐられてしまうとき、私たち人類のすべてが心の奥底に抱え持っている、古くて深い衝動が、目を覚ましかけているのかもしれません。


JUGEMテーマ:旅行

at 19:09, 浪人, 旅の名言〜旅の予感・旅立ち

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旅の名言 「この旅の計画が無茶だと……」

 二万キロ近い距離を運転し、同伴者なしの単独行であらゆる状況の道を行くのはきつい仕事だと分かっていた。しかし私にとって、それこそが病気を生業にしてしまうことへの解毒剤だった。我が人生において、長生きのために生の手ごたえを差し出すつもりはない。この旅の計画が無茶だと分かったなら、その時にこそ旅立つべきだろう。


『チャーリーとの旅』 ジョン スタインベック ポプラ社 より
この本の紹介記事

ノーベル賞作家ジョン・スタインベック氏のアメリカ一周旅行記、『チャーリーとの旅』からの一節です。

彼が愛犬のチャーリーを連れて、キャンピングカーでアメリカを一周しようと決意したのは、60歳も近くなったときでした。

彼は58歳のときに「寄る年波からくる症状」に襲われ、自らの老いを深く実感してはいたのですが、身の周りの同じ年代の男たちが「安楽に身をひたし、衝動を押し殺し、情熱を覆い隠し、次第に男であることを捨てて精神的にも肉体的にも半病人と化していく」のを見て、あえて自分はリスクのある旅に挑戦することを選んだのです。

ただし、スタインベック氏は根っからの風来坊で、若いころから旅を繰り返し、旅そのものには慣れていたし、また、老いへの挑戦だけが旅に出た理由ではありませんでしたが……。

それにしても、「旅の計画が無茶だと分かったなら、その時にこそ旅立つべきだろう」なんていう表現は、たしかに男くさくてカッコよく聞こえますが、これは、半分は本気だとしても、残りの半分くらいは自らを奮い立たせるための強がりだったと思うし、彼もそれを十分承知した上で、こんな風に啖呵を切ってみせたのではないでしょうか。

私はまだ、当時の彼ほど年齢を重ねていないので、老いというものが具体的に実感できないし、自分が将来同じ状況になったとき、果たして彼のような挑戦ができるかどうかも分かりませんが、「長生きのために生の手ごたえを差し出すつもりはない」という彼の言葉には、年齢にかかわりなく心に響くものがあります。

安心・安全を追求し、長生きと安逸を目標に生きるなら、危険やトラブルと背中合わせの旅なんていう酔狂は止めるにこしたことはありませんが、そういう無茶を通じてしか手に入らない「生の手ごたえ」というものも、たしかに存在します。

もちろん、すべての人がそうした手ごたえを切実に必要とするわけではないでしょうが、そこに自分の生きている証しを感じるという人は、たとえ身体に衰えを感じても、むしろだからこそ、残された時間と競い合うようにして、旅に出たいという強い衝動に駆られるのかもしれません。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:54, 浪人, 旅の名言〜旅の予感・旅立ち

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旅の名言 「その日が迫るにつれ……」

 長いこと計画しているうちに、旅など実現しないような気がしてきた。その日が迫るにつれ、温かなベッドや快適な家はいよいよ好ましく、愛する妻は言いようもなく尊く思えてきた。三カ月もそれらを捨て、快適ならざる未知の脅威を選ぶなんて狂気の沙汰に思えた。
 行きたくなかった。出発できなくなるような事件が起きてほしかったが、何も起きはしなかった。もちろん病気になる手もあったが、そもそも病気こそが旅に出る最大にして秘密の理由の一つだった。

『チャーリーとの旅』 ジョン スタインベック ポプラ社 より
この本の紹介記事

ノーベル賞作家のスタインベック氏が、キャンピングカーで愛犬と一緒にアメリカを一周した旅の記録、『チャーリーとの旅』からの一節です。

彼はこの本の中で、自分は幼いころから放浪病という「不治の病」を抱えていたと白状しているのですが、そんな根っからの風来坊の彼でさえ、大きな旅への出発を目前にすると、慣れ親しんだ日常としばし決別することに激しい抵抗を覚えるようです。

