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旅の名言 「ヒマでヒマでしょうがなくて……」

 僕は旅はスピードが大切なのだと思っている。乗り物には様々なスピードがあるが、僕にとって飛行機はあまりにも速すぎるのだ。バスは遅いので退屈することが多いのだが、退屈さを僕はそれほど嫌ってはいない。ヒマでヒマでしょうがなくて、あくびを千回ぐらいすると、やっと旅の進行時間になじんでくる。そんなとき初めて、自分は旅をしているのだなあと実感するのだ。
 例えば北京から上海まで千五百キロの道のりがある。飛行機で飛べばわずか三時間の距離だが、列車で行くと二泊三日の旅である。千五百キロの移動時間が三時間では、僕にとっていかにも短すぎるのである。しかし三日ならピンとくる。確かに三時間で行くのは便利には違いないが、千五百キロの距離を実感できない。ということは、そこを旅行したことにならない。
 三日間の旅行中、僕は次々に通りすぎる様々な生活の風景を眺めるだろう。気候が変化すること、言葉が変わっていくこと、いろいろなことを感じながら、充分に納得して上海に到達できるのである。それが僕にとっての旅そのものなのだ。
 さっきも書いたように、それが必ずしも面白いとは限らない。逆につまらないことも多い。しかし、それは仕方がないのだ。何をやったって面白いこともあれば、そうでないこともある。全部ひっくるめて、ああ面白かったなあと思えるのが陸路の旅なのである。


『スローな旅にしてくれ』 蔵前 仁一 幻冬舎文庫 より
この本の紹介記事

バックパッカー向けの旅行専門誌『旅行人』を主宰する蔵前仁一氏の旅のエッセイ、『スローな旅にしてくれ』からの引用です。

蔵前氏は、「僕が飛行機を嫌いな理由」という文章の中で、いろいろ大変だし退屈なことも多いと知りつつ、あえて陸路の旅を選ぶ理由のひとつとして、「旅のスピード」を挙げています。

たぶん多くの旅行者は、自分の住んでいる街から旅の目的地まで一気に飛ぶことができれば、時間の節約になるばかりか、道中の余計な手間もトラブルも避けられるし、旅のおいしいところだけを存分に楽しんで帰ってこられるのではないかと思うはずです。

つまり、旅をスピード・アップし、面倒なプロセスはできる限り省略し、旅のハイライトだけに時間と注意力を集中することが、旅を有意義なものにしてくれるはずだと考えるのではないでしょうか。

実際、人間は長年にわたって、速くて安全で、しかも安価な移動手段を追い求めてきたし、仕事にせよ娯楽にせよ、どこか遠く離れた場所に移動しなければならないときには、道中の面倒や苦痛や退屈をいかに減らすかということにいつも心を砕いてきました。

しかし、蔵前氏や、陸路の旅にこだわる多くのバックパッカーの場合は、必ずしもそうは考えないようです。

彼らが街から街へと移動するとき、列車やバスの車窓を流れていく異国の風景を眺め、気候や言葉の変化を感じとり、移動した距離を自分なりに「実感」することができなければ、「そこを旅行したことにはならない」というのです。

もちろん、旅には人それぞれの楽しみ方というものがあるので、どちらが優れているとか、どちらが正しいという話ではありません。

むしろこれは、旅に何を求め、何を優先するかという、人それぞれの価値観の反映なのだと思います。

ある旅人は、鉄道やバスで移動する間の、ヒマでヒマでしょうがない、何とも手持ち無沙汰な時間みたいなものは、意味のない時間の浪費であり、苦痛だと感じるでしょう。そういう人は、何とかして旅からそういう空白をなくし、自分の持ち時間のすべてを何らかのエンターテインメントや意味のある行為で埋めたいと思うかもしれません。

一方で、そうした空白に思えるような時間こそ、むしろ、「旅の進行時間」になじんでいく大切なプロセスであり、退屈したりつまらなかったりとネガティブに感じることも含めて、それをそのまま受け止めることが、「自分は旅をしているのだなあ」という実感、ひいては、それら「全部ひっくるめて、ああ面白かったなあ」という、旅への深い満足感へとつながるのだと考える人もいるのです。

それにしても、「ヒマでヒマでしょうがなくて、あくびを千回ぐらいすると、やっと旅の進行時間になじんでくる」というのは、旅の時間を心から愛する、旅の達人ならではの名言だと思います。

ところで、格安航空券が普及した現在、鉄道やバスだけで旅することは、交通費や宿泊費のトータルで比べると、飛行機で目的地まで一気に飛ぶよりもはるかに高額になるし、肉体的にしんどいし、トラブルで旅が停滞するリスクもあります。また、蔵前氏が書いているように、いつも面白いことばかり起きるわけでもありません。

私もかなり長いあいだ、陸路にこだわった旅を続けていましたが、今になって思えば、軽快でスマートな旅を楽しむ人々を横目に見ながら、バックパッカーはこうあるべきという変なプライドで、ほとんど意地でやっていた部分もあるような気がします。

