- このブログ内を検索
- 新しい記事
-
- このブログを読んでいただき、ありがとうございました (04/28)
- AIが生み出す異世界への旅 (03/21)
- まさかの戦争 (02/26)
- 「完璧な買い物」はもうできない (01/28)
- 「汚れハンター」の目 (12/25)
- 記事のカテゴリー
-
- このブログについて (1)
- 地上の旅〜旅全般 (68)
- 地上の旅〜中国 (11)
- 地上の旅〜東南アジア (62)
- 地上の旅〜チベット (6)
- 地上の旅〜インド・南アジア (19)
- 旅の名言〜旅について (32)
- 旅の名言〜旅の予感・旅立ち (14)
- 旅の名言〜衣食住と金 (14)
- 旅の名言〜土地の印象 (25)
- 旅の名言〜旅の理由 (10)
- 旅の名言〜旅の時間 (8)
- 旅の名言〜旅人 (27)
- 旅の名言〜危機と直感 (21)
- 旅の名言〜旅の終わり・帰還 (13)
- 旅の名言〜未分類 (1)
- 本の旅〜宇宙 (1)
- 本の旅〜世界各国 (58)
- 本の旅〜日本 (27)
- 本の旅〜中国・東アジア (3)
- 本の旅〜東南アジア (19)
- 本の旅〜チベット (4)
- 本の旅〜インド・南アジア (15)
- 本の旅〜ヨーロッパ・中東 (6)
- 本の旅〜アフリカ (5)
- 本の旅〜南北アメリカ (6)
- 本の旅〜旅の物語 (21)
- 本の旅〜魂の旅 (18)
- 本の旅〜共時性 (3)
- 本の旅〜身体技法 (5)
- 本の旅〜脳と意識 (3)
- 本の旅〜住まい (10)
- 本の旅〜人間と社会 (53)
- 本の旅〜ことばの世界 (9)
- 本の旅〜インターネット (9)
- 本の旅〜本と読書 (18)
- ネットの旅 (40)
- テレビの旅 (19)
- ニュースの旅 (55)
- つれづれの記 (70)
- 感謝 (36)
- おすすめの本 (1)
- アソシエイト (3)
- 過去の記事
-
- 2021年
- 2020年
- 2019年
- 2018年
- 2017年
- 2016年
- 2015年
- 2014年
- 2013年
- 2012年
- 2011年
- 2010年
- 2009年
- 2008年
- 2007年
- 2006年
- プロフィール
- コメント
-
- カトマンズの宝石店で
⇒ 浪人 (01/15) - カトマンズの宝石店で
⇒ kiokio (01/14) - 見るべきか、やめておくべきか
⇒ 浪人 (01/08) - 見るべきか、やめておくべきか
⇒ カール (01/08) - 『日本型システムの終焉 ― 自分自身を生きるために』
⇒ 浪人 (11/28) - 『日本型システムの終焉 ― 自分自身を生きるために』
⇒ maruyama834 (11/28) - 牢名主(ろうなぬし)現象
⇒ 浪人 (04/24) - 牢名主(ろうなぬし)現象
⇒ 門大寺 (04/24) - ワット・プートークで冷や汗
⇒ 浪人 (02/17) - ワット・プートークで冷や汗
⇒ sanetoki (02/16)
- カトマンズの宝石店で
- トラックバック
-
- 本と便意の微妙な関係
⇒ 【豆β】ニュース速報+ (05/01) - 『西南シルクロードは密林に消える』
⇒ 障害報告@webry (06/08) - バックパッカーは「時代錯誤」?
⇒ 威厳汁 (07/02) - 『アジアの弟子』
⇒ 貧乏旅行情報 (02/22) - 「フランダースの犬」に共感するのは日本人だけ?
⇒ ゆげやかんの魂100℃〜魂燃ゆる!ニュース&バラエティーブログ〜 (12/26) - インドにもついにスーパーマーケットが……
⇒ 専門家や海外ジャーナリストのブログネットワーク【MediaSabor メディアサボール 】 (11/08) - 『なにも願わない手を合わせる』
⇒ まことの部屋 (10/30) - 『なにも願わない手を合わせる』
⇒ りこのblog (10/30) - 『心と脳の正体に迫る』
⇒ 心理学ってすごい? (10/01) - 『日本の聖地 ― 日本宗教とは何か』
⇒ 宗教がいいと思う (09/28)
- 本と便意の微妙な関係
- sponsored links
2010.09.28 Tuesday
旅の名言 「二〇代の旅は……」
日本で生まれた日本人だからといって、なにも一生日本に住んでいなければいけない義理はないのだと気がついたのは、二〇歳前後だったかもしれない。だからといって、どこかに移住したいと思ったわけではない。将来どういう生活をしたいのか自分でもよくわかっていなかったから、たとえばフランスで絵の勉強をしたいとか、ニューヨークで毎日映画を見ていたいといった具体的な夢などなかった。
ただ、旅をしたかった。旅をして、気に入った土地があればそこに住みついてもいいと思っていた。ちょっと大げさに言えば、二〇代の旅は、ある面で、住む場所を探す旅であったのかもしれないと思うことがある。日本が大嫌いで一日も早く脱出したいと思っていたわけではなく、できるだけ早く定住地を探そうとしていたわけでもない。住みたくなる土地があれば、いずれ住んでみようと思っていたにすぎない。旅に飽き、日本にも飽きて、外国で住んでみたい街を見つけたら、飽きるまで住んでもいいという程度のことだった。
幸か不幸か、旅をやめさせるような運命的出会いや、衝撃的事件などなにもなかった。神の啓示を受けて宗教生活に入るとか、女に惚れぬいてどんな仕事でもかまわないからその地に住みたいとか、ある音楽に魅せられてその地で研究生活に入るといった、人生を変える出会いなどまったくなかった。
旅行で訪れる街はそれなりにおもしろかったが、何年も住んでみたいと思った土地はない。ましてや永住の地にふさわしい所は見つからなかった。
『アジア・旅の五十音』 前川健一 講談社文庫 より
この本の紹介記事
アジアの旅にまつわる短い文章を50音順に並べたユニークなエッセイ、前川健一氏の『アジア・旅の五十音』の、「住む」の項からの引用です。
若い頃に世界各地を旅してみたものの、自分が何年も住みたいと思う土地を見出すことができなかったという彼のことばに、何となくネガティブな印象を受ける人もいるかもしれません。ただ、私は、上の文章を初めて目にしたとき、ああ、自分と同じだと、大いに共感を覚えました。
私が旅というものを意識し始めたのは、たしか中学生の頃、どういうきっかけからだったかはよく思い出せないのですが、ヨーロッパを始め、いろいろな国々について書かれた本や、さまざまな旅行記を好んで読むようになりました。
この世界には、自分の想像もできないような異なる文化と人々の暮らしがあることを知るにつけ、それを実際にこの目で見てみたいという気持ちがふくらむと同時に、どうして自分は日本に生まれてきたのだろうとも思うようになりました。そして何となく、自分が将来も、このまま日本で暮らし続けていく姿が想像できないような気がしていました。
