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旅の名言 「わざわざ苦労して……」
人跡未踏の空白の五マイルに下り立ったといっても、私がやっていることといえば、延々と続く急斜面で苦行のようなヤブこぎをしているだけだった。なぜ過去に多くの探検家がこの場所を目指して挫折したのか私にはよく分かった。わざわざ苦労してこんな地の果てのような場所に来ても、楽しいことなど何ひとつないのだ。シャクナゲやマツの発するさわやかなはずの緑の香りが、これ以上ないほど不愉快だった。自然が人間にやさしいのは、遠くから離れて見た時だけに限られる。長期間その中に入り込んでみると、自然は情け容赦のない本質をさらけ出し、癒しやなごみ、一体感や快楽といった、多幸感とはほど遠いところにいることが分かる。
『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』 角幡 唯介 集英社 より
この本の紹介記事
チベットのツアンポー峡谷に魅せられ、その探検に青春を賭けた日本人の壮絶な探検記、『空白の五マイル』からの名言です。
著者の角幡唯介氏は、2002年から2003年にかけての単独行で、過去の名だたる探検家ですら行く手を阻まれたツアンポー峡谷の「空白の五マイル」を、ほとんど踏破することに成功します。
記録に残るかぎり、その地を踏みしめたのは彼が世界初ということになるわけですが、そのロマンチックな響きとは裏腹に、実際の探検は、ダニに全身を喰われながら、薄暗くじめじめとしたヤブをひたすらかき分け、滑落の危険を冒して急斜面を登り降りする作業の繰り返しでした。それに、何か重大なアクシデントが起きても、助けてくれる人間はどこにもいません。
単独行とはそういうものだと言ってしまえばそれまでかもしれませんが、不快きわまりない環境や不十分な食事に耐え、神経をすり減らして危険に対処し、しかも常に注意を怠らず、緊張感を保っていなければ、生還は期しがたいでしょう。
「わざわざ苦労してこんな地の果てのような場所に来ても、楽しいことなど何ひとつない」のです。そんな日々を休むことなく何十日も続けるのは、旅というより、まさに「苦行」そのものです。
かつて、地球上の未知の土地を探検した人々は、そうした苦行と引き換えに、栄光と名声を得ることができました。
しかし、人跡未踏の地がほとんどなくなり、探検に人々の注目が集まらなくなった今、探検家が受ける社会的な評価は、その命がけの苦しみの報酬としては、到底見合わないのが現状かもしれません。
それでも彼らは何かに駆られるように、「情け容赦のない」自然の中へと何度も踏み込んでいくのです。「楽しいことなど何ひとつない」と、骨身に沁みて分かっているにもかかわらず……。
そうした探検家の「業」のようなものについて、角幡氏は、次のように書いています。
リスクがあるからこそ、冒険という行為の中には、生きている意味を感じさせてくれる瞬間が存在している。 (中略) その死のリスクを覚悟してわざわざ危険な行為をしている冒険者は、命がすり切れそうなその瞬間の中にこそ生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている。冒険は生きることの全人類的な意味を説明しうる、極限的に単純化された図式なのではないだろうか。
とはいえ究極の部分は誰も答えることはできない。冒険の瞬間に存在する何が、そうした意味をもたらしてくれるのか。なぜ命の危険を冒してツアンポー峡谷を目指したのか、その問いに対して万人に納得してもらえる答えを、私自身まだ用意することはできない。そこはまだ空白のまま残っている。しかしツアンポー峡谷における単独行が、生と死のはざまにおいて、私に生きている意味をささやきかけたことは事実だ。
冒険は生きることの意味をささやきかける。だがささやくだけだ。答えまでは教えてくれない。
生きるか死ぬかという極限のリスクにさらされた瞬間に、他の何にも代えがたい、「生きている意味」につながる何かをかいま見られると思うからこそ、彼らは無謀とも思えるような、ギリギリの探検に自らを追い込んでいくのかもしれません。
私はまだ、そうした探検の魔力のようなものに触れたことがないし、だから旅をするといっても、いつも、ほどほどのところでお茶を濁してしまいます。しかし、そうしているかぎり、冒険家や探検家が人知れず味わう生の喜びについて、身をもって知ることはないのでしょう。
それは、不幸なことなのでしょうか、それとも、幸せなことなのでしょうか……。
JUGEMテーマ:旅行
旅の名言 「デリーにいると……」
デリーで暮らしていると、「怒りの回路」みたいなものが、自分の中にはっきりできてくる。あまりにも理不尽だと思える状況に見舞われ、派手に「ッキー!」となることが、あまりにも多いのだ。
似た価値観を持つ人々に囲まれている自分の国での生活では、そこまで「ッキー!」とか「ムッカー!」となる事態には、なかなか遭遇しないものである。日本にいるときには、そんなことは考えたこともなかったが、思い返せばそうなのだ。デリーにいると、日本ではついぞ触られたことのない怒りのボタンを、バンバン押されるのである。こちらとしては、そんな部分に触られたことがなかったので、「私にこんな怒りが湧くとは知らなかった」みたいなヘンなことを思ったりする。
『インド人の頭ん中』 冬野 花 中経の文庫 より
この本の紹介記事
インドの首都デリーで4年間一人暮らしをした女性が、そこで日々遭遇した仰天エピソードと、激しいカルチャーショックの数々をユーモラスに綴ったエッセイ、『インド人の頭ん中』からの引用です。
インドで暮らしていると、「日本ではついぞ触られたことのない怒りのボタンを、バンバン押される」とは、ちょっと穏やかではありませんが、インドに長く滞在した経験のある日本人ならきっと、冬野氏のこの表現にとても深く共感できるのではないでしょうか。
具体的にどんなことで、そんなに怒りをかきたてられていたのか、詳しくは彼女のエッセイを読んでいただきたいのですが、あくまで通りすがりの旅人としてインドを体験しただけの私でも、現地では、旅行者を騙してカネを巻き上げようとする不良インド人から理不尽な扱いを受けるたびに、こみ上げる怒りを抑えきれず、彼らに怒鳴りまくっていた記憶があります。
ただ、かりにこうした激しい怒りを体験しても、旅行者の場合は、それを旅の非日常として受け止められる気楽な立場にあります。インド人に怒りを感じたり、思わずケンカをしてしまっても、それがほどほどである限りは、旅を盛り上げる多彩なエピソードの一つと見えなくもないし、やがて時が経てばいい思い出になる、くらいの気持ちで割り切ることもできるでしょう。
しかし、インドに長く暮らすとなると、そういう体験が日常的に、延々と続くことになるわけで、さすがにそれをいつも軽い気持ちで受け流すわけにはいかなくなります。
「あまりに理不尽だと思える状況」に毎日のように見舞われ、そのたびに怒りの炎を燃え上がらせていれば、やがて、そのプロセスがパターン化し、そういう理不尽に遭遇するたびに自動的にスイッチが入り、効率よく怒りを爆発させる、「怒りの回路」みたいなものが自分の中にできあがってしまうのでしょう。
その回路が作動し、心が「噴火」していく様子について、冬野氏は、次のようにリアルに描いています。
きっとこう来るぞ……。インド人だもん、絶対こう来る……!
