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旅の名言 「困ったときは……」

「だからね」
 そこまで言って、おっちゃんは、一息ためをつくった。それから、
「困ったときはトイレがいいよ」
 そう、得意げに教えてくれたのである。
「困ったときには、どんなに汚いところでも寝られるもんだよ」
 それを聞いて、わたしは「野宿とは、なんと過酷なものなのだろう」と思った。
 そうして「そんなところで寝るのは、いやだ」と思う反面、「困ったときにはトイレ」なのだと、そのとき、深く深く刷り込まれてしまったのである。

『野宿入門 ― ちょっと自由になる生き方』 かとうちあき 草思社 より
この本の紹介記事

野宿愛好者として、長年実践を重ねてきた女性によるユニークな野宿入門書、『野宿入門』からの名言です。

「困ったときはトイレがいいよ」、このシンプルな言葉の中に、旅人が常識の壁を乗り越え、心と行動の自由を手に入れる新たな一歩につながるかもしれない、巨大な衝撃力が秘められています。

著者のかとう氏がまだ野宿初心者だったころ、東北を旅していて、通りすがりのおっちゃんに、よい野宿場所はないかと聞くと、彼がまだ若かったころ、吹雪の夜に酔っ払って家に帰れなくなり、公衆トイレに逃げ込んだという話をしてくれました。

おっちゃんは、風を防ぐためにトイレの個室に入り、しばらくそこに立っていたものの、かったるくなったので新聞紙を敷いて地面に座り、そのうちだんだんどうでもよくなって、ついには横になって寝てしまったのだといいます。

そこで、冒頭の発言になるのですが、たしかに、「困ったときには、どんなに汚いところでも寝られるもん」なのかもしれません。生き延びるには、トイレで夜を明かすしかないという状況であれば、汚いだの何だのとは言っていられないでしょう。

さすがにかとう氏も、最初にそれを聞いたときは、「野宿とは、なんと過酷なものなのだろう」と思ったとありますが、後日、彼女が無人駅で寝ようとしたとき、そこにヤンキーが集まってきてしまい、仕方なくトイレの個室に入り、初めてのトイレ野宿体験をすることになりました。

しかし、幸いなことに、そのときのトイレは広く、しかも汚くはなかったのだそうです。

考えてみれば、トイレには「壁があり屋根があり、カギが閉まる」わけで、そこが公衆トイレだということさえ忘れれば、これは野宿場所としては理想的な条件かもしれません。雨風にさらされることもないし、カギがかかるので、寝ている間のセキュリティも万全です。しかも無料、そしてもちろん、野宿中のトイレの心配もありません。

彼女はすっかり感動して、トイレ野宿の虜になってしまったそうです。

たしかに、トイレを無料宿泊施設という観点からとらえるのは、非常に大胆で、しかも、実に合理的な発想であるのかもしれません。全国には公衆トイレが数え切れないほど存在するわけで、そのデメリットの方に目をつぶることさえできれば、野宿者にとって、選択の余地が飛躍的に広がることになります。

しかしもちろん、こうしてあくまで理屈で考えているだけのレベルと、現実に公衆トイレの個室に入り、その匂いや汚れ具合を体感したうえで、そこに横になって寝る決断をするレベルとの間には、越えがたい巨大な壁が横たわっています。

問題は、トイレが衛生面から見て、実際に汚れているかどうかということよりも、どうしたら自分の心の壁を打ち破り、そこを今晩の寝室として受け入れられるか、人間が寝るにふさわしい場所についての常識的な思い込みから、どれだけ自由になれるかという点にあるのかもしれません。

野宿者といえども、やはり基本的には普通の人間であるはずなので、本当に困り果てたときの最後の手段でもなければ、なかなか公衆トイレで寝るところまではいかないだろうし、そんな経験はできるだけしないで済ませたいのが正直なところではないでしょうか。

しかし、野宿の経験を重ねるということは、そういう、踏み込みたくない領域にやむを得ず足を踏み入れつつ、同時に、自分の心の中の壁を少しずつ乗り越え、突き崩し、それによって、心と行動の自由を手に入れていくということなのかもしれません。

まあ、野宿の経験のほとんどない私には、そのあたりのことはよく分からないし、多くの人も、そこまでして自由を手に入れたいとは思わないのでしょうが……。

ところで、このトイレ野宿のエピソードを知ってしまった私は、もちろん、「そんなところで寝るのは、いやだ」と強く思っているのですが、一方で、やっぱり心のどこかには、「困ったときにはトイレ」なのだと、深く刷り込まれてしまっていることでしょう。

その「困ったとき」が来ないことを祈りつつ、でも、いざとなったら自分はどうするのか、果たして、心の壁を乗り越え、トイレの床で横になれるのか、ちょっと知りたいような気がしないでもありません……。


旅の名言 「便所で手が……」


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at 18:47, 浪人, 旅の名言〜衣食住と金

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旅の名言 「外国人に食べ物を……」

 フランス人を徳島駅まで案内してやり、そこでロッテリアのアップルパイ100円を奢って別れた。外国人に食べ物を奢るときのコツは、後でひとりのときに食べられるものをあげることである。今食べないと悪いという気持ちにさせてはいけない。相手は睡眠薬強盗などを疑っている可能性があるからだ。って、なんでこんなことに一家言持っているのであるか私は。

