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アンコール遺跡の少年ガイド

カンボジアのシェムリアップに滞在していたときのことです。

シェムリアップといえば、有名なアンコール・ワットを始めとする、世界遺産のアンコール遺跡群を見学するための拠点となる街であり、遺跡見学などそっちのけでウダウダと過ごす「沈没系」バックパッカーの「聖地」でもあります。

私は、かなり以前からアンコール・ワットとバイヨン (微笑する観世音菩薩の四面像で有名な遺跡) を訪ねるのを楽しみにしていたし、当時は「沈没系」のバックパッカーでもなかったので、ついに憧れの遺跡を前にした感激で、エネルギーにあふれていました。

せっかくの機会なのできちんと遺跡を見学しようと思いました。ガイドこそ雇いませんでしたが、アンコール遺跡について詳しく書いてある、日本人学者による解説本の海賊版をシェムリアップの市場で手に入れ、毎日バイクタクシーを雇って、朝から晩まで遺跡めぐりに明け暮れていたのです。

シェムリアップのゲストハウスには、専属のバイクタクシーの若者たちがいます。遺跡は宿から歩いて行ける距離にはないし、広範囲に分散しているので、泊まり客は彼らを半日か一日単位で雇って、遺跡を回ってもらうのです。彼らに遺跡の名前を告げれば、その入り口まで連れて行ってくれるので、彼らをそこで待たせ、ガイドブックを読みながら、好きなだけ遺跡を見学すればよいのです。

もっとも、私がカンボジアに滞在していたのが3月から4月にかけての暑い時期だったこともあるのか、彼らは午前中の早い時間と、午後遅くなって陽射しが和らいでから日没までの時間しか働いてくれません。日中はたっぷり昼寝の時間をとることになっているので、朝から晩までといっても、実質的には数時間しか動けないのです。遺跡の入場料は高いし、貧乏バックパッカーとしてはバイクタクシー代も節約したいところなのですが、いくらこちらが望んでも、一日でたくさんの遺跡を見て回ることはできません。

しかし、一日に数時間しか観光できないというのは不便なようですが、実はこれは非常に合理的なシステムなのです。たとえ彼らに余分な金を払って昼間に遺跡を見学しようとしても、ものすごい暑さで頭がモウロウとしてしまい、ガイドブックを読んでも何も頭に入ってこないだろうし、体力も非常に消耗します。アンコール遺跡をきちんと見て回ろうとすれば最低でも数日はかかるので、一日だけならともかく、そんな生活を何日も続けたらダウンするのは必至です。バイクタクシーの若者の生活パターンに合わせ、昼寝をしながらのんびりと遺跡を楽しむのが、結局ここではベストな方法なのです。

そんな風に遺跡を回りながら一週間以上が過ぎた頃、バイヨンに再び立ち寄りました。その日はバイヨンの壁面の彫刻をゆっくりと見て回るつもりでした。遺跡に入っていくと、小学生くらいの少年が近づいてきて、ガイドをさせてくれといいます。

私は遺跡の解説本を持参しているし、自分のペースで見てまわりたいので、ガイドを雇わないことにしていました。それに、子供のガイドではきっと内容もたかが知れています。しかし、相手が子供という安心感からか、ふと冗談半分に値段を聞いてみようかという気になりました。

その子の最初の言い値は忘れましたが、それほど高くはなかったように思います。きちんとしたガイドをしてもらえなくても、あきらめられる程度の金額でした。私は彼にガイドをしてもらう気になったのですが、それでもケチなバックパッカーだった私は子供相手に値切りまくりました。少年は料金に関してはあまり執着がなかったようで、結局 700リエル(当時は1ドルで 3,500リエル程度) で手を打ち、彼に遺跡を案内してもらうことにしたのです。

彼は下から遺跡を回りながら、見どころに来るたびに足を止め、詳しい解説をしてくれます。いったい何語でガイドしてもらったのか、当時の旅日記には書いていないのですが、遺跡の詳しい説明を私が理解できたところからして、日本語だったはずです。