そう思っているときが、地震が起きているときである。そして、
出た! やっぱり出ちゃったよ! なんでそういうことになるのかね!? 百回考えても、それっておかしくない!?
ってときが、噴火である。
事が起きると、それがダイレクトにドカンと腹に来る回路ができてきて、それをさらにガーッと怒りの感情に変換する「怒りの筋肉」が鍛えられてしまうのだ。
そのうち、自分のアドレナリンが吹き出る瞬間までわかるようになってくる。そして、怒りが湧くと同時に、胃や肝臓など、関連する内臓に負担がかかるのもわかるようになる。ある意味、怒りが派手でわかりやすいからだと思うが、ガーッと怒りが湧いて、ドバーッとアドレナリンが出て、ドスンと胃に来て、ズシッと肝臓が重くなるのを実感するようになるのだ。怒りと同時に、手先が冷えることまで知ってしまった。頭に血が行くからだろう。
インドが悪いのではない。あくまでも自分の育った環境との落差の激しさによるものなのだ。
激しい怒りによって自分の体がダメージを受ける様子まではっきりと実感できてしまうくらい、繰り返し繰り返し怒りのボタンを押し続けられたんだと思うと、読んでいて、何だかいたたまれない気持ちになりますが、一方で、これだけ辛い思いをしても、「インドが悪いのではない」と言い切るところに、冬野氏のインドへの深い愛を感じます。
世の中には、ボロボロに傷つけあっても互いに別れられないというような、不思議な人間関係というものが存在するようですが、一部の日本人とインドとの間にも、そういう不思議で濃厚な関係が存在するのかもしれません。
まあ、頼まれもしないのにこうしてインドのことばかり書きたがる「インド病」の私も、その一人なのかもしれませんが……。
それにしても、インドというのはそういう大変なところなのか、何はともあれインドに生まれなくて本当によかった……と胸をなでおろしている方もおられると思いますが、では逆に、日本に生まれて本当によかったかというと、一概にそうとも言い切れないところがあります。
先日の大震災で、日本が、地震をはじめとする激しい自然災害に常にさらされる厳しい土地であることは、改めて世界中に知られることになりましたが、それを別にしても、日本での暮らしには、インドとはまた違った形のストレスがあります。
それについて、冬野氏はこんな風に書いています。
デリーで受けるストレスは、「バッコーン!」「やったな、コラァ!」という種類のもので、まるで筋トレのような、何かを鍛えられているようなストレスである。ストレスを受けたことがはっきりとわかり、しかも複雑ではない。
しかし、日本の生活で受けるストレスは、まるでガンのように恐ろしいと思うことがある。気づかないうちに、少しずつ、少しずつ、やる気や元気を奪われていく気がするのだ。ヤラれたことに気づかないくらい絶妙な、表面的には「正しいこと」「いいこと」っぽく思われていることの中に含まれる侵食細菌みたいなものに蝕まれる感じで、気づくとウツロになっている。
自分の心に正直に生きようとすると、自分の欲求にすら気づいていない「なんとなくいい人」たちに、「なんとなく」「いつのまにか」引きずり降ろされてしまう。それがいろいろな形で現れ、なんだか自分が「無根拠由来・無自覚・自己抑制系・自己中心虚脱症」になっていくような気がするのだ。
日本は日本で、けっこうワナが多く複雑な社会だ。ないものねだりというわけではないけれど、日本にいると、インドの筋トレ的ストレスが懐かしくなったりするのである。
そして、こういう見えにくい微妙なストレスは、きっと日本だけの問題ではないのでしょう。いわゆる先進国と呼ばれる国々にも、似たようなストレスに苛まれている人間が大勢いるのではないかという気がします。
また、それは微妙なストレスであるだけに、その中でずっと暮らしていると、ストレスを感じていることにすら気がつかないということもあり得ます。むしろ、インドのような国で、全く性質の違うストレスにさらされる経験をして始めて、それまで日本でどんなストレスを受けていたのか、初めて気がついたりすることもあるのではないでしょうか。
とはいえ、結局のところ、この地上で普通に生きている限り、世界のどこに住んでも、必ずストレスの源というのはあるわけで、残念ながら、そこから完全に逃れることはできません。
ただ、もし救いがあるとすれば、それは、それぞれの土地によって、受けるストレスに違いがあるということです。
土地ごとに違うストレスが、それぞれの土地の個性みたいなものだとするなら、そうしたストレスとの相性も、個々人によって違ってくるのではないでしょうか。
だとすると、世界各地を旅して、さまざまなストレスを味わってみれば、やがていつの日か、旅人自身にとって相性のいい土地、つまり、その土地の与えるストレスなら、なんとか耐えていけそうだと思えるような土地が、この地球上のどこかに見つかるのかもしれません……。
旅の名言 「この罰当たりな世界の……」
ユタは風景が美しく、風土も興味深いところだったけれど、州境を越えてアリゾナに入り、しけた砂漠の真ん中にあるしけた町の、最初に目に付いたしけたバーで冷えたバドワイザー・ドラフトを注文してごくごくと飲んだときは、やはり正直に言ってほっとした。この罰当たりな世界の、避けようとして避けがたい現実が、僕のからだにじわじわとしみこんでいった。リアルにクールに。うむ、世の中はこうでなくっちゃな、と思った。
『辺境・近境』 村上春樹 新潮文庫 より
この本の紹介記事
作家、村上春樹氏の旅行エッセイ、『辺境・近境』からの一節です。