『スットコランド日記』 宮田 珠己 本の雑誌社 より
この本の紹介記事

紀行エッセイストの宮田珠己氏が、自らの日常を独特の文体で綴った脱力エッセイ、『スットコランド日記』からの一節です。

ある日、思い立って四国遍路に出発した宮田氏は、東京から徳島へ向かうフェリーで、フランス人の若者と一緒になります。彼はその若者に対して、押しつけがましくならないように気を使いつつ、いろいろと世話を焼くのですが、翌朝、徳島で別れるときに、ちょっとした食べ物を奢りました。

しかし、そこは旅慣れた宮田氏、心得たものです。旅人が、見知らぬ人から食べ物をもらったら対応に困るだろうことを見越して、「後でひとりのときに食べられるもの」をわざわざ選ぶ気配りを見せるのです。

とはいえ、ここは安全な日本です。そのフランス人は別に、睡眠薬強盗のことなんか気にしてなかったんじゃないかという気がするし、たぶん多くの読者は、宮田氏が変なところまで気を回しすぎだと感じ、その感覚のズレに思わず笑ってしまうのではないでしょうか。

ただ、私自身がバックパッカーとして旅をしていたときの経験からすれば、実はこういう配慮は、決してやりすぎではないし、むしろありがたい心遣いなのです。そしてまた、安全とされている国に住む私たちこそ、安全でない国を旅する人間の常識や、旅人の抱く不安について、もっとこういうデリカシーを持つべきなのかもしれないという気がします。

旅人は、旅先で会った見知らぬ人から食べ物や飲み物を勧められたとき、いつもジレンマに陥ります。その親切心をありがたく感じ、相手の気持ちに応えて、その場でそれをおいしそうに食べたいと思うものの、一方で、もしも相手が親切を装った悪人で、その中に睡眠薬でも入っていたら、そのまま意識を失ってゲーム・オーバーになるかもしれない、そんな疑いを拭い去ることができないのです。

その疑いは、旅先の国が安全だからといって、完全に消えるものではありません。睡眠薬強盗などまず考えられないような国でも、それはゲーム・オーバーになる可能性が低いというだけであって、危険がゼロになるわけではありません。

もちろん、旅人は自らの経験とカンを働かせ、ここは大丈夫そうだとか、ここは断った方がよさそうだとか、いろいろと判断をするわけですが、その見極めがつかないときが辛いのです。そういうときでも、相手の気持ちを傷つけるのを承知で親切を断るか、リスクを覚悟でそれを受け入れるか、一瞬のうちに選択しなければならず、それが心の負担になるのです。

たぶん宮田氏は、旅人として、自分自身でそういうジレンマを何度も経験しているのでしょう。だから、自分がもてなす側に立ったときでも、旅人の気持ちにまで気が回り、彼らがそういうジレンマを味わわなくても済むような、さりげない配慮ができるのだと思います。

といっても、その配慮は、別に難しいことではありません。旅人がジレンマを感じるのは、相手の目の前で食べ物や飲み物を口に入れなくてはならない場合だけなので、そういう状況を作らないようにすればいいだけなのです。

何か食べ物や飲み物をあげるときには、(できれば別れ際に)あとで食べてくれといって渡せば、旅人の方は、そこに睡眠薬が入っている可能性はまずないと判断できるし、最終的にそれを口にするか否かも、一人になったときにゆっくりと決められます。

外人さんが、自分のあげた食べ物をおいしそうに食べている姿を見てみたいというのは、自然な人情ですが、その親切が、場合によっては彼らを苦しいジレンマに追い込んでいるかもしれないということは、知っておいた方がいいのかもしれません……。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:37, 浪人, 旅の名言〜衣食住と金

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旅の名言 「つまり人間も……」

 そして旅をはじめてから私はいつかどこかで自分にぴったりする衣装に出会い、それに包まれ、それがあわさって自分自身になるだろうという何か淡い期待のようなものを抱えていた。私は人生において七五三があるように、この衣替えの通過儀礼は重要であると思っていた。それは脱皮であり、自分のアイデンティティのありどころを変える行為に他ならないからだ。つまり人間もある種の昆虫や小動物と同じように自分の第二の皮膚である衣装を脱皮し、そのときどきの自分の身の丈に応じた新しい衣装を身につけるのである。


『黄泉の犬』 藤原 新也 文藝春秋 より
この本の紹介記事

インド旅行記の名作『印度放浪』で知られる写真家の藤原新也氏が、1995年のオウム事件をきっかけに心に甦った、若い頃のインドでの壮絶な旅を描いた作品、『黄泉の犬』からの一節です。

この本の中に、藤原氏がある年老いたヨギから、理由も告げられないまま、色褪せた聖衣をもらい受けるというエピソードがあるのですが、その衣のもつ意味をめぐって、彼はその後の自分の身の振り方について迷い抜くという体験をします。

そうした例からもわかるように、旅人が何を着るかということは、単に旅先の気候風土に合わせるという機能面にとどまらず、旅人が自分自身をどうとらえ、どう表現するかという内面の問題を色濃く映し出しています。藤原氏が言うように、旅を通じて、旅人が自分の衣装を替えていくことは、一種の「通過儀礼」でもあるのです。

長い旅をしているときには、私自身にもそのような感覚が強くありました。また、そうした理由もあって、他の旅人たちが何をどのように着ているかということを、興味をもって見ていたように思います。

もちろん、ほとんどの旅行者は、特に奇抜な格好をしているわけではありません。たぶん95%以上の旅人は、日常生活と同じような、ごく常識的で動きやすい服装をしているはずです。彼らの旅は、数日から長くて数週間くらいでしょうが、それなら日本から持参した衣類を着回すだけで十分に間に合うだろうし、わざわざ旅先で大胆な衣替えをしようなどという発想もなかなか湧いてこないでしょう。