もっとも、そうした思いは、前川氏と同様、何か具体的な夢と結びついていたわけではないし、どうしても海外に出たいという強烈な欲求を感じていたわけでもありません。それに、学生時代の自分には、カネもなければ、国外に一人で飛び出していく勇気もありませんでした。
結局、はっきりとした自分の未来を思い描けないまま、20代の後半を迎えたとき、やっと決心がついて長い旅に出ることになったのですが、その旅についても、特に目的地といえる場所があったわけではないし、旅のあいだに何かを勉強したり、身につけるといったような、はっきりとした目的意識もありませんでした。
前川氏のように、私も「ただ、旅をしたかった」のです。その当時、私の頭の中には、自分が世界のあちこちを放浪しているイメージだけがあり、その先の展望は全くありませんでしたが、それ以上のことはあえて何も考えずに、とりあえず日本を出ました。
それでも心の奥には、世界のどこかで居心地のよさそうな街を見つけたら、そこにずっと暮らすのもいいかもしれないな、という漠然とした思いがあったように思います。そういう意味では、20代の私の旅も、大げさにいえば「住む場所を探す旅」だったのかもしれません。
そして、私の場合も、「幸か不幸か、旅をやめさせるような運命的出会いや、衝撃的事件などなにもな」く、また、「永住の地にふさわしい所」も見つかりませんでした。もっとも、私の場合は、広く世界をまわったわけではなく、アジアという狭い地域のなかを、ちょこちょこと見て歩いただけなのですが……。
もちろん、旅人としてそれなりに居心地のいい土地には、旅の中で何度も出会ったし、そこで楽しく「沈没」したこともありました。それでも、同じ場所に留まるのは、やはり長くて数カ月が限度という感じで、ずっと腰を落ち着けたいと思えるような場所には出会いませんでした。
旅をして分かったのは、当たり前のことではありますが、人が住むような場所なら、どんな土地にもそれなりの魅力というものがあるし、同時に、どうしようもない、さまざまな欠点も抱えているのだということです。より多くの魅力があり、たくさんの人を惹きつける土地もあれば、ほとんど誰も住みたがらない土地というのもありますが、どんなに魅力的な土地であっても、そこに長居をしている人には、見たくないものもおのずと見えてきてしまいます。
そして当然、日本についても同じことが当てはまります。
これはあくまで私個人の(当面の)結論でしかないのですが、結局のところ、どの国のどの土地にも、そういう意味での本質的な違いなどなく、そこには、あえて自分の意思で一つを選びたいと思うほどの差は感じられなかったのです。
旅人の中には、旅先で気に入った土地にそのまま住み続けたり、ある国やその文化が気に入って、それに関わる仕事をずっと続ける人もいるようですが、少なくとも私の場合は、そういうことは起こりませんでした。
旅行記などを読んでいると、ある土地や、そこに住む人々への深い思い入れを感じることが多いので、旅をしていれば、誰でもそういう場所なり人々なりに巡り会えるような気がしてしまうのですが、まあ、人生それぞれで、そういうことのある人もいれば、ない人もいるということなのでしょう。
ところで、前川氏は冒頭で引用した文章のすぐ後につづけて、沖縄には住んでみようという気になりかけたものの、そこでは自分のやりたいライターの仕事ができそうもないと思ったこと、その後、「定点観測」のために頻繁に訪れることになったタイについても、数ヵ月もいると飽きてしまうので、好奇心を保つために、意識的に住まないようにしているとも書いています。
たぶん、彼の場合は、自分にとってベストな場所に住むことよりも、もっとずっと重要に感じられる価値というものが他にあるのでしょう。
それは例えば、つねに自らの内面に新鮮な感受性を保つことであったり、自分の心にかなうものを、文章などで表現する機会だったりするのかもしれません。
それに、考えてみれば、人間、必ずしも自分のホームグラウンドのようなものを決めなければならないわけではなく、その気になれば、どこにも定住せず、永遠に旅人のように動き続けるという生き方も可能です。
これはあくまで私の想像にすぎないのですが、前川氏は、20代の頃の「住む場所を探す旅」を通じて、実はどこかに「住む」ことにこだわる必要などないのだと気づき、土地への強迫観念から解放されたのかもしれません。定住へのこだわりがなくなれば、人は、成り行き次第で住みたいところに住みたいだけ住むという自由な暮らしを楽しむことができます。
私の場合は、そこまでの境地には至っていませんが、旅を通じて、そういう生き方があることを、頭で想像できるくらいにまではなれたような気がします。
まあ、いずれにせよ、何を大事にして生きるかは、人それぞれの価値の優先順位づけの問題で、何がいいとか悪いとかいう問題でないことはもちろんですが……。
JUGEMテーマ:旅行
2010.03.24 Wednesday
旅の名言 「理由のつけられない……」
エジプトに行ってピラミッドに上り、インドに行ってガンジスを下り……、そんなことしてても無意味だし、キリないじゃないかとあなたは言うかもしれない。でも様々な表層的理由づけをひとつひとつ取り払ってしまえば、結局のところそれが旅行というものが持つおそらくはいちばんまっとうな動機であり、存在理由であるだろうと僕は思う。理由のつけられない好奇心、現実的感触への欲求。
『辺境・近境』 村上春樹 新潮文庫 より
この本の紹介記事
瀬戸内海の無人島からノモンハンの戦場跡まで、さまざまな場所への旅の記録を収めた村上春樹氏の『辺境・近境』からの一節です。
どうして旅をするのか、という問いは、旅をめぐる疑問の中でも最大のものだろうと思います。
旅に出ない人からすれば、他の人間が、膨大なカネと時間と手間ヒマをかけて、世界のあちこちに出かけていくのは理解できないでしょう。
一方で、旅好きの人が、旅に出る理由をはっきりと自覚しているかといえば、そうでもないようです。少なくとも私の場合は、なぜ自分が旅に出たがるのか、その動機を十分に理解しているとはいえない気がします。
もちろん、他の人から旅の理由を聞かれたときには、適当な「表層的理由づけ」をでっち上げてその場をしのぐようなこともあるだろうし、旅を続けているとそれなりに辛いこともあるので、そんなときには、旅をやめない理由というか、弱音を吐いている自分を説得できるだけの根拠みたいなものが必要になる場合もあります。
しかし、結局のところ、そういう一時的な理由づけというのは、問いに対する究極の答えにはなっていません。
旅人がいつも用意している想定問答集から、そういう「表層的理由づけ」を、仮にすべて取り除いてしまうとしたら、最後に何が残るのでしょう。