彼は、この本の「アメリカ大陸を横断しよう」の章で、東から西まで、一気に車で大陸を横断する旅を描いているのですが、その旅の中でユタ州を通り過ぎます。
ユタ州は、かつてモルモン教徒が開いた州ということもあって、現在でも飲酒や喫煙には制限があるそうで、村上氏が旅をした当時、酒を飲むためのバーは会員制のものしかなかったようです。
ウィキペディア 「ユタ州」
ユタ州からアリゾナ州へ抜けた直後に、村上氏がわざわざ「しけたバー」に転がり込んだのはそのためで、彼はそこでようやく冷えたビールにありつくことができました。
そして彼は、その冷たい一杯が、「この罰当たりな世界の、避けようとして避けがたい現実」であることを噛みしめつつ、同時に、その痛快な喉越しを心ゆくまで味わったのでした。
でも、もちろん、これは彼だけがそう感じたわけではなくて、たいていの旅行者なら、さまざまな国や地域で似たような体験をしているのではないかと思います。
例えば、飲酒に対する規制といえば、イスラム教の国々が有名です。国によってその規制の厳しさに多少の差はありますが、いずれにしても、旅人は酒を飲みたいと思ってもなかなかその機会にありつけず、人によっては苦しい禁欲生活を強いられることになります。
それに加えて、ラマダン(断食月)のときなどは、いくらイスラム教徒以外は関係ないとはいっても、実際に地元の人々がみんなガマンしている中で、日中に自分だけ堂々と飲み食いすることはさすがにはばかられます。
ただ、一方では、そうやって酒を飲んだりふつうに食事をしたりという、日本では何の制限もなく自分の思い通りにできる行動を自由にできない体験というのは、自分が今、全くルールの違う土地を旅しているのだということを、身をもって実感できる貴重な機会であるといえなくもありません。
そしてそれは、日頃とくに意識することもなく、当たり前のものとして受け入れている自分の日常生活を、別の視点から見直してみるきっかけにもなるのではないでしょうか。
とはいえ、旅人の多くは、酒を自由に飲めないような国があることを身をもって知ったとしても、そういう国に対して、人類の理想を実現しようとする素晴らしい国だとは、あまり思わないのではないかという気がします。
私個人としては、もちろん、酒の飲みすぎが体に悪いことはこれまでの自分の経験を通してよくよく分かっているつもりだし、「罰当たりな世界」を人間の意志でもっとましな世界に変えていこうという理想をもって、多くの人が長年にわたって一歩一歩努力を続けてきたことも知っています。
それでもやはり、一番大事なのは、個々人が自分の生活を自ら律しようとする意志なのではないかと思うし、人々のあるべき行動を強制的なルールで一律に決めるよりも、一人ひとりがどういう行動をとるか、その選択の自由が与えられている社会の方が、ほっとできるように思います。
村上氏はアリゾナの「しけたバー」でビールに喉を鳴らしながら、「うむ、世の中はこうでなくっちゃな、と思った」わけですが、私も、自分の暮らす社会では、たとえそれが「罰当たり」な習慣であろうと、ビールを飲む自由やタバコを吸う自由くらいは、そのままであり続けてほしいと思います……。
JUGEMテーマ:旅行
旅の名言 「すべてのうんざりするような交渉と災難は……」
旅には、慣れていた。
とは言っても、要領よく旅ができるという意味ではない。要領よく旅をすることは、この国ではほとんどできないことを知っている、という意味である。
たとえおなじところにふたたび行っても、思わぬ事態にめぐりあうというのがインドである。この事情はインド人でも変わらない。すべてのうんざりするような交渉と災難は、インド人であろうと不案内な外国人であろうと、等しくふりかかってくる。だからインド人は、グルグル巻きにした巨大な旅行用フトンを片手に、さまざまな生活必需品をもう一方の手に、旅行の間中、怒鳴りちらしているのだ。
『インドの大道商人』 山田 和 講談社文庫 より
この本の紹介記事
インドで数百人の大道商人に取材し、彼らの日常の姿を写真とともに紹介した、山田和氏の『インドの大道商人』からの一節です。
パッケージツアーではなく、いわゆる個人旅行や自由旅行でインドを旅したことのある人なら、遅れてばかりいる公共交通機関や窓口の混乱、押し寄せる物売り、煩雑な値段交渉といったストレスの波状攻撃に疲労困憊した経験があるのではないでしょうか。また、旅先で思わぬトラブルに巻き込まれたり、とんでもない目に遭って途方に暮れたことも、一度か二度はあるはずです。
これはインドだけでなく、いわゆる開発途上国を旅する人なら誰もが体験することなのかもしれませんが、私自身の経験からいっても、インドの場合は、それが他の国以上に強烈に感じられるようです。
それでも、インドを何度も旅し、インドの人々とも長くつきあってきて、一般的な旅行者よりもはるかにインドに詳しいはずの山田氏のような人物でさえ、インドでは要領よく旅などできないのだと言われると、何だかちょっとホッとするような気がします。
インド人でさえストレスのあまり、「旅行の間中、怒鳴りちらしている」というのは、言われてみれば確かにそのとおりです。旅人は自分の身を守ることで精一杯なので、意外と気がつかなかったりするのですが、「すべてのうんざりするような交渉と災難は、インド人であろうと不案内な外国人であろうと、等しくふりかかって」いるのです。まるで自然災害みたいに……。