ただ、さすがに旅が数か月を超えると、日本から着てきた服がボロボロになったり、なくしてしまったりして、やむ なく現地で新しい服を手に入れる必要に迫られることもあります。また、旅暮らしに慣れてくると、いろいろなところに目が向くようになり、現地の人々や、他の旅人が着ているものに心を惹かれることもあります。

あるいは、日本での日常とは明らかに違う、旅という特別な時間の流れに身を浸しているうちに、自分の意識がすっかり変わり、日本から着てきた服に違和感を感じるようになったり、自らの置かれた状況や内面をより的確に表現してくれるような衣装を、もっと意識的に求めようという気分になるかもしれません。

昔から、インドやアフリカなどを長期放浪する人たちの一部には、ヒッピー系とか民族衣装系とか、さまざまな趣味の違いはあるにせよ、非常に特徴的で目立つ衣装を身にまとう傾向があります。

別に、誰から強制されたわけでもないのでしょうが、いつの間にか、日本ではとても考えられないような奇抜な格好をするようになっていくのは、そして、そこに何となく彼らの内面が読みとれるような気がするのは、とても興味深いものでした。

異国の地で、日常とは異なる生活や意識状態にある者が、自らの生活スタイルや内面にピッタリと合うような衣装をまといたいと思うのは、人間にとって、とても自然な衝動なのかもしれません。そしてその衝動に忠実に従い、今までとは全く違う新しい自分というものを表現しようとすれば、日本にいたときの自分でも想像できたような、ありきたりの服装ではダメなのでしょう。

ある意味では、彼らの格好が日本における服装のコードから外れていればいるほど、それは彼らの内面が、日本での自分自身からどれだけ遠ざかっている(つもり)かを示しているということなのかもしれません。

ただ、面白いのは、旅人の一人ひとりがいくら個人的でオリジナルな衝動に従っているつもりでも、そういう放浪者の衣装には、全体的に見ると一定の傾向みたいなものが感じられて、いかにも放浪者っぽく見える、という点では共通しているということです。

そして、それは何だか、他の旅人に対して、彼らが年季の入った、グレードの高い旅人であることを誇示しているように見えなくもありません。

そんな風に思っていたこともあって、私の場合は、自分がいかにも放浪者っぽい感じになってしまわないよう、せめて見た目だけでも、できるだけ「普通の旅人」でいようと心がけていました。

もっとも、いくら本人がそのつもりでも、周囲の旅人にどう見えていたかはわかりませんが……。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:54, 浪人, 旅の名言〜衣食住と金

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旅の名言 「あれはいわば、ジェントルマンの……」

「でも五ルピーは適正だよ、はずんだ額としてはちょうどいい。あれより多いと……」
「あれより多いと?」
 僕はスレーシュの顔を見た。スレーシュは少し考えてから言った。
「非常に危険だと思う」
「どうして?」
「あれはいわば、ジェントルマンのはずむ謝礼金額のマキシマムなんだ。君は彼らをジェントルマンにしたんだ。サペーラの大部分が卑しくならないで、ある誇りを持つことができた」
「……なるほど」
 と僕は言った。


『インドの大道商人』 山田 和 講談社文庫 より
この本の紹介記事

インドで数百人の大道商人に取材し、彼らの日常の姿を写真とともに紹介した異色の本、『インドの大道商人』からの引用です。

著者の山田和氏は、蛇つかい(サペーラ)を取材するために、インド人の友人スレーシュとともに、ウダイプル郊外の荒れ地にある蛇つかいカースト(カルベリア)の集落、カルベリア・コロニーを訪ねました。見知らぬ外国人の突然の訪問に、集落の人々が続々と集まり、一行の周囲をギッシリと取り囲む中、彼は一人のサペーラに蛇つかいの実演をしてもらい、それを撮影し、仕事についてインタビューを行いました。

通常の場合、山田氏は取材した大道商人に謝礼を出すことはないそうなのですが、そのときは場の状況から若干の謝礼を渡さざるを得ないと感じ、取材後、インタビューに答えたサペーラに5ルピーを渡します。取材当時のインドの5ルピーは、現在の5ルピーとは価値が大きく違いますが、いずれにしても日本人の感覚からすれば、懐の痛むような金ではありません。

しかし、その一部始終を見ていた群衆の中から、「100ルピーよこせ!」という声があがり、場は一気に緊迫します。その場所は彼ら以外に住む者もいない荒地で、下手に対応して彼らを怒らせたりすれば、何が起こるかわかりません。

それでも山田氏はその声を受け流し、100ルピーという金額をめぐって、集落の人々同士があーだこーだと議論を始めたすきに、一行は車でその集落を後にしました。

冒頭の引用は、緊迫した現場から脱出し、たった今の状況を振り返りながら、友人のインド人が発した言葉です。

貧しくも誇り高く生きる人々へのチップや謝礼には適正な水準というものがあって、それを見誤れば「非常に危険」なことになるという彼のこの言葉は、人間とお金をめぐる一つの真実を鋭くとらえた名言だと思います。

そして同時に、この言葉は、旅人が遭遇するさまざまなお金の問題について、深く考えるきっかけを与えてくれるような気がします。

貧乏旅行をするバックパッカーは、旅先でケチケチ生活を強いられているとはいえ、強力な日本円のおかげで、渡航先によっては結構リッチな気分になれることもあります。国によっては、千円札一枚分を両替するだけでぶ厚い札束になることもあり、しかもその一枚一枚で結構いろいろなモノが買えたりするのです。