それでも、異国の見知らぬ人々とボロボロのバスにすし詰めになり、最大ボリュームで流される現地の流行歌を繰り返し聞かされ、ガタガタ揺られ、埃や雨風を浴び、ときには故障で立ち往生しながら、いつたどり着くのかも、どんな場所かもわからない目的地へじりじりと進んでいくとき、やはり私も、「自分は旅をしているのだなあ」という強烈な実感を、体全体で味わっていたのでしょう。

まあ、私の場合、バスの旅にこだわっていたのは、根が貧乏性で、たんにスマートな旅が似合わないだけだからなのかもしれませんが……。


記事 「アジアのバス旅(1)」


JUGEMテーマ:旅行

at 19:04, 浪人, 旅の名言〜旅の時間

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旅の名言 「その町に流れる時間軸に……」

 その町に流れる時間軸に、すっと入りこめるときがある。どんな町でもだいたい、滞在三日か四日目でそういうときがやってくる。そこでくりかえしおこなわれている日常が、肌で理解でき、自分がそこにくみこまれているのだと理解する瞬間。
 隣のホテル前のパン屋では、小太りのアルバイト青年が店を開ける。昼すぎには、彼はおしゃべりな女の子二名と交代する。ダウンタウンの裏手にあるファストフード屋は、どうやら若い子たちの秘密のデート場らしい。私の宿泊してるホテルのホールでは、小規模なフラ大会や、小学生のパーティが開催されていたりする。時間はゆっくり流れ、私の日々が町に溶けこんでいく。なんでもない夕焼けや、雨上がりの濡れた車道が、ああ本当にうつくしいなあと気づくのはそういうときだ。

『いつも旅のなか』 角田光代 角川文庫 より
この本の紹介記事

作家・角田光代氏の旅のエッセイ集、『いつも旅のなか』からの引用です。

角田氏は、あるとき、一度ボツになった小説を書きなおすという、急で気のすすまない仕事を仕上げる必要に迫られました。彼女は自分を追い込むために、自主的に「カンヅメ」になることを思い立ち、 ハワイに飛んで、ハワイ島のヒロにしばらく滞在します。

そこで執筆を始めた彼女は、食事をとったりするために、ホテルのあるバニヤン・ドライブ地区を出て、ダウンタウン地区まで歩くのが日課になりました。

同じような日課を繰り返す中で、角田氏は少しずつヒロの町になじんでいき、やがて、美しい瞬間が訪れます。

ヒロで静かに繰り返されている日常を、彼女が肌で理解した瞬間、「その町に流れる時間軸に、すっと入りこ」んだ瞬間。そのとき、目の前の世界が、親密でありながら、新鮮で美しい光景として立ち上がります。

こういう瞬間を味わうことができるのは、スケジュールに追われることなく、居たいと思った場所に好きなだけ滞在できる、自由な個人旅行者ならではの特権です。

スローペースで旅する人なら、こういう瞬間をよく知っているはずだし、角田氏の文章に、大いに共感できるのではないでしょうか。

それにしても、その瞬間が訪れるのが、どんな町でも滞在3日か4日目、というのはとても面白いポイントです。

以前に、このブログに「滞在3日以上」の法則というのを書いたことがあります。

大都会を除けば、どんな町や村でも3泊以上していると、特にそのつもりはなくても、地元の人か旅人の誰かと出会い、親しくなるという個人的「法則」です。

もちろん、そこには別に神秘的な理由があるわけではありません。

1日や2日しか滞在しない町では、移動や観光でバタバタしていて、ゆったりと過ごせる時間があまりないからで、3泊以上すると、時間的にも気持ちにも余裕が生まれ、顔見知りになった人と時間を気にせず話をしたり、道端で話しかけてくる現地の人にも、オープンな気持ちで対応できるので、結果として誰かと親しくなる、ということなのだと思います。

別の言い方をすれば、私の場合、同じ町に何日か滞在していると、非日常の「移動モード」だった心の状態が、3泊目あたりを境に、日常の「生活者モード」へと徐々に切り替わっていく、ということなのかもしれません。

自分にとって未知の町でも、何度も街を歩き回り、少しずつ馴染んでいくうちに、行きつけの食堂とか茶店とか、お気に入りの散歩ルートや日課など、生活のリズムやパターンが生まれてきます。それに伴って、心の緊張が解け、町の人々の暮らしの細部に注意を向ける余裕も生まれてくるということなのでしょう。

そしてそれは、旅人の心の中で流れる時間が、少しずつ滞在先の時間の流れとシンクロし始める、つまり、角田氏の言うように、「その町に流れる時間軸に、すっと入りこ」んでいくということなのだと思います。

短い時間であちこちを見て回るような旅だと、どの町も慌しく通り過ぎることになり、結果として、現地の人々の日常を肌で理解することは難しくなりますが、旅人がその歩みをゆるめ、それぞれの町の時間の流れに寄り添い、身の周りのこまごまとしたできごとを静かに見つめるとき、「時間はゆっくり流れ、私の日々が町に溶けこんでいく」のです。

