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旅の名言 「このような危うさを……」

 長い道程の果てに、オアシスのように現れてくる砂漠の中の町で、ふと出会う僕と同じような旅を続けている若者たちは、例外なく体中に濃い疲労を滲ませていました。長く異郷の地にあることによって、知らないうちに体の奥深いところに疲労が蓄積されてしまうのです。疲労は好奇心を摩耗させ、外界にたいして無関心にさせてしまいます。旅の目的すら失い、ただ町から町へ移動することだけが唯一の目的となってしまいます。どんなに快活で陽気なバイタリティーに溢れているように見えても、このまま安宿のベッドに横になったら、ふたたび立つことはできないのではないかという危うさを、どこかに抱え込んでいるようでした。多くは、二十歳を超えていましたが、ポール・ニザンのいう「一歩踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまう」状態に陥っていたのです。
 西への途上で出会う誰もが危うさを秘めていました。とりわけそれがひとり旅である場合はその危うさが際立っていました。一年を越える旅を続けていればなおのことでした。しかし、と一方では思うのです。このような危うさをはらむことのない旅とはいったい何なのか、と。
 次から次へと生み出される現代日本のシルクロード旅行記なるものも、その大半が甘美で安らかなシルクロード讃歌であるように思われます。肉体上の苦痛、物理的な困難については語られても、ついに「一歩踏みはずせば」すべてが崩れてしまうという、存在そのものの危機をはらんだ経験について語られることは決してないのです。


『深夜特急〈5〉トルコ・ギリシャ・地中海』 沢木 耕太郎 新潮文庫 より
この本の紹介記事

これまた、『深夜特急』からの引用です。

今や世界中にバックパッカーが溢れていますが、1970年代に『深夜特急』の旅で沢木氏が見たような、「危うさ」を秘めた若者たちは、シルクロードに限らず、現在でも至るところで目にします。

長い旅の中で、当初の新鮮な驚きや感動はすっかり薄れ、いつしか旅の日常にすっかり埋没してしまい、かといって自分の国に帰ることもできず、次に何をなすべきかも見出せないまま、日々疲労を蓄えながら、町から町へと流れ続ける放浪者たち。

しかし、中には自暴自棄になって、旅先で身を持ち崩したり、最悪の場合、命を落としてしまう者もいるということを考えれば、長い旅を続けている者の多くは、「危うさ」を秘めながらも、崖っぷちで踏みとどまっているように思います。

心身に「危うさ」を抱え込みながら、ギリギリのところで耐え続けている若者たち、ということで、すぐに思い出すことがあります。

最近、「ネットカフェ難民」と呼ばれる人々の生活がTVで何度も取り上げられ、話題になりました。彼らは経済的な理由でアパートを借りることができず、日雇いの仕事で食いつなぎながら、ネットカフェの椅子で寝泊まりするという、ギリギリの生活を続けています。

将来の見通しもないままに、今日一日を生き延びるために働き、寝場所を求めてさまよう毎日。TVの取材を受ける彼らの多くは若者ですが、孤独で砂を噛むような日々の連続に疲れ果てているように見えました。その綱渡りのような生活は、どこかで全てが崩れてしまいそうな「危うさ」に満ちています。

「ネットカフェ難民」の存在は、今までほとんど気づかれていなかったとはいえ、私たちのすぐ身近にある「社会問題」だという認識から、世間の強い関心を集め始めたようです。

しかし、世界中に散らばり、日本に住む人々からは見えないところで、心身ともにボロボロになりながら長い旅を続ける人々のことが、世間で話題になることはないでしょう。

もちろん、「ネットカフェ難民」の多くが、望んでそのような生活を送るようになったわけではないのに対して、長旅の放浪者は自分の意志で旅を始め、自分の意志で旅を続けているのであり、彼らがどんな状態になろうと、他人がとやかく口出しをすべきことではないのかもしれません。

また、旅人自身にも、ある意味では、長い旅のもたらす苦しみを知りながら、あえてそれを自ら望んでいるようなところがあります。

彼らは、沢木氏が指摘しているような、旅がもたらす「危うさ」を、むしろ、自らの人生に必要なプロセスとして積極的に引き受けようとしているのではないでしょうか。

「安全・安心」だけれども、逆に言えば、決定的なことが何も起こらないような平穏な日常の暮らしを離れ、旅を通じて自らを不安定な状況に投げ込むことで、自らを揺さぶり、今までとはまるで異質な自分に気づいていく日々。

それは、新鮮な驚きや感動をもたらす一方で、肉体的・精神的な「死」と背中合わせの「危うさ」を秘めています。これまで、いい意味でも悪い意味でも自分を守ってくれていた身近な人々や、モノや生活習慣から離れてしまうため、旅人は傷つきやすく、無防備です。様々な試練と誘惑の中で、一歩間違えればすべてが崩れてしまいそうな、きわどい綱渡りの日々が続くこともあるかもしれません。

しかし、そうした「危うさ」をはらむ旅を通じて、初めて自分の中に見出せるものがあり、鍛え上げられるものがあります。それは、日常的な言葉では簡単に説明できないような、深い体験を通じて見出される微妙なものです。そしてそれは、日常生活の繰り返しの中にとどまっている限りは、ほとんど気づかれることのないものです。

そうした、言葉にはなりにくい微妙な「何か」こそ、一部の旅人たちが苦しみも厭わず、真剣に探し求めているものであり、彼らは旅の危険を承知しつつも、直感に導かれるようにして、自分の意志であえて「危うさ」をはらむ旅へと出て行くのではないでしょうか。

最後に、誤解のないように付け加えますが、私は「ネットカフェ難民」と呼ばれる人々と、長旅の放浪者が同じ体験をしている、と言いたいわけではありません。

共に、「危うさ」を秘めた毎日を送り、全てが崩れてしまう寸前のような、ギリギリの状態で踏みとどまっているという点では似ていますが、自らの意志でそうした生活を選び取った場合と、望まずにそうした生活を余儀なくされているのとでは、その体験に大きな違いがあるように思うからです。


『深夜特急』の名言

at 19:02, 浪人, 旅の名言〜危機と直感

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