そんなときは、やはりどうしても現地の庶民と同じ金銭感覚で行動することは難しく、値段の交渉、謝礼やチップに関しては、あまり深く考えず、とりあえずカネを多めに払ってサクッと済ませてしまおうと思ってしまいがちです。

しかし、世の中のあらゆるモノやサービスには適切な値段の水準というものがあります。日本人にとっては、日本円にしてわずか数十円とか数百円でも、現地で生活している人にとっては日常の感覚をはるかに超える金額になることがあるし、何も考えずにそうしたお金を渡すことが、彼らのプライドを破壊し、同時に、彼らの日常的な思考や倫理のタガを外してしまうことになるのかもしれません。

ただ謝礼を多くすれば相手が喜ぶとか、こちらの深い感謝の気持ちを表せるというナイーブな考えでは、その意図が相手に伝わらないどころか、むしろ相手の誇りを傷つけ、有害な影響を与えかねないのです。

もちろん、山田氏が遭遇した状況で、もし仮に100ルピーを謝礼として払っていたら、果たして危険な状況になったのか、本当のところは分かりません。ただ、当時の5ルピーが「ジェントルマンのはずむ謝礼金額のマキシマム」であって、それ以上払うことはかえって相手を卑しくするというインド人の発想は、いかにも実体験の積み重ねに基づいているという感じがするし、私も何か、その理屈をスッと受け入れられる気がするのです。

日本では、モノやサービスの値段について交渉するような機会も、ちょっとした親切にチップで報いるような習慣もほとんどないので、お金のやりとりに関するこういう機微については鈍感になってしまいがちですが、バックパッカー的な旅をしていると、さまざまな国のさまざまな人々と直接やりとりすることになるので、どうしてもこうした問題を避けて通ることはできません。

もっとも、考えようによっては、インドのような国は、こういう問題について実体験を通じて悩んだり、考えたりする絶好の機会を旅人に提供してくれているのだとも言えます。

バックパッカーなら誰もが一度は悩む、「物乞いにお金をあげるべきか?」という問題から始まって、旅人はお金をめぐる多くのジレンマに対して自ら納得できるような結論を出していかなければならないのですが、そうやっていろいろなことを少しずつ体得していけることも、旅の効用というか、面白さの一つなのかもしれません。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:52, 浪人, 旅の名言〜衣食住と金

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旅の名言 「ぼくは旅先で日記は……」

 ぼくは旅先で日記はつけない。一度やってみたことはあるが、とんでもないまちがいだった。その旅についておぼえているのはそこに書きとめたことだけで、ほかのすべては記憶の彼方に消えてしまった。ぼくがあまりにペンや紙に頼るものだから、きっと頭や心が裏切られた気分になって、その働きを止めてしまったのだろう。まったく同じ理由で旅先にカメラは携帯しない。そんなものを持っていけば旅そのものがスナップ写真に凝縮され、そこに写っていないものは残らず失われてしまうことになる。第一、写真を見て懐かしい記憶がよみがえったという経験は皆無に等しい。古い旅仲間が持っているアルバムをめくってみても、その旅についてなにも思いだせない自分にいつも驚かされる。


『ビーチ』 アレックス ガーランド アーティストハウス より
この本の紹介記事

バックパッカーの若者が巻き込まれる冒険と悪夢を描いたベストセラー小説『ビーチ』からの引用です。

著者のアレックス・ガーランド氏は、かつてバックパッカーとしてアジアの国々を旅していた時期があるようで、旅人としての自らの体験から得た教訓を、小説の主人公の口を借りて語っているように見受けられる箇所があります。

日記をつけず、カメラも持ち歩かないという主人公の習慣は、ガーランド氏自身の習慣だったのかどうかはわかりませんが、少なくとも、旅の記録を一切残さないようにしているという旅人がガーランド氏の身近に存在したか、彼自身がそのことについて深く考えてみたことがあるのだろうということは想像できます。

日記やカメラで旅を記録しておきたいというのは、普通の旅人にとってはごく当たり前の発想だし、それには何も問題はないと私は思っています。

ただ、旅というものを非常に真剣に考え、旅に対する自らの姿勢を絶えず問い直しているような人にとっては、日記をつけたりカメラを持ち歩いたりすることの是非が、大きな問題になってくる場合もあるのではないでしょうか。

ペンや紙、あるいはカメラによって、自らの旅を記録したつもりになっても、それはあくまで旅というまるごとの体験のうちのごく一部にすぎず、そこに書き取られ、写し取られる以外の圧倒的に多くのものが永久に消え去ってしまうのだ、そして、日記やカメラという記録手段に頼ることそのものが、むしろそうした忘却を加速してしまうのだ、というのは、確かにその通りなのかもしれません。

例えば、旅先で感じる暑さや寒さ、湿気や陽射しなどの皮膚感覚、それぞれの街によって違う独特の香りと匂い、料理や飲み物、タバコなどの味わい、出会う旅人や現地の人たちとのやりとりから生じる言葉にならないムードといったものは、言葉では何とも表現が難しいし、写真で記録することもできません。

また、そうした感覚的なものだけでなく、旅をしている自分自身の内面で起きている様々な変化も、モヤモヤしたままでうまく言葉で表現できなかったものはそのまま消えていきます。

旅の経験の中で本当に重要なものは、もしかするとそうした微妙な感覚や内面的なプロセスなのかもしれないのに、日記やカメラで記録することに心を奪われているうちに、そうした感覚を取り逃がし、それはそのまま永久に失われてしまうかもしれないのです。