心は旅へと激しく駆り立てられているのに、心のどこかでは快適で平穏な日常への強い愛着も感じている……。そんな旅人の揺れ動く心境を、スタインベック氏はユーモラスに、的確に描いているように思います。

そしてたぶん、旅立ちの前には誰もが似たような葛藤に襲われるのではないでしょうか。

もちろん、その葛藤の程度は、旅人の性格や置かれた状況によって違うはずで、例えば、毎日の暮らしに快適さどころか不満ばかり感じている人なら、そこから旅立ってしまいたいと思う気持ちを引き留めるものなどないのかもしれませんが……。

そう考えると、スタインベック氏が旅立ちの前に強い葛藤を感じていたというのは、彼の家庭での日々がとても充実していたということなのでしょう。

ところで、旅には、未知の土地や人々との出会いによって「非日常」を体験するという一面がありますが、一方で、すっかり慣れ親しんで退屈さえ感じるような毎日の生活から、これまでにない新鮮な印象を受けるのもまた非日常の体験です。

旅立ちを本気で決意し、その準備を始めただけで、「温かなベッドや快適な家はいよいよ好ましく、愛する妻は言いようもなく尊く思えて」くるというのは、まだ旅に出ていないのに、日常がすでに非日常と化してしまっているわけで、とても面白いことだと思います。

旅というプロセスは、旅人が実際に家を出る前から、すでに始まっているのです……。


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at 19:02, 浪人, 旅の名言〜旅の予感・旅立ち

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旅の名言 「放浪の旅に対する意気ごみを……」

 皮肉なことではあるけれど、放浪の旅に対する意気ごみを測るリトマステストは、旅の中にではなく、旅を実現させるための自由を得ようとする過程にある。


『旅に出ろ! ― ヴァガボンディング・ガイド 』 ロルフ・ポッツ ヴィレッジブックス より
この本の紹介記事

放浪の旅(ヴァガボンディング)へのガイドブック、『旅に出ろ!』からの一節です。

長い旅をしたことのある人ならお分かりだと思いますが、旅を長く続けることそれ自体には、別にそれほどの困難は感じないことが多いし、特別なテクニックが必要なわけでもありません。
旅の名言 「一年くらい旅を……」

私自身の体験からいっても、たぶん旅の中で一番の試練と感じるのは、旅の始めと終わり、つまり、旅に出るという決意を実現させるまでのプロセスと、一度始めてしまった旅をどうやって終わらせるかというタイミングの問題だと思います。

旅の終わりの問題は、沢木耕太郎氏のベストセラー『深夜特急』でも大きなテーマになっているし、それについては別の機会に触れたことがあるので、今回は、旅立ちのプロセスについて考えてみたいと思います。
旅の名言 「やがてこの旅にも……」

放浪の旅への憧れは、その強度を別にすれば、たぶんどんな人の心にも芽生えることがあるはずです。

それは、ふとした思いつきのまま、自然に消えていってしまうことがほとんどでしょうが、人によってはそれが頭にこびりついて離れず、その手の本を読んだり、旅人の話を聞いたりして、どんどん旅への憧れを膨らませてしまうようなこともあるかもしれません。

しかし、学業や仕事を中断したり、あるいは身の周りの全てを清算した上で長い旅に出るという人は、実際のところほとんどいないのではないでしょうか。現実に長期にわたって世界を放浪している人の数は非常に限られているという事実が、放浪への憧れと現実との間の落差の大きさを物語っているように思います。

とはいえ、旅に出るという物理的な行動だけをとってみれば、それは別に難しいことではありません。数カ月、あるいは数年にもわたるような長い旅に出る人も、その表面的な行動だけを見れば、海外出張のビジネスマンや休暇を楽しむ観光客と全く同じで、航空券の手配をし、出国手続きをし、飛行機に乗り込んで海を渡るだけです。

大変なのは、出発に至るまでの間に、今まで続けてきた生活のすべてを見直し、放浪の旅という、これまでとは全く違うスタイルの生活を始めるための準備を着々と進めなければならないということなのです。

