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シポーのバアサンの高笑い

ミャンマーの古都マンダレーから列車で北に10時間行ったところに、シポーという村があります(現在はティーボーという名に変わったようです)。

今はどうなっているか分かりませんが、私が旅した当時、ここは欧米人バックパッカーにとって「伝説の地」と言えるほどの人気を誇っていました。私もミャンマー旅行中に、ある日本人からシポーの話を聞きましたが、「物価が安い」「村人がものすごく親切」「伝説の村人がいる」などと夢中になって解説してくれるのを聞いているうちに、行ってそれを確かめてみたくなりました。

マンダレーから乗る列車は、線路の状態が良くないせいか、やたらに横揺れします。しかし、スイッチバックしながらのんびりと山を登っていったり、深い谷に架けられたマッチ細工のようなゴッティ鉄橋をゆっくり渡ったりと見どころも多く、鉄道ファンならずとも結構楽しめます。

シポーの駅に着くと、何の変哲もない田舎の村があるだけでした。私は、ベトナム北部山岳地帯のサパのような感じの村を想像していたのかもしれません。勝手に思い描いていたイメージと違っていたので少しガッカリし、それでも宿を探して歩いていると、「伝説」どおり村人が次々に声をかけてきて、宿までの道を教えてくれたりしました。

今思うと、私はどうもこの「伝説」に過剰な期待を抱いていたようです。事前にこの村についてあまり詳しい情報を持っていなかったため、旅人に吹き込まれた「伝説」が一人歩きし、想像を膨らませすぎていたのかもしれません。

宿の安い部屋はふさがっており、予想よりも高い部屋に泊まることになりました。また、夕食をとるため暗い夜道を歩いていると、小さな村なので食堂には欧米人があふれています。地元の人向けの安い食堂のようなものがないかと思ったのですが、もう閉店してしまったのか、それともそんなものは初めからないのか、一向に見当たりません。

とにかく辺りは真っ暗で、外国人向けの食堂の明かり以外は何も見えないので、一軒の中華料理屋に入るしかなかったのですが、思ったとおり安くはありませんでした。それに、欧米人が多すぎて、アジアのひなびた村に来ているという実感が湧きません。

小さな村にバックパッカーがあふれているという現象は、別にここに限った話ではないのですが、私は、この村は訪れる旅行者も少なく、古きよき山村の暮らしを堪能できるのだと、勝手に思い込んでいたようです。自分もバックパッカーでありながら、他の旅人も同じように考えてここに押し寄せてきたことに考えが及ばなかったのでした。

翌日、様々な少数民族がやってくるカラフルな朝市を見た後、「伝説の村人」を訪ねることにしました。この村にはミスター・ブックと呼ばれるオヤジがいて、普段は本屋をしているのですが、旅行者がやってくると無料で相談に乗ってくれ、どこに行けば面白いものが見られるか、いろいろと情報を提供してくれるのです。

ミスター・ブックに、半日くらいで行ける面白い場所はないかと聞いてみると、ボートに乗って近くの村まで行ってみたらどうか、ということになり、そのルートと村の名を記した簡単な地図を見せてくれました。旅人は、好きなルートを選んで地図を書き写し、それをもとに各自でミニ・ツアーやトレッキングを楽しむというシステムのようでした。

その時、同宿のスウェーデン人と日本人がいたので、三人で一緒に出かけることにしました。近くの船着場から村人と一緒に小さな乗り合い船に乗り、S村を目指します。小さな川に沿って、船はのんびりと進んでいきます。川面から見る農村の景色は、風情があってなかなかでした。

船は客を乗せたり降ろしたりしながら1時間弱でS村に着きました。降りてみると、本当に何もない小さな集落といった感じです。一緒の船に乗っていた老人が自分の家の中を見せてくれましたが、それが終わると他に見るべきものもありません。三人でしばらく辺りをブラブラした後、川を渡って対岸に行き、そこからシポーに戻ることにしました。

船のある家に行き、船頭とおぼしきオジサンに、対岸に渡してくれないかと身振り手振りで伝えると、いきなり「3人で200チャットだ」と言われ、私は仰天しました。当時の実勢レートでは1ドルが 280チャットくらいで、3人で1ドルにも満たない「渡し賃」なのですが、ミャンマーの物価水準からすれば完全なボッタクリです。

私はカチンときて、船頭を無視し、他の家をあたってみることにしました。しかし、どこの家でも、先ほどの家に行ってくれと言うばかりで、話にのってきません。どうやら最初に交渉した船頭がこのあたりのボスらしく、外国人を見かけたら自分のところに回すように示し合わせているようでした。

仕方なく最初の家に戻り、値段交渉をすることにしました。細い川で、船で渡ればほんの2〜3分の距離ですが、橋がないので、何としてでもその船頭と話をつけない限り、対岸に渡ることはできません。

