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旅の名言 「放浪の旅で待ち受けている……」

 放浪の旅で待ち受けている冒険や挑戦の中で最もむずかしいのは、家に帰ることかもしれない。
 帰郷することは、楽しかった旅の喜び、自由、思いがけない出来事との出会いがもう終りになるということであり、残念なことだと思うだろう。しかし、海外で生き生きとした経験をして家に帰ると、ただただ変な感じがして落ち着かなく感じられることもある。すべては自分が旅に出る前となんら変わりないかのように見えるのに、まったく違うもののように感じられるのだ。
 この家に帰るという体験をうまく言葉で表すために、T・S・エリオットの『小さな眩暈』がよく引用される。

  すべての探険の最後に待っているのは
  出発した場所に戻ることだ
  そしてその場所をはじめて知ることになるのだ

 示唆に富んだ言葉ではあるが、自分の故郷をはじめて「知る」というのは、本来なじみ深いはずの場所で自分をよそ者のように感じるということだ。

 
『旅に出ろ! ― ヴァガボンディング・ガイド 』 ロルフ・ポッツ ヴィレッジブックス より
この本の紹介記事

これから放浪(ヴァガボンディング)の旅に出ようとする人のために、その心構えと実際を説いた入門書、『旅に出ろ!』からの引用です。

旅に出る人は、これから旅先で出会うだろう新奇なものごとや、未知の人々との交流への期待に胸をふくらませることはあっても、さらにその先、自分の旅が終わった後に何が起こるかまでは考えていないのがふつうです。まして、長い旅ともなると、そもそもいつ旅が終わるのかさえ分かっていないかもしれません。

しかし、以前にこのブログでも何度か触れましたが、長い旅を終えて久々に帰郷すると、人によっては、激しい「逆カルチャーショック」に襲われることがあります。
旅の名言 「旅に出ても……」

旅人は、勝手知ったる土地に戻る以上、また昔と同じ生活が始まるだけだと思いがちですが、数カ月ぶり、あるいは数年ぶりに帰国して、見慣れた懐かしい風景を目にし、親しい人々と再び言葉を交わしてみると、「すべては自分が旅に出る前となんら変わりないかのように見えるのに、まったく違うもののように感じられる」のです。

もちろん、流れた歳月によっては、そこに多少の外見上の変化はあるでしょうし、世の中の流行もすっかり移り変わってはいるでしょうが、ここで言う「まったく違うもののよう」とは、そうした外面的な違い以上に、生まれたときから何の不思議もなく受け入れてきた、自分の国や社会のすべてのものごとに対して、内面的に感じる、何ともいえない違和感を意味しています。

旅人は、旅を通じて自分の内面が劇的に変わってしまっていたことに、たぶん、旅が終わるまでほとんど気づかずにいます。鏡なしには自分の姿が見られないように、自分の変化は、何か自分自身を正確に映し出してくれるものを通してしか、感じとることができないからです。

彼らは、かつて見慣れた世界、旅をする前の自分が何の違和感もなく適応していた世界に再び投げ込まれることをきっかけに、そこに何ともいえない大きなズレを感じ、自分がどれだけ違う人間になってしまっていたか、激しいショックとともに自覚することになるのです。

しかも、多くの旅人は、逆カルチャーショックについての予備知識などなく、そういうことが起きること自体を知らないか、旅仲間から事前にそういう話を聞かされていても、それが大変な体験になるかもしれないなどとは思ってもみないでしょう。

帰国した瞬間から感じ始めた違和感は、むしろ時間が経つほどに強くなっていきます。その変な感覚をどうにもうまく説明できなくて、自分が精神的におかしくなってしまったのだと勘違いしてしまう人もいるかもしれません。

まあ、こうした帰国ショックがどのようなものになるかは、旅人の性格とかこれまでの人生経験などによっても大きく違うだろうし、もちろん、ふつうは特に何の対処もしなくても、時間が解決してくれます。違和感は自然に克服され、いつの間にか、再び周りの世界に融け込めるようになるでしょう。

ただ、どれだけ世の中にうまく再適応できたとしても、敏感な人なら、そのときの違和感がいつまでも心の奥底に残り続けていること、そして、もう二度と、その違和感から逃れることはできないことに気がつくのではないでしょうか。

旅を通じて訪れた国々が、かつての自分にとっては「外」の世界であったとするならば、自分が生まれ育った国や社会は「内」なる世界であり、生まれたときから、自然に自分と一体化していたはずです。

それが、自分にとって違和感のある世界に感じられ、まるでその世界を「はじめて知る」かのように、いちいち心に引っかかるというのは、そこもまた、自分にとっての「外」側になったということ、つまり、自分にはこれまで「内」側として感じられていた親密な世界が、もはやそうではなくなってしまったということです。

長い旅を終えた旅人は、帰郷して、自分がすでに「故郷」を失ってしまっていたことに気づくのです。

そして、一度失われたものが、再び戻ってくることはありません。

そう考えると、たしかに、「放浪の旅で待ち受けている冒険や挑戦の中で最もむずかしいのは、家に帰ること」なのかもしれません。

もちろん、旅人の心の中で、故郷に対する違和感が消え去ることはないとしても、たぶん、自分の国や土地に対する思い入れの深さが変わることはないだろうし、生まれた場所というのは、本人にとって死ぬまで特別な場所のひとつであり続けるのでしょう。