例えば、長い旅を夢見るだけでなく、それを実行するには、現実問題としてある程度の資金が必要になります。もし手許にそれだけの金がないなら、自らの手で稼ぎ出すしかありません。働いても金の残らない生活をしているのなら、出費を切り詰めて少しずつ貯金していかなければならないし、学生ならアルバイトで金を稼ぐ必要があります。

放浪というとロマンチックな響きがありますが、実際にそれを実現するためには、ある程度現実的になり、目標に向かって計画的にプロジェクトを進めていくような態度も必要になるのです。

そして、いざ旅の資金が用意でき、旅立つ決意が固まったとしても、次なる試練が待っています。

数カ月以上日本を離れるつもりならば、当然会社は辞めざるを得ないし、学校なら休学するか退学しなければならないでしょう。もちろん、一度会社や学校を辞めてしまったら、その後何があったとしても、すべてを元に戻してやり直せるほど世の中は甘くありません。

また、自分の周囲の人々にも、長い旅に出ることを告げる必要があるでしょう。一緒に旅に出るのでもなければ、付き合っている恋人とは別れることになるかもしれないし、すでに家庭をもっている人なら、さらに大きく複雑な問題に直面することになります。

それに、旅の間、これまで住んでいた部屋をそのままキープしておくのかといった問題や、役所や公共サービスへの各種届け出など、細々とした現実的な問題も、きちんと解決しておく必要があります。

それだけのことを実行していく過程では、当然周囲からの心配や反対もあるだろうし、自分自身の中でも、これから始まる旅やその後の人生について、ほとんど恐怖に近いような不安が心をよぎるはずです。

当然、こうした不安や数々の現実問題のことを想像しただけで嫌になり、自分にはとても無理だと、放浪の旅を早々に断念してしまう人もいるだろうし、旅に出る決意まではしたものの、準備の途中で障害を乗り越えられず、結局出発に至らない人も多いのではないでしょうか。

そういう意味で、長い旅に出るということは、さまざまな障害を一つひとつクリアーし、周囲をそれなりに説得し、自分自身の心の葛藤をくぐり抜けた上での旅立ちであり、実際のところ、出発にこぎつけるまでの段階で、すでに自らの生き方を変えるという大仕事を成し遂げていることになるのです。

『旅に出ろ!』の著者、ロルフ・ポッツ氏は、そんな奮闘のプロセスを「旅を実現させるための自由を得ようとする過程」であると美しく表現していますが、これは人によっては人生を賭けた血みどろの闘いそのものになってしまうかもしれません……。

旅に出る前に、こうした形で何度もその人の意気込みが試され、その試練を乗り越えた人だけが、実際に長い旅を始めることができるのです。言ってみれば、それは放浪への一次試験みたいなもので、あいまいな気持ちの人、準備の足りない人は、出発前の段階でふるい落とされてしまうというわけです。

もちろん、これは理屈の上の話です。

実際には、こうした厳しい「一次試験」を全ての旅人がくぐり抜けるわけではなく、特に20代前半くらいまでの若い人なら、あまり悩んだり考えたりせずに、わずかな金と勢いだけで旅に出てしまう人もけっこういるのでしょう。

それでもやはり、一般的に考えるなら、旅の出発までのプロセスは、旅の最初にして、ある意味では最大の難関だと言うことができるのではないでしょうか。


旅の名言 「いつかいつかと……」
旅の名言 「動き出せば……」


JUGEMテーマ:旅行

at 18:40, 浪人, 旅の名言〜旅の予感・旅立ち

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旅の名言 「ひとり旅をすることによって……」

ひとり旅をすることによって唯一学んだことがあるとしたら、それはものごとを実行に移すときの要領のようなものにちがいない。なにかをやりたいと思ったらうだうだ悩まず即行動。ボルネオ島ってどんなところだろうなんて想像するまえに、チケットを予約し、ビザを取得して、さっさと荷造りをする。なにかを実現させるなんていうのは、つまるところそういうことじゃないだろうか。