今思えば、たかが1ドルにも満たないことで、何をそんなにカッカしていたのだろうと思います。また、同行していた二人も、お金を払ってさっさと渡ってしまいたい、という雰囲気でした。しかし、当時の私は筋金入りのドケチ・パッカーと化していて、現地の物価水準にかなり敏感になっていたこともあり、外国人と見てバカにしたような値段のつけ方に腹が立って仕方なかったのです。

先日のブログ記事「外国人料金と値段交渉」にも書きましたが、国によって「外国人料金」や「よそ者料金」の水準は違います。ミャンマーでは、国営交通機関の運賃や観光地の入場料、外国人向けのみやげ物屋などを除けば、ほとんどボッタクリの被害に遭わない国として有名でした。現実には、外国人が気がつかないくらいの少額が上乗せされていることも多いようですが、さすがにこの船頭のようにとんでもない値段を吹っかけてくることはあまりありませんでした。

それに、考えてみると、ミスター・ブックの地図を見てS村にやってくる欧米人のバックパッカーはけっこうな数になるはずです。皆同じようにここで対岸に渡ろうとして、 200チャット払わされているかもしれないと思うと、旅人の弱みにつけ込んだ卑劣な商売に負けるわけにはいかない、という闘志も湧いてきました。

再び船頭と交渉していると、彼は私の提示した金額を隣に控えている老女にいちいち報告しては、その指示を仰いでいます。老女は船頭の母親なのでしょうか。彼は老女の前では頭が上がらないらしく、オドオドしていました。

とすると、このボッタクリ価格を指示している大ボスは、このバアサンなのかもしれません。どうやら彼女を説得しない限り、交渉がまとまる余地はなさそうです。私は、バアサンを相手にさらに粘りましたが、150チャット以下にはなりそうもなかったので、そこで手を打つことにしました。こちらは船に乗らざるを得ない以上、強く出ることができません。それに、同行の二人をこれ以上待たせるわけにもいきませんでした。

話がつくと、バアサンは「前金をよこせ」といったようなことを言い出しました。私たちが対岸で乗り逃げするのを恐れているのでしょう。3人分の 150チャットを渡すと、バアサンは勝ち誇ったようにカッハッハと高笑いしました。

ボッタクリと知りつつ払わされ、あげくの果てに高笑いされるとは、何という屈辱でしょう。しかし、ここまで徹底的な悪徳バアサンを目の前にしていると、むしろ何かあっぱれというか、清々しさのようなものさえ感じます。何か、昔話の世界に迷い込んでしまったような、絵に描いたような悪人ぶりでした。

数分で対岸に着きましたが、今度は道路沿いにシポーまで帰らなければなりません。通りかかるバスもなく、車をヒッチハイクしようとしましたが、止まってくれる車はありませんでした。仕方なく、歩いて帰る覚悟を固めた頃、偶然通りかかったトラクターの荷台に乗せてもらえることになりました。

トラクターを運転していたのは素朴な感じの若者でした。実はそのとき、私にとってヒッチハイクは生まれて初めてだったのですが、その感慨よりも、この村で出会ったばかりの旅人たちと、荷台に後ろ向きに並んで腰掛けながら、夕暮れの田舎道をガタゴトと揺られていくというのが、まるでロード・ムービーのワンシーンのようで、旅をしみじみと実感せずにはいられませんでした。

村の手前でトラクターを降り、お礼がわりに若者にミカンを何個か渡しました。若者はちょっと驚いた様子でしたが、別にお金をくれと言うでもなく、静かな表情で再びハンドルを握ると、ゆっくりと走り去っていきました。

村の手前には精霊を祀った神社があります。そこから丘を登ると、頂上にはパゴダがあって、美しい夕暮れの村を見下ろすことができました。

何だかんだと心騒がしかったけど、いろいろと面白い体験ができたし、そんなに悪い一日ではなかったな、という気がして、静かな気持ちで丘を下りました。村に入ると停電中で、辺りはすっかり闇の中でした。

夕食後、カフェで先ほどの日本人と話していると、彼が「最近、感動が薄くなっていませんか?」とポツリと言いました。彼は日本を出てすでに8カ月、私は1年が過ぎており、旅に出た当初の新鮮な感動はすっかり薄れていました。1ドルにも満たないお金のことで腹を立てては地元の人とやり合う私の姿を見て、彼も思うところがあったのでしょう。私は、彼の言うとおりだと思わざるを得ませんでした。

しかし今、当時のことを思い出してみると、意識の表面では感動を覚えなくなっていても、心の深いところで、自分でも気づかないくらい静かに、依然として心を震わせるような旅の感動が続いていたような気がします。表向きは旅にすり切れたように振舞ってはいても、心は決して眠りこけたりしてはいなかったのだと、今では思います。

当時、旅を急いでいた私は、シポーの欲深バアサンに遭遇したことで「伝説」が裏切られたような気がしたのか、すぐに別の街に向かってしまいましたが、もう少しのんびりと滞在していたら、この村のもっと違う面が見られたかもしれません。それ以来、シポーには一度も足を運んでいませんが、現在の自分なら、また違う目でこの村を見ることができるかもしれないな、という気がします。

at 21:23, 浪人, 地上の旅〜東南アジア

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