それを知ったからといって、別に旅人の置かれた状況が変わるわけでもないのですが、次から次へと襲いかかってくる災難に、何だか自分だけ狙い打ちされているのではないかと思ってしまいがちな外国人旅行者にとっては、フッと肩の力が抜けるような言葉であり、何か少し救われたような気がする人もいるのではないでしょうか。
インド的混沌の中で長く暮らし、勝手知ったるインド人でさえ、インドを旅するのはやっぱり大変なことなのです。一介の外国人旅行者がインドをスマートに旅することなんて無理だし、そんなことができる裏ワザなんていうものも存在しないのです。
だとしたら、「うんざりするような交渉と災難」こそが、避けられない旅の日常であると観念し、上品な旅人を演じようなどとジタバタするのをやめ、旅をするときは自分もインド的混沌の一部になり切るという、一種の開き直りというか、諦めの境地に達するしかないのかもしれません。
ただし、一般的な状況としては、旅の面倒や災難は、インド人に対しても外国人に対しても、雨やあられのように平等に降り注ぐものなのでしょうが、有名観光地や、観光スポットを結ぶ主要ルート上には、やはり不案内な外国人旅行者をカモにする「不良インド人」がいることも確かです。それについては、旅人は、早々と諦めの境地に達する以前に、そういう人々に対する現実的な対処のテクニックを身につける必要があるでしょう。
もっとも、インドを何度も旅し、そういうテクニックを覚える頃には、有名観光地なんかよりもはるかに面白い穴場を、いくつも見つけられるようになっているかもしれません。そして、そういう場所では「不良インド人」密度もずっと低いので、せっかく苦労して身につけたテクニックも必要がなくなってしまうのですが……。
JUGEMテーマ:旅行
旅の名言 「いかにもインドらしい……」
デリーでアジア競技大会の開催が近づいたころ、それまで街に溢れていた乞食がすっかり姿を消してしまった。しばらくして僕は、乞食たちがつぎつぎとトラックに乗せられ、三日分の食料とともに砂漠に捨てられたといううわさを聞いた。いかにもインドらしいうわさである。そのときは半信半疑だったが、それから数年して、それがどうやら事実らしいことを知った。
ある信頼できる本がそのことに触れていたのと、僕の友人の友人である日本人が、インド人の乞食と間違えられ、当時のデリーで、じっさいトラックに積みこまれそうになったという話を聞いたからである。
『インドの大道商人』 山田 和 講談社文庫 より
この本の紹介記事
バックパッカーがインドでよく耳にする都市伝説の一つに、「デカン高原に捨てられた乞食」という話があります。
ある日突然、インド政府が街中の物乞い全員をトラックに乗せて連れ去り、デカン高原まで運んで捨ててきてしまったという、ちょっとありえないような話なのですが、その突き抜けた荒唐無稽さには、どこか「インドらしい」ところも感じられて、聞く人はなぜか、やっぱりインドって凄いよね、みたいに、妙に納得してしまったりするのです。
私はこの話を日本でも聞いたことがあるので、旅人の間だけの話というよりは、日本国内でもかなり広く知られた都市伝説なのでしょう。
しかし驚くべきことに、山田和氏は『インドの大道商人』の中で、これはどうも本当の話だったらしいと書いています。もっとも、「デカン高原」という地名については、話が伝わる中で尾ひれとしてつけ加えられたもののようですが……。
アジア競技大会がデリーで開催されたのは、1951年の第1回大会と1982年の第9回大会の2回ですが、山田氏がその時期にインドにいたということは、1982年ということになります。
1980年代といえば、伝説や歴史の時代ではなく、まさに現代です。日本人の常識からすればとても信じられない話ですが、世界のあちこちでは、今なお、私たちの通念をはるかに超える出来事が起きているようです。
ところで、今になって思うのは、この本に書かれた情報自体が、この都市伝説の流布に力を与えた可能性があるかもしれないということです。この本を読んで衝撃を受けた読者が、あちこちの酒の席などで話を広めたからこそ、日本の各地や、多くの旅人の間にこの話が伝わったとも考えられます。
ちなみにこの都市伝説には話の続きがあって、デカン高原に捨てられた物乞いのほとんどが、数カ月後、かつて暮らしていた街まで歩いて戻ってきたという「オチ」になっています。そこには、人間のたくましさや、ささやかな救いのようなものも感じられるのですが、これもまた、後からつけ加えられた創作部分に過ぎないのかもしれません。
本当のところはどうだったのでしょうか? 今、デリーの街で暮らしている物乞いの中には、もしかすると、30年近く前のアジア大会のとき、実際にその事件を生き延びたという人がいるのかもしれません……。
JUGEMテーマ:旅行
旅の名言 「日本で行き詰まった若者は、……」
バンコクではカオサンのゲストハウスに向かった。そこではいろいろな日本人と出会った。そんななかに、これから日本語教師としてバンコクで生きていくという奴がいた。会社を辞めて、これから宝石の事業を立ち上げると息巻いている男もいた。そしてそのなかに、外こもり組がいた。
「そんな生き方があるのか……」
カオサンで飛び交っていた話が、ひとつひとつ、なんの抵抗感もなく雅人のなかに入ってくるのがわかった。それぞれが口にする話には、雲をつかむような話や明らかな眉唾物もあったが、そんな話を口にする日本人は皆、同じ匂いを漂わせていた。全員が日本嫌いだった。正確にいえば、皆、日本の仕事を嫌っていた。日本という国に生きづらさを感じとってしまった若者たちだった。
