このブログ内を検索
新しい記事
記事のカテゴリー
            
過去の記事
プロフィール
            
コメント
トラックバック
sponsored links
その他
無料ブログ作成サービス JUGEM
<< 『若者殺しの時代』 | main | 『バンコク下町暮らし』 >>

旅の名言 「こういう時には、何かが……」

 依然として小雨は降りつづいていたが、傘を持たずにホテルを出た。駅裏に行くつもりが、信号が青になったのにつられて、なんとなく駅前の通りを渡ってしまった。こういう時には、何かが起こる。何が起こるかはわからないが、ただ身を任せていればいいということは、旅の経験から知っている。私はドナ・マリア二世劇場の裏手の路地を歩くことにした。
 外は雨のためか寒かった。コートの襟を立て、映画館の前に貼られている写真を眺めながら雨宿りをし、またしばらくして歩いていくと、一軒のバルの前を通りかかった。行き過ぎてから、ふと気になって、引き返した。なんの変哲もないただのバルだったが、私にはそこがなんとなく暖かそうに感じられた。

『一号線を北上せよ<ヴェトナム街道編>』 沢木 耕太郎 講談社文庫 より
この本の紹介記事

沢木耕太郎氏の紀行文集『一号線を北上せよ』からの引用で、彼がポルトガルのリスボンの街を歩いているシーンです。

旅に出ると、日常の暮らしでは考えられないような、人との不思議な出会いや、意外な出来事が起きたりします。それが旅の魅力であり、また危険でもあるのですが、個々の旅人の考え方、あるいは旅人の熟練度によって、そうしたハプニングに対する「構え」には違いがあるように思います。

旅をレジャーや観光と考える人にとっては、旅は安全な娯楽であるべきで、危険につながりかねない予定外の出来事は少ないにこしたことはないでしょう。見知らぬ国の見知らぬ街でもパニックに陥らず、安心して過ごすためには、事前の計画をしっかり立て、下調べや準備もしっかりとするか、そうした作業を旅行代理店に任せたうえで、ガイドブックや添乗員とともに旅をすることになります。

また、旅というものに思い入れがあり、単なる娯楽とは思わない人でも、実際に旅に慣れないうちは、ガイドブックなどに頼ることもある程度は必要でしょう。

行き当たりばったりの無謀な旅もそれなりに面白いとはいえ、旅する国によってはそれが命にかかわることもあります。私個人としても、そういう荒っぽい旅を人に勧めたいとは思いません。

しかし、いつも旅行計画やガイドブックや添乗員に守られるような旅をしていると、旅の魅力を充分に味わえないのも事実です。ある程度旅に慣れてくれば、むしろハプニングを期待して、人とは違うスタイルの旅をしてみたい、もっと自由に動き回りたいと思う人も出てくるのではないでしょうか。

ただ、自由に旅するといっても、アイデアが次から次へと湧いてくるような人はともかく、自由な行動に慣れていない人にとっては、いざそれを実践しようとしても、一体何をどうすればいいのか途方に暮れてしまうかもしれません。生い立ちも考え方も、旅に求めているものも違うそれぞれの旅人にとって、旅先でどのように行動すれば、その人にとって魅力的な出来事に出会えるのか、ガイドブックにもさすがにそこまでは書いてありません。

沢木氏は、数え切れないほどの旅の経験を通じて、思いがけない出来事や、不思議な出会いにつながるようなきっかけをつかむ方法を熟知しているようです。方法を熟知している、というよりもむしろ、旅先で自分にとって未知の「何か」が起こりそうな前兆を敏感に察知し、それに気がついた時点で、迷わずその「流れ」に身を任せる覚悟が常にできているというべきなのかもしれません。

沢木氏によれば、その前兆はささいなものです。上の引用にもあるように、彼ははっきりとした目的地を決めずに街をブラブラしながら、「なんとなく」ある行動をとってしまう瞬間や、ある方向が「ふと気になる」瞬間という、非常にあいまいなサインを道しるべにして、未知の「何か」が起こりそうな方向へと自分を導いていきます。そして、そのために、街を歩いている間も、明確な言葉や感覚になる以前の、自分の内面の非常にぼんやりとした兆しを静かに見つめているのです。

きっとそれは、文章で表現することは難しい、言葉となって結晶する以前の微妙な感覚に意識を向けることなのでしょう。何度もの経験を通じて少しずつ研ぎ澄ますことのできる感覚ではあるものの、言葉だけではうまく人に伝達することのできない、非常に微妙な職人的能力といえるかもしれません。

もっとも、それは超能力のような特別な能力ではないだろうし、その能力が社会生活の上で何か実用的な役に立つわけでもないでしょう。先ほどのリスボンの街歩きのシーンについても、その後に起きた出来事を読んでみると、別に、新聞ダネになりそうな特別な事件をキャッチしたとか、私たちの世界観を一変させるような衝撃的な出来事を呼び起こしたというわけではないのです。

それは沢木氏と、彼が出会った人々にとってだけ意味のあるような、ささやかでパーソナルな体験でした。しかし、旅人にとっては、そうしたささやかなハプニングの連続こそが旅の魅力であり、それを通じて旅人に少しずつ開かれていく未知への扉の中にこそ、旅の本当の豊かさがあるように私は思います。

ちなみに、旅慣れない人が沢木氏のマネをして、「なんとなく」そのへんの路地をウロウロしてみたとしても、たぶん特別に面白いことは何も起こらないのではないかと思います。「何か」を感じ取る能力は、潜在的にはすべての人に備わっているとは思いますが、それを研ぎ澄ますには、「修行」というか、それなりの旅の経験が必要だと思うからです。

むしろ、旅慣れていない人にとっては、旅をすること自体が新鮮な体験で、ガイドブックを片手に街を歩いていても充分に楽しいはずです。未知の「何か」を求めて、見知らぬ街をあてもなくさまようというのは、何度も旅を繰り返し、旅に慣れ、旅に煮詰まって初めて味わうことのできる、旅の上級編なのかもしれません……。

at 20:04, 浪人, 旅の名言〜危機と直感

comments(0), trackbacks(0)

スポンサーサイト

at 20:04, スポンサードリンク, -

-, -

comment









trackback
url:http://ronin.jugem.jp/trackback/242