ただ、私個人としては、それはそうだと思う一方で、とにかく不完全でもいいから何かを記録しておきたい、という気持ちも強くあります。

歳をとったせいか、十年以上前の旅の記憶などがすっかり薄れてしまっていることにふと気がついて、何ともいえない切なさを感じることがあります。もちろん、インパクトのある体験は何年経っても忘れないのですが、その他の何気ない旅先での日常みたいなものはすっかり記憶から抜け落ちてしまって、旅日記を読み返してみても、全然イメージが甦ってこないということがあるのです。

それは、何度も旅をしたせいで、一つひとつの旅の印象が相対的に薄れたということもあるかもしれませんが、やはり年月の経過が記憶を薄れさせているのは確実でしょう。日記や写真がなければ、放っておくとそのうちに、思い出すきっかけや手がかりさえ忘れてしまうかもしれません。

忘れたら忘れたでいいじゃないか、という考え方もあるかもしれませんが、私としては、たとえ不十分なものだとしても、せめて記憶をたどる手がかりだけでも一応残しておきたい、という気持ちが最近強くなってきたのです。

もっとも、この世の中のすべては絶えず変化し続けているわけで、消え去っていくものにしがみつき、無理やりに押しとどめようとするのは、虚しい試みなのでしょう。『ビーチ』の主人公の若いバックパッカーのようにキッパリと割り切れず、無駄にジタバタしたくなるということは、私もすっかり歳をとったということなのかもしれません……。


記事 「旅日記の効用」
記事 「「写真が撮れない」症候群(1)」


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at 18:41, 浪人, 旅の名言〜衣食住と金

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旅の名言 「ぼくがワイロを出したくないのは……」

 西アフリカの国境では、ワイロ請求はもうほとんど文化のようなものだ。ドイツ人の友だちは慣れたもので、ペンやTシャツなど、いろんな貢ぎ物を大量に用意してから旅に出ている。
 ぼくは、しかし、ワイロなど一銭たりとも出す気はしなかった。
 断っておくと、妙な正義感などからそう考えているのではない。
「あとから来る旅行者のために、ワイロは断固はねつけるべきだ」という意見をよく聞くけれど、そんな思いはぼくにはさらさらない。
 だいたい、国境を最も多く利用するのは現地の商売人だ。その彼らが日常的に、役人に言われる前からパスポートに金を挟んで渡しているのだから、一旅人ががんばったところで役人の体質が変わるとは思えない。
 ぼくがワイロを出したくないのは、単にイヤだからである。これはいってしまえばゲームだ。ゲームには負けるより勝ったほうが気持ちいい。そして、そんな勝敗の行方を、もうひとりの自分がどこか別のところからおもしろそうに眺めているのである。
 ぼくは国境へ向かう前に、いろいろシミュレーションをして策を練っておいた。


『いちばん危険なトイレといちばんの星空 ― 世界9万5000km自転車ひとり旅〈2〉 』 石田 ゆうすけ 実業之日本社 より
この本の紹介記事

世界一周を果たしたチャリダー(チャリ=自転車で旅をする人)石田ゆうすけ氏の旅行記『いちばん危険なトイレといちばんの星空』からの引用です。

チャリダーに限らず、バックパッカーなどの旅人は、自分でビザの手配をしたり、陸路で国境を越えたりと、地元の役人と接する機会が多くあります。

外国人ビジネスマンやツアー客が多く利用する国際空港を国の「表の顔」とするなら、ほとんど地元の人々ばかりが利用する国境は、「裏の顔」と言うこともできるでしょう。

私はアフリカを旅したことはありませんが、アジアの国々の国境で、ちょっとした理不尽な思いをしたことはあります。

金額的にはたいしたことはないのですが、国境の役人が小遣い稼ぎのために勝手にヘンな手数料をでっち上げ、国境を通過する旅人に支払いを強要したりするのです。

旅人の心理としては、役人を敵にまわして余計な厄介ごとに巻き込まれるのはゴメンだし、気持ちは早くも次の国へと向かっているので、捨て金だと思って払ってしまいたくなります。

しかし冒頭の引用にあるように、旅慣れた人々の間には「あとから来る旅行者のために、ワイロは断固はねつけるべきだ」という考え方もあり、言われてみればたしかに一理あるようにも思われます。

国境に限らず、腐敗した役人が至る所に出没するような国を旅する人にとって、こうした問題にどう対処すべきかは、けっこう頭の痛い問題かもしれません。

その点、石田ゆうすけ氏の立場ははっきりしています。

 ぼくがワイロを出したくないのは、単にイヤだからである。これはいってしまえばゲームだ。ゲームには負けるより勝ったほうが気持ちいい。


これは実にシンプルで、しかも、とても有益な考え方かもしれません。

腐敗した役人は権力を振りかざし、不当な要求をするものです。一方、旅人は、それに知恵と度胸で対抗し、不当な要求をくぐり抜けて国境を突破しようとします。国境とは、両者の間の真剣なゲームの舞台であり、息詰まる駆け引きを味わえるスリリングなプロセスなのです。

そう考えると、役人というのは、楽しいゲームの機会を提供してくれる対戦相手だということになります。彼らに対する見方もちょっと変わってくるかもしれません。

後々の旅行者のためだと考えて、ワイロは絶対に支払わないと考えるのは正しいことかもしれませんが、旅人がそう心に決めてしまうと、もしも払わざるを得ない状況に追い込まれてしまったら、自らの信念と現実との狭間で深刻なジレンマに陥り、身動きがとれなくなってしまいます。