雅人のような若者にとってバンコクのカオサンは行ってはいけない場所だったのかもしれない。日本で行き詰まった若者は、カオサンに流れる空気に一気に染まっていってしまう。まるで赤子が手をねじられるようなものだった。直接手をねじる人がいるわけではない。カオサンに集まってきた若者たちが体から発散するエーテルのようなものにすぐに感化されていってしまうのだ。日本での閉塞をまとった若者たちは、誘蛾灯に集まる蛾のようにも映る。
「バンコクは面白い。直感でそう思いました。急に楽になったというか、救われたというか。バンコクに来て、なにか急に目の前が開けてきたような気がしたんです。この街にいたら、もうとやかくいわれないっていうような感じかな」
『日本を降りる若者たち』 下川 裕治 講談社現代新書 より
この本の紹介記事
「外こもり」と呼ばれるライフスタイルについて取材した、旅行作家の下川裕治氏の著作、『日本を降りる若者たち』からの一節です。
外こもりとは、派遣やアルバイトで集中的に金を稼ぎ、東南アジアなど物価の安い国で金がなくなるまでのんびりと生活する人々のことですが、彼らの間で最も人気の高い滞在地がバンコクです。中でもカオサン通り周辺は、世界各地からバックパッカーの集まる有名な安宿街で、外こもり組の姿も多く見られます。
冒頭の一節は、そんなカオサンにふらりとやってきた若者が、そこに集う日本人たちの醸し出す雰囲気に感化されていく典型的なパターンを描いています。
日本社会の中にしっかりと居場所を見出している人から見れば、カオサンのような混沌とした街に沈澱し、「雲をつかむような話や明らかな眉唾」を吹聴している人たちは、自分とは違う世界に生きる、うさん臭い連中に過ぎないのかもしれません。
しかし、日本で生きていくことに行き詰まったり、ひどい孤独感にさいなまれている人は、カオサンに集う人々の中に、何か自分と同じような匂いを嗅ぎつけてしまうのです。それに、日本を離れ、カオサンのような安宿街にひっそりと暮らしている限り、自分たちがどんな生き方をしていようと、それにケチをつけたり余計な説教をしてくるような人もいません。
そこには、日本で暮らすほどの便利さや快適さはないし、物価が安いといっても、彼らのほとんどが質素な倹約生活を強いられます。それでも、彼らがカオサンという小さな世界や、そこに集う人々に感じる安心感や解放感は、他に代えがたいものがあるのです。
もちろん、カオサンでの毎日に解放感を感じ、「なにか急に目の前が開けてきたような気」になったとしても、実際のところ、彼らの日本での人生に関して、何か新しい具体的な展望が開けるわけではありません。その気分の高揚は、カオサンの中でだけ感じていることのできる、あくまで一時的なものに過ぎないのです。
それでも、少なからぬ若者たちが、「カオサンに流れる空気に一気に染まっていってしまう」のは、どんな人間にもとりあえずの居場所を与え、受け入れてくれ、しかもそれなりに元気まで与えてくれる、カオサンのような不思議な雰囲気に満ちた場所が、日本にはほとんど存在しなくなってしまったからなのではないでしょうか。つまり、彼らには、そういう場所に対する「免疫」がないのです。
もしかすると、彼らの多くが、日本での厳しい生活の中で、そのような居場所を長いあいだ切実に欲していたのにもかかわらず、日本にいるときには決してめぐり合うことができなかったのではないでしょうか。だからこそ、彼らはカオサンのような場所にやってくると、そこに「何か」を感じ、すっかりハマってしまうのだともいえます。
あるいは、カオサンに沈澱する若者たちの醸し出す雰囲気が、少年時代、気の合う仲間どうしでグループを作って、何をするでもなくぶらぶらと時間を過ごしたり、見知らぬ場所にみんなで繰り出してみたり、ちょっとした悪ふざけをしたりしていた、あの懐かしい感覚を思い出させてくれるのかもしれません。
『日本を降りる若者たち』の中で、著者の下川裕治氏は、「カオサンという土地は、日本の合わせ鏡のような役割を担っているのかもしれない」とも書いています。日本を逃れるようにしてカオサンに集まってくる若者たちの姿は、日本が経済成長や物質的な豊かさを追求し、そのために効率よく機能する社会を作り上げることに熱中するあまり、いつの間にか社会から排除してしまった「何か」の存在を、おぼろげに映し出しているのかもしれません。
もっとも、だからといって、カオサンが現代の日本や欧米の若者にとっての理想郷なのかといえば、やはりとてもそのようには見えないのですが……。
JUGEMテーマ:旅行
旅の名言 「アパートの部屋から一歩も出ない……」
アパートの部屋から一歩も出ない外こもりの暮らしは、東南アジアの人々の発想や生活スタイルに染まっていった結果でもある。
暮らしてみるとわかることだが、タイ人という民族は、本当に怠惰な人たちだと思う。なんとか楽をしたい――という方法論を、タイで起きている現象やブームに当てはめると、なぜかきれいに解明されてしまうことがある。そんなとき改めて、タイを感じてしまうのだ。
『日本を降りる若者たち』 下川 裕治 講談社現代新書 より
この本の紹介記事
旅行作家の下川裕治氏の著作、『日本を降りる若者たち』からの一節です。
海外を旅するバックパッカーや長期放浪者の間で有名な言葉に、「沈没」というのがあります。長旅を続けるうちに、病気や旅の疲れ、旅の目標の喪失など、さまざまな理由から一時的に動けなくなってしまい、同じ安宿に何週間、何カ月も沈澱したまま、何をするでもなくブラブラと過ごしてしまう現象を言います。
