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『ぼくは都会のロビンソン ― ある「ビンボー主義者」の生活術』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

この本の著者、フリーライターの久島弘氏は、若い頃にアジアや南米などを放浪し、帰国後は、物質的な豊かさを求める世間の風潮からは距離を置いて、六畳一間、風呂なしのアパートに30年間住み続けてきました。冷暖房もない部屋に寝起きし、カセットコンロで自炊をするその生活は、いわゆるビンボー暮らしそのものです。

しかし彼は、生きていくのに最低限必要なモノは何かを見極め、そこから最大限の満足を得るべく試行錯誤を続けながら、ユニークな生活スタイルを創り上げてきました。それはまるで、無人島で手に入るわずかなモノだけを頼りに、自らの知恵と努力で生き延びた、あのロビンソン・クルーソーのサバイバル生活のようです。

この本では、そんな彼の衣食住にわたる具体的なアイデアの数々が、イラストつきで紹介されています。例えば、鍋や調理法へのこだわりや、さまざまなパッキングのテクニック、水をほとんど使わない食器の後片付け法、風呂や洗濯について、暑さ・寒さ・害虫との闘い、等々……。

そしてそこには、「最少から最大を」、「洗練された解答ほど、よりシンプルな形で現れる」、「(用が済めば)即座に現状回復できること」などといった、彼なりの生活哲学が込められています。

また、アパートの自分の部屋を一泊12ドルのゲストハウスに見立てたり、いつ、どこででも生きられるよう、外出時には必ずサバイバル・グッズ一式(計約9キロ)を持ち歩くというスタイルには、バックパッカー的な生活観が色濃く反映しているのを感じます。

実際、洗濯の工夫とか、身近で安価な素材で作るアイデアグッズなど、この本に収められたノウハウの多くは、バックパッカーとして旅する際に、そのまま応用できそうです。

それにしても、放浪生活の長かった旅人が、帰国後、日本社会に激しい違和感を感じ、世の中から一定の距離を置いて、シンプルな暮らしを守り続けようとする気持ちは、とてもよく分かる気がします。

 バックパッカーとして長旅をしたあと、若ければそのまま社会復帰して、普通に会社に就職するという人も多いでしょうが、一方では、そう簡単には割り切れないという人もいるわけです。久島氏の場合は後者のケースに当たるのでしょうが、その生き方は、放浪の旅人の、帰国後の一つの道を示しているといえます。

ただ、彼の生活スタイルをそのまま見習いたいかというと、私自身もかなり微妙なところです。彼の語る生活哲学を理屈としてはそれなりに理解できても、自分はちょっと……と思う人の方がずっと多いのではないでしょうか。ロビンソン・クルーソーの物語にワクワクする人は大勢いても、実際にそのマネをして無人島に住む人はほとんどいないように、やはり人間、特に年を重ねるにつれて、快適な生活への甘えの気持ちが強くなってきてしまうようです……。

ところで、この本の表紙のイラストを見る限りでは、久島氏はガランとした部屋の中で、キャンプして暮らしているような印象を受けると思いますが、実際はそうではありません。現在の彼は、本文中のイラストによれば、六畳間をいっぱいに満たした本やモノの山の中で暮らしているようです。

彼は、食品の包装など、何かに再利用できそうなものがどうしても捨てられないため、モノがどんどん溜まってしまうようです。たしかに、あのロビンソン・クルーソーも、食糧や利用価値のありそうなモノを、要塞のようなベースキャンプに大事にしまい込んでいました。

ただ、やはり現代の都市に住んでいる以上、ビンボー暮らしといっても、モノが流入してくるペースは無人島の比ではありません。モノに埋もれることで失われる自由や快適さというものがあることを思えば、モノの有効利用だけでなく、モノを思い切って捨てる技術というのも必要ではないかという気がします……。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書

at 18:44, 浪人, 本の旅〜住まい

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『TOKYO 0円ハウス0円生活』

 

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

この本は、いわゆるホームレスの人たちが住んでいる、ビニールシートや廃材などを利用した路上の家を、手近な素材を用いて住人自らが建築する「0円ハウス」として捉え、そこに「人間が本能的に建てようとする建築の世界」を見出そうとする、とてもユニークな試みです。

以前にこのブログでも紹介した長嶋千聡氏の『ダンボールハウス』も、同じ視点に立つ作品だと言えますが、本書では路上の家の観察にとどまらず、さらにそこに住む人々の生活にまで踏み込んで、彼らの住まいや暮らしの中に垣間見えるさまざまな工夫やアイデアの中に、私たちが大都市という環境で生きていく上での新しい可能性を探っていこうとしています。

著者の坂口恭平氏は、隅田川の堤防沿いにある路上生活者の家を調べているとき、空き缶拾いで生計を立てている「鈴木さん」と「みっちゃん」に出会いました。

二人は、そこにブルーシートの家を作って暮らしているのですが、その建材である木材、シート、ゴザなどに始まって、釘や工具、収納ケースや電化製品に至るまでのすべてが路上から拾われたもので、お金を払って購入されたものは一切ありませんでした。しかも、室内は自動車用の12ボルト・バッテリーによって電化され、バイク用のライトを使った電灯や、テレビ、ラジカセまであります。

また、隅田川では1カ月に1度、河川を管理する国交省による点検・清掃作業があるので、そのつど家を一時撤去しなければならないのですが、住人たちはそうした条件を踏まえ、自宅をすぐに分解・再組み立てできるように工夫を凝らしているのです。

さらに坂口氏は、二人の空き缶拾いの仕事にも同行するのですが、彼らが周囲の街を詳細に把握し、近所の人々とも友好的な人間関係を築いたうえで、大量の空き缶を非常にシステマティックに集めていく姿に驚かされます。

本書の前半では、鈴木さんたちの住む「0円ハウス」に秘められた数々の画期的なアイデアや彼らの暮らしぶりが、詳細なイラストつきで報告されています。

生活のすべてを包み隠さず見せてくれる鈴木さんも凄いですが、それをマニアックなまでに細かく記録していく坂口氏もなかなかのものです。彼の思い入れの深さが伝わってくるようです。

一方、本書の後半には、坂口氏自身の生い立ちと、彼が「0円ハウス」に強烈な関心を抱くにいたった経緯が書かれています。

小学生の頃から建築家を志し、希望どおり大学で建築を専攻することになったものの、彼は「施主と建築家という関係しかない建築の世界」に疑問や違和感を感じるようになり、本当にやりたいことは何なのか、自分でもよく分からないまま模索を続けていました。

そんなとき、彼は多摩川の河川敷に建つ「0円ハウス」に出会い、そこに自分の求めていたものと重なる世界を見出し、その調査にのめり込んでいくのです。

これを読むと、彼が単なる思いつきやウケ狙いで「0円ハウス」に注目しているわけではないということがよく分かります。そして、「家は、独力で、図面なんかに従うのではなく、直観で、毎日自分の体のように変化させながら、作り続けた方がいい」という坂口氏の言葉には、私も共感を覚えます。

そして、そうした家を作ることが、田舎に暮らしてセルフビルドの家づくりに打ち込んでいるごく一部の人か、都会では路上生活をしている人にしか実現できないという現代社会の奇妙な状況に、改めて気づかされるのです。

ただ、言うまでもないことかもしれませんが、専門家が設計・建設した何千万円もする家をローンを組んで買うという私たちの現状が、近代的な暮らしの追求の果てに行き着いた一つの極端だとするなら、「0円ハウス」もまた、その対極にあるもう一つの極端であるように思います。

この本では、著者の志向性を反映して、路上の家の自由さ・解放感や、自分で家を作る面白さが強調されているのですが、ここで取り上げられている鈴木さんたちの生活の充実ぶりは、いわゆるホームレスの中ではたぶん例外的なもので、路上生活者の多くがもっと過酷な生活環境・心理状況にあるだろうということを忘れてはならないと思います。それに、鈴木さんたちにだって、もちろん、路上で暮らしていく上では、いろいろと大変なこともあるはずです。

また、多くの人が、「0円ハウス」的なものに対してワクワク感や憧れを感じながらも、さすがに自分がそれを実践するところまで至らないのは、やはり現代社会の暗黙のルールという一線を踏み越えることに対する怖さのようなものがあるからなのでしょう。

そう考えると、自分の住みたい家を考える際に、素材や建築費に必要以上のお金をかけない、家づくりを人生の重荷にしない、あるいは、家というものはこうあるべきだという先入観にとらわれないという意味で、「0円ハウス」という視点は非常に新鮮だし、大切でもあると思いますが、実際問題としては「0円」にこだわる必要はないし、家のもつ社会的な意味も含めた、もっと現実的なバランスを考慮する必要もあると思います。

きっと、進むべき方向は、両極端の選択肢のどちらかを選ぶことにあるのではなく、その間のどこかの、両者のメリットをほどよく織り込んだところにあるのでしょう。

それはともかく、この本を読んでいると、人間が住む家もその暮らしも、今よりももっとシンプルで、もっと気軽であっていいのではないかという気がしてきます。そして、それがたとえ拙いものであったとしても、家づくりという大事な作業を自分たちの手で行うことが、生活にワクワク感をもたらしたり、さらには人生への主体性を取り戻すという意味でも、非常に重要なことなのではないかと改めて思いました。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



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at 19:02, 浪人, 本の旅〜住まい

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『ネットカフェ難民 ― ドキュメント「最底辺生活」 』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

昨年の1月に「NNNドキュメント'07 ネットカフェ難民 漂流する貧困者たち」というTV番組で取り上げられて以来、ネットカフェ難民の存在は広く世に知られるようになりました。
記事 「ネットカフェ難民」

今では、格差社会を語る上で欠かせない、いわば「象徴」のような存在になっていますが、この本は、ネットカフェ難民を経済的な弱者としてクローズアップするTVなどの報道とは少し違う観点から、その生活のディテールを描いています。

著者の川崎昌平氏は、数年の「ヒキコモリ兼ニート生活」を経て、2007年にネットカフェで寝泊まりする生活を始めました。ネットカフェ難民という言葉が流行していた頃のことです。

この本は、彼が実家からネットカフェに居を移してから1カ月の生活を、日記形式で綴ったものです。ネットカフェ難民がどんな生活を送っているのか、あまりよく知らない人にとっては、それが具体的にどういうものなのかを知る上で、この本は一つの参考になるでしょう。

ただ、この日記はあくまでも、「考える難民」である川崎氏の個人的な考えや体験を綴ったもので、それがネットカフェ難民全ての内面や生活のあり方を代表するものではないでしょう。

考えてみれば当たり前のことですが、ネットカフェ難民と一口に言っても、彼らは年齢も仕事も、そうした生活を始めた事情もさまざまです。ネットカフェに寝泊まりしている点が同じなだけで、皆が同じことを考え、同じ生活をしているわけではありません。

また、本のサブタイトルには「最底辺生活」のドキュメントとありますが、いわゆる「社会派ジャーナリストが格差社会を告発する怒りのルポ!」みたいな内容を期待すると裏切られると思います。

そもそも、著者の川崎氏は、経済的な事情でネットカフェ難民に「転落」したというより、一つの生き方として、自らの意志でネットカフェ暮らしを選んだようなところがあります。自らの体験をこうして執筆し、新書で出版するという主体的な行動自体も、TVなどのマスコミが描く「かわいそうな」ネットカフェ難民のイメージからはズレています。

それと、彼自身の複雑な内面を反映しているかのようなクセのある文章も、人によって好き嫌いが分かれるかもしれません。

ただ、私が面白いと思ったのは、彼がネットカフェ難民という生き方に、何か、新しい時代の予感のようなものを感じているところです。

ネットカフェ難民は、日雇い労働のために生きているわけではない。少なくとも僕は、ネットカフェ難民をやりながら「思考」している。就労問題や社会経済の理論を振りかざしてネットカフェ難民を語るのはいかにも実態に適うように見えるし、また事実意味のある切り口なのだろうが、それですべてを見通せると思ったら間違いである。人間はお金の計算だけをする動物ではない。ネットカフェ難民を考えるキーワードは、むしろもっと形而上的な部分にあるような予感がする。簡単に言えば、合理主義の終焉、あるいは新しい合理哲学の実践の兆候、気配、漠とした予感が、ネットカフェ難民の勃興と展開とに顕在化しつつあるのではないか。 (中略) いやいや、誇大妄想はわかったから少しは具体的な話をしてみろよ、と言われるとお手上げなのだが。


ネットカフェ難民を、格差社会の被害者として取り上げるマスコミは(もちろんそれは重要な視点ではあるものの)、ネットカフェに暮らす人々がその生活スタイルを通じて表現している他の側面を、うまくすくい取れていないのかもしれません。

ネットカフェ難民は、その経済的地位においても、社会的地位においても、社会の周縁に位置していますが、彼らを受け入れる場所であるネットカフェも、つい最近になって都市に出現し、その中心部に急速に広がりつつある見慣れない存在です。ネットカフェも、そこに暮らす人たちも、今はまだ、私たちの社会のメインストリームから遠く離れた、奇妙で怪しげな存在に過ぎません。

しかし彼らは、近代社会の極限のようなその環境の中にひっそりと棲息しながら、私たちの社会にとって何かまったく新しいものを、自らそれと気づかずに、すでに表現し始めているのではないでしょうか。

もっともそれは、川崎氏も言うように、まだはっきりとつかみようのない「漠とした予感」に過ぎません。それが何であるのか、私たちにとって良いものなのか、それとも悪いものなのか、「少しは具体的な話をしてみろよ」と言われたら、私もお手上げなのですが……。


記事 「ネットカフェ「難民」というけれど……」


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
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at 19:09, 浪人, 本の旅〜住まい

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『セルフビルド ― 家をつくる自由』

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

自分の住む家を、自分の手で建てることができたら……。

日本各地に、そんな夢を実現した人たちがいます。「家をつくる自由」がテーマのこの本には、そうしたセルフビルド、またはハーフビルドの住宅が30例近く、豊富なカラー写真で紹介されています。

この本を出している「旅行人」は、バックパッカー向けの旅行雑誌や旅に関する本を扱っている出版社で、著者も編者も、みな世界各地を旅したことのある人たちです。

長い旅の経験を通じて培われたまなざしが、日本での住まいや暮らしに向けられるとき、これまでとは違った、もっと自由でのびのびとした生き方を模索するようになるのは、当然の成り行きなのかもしれません。

しかし、持ち家といえば建売の一戸建てかマンションを想像してしまう多くの人々にとって、自分の家を自分でつくるという行為への心理的なハードルはかなり高いのではないでしょうか。

それでも、この本に紹介された数多くの具体的な事例を見ていくことで、実際のところ、セルフビルドはそれほど難しくはなく、むしろ楽しい作業なのかもしれないと思ったり、あるいは、すぐに自分もやってみようとまでは思わないにしても、少なくとも家づくりについての常識を見直すきっかけになるかもしれません。

この本を読むと、初心者にはなじみのない、建築関係の用語や道具の名称がたくさん出てきますが、そうした用語や、家づくり関係の法律については、巻末に用語集や解説がつけ加えられるなど、細やかな気配りもされています。

ただ、この本に載っている事例をまとめて見ていくと、そこには一定の傾向のようなものがあることも確かです。

田舎の広い敷地に大きな家、広いリビングに吹き抜け、薪ストーブというパターンが多いし、紹介されているビルダーも、陶芸家など、アーティスト系の人が多いようです。

これは、取材先の家やビルダーがたまたまそうだったのか、それとも一般的な傾向なのかどうかは分かりません。もちろん、会社勤めのかたわら、週末に現場に通い、何年もかけてコツコツと家を建てたという事例もいくつかあるので、自由業でなければセルフビルドができないというわけではありません。

しかし、法律の問題もあって、都会の狭い敷地に自由に家を建てるのはむずかしいし、田舎に家を建てるとなれば、家づくりだけでなく、仕事をどうするかという問題も出てきます。やはり田舎でそれなりに暮らしていけて、時間も比較的自由になる仕事でないと、セルフビルドは難しいのかな、という印象を受けるのも確かです。

それから、セルフビルドとは思えないほど本格的で、細部まで目の行き届いた家を建てているケースが多いという感じもしました。こういうこだわりは日本人の特性なのかもしれません。

ただ、個人的には、細部に多少の難はあっても、奇抜なアイデアに基づいた独創的な家づくりをしている事例をもっと見てみたかった気がします。

例えば、南伊豆の平太氏のバンブーハウスなど、身近で手に入る素材を利用し、少々(かなり?)ワイルドで自由につくられた感じは、私のイメージするセルフビルドの感覚にピッタリでした。

もっとも、見ていてワクワクする家かどうかということと、それが暮らしやすい家かどうかということは、全く別の問題なんだろうと思いますが……。


本の評価基準

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at 18:35, 浪人, 本の旅〜住まい

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『世界の不思議な家を訪ねて ― 土の家、石の家、草木の家、水の家』

Kindle版はこちら

 

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

この本は、世界各地の人々の暮らしを長年にわたって撮り続けている写真家の小松義夫氏が、旅先で出会った不思議で面白い家々を、カラー写真と文章で紹介するものです。

そのほとんどは、その地に暮らす人々が自らの手で作り上げてきた伝統的な家屋です。身の周りで手に入る素材を活かし、可能な限りの暮らしやすさを追求していくなかで、それは独自の発展を遂げ、どの家も他では見られないユニークさと機能美にあふれています。

私個人としては、シバームの「泥の摩天楼」(イエメン)、チチカカ湖の浮島の家(ペルー)が特に印象に残りました。また、これは伝統的な住居ではありませんが、一攫千金を夢見てオパール鉱山にやってきた人々が、自宅兼坑道として地下を好きなように掘削して住んでいる、クーパーピディの地下住居(オーストラリア)もユニークでした。

こうした美しい住居が今も残っているのは、大都市からは遠く離れた辺境であることが多く、したがって撮影のためにはかなりハードな旅を強いられることになります。

この本には、小松氏が取材中に遭遇した困難や、危機的な状況なども簡潔に描かれているのですが、意外なのは、「危険地帯では夫婦のほうが安全」という判断から、渡航延期勧告が出ているような地域に夫人を伴って出かけていくという発想です。

もちろん、これは長年にわたる旅の経験と可能な限りの情報収集・準備をふまえた上での判断で、誰もがマネのできるようなことではないのですが……。


本の評価基準

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 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
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at 18:28, 浪人, 本の旅〜住まい

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『ターミナルマン』

サー・アルフレッド・メヘラン,アンドリュー・ドンキン

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

外国旅行中にパスポートを失ったために、空港の入管で自分の身分を証明できなくなり、どこの国からも受け入れを拒否されて、仕方なく空港の待合室に住み着くことになった男……。

2004年に公開されたスピルバーグ監督の映画『ターミナル』は、そんな奇想天外な境遇に陥った男の物語を描いていますが、この話のネタ元になったという人物が実在します。

本書は、イラン生まれのメヘラン・カリミ・ナッセリー、通称アルフレッド・メヘラン氏の自叙伝です。彼は1988年、パリから飛行機でロンドンに渡ろうとしたところ、身分証明書を所持していないためにパリへ強制送還されたのですが、身分証明書がないためフランスに入国することも、第三国に向かうこともできなくなりました。

彼はシャルル・ド・ゴール空港に足止めされ、そのまま18年近くもの間、第1ターミナルの赤いベンチに座って、そこから出発できる日を待ち続けました。

一体どうしてそんなことになってしまったのでしょう? 

アルフレッド・メヘラン氏は、パスポートを再発行してもらい、出身国のイランに帰れないのか? 彼は空港の待合室から出ないまま、所持金もないのにどうやって今まで食いつないできたのか? それにそもそも、身分証明書をもっていないという理由で入国を拒否されたまま、他に何の選択肢も与えられず、十数年も放置されるなどということが現代のヨーロッパであり得るのか? 

この人物の存在を知ったら、どんな人でも、次から次へと疑問が湧いてくるはずです。本書では、彼がド・ゴール空港で足止めされ、動けなくなった複雑な事情が、タマネギの皮を剥くように少しずつ明らかにされていきます。そして、それはやがて彼の出生の秘密にまで及んでいきます……。

実際の文章は作家のアンドリュー・ドンキン氏が執筆していて、本のミステリアスな展開自体は面白いのですが、読み終わって、アルフレッド・メヘラン氏の人生について詳しく知ってしまうと、何か納得できないような、モヤモヤとした後味が残ります。

それは、彼の人生が、まるで得体の知れない不条理さに包まれているように感じるからかもしれません。

彼の人生は(まだすべてが終わったわけではありませんが)、あらゆる国から拒否され続ける人生であり、国籍という問題に一生つきまとわれる人生です。この地球上で合法的に暮らせる場所を誰からも与えてもらえず、空港の待合室という、入管と入管の間のエアポケットにはまり込んだまま、ただひたすら救出を待ち続ける日々。

しかし、物事は一向に解決せず、人々は彼の側を急ぎ足で通り過ぎていくだけです。そしていつしか、彼はその孤独で宙ぶらりんの状態が自分の運命であると受け入れたかのように、ド・ゴール空港第1ターミナルの赤いベンチを自分の家と思い定め、毎日毎日その同じベンチに座り続けるのです。

どこの国の人間でもなくなり、定職もなく、同じ建物の中を行ったり来たりするだけの日々。はた目には普通の外国人旅行者のようにしか見えないし、自分の足でどこにでも歩いていけるはずなのに、国籍という見えない壁があるために、そこから出ることができないのです。彼にとっての全世界とは、ド・ゴール空港第1ターミナルの建物の中だけになってしまったのです。

私には、その何ともいえない「不条理感」を、どうにもうまくお伝えできないのですが、この本を実際に読んでいただければ、その奇妙な感じを分かっていただけると思います。

なお、アルフレッド・メヘラン氏については、ウィキペディアの項目「マーハン・カリミ・ナセリ」でもその略歴等を知ることができます。

現在彼はどうしているのか調べてみたら、ウィキペディアの英文の項目「Mehran Karimi Nasseri」に、アルフレッド・メヘラン氏は2006年に病気で入院し、既にド・ゴール空港第1ターミナルを退去したとありました。


本の評価基準

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at 13:45, 浪人, 本の旅〜住まい

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『ホームワーク』

評価 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です

この本は、「自分の手で自分の家をつくる」というテーマに沿って、アメリカ各地や世界中に建てられた手づくりの家を、膨大な写真と資料で紹介するユニークな写真集です。

本書は、以前にこのブログで紹介した『シェルター』の続編ともいえるものです。著者のロイド・カーン氏は、これまで自ら取材・撮影してきた建物のほか、『シェルター』の読者から寄せられた資料も示しながら、「住む」という、人間にとって根源的な行為の様々な側面と可能性を見せてくれます。

 家づくりを学ぶことと平行して、わたしはいろいろな建物の写真を撮ってきた。旅に出るときには必ずカメラとノートをもち、小さな建物を記録して歩いた。するとわたしが吸い寄せられるのは、いつでも決まって自分で家を建てる人たちがいるところだった。わたしが探し、わたしの目が引きつけられたものとは何であったのか? それは手づくりの建物で、以下の特徴をひとつでも備えているものである。

・ 優れた技術が発揮されている
・ 実用的で、シンプルで、費用をかけず、役に立っている
・ 資源を有効に使っている
・ 周囲のランドスケープになじんでいる
・ 美的感興にあふれ、いい雰囲気を発散している
・ 設計と施工が破綻なく組み合わされている
・ (さらには、あるいは) 型破りな創造力を発揮している


こうした条件に合う手づくりの家は、大規模なマンションやニュータウンの建売住宅の中には見出せないものです。もちろん、自分で住む家を自分で建てるという「生き方」はアメリカでも少数派で、カーン氏の立場も1960年代以降のカウンター・カルチャーの流れを色濃く反映しているのですが、そうした背景を抜きにして、個性あふれる小さな家々の写真を眺めているだけでもインスピレーションが掻き立てられ、自分でも何か造ってみたいという気持ちが湧いてきます。

この本には、自由な発想による家づくりの可能性がたくさん詰め込まれています。ホーム・ビルダーたちのユニークな生き方、様々な天然素材(泥とワラの家、土嚢積みの家、竹の家など)へのこだわり、世界各地のエスニックな家屋、アーティストによる破天荒な家(ガラス瓶の家、軽量コンクリートによる自由な造形、ツリーハウスなど)、移動する家(ジプシーワゴン、ハウストラックなど)等々、常識を超える実例が次から次へと出てきて、眩暈がするほどです。

もちろん、それらの試みは完成形ではないし、快適さや安楽さの犠牲の上に成り立っている部分もあります。それでも、勇気をもって一歩踏み出し、実践を始めた人々の事例を眺めていると、「こんな風にしてもいいんだ」「これでも生きていけるんだ」という驚きとともに、家というものは何十年も働いて得た金でようやく手に入るものだという常識から、少しずつ解き放たれていくような気がします。

高価な本ですが、「自分で住む家を自分で建てる自由を生きる」というテーマに興味のある人はもちろん、普通の住まいに飽き足らないものを感じている人なら一度は目を通してみる価値があると思います。

ロイド・カーン著『シェルター』の紹介記事


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at 19:32, 浪人, 本の旅〜住まい

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『シェルター』

シェルター
シェルター
玉井 一匡,ロイド カーン

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

本書のタイトルであるシェルターという言葉は、日本では、核シェルターや防空壕、あるいは貧困者などを一時的に保護する施設のような、「避難所」という意味合いで使われていますが、英語にはそうした意味に加えて、「衣食住」のことを food, clothing, and shelter ともいうように、人間が生きる基本である「住」、雨風から身を守るための「すみか」や「家」という意味もあるそうです。

この本は、人間が実際に住むための「シンプルな家」という観点から、古今東西のあらゆる形態の住居を取り上げており、多数の写真とイラスト、様々な人物による短い文章が、まるでスクラップブックのように散りばめられています。

カッパドキアの洞窟住居、ベドウィンのテントや中央アジアのユルト、アメリカ先住民のアースロッジ、様々な様式の木造住居、ツリーハウス、現代の前衛的な住居やハウスカー、未来的なドームハウスなど、世界中の住居の実例が挙げられる一方で、それぞれの素材や工法、道具などについても簡単に紹介されています。

 シンプルな家、自然の中に見つかる材料、人間の創意工夫の才、自らの目と身体による発見や重労働、自給自足の楽しみ、そして自由。それが本書のテーマだ。しかし主役はもちろんシェルター。シェルターは単なる雨よけや、風よけには留まらぬ、人類の歴史と深く関わる存在なのだ。


ページをめくっていると、とにかくワクワクしてきます。日本では、家といえば、新聞の折り込みチラシに載っているような、一戸建てやマンションなどの建売住宅のイメージがすっかり定着していますが、世界を見渡せば、現代でも驚くほど多彩な住居の形と暮らし方があるのです。そして、あえて時流に逆らい、個性的な住まいを求めて果敢にチャレンジしている人たちもいることを知り、自分も何かやってみたくなるのです。

「住む」ということの原点に戻り、身近で手に入れられる材料と、知恵と手仕事と勇気によって、自分たちのオリジナルでシンプルな家を建てることの喜びが、この本を通じて伝わってきます。

ただ、この本は「住む」ことの基本に関して、広く浅くあらゆる話題を網羅しているので、経験者や建築関係者にとっては新たな発想へのヒントになると思いますが、ある程度具体的な経験を積んでいない人にとっては、この本だけでは、すぐに実用的な役には立たないかもしれません。この本はむしろ、溢れんばかりに詰め込まれたアイデアの数々や、「世界中を旅した気分で“夢”を見させてくれる」ことに最大の効用があるのだと思います。

ちなみに、この本はとても大きいので、収納や取り扱いにやや困ると思います。また、原書は1973年の出版で、既に30年以上が経過しています。その間に試みられたであろう様々な挑戦や実験についても、アップデートされた形で知りたいと思いました。

ロイド・カーン著『ホームワーク』の紹介記事


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 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
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at 21:51, 浪人, 本の旅〜住まい

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『船で暮らす地中海』

船で暮らす地中海
船で暮らす地中海
足立 倫行

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

退職後の第二の人生として、船を購入して地中海で暮らすというユニークな夢を実現させた日本人夫婦。モーター・クルーザーによる彼らの旅にノンフィクション作家の足立倫行氏が同行し、取材を通じて彼らの人生の歩みを振り返りながら、こうしたユニークな夢を選ぶに到った背景と、その夢を支える周囲の人々についてまとめたのが本書です。

この本では、クルーザーによる地中海の旅そのものよりも、「彼らはなぜ、こういう生き方を選択するに到ったのか?」「家族や友人・知人はどうとらえているのか、どのようなサポートをしているのか?」といった、一見優雅に見える生活を成り立たせている、舞台裏への関心が中心となっています。

私個人としては、船を所有することや、ヨーロッパで暮らすこと自体には、それほど関心があるわけではないし、老後のことを考えるのもちょっと早すぎるのですが、足立氏のノンフィクションはどれも面白いので、読んでみることにしたのです。

本書の「主人公」である稲次哲郎氏は、大手商社の重役まで務めた人物で、誰もが真似できるわけではない、人生の成功者といえると思います。しかし、いわゆる大富豪や芸能人ではなく、商社マンとして堅実に仕事を続けてきた人物が、退職後いきなり船のオーナーになって海外で暮らす、というのは、日本ではかなり意外なことなのではないでしょうか。

読み進めていくと、稲次夫妻がこのような生き方を選んだ背景が浮かび上がってきます。そして同時に、長い海外生活による語学力など、現在の海外生活を直接支えている能力の他にも、彼らが長い人生の中で経験してきたこと、築いてきた人間関係が、いろいろな形で新しい生き方を支えていることが分かります。

彼らは、今までの仕事や人生の経験を通じて、いったん決意したことは、どんなアイデアでもすみやかに実現させられるだけの知恵と能力を磨いてきました。「地中海を自分の船でクルージングする」という全く未知の分野でさえ、自分たちがその気になれば、免許を取得し、勉強をし、友人の助けも借りながら、確実に実現させることができるのです。

そういう意味では、稲次夫妻は、今まで人や組織のために働くことを通じて身につけてきた能力を、今度は自分たちのために存分に活用し、マイペースで楽しんで生きるという喜びを、今しみじみと味わっているのではないかと思います。

こういう事例を読んでいると、この本の主旨からは外れるかもしれませんが、どんな人間でも、将来どんな生活を送ることになるのかは、それまでの人生で積み重ねてきたことの直接の結果だということを痛感します。現在の自分が将来への「種まき」をしているという、厳然たる事実を忘れないようにしようと改めて思いました。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします


at 20:11, 浪人, 本の旅〜住まい

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『ダンボールハウス』

ダンボールハウス
ダンボールハウス
長嶋 千聡

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

これは、いわゆる「ダンボールハウス」、つまりホームレスの人々が雨露をしのぐために、手近にある材料を使って短時間で作り上げた小屋について、建築という観点から詳細に調査した異色な本です。

大学で建築学を専攻していた長嶋千聡氏は、名古屋市の中心部でホームレスの人々が建てていたダンボールハウスに興味を抱き、卒業論文のテーマとして研究することにしました。

彼らとあいさつを交わすところから始め、ゆっくりと人間関係を築いた上で、どうやって家を建てるのか、どこから材料を手に入れているのか、限られた空間でどう暮らすのかといった点を直接インタビューし、家の撮影・スケッチ・採寸を行なうなど、詳細な調査を行なっています。

本書は3年近い年月をかけ、延べ70軒のダンボールハウスを調査した結果で、38軒分のスケッチとそれぞれの家の紹介、家主のキャラクターや生活などが簡潔に記されています。

「ダンボールハウス」という言葉からは、地下街などで時々見かける、純粋にダンボールだけを用いて作られたその場しのぎのシェルターを想像してしまいますが、実際にこの本で取り上げられているのは、土台にはパレットを、骨組みには角材を用い、壁や屋根としてベニヤやビニールシートを使った、かなり本格的な「家」です。調査報告を読むと、手入れをしながらそうした家に数年以上住んでいる人もいることがわかります。

そして、何十軒ものダンボールハウスのスケッチを見ていくうちに、それぞれが「顔」ともいうべき独自の形と表情をもっていることに気づかされます。基本的な材料と構造は共通であることが多いのですが、手に入れられる資材の制約、地形上の制約、周囲の環境、家主の生活スタイルや考え方によって、外観も内部も個性的に「進化」した跡がうかがわれます。

また、夏になって蒸し暑ければ、カッターで壁をくりぬいて窓を作ったり、スペースが足りなくなれば、壁や天井に収納場所を作り出したり、家自体を「増築」してしまったりと、家主の工夫によって、家の各部分が日々変貌していくのです。

それはギリギリの条件の中で、少しでも居住環境を向上させようとする住人の知恵の結果なのですが、環境に促されるようにして日々変化していくその姿は、まるで生き物のようです。

この本を読んでいると、何だか不思議にワクワクしてきます。不謹慎かもしれませんが、子どものころ夢中になった「秘密基地ごっこ」を思い出します。もちろん、子どもの遊びなら、無邪気に遊んだあとは、温かい食事と家族の待つ快適な家に帰れるのですが、ダンボールハウスしかない人々の現実は、そんな生易しいものではありません。

それでも、人々が限られた材料と知識を駆使して、まずは雨露をしのぎ、湿気や暑さ・寒さ、蚊の襲撃などに悩まされながらも、少しずつ自分好みの家にカスタマイズしていく様子を見ていると、人間のたくましさと、生きることのささやかな喜びが伝わってきて、何だかエネルギーをもらったような気がするのです。

愛知万博の開催を控えた2004年、名古屋の公園のダンボールハウスは次々に撤去されてしまい、本書に登場する家々は、もはやこの本のスケッチの中でしか見ることはできません。皮肉なことではありますが、ホームレスのおじさんたちによる個性的な建築の数々は、この本を通じて末永く記憶されることになったのでした。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
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