それよりも、ゲームに勝ったらタダ、負けたらペナルティーだと割り切ってしまえば、正しさを主張して役人を非難することよりも、いかにしてゲームに勝つかという方向に知恵を働かせることができます。

そうすることによって、頭痛の種である役人との対決を、一種のエンターテインメントとして楽しむこともできるかもしれません。

ただし、ゲームといっても、旅人の方が圧倒的に不利な立場にあることを忘れてはいけません。むしろ、勝つことのほうがまれであることは、あらかじめ覚悟しておいたほうがいいと思います……。


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at 19:00, 浪人, 旅の名言〜衣食住と金

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旅の名言 「自分の中で何かが壊れ……」

 アラブ世界ではトイレットペーパーが一般的じゃないので、商店にもあまり置かれておらず、手に入れるのにちょっと苦労する。
 ある日、ペーパーを探して町を歩いているとき、急に自分が浅ましく感じられた。いつまでお前は日本の価値観を引きずっているんだ?――そんな思いが頭をかすめた。
 ぼくは紙を探すのをやめ、手ぶらでトイレの中に入った。
 モロッコの便所には大型の計量カップのようなものが備えつけられている。それでもってケツに水を流すのだ。
 おそるおそる注ぎ口をチェックする。見たところ、妙なものはこびり付いていない。
 用便を済ましたあと、ぼくは深呼吸をする。右手にカップを持ち、それを背後からまわし、注ぎ口を肛門の上のほうにあてがう。それからカップをゆっくり傾ける。細い糸のような水が蛇のようにケツを這い、肛門へと注がれる。ぼくは意を決し、エイヤッと、左手の中指を肛門にくっつけた。
「あ……」
 妙な感動が起こった。
 自分の中で何かが壊れ、そして何かが生まれた。
 深く根を張った呪縛から、広い空へと解き放たれたような気がした。
 これで俺は文明に縛られることなく、どこでだってやっていけるのだ――。
 フィジカル的にもじつに爽快だった。このスッキリ感を29年間知らなかったとは、なんともったいないことをしてきたのだろう。


『いちばん危険なトイレといちばんの星空 ― 世界9万5000km自転車ひとり旅〈2〉 』 石田 ゆうすけ 実業之日本社 より
この本の紹介記事

世界一周を果たしたチャリダー(チャリ=自転車で旅をする人)、石田ゆうすけ氏の旅行記『いちばん危険なトイレといちばんの星空』からの引用です。

知っている人も多いと思いますが、便所でトイレットペーパーを使うというのは、いわゆる先進国の文化であって、世界の多くの地域では、水と左手、あるいはその他の方法で「処理」をするのが常識です。

南北アメリカ縦断とヨーロッパの旅を終えて、アフリカ大陸にやってきた石田氏は、モロッコで「水と左手」文化に直面し、ついに決意して、自らその実践に踏み出します。

その最初の瞬間、「ファースト・コンタクト」を、彼は実にうまく表現しています。

「自分の中で何かが壊れ、そして何かが生まれた」……。

その瞬間までの心理的な抵抗感は、誰しも相当なものだと思います。でも「エイヤッ」と気合いを入れて、一度やってみてしまえば、後は実にあっけないものです。

もちろん初めのうちは、不器用な失敗をすることもあるかもしれませんが、「糞闘」を重ねるうちに、やがて新しいやり方にもすっかり慣れるはずです。

何よりも、紙で処理するより「爽快」で、「スッキリ感」が断然違います。この辺は、ウォシュレットなどのハイテク便座の登場で、ようやく日本人も知りつつあります。

ところで、石田氏は「水と左手」文化がよほどお気に召したようです。

 今はもう、用便後は水ナシでは考えられなくなった。日本でも五〇〇ミリリットルのペットボトルを「携帯ウォシュレット」と呼び、どこへ行くにも持ち歩いている。


石田氏の中では、本当に「何かが壊れ」、彼はすっかり「広い空へと解き放たれ」てしまったようです……。


旅の名言 「便所で手が……」
記事 「中国のトイレ事情」
記事 「チベットのトイレ事情」
内沢旬子・斉藤政喜著 『東方見便録』 の紹介記事


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at 18:20, 浪人, 旅の名言〜衣食住と金

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旅の名言 「寒いときには……」

 旅をしていると大事なことがわかってくる。寒いときには温かいお茶が一杯飲めればいい。おなかがすいているときはおむすびのひとつ、フォーの一杯が食べられればいい。生きることに必要なものはほんのわずかなのだということがわかってくる。
 旅から帰ると誰もがすぐにそのことを忘れてしまう。だが、それはそれでいいのだ。旅先で覚えたその痛切な思いは、決して消え去ることはない。私たちの体のどこかに眠っていて、必要な時に呼び覚まされることになるはずなのだ。


『一号線を北上せよ<ヴェトナム街道編>』 沢木 耕太郎 講談社文庫 より
この本の紹介記事

これを読んで、心から共感を覚えるバックパッカーは多いのではないでしょうか。

また、同じバックパッカーでも、世界の街から街へと移動する「シティ派」より、自然の中に分け入っていく「アウトドア派」のほうが、凍えた体に沁みわたる、一杯の温かいお茶のありがたみを深く実感しているのではないかと思います。

旅に出る理由はいろいろあるし、人によってもその動機はさまざまでしょうが、「生きることに必要なものはほんのわずかなのだ」と実感し、その「ほんのわずか」なもののありがたさに気づくというのも、旅の隠された動機の一つなのではないかと思います。

