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『ぼくは都会のロビンソン ― ある「ビンボー主義者」の生活術』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

この本の著者、フリーライターの久島弘氏は、若い頃にアジアや南米などを放浪し、帰国後は、物質的な豊かさを求める世間の風潮からは距離を置いて、六畳一間、風呂なしのアパートに30年間住み続けてきました。冷暖房もない部屋に寝起きし、カセットコンロで自炊をするその生活は、いわゆるビンボー暮らしそのものです。

しかし彼は、生きていくのに最低限必要なモノは何かを見極め、そこから最大限の満足を得るべく試行錯誤を続けながら、ユニークな生活スタイルを創り上げてきました。それはまるで、無人島で手に入るわずかなモノだけを頼りに、自らの知恵と努力で生き延びた、あのロビンソン・クルーソーのサバイバル生活のようです。

この本では、そんな彼の衣食住にわたる具体的なアイデアの数々が、イラストつきで紹介されています。例えば、鍋や調理法へのこだわりや、さまざまなパッキングのテクニック、水をほとんど使わない食器の後片付け法、風呂や洗濯について、暑さ・寒さ・害虫との闘い、等々……。

そしてそこには、「最少から最大を」、「洗練された解答ほど、よりシンプルな形で現れる」、「(用が済めば)即座に現状回復できること」などといった、彼なりの生活哲学が込められています。

また、アパートの自分の部屋を一泊12ドルのゲストハウスに見立てたり、いつ、どこででも生きられるよう、外出時には必ずサバイバル・グッズ一式(計約9キロ)を持ち歩くというスタイルには、バックパッカー的な生活観が色濃く反映しているのを感じます。

実際、洗濯の工夫とか、身近で安価な素材で作るアイデアグッズなど、この本に収められたノウハウの多くは、バックパッカーとして旅する際に、そのまま応用できそうです。

それにしても、放浪生活の長かった旅人が、帰国後、日本社会に激しい違和感を感じ、世の中から一定の距離を置いて、シンプルな暮らしを守り続けようとする気持ちは、とてもよく分かる気がします。

 バックパッカーとして長旅をしたあと、若ければそのまま社会復帰して、普通に会社に就職するという人も多いでしょうが、一方では、そう簡単には割り切れないという人もいるわけです。久島氏の場合は後者のケースに当たるのでしょうが、その生き方は、放浪の旅人の、帰国後の一つの道を示しているといえます。

ただ、彼の生活スタイルをそのまま見習いたいかというと、私自身もかなり微妙なところです。彼の語る生活哲学を理屈としてはそれなりに理解できても、自分はちょっと……と思う人の方がずっと多いのではないでしょうか。ロビンソン・クルーソーの物語にワクワクする人は大勢いても、実際にそのマネをして無人島に住む人はほとんどいないように、やはり人間、特に年を重ねるにつれて、快適な生活への甘えの気持ちが強くなってきてしまうようです……。

ところで、この本の表紙のイラストを見る限りでは、久島氏はガランとした部屋の中で、キャンプして暮らしているような印象を受けると思いますが、実際はそうではありません。現在の彼は、本文中のイラストによれば、六畳間をいっぱいに満たした本やモノの山の中で暮らしているようです。

彼は、食品の包装など、何かに再利用できそうなものがどうしても捨てられないため、モノがどんどん溜まってしまうようです。たしかに、あのロビンソン・クルーソーも、食糧や利用価値のありそうなモノを、要塞のようなベースキャンプに大事にしまい込んでいました。

ただ、やはり現代の都市に住んでいる以上、ビンボー暮らしといっても、モノが流入してくるペースは無人島の比ではありません。モノに埋もれることで失われる自由や快適さというものがあることを思えば、モノの有効利用だけでなく、モノを思い切って捨てる技術というのも必要ではないかという気がします……。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書

at 18:44, 浪人, 本の旅〜住まい

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『TOKYO 0円ハウス0円生活』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本は、いわゆるホームレスの人たちが住んでいる、ビニールシートや廃材などを利用した路上の家を、手近な素材を用いて住人自らが建築する「0円ハウス」として捉え、そこに「人間が本能的に建てようとする建築の世界」を見出そうとする、とてもユニークな試みです。

以前にこのブログでも紹介した長嶋千聡氏の『ダンボールハウス』も、同じ視点に立つ作品だと言えますが、本書では路上の家の観察にとどまらず、さらにそこに住む人々の生活にまで踏み込んで、彼らの住まいや暮らしの中に垣間見えるさまざまな工夫やアイデアの中に、私たちが大都市という環境で生きていく上での新しい可能性を探っていこうとしています。

著者の坂口恭平氏は、隅田川の堤防沿いにある路上生活者の家を調べているとき、空き缶拾いで生計を立てている「鈴木さん」と「みっちゃん」に出会いました。

二人は、そこにブルーシートの家を作って暮らしているのですが、その建材である木材、シート、ゴザなどに始まって、釘や工具、収納ケースや電化製品に至るまでのすべてが路上から拾われたもので、お金を払って購入されたものは一切ありませんでした。しかも、室内は自動車用の12ボルト・バッテリーによって電化され、バイク用のライトを使った電灯や、テレビ、ラジカセまであります。

また、隅田川では1カ月に1度、河川を管理する国交省による点検・清掃作業があるので、そのつど家を一時撤去しなければならないのですが、住人たちはそうした条件を踏まえ、自宅をすぐに分解・再組み立てできるように工夫を凝らしているのです。

さらに坂口氏は、二人の空き缶拾いの仕事にも同行するのですが、彼らが周囲の街を詳細に把握し、近所の人々とも友好的な人間関係を築いたうえで、大量の空き缶を非常にシステマティックに集めていく姿に驚かされます。

本書の前半では、鈴木さんたちの住む「0円ハウス」に秘められた数々の画期的なアイデアや彼らの暮らしぶりが、詳細なイラストつきで報告されています。

生活のすべてを包み隠さず見せてくれる鈴木さんも凄いですが、それをマニアックなまでに細かく記録していく坂口氏もなかなかのものです。彼の思い入れの深さが伝わってくるようです。

一方、本書の後半には、坂口氏自身の生い立ちと、彼が「0円ハウス」に強烈な関心を抱くにいたった経緯が書かれています。

小学生の頃から建築家を志し、希望どおり大学で建築を専攻することになったものの、彼は「施主と建築家という関係しかない建築の世界」に疑問や違和感を感じるようになり、本当にやりたいことは何なのか、自分でもよく分からないまま模索を続けていました。

そんなとき、彼は多摩川の河川敷に建つ「0円ハウス」に出会い、そこに自分の求めていたものと重なる世界を見出し、その調査にのめり込んでいくのです。

これを読むと、彼が単なる思いつきやウケ狙いで「0円ハウス」に注目しているわけではないということがよく分かります。そして、「家は、独力で、図面なんかに従うのではなく、直観で、毎日自分の体のように変化させながら、作り続けた方がいい」という坂口氏の言葉には、私も共感を覚えます。

そして、そうした家を作ることが、田舎に暮らしてセルフビルドの家づくりに打ち込んでいるごく一部の人か、都会では路上生活をしている人にしか実現できないという現代社会の奇妙な状況に、改めて気づかされるのです。

ただ、言うまでもないことかもしれませんが、専門家が設計・建設した何千万円もする家をローンを組んで買うという私たちの現状が、近代的な暮らしの追求の果てに行き着いた一つの極端だとするなら、「0円ハウス」もまた、その対極にあるもう一つの極端であるように思います。

この本では、著者の志向性を反映して、路上の家の自由さ・解放感や、自分で家を作る面白さが強調されているのですが、ここで取り上げられている鈴木さんたちの生活の充実ぶりは、いわゆるホームレスの中ではたぶん例外的なもので、路上生活者の多くがもっと過酷な生活環境・心理状況にあるだろうということを忘れてはならないと思います。それに、鈴木さんたちにだって、もちろん、路上で暮らしていく上では、いろいろと大変なこともあるはずです。

また、多くの人が、「0円ハウス」的なものに対してワクワク感や憧れを感じながらも、さすがに自分がそれを実践するところまで至らないのは、やはり現代社会の暗黙のルールという一線を踏み越えることに対する怖さのようなものがあるからなのでしょう。

そう考えると、自分の住みたい家を考える際に、素材や建築費に必要以上のお金をかけない、家づくりを人生の重荷にしない、あるいは、家というものはこうあるべきだという先入観にとらわれないという意味で、「0円ハウス」という視点は非常に新鮮だし、大切でもあると思いますが、実際問題としては「0円」にこだわる必要はないし、家のもつ社会的な意味も含めた、もっと現実的なバランスを考慮する必要もあると思います。

きっと、進むべき方向は、両極端の選択肢のどちらかを選ぶことにあるのではなく、その間のどこかの、両者のメリットをほどよく織り込んだところにあるのでしょう。

それはともかく、この本を読んでいると、人間が住む家もその暮らしも、今よりももっとシンプルで、もっと気軽であっていいのではないかという気がしてきます。そして、それがたとえ拙いものであったとしても、家づくりという大事な作業を自分たちの手で行うことが、生活にワクワク感をもたらしたり、さらには人生への主体性を取り戻すという意味でも、非常に重要なことなのではないかと改めて思いました。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします


JUGEMテーマ:読書 

at 19:02, 浪人, 本の旅〜住まい

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『ネットカフェ難民 ― ドキュメント「最底辺生活」 』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

昨年の1月に「NNNドキュメント'07 ネットカフェ難民 漂流する貧困者たち」というTV番組で取り上げられて以来、ネットカフェ難民の存在は広く世に知られるようになりました。
記事 「ネットカフェ難民」

今では、格差社会を語る上で欠かせない、いわば「象徴」のような存在になっていますが、この本は、ネットカフェ難民を経済的な弱者としてクローズアップするTVなどの報道とは少し違う観点から、その生活のディテールを描いています。

著者の川崎昌平氏は、数年の「ヒキコモリ兼ニート生活」を経て、2007年にネットカフェで寝泊まりする生活を始めました。ネットカフェ難民という言葉が流行していた頃のことです。

この本は、彼が実家からネットカフェに居を移してから1カ月の生活を、日記形式で綴ったものです。ネットカフェ難民がどんな生活を送っているのか、あまりよく知らない人にとっては、それが具体的にどういうものなのかを知る上で、この本は一つの参考になるでしょう。

ただ、この日記はあくまでも、「考える難民」である川崎氏の個人的な考えや体験を綴ったもので、それがネットカフェ難民全ての内面や生活のあり方を代表するものではないでしょう。

考えてみれば当たり前のことですが、ネットカフェ難民と一口に言っても、彼らは年齢も仕事も、そうした生活を始めた事情もさまざまです。ネットカフェに寝泊まりしている点が同じなだけで、皆が同じことを考え、同じ生活をしているわけではありません。

また、本のサブタイトルには「最底辺生活」のドキュメントとありますが、いわゆる「社会派ジャーナリストが格差社会を告発する怒りのルポ!」みたいな内容を期待すると裏切られると思います。

そもそも、著者の川崎氏は、経済的な事情でネットカフェ難民に「転落」したというより、一つの生き方として、自らの意志でネットカフェ暮らしを選んだようなところがあります。自らの体験をこうして執筆し、新書で出版するという主体的な行動自体も、TVなどのマスコミが描く「かわいそうな」ネットカフェ難民のイメージからはズレています。

それと、彼自身の複雑な内面を反映しているかのようなクセのある文章も、人によって好き嫌いが分かれるかもしれません。

ただ、私が面白いと思ったのは、彼がネットカフェ難民という生き方に、何か、新しい時代の予感のようなものを感じているところです。

ネットカフェ難民は、日雇い労働のために生きているわけではない。少なくとも僕は、ネットカフェ難民をやりながら「思考」している。就労問題や社会経済の理論を振りかざしてネットカフェ難民を語るのはいかにも実態に適うように見えるし、また事実意味のある切り口なのだろうが、それですべてを見通せると思ったら間違いである。人間はお金の計算だけをする動物ではない。ネットカフェ難民を考えるキーワードは、むしろもっと形而上的な部分にあるような予感がする。簡単に言えば、合理主義の終焉、あるいは新しい合理哲学の実践の兆候、気配、漠とした予感が、ネットカフェ難民の勃興と展開とに顕在化しつつあるのではないか。 (中略) いやいや、誇大妄想はわかったから少しは具体的な話をしてみろよ、と言われるとお手上げなのだが。


ネットカフェ難民を、格差社会の被害者として取り上げるマスコミは(もちろんそれは重要な視点ではあるものの)、ネットカフェに暮らす人々がその生活スタイルを通じて表現している他の側面を、うまくすくい取れていないのかもしれません。

ネットカフェ難民は、その経済的地位においても、社会的地位においても、社会の周縁に位置していますが、彼らを受け入れる場所であるネットカフェも、つい最近になって都市に出現し、その中心部に急速に広がりつつある見慣れない存在です。ネットカフェも、そこに暮らす人たちも、今はまだ、私たちの社会のメインストリームから遠く離れた、奇妙で怪しげな存在に過ぎません。

しかし彼らは、近代社会の極限のようなその環境の中にひっそりと棲息しながら、私たちの社会にとって何かまったく新しいものを、自らそれと気づかずに、すでに表現し始めているのではないでしょうか。

もっともそれは、川崎氏も言うように、まだはっきりとつかみようのない「漠とした予感」に過ぎません。それが何であるのか、私たちにとって良いものなのか、それとも悪いものなのか、「少しは具体的な話をしてみろよ」と言われたら、私もお手上げなのですが……。


記事 「ネットカフェ「難民」というけれど……」


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書

at 19:09, 浪人, 本の旅〜住まい

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