もしかすると、村上氏の書いているように、エジプトに行ってピラミッドに上りたいんだ、とか、インドに行ってガンジスを下ってみたいんだ、という、子供のようにシンプルな「現実的感触への欲求」というのが、最後に残る究極の動機だったりするのかもしれません。
そして旅人が、それ以外のもっともらしい旅の理由をあれこれと用意しておくのは、そんな子供っぽい欲求を素直に語ったところで、大人同士の社交的な会話の中では理解してもらえないだろうし、むしろ幼稚だとバカにされかねないので、なかなか正直に言えないからなのかもしれません。
もちろん、同じ旅人同士の会話なら、ただそこに行きたい、と言うだけで話が通じるし、そもそも旅に出る理由なんて、いちいちお互いに説明する必要もないのですが……。
ただ、私は、人間の旅への欲求の根源には、何かもっと他の要素もあるような気がします。
五感の欲求を満たしたいという強い思いのほかに、まだ本人にも自覚できていない、いわば未来の自分からの呼びかけみたいなものも含まれているような気がするのです。
これはちょっと説明しにくいのですが、例えば、はっきりとした目的もないまま、ただ旅への衝動に従ってあちこち放浪しているうちに、いつの間にか、旅のテーマみたいなものがそれなりに見えてきて、ああ、自分が旅に出たのはこういうことだったのかと、後になってようやく分かってくることがあります。
場合によっては、旅を終えてから何年もたって、何かのきっかけで自分の旅を振り返り、そのとき初めて、かつての旅が意味していたものに気づくこともあるでしょう。もしかすると、何十年も後の、人生が終わる間際になって、ようやく何かが腑に落ちることもあるのかもしれません。
これは旅に限った話ではないのでしょうが、現在の自分にとっては未知で、それが何なのか、どんな意味があるかも分からないような新奇なプロセスが人生に起ころうとしているとき、今の自分の境界を超えた向こうからやってくるその「何か」は、自分の言葉では説明できない、微妙でモヤモヤしたものだとしか感じられないはずです。
そしてそれは、旅というプロセスが進行し、その「何か」が次第に姿を現し、やがて自分の一部としてなじみあるものへと変わっていくなかで初めて、自分なりに理解し、言葉で語れるようになっていくのです。
だとすれば、それが自分の人生にとって全く新しい旅であればあるほど、何のために旅に出るのか、その旅がどんなものになるのか、出発の段階では、自分でも説明できるわけがないのかもしれません。
そしてそんなとき、旅人は、自分でもまだよく分からないし、現時点ではそう表現するしかないのだ、という意味で、とりあえずピラミッドに上りたいとか、ガンジスを下ってみたいとか、何とも即物的で子供っぽい言い方をしてしまうのではないでしょうか。
ずいぶんとややこしい説明になってしまいました。いかにも、ヒマを持て余した旅人の屁理屈といった感じです。
村上氏のように、そのよく分からない旅への衝動を、「理由のつけられない好奇心」と呼べば、ひとことで済んだのですが……。
JUGEMテーマ:旅行
2009.09.21 Monday
旅の名言 「放浪の旅に出るのは……」
けれどもほんとうは、どこかに行くのに理由など必要ないのだ。放浪の旅に出るのは、その場所がどこであるにしろ、そこに着いた時に起きることを経験するために行くのだ。わかったようなことをと思われるかもしれないけれど、ヴァガボンディングとはそういうものなのだ。
『旅に出ろ! ― ヴァガボンディング・ガイド 』 ロルフ・ポッツ ヴィレッジブックス より
この本の紹介記事
放浪の旅(ヴァガボンディング)への入門書、『旅に出ろ!』からの引用です。
人が思い立って、数か月、あるいは数年もかかるような長い旅に出ようとするとき、周りの人々はきっと、なぜ、どうして、何のために旅に出るのかと聞きたがるでしょう。
本人としては、そんな質問はいっさい無視して、ただ黙って旅に出ることもできるわけですが、それでも今までの生活の全てに踏ん切りをつけ、不安や恐怖を振り払って旅立ちのエネルギーを掻き立てるためには、自分自身を説得するための方便として、旅に出るもっともらしい理由が必要になるかもしれません。
しかし、いったん出発し、もはや後戻りのできない旅のプロセスが始まってしまえば、そのプロセスは流れに従ってどんどん動き出すので、旅人は、旅立ちのときほどのエネルギーを必要とはしなくなります。
やがて、旅という新しい生活に心と体が順応するころには、出発まで旅人を支えてきた動機づけの多くは役目を終え、その意味を失うでしょう。
一方で、絶えず移動を続ける旅の生活はそれなりにしんどいものだし、旅が長くなれば、当初のフレッシュな感動や好奇心も薄れてきます。それに、ときには深刻なトラブルに巻き込まれて途方に暮れたり、心に深い傷を負うようなこともあるでしょう。
そんなとき、旅に出る前に頭でこしらえたような目的や計画だけでは、そうした試練を乗り越え、旅を続けていくことが難しくなってしまうかもしれません。
結局のところ、最後まで旅人を動かすものがあるとしたら、それは、他の人や自分自身に対してあれこれ言いつくろう以前の、言葉では説明できないような、止むにやまれぬ思いみたいなもの、とにかくそこへ行かずにはいられないというような、自分の内側からにじみ出てくる強い欲求なのではないでしょうか。
そして、そうした欲求に素直に従い、旅のプロセスの展開に安んじて身を任せることができるようになれば、そもそも「どこかに行くのに理由など必要ない」ことが実感として分かってくるのかもしれません。
大切なのはきっと、旅の理由を言葉で説明しようとすることよりも、旅のプロセスが旅人をどこへ運んでいくにせよ、その体験に対してつねに心を開いていることなのでしょう。
「放浪の旅に出るのは、その場所がどこであるにしろ、そこに着いた時に起きることを経験するために行くのだ。」とは、そういう意味で、実に深い言葉だと思います。
もっとも、こういう名言を吐けるようになるまでには、旅人は相当の経験を重ね、旅とは何か、その本質について、言葉のレベルを超えて深く理解している必要があるのかもしれません。
ちなみに、こうして偉そうなことを書いている私はといえば、ロルフ・ポッツ氏のいうヴァガボンディングについて、頭で理解したことを言葉で書いているだけで、それを体得しているという境地にはほど遠いのですが……。
JUGEMテーマ:旅行
2007.10.27 Saturday
旅の名言 「世界を放浪し……」
そして我々にも「ソングライン」のようなものがある。それは旅人、個人個人が持っている旅の話であり、異国の風景や文化や匂いであり、旅をすることによって得た知識であり、自分についての発見である。旅人はよく旅先でこのような歌を交換する。そしてインフォメーション以上の、貴重な何かを分かち合う。その意味では我々現代のエグザイル達は、新しい形のウォーク・アバウトの旅をしているのかもしれない。