身の回りのものをバックパック一つに詰め、ベッドしかないような部屋で眠り、質素な食事をとり、娯楽に費やすお金などほとんどないような旅を続けているうちに、何カ月、あるいは何年もの月日が流れていきます。そして結局、それで充分なのだということに気がつくのです。

もっとも、そういう質素な生活こそベストだ、とか、いつも必要最小限のものだけで生きるべきだ、などと不粋なことを言わないのが、沢木氏のいいところです。

 旅から帰ると誰もがすぐにそのことを忘れてしまう。だが、それはそれでいいのだ。旅先で覚えたその痛切な思いは、決して消え去ることはない。私たちの体のどこかに眠っていて、必要な時に呼び覚まされることになるはずなのだ。


旅の生活と、帰国してからの日常生活は、基本的に違うものです。旅から戻ったら、「通常モード」の暮らしに再び適応しなければならないでしょう。

モノに溢れた日本での生活を続けていくうちに、一杯の温かいお茶に感じた深いありがたみの印象も次第に薄れていくでしょうが、それは記憶から完全に消え去るわけではなく、意識にはとらえられないくらいに微妙なBGMとして絶えず心に響き続け、再び始まった日常生活に深みを与えてくれるはずです。

そして、いつしか日常生活が惰性に陥り、BGMも途切れがちになって、生きる喜びを実感できなくなってしまったとき、ふと甦る一杯のお茶の記憶が、人を再び旅に駆り立てるのかもしれません。

at 18:53, 浪人, 旅の名言〜衣食住と金

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旅の名言 「金がなくなり……」

 日本にいるときの私は、浪費家というのではなかったが、決して吝嗇家ではなかった。ポケットにあるだけの金はいつも気持よく使い切っていた。ところが、この旅に出てからというもの、倹約が第二の習性になってしまったかのように、あらゆることにつましくなってしまった。しかも、その傾向は日が経つにつれてますますひどくなっていく。金がなくなり、これ以上旅を続けられないということになったら、そこで切り上げればいい。そう思ってはいるのだが、旅を終えなければならなくなることへの恐怖が、金を使うことに関して私を必要以上に臆病にさせていた。


『深夜特急〈5〉トルコ・ギリシャ・地中海』 沢木 耕太郎 新潮文庫 より
この本の紹介記事

この気持ちは、バックパッカーならとてもよくわかるのではないかと思います。

旅をしながら現地でアルバイトをしたり、アクセサリーなどを作って路上で売りながら延々と旅を続けるケースもないわけではありませんが、普通、金を稼ぎながら旅をする人は少ないと思います。

収入がなければ、旅に出た瞬間から、「軍資金」は一方的に減っていきます。旅人に出来るのは、それが減るスピードをある程度調節することだけです。

いわゆる開発途上国では、バックパッカー・スタイルなら一日1,000円前後の予算で旅することが可能だし、国や地域によっては一日数百円で済むこともあります。円が強いおかげで、日本である程度金を稼いでおけば、驚くほど長い旅を続けることも不可能ではありません。しかし、これらの費用の大半は宿代と食事代なので、節約するにも限度があり、観光や遊びに金を使わなくても、ほぼ一定の額が毎日手許から消えていくことになります。

旅に慣れ、自分の旅のスタイルに見合った平均的な費用が把握できるようになると、このまま旅を続ければいつ資金がゼロになるのか、簡単に計算できるようになります。出発時にどれだけ資金を用意したか、どのような国々を旅するかによって、それが3カ月後なのか、半年後なのかといった違いは出てくるでしょうが、いずれにしても金がなくなればそれ以上旅を続けることはできません。

あらかじめ帰国する日が決まっているのなら、それまでの間、なんとか資金のやり繰りをすることだけ考えればいいのですが、『深夜特急』の沢木耕太郎氏のように、あらかじめ予定を決めずに、風まかせの旅に出た者にとっては、金がなくなるまでの間に、自分なりに旅への決着をつけられるか、旅の終わりをうまく見い出せるのかということが、非常に重大な問題になってきます。

限られた金しか持たない旅人は、まさか永久に旅を続けられると思ってはいないでしょうが、少なくとも自分なりに旅に満足し、これで終わりにしようという実感を得るまでは旅を続けたいと思っているはずです。

まだ旅を続けたいのに、資金が尽きたという理由だけで旅が中断してしまうとしたら、それはとても悔しいことです。それはまるで、夢中になって見ている映画のクライマックスで、いきなり映画館から追い払われるようなものではないでしょうか。

しかし問題なのは、予定の立たない旅をしている人間にとっては、旅の終わりが一体いつになるのか、自分でも全く予測がつかないということなのです。

収入もなく、資金が一方的に減るだけの状況で、いつまで旅が続くのかも分からないというのは、とても不安なものです。しかも旅のクライマックスで金欠になり、旅の舞台から追い出されることにでもなれば、後々まで後悔することになるでしょう。そういう先の見えない状況で旅人に出来ることは、重要でないと思われることには一切金を使わず、一円でも多くの資金を手許に残しておくことしかありません。

そして、金がなくなっていくという恐怖感は、旅が長くなり、残高が減るにつれて、ますます激しくなるに違いありません。

そんな様子を第三者が見れば、旅ごときに何でそこまで執着するのかと思うかもしれません。いったん日本に帰って、金を稼いで、また出直せばいいのではないかと思うかもしれません。実際に、金がなくなって帰国したものの、納得できずにもう一度資金を貯めて再び旅に出る人も少なくないと思います。

