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『サバイバル登山家』

サバイバル登山家
サバイバル登山家
服部 文祥

評価 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります

『サバイバル登山家』という本のタイトルも、表紙の写真もなかなか挑発的です。実際に読んでみると、気負いのせいか、文章も所々でとんがっていて、その文体に抵抗を感じる人もいるかもしれません。しかし、読み進めていくと、著者の服部文祥氏は単なる蛮勇でこの本を書いているわけではないことがわかります。

食料を現地調達し、焚き火をおこし、沢を遡り、藪を漕いで、頂へ。それがサバイバル登山と呼んでいる山登りである。


サバイバル登山というものを一言にまとめてしまえば、上のようになるのですが、登山に詳しくない人にとっては、これだけだと具体的なイメージが湧いてこないかもしれません。彼の登山家としての経歴を見る限り、少なくとも素人の思いつきによる無謀な試みではないだろうと想像はできるのですが、この本で具体的な装備の細目や、山での行動を詳しく辿ってみて初めて、彼の目指しているスタイルを理解できるのではないかと思います。

服部氏は、登山の目的地とルート、事前の綿密な準備と登山の技術はきちんと押さえた上で、装備を厳選して最小限に切り詰めています。例えば、彼の最初のサバイバル登山の装備は、次のようなものでした。

 最大十一日間の山行に持っていく食料は、米五合、黒砂糖三〇〇グラム、お茶、塩、胡椒だけとした。電池で動くものはすべて装備から除いた。時計、ヘッドランプ、ラジオである。コンロと燃料はもちろん持参せず、ついでにマットもテントもおいていくことにした。
 タープを張って雨を避け、岩魚を釣って、山菜を食べ、草を敷いてその上に眠って、山に登る。(後略)


少なくとも、全く何も持たずに手ぶらで山に入り、とにかく生きのびるだけのサバイバルでないことは明白ですが、テントなし、食料の現地調達というのはかなり厳しい条件です。最初は服部氏も食べられる山菜をあまり知らず、山菜キノコ図鑑を持参したほどで、釣りに関してもそれほど熟練していたわけではなく、相当な不安を抱えての出発だったようです。

しかし、彼は何度も山行を重ねながら、自分にとってのサバイバル登山の可能性と限界を見きわめようとします。本書でも、自分の実際の行動や心の動きを冷静に記録しており、自然に対する繊細な感受性も、死への恐怖に震える心も、里の食生活への執着を断ち切れない様子も、隠すことなく正直に描いています。

日勝峠から襟裳岬までの日高全山を25日間で踏破した「日高全山ソロサバイバル」は、その集大成となる山行で、本書のハイライトともいうべきものです。ちなみにその時は、装備の戦略的な価値を見極めた上で、電化製品(時計・ラジオ・ヘッドランプ)やシェルターも装備品リストに加えられています。

また、サバイバル登山というスタイルは、単なる装備の削減だけの話にとどまらず、山に対する服部氏の考え方も反映したものです。

装備の進歩に伴い、山の頂だけを目指すなら、登山自体は年々容易になりつつあります。人によっては、そうした登山に物足りなさを感じるかもしれないし、目的地の山頂を目指すために手段を選ばないのだとしたら、それは登山の「質」を犠牲にしている点で、あまり美しくないかもしれません。

アメリカでは、「あえて原始的であったり、難しかったりする方法を取ることで、その行為に占める自分の能力の割合を増やすことが、より深い経験につなが」ることを知る人々によって、フリークライミングやフライフィッシングなどの新しい活動が生まれています。

目に見える結果を残すこと以上に、活動の質にこだわり、自然に対して「フェア」であろうとして、便利な道具を一つずつ体から外していく、こうした考え方を登山の世界にも取り入れ、それをラディカルな形で表現したのがサバイバル登山ということになるようです。

もちろん、自分の力にこだわるあまり、現代的な装備を全く身につけず、ロマンチックな気持ちだけでやみくもに山に入っても、生還は期しがたいでしょう。結果至上主義や自然至上主義という両極端に走らず、向かうべき山の状態や、自分の能力の限界と必要な装備を冷静に見極め、ぎりぎりの妥協点を探ることを通じて、自分が心から満足できる山行が実現できるのでしょう。この本は、そうした新しい試みの一つの方向性を示しているといえます。

そして、それ以上に服部氏をサバイバル登山の方向に衝き動かしているものは、生きるということへの手応えです。

 生きようとする自分を経験すること、僕の登山のオリジナルは今でもそこにある。僕は自分の内側から出てくる意志や感情を求めていた。厳しい現実がつぎからつぎへと降りかかってくるような窮地や、思いもよらなかった美しいものを目にしたときに自分が何を感じるのかを知りたかった。絶対的な経験の先にある感情の起伏にこそ、心を物理的に動かしてゆく力がある。
 山には逃れようのない厳しさがあった。そこには死の匂いが漂っていた。だからこそ、そこには絶対的な感情がある気がした。


これは、「安心・安全・快適」を求めるあまり、自分たちの生活の基本的な物事すらすっかり他人任せにしてしまい、その結果、生きている実感や手応えすら失いつつあるようにみえる同時代の人々に向けての強烈なメッセージでもあるのです。

本書の後半、冬の黒部への山行は、さらに厳しいサバイバルを描いていて、世の中の常識的な基準からすれば、かなり「ぶっ飛んだ」世界です。こんな人たちが21世紀の日本にもいて、あまり世間の注目を浴びない場所で、命を賭けて自然と戯れていることを知るのは新鮮な驚きだし、そうした壮絶な旅の記録を読んでいると、不謹慎かもしれませんが、何だかワクワクしてきます。それにしても、家族の人たちは彼らが山に行くのをよく許すものだと思います。

本書のジャンルは登山ということで、一般の関心は呼びにくいかもしれませんが、いろいろと考えさせられる面白いテーマに満ちています。また、旅に興味のある人にとっては、サバイバル登山を究極の旅行記の一つとして楽しむこともできると思います。山登りをしない方でも、ひととおり読んでみる価値はあると思います。


服部文祥著 『サバイバル! ― 人はズルなしで生きられるのか』 の紹介記事
服部文祥著 『狩猟サバイバル』 の紹介記事


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします


at 19:25, 浪人, 本の旅〜日本

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