世界を放浪し、地球という大地の地形や自然を知り、自分の内面をさまよい、人と出会い、人間という総合体の歴史や神話を吸収し、そして歌い上げていく。旅のスタイル、目的地、個人的な理由は異なっていても、結局我々が旅をしている本当の意味は、そこにあるんじゃないだろうか。ただ当てもなくさまようのではなく、この地球、この生を歌い上げる。そして己のことを少しずつ理解していく。
インナーなものであろうとアウターなものであろうと、これが旅をする人間に、旅というものが与えてくれる、大いなる可能性なんじゃないだろうか。少なくとも僕はそう思いたかった。
『エグザイルス(放浪者たち)―すべての旅は自分へとつながっている』 ロバート ハリス 講談社+α文庫 より
この本の紹介記事
ロバート・ハリス氏が、波瀾万丈の放浪の半生を語る自叙伝『エグザイルス』からの一節です。
バックパッカーや放浪の旅人たちには、世界各地の安宿を溜まり場にして、そこで旅の技術的な情報を交換したり、これまで行った中で最高の土地を教え合ったり、旅の武勇伝を披露し合ったりする習慣があります。
これは別にルールとしてそうなっているわけではなく、見知らぬ旅人同士が何となく集まって話し始めるとき、そういうテーマが共通の話題として手っ取り早いということもあるし、もともと旅の好きな連中が集まっている以上、そうした話題なら自然に盛り上がれるからです。
そして時には、異国の旅人とすっかり意気投合し、お互いの旅について、人生について、深い話を交わすこともあるかもしれないし、それから長く続く友情を育むこともあるかもしれません。
冒頭に引用した一節は、そんな現代の旅人の習慣と、オーストラリアのアボリジニの「ソングライン」を重ね合わせ、人間にとっての、旅という行為の持つ意味を浮かび上がらせています。
といっても、ソングラインという言葉は、これまで聞いたことのない人の方が多いのではないでしょうか。
『エグザイルス』の中には、ある人類学者がソングラインについて説明するシーンがあります。とても分かりやすい説明なので、そのまま引用します。
アボリジニの若者は、ある日突然旅に出る。何の前触れも予告もなしに家を出て、何ヵ月も大地を放浪するんだ。彼らの通過儀礼のひとつ。ネイティブ・アメリカンの伝統にたとえればビジョン・クエストの旅、自分達の精霊に会うための旅なんだ。
彼らは旅をしながら自分達の種族の歌を歌い続ける。歌の中には彼らの守り神、トーテムとの関係から戒律、伝説、地形、水飲み場の位置、それこそ丘や石の一つひとつのことまでが詳しく織り込まれている。つまり、彼らの土地と彼らの存在のインフォメーションが、すべて歌につまっているんだ。
彼らはそうやって隣の種族の土地へと入っていく。そこで彼らはその種族の若者達と歌を交換する。種族間の重要なインフォメーションを交換し合うんだ。彼らの精霊達との関係、種族間の歴史、戒律、そしてこれから旅をしていく土地の水飲み場の位置、目標になるような岩や丘の位置、その向こうに住む種族のことなどを歌を通して覚えていくんだ。
こうして彼らは何百キロもの道なき道を旅していく。そしてさまざまな人間や精霊達に出会い、自分と大地との特別な関係、自分の生きる道について理解を深めていくんだ。
この歌のつながりを『ソングライン』と言うんだけど、オーストラリアの広大な土地のすべてがこの『ソングライン』でつながっていると言っても過言ではない。言い換えれば、オーストラリアの生きた地図が、昔から歌によって完璧に描かれているんだ。
旅人が、人間と大地との関係や、自らの存在について歌い上げ、この世界で生きるということについて理解を深めるとともに、旅をしながら、それを新しく出会う人々と共有していく、そして、「歌のつながり」によって、この世界の上に「生きた地図」を作り上げていく……。
ここには、太古から続いてきたであろう、人類にとっての旅の営みの原点が示されているような気がします。
そして、ハリス氏の見方に従うなら、私たち現代の旅人も、表面的な形式はすっかり変わってしまっていても、その本質においてはアボリジニのソングラインと同じ営みを続けているということになります。だとすると、私たちは人類の古くからの営みに、自らはそれと気づかずに参加していることになります。
もちろん、私たちの意識の表面のレベルでは、旅に出る理由は個人によって違うだろうし、旅の仕方も、旅を通じて何を得るかも人それぞれでしょう。
しかし、現在この地球上で行われ続けている何百万、何千万という数の旅をトータルでとらえ、その行為のもつ人類的な意味を考えてみるとき、そこには地球スケールのソングラインが浮かび上がってくるのではないでしょうか。
旅人はみな、本人が自覚するしないにかかわらず、いつでも「この地球、この生を歌い上げ」ているのであり、旅を通じて自分と世界のことを少しずつ理解しながら、それを歌うことによって、新しく出会う人々ともそれを分かち合っているのです。
もっとも、こんなことを考えるのは、少しロマンチック過ぎるのかもしれません。
現実に目を向けてみれば、日本のマスコミや世間には、「バックパッカーはお気楽で無責任な怠け者だ」というステレオタイプがあるようです。
それに、放浪の旅なんていうものは、全く金儲けの足しにはなりません。日本においては、脇目もふらず勤勉に働いて経済成長に貢献し続けることが「正しい」生き方とされているようなので、放浪の旅人などという怪しげな存在に向けられる世間の目は、年々冷たさを増しているような気がしなくもありません。
でも、旅人の一人として言わせてもらえるなら、旅人たちが世界のすみずみまで旅し、地球と自分たちのことを歌い、この地球上に「生きた地図」を織り上げているというのは、とても美しい営みだと思います。
これは、旅人の単なる幻想に過ぎないのかもしれません。
しかしそれは、一つの美しい幻想として、世間から冷たく見られがちな放浪の旅人たちのささやかな心の支えとなり、私たちが旅を続ける勇気を与えてくれるような気がします。
2007.09.09 Sunday
旅の名言 「放浪の旅は……」
ひとつ心に留めておくべきなのは、それが今の流行だからとか、ひとり旅をしておいたほうがよさそうだからとかいう漠然とした理由で、放浪の旅に出るべきではないということだ。放浪の旅は社会的な意思表示でもなければ、それをしたからといって他人よりも優位に立てるというものでもない。正しい旅の仕方を習得するためのステップ式のプログラムでもなければ、社会の改革を要求する政治的な主張でもない。むしろ自己の改革のみを要求する、きわめて個人的な行為なのだ。
『旅に出ろ! ― ヴァガボンディング・ガイド 』 ロルフ・ポッツ ヴィレッジブックス より
この本の紹介記事