ただ、やはり旅の中断というものは、ないに越したことはないのだと思います。長い旅の場合は特に、出発から帰還までの一連の流れの中に、人それぞれに異なる旅のプロセスがあり、人それぞれの旅への決着のつけ方があるのだと思います。そこでは同じ旅の繰り返しなどあり得ないし、一度中断してしまった旅の流れは、二度と取り戻すことができないのではないでしょうか。

これは私の勝手な想像ですが、沢木氏は、ユーラシア大陸を乗り合いバスで駆け抜けるという「深夜特急」の旅が、その時点の彼にとってはかけがえのない、一回限りのものであるということを強く意識していたのではないでしょうか。そして、だからこそ、つまらない理由でその旅が中断されることを本気で恐れていたのではないでしょうか。

もちろん、有り余るほどの旅の資金があれば、そもそもこんな心配をする必要はありません。しかし、もしかすると、金が多すぎたら多すぎたで旅人の緊張感は薄れるだろうし、お金が一向に減らないために、いつまで経っても気分的に旅の終わりが見えてこないということになるのかもしれません。

まあ、私は有り余るほどの金を手にしたことはないので、そのあたりの事情はよく分かりませんが……。


『深夜特急』の名言

at 19:32, 浪人, 旅の名言〜衣食住と金

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旅の名言 「人間、寝床からはじまって……」

「人間、寝床からはじまって、だんだんと贅沢になっていく」

「プーマのおじさん」のひとこと

『ダンボールハウス』 長嶋 千聡 ポプラ社 より
この本の紹介記事

上に挙げた『ダンボールハウス』という本のタイトルは、ホームレスの人々が雨露をしのぐために、手近にある材料を使って短時間で作り上げた小屋を意味しています。著者の長嶋千聡氏は、これらの小屋を建築という観点から研究するために、ダンボールハウスの住人たちとある程度の人間関係を築いた上で、詳細な調査を行っています。

著者によれば、時には調査という目的を離れて一緒に酒を飲むなど、多くの時間を彼らと共に過ごしたといいます。そんな中で、長嶋氏が「プーマのおじさん」と呼んでいた人物が、ふと漏らしたのが、「人間、寝床からはじまって、だんだんと贅沢になっていく」という冒頭の言葉なのです。

その本に登場するダンボールハウスの数々は、どれも個性的な外観をしています。しかしそれは、始めからそうだったわけではなく、何とか夜を過ごすための最低限の囲いとしてスタートしたものが、そこに長く暮らすうちに住人の手が少しずつ加えられ、環境条件や住人の好みに応じて「進化」したためです。

どれほど手が加えられ、住み心地が良くなったとしても、ダンボールハウスの最大の目的は、あくまでも風雨から身を守り、安心して夜を過ごせる「寝床」を確保することにあり、それが全ての始まりなのです。それはまた、住宅というものの原点でもあるように思います。

多くのモノに囲まれた快適な生活をしていると、この当たり前の事実をつい忘れてしまいがちですが、どんな人でも、山登りやトレッキング、バックパッカー・スタイルの旅行などをすれば、この「寝床」のありがたみを改めて実感することができます。

格安の宿を渡り歩くような旅では、宿を予約することはまずありません。バスなどで次の町へ移動すると、ターミナルから歩き回ったり、客引きを使ったりしながら、暗くなる前にその日の宿を決めなければなりません。

その日の状況次第で、宿がすぐに決まることもあれば、条件が折り合わなかったり、どこも満室だったりして、薄暗い街をいつまでもさまよい歩く羽目になることもあります。見知らぬ街で夜を迎え、宿が決まっていないというのは、とても心細いものです。

私の場合、あまりにも腹が減っている場合は別ですが、宿が決まるまでは夕食を食べる気になれません。安心して夜を過ごせる場所を確保していないと、その日の重大な仕事が終わったという気がしないし、そんな中途半端で不安な気持ちでは、食事や酒をゆったりと楽しめないのです。

自分の「寝床」を毎日確保することは、バックパッカーにとって最も重要な仕事だといえます。そもそも、旅のガイドブックというものも、見知らぬ街で「いかに安全で安い宿を確保するか」という目的からスタートしているのかもしれません。そういう意味では、冒頭の言葉を次のように言い換えることもできます。

「旅は、寝床からはじまって、だんだんと贅沢になっていく」

安宿にも、ドミトリーのようにベッドだけ、文字通り「寝床」だけを割り当てられるようなものから、バス・トイレ付きの個室まで、さまざまなグレードがありますが、いずれの場合も余計な装飾や備品は一切ないことがほとんどです。自分で持ち込んだモノ以外には何もないような部屋で過ごしていると、「ここはまさに寝るためだけの場所なんだな」ということをしみじみと実感できます。

そして、安宿を渡り歩いていると、実際にそれで何とか生活が成り立ってしまうことにも気がつくのです。そんな生活に慣れれば、「寝床」と最低限の食事以外は、不要不急の贅沢に見えてきてしまうほどです。そこに、モノから解放された自由というか、軽やかさの感覚があることは事実です。

ただし一方で、そこには文化の香りや、遊び・余裕といった感覚はありません。「人間、寝床からはじまる」という原点を改めて実感するのは、とても大事なことだと思いますが、それはあくまで原点であって、私個人としては、人間として生まれてきたからには、ある程度の豊かさを楽しむこともまた必要だという気がします。

それが贅沢につながることは重々承知していますが、バックパッカー的な暮らしを長く続けていると、シンプルで自由な生活を満喫できる反面、金にみみっちくなり、だんだんと心に潤いがなくなっていくような気もするので……。

at 20:40, 浪人, 旅の名言〜衣食住と金

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