もちろんその中には、現地の人と恋に落ちてしまい、どうしてもその土地を離れられなくなったとか、現地の食文化に魅了され、ついつい長居をしてしまうというようなケースもあるわけですが、それでも旅人の旅人たるゆえんが「移動」にあるのだとすれば、「沈没」は、旅人の本来の姿からの逸脱ということになるのかもしれません。
ただ、最近では、むしろ旅の初めから「沈没」的な生活こそを目的として、例えばタイのバンコクなどにアパートを借りて長逗留する日本人が増えているといいます。『日本を降りる若者たち』では、「外こもり」と呼ばれるそうした人々の生活ぶりや、彼らがそうした暮らしを始めるに至った背景が取材されています。
彼らの多くは、日本で派遣やアルバイトの仕事をして旅費を貯めると、アジアの国々でのんびり過ごしながら、そのお金が尽きるまで節約生活を送ります。中には、スーパーでの買い物など、必要最小限の外出以外はアパートに閉じこもって暮らす人もいるようです。
そうした生き方をする日本人は昔から存在したのですが、最近になってその数が増え、数年前に「外こもり」という新たな言葉も生まれたことで、日本のマスコミでもたまに取り上げられるようになりました。
彼らがそういう生活に至った道のりは人によってさまざまで、そこには本人のパーソナリティや、人生の中で抱えているさまざまな問題が深く影響しています。
また一方で、彼らがタイを始めとするアジアの国々にやって来て、日本では味わったことのないような心からの解放感や安心感を感じているという側面もあります。それは、逆の見方をすれば、彼らを結果的にはじき出してしまった日本社会の息苦しさや不寛容を示しているとも言えます。
「外こもり」という日本語には、「ひきこもり」と同じく、何か否定的なニュアンスが色濃くつきまとっています。しかし、下川氏が指摘しているように、そうした生き方が「東南アジアの人々の発想や生活スタイルに染まっていった結果」なのだとすれば、それはむしろ、異国からやってきた人間が現地の生活文化に適応するごく自然なプロセスの結果だと言えるし、現地の人々の目にも、彼らの姿は何の違和感もなく映っているのかもしれません。
そう考えると、彼らを「外こもり」と呼んでひとくくりにしてしまい、何か特殊で、病的なものをそこに見ようとすることは、実は、現代日本人の東南アジアに対する偏見の裏返しに過ぎないのかもしれません。
下川氏は、タイ人のことを、「なんとか楽をしたい」という発想がすべての行動の原点にあるという意味で、「本当に怠惰な人たち」だと言います。これは、かなり誤解を招きやすい表現で、現在の日本社会では非常にネガティブな意味に受け取られかねないのですが、考えてみれば、「楽をしたい」という発想そのものは、むしろ人間としてごく自然なことです。
以前に、写真家の藤原新也氏の、「東南アジアの空気の中には人を睡眠に誘う素粒子が含まれているように思われることがある」という名言を紹介したことがありますが、人をトロリとした眠りに誘う東南アジアの気候風土と、あくせくしなくてもそれなりに生きられてしまう豊かさの中では、物事の流れに余計な介入をしたり、無駄にジタバタしたりすることなく、必要最小限の労力でゆったりと日々を過ごすことがむしろ美徳であるのかもしれません。
実際、タイ人たちが、あの帝国主義の殺伐とした時代に国としての独立を貫いたことを考えるなら、彼らは一見怠惰なように見えながら、実は高度なバランス感覚に裏づけられた、老練でしたたかな生き方を実践してきたと言うべきなのかもしれません。
もっとも、こういう言い方はタイ人を持ち上げすぎで、私がタイ人の中に、タオイストの理想みたいなものを勝手に投影しているだけなのかもしれませんが……。
しかし少なくとも、「外こもり」と言われている人たちは、「日本を降り」て、自分なりの居場所と別の生き方を模索する中で、アジア的な「怠惰」こそ、むしろ彼らにとっての救いのように見えたのかもしれないし、とりあえずそれに身を任せて生きる道を選んだのではないでしょうか。
そこでは、豊かさと経済成長の神話に身も心も捧げる必要はないし、いつも時間に追われてイライラすることもありません。また、限られたパイを常に奪い合う過酷な競争もなければ、社会全体がピリピリして、ささいなことで他人を糾弾し合うこともありません。
ただ、タイも今や、物質的な豊かさを求めて急速な経済発展の途上にあるようです。
そのうちにタイ人も、冷房をガンガン効かせたオフィスで忙しく働くことこそ美徳であって、「楽をしたい」などと考えるのはおぞましいと思うようになり、「外こもり」の外国人たちにも奇異と非難の目を向けるようになってしまうのかもしれません……。
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旅の名言 「世界の辺境にはね……」
「世界の辺境にはね、コカコーラ・ラインというのがあるんですよ」
『夢を操る』 大泉 実成 講談社文庫 より
この本の紹介記事
夢をコントロールするという不思議な民族、セノイ族に会うために、半島マレーシアのジャングルを旅した大泉実成氏の旅行記、『夢を操る』からの一節です。
冒頭の引用は、大泉氏の取材に同行した、カメラマンの吉田勝美氏の言葉です。彼は少数民族の取材などで、世界の秘境・辺境への旅を繰り返してきました。
その豊かな経験から、ある場所で冷えたコカコーラが飲めるかどうか、という極めてシンプルで具体的な事実が、そこが文明に属しているか、それともそうではない秘境・辺境に属しているかを見分けるポイントになるというのです。