放浪の旅(ヴァガボンディング)の入門書、『旅に出ろ!』からの引用です。
人が長い旅に出るきっかけや動機はさまざまです。「放浪する芸術家」みたいな生き方に憧れ、自分も放浪をしてみたいという人もいるだろうし、現代の管理社会に抗議し、自由な生き方を求めて旅に出る人もいるでしょう。あるいは、放浪体験を重ねれば、何か自分の人生に「箔」がつくのではないかと考えて長い旅に出る人もいるでしょう。
しかし、例えば数カ月から数年にわたる旅ということになると、将来の見通しを含めて、生活自体が完全に変わってしまうことになります。旅に出る決意をするにあたっては、それなりの動機と覚悟が要求されることになるでしょう。
旅をするのはあくまで本人の問題で、本人さえその気なら、どんな動機であっても旅を続けることはできると考える方もおられると思いますが、実際のところ、コトはそれほど単純ではありません。
バックパック一つで旅を続けていれば、周囲の環境も生活のパターンもシンプルにならざるを得ません。また、旅の資金の制約があれば、気を紛らわせるための娯楽に金をつぎ込むこともできないでしょう。シンプルな生活の中で、自分に向き合う時間だけは有り余っているような状況では、間に合わせの理屈はすぐに役に立たなくなり、自分を納得させられなくなるのです。
もしも放浪を始めた動機が、他人の目を多分に意識したものだったり、理屈やイマジネーションが先行し過ぎたものであれば、旅の日々の試練に耐え、旅人のモチベーションを維持し続けることは難しいかもしれません。旅には辛い移動や数々の困難が伴います。「自分はなぜ旅を続けるのか」についての深い納得感のない状態で、現実の厳しさに直面し続ければ、旅を続けることに疲れ果ててしまうでしょう。
放浪とは、誰かのためにするものではなく、抽象的な主義主張のためにするものでもなく、「自己の改革のみを要求する、きわめて個人的な行為」だと言うのは、一見当たり前のようにも聞こえますが、実際に長く旅し、考え続けてきた人ならではの深い言葉だと思います。
もっとも、こういう問題についてあれこれ深刻に考えず、「ただ旅したいから旅してる」タイプの旅人がいることも確かです。
例えば、以前に「旅の名言 「一年くらい旅を……」」で紹介した蔵前仁一氏のように、「一年くらい旅をすることなど、暇がある人にとっては (金の問題を別にすれば) 何の問題も特別な技もないのである」と言い切る人もいます。
もしかすると、いつも自然体で生きていて、旅の初めからこうだった人もいるのかもしれませんが、多くの人は旅を続ける中で次第に吹っ切れていくのかもしれません。ある程度の経験を重ねるうちに、他人や自分に対して理屈を固めたり、言い訳をする必要を感じなくなり、自分のための旅を淡々と続けられるようになるのではないでしょうか。
そうだとすると、あまり深く考えず、とにかく旅を続けてさえいれば、旅の動機や理由などという問題は、放っておいても、いずれ時間が解決してくれるのかもしれません……。
2007.07.17 Tuesday
旅の名言 「彼らがその道の途中で……」
僕が西へ向かう途中に出会った若者たちにとって、シルクロードはただ西から東へ、あるいは東から西へ行くための単なる道にすぎませんでした。時には、彼らが、いつ崩れるか分からない危うさの中に身を置きながら、求道のための巡礼を続けている修行僧のように見えることもありました。彼らは、もしかしたら僕をも含めた彼らは、頽廃の中にストイシズムを秘めた、シルクロードの不思議な往来者だったのかも知れません。しかし、彼らこそ、シルクロードを文字通りの「道」として、最も生き生きと歩んでいる者ではないかと思うのです。
滅びるものは滅びるにまかせておけばいい。現代にシルクロードを甦らせ、息づかせるのは、学者や作家などの成熟した大人ではなく、ただ道を道として歩く、歴史にも風土にも知識のない彼らなのかもしれません。彼らがその道の途中で見たいものがあるとすれば、仏塔でもモスクでもなく、恐らくそれは自分自身であるはずです。
それが見えないままに、道の往来の途中でついに崩れ落ちる者も出てきます。クスリの使いすぎで血を吐いて死んでいったカトマンズの若者と、そうした彼らとのあいだに差異などありはしないのです。死ななくて済んだとすれば、それはたまたま死と縁が薄かったというにすぎません。
しかし、とまた一方で思います。やはり差異はあるのだ、と。結局、徹底的に自己に淫することができなかったからだ、と。少なくとも僕が西へ向かう旅のあいだ中、異様なくらい人を求めたのは、それに執着することで、破綻しそうな自分に歯止めをかけ、バランスをとろうとしていたからなのでしょう。そしていま、ついにその一歩を踏みはずすことのなかった僕は、地中海の上でこうして手紙を書いているのです。
『深夜特急〈5〉トルコ・ギリシャ・地中海』 沢木 耕太郎 新潮文庫 より
この本の紹介記事
インドのデリーからロンドンまで乗り合いバスで駆け抜けるという『深夜特急』の旅。風まかせの旅を続けながらも着実に西へと向かっていた沢木耕太郎氏は、ついにヨーロッパに入り、旅もいよいよ大詰めを迎えようとしていました。
しかし、旅の終わりに向かってひた走りながら、沢木氏は、自分を不安にさせるような何かを感じていました。地中海をイタリアへと向かう船の中で、沢木氏の思いは内面に向かい、シルクロードを旅した日々の記憶がよみがえります。
沢木氏が旅をしていた1970年代、かつてのシルクロードは、ヨーロッパとインドを陸路で結ぶ「ヒッピー・トレイル」として、多くのヒッピーやバックパッカーの通り過ぎる「巡礼路」と化していました。
といっても、「歴史にも風土にも知識のない彼ら」は、成熟した大人たちがシルクロードの歴史ロマンに向けるような興味関心はあまりなく、ひたすら現在を生きています。
知識も経験もなく、大人たちが眉をひそめるような頽廃的な見かけや行動をしている彼らですが、沢木氏は彼らの内面に、むしろ修行僧のようなストイシズムを感じとっていました。それは、すべての仕事を放り出し、酔狂な『深夜特急』の旅のために日本を飛び出した自分の姿とも重なるものでした。
きっと若者たちの多くは、あらゆる意味で自分を危険にさらしながら旅を続ける理由を、自分ではうまく説明することができないでしょう。彼らは文字どおり命がけの探求を続けているにもかかわらず、そもそも何を求めているのかすらわかっていないのではないでしょうか。彼らはまるで「何か」に憑かれてしまったように、あるいは言葉にできない「何か」を求めて、ヒッピー・トレイルを西へ東へと歩き回っています。
しかし沢木氏の目には、向こう見ずで旅の目的すら定かではない彼らこそ、生き生きと道を歩む者たちであり、彼らのそんな行為こそが、むしろ「現代にシルクロードを甦らせ、息づかせ」ているように見えたのでした。