それでも旅人は、たとえ自分の国で暮らしていても、そこがもはや、なじみ深い身内の世界ではなく、他の国々と本質的には変わらない、一つの滞在先に過ぎなくなってしまったことも、心の片隅で感じ続けることになるのです。

それは、何とも切なく、哀しいことであるのかもしれません。

しかし同時に、そうした「よそ者」になることによってはじめて、旅人は、自分がその中で生まれ育った小さな世界を、これまでとは全く別の新鮮な目で見つめることができるし、それによって、これまで当たり前すぎて意識することもなかった、その小さな世界の美しさに、改めて気づかされるのかもしれません。


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at 18:59, 浪人, 旅の名言〜旅の終わり・帰還

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旅の名言 「旅それぞれに寿命が……」

旅それぞれに寿命が異なっていて、予想もつかないように思えるのだ。旅人が帰宅する前に寿命が尽きて終わってしまう旅があることは、きっと誰もが知っているのではないだろうか? 逆もまた真なりだ。足を止め、時が過ぎた後になっても長く続く旅がたくさんある。

『チャーリーとの旅』 ジョン スタインベック ポプラ社 より
この本の紹介記事

ノーベル賞作家のスタインベック氏が、愛犬チャーリーとキャンピングカーでアメリカを一周する旅を描いた、『チャーリーとの旅』からの一節です。

旅というのは、常識的には、家を出てどこか別の場所に向かい、再び家に帰ってくるまでのことだと考えられているし、実際そう考えることで、ふつうは何の不都合もないはずです。

しかし、スタインベック氏によれば、旅には寿命というものがあって、その長さは旅によって異なり、家を出て再び家に帰りつくまでの期間とは必ずしも一致しないことがあるというのです。

もちろん、毎日の通勤通学とか、近所への買い物とか、ちょっとした週末の小旅行くらいでは、そういうズレが起きることはないでしょう。

しかし、旅人にとって深い意味をもつ旅や、非常に長い旅、あるいは、旅での思いがけない出来事が、旅人の生き方に大きなインパクトを与えるような場合には、旅の物理的な時間と心理的・内面的な旅のプロセスとの間に、大きなギャップを感じることがあるのかもしれません。

例えば、スタインベック氏は、この本で描かれているアメリカ一周の旅が、自分の中では、自宅に帰りつく前にすでに終わってしまっていたことを告白しています。

 私自身の旅はというと、出発よりずっと前に始まり、帰宅する前に終わった。
 旅が終わった場所も時間もしっかり覚えている。ヴァージニア州アビンドン近くの急カーブで、風の強かった日の午後四時だ。前触れもなく別れの挨拶もキスもなく、旅は私から去っていってしまった。私は家から離れた場所で取り残されてしまったのだ。
 私は旅を呼び戻して捕まえようとしたが――愚かで無駄なことだった。旅が終わり、もう戻ってこないのは明らかだったのだ。道は延々と続く石の連なりとなり、丘は障害物となり、木々は緑色の霞となった。人々はただの動く影となり、頭はついていても顔はないのと同然だった。道沿いの食べ物はどれもスープのような味しかしなかったし、実際にスープだって構わなかった。

そして、彼にとっては、アビンドン以降の道のりは「時間も出来事もない灰色のトンネルのようなもの」で、その道中の記憶が何も出てこないのだといいます。

このように、実際の時間よりも短命な旅があれば、その反対に、寿命の長い旅というのもあるはずで、それについて、彼はこんな例を挙げています。

 私はサリーナスにいた男のことを覚えている。彼は中年時代にホノルルに旅行に行ってきたのだが、その旅は彼の生涯にわたって続いたのだ。玄関先のポーチで揺り椅子に座っている彼をよく見かけたが、目を細めて半ば閉じたまま、永遠にホノルルを旅しているようだった。

まあ、いずれにしても、旅人の心の中で旅が終わったかどうかは、あくまで当人の主観で判断することであって、極端な話、どうとでも言えてしまうわけですが、実際には、旅の外面的・内面的なプロセスの間に大きなギャップが生じて、本人でさえ驚いてしまうようなことがたびたび起きるのでしょう。

考えてみれば、映画や本などでも、最初の30分くらいですっかり飽きてうんざりしたり、先が全部見通せてしまい、すでに気持ちの上では終わっているのに、何となく義務感や惰性に引きずられて、最後まで見たり読んだりしてしまうということはあります。また逆に、作品の印象が強烈で、鑑賞し終わってから何時間も何日も、場合によっては何年ものあいだ、その作品が心から離れないということもあるでしょう。

旅に関しても、似たようなことが言えるのかもしれません。

ある旅は、いつまでも醒めない夢のように、旅人を生涯にわたって魅惑し続けるだろうし、別の旅は、途中で突然幕が下りてしまい、旅人をとまどわせることになるのでしょう。そしてそうした旅の寿命は、人生と同じく、事前には「予想もつかない」もので、実際に旅に出て、それを全うしてみないことには何とも言えないのです。

もっとも、それぞれの旅の寿命というのは、旅する本人にとっては重要でも、結局は非常に個人的な問題であって、旅の武勇伝とかみやげ話ならともかく、他人にとってみれば、まあ、どうでもいい話ではあるのですが……。