彼のガイドぶりはなかなか頼もしく、プロのように誠実で、ガイドブックに載っていないような細かいところまできちんと説明してくれるのでした。私は、遺跡の何箇所かを指さして終わり、みたいないい加減なガイドを想像していたので、そのレベルの高さに驚いてしまいました。

子供らしからぬ、やたらと難しい専門用語までがポンポンと飛び出してくるのですが、聞いていると、彼が意味を分かったうえで話しているようには思えません。それに、ところどころ日本語になっていない部分もあります。どうも、意味も分からないままに、誰かのしゃべっていた日本語を覚えていて、まるでテープレコーダーのように繰り返している感じなのです。

私は、彼が日本語を話すようになった背景が想像できるような気がしました。日本人か、日本語の話せるカンボジア人のガイドが、毎日この遺跡にやってきては日本人のツアー客相手に遺跡の説明をしています。少年は、ここで物売りをしているオバサンの子供なのか、あるいは近所に住んでいるのか、バイヨンの遺跡を遊び場にしていて、毎日ガイドの語りを聞いているうちに、文字通り「門前の小僧習わぬ経を読む」で、意味も分からないままに日本語が話せるようになってしまったのでしょう。

とはいっても、その子の記憶力はずば抜けているように思えました。よほどその方面の才能があるのか、それとも、どうしてもガイドの語り口を真似してみたくて、毎日一心不乱に聞き耳を立てていたのか、いずれにしても、日本語が話せるようになるまでに、その子がそれに傾けてきたエネルギーの大きさを考えると、何かとてつもないことが起こっているように感じられたのです。

それに、もしかするとその子は、学校に通っていないのかもしれません。少年からはあまり商売っ気は感じられませんでしたが、もしかするとこうして私のような外国人を相手にささやかな収入を得ながら、家族の生活を支えているのかもしれません。もしそうならば、日本人なら小学校に行って勉強している時期に、学校で勉強できない彼が、持てる能力の全てをこうした形で使っていたかもしれないのです。

その辺の事情を少年に尋ねることはしなかったので、これは全て私の勝手な想像です。しかし、ここシェムリアップで非凡な才能を示している彼が、これからどんな人生を歩むのだろうかということにまで考えが及ぶと、当時のカンボジアではバラ色の未来が開けてくるようには思われず、何とも切ない気分になりました。

彼はその記憶力を生かして、そのままここでガイドになるのかもしれません。外国人相手の正式のツアーガイドになれば、一般の人よりもかなりよい収入を得ることができるでしょう。しかし私には、彼にはもっと優れた才能も備わっているように思えてなりませんでした。彼はこのカンボジアで、そういう自らの能力を高めるような教育を受け、自分にふさわしい道を歩むことができるのでしょうか。

生まれた国や環境によっては、どんなに優れた潜在的な能力を持っていても、それが見い出され、生かされないままに終わってしまうのかもしれません。そして、その少年に限らず、同じことが世界中で起きているような気がします。

そんなことを考えながら、少年と一緒に遺跡の中を歩いていました。少年は一つ一つの見どころを丁寧に解説してくれるのですが、結構時間がかかるため、全てを聞いていると、いつものように日没までにアンコール・ワットに向かうことができなくなってしまいそうでした。

私は少年にちょっと急いでくれと告げましたが、彼は素直にそれに従って途中を端折ってくれ、遺跡の頂上で一通りのガイドを終えました。約束通り、私は少年に700リエルを渡しましたが、その仕事の質に比べて不当に買い叩いたような後味の悪さがありました。しかし、だからといって、情に流されてチップを奮発できないのもバックパッカーの哀しい習性なのです。

何となく後ろ髪を引かれるような思いはありましたが、私はいつものように夕陽を見るために、待たせていたバイクタクシーでアンコール・ワットに向かいました。

at 20:08, 浪人, 地上の旅〜東南アジア

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