『ビーチ』 アレックス ガーランド アーティストハウス より
この本の紹介記事

映画『ザ・ビーチ』の原作となった、アレックス・ガーランド氏の小説『ビーチ』からの引用です。

ガーランド氏は元バックパッカーだったようで、長旅を経験した旅人ならではのリアルな感覚が、この小説のあちこちに埋め込まれています。

冒頭の引用は、主人公のリチャードが一人旅の心得を語る部分ですが、「うだうだ悩まず即行動」するひとり身の気楽さ、腰の軽さをうまく表現していると思います。

実際、何度かバックパックをかついで旅をしていると、旅に出ること、国境を越えて見知らぬ国に行くことへの心の敷居がどんどん低くなっていくことは確かです。

未知の世界に飛び込むというプロセスを何度も繰り返しているうちに、事前に手に入るわずかな情報をこねくり回してあれこれ思案してもはじまらないこと、不安を紛らわせるために仲間を募って出発の時期や目的地を調整する手間をかけるよりは、自分の行きたいところに一人でさっさと出発してしまうほうが自由で気軽であることに改めて気づくのです。

もちろん、一人旅では自由を満喫できる反面、その自由に見合うだけの責任が求められることも確かですが……。

at 18:48, 浪人, 旅の名言〜旅の予感・旅立ち

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旅の名言 「不意に、自分が……」

 最後に紅茶を飲みながら、ふと窓の外を見ると、強い日差しの中を人々が行き交っている。バイクが走り、車が走り、すげ笠をかぶった女性が天秤棒をかついで荷物を運んでいる。
 一方、ロビーでは自動演奏のピアノがセンチメンタルな曲を奏でている。
 不意に、自分が透明人間になったような、宙に浮いたような、名前を失ってしまったような奇妙な感覚に襲われる。それは私の旅がようやく始まったという徴なのだ。


『一号線を北上せよ<ヴェトナム街道編>』 沢木 耕太郎 講談社文庫 より
この本の紹介記事

『深夜特急』で有名な沢木耕太郎氏の紀行エッセイ『一号線を北上せよ』からの引用です。

冒頭のシーンは、ベトナムのホーチミンにあるマジェスティック・ホテルに沢木氏が宿泊し、ロビーで充実した朝食を食べていたときに起きた出来事を描いたものです。

ほぼ食事を終え、ふと窓の外へ注意が向いたとき、そこには車やバイクや人々がせわしく行き交うベトナムの都会の日常風景があり、ロビーのピアノ演奏がそのBGMとして耳に飛び込んできました。

その瞬間、まるで心の中で何かのスイッチが入ったように、沢木氏は「自分が透明人間になったような、宙に浮いたような、名前を失ってしまったような奇妙な感覚」に襲われたのです。

もし、旅慣れない人が突然そんな感覚に襲われたら、一種の異常事態として激しい不安を感じるかもしれませんが、既に何度もそういう感覚を体験しているらしい沢木氏にとっては、それはむしろ、旅の始まりを告げるいつものパターンに過ぎないようです。

私は、何度か海外への旅をしたことはありますが、このようにハッキリとした旅の始まりの感覚を覚えたことはありません。

ただ、自分の記憶の中で、日本での日常生活と、旅に出て見知らぬ街を歩いているときとを比較してみると、それぞれの感覚というか「心のモード」みたいなものが確実に違うことは自分でもわかります。だとすると、私の場合も出発前後のどこかで、心のモードが不連続に切り換わる瞬間があるのかもしれません。

私がハッキリとそれを自覚できないのは、旅立ちの前から少しずつ連続的にテンションが上がっていくせいなのかもしれないし、あるいは、出発前後のバタバタとした慌ただしさに紛れたり、単に自分の内面に対する注意不足のために、微妙な感覚の変化に気がついていないだけなのかもしれません。

それはともかく、沢木氏の場合は、何度も海外を旅し、異質な世界に飛び込む経験を重ねてきたので、旅立ちの瞬間の心の動きが、手にとるように感じられるようになったのでしょう。

ところで、ちょっと脱線しますが、沢木氏はその感じについて、「自分が透明人間になったような、宙に浮いたような、名前を失ってしまったような」感覚だと表現していますが、それは何だか、幽体離脱とか体外離脱といわれるような体験の描写を思い起こさせます。

