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無造作な誕生

インドネシアの東部に、フローレスという名の美しい島があります。開発がそれほど進んでいないため、旅をするのは結構しんどいのですが、クリムトゥ山の三色カルデラ湖を始めとして観光的な見どころが多く、苦労して旅をするだけの価値のあるところです。

私が旅した時は、フェリーで島中央部のエンデに上陸し、西部のラブハンバジョーまでバスを乗り継ぎましたが、その途中、リウンという海沿いの村に立ち寄りました。

海岸に何十もの小島が散らばる美しいところなのですが、私が滞在したのはあいにく雨季の真っ最中でした。観光客はほとんどおらず、村は閑散としていて、空は一日中灰色の雲に覆われているか、どしゃ降りの雨かで、散歩するのもままなりません。それでも雨の合間に、近所をブラブラ歩いてみることにしました。

地図もないので適当に歩いていると、村人がみんなあいさつの言葉をかけてきます。今はどうなっているか知りませんが、私が旅した当時のフローレス島の田舎では、どこもこんな感じでした。私も軽くあいさつを返しながらさらに歩いていくと、小高い丘のような場所に出ました。

眼下の海に20以上の小島が浮かんでいます。晴れていれば息をのむような風景だったはずですが、どんよりと曇った空の下、エメラルド色に輝いているはずの海も陰気に濁っていました。

せっかくの自慢の風景を堪能できなかったことを残念に思いながら、道を引き返しました。途中、ヤギの群れが細い道をふさいでいたので、そのまま突っ切ろうか、迂回しようかと考えていると、その中の一頭が今まさに生まれたばかりであることに気がつきました。

生まれたての小さな子ヤギが、立ち上がろうとしています。TVでよく見かける、「感動のシーン」です。しかし、ここは人の気配もない村はずれの小道で、もちろん場面を盛り上げるBGMもナレーションも一切ありません。

母ヤギの横で、何度も体を起こそうとして失敗しながら、それでも徐々に動きがしっかりしてきて、ついにヨロヨロと立ち上がりかけました。その間、数分だったのか、数十分だったのか、はっきりと覚えていませんが、母ヤギの助けもほとんど借りず、そのプロセスは当たり前のように淡々と進行したのです。

道の真ん中で出産した母ヤギも無造作ですが、生まれた瞬間からサッサと立ち上がろうとする子ヤギの方も無造作で、まるで日常のひとコマのようなさりげなさでした。

言葉にしてしまえばそれだけのことで、そもそも子ヤギが生まれること自体、それほどめずらしい話ではないのですが、私は不思議な感動を覚えました。考えてみれば当たり前のことですが、動物というのはこうやって無造作に生まれてきて、周囲の景色に溶け込むようにさりげなく生き、そして無造作に死んでいくんだろうな、ということを改めて実感したのです。

ヤギの群れの周囲に、飼い主の姿は見えませんでした。どこかで休んでいるのか、それともこのヤギたちは、飼い主の家の周囲で適当に放し飼いにされているのでしょうか? いずれにしても、たった今立ち上がろうとしている子ヤギは、これから飼い主の家に戻るまで、長い道のりを歩かなければならないでしょう。

生まれたその日から、母ヤギの後を必死で追いかけて歩かなければならないとは、人間の目からみれば何とも大変なことですが、この子ヤギに、そういう私のセンチメンタルな同情など入り込む余地はなく、これから死ぬまでの何年間か、当たり前のように無造作に歩き続けるはずです。

私は子ヤギが完全に立ち上がるまで見届けずに、宿に戻る道を歩き始めました。雨がいつまた降り出すかわからなかったし、いずれ子ヤギが立ち上がるのは確実で、私が見守る必要も、手をさしのべる必要も全くなかったからです。

美しい海の眺めは楽しめませんでしたが、別の美しいものを見せてもらった気がして、私は満足でした。

at 19:24, 浪人, 地上の旅〜東南アジア

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