さすが、文明社会と秘境との間を何度も行ったり来たりしている人ならではの鋭い観察です。
彼が説くところによれば、コカコーラというのは文明の象徴であって、あの「スカッとさわやか」を維持するのは辺境ではたいへんに難しい。第一にそこまで電気が来てなければいけないし、コーラを運ぶトラックが通れるくらいの広い道も必要だ。第二に、貨幣経済が成立していなければならない。要するにそこでお金が流通していなければならないのである。さしものコカコーラ・ボトラーズさんも、金のかわりにイモ虫とかグリーンスネークとかセミとかを物々交換で持ってこられては、きっと難儀なさることであろう。
すなわち、そのラインのこちら側にいるときはいつでもキンキンに冷えたコーラを飲めるが、その一線を越えてしまうと決してキンキンコーラが(そしてビールも、こちらのほうが大事だが)飲めなくなってしまう境界線、それがコカコーラ・ラインなのである。そして吉田さんは、コカコーラ・ラインを越えたところこそ、秘境であり辺境だ、と言うわけである。 (中略)
開発という行為は、このコカコーラ・ラインをじりじりとあちら側へ広げていこう、押し進めていこう、という営みでもある。そして吉田さんは、世界中でこのコカコーラ・ラインが、じりじりとあちら側に侵蝕しているのだ、と言うのである。
コカコーラを飲める、というのは、幸せなことなのか、それとも不幸なことなのか……。
今や世界のほとんどの国の都市部では、コカコーラか、少なくともそれに類する「キンキンに冷えた」清涼飲料水が流通しているはずです。それを飲む人々の人種や民族はさまざまですが、「スカッとさわやか」という快楽を共有しているという意味で、同じ文明人としての生活を享受しているわけです。
考えてみれば、私自身は、トレッキングなどを除けば、このラインを越えて、向こう側の世界に足を踏み入れたことがほとんどありません。
吉田氏の定義をあてはめると、バックパッカーが旅しているような場所のほとんどは、たとえ秘境の香りを漂わせていても、それはラインの内側、つまり文明世界の側に属していることになってしまうからです。
見知らぬ土地に出かけ、自分ではいっぱしの冒険をしているつもりになっていても、一日中汗だくで歩いた後には冷たいビールを飲みたいとか、現地の食事に飽きて、たまには和食でも食いたいとか思ってしまうようでは、やはり文明世界の外に出て、本当の意味での異世界を旅するのは難しいのでしょう。
しかし、この「コカコーラ・ライン」の最前線は、現在でも止むことなく前進しつつあり、その向こう側の秘境・辺境と呼べるようなエリアは、どんどん狭まりつつあります。
そして、皮肉なことに、多くの旅行者が秘境に憧れて世界のあちこちを旅すればするほど、そこには観光開発の波が押し寄せ、「コカコーラ・ライン」をさらなる奥地へと前進させてしまうことになるのです。
もっとも、現地では、自分の村に開発の波がやって来ることを首を長くして待っている人もけっこういるのかもしれないし、実際のところ、電気が通り、立派な道路が開通すれば、彼らの生活水準は飛躍的に向上するはずです。
そこに暮らしたこともなく、その本当の不便さを味わったこともない通りすがりの旅人が、止まらない開発を嘆き、秘境をそのままにしておいてほしいと願うなら、それは都会人のエゴに過ぎないのかもしれません。
それでも、文明社会の提供してくれる人工的なエンターテインメントに飽きてしまい、それ以外の「何か」を求めずにはいられなくなってしまった人間は、秘境に行けばその「何か」が見つかるのではないかと、つい思ってしまうのです。
そして、そうした人間にとって、本当の意味での秘境がこの地球上から消えつつあるという事実は、とても淋しいものに感じられるのです……。
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旅の名言 「妙ないい方かもしれないが……」
『アジアの弟子』 下川 裕治 幻冬舎文庫 より妙ないい方かもしれないが、インドという国は物乞いが生きていけるほど豊かなのだと思った。貧しい国にはふたつのタイプがあるのだ。物乞いすら支えることができない底なしの貧困と物乞いの哀れな姿が語りかける貧困である。ある人は、インドをバクシーシ三千年の歴史といったが、この国は物乞いを養えるほどの豊かさを三千年も享受してきたのである。
アフリカからやってきた僕の目に映ったインドは、享楽の国であった。夥しい数の人々が、バクシーシめあてにさまざまなパフォーマンスを演じてくれるのである。確かにそこには退廃の臭いがしないではなかったが、金のない貧しい旅行者には楽しすぎる国に思えてしかたなかった。
この本の紹介記事
旅行作家の下川裕治氏の半生記、『アジアの弟子』からの一節です。
「インドという国は物乞いが生きていけるほど豊かなのだ」という表現は、確かに「妙ないい方」に聞こえるし、誤解を招きやすい表現かもしれません。
でも、よく考えてみれば、本当にものすごく貧しい社会ならば、家族や仲間を助けることはおろか、自分一人が生き延びるだけで精一杯で、ましてや血のつながりもない、赤の他人に手を差し伸べる余地などないのではないでしょうか。
そういう環境では、物乞いが生きられる可能性などあり得ないし、何らかの理由でそういう状態に陥ってしまったら、人は飢え死にするしかありません。
そう考えると、インドの貧しさの象徴のように思われている物乞いも、実はインドの人々が彼らの生活を支えていることを示しているのであり、そして、インド社会にはそうするだけの余力があるのだ、ということになります。