シルクロードならぬ「ヒッピーロード」を歩む彼ら、そしてまた自分自身は、旅を通じて結局何を求めていたのか、沢木氏はヨーロッパへ辿りついた今、自らの内面に沈潜し、必死でそれに言葉を与えようとします。
彼らがその道の途中で見たいものがあるとすれば、仏塔でもモスクでもなく、恐らくそれは自分自身であるはずです。
しかしそれは、最近よく使われる「自分さがし」という言葉が、牧歌的でのんびりとしたものにすら思えてしまうような、死と隣り合わせの、はるかに危険な探求でした。
実際に、沢木氏は旅を続ける中で、若者たちの悲劇を見聞きしてきました。自分が今、地中海を進む船の上にいられるのは、ほんのわずかな一歩を辛うじて踏みはずすことのなかったおかげだということを自覚しています。
それでも彼は、そんな危うさにこそ、真の旅の意味を感じているのです。
シルクロードを抜け、すべてが秩序立ったヨーロッパの地へと向かいながら、沢木氏が感じ始めていた喪失感は、そんな「真の旅」を味わえるチャンスが、もはや失われてしまったのだという深い実感だったのです。
沢木氏は、冒頭の引用に続けて、次のように書いています。
取り返しのつかない刻が過ぎていってしまったのではないかという痛切な思いが胸をかすめます。もうこのような、自分の像を求めてほっつき歩くという、臆面もない行為をしつづけるといった日々が、二度と許されるとは思えません。
ここまで思い到った時、僕を空虚にし不安にさせている喪失感の実態が、初めて見えてきたような気がしました。それは「終わってしまった」ということでした。終わってしまったのです。まだこれからユーラシア大陸の向こうの端の島国にたどり着くまで、今までと同じくらいの行程が残っているとしても、もはやそれは今までの旅とは同じではありえません。失ってしまったのです。自分の像を探しながら、自分の存在を滅ぼしつくすという、至福の刻を持てる機会を、僕はついに失ってしまったのです。
もちろん、「至福の刻を持てる機会」を失ったとはいえ、沢木氏がその後、きちんとこの旅に決着をつけたことは、『深夜特急』を読まれた方はご存知だと思います。
たとえ「至福の刻」が過ぎても、旅はまだまだ続くし、そこにはまた新たな展開があります。
しかしこれはまた、二十代半ばの頃の旅を十数年ぶりにたどり直している沢木氏の実感でもあったのかもしれません。四十代になって『深夜特急』を執筆している沢木氏にとって、青春時代、すなわち「自分の像を探しながら、自分の存在を滅ぼしつくすという、至福の刻を持てる機会」は既に「終わってしまった」のです。
しかし、『深夜特急』の旅がそれからも続いたように、人生も青春時代で終わりになるわけではありません。人生経験を重ねたわけでもない自分には、人生後半のことについて語る資格はありませんが、少なくともそこにはきっと、前半とは違う新たな展開があるはずです。
『深夜特急』が若者の旅を中心に描いたものだとすれば、中高年の旅というものもまた別にあるはずです。そうであれば、『深夜特急』の続編として、より成熟した大人を主人公にした、さらなる旅の展開があってもよいはずです。
そこでは、「自分の像を探しながら、自分の存在を滅ぼしつくすという、至福の刻」が再びやってくるのでしょうか? 自分自身を求める命がけの探求は、再び繰り返されるのでしょうか? それとも、そうではない、全く別の「至福の刻」というものがあるのでしょうか?
旅をテーマに書かれた沢木氏のその後の作品を目にするたびに、ふとそんなことが頭をよぎります。
『深夜特急』の名言
2007.05.20 Sunday
旅の名言 「放浪は……」
放浪は、目指す場所やゴールのない巡礼のような旅だ。答えを求める旅ではなく、迷いや疑問を受け止め、自分の身にふりかかるいかなることも積極的に受け入れる旅。
もし何か目標や計画を持って旅に出たとしたら、せいぜい得られるのはそれを実行したという自己満足ぐらいだろう。
けれど真っ白な状態で、純粋な好奇心を持って出かければ、それよりはるかに上等な喜びを見つけられるに違いない。行く先々でわき起こってくる、可能性に満ちた素朴でシンプルな気持ちを。
『旅に出ろ! ― ヴァガボンディング・ガイド 』 ロルフ・ポッツ ヴィレッジブックス より
この本の紹介記事
放浪の旅(ヴァガボンディング)への入門書、『旅に出ろ!』からの引用です。
一見、当たり前のことを言っているように思えます。皆様も、似たような言葉を、いろいろなところで何度も耳にしたことがあるのではないでしょうか。
しかし、これを単なるタテマエとか絵空事として聞き流さずに、本気で受け止め、いざそれを実行しようとすれば、実に難しいことだということが分かると思います。
例えば、一般的に、旅には「目指す場所やゴール」があると考えられています。現代社会では、経済合理的な考え方が浸透しているので、目的のない行動は「時間の無駄」であり、価値を生み出さないと考えられているばかりでなく、旅人としても、自分がどこに向かっているのかわからない、何が起こるかわからない、という状況は実に不安です。
多くの人は、短い休暇の限られた時間の中で、危険や不安を回避し、期待通りの満足を得ようと考えるので、旅程をしっかり計画したり、パックツアーに参加したりしますが、それはコストパフォーマンスを重視する、実に合理的な判断だと思います。
しかし放浪者は、そうした「合理的」な生き方をあえてカッコに入れ、目標や計画に縛られない旅をしようとします。
それは、うまくいけば、思いがけない喜びや発見に満ちた旅になるはずです。だからこそ、多くの人が放浪の旅に人生を賭けるのだし、私も個人的には、それだけの価値があると思っています。
しかし、その喜びは無償で得られるものではありません。旅人は、そのために多くのものを手放さなければならないし、旅先では、迷いや疑問、不安や恐怖が次から次へと襲いかかってくるように思われることもあります。
目標や計画を手放すということは、「こういう旅にしたい」「自分の好きなものだけを見たい」という選り好みをしないということです。楽しいことであろうと、どんなに嫌なことであろうと、「自分の身にふりかかるいかなることも積極的に受け入れる」のです。
たぶん多くの人にとって、それは辛い旅になると思いますが、そうした旅の日々を重ね、心を磨かれることで初めて、ロルフ・ポッツ氏の言う「可能性に満ちた素朴でシンプルな気持ち」とはどういうものなのか、少しずつ実感として分かってくるのだろうし、自らの体験を通じて、放浪の意味を深く理解することになるのだと思います。
そしてそのとき初めて、冒頭に挙げたような文章が単なるタテマエではなく、放浪者の深い実感を語ったものなのだと理解できるのだと思います。
ちなみに、これは誤解を招きやすい点ですが、目標や計画を持たない旅といっても、それはいたずらに自分を危険にさらしてみたり、どんちゃん騒ぎに明け暮れるという意味ではありません。その点については『旅に出ろ!』の中でも触れられています。