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at 18:54, 浪人, 旅の名言〜旅の終わり・帰還

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旅の名言 「私はもう、……」

もはや見るものも聞くものもないとばかりに、私はひたすら車を走らせてきた。私はもう、見聞して吸収する限界を越えてしまったのだ。満腹した後になってもひたすら食べ物を詰め込み続ける男のようなものである。
 目に入ってくるものがみんな同じように見え、戸惑いを覚えていた。どの丘も、みんな一度通ったように見えるのだ。マドリード のプラド美術館で百枚もの絵画を見た後にもこんな風に感じた。――視覚が満腹したどうしようもない状態で、これ以上見ることはできそうもなかった。


『チャーリーとの旅』 ジョン スタインベック ポプラ社 より
この本の紹介記事

ノーベル賞作家のスタインベック氏によるアメリカ旅行記、『チャーリーとの旅』からの引用です。

彼はキャンピングカーに愛犬チャーリーを乗せて東海岸を出発し、反時計回りにアメリカをぐるりと一周する長い旅に出るのですが、西海岸に達して再び東をめざし、南西部の大分水嶺に至って、旅もいよいよ大詰めにさしかかろうというところで、ついに彼の好奇心はすり切れてしまいます。

美術館で膨大な絵画を見ているうちに感覚が麻痺して、せっかくの名画がどうでもよくなってしまうように、彼の視覚は飽和状態になって、車窓から眺めるものすべてが同じに見えてしまうのです。

旅が一度こんな状態になってしまうと、あとはただ機械的に移動を続けているだけで、そこにはもう、新鮮な驚きや喜びはありません。スタインベック氏は、旅の感動を失った状態で、ただひたすらゴールに向かって車を進めるしかありませんでした。

そして、これは彼だけが体験した特別な状態ではなく、状況次第でどんな旅人にも起こり得ることです。特に、何か月、あるいは何年という長い旅をしたことのある人なら、その多くが、似たような経験をしているのではないでしょうか。

旅への倦怠というか、精神の飽和状態というか、こういう無感動状態は、旅先の風景に対してだけでなく、旅のあらゆる体験を不毛なものにしてしまいます。旅に出た当初なら間違いなく感動したはずの素晴らしい景色や、面白い人物に出会っても、以前にどこかで同じ経験をしたような感覚が、旅人をしらけさせてしまうのです。

こんなとき、失われた感受性を取り戻そうとして、さまざまな試みをする旅人もいます。目先を変えるために、気候や風土の異なる別の国や地方に足を向けてみるとか、新しい旅のテーマを探すとか、あるいは逆に、ひとつの場所に腰を落ち着けてアルバイトでもしながら、旅への好奇心が再び高まってくるのを待つとか……。

そして、それでもどうにもならないとき、旅人に残された道は、スタインベック氏のように、ただひたすら家路へと急ぎ、旅を早く終わらせることだけです。

ひとつの旅で人間が受け入れることのできる経験に一定の限界があるのだとすれば、それが、旅の終わりを決める一つの要因になるのかもしれません。

もっとも、新鮮な感受性が失われたからといって、必ずしも旅をやめる必要はないかもしれません。旅人にとってあまり現実的な判断ではありませんが、理屈のうえでは、感受性をすり切らしたまま、あえて苦しい旅を続け、そういう状態を突き抜けた先に何が見えてくるか、自分の目で確かめてみる、という道もあります。

しかし、さすがに私も、そこまで無理して旅を続けた経験はありません。だから、その先に何が起こるのかについては何ともコメントしようがないし、他の旅人にそれを勧めようとも思いません。

そして実際、その先には何もなく、どこまでも不毛な旅が続くばかりで、それはきっと、単なる孤独な我慢大会になってしまうような気がします……。


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at 18:53, 浪人, 旅の名言〜旅の終わり・帰還

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旅の名言 「義理で配らなければいけないみやげ物を……」

 義理で配らなければいけないみやげ物を、旅行中のかなりの時間とかなりのカネを使って買い集め、しかしもらってもちっともうれしくないという日本の習慣は、早くなくなってしまえばいいと思う。
「そうはいかないのよ」という声が、全国各地から聞こえてきそうだ。みやげ物は、私に関係のない世界のことだから、どうでもいいけど。


『アジア・旅の五十音』 前川健一 講談社文庫 より
この本の紹介記事

アジアの旅にまつわる短いエッセイを集めた、前川健一氏の『アジア・旅の五十音』の、「みやげ物」の項からの名言です。

本当にその通り! としか言いようがありません(笑)。

他の国では、みやげ物に関してどのような習慣があるのか、私はよく知りませんが、(旅行が人生の大イベントだった昔ならともかく)今の日本で、みやげ物を配り歩く習慣が果たして必要なのか、大いに疑問です。

でもまあ、こういうことは結局、旅人それぞれの個人的なポリシーの問題なので、やめる・やめないは各人が決めればいいことです。

それに、私も偉そうなことを言いつつ、みやげ物をきっぱりと全廃したわけではありません。帰国後に会う身近な人に対して、全く手ぶらというわけにもいかず、ほんの気持ち程度のものを買ってきたりすることはあります。

もっとも、この「ほんの気持ち」というやつこそ、いちばんのクセモノで、それこそまさに義理であり、日本的習慣なのだと言われてしまいそうですが……。


JUGEMテーマ:旅行

at 19:16, 浪人, 旅の名言〜旅の終わり・帰還

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旅の名言 「自分はどこでも生きていくことができるという思いは……」