ただし、そんな幸福な瞬間も、永遠には続きません。一つの町に長居をし過ぎれば、それはやがて、感動のない、当たり前の日常へと変わっていきます。

旅人の心が、移動のもたらす気ぜわしさや、疲れや不安から離れ、また一方で、生活の繰り返しがもたらす倦怠や粘着性にも捕らえられていない、一種の無重力状態にあるとき、その好奇心はあらゆる方向に広がり、心に触れるすべてが、みずみずしい美しさに満ちて感じられます。

旅人は、そんな微妙で幸福な瞬間を求めて、何度も旅を繰り返すのかもしれません。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:30, 浪人, 旅の名言〜旅の時間

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旅の名言 「旅先では……」

 放浪の旅はたんに人生の一部を長期間の旅に当てることではなく、時間という概念そのものを再発見することなのだ。日常の生活においては、われわれはつねに要点を把握して物事を片づけるよう習慣づけられている。目的を念頭に置きつつ効率を重んじ、瞬時に判断を下していかなければならない。でも旅先では、先々のスケジュールを気にすることなく、目にするものすべてにまた新しい目を向け、一日、一日を自由に過ごすことを学ぶことになる。

『旅に出ろ! ― ヴァガボンディング・ガイド 』 ロルフ・ポッツ ヴィレッジブックス より
この本の紹介記事

またまた、放浪の旅へのガイドブック、『旅に出ろ!』からの名言です。

やや抽象的な表現なので、この文章にピンとこない方もおられるかもしれませんが、ある程度長い旅をして、旅の中でいろいろと思索したことのある人なら、ポッツ氏の言わんとするところが何となく理解できるのではないでしょうか。

ポッツ氏によれば、私たちの日常生活と放浪の旅とでは、時間の使い方、というよりも時間のとらえ方が根本的に違うのです。もっとも、これは放浪の旅すべてがそのようなものであるというよりは、彼にとっての真の放浪とは、そのようなものを意味するということなのですが……。

いわゆる先進国の、特に大都会での日常というのは、明確な目的意識・瞬時の判断・効率的な行動の積み重ねによって成り立っています。

都会で暮らしていくには、住むところを始めとして多大なコストがかかるし、さまざまな欲望をかきたて、誘惑する機会も数え切れません。そんな中で、自分がやるべきことを見失ったり、ムダなことに首を突っ込んだりしていては、人生に成功するどころか、都会でまともな生活を続けていくことも難しいでしょう。

私たちは、都会的な生活の中で揉まれるうちに、目的という未来の一点に向けて注意を集中し、システマティックな行動を計画し、目標に至る最短ルートを駆け抜けるような生き方を身につけていきます。そのルートの途中では、私たちの気を引くさまざまなものを目にするかもしれませんが、自分の目的に関係のないものや、目標達成の障害になりそうなものは無視し、排除するコツを覚えていくのです。

それは現代人にとって、どうしても必要な生活技術なのですが、そうした生き方にどうしても違和感を感じ、なじめないという人もいるはずです。それに、人生の目標がいまだに見つかっていない人や、ハッキリと定まっていない人は、そもそも目標に向かって走り出すことができません。

また、目的を効率的に追求するといっても、あまりにもそれを突き詰めすぎれば、未来の何かのために現在をひたすら犠牲にするような毎日となり、生活そのものが、味もそっけもない、砂を噛むようなものになってしまうこともあるのではないでしょうか。

そんなときは、一つの方法として、ポッツ氏の言うような意味での放浪の旅が、私たちにもう一度、新鮮な気持ちでこの世界と向き合うようになるきっかけを与えてくれるかもしれません。

目標や計画、効率といったものをいったん棚上げにして、まっさらな気持ちで旅先のリアリティに向き合うこと。幼い子供のように、目にするものすべてに新鮮な驚きを感じ、将来の目標のためではなく、今現在の一瞬を深く味わうこと。

目的や将来の計画に縛られず、今ここでやりたいと思うことを見出し、それに素直に従うような日々を旅先で過ごすことで、私たちは、都会の忙しい日常の中でいつの間にか忘れてしまっていた感覚を取り戻すことができるかもしれません。

異国の見知らぬ環境に飛び込み、風の向くままぶらぶらと旅するという行為は、とにかく理屈ぬきに新鮮な驚きの連続を味わえるという意味でも、一日一日を大切にし、自由な気持ちで過ごすコツを学ぶという意味でも、私たちの時間に対するとらえ方を見直す、またとない機会なのかもしれません。

もちろんそれは、言葉の通じない不安、慣れない生活の不便、さまざまな失敗やトラブル、移動生活に伴う肉体的・精神的疲労など、さまざまの苦労と引き換えにようやく得られるものなのですが……。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:44, 浪人, 旅の名言〜旅の時間

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