個人的にも、そうした行動の行き着く先には、本当の意味での喜びはないと思っています。
もっとも、過去の私自身の行動を振り返ってみれば、そうした行動がいいだの悪いだのと偉そうに講釈する資格などないのですが……。
2007.03.26 Monday
旅の名言 「わからないからこそ……」
あるいは、彼らも人生における執行猶予の時間が欲しくて旅に出たのかもしれない。だが、旅に出たからといって何かが見つかると決まったものでもない。まして、帰ってからのことなど予測できるはずもない。わからない、それ以外に答えられるはずがなかったのだ。
そして、その状況は私にしても大して変わらないものだった。わからない。すべてがわからない。しかし人には、わからないからこそ出ていくという場合もあるはずなのだ。少なくとも、私が日本を出てきたことのなかには、何かが決まり、決められてしまうことへの恐怖ばかりでなく、不分明な自分の未来に躙り寄っていこうという勇気も、ほんの僅かながらあったのではないかという気がするのだ……。
『深夜特急〈2〉マレー半島・シンガポール』 沢木 耕太郎 新潮文庫 より
この本の紹介記事
超有名な『深夜特急』、文庫版第2巻からの一節です。
インドのデリーからロンドンまで、乗り合いバスで旅をしてやろうと決意して日本を飛び出した沢木耕太郎氏は、「出発地点」のインドに向かう途中で、香港、マカオ、バンコク、ペナン、シンガポールと、アジアの街を巡り歩きます。
シンガポールにたどり着く頃には、旅立ちの熱狂と興奮は醒め、旅の生活も「日常」へと変わりつつありました。本文を読んでいても、旅を続ける沢木氏が何となく中だるみのような状態に陥りかけているのが感じられます。
しかし、そういう現象は長旅にはつきものだと思います。新しい国や新しい経験への新鮮な感受性は徐々に薄れ、子どものような好奇心も少しずつ摩耗していきます。旅に退屈と倦怠が、徐々に入り込んでくるのです。
やがて旅人の意識は、「今ここ」の旅の現実だけでは満たされなくなり、内省的になって、自分が旅に出た本当の理由、そして旅が終わったらどうするのかという、「重い」テーマにも向かい始めます。それはある意味で、旅立ちの興奮とドサクサに紛れ、棚上げにしていた重大な問題と向き合わざるを得なくなるということかもしれません。
もちろん『深夜特急』では、この後も、通過する国々で起こった印象深いエピソードに加えて、「自分にとって旅とは何か」というテーマについて、沢木氏による真剣な問いが続けられていくのですが、旅の前半のこの時点で、沢木氏は自らが旅に出た理由について、とりあえずひとつの解答を出そうとしているように見えます。
それにしても、「わからないからこそ」旅に出る、という沢木氏の理屈は、一見投げやりで、人を食ったような言い方に思えるかもしれません。
われわれの生きる現代社会においては、何事においても目的が重視され、明確に設定された目標に向かって、計画的・効率的なアクションを取り続けていくことが求められています。そこでは、目的の伴わないような行動は、する意味がないし、貴重な時間と労力の浪費であると思われているのではないでしょうか。
そういう社会において、せっかく見つかりかけた自分の居場所をなげうって、何を目指しているのかもわからない、全く先の見えない方向に向かってひたすら突き進んでいくというのは、実に頼りない話だし、周囲の目には、まるで人生を投げているようにしか映らないかもしれません。
しかし、沢木氏にとって、何となく先の見通せるような方向に自分のアイデンティティを確立することは、安心というよりもむしろ「何かが決まり、決められてしまうことへの恐怖」を感じさせるものであり、すでに出来上がってしまった枠組みに自らを合わせていくだけの人生では苦痛だと感じていたのではないでしょうか。
しかし、その感情をとことんまで突き詰め、自らの気持ちに忠実に従おうとするなら、既にわかってしまった世界を拒否し、「わからない」世界、未知で「不分明な」世界へと向かっていくしかありません。
言葉でいうと簡単そうですが、しかしこれは恐ろしいことです。「何かが決まり、決められてしまうこと」も恐怖かもしれませんが、「すべてがわからない」というのはそれ以上の不安と恐怖をもたらすのではないでしょうか。
旅に出れば自分にとって素晴らしいものが見つかると、あらかじめ約束されているのなら、旅立つことに何の不安もないでしょうが、それでは、約束された素晴らしいものを目標に、そこに向かって進んでいくだけであり、すでに出来上がった予定調和の枠組みの中で、スケジュールを消化していくような旅になってしまいます。
もちろん現実には、そんな約束などあり得ないし、旅から帰ってどうなるかなど、誰にも何もわかりません。自分の中で見えかけていた人生のレールをあえて踏みはずして、暗闇のような世界に飛び込んでいくためには、「不分明な自分の未来に躙り寄っていこうという勇気」を必要とするのではないでしょうか。
もっとも、これは理屈の上での話です。常識的に考えても、長い旅に出る人間が、すべてこうした悲愴な決意を胸に出発するわけでもないでしょう。
実際にはむしろ、そんな先のことを考える以前に、目の前に広がる世界の広さと美しさにそそのかされて、旅人は思わず一歩を踏み出してしまうのではないでしょうか。そして、しばらく世界と幸せな気分で戯れた後、いつの間にか自分が人生のレールから遠く外れてしまっていることに気づき、自分が置かれている状況の不分明さ、見通しのなさに直面して、初めて困惑するという順序なのかもしれません。
もちろん、そうなったらそうなったで、旅人は腹を据えて、先の見えない人生を引き受け、そこをスタートラインに、改めて自分の生きる道を切り開いていくしかないのですが……。
『深夜特急』の名言
2006.10.25 Wednesday
旅の名言 「一生を賭けるに値する……」
彼らは出てゆく人々であり、行った先について本を書く人々であり、それを喜んで読む人々である。世界は彼らにとってちょうどよい広さと複雑さ、文化の多様性、適量の謎などを含んでいて、これは一国民が数世紀に亘る探求遊びを続けて飽きないほどのものだった。それに熱中することは彼らに莫大な利をもたらしたが、今では純粋の遊びに近いものになっている。それが一生を賭けるに値する遊びであることを知る者が、今日もまた荷物を背負って国から出てゆく。
『明るい旅情』 池澤 夏樹 新潮文庫 より
この本の紹介記事
これは、作家の池澤夏樹氏が、「旅」という切り口でイギリス人について語ったエッセイの一節です。文中の「彼ら」とはイギリス人のことです。
かつて、島国イギリスの人々にとって、海外に出ることは冒険であると同時に、非常に実利的な行動でもありました。素朴な船で海を越えていくしかなかった頃、旅は常に死の危険を伴いましたが、それが未知への探険だったにせよ、貿易や植民地支配、あるいは海賊行為だったにせよ、成功したときの見返りも大きかったのです。