 地続きでアジアからヨーロッパに向かったことで、地球の大きさを体感できるようになった。あるいは、こう言い換えてもよい。ひとつの街からもうひとつの街まで、どのくらいで行くことができるかという距離感を手に入れることができた、と。行ったのは香港からロンドンまでだったが、体の中にできた距離計に訊ねれば、それ以外の地域でも、地図上の一点から他の一点までどのくらいの時間で行けるかわかるようになった。
 あるいは、私が旅で得た最大のものは、自分はどこでも生きていけるという自信だったかもしれない。どのようなところでも、どのような状況でも自分は生きていくことができるという自信を持つことができた。
 しかし、それは同時に大切なものを失わせることにもなった。自分はどこでも生きていくことができるという思いは、どこにいてもここは仮の場所なのではないかという意識を生むことになってしまったのだ。
 私は日本に帰ってしばらくは池上の父母の家にいたが、すぐに経堂でひとり暮らしを始めた。
 夜、その部屋の窓から暗い外の闇を眺めていると、ふと、自分がどこにいるのかわからなくなる、ということが長く続いた。そこが自分の部屋であり、家なのに、旅先で泊まったホテルの部屋より実在感がないような気がしてならなかった。


『旅する力 ― 深夜特急ノート』 沢木 耕太郎 新潮社 より
この本の紹介記事

旅行記の名作『深夜特急』の著者である沢木耕太郎氏が、自らの半生を旅という切り口で振り返るエッセイ、『旅する力』からの引用です。

沢木氏は、ここで、『深夜特急』として描かれることになった20代のユーラシア大陸の長い旅で得たもの、そして失ったものについて深く思いをめぐらしています。

そして、その最後の部分、旅を終えて日本に帰ったとき、家であるはずの自分の部屋さえもが「仮の場所」に思えてしまった、つまり、自分にとってそこがホームだと言えるような、特別に親密な場所を失ってしまったという思いに、私は強く共感を覚えます。

私も、アジアを旅して日本に戻ったとき、同じような違和感がありました。旅を終えて、再びスタート地点に戻ってきたはずなのに、その場所は、かつてのような特別な重みを失ってしまっていて、まるで、次の旅までの一時的な中継点にすぎないように感じられて仕方がありませんでした。

もちろん、旅の途上で泊まり歩いた安宿にくらべれば、日本の住まいははるかに快適だし、日本語がどこでも通じるし、勝手知ったるおなじみの世界で生活する安心感というのは他の国では味わえないものです。

それに私の場合は、旅によって「自分はどこでも生きていけるという自信」を得たという沢木氏のような境地にまでは至っていません。

それでも、日本での住まいがあくまで「仮の場所」に見えてしまうという感覚は、否定しようもないほどはっきりしていたし、それは今なお消えることがありません。そしてまた、自分の中には常に、いずれはきっとここを出て、どこか別の場所に向かうだろうという予感があるのです。

どこにいても、そこが「仮の場所」であると思えてしまうこと、それは、裏を返せば、日本に戻ってからも、自分の内面ではずっと旅が続いているということです。

きっと、旅を続けているうちに、いつの間にか、日々の生活と旅が融け合ってしまい、どこからどこまでが旅で、どこからどこまでが日常生活かという区別がつかなくなってしまったのでしょう。それに、私は旅を通じて、一つの場所に縛られない自由の喜びに目覚めてしまったのだと思います。

ただ、それは同時に、深い帰属感をどこにも感じることのできない寂しさをもたらしました。もしかすると、ある場所が自分にとって何よりも特別だという感覚は、生きているかぎり、もう二度と味わえなくなってしまったのかもしれません。

もっとも、これは、長い旅だけが原因ではないという気もします。そこには、私自身の生い立ちや性格も、多少は影響しているのでしょう。

親の転勤で、子ども時代に何度か引っ越しをしたし、その後も、学校や仕事に合わせて何度も住所を変えました。だから私には、もともと自分の故郷と呼べるような場所がないし、多くの人にとっての故郷のように、特別な場所を深く思う気持ちも、それを失うことへの怖れも、本当の意味で感じたことがない気がします。

旅は、そうした、私自身の以前からの傾向を、よりはっきりとさせただけなのかもしれません。

ただ、アジアの国々を旅したことで、日本という島国全体に対する愛着みたいなものは非常に増した気がします。例えば、日本にしかない美しく繊細な風土や文化、そこに暮らす人々の真面目さや誠実さなど、日本を離れることで初めてその貴重さに気づいたものが多々ありました。

また、愛着というほどではないですが、これまで旅をしたアジアのさまざまな土地と、そこに生きる人々に対して、緩やかなつながりのようなものも感じるようになりました。

もしかすると、実家とか、自分の部屋とか、あるいは近所の見慣れた土地に対する特別な思いは、旅によって私自身の視野が多少なりとも広がったことで、日本やアジアの各地と、そこに暮らす人々に対する、緩やかな愛着のようなものに形を変えたのかもしれません。