ただ、インドを旅した人なら分かると思うのですが、インドに足を踏み入れ、その風土と人々に直接向き合う「インド体験」には、豊かさや貧しさをめぐるそうした理屈を超えた、もっとパワフルな「何か」があるように思えます。
そしてそれは、アジアに惹かれ、旅を通して長い間アジアと付き合ってきた下川氏のさまざまな著作から感じられる「何か」にもつながっているように思います。
五感、感情、思考のすべてを通して旅人の心に突き刺さってくるインドの現実は、生半可な正義感や、どこかで借りてきた理屈など簡単にはじきとばしてしまいます。
ひしめきあう人間のパワーと混沌に一度屈服し、余計な理屈をはぎ取られてインドと向き合う旅人の心には、「貧しさ」というステレオタイプな言葉では表現しきれない、インドという異世界の迫力がダイレクトに伝わってくるかもしれません……。
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旅の名言 「カオサンは……」
カオサンのゲストハウスのあるオーナーにいわせると、春休みや夏休みといった学生が多い時期がすぎると、ここに集まってくる日本人の年齢が急に上がるのだという。平均年齢にすると、十歳近く高くなるらしい。ここ数年の傾向で、その人数は日本の景気を反映している気がするという。景気がよくなると増えるのではなく、その逆の傾向らしい。会社が潰れたり、リストラに遭った二十代後半から三十代の男がカオサンにやってくる。その意味では、カオサンという土地は、日本の合わせ鏡のような役割を担っているのかもしれない。日本人の後ろ姿をいつも映し出している鏡ということだろうか。
そのなかには、かなり追い詰められている日本人がいる。そしてそのうちの何人かが、この街で蘇生する。カオサンは日本人のあるグループにしたらリハビリセンターのようなものなのだろうか。聖域といった人がいたが、たしかにそんな要素を兼ね備えている。
『日本を降りる若者たち』 下川 裕治 講談社現代新書 より
この本の紹介記事
ここ数年、日本人の間に増えているといわれる「外こもり」(派遣やアルバイトで集中的に金を稼ぎ、東南アジアなど物価の安い国で金がなくなるまでのんびりと生活するライフスタイル)の実態を取材した、旅行作家の下川裕治氏の著作『日本を降りる若者たち』からの一節です。
東南アジアを旅する人にとって、バンコクのカオサン通りは特別の場所です。欧米人バックパッカー向けの安宿街だった一角が、ここ20年ほどの間に急速な発展を遂げ、今ではタイの若者も集まる一大観光スポットにまでなっています。
ある意味、有名になりすぎて、物価が上がったり騒がし過ぎたりとマイナス要素も出てきたため、中には敬遠する人もいるようですが、それでもほとんどの旅人にとっては、今でも便利で快適なスポットであることは確かです。
別の国への格安航空券を手に入れるために、日本を出発してまずはカオサンを目指すという人は多いし、東南アジアの辺境を旅した後、カオサンにしばし「沈没」して旅の疲れを癒すという旅人も多いでしょう。
あるいは、個人旅行の初心者にとっては、日本を出てカオサン通りで数日を過ごすだけでもちょっとした冒険気分を味わえるだろうし、カオサンの醸し出す無国籍な雰囲気が気に入ってしまい、バンコクというよりカオサンへのリピーターになってしまった人もいるかもしれません。
旅行者には、一人ひとり違う目的や嗜好があるものですが、カオサン通りには、そんな旅人の多様な要求をそれなりに(あくまでも「それなりに」ですが)受け入れてしまう懐の深さがあるように思います。
冒頭の引用にあるように、日本でリストラされた男たちが流れ着き、再び立ち上がるまでの間リハビリできる場所というのも、カオサンの持つもう一つの顔なのでしょう。
もちろん、カオサンでリハビリといっても、何か特別なサービスが受けられるというわけではありません。多国籍のバックパッカーとバンコクの人々が醸し出す解放的な雰囲気に浸り、何をするともなくボーッと毎日を過ごしているうちに、自然にリラックスし、いつの間にか前向きな力が甦ってくるような気がするのではないでしょうか。
会社を辞めたり、放り出されたりした後にカオサンに流れ着く人間は、きっと、それ以前の旅行などを通じてカオサン通りの存在を知っていた人たちなのでしょう。自分にとって隠れ家なり「リハビリセンター」になり得る場所をあらかじめ知っていたという意味では、彼らは他のリストラ組に比べれば、少しだけ恵まれているのだと言えなくもないかもしれません。
ただ、『日本を降りる若者たち』の中でも指摘されていることですが、彼らがバンコクで癒され、「蘇生」したつもりになっても、問題が根本的に解決するわけではありません。
かなりの貯えがあるとか、定年を過ぎていて海外で年金暮らしができるとかいうなら話は別ですが、そうではない大多数の人は、いずれは日本に戻って、日本で稼ぎながら生きていくことを考えるしかありません。
カオサンが提供してくれる癒しはあくまでも一時的なもので、元気になって日本に帰れば、再び辛い現実に直面することになるでしょう。癒され、リラックスした分、その辛さはより一層心身にこたえるのではないでしょうか。
日本での辛い現実と、南の国でのつかの間の解放感――。
日本と東南アジアとの間を往き来して暮らす「外こもり」の人々は、ある意味、この解きがたいジレンマに囚われ、出口が見つからないまま、永遠の往復運動を繰り返しているということなのかもしれません……。