もちろん、私には体外離脱の体験などないので、ここから先はあくまでも想像にすぎないのですが、その手の本の描写を読む限りでは、体外離脱の瞬間と旅立ちの瞬間の感覚というのは、けっこう似ているかもしれないという気がします。

旅に出て、自分の日常生活の重さやしがらみから抜け出す瞬間の感覚というのは、重苦しい肉体を抜け出る瞬間と似ているかもしれないし、社会に属し、特定の名前や肩書きをもつ個人として仕事や義務に縛られた状態を離れ、見知らぬ土地をフラフラと自由にさまよっている感じは、肉体を脱け出てあちこちをフワフワと飛び回っている感じに似ているかもしれません。

そして両者の「脱出体験」は、自由ですがすがしい解放感と同時に、目の前で起きている出来事を傍観しているだけで、世界に対しては何も関われない無力さを感じるという点でも共通しているように思います。

もし旅人が世界に関わる力を取り戻そうとするなら、それまで味わっていた自由を失うことになるでしょう。

旅人が旅先の新しい世界に慣れ、カタコトのあいさつも覚えて、現地の人々とのつながりが生じてくるにつれ、そこで生きることは容易になっていきます。旅人は外側からその世界を眺めるだけの「透明人間」ではなくなり、現地の人々の日常生活に少しずつ組み込まれて、ささやかではあっても、彼らの暮らしと現実的な関わりをもつことができるようになります。

しかし、そのとき、かつて旅人が感じていたあの自由の感覚と高揚感は、知らないうちに少しずつ失われてしまっているのです……。

at 19:12, 浪人, 旅の名言〜旅の予感・旅立ち

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旅の名言 「まず一歩……」

 僕に言えることは、「自分の道を行く」ということは、実際に旅に出るか出ないかという問題ではないということだ。自分らしく生きたいと願い、行動に出た人間は、みなその時点で、地図も海図も羅針盤も役に立たない、長い航海へとすでに旅立っているのだと思う。要はそんなことを願い、行動に出られるかどうかということではないだろうか。
 まず一歩、踏み出すことだ、と僕は思う。その第一歩からすべての道は始まる。そして旅の途中、忘れてならないのは、「自分らしさ」を、現実の社会で生きる大変さのせいで歪ませたりしてはいけないということだ。
 人間にはすべて、自由に、溌剌と、情熱的に、つまり自分らしく生きる権利があるんだ、と僕は信じてきた。この思いが僕を常に支えてくれたし、砂漠の中、闇の中での道標になってくれた。
 もうひとつ言えることは、どこにいようが、何をしようが、自分に忠実に生きていく者には運が味方してくれる、そして同じようなハートを持った仲間が集まってくるということだ。つまり「自分の道を行く」という旅は、決して苦悩だらけでも、孤独なものでもないということだ。


『エグザイルス(放浪者たち)―すべての旅は自分へとつながっている』 ロバート ハリス 講談社+α文庫 より
この本の紹介記事

ロバート・ハリス氏の放浪の半生を描いた自叙伝、『エグザイルス』からの一節です。

この本を読むと、旅と人生が分かちがたく絡まり合った、波瀾万丈の彼の生き方に圧倒されますが、ハリス氏自身も、若い頃に初めて旅に出た頃には、自分自身がこれだけの冒険的人生を送るとは思ってもみなかったことでしょう。

 まず一歩、踏み出すことだ、と僕は思う。その第一歩からすべての道は始まる。


一歩踏み出すだけで劇的に変わる風景に驚き、ワクワクし、新しい展開を求めてさらなる一歩を踏み出し続けたことが、結果として、彼のユニークな人生を描き出したのではないでしょうか。

この「一歩」とは、具体的な旅そのものを指していると同時に、「自分らしく」生きるための勇気ある行動すべてを象徴する言葉でもあります。

もちろん、「地図も海図も羅針盤も役に立たない、長い航海」は、楽しいだけのものではありません。「人間にはすべて、自由に、溌剌と、情熱的に、つまり自分らしく生きる権利がある」と信じて、「自分らしく」生きようと奮闘しても、周りに手本になりそうな生き方などほとんどなく、暗闇の中を手探りするような日々が続くことになります。