もっとも、それによって失われた「大切なもの」のことを思うと、それが果たして自分にとってよかったのかどうか、よく分かりませんが……。


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at 18:56, 浪人, 旅の名言〜旅の終わり・帰還

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旅の名言 「どこかやっていけそうな気になって……」

 死ぬつもりでカオサンに流れ着いたという日本人は、タイという国とタイ人に幻惑され、しだいに元気をとり戻していく。しかしそれは、タイという国が演出してくれる舞台で踊っているのにすぎない。どこかやっていけそうな気になって日本に帰ったとしても、待ち構えているのは、自分自身の心の均衡を狂わせ、弾き出そうとした不寛容な日本社会なのだ。
 彼らはまたタイにやってくるのだろうか。やがてその回数は増えていくのかもしれない。そのうちに、日本とタイのバランスが決まっていくのだろうか。ベースを日本におき、あくまでも旅行者にこだわる人もいるだろう。人によっては外こもりに近づいていってしまうのかもしれないが、それが心のバランスを保つ支点なのだろう。その点がみつかればなんとかやっていける気もする。
 日本で生きていくことはつらいのかもしれないが、日本人であることを捨てることもまたできないからだ。

『日本を降りる若者たち』 下川 裕治 講談社現代新書 より
この本の紹介記事

旅行作家の下川裕治氏の著作、『日本を降りる若者たち』からの一節です。

この本には、日本人の間に増えているといわれる「外こもり」(派遣やアルバイトで集中的に金を稼ぎ、東南アジアなど物価の安い国で金がなくなるまでのんびりと生活するライフスタイル)の実態が描かれています。

タイでの外こもりの場合、彼らの多くは、バックパッカーの溜まり場であるバンコクのカオサン通り周辺のゲストハウスや、市内のアパートにこもって、毎日ぶらぶらと過ごしています。忙しい日本人の目からすれば、それはほとんど非生産的な暮らしにも見えます。

しかし、下川氏は、自らもかつて仕事を辞めて世界を放浪したり、バンコクに長期滞在した経験もあるだけに、彼らを突き放した目で見たり、彼らの生き方を単純に批判したりはしません。

ただ、だからといって、一方的に彼らの肩をもつわけではないし、外こもりという生き方に将来への明るい見通しがあるとも思ってはいないようです。

それは、外こもり、あるいはその予備軍である人々が、どうやってその生活を維持しているのか、この本によってその実態を知れば、おのずと見えてくることでもあります。

日本の社会で追い詰められた人間がタイにやって来て、日本の息苦しさから解放され、一時的に癒された気分になっても、いずれ手持ちの金はなくなるわけで、そうなればタイで仕事につくか、日本に帰るしかありません。タイで日本人がつけるような仕事といえば、結局その多くは日本の企業社会と深い関わりをもたざるを得ないし、もちろん日本に帰れば、以前と同じ問題が待っています。

それに加えて、タイでの暮らしが長くなって、タイの流儀に染まりすぎてしまえば、日本で働くことの心理的なハードルが、さらに高くなりかねません。

タイに逃れてきた人々がそこで生きる元気を取り戻すのだとしても、下川氏の言うように、それは「タイという国が演出してくれる舞台で踊っているのにすぎない」のであって、彼らの誰もが遅かれ早かれ、「自分自身の心の均衡を狂わせ、弾き出そうとした不寛容な日本社会」と、再び対決することを迫られるのです。

しかし、私は思うのですが、日本から逃げるという選択肢を思いつかず、あるいはプライドのために選ぶことができず、「不寛容な日本社会」にそのまま押しつぶされてしまうことにくらべれば、タイや他のアジアの国々にとりあえず逃げるというのも、実は考えるに値するまっとうな選択肢の一つだと思うし、少なくともそれによってある程度の時間稼ぎをし、再び問題と対決するための元気を取り戻すことはできるわけです。

また、一度海外での暮らしを体験することによって、いざとなったら日本と他の国を往復しながらでも生きていけばいいのだと開き直ることができれば、たとえ問題はそのまま残るとしても、今までよりは楽な気持ちで生きていけるようになるのではないでしょうか。

自分の居場所を一つの国、一つの場所だけに求めるのではなく、自分の心の状態に応じて、居場所を地球上のあちこちに見出し、日本と海外を振り子のように行ったり来たりすることも、私は立派な生き方の一つだと思います。

そして、そうした前提で考え、行動するなら、どのような形で、どのくらいの比率で居場所を組み合わせるか、それぞれの人が自分なりのパターンや、「心のバランスを保つ支点」を見出していけるのではないかと思います。

そこに行きつくまでの間、必死になって居場所を探したり、生活のバランスをなんとか維持しようとするプロセスは、面倒で苦痛を伴うかもしれませんが、今の日本社会に不適応を感じている人にとっては、もしかするとそれが、もっとも現実的な生き方の選択肢の一つであるのかもしれません。

日本で生まれ育ち、日本語を母語として生きる私たちのほとんどは、最後まで日本人であることを捨てられないし、一方で、どこか他の国の人間に完全になり切るという覚悟も持てないと思うので……。


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at 18:54, 浪人, 旅の名言〜旅の終わり・帰還

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旅の名言 「日本という国は……」

 日本という国はとりたてて引力が強い国のようだった。この国に暮らしていると、いつの間にか体が重くなり、足どりの軽さを失ってしまうのである。社会にはもつれた人間関係という罠がそこかしこにしかけられていて、僕などは実に頻繁にひっかかってしまうのである。日本に暮らす人々は、生活とか人生といった言葉を巧みに使って、僕の足をしきりに引っぱろうとするのである。旅のなかで軽くなってきていた僕の人生は、またしても日本でどっさりと重荷をかけられるのである。
 気がつくと、僕は旅行代理店に走り、ザックに荷を詰めはじめてしまっていた。行き先はどんな国でもよかった。南の貧しい国ならどこでもよかった。そこには明日のことなどなにも考えない男がたむろしていて、そこに紛れて暮らさなければ、僕は自分に負わされた重さのようなものに押しつぶされてしまいそうな気がしたからだ。


