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2007.05.14 Monday
ワット・プートークで冷や汗
タイ北部、ラオスとの国境の街ノンカイに滞在していたときのことです。
英語のガイドブックで、ワット・プートークという寺があることを知りました。ノンカイからはかなり遠いのですが、岩山の上に仏教の僧院があって、修行僧の小屋が断崖の途中に建てられ、小屋同士は木の回廊で結ばれているらしいのです。
何かとても奇妙なものが見られそうな予感にワクワクして、早起きして出かけました。
ノンカイからローカル・バスで東へ2時間、ブンカンという街で南に向かうバスまたはソンテウ(ピックアップ・トラックの後部を座席にした乗り合いバス)に乗り換えて30分、バン・シウィライという村からソンテウまたはトゥクトゥク(タイの3輪タクシー)で30分行ったところにワット・プートークがあります。
何もない平原のようなところに、赤い岩山がいきなりボコッと突き出していて、その表面には、マッチ細工のようにコチャコチャとした建物が張り付いているのが見えます(ちなみに、トゥッ・ムーさんのブログ「アライナ! 泰国生活記」には、ワット・プートークに関する写真入りの詳しい記事があります)。
あいにく小雨が降っていましたが、私は期待に胸を膨らませながら階段を登り始めました。周囲に人の気配は全く感じられず、境内は奇妙な静けさに包まれています。
途中で、参拝(?)を終えたらしいタイ人の若者5〜6人のグループとすれ違いましたが、彼らはみな、何だか顔が引きつっています。何があったのか分かりませんが、ちょっと嫌な予感がしました。
急な木の階段を上がっていくうちに、「第5層」と呼ばれている場所にたどり着きました。この山を修行の場所とするために僧院を築いた僧は、岩山全体を7つの階層に分け、それを修行の階梯に見立てているそうです。上に登ることが高い境地を象徴するということのようですが、たしかに「第5層」の岩場からの眺めは素晴らしく、周囲の平原がはるか彼方まで見渡せます。
その地点から、岩山の周りをぐるりと取り囲むように木の回廊が作られていて、その途中には、修行僧のためと思われる小屋が建てられているのが見えます。私はその先がどうなっているのか見てみたくなり、回廊の上を歩き始めました。頭上には、岩が屋根のように覆いかぶさっているので、雨に濡れずに歩くことができます。
しかし、しばらく歩いているうちに、不安を覚え始めました。木の回廊をよく見てみると、厚さ1〜2センチしかなさそうなペラペラの細長い板材で作られています。それも見るからに素人のやっつけ仕事で、いつバラバラになってもおかしくないような気がします。
薄いスノコのような床板の隙間からは、数十メートル下の森が見えます。足元のはるか下を、薄い霧のかたまりが流れていきました。
断崖に作りつけられた回廊といっても、ところどころで細い棒が岩に斜めに突き刺してあるだけで、それ以外に岩山と木の廊下との接点はありません。セメントで固めたり、何かワイヤーのようなもので縛り付けてあるようにも見えません。
回廊はほとんど空中に浮いていて、何かとても微妙なバランスで宙吊りになっている感じなのです。木の廊下全体がどうやってバランスを保っているのか、どうやって細い棒だけで回廊を支えているのか、今この瞬間、すべてが崩れ落ちていないことが、ほとんど奇跡のように思えます。
そう気づいた瞬間、ものすごい恐怖に襲われました。
以前このブログでマレーシアのタマンヌガラ国立公園にある「キャノピー・ウォークウェイ」という施設のことを紹介しましたが、ジャングルの中の吊り橋を歩くそのスリルと、ワット・プートークのリアルな恐怖とでは 1,000倍くらいの違いがあります。尻の穴がこそばゆいとか、そういうレベルをはるかに通り越して、あまりの恐怖にへっぴり腰になってしまい、なかなか前に進むことができません。
相変わらず周囲には誰もおらず、岩山全体が不気味な静けさに包まれています。いつ足元で板が割れるか、いつ木の廊下が崩壊するかと気が気ではないし、万が一そんなことが起きたら、私の人生はそこで終わりです。たとえ運よく断崖の途中に引っ掛かって、ハリウッド映画みたいに助けを求めようにも、私を見つけてくれそうな人が誰もいないのです。
さっきからほとんど動いていないというのに、Tシャツはもう、冷や汗でビショビショです。それでも、尻尾を巻いて引き下がるのが悔しくて、一歩一歩進んでいるうちに、気がついたら、「ポイント・オブ・ノー・リターン(帰還不能点)」まで来ていました。もう、行くも還るもその危険度は同じで、今さら引き返すことはできません。
実際には、回廊の残りはあと数十メートルくらいで、大した距離ではないのに、歩けば歩くほど恐怖心が増してきて、足がすくみ、ついに動きが止まってしまいました。
しかし、こんなところで無意味に立ち止まっていても、恐ろしさがつのるだけです。
「ええい、ままよ!」
覚悟を決め、半ばヤケクソになって再び歩き出しました。
回廊の突き当たりまