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「滞在3日以上」の法則

ベトナム北部をバスで回っていたときのことです。

山の中の小さな町で一泊したのですが、夕食を終えるともう何もすることがありません。宿に戻り、ベッドに横になってボーッとしながら、今までの旅のことなどをとりとめもなく思い出していました。

色々な国で、色々な人に会いました。今までに通過してきた町の名前を思い出すと、それと同時にその町で会った人達の顔が浮かんできます。

しばし思い出にふけっているうちに、あることに気がつきました。自分が3泊以上した町には、今でも名前と顔を思い出せるような、けっこう親しくなった人が必ずいるのです。

それは現地に住む人であったり、日本人を含めた各国の旅行者だったりしました。出会ったきっかけは様々ですが、日本語や拙い英語やさらに拙い現地の言葉などを駆使(?)して色々なことを話したり、一緒にどこかへ出かけたりしました。

一方1泊か2泊の場合は、誰かと親しくなったこともあるし、そうでないこともあります。どうやら「3泊以上」というのが私にとっては重要なポイントのようです。

そこまで思いついたとき、何か神秘的な法則を発見したような気がして興奮してしまいました。もう一度自分の旅を最初の町からたどり直し、やっぱり「3泊以上の法則」が成り立つことを確認すると、何だかワクワクして、しばらく寝つけませんでした。

しかし、今になってよく考えてみると、事はそれほど神秘的でもないようです。

移動中心の旅を続けているとき、旅暮らしのパターンは一定になってきます。まず早朝に出発するバスに乗り、半日ないし丸一日の移動の後、新しい町に着いて宿を探します。だいたい午後おそくか夕方の到着になることが多いので、その日はいい宿といい食堂を見つけ、宿の近所をちょっと散歩する程度で終わりになります。

2日目は、そのまま移動して次の町に向かう場合もありますが、観光する価値のありそうなスポットがあれば、もう1泊することにし、とりあえずそこに行ってみます。田舎の町や村なら、そういう場所は半日もあればひととおり見て回ることができます。

それを終えると、とりあえずやるべきことは終わったというか、その町に対する「義理は果たした」という気分になります。観光地めぐりにほとんど興味を示さないバックパッカーも多いのですが、その頃の私は、せっかく時間もあるのだし、その町が自慢にしている「売りモノ」に対し敬意を表するという意味で、結構律儀に観光をしていたのでした。

それでもう充分という気になれば、3日目の朝に次の町に向かうのですが、その町の雰囲気が気に入ったり、もう少しゆっくりしたいと思った場合はもう1泊して、特に用事もなくのんびりと過ごします。これがそのまま繰り返されれば、4日目・5日目も同じようにぶらぶらと過ごし、それが一週間を超えると、いわゆる「沈没」に近づいていくことになるわけです。

つまり私の場合、2泊目と3泊目の違いは、「用事のない、フリーな一日」があるかないかの違いに等しい、ということになるわけです。「滞在3日以上」の法則が成り立つポイントは、どうやらそこにありそうです。

フリーな一日があるということは、予定を気にせず、好きなだけ誰かと話をしていてもいいし、現地の人々の多少強引な誘いに応じる心の余裕もあるということです。

1泊だけで次の町に向かうつもりの時は、心は「移動モード」のままで、その町で接触する人といえば、宿や食堂の人だけです。

2泊の場合は観光地に足を伸ばすので、多くの人と接触する機会がありますが、心は「公式日程の消化モード」なので、頭に描いたその日のプランから脱線する余裕はあまりありません。また観光地特有のスレた人達に対して身構えているので、声をかけてくる現地の人にホイホイとついて行くこともないでしょう。

しかし、3泊目となると、それなりにその町を気に入り、「宿題」も済ませた後なので、自由な発想でその日を過ごす心の余裕があるわけです。心は「フリーモード」なので、直感的に面白そうだと思ったことや、少々バカバカしいことにも時間を費やすことのできるような気分になっています。

こちらにある程度余裕があり、相手の都合にも多少は合わせることのできる心の状態だからこそ、互いに親しく話をすることができたのかもしれません。もちろん、これは後から分析して想像していることで、実際には全て無意識のうちに行なわれていたわけです。

ただしこの「法則」には例外があって、例えばバンコクのような大都会では、一週間滞在していても誰とも親しく会話を交わさないようなこともあります。それは人が多すぎて互いに知り合う機会がないためかもしれないし、私自身が「都会的孤独」を楽しみたいと思っているせいかもしれません。

田舎では、人と知り合いやすいというメリットがある反面、濃密な人間関係がうっとうしく感じられることもあります。アジアの田舎を旅していると、「滞在3日以上」の法則どおり、ちょっと長居すれば必ず誰かと知り合うようなことになりますが、それはそれで心の負担になる場合もあるのです。

あまり親しくなれば別れるのがつらくなるし、親しさを通り越して仲がこじれることがあるかもしれません。大都会でウロウロしていれば、そういう人間関係特有のしんどさから一時的に逃れることができるわけです。

以上、ちょっと理屈っぽく「滞在3日以上」の法則を分析してみましたが、法則といってもこれは私の場合にあてはまるというだけで、他の人にも通用するかどうかは分かりません。

例えば沢木耕太郎氏の『深夜特急』を読むと、氏はそういう法則とは関係なく、移動中からすでに「フリーモード」に入っているのがわかります。

彼はガイドブックなどの事前情報をもたない状態で町の中心部に到着すると、周辺を歩き回って雰囲気を確かめたり、人に尋ねたり、直感を働かせたりして宿を決め、その後もひたすら街歩きを繰り返すことで、少しずつ頭の中に町の地図を作っていくのです。

情報を持っていないため、見知らぬ町では会話をする相手すべてが情報源であり、彼らに導かれるまま、なりゆきまかせに事を運ぶこともしばしばです。もちろんその背後では、沢木氏の人生経験と直観力がフル稼働しているわけですが、そうだとしても、見知らぬ人間に対する信頼がある程度なければできないことでしょう。

沢木氏は、私のように「公式日程」や「表敬訪問」のようなものにこだわらず、アプローチしてくる人にはいつでも「フリーモード」で対応しているように見受けられます。これなら滞在する日数にかかわりなく、いつでもどこでも誰かと深く知り合う心の準備ができていることになります。

そういう「フリー」な人にとっては、1泊でも3泊でも同じことです。「滞在3日以上」の法則が成り立つということは、町を移動するたびに「フリーモード」に戻るまで3日を要するということにほかなりません。

そうなると私の場合は、神秘的法則というよりも、自由な旅ができてないことが証明されているみたいで、ちょっと恥ずかしくなってしまうのでした。

at 21:35, 浪人, 地上の旅〜旅全般

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