『アジアの弟子』 下川 裕治 幻冬舎文庫 より
この本の紹介記事

旅行作家の下川裕治氏が、旅を通じてアジアと関わってきた自らの半生を綴った作品『アジアの弟子』からの引用です。

27歳で新聞社を辞め、アフリカとアジアへの長い旅に出た下川氏は、帰国後フリーのライターとして忙しい日本の日常に戻りますが、多忙で重苦しい日本での生活に押しつぶされそうになった彼は、再び旅に出たいという思いを抑えることができませんでした。

「日本という国はとりたてて引力が強い国のようだった」という表現は、日本とは違う世界を知ってしまった者にとって、帰国後の偽らざる実感だったのではないでしょうか。

もちろん、日本人でありながら、日本の社会に対してこのようなコメントをすれば、周囲から冷ややかな視線を浴びることを覚悟しなければならないでしょう。日本の社会に適応し、毎日歯を食いしばって仕事をこなしている人たちからは、「何を甘えたことを言ってるんだ! 黙って仕事しろ!」と怒りの鉄槌が下されそうです。

しかし、長旅を通じて、アジアの貧しさと、その裏返しとしてのシンプルで軽い生き方に身を浸してきた下川氏は、今まで生きてきた日本の社会をすっかり相対化してしまうような、強固な視点を内面化してしまったのではないでしょうか。

帰国したとき、彼の目に映った日本は、出発前とはすっかり違っていたはずです。彼は、自分がそれまで旅してきたアフリカやアジアとは違う、むしろその対極とも思えるような日本社会の姿を、嫌でも意識せざるを得なくなってしまったのではないでしょうか。

日本は自分が生まれた重要な国だとしても、他の社会との比較の上で相対的に眺めれば、その素晴らしいところも嫌なところもくっきりと見えてきます。そして旅人にとって、日本の社会で生きることはただ一つの選択肢なのではなく、もはや、この地上に存在する数多くの人生の可能性のうちの一つに過ぎないのです。

ただ、そうした状況は多くの旅人に共通しているとしても、その中で自分がどんな道を選び取っていくかは、旅人によって大きく異なります。

人によっては、すべてを忘れ、何事もなかったかのように再び日本社会にどっぷりと身を浸すことができるだろうし、あるいは逆に、日本社会での「逆カルチャーショック」に耐え切れず、日本を飛び出してそのまま戻ってこない人もいるかもしれません。

しかし多くの旅人は、多かれ少なかれ、日本に魅力を感じ、そこで再び生きていこうとする自分と、旅先で見た別の社会や別の生き方に強く心惹かれる自分との間で引き裂かれ、いずれかをハッキリと選ぶ決心もつかないまま、モヤモヤとした宙ぶらりんの日々を送ることになるのではないでしょうか。

そのモヤモヤが我慢できる程度ならともかく、葛藤が非常に激しい人にとっては、これはとても辛いことです。下川氏は、その苦しみからの逃げ場を求めるように、その後も仕事の合間を縫って、アジアへの短い旅を繰り返しています。

しかしこれは、彼に限ったことではなく、海外、特にいわゆる開発途上国への長い旅を終えて帰国した者が、多かれ少なかれ陥る状態なのではないでしょうか。

長旅に出発する決意を固め、そして実際に世界各地を放浪し続けることは、旅人にとって大きなハードルですが、もしかすると最大のハードルは、帰国後にあるのかもしれません。

旅の体験と帰国後の日常生活が生み出す心の葛藤やとまどいをなんとか乗り越えて、それぞれの旅人にとってしっくりとくる生き方のスタイルを生み出すまでには、非常な困難を伴うし、それがどうしてもうまくいかない人もいるでしょう。

そして、たとえそれに成功するとしても、人によってはそのプロセスに何年、あるいは何十年もの歳月を必要とするのではないでしょうか。


旅の名言 「五年近くのブランクのある私は……」


JUGEMテーマ:旅行

at 19:36, 浪人, 旅の名言〜旅の終わり・帰還

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旅の名言 「長い旅から帰ってきて……」

 自分はいったいこれから何をしたらいいのだろう。すべきことがわからない。そう思い悩んでいる若者が、ひとまず猶予の刻を稼ぐために旅に出るとする。たとえば彼はバックパックひとつをかつぎ、シルクロードを西に向かって歩くかもしれない。だが、旅は苛酷である。もしそれが一人旅なら、そのつらさは二倍にも三倍にもなる。金の豊富な大名旅行なら別だが、おおかたは安宿のドミトリーと呼ばれる大部屋で、貴重品をしっかりと握り締めながら、見知らぬ異国人と一緒に眠ることになる。ガタガタの乗物に疲れ、値段の交渉に疲れ、場合によっては病を得ながら、しかし彼は旅を続けていく。旅を続け、旅を続け、しかし彼はいつしか「何をすべきか」という問いを虚しく砂漠に棄て去ってしまう。長い旅から帰ってきて彼がする仕事といえば、他人のカスリを取るようなヤクザな仕事ばかりなのだ。
 どうしてなのだろう。彼はさまざまな町で、村で、見て、知ったはずなのだ。パンを焼き、家具を作り、畑を耕し、羊を追う人々。つまり真っ当に働いている人々の存在がどれほど自分たちの心に安らぎを与えてくれるかということを。彼らが働いている姿を見ているだけで、旅行者からいかに多くの金を巻き上げるかということしか考えていないような、そんな宿屋や食堂の親父たちに覚える嫌悪感からどれだけ遠くにいられるかということを。真っ当であることのすばらしさを知りながら、どうして真っ当な仕事につかないのか。
 なぜ? しかし、その問いは見知らぬ「彼」に向けたものではなく、実は私自身に向けた問いでもあるのだ。どうして私はあのとき真っ当な仕事につかなかったのだろう。せっかく物書きの卵であることをやめて旅に出たのに、帰ってからどうしてまた「ヤクザ」な物書きになどなってしまったのだろう……。