それでも、ハリス氏が言うように、「自分に忠実に生きていく者には運が味方してくれる」かもしれないし、「同じようなハートを持った仲間が集まってくる」かもしれません。ハリス氏の自叙伝『エグザイルス』は、まさにその具体例にあふれています。

「自分の道」を歩き始めるとき、それがどんなものになるのか、事前に想像することなどできないし、そのことが旅をためらわせる不安の一番の原因なのですが、逆に言えば、だからこそ旅はスリリングな面白さに満ちているのかもしれません。

勇気をもって一歩を踏み出した瞬間、先の見えない長い旅が始まります。そのつらい旅を支えてくれるような幸運と仲間が待っていると信じることができるかどうかが、その一歩を踏み出せるかどうかの分かれ目になるのでしょう。

もちろん、いったん一歩を踏み出してしまえば、もう後戻りはできません。それがどんなに苦しい旅であったとしても、旅人は、「自分の道を行く」喜びに目覚めてしまうからです……。

at 18:42, 浪人, 旅の名言〜旅の予感・旅立ち

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旅の名言 「いつかいつかと……」

 いつかいつかと待っていたところで何もはじまりはしない。あれこれ言い訳しているうちに年をとっていくばかり。とにかく数千ドル、旅の資金を貯めること。愛車を売って、世界地図を買って、ページを開くたびにここなら行ける、ここなら住めると自分に言い聞かせること。そのために犠牲にしなければならないことはあるかって? そりゃあ、あるさ。それだけの価値はあるのかって? もちろん、ある。でも、それがほんとうかどうか確かめるには、とにかく飛行機に乗って旅立つしかない。日常の生活や習慣から遠く離れた異国の地で迎えた最初の朝、あなたはきっとこの意味を理解するだろう。新鮮な環境に囲まれて耳慣れない言葉を聞き、嗅いだこともないようなにおいを嗅ぎながら、自分は世界でいちばん幸運な人間だと思うのだ。

ハワイ州、ジェイソン・ガスペロ、三十一歳、編集者


『旅に出ろ! ― ヴァガボンディング・ガイド 』 ロルフ・ポッツ ヴィレッジブックス より
この本の紹介記事

「放浪」という言葉には、どこか人の心の奥深くを刺激するようなところがあります。古今の文学作品や旅行記、あるいはロードムービーを楽しみながら、「いつか私も……」という漠然とした憧れを覚える人も多いのではないでしょうか。

しかし、実際に放浪の旅に出発する人はほんのわずかです。旅への憧れと、実際にそれを実行することとの間には、深い溝があります。

いったん旅に出てしまえば物事はそれなりに回り出し、旅の日々の中で何をなすべきか、人からアドバイスを受けるまでもなく、それぞれの旅人が自然に見出していけるものです。しかし旅立つまでの間は、未知の体験を前にさまざまな不安に襲われ、決意が揺らぎ、行くべきか行かざるべきか、何度も何度も同じ問いを繰り返してしまうのではないでしょうか。

放浪の旅(ヴァガボンディング)の入門書『旅に出ろ!』では、本の半分を旅立ちまでのプロセスに費やしています。それは、初めて長い旅に出ようとする人の不安を解消するための親切なアドバイスであるとともに、その場の勢いや日常生活からの逃避ではなく、放浪という生き方を主体的に選びとることができるよう、旅立つ前に各自が考えを深めるための材料を提供してくれているのだといえます。

とはいえ、考えすぎれば逆効果になる場合もあります。不安を断ち切り、旅に出る決断をするにあたっては、人生哲学よりも、知らない世界を見てみたいという、子どものように純粋で思い切りのいい気持ちのほうが重要なのかもしれません。

旅に出たいと思ったら、あれこれ言い訳せず、不安な自分をなだめすかしてでも、とにかくさっさと旅立ってしまうこと。

冒頭のガスペロ氏のアドバイスには、そんな思い切りのよさが感じられます。もちろん、こういうアドバイスを聞いただけで、素直にそれに従えるような人は少ないでしょうが、ある意味、これくらいシンプルに考えられる人でないと、長い旅への不安は乗り越えられないのかもしれません……。

at 18:48, 浪人, 旅の名言〜旅の予感・旅立ち

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