富に浮かれた数百年の時を経て、今は旅そのものに莫大な利益を求められる時代ではなくなっています。しかしある意味では、そのおかげで、旅を純粋な遊びとして楽しめるようになったといえるのかもしれません。
池澤氏の文章は、そうした歴史を踏まえつつ、数世紀にわたって旅人として探求を続けてきたイギリス人の一面を簡潔にとらえていて、非常に味わい深いものがあります。
旅がほとんど遊びとなった以上、毎日の商売や仕事に忙しい人々にとっては、産業としての旅行業以外に関心が向かうことはないでしょう。これはイギリス人に限ったことではありませんが、旅が「一生を賭けるに値する遊びであることを知る者」だけが、探求の喜びを求めて国を出ていくのです。
もちろんこれは言葉の綾であって、実際には仕事で海外を旅する人は大勢いるだろうし、ツアー客やバックパッカーの全てがこんな高尚な動機で海外を目指すわけでもないでしょう。
しかし、私も旅人の端くれとして、たまにはどこかでグラスを傾けながら、「旅は俺の一生を賭けた遊びだ」などというセリフを、カッコよく決めてみたいものです……。
2006.08.27 Sunday
旅の名言 「なぜ旅をしたのか……」
なぜ旅をしたのか。なぜ、世界を広く見たいと思ったのか。なぜ、自分が生まれた国を全体の中で客観化して見ようという欲求があれほど強かったのか。その作業がすむまでは自分自身の仕事には手がつけられないと考えたのはなぜか。こういうことを言いながら、ぼくは自分の中にカリキュラムがあったことをほとんど認めようとしている。旅はその主要な科目だった。それなくしては何も始まらなかった。
『明るい旅情』 池澤 夏樹 新潮文庫 より
本の紹介記事
なぜ人間は旅をするのか、人によって考え方はさまざまだと思いますが、今回はその一つとして、作家の池澤夏樹氏のユニークなコメントを紹介したいと思います。
旅は自分(の人生)のカリキュラムの主要科目だった、というのはとても面白い見方だと思います。旅を通じて、人生における大切な学びの機会が与えられる、というニュアンスがその表現に感じられます。
池澤氏はこの「カリキュラム」という言葉の意味について、エッセイの中であまり詳しくは触れていませんが、以下、私が勝手にふくらませた個人的な解釈を述べたいと思います。
若いとき、止むに止まれぬ思いで海外に飛び出し、その時々の状況や自分の感覚に従っていろいろな場所を旅したことが、後の自分の人生や仕事において大きな意味を持つように感じられることがあります。
例えば、若いときに旅した国や文化と、後に仕事や人生の上で深いかかわりを持つようになり、後から振り返ってみると、当時は深い考えもせず適当に行動してきたはずなのに、長年の自分の行動が、現在の人生のすべてに意味のあるつながりをもっているような気がしてくるようなケースがあります。まるで自分の中の超越的な「何か」が、未来の自分をあらかじめ知っていて、そのために昔から着々と準備してきたかのように感じられるのです。
実は、これはあくまでも後付けの解釈にすぎず、そこにはカラクリがあります。
人間の行動はいつでも首尾一貫しているわけではなく、特に若いときにはいろいろな可能性を試してみたり、突拍子もない行動に出たりすることがあります。そうした行動のほとんどは後につながることなく、いわば芽を出さずに終わってしまうわけですが、ごく一部の行動は芽を出し、さらに発展して、その人らしい人生の営みを作り上げる骨格になっていくと考えられます。
逆に言えば、人生の後半になって自分の歩いてきた道を振り返ってみれば、今の自分を作り上げている重要なものは、若いときから着々と生長してきたように見えるはずです。
しかしそれは、実はたくさんの人生の可能性の中から現在まで生き残ったごくわずかな芽に過ぎず、枯れてしまった圧倒的多数の芽のことはもう忘れてしまっているだけなのです。主観的な立場からは、成功して生き残ったわずかな芽しか見えていないので、すべてが必然の流れで、まるで神様の定めたカリキュラムを着々とこなしてきたように見えてしまうのではないでしょうか。
例えば、偉人の自叙伝などを読んでいると、自伝を書いた本人が、まるで若い頃から人生をはっきり見通していたかのような錯覚に陥る事がよくあります。しかしそれは、人に話す価値のない、無駄に終わったたくさんの試みの話はあらかじめ省かれて、成功したエピソードだけが書かれているからではないでしょうか。
カリキュラムという言葉には、将来の目標を見通した上で、効率よく必要な知識や体験を身に付けていくようなニュアンスがありますが、実際の人生はそんなに効率のいいものではありません。それぞれの人にとって人生の意味や生き方は、混乱と無駄の中から、時間をかけてゆっくりと立ち上がってくるものだと思います。
池澤氏はそういうことを充分承知しているので、カリキュラムという言葉をいきなり持ち出すことに、ためらいを感じているのだと思います。
しかしそうは言っても、主観的に人生を振り返った時には、そういう言葉を使わざるを得ないような深い実感があるのも事実です。その一部が錯覚であることを認めたとしても、それでもまだ残る「何か」があります。
若い頃の混乱のさなかでも、「自分はこういう方向で生きるしかない」という直感のようなものがあって、大事な決断の場面ではある程度の確信をもって、意識的に人生の方向を選び取っている部分があるからです。
また、理論的に考え、行動にスジを通すタイプの人なら、若いときからある程度先を見通して、まるで建築物のように人生を組み上げていくこともあるのかもしれません。特に、理系的カラーも強い池澤氏なら、カリキュラムという表現のふさわしい、理知的な見通しと人生の選択があったとしても不思議ではありません。
ところで、池澤氏は旅を通じて、具体的には何を学ぼうとしていたのでしょうか。冒頭に引用したエッセイは次のように続いています。
世界全体を見るのに、日本は決して有利な観測地点とは言えない。中緯度圏、大洋のほとり、経済的には中位(であった)、識字率は高く、統一国家となってからの歴史は長く、国民の大半を占める《日本人》という種族は異民族の支配をうけたことがほとんどない。これらの資質はそれぞれに世界史の平均からの偏りである。いや、世界史は地方ごと民族ごとの偏りばかりで、平均的場所というものはない。日本の偏りをそのまま裏返した場所を見て、両者のベクトル和としての世界像を考える。日本と最も相補的な位置にある場所を見つける。そこが人文地理的な意味でのアンティポードである。ことはそんなに都合よく運ぶものではないが、一度やってみないことには気持ちの収まりがつかなかった。
こういう動機で旅に出る人もいるのです……。
| 1/1PAGES |