『天涯〈4〉砂は誘い塔は叫ぶ』 沢木 耕太郎 集英社文庫 より
この本の紹介記事

自分はいったいこれから何をしたらいいのだろう……。

生きる目的、自分の進むべき道を求めて放浪の旅に出た若者は、苛酷な旅に苦しみながらも、「パンを焼き、家具を作り、畑を耕し、羊を追う」数え切れないほどの人々に出会い、真っ当に生きることのすばらしさを知ります。

しかし、旅から帰った若者はなぜか、旅先で安らぎを与えてくれた彼らの暮らし方を見習おうとはしません。

長い旅から帰ってきて彼がする仕事といえば、他人のカスリを取るようなヤクザな仕事ばかりなのだ。


もちろん、すべての旅人がそうなるというわけではありません。そもそも、何をもって「真っ当」な仕事と見るかは議論の分かれるところでしょう。

ただ、私自身は沢木氏のこの文章に深い共感を覚えるのです。

私もアジアの国々を旅し、毎日数え切れないほどの「庶民」とその暮らしを見続けてきました。時には非常につらい仕事を黙々とこなし、わずかの現金収入を得、子供を育てながらつつましい生活を続ける人々。どこの国でも、表面的な文化の違いを超えて、人々のその真っ当さは変わりませんでした。

社会の圧倒的多数を占める人々のそういう真っ当な生活によってこそ、社会が支えられているということを深く思い知らされたし、旅を続けるうちに、何も仕事をせずに放浪生活をしている自分が恥ずかしくなりました。

しかし、それなのに、帰国した私は真っ当な仕事にはつきませんでした。

それがなぜなのか、自分では何となく分かるような気もするのですが、言葉ではうまく説明できません。あるいは、言葉で説明しようとすれば、何もかもが言い訳めいてしまうからなのかもしれません。

真っ当な暮らしというものの何たるかは知っているつもりなのに、どこかで、もうそこには戻れないだろうということも知っている……。

これは、長旅と移動の日々がもたらす、一種の精神作用なのでしょうか。それとも逆に、何か特定の性質を持った人間は、社会での真っ当な暮らしに適応できず、「寅さん」みたいなフーテンの旅暮らしへと否応なく促されていくのでしょうか。

いくらいろいろと書いてみたところで、真っ当な生活をしている人から見れば、すべて怠け者の言い訳にしか聞こえないのでしょうが……。

at 18:48, 浪人, 旅の名言〜旅の終わり・帰還

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旅の名言 「こうして無事に帰れたことが……」

私はここにいる。望みもしなかった、あるいは想像だにしなかった、なによりも美しく、不思議な旅から、こうしてあの頂を越えて無事に戻ってきた――こうして無事に帰れたことがこんなにも悔まれるのはどうしたことか?


『雪豹』 ピーター マシーセン ハヤカワ文庫NF より
この本の紹介記事

『雪豹』は、ネパール西部の秘境、ドルポ地方を旅したピーター・マシーセン氏による紀行文学の傑作です。その本の終わり近く、ドルポへの苛酷な旅を終えてカトマンズに戻ってきたマシーセン氏は、我々の日常世界を覆う「文明的なるもの」に再び触れることになります。冒頭の引用では、その瞬間の彼の偽らざる感慨が描かれています。

彼の場合、文明社会に嫌気がさしてチベットに逃避したわけではありません。旅の表向きの目的は、ヒマラヤの山中に生息する野生動物の生態調査でした。また、資金の制約や、キャラバンで移動可能な季節の制約もあって、旅ができる期間は限られていたし、母を病気で失い、彼だけを頼りに、その帰りをアメリカで待ち続ける幼い息子の存在もありました。

彼にとっては、ヒマラヤの山々がどれほど魅力的であろうと、数カ月以内に自らの属する社会に戻らなければならないことは初めからわかっていたし、そうせざるを得ない事情もあったのです。

それでも、旅の非日常を終え、日常である文明世界に帰還したマシーセン氏は、むしろ無事に帰れたことを激しく悔やんでいます。それはまるで、仕事や愛する家族よりも大切な「何か」を失ってしまったかのようです。

これは、ヒマラヤへの旅に限らず、どんな人にも、どんな旅でも起こっていることなのだと私は思います。もちろん、旅の非日常がどれだけ強烈であったかに応じて、その終わりを実感した時のショックも異なるでしょう。しかし、どんな旅にも終わりがある以上、誰もが必ずそのショックを経験しなければならないのです。

旅に関して、旅立ちの瞬間の何ともいえない爽快感が語られることは多いし、そこに解放感や自由を感じる人も多いでしょう。旅行会社の広告も、旅立ちを誘う美しいフレーズにあふれています。しかし、旅の終わりについて語られることは、あまりないように思います。

旅が非日常の解放感を伴うものであればあるほど、旅を終えることは難しくなると私は思います。それは、地理的に遠く離れて帰国するのが難しくなるという意味ではなく、心理的に旅の終わりを受け入れることが難しくなる、ということです。

非日常の旅の日々に魅せられ、それを深く味わえば味わうほど、かつての日常世界に戻ってきたときのショックは大きいし、日常生活に再び適応するまでに長い時間を要するかもしれません。場合によっては、その衝撃をうまくやり過ごすことができず、非常に厄介な状況に落ち込んでしまうこともあるでしょう。

私個人としては、今は「旅の物語」よりも、様々な「旅の後の物語」を読んでみたいという気がします。旅という非日常を経験したあと、どのように旅の終わりを受け入れるのか、どうやって再び日常になじんでいくのかという問題は、旅立ちよりもずっと複雑で難しいし、それだけに、そこには様々な適応の物語があるはずだからです。

それに、私がこのような「旅のブログ」を書いていること自体、自分も「旅の終わり」の問題から、いまだに抜け出せずにいるということを意味しているのかもしれません……。

at 20:03, 浪人, 旅の名言〜旅の終わり・帰還

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旅の名言 「五年近くのブランクのある私は……」

都心には高速道路が縦横に走りまわり、めまぐるしい東京に、私はしばしとまどいを感じた。五年近くのブランクのある私は、もう生存競争の激しい日本の社会には、ついていけないような気がしてならなかった。旅から帰ってきて、すぐ仕事につく気にもなれず、私は再び南米でも旅にでることを考えた。しかし、金などあろうはずはなかった。旅から帰ってから、その日の生活費にも追われる状態であった。資金づくりに夜の八時から翌朝八時まで、まる十二時間の重労働と日中の睡眠不足。登山準備のための厳しい日課であった。


『青春を山に賭けて』 植村 直己 文春文庫 より
この本の紹介記事

植村直己氏は、大学の卒業と同時に、好きな山登りを続けるために日本を飛び出し、海外で働いて資金を作りながら、ヨーロッパ大陸のモンブラン、アフリカ大陸のキリマンジャロ、南米大陸のアコンカグアを次々に登頂していきました。

冒頭の文章は、様々な事情もあって数年ぶりに帰国した植村氏が直面したものを、簡潔に表現しています。

高度成長期の日本の目まぐるしい変貌ぶりに「浦島太郎状態」の彼は、とまどいを覚えると同時に、今までの冒険的な生活を切り上げて、日本社会に適応するのは難しいのではないかという恐れも感じたようです。そうかといって、すでに手許に金はなく、毎日の生活にも困るありさまです。とりあえずその日暮らしのバイト生活を続けざるを得ません。

次の登山の資金をつくるという名目で、毎日の苛酷な労働に耐えるのですが、冒険など眼中になく、豊かさを求めてまっしぐらに突き進んでいく周囲の人々を横目に見ながら、彼は深い孤独と不安を感じていたのではないかと思います。

そしてこれはまた、長旅を続ける多くのバックパッカーが、日本に帰国して感じる不安を代弁しているともいえます。

植村氏のような華々しい成果や、人に語りうるほどの冒険をしたかどうかは別として、長い旅を続けてきた人たちは、それぞれの旅を通じて多くの得がたい経験をし、旅の人生を満喫していたはずです。

しかし、日本に帰れば、仕事の中でそれが直接役立つようなチャンスはほとんどないし、むしろ、長旅自体が社会からのドロップアウトとみなされ、「負け組」扱いされてしまうかもしれません。それに加えて、長く日本を離れているうちに、日本で必死になって働いている人々の生活感覚と自分たちのそれとが全く違ってしまっていて、「逆カルチャーショック」や、周囲とかみ合わないことからくる深い孤独を感じることもあるでしょう。

こうした問題については、社会からのフォローがあるわけではないので、何とか自力で解決していくしかありません。結局は時間が解決してくれる部分もあるし、たどっていく道も人によって様々だと思いますが、いずれにせよ「旅立ち」よりも、「帰還」した後に社会にどうやって再びなじんでいくか、という問題のほうがシリアスであるといえます。

植村氏の場合は、その後エベレスト遠征隊のメンバーに選ばれ、登頂に成功した後、北米大陸のマッキンリーにも登頂し、世界で初めて五大陸の最高峰に立つという快挙を成し遂げました。そして、そのまま冒険家として、さらなる旅と冒険の人生を続けていくことになります。

そういう意味では、彼は生涯、本当の意味で旅から帰る、ということがなかったのかもしれません。絶えず次の冒険のことが頭の中にあって、日本にいても、それはいわば「一時帰国」でしかなかったのではないでしょうか。あるいは、もしかすると彼は、自分が「日本の社会にはついていけない」ことを深く自覚していたために、旅を終えることができなかったのかもしれません。

これらはあくまでも、私個人の想像にすぎません。それに、『深夜特急』ではないですが、旅を終えるとはどういうことか、どうやったら本当の意味で旅が終わるのか、そもそも旅をどこかで終える必要があるのか、といった具合に、このテーマを改めて考え出すときりがなくなってしまうのも確かです……。

at 20:37, 浪人, 旅の名言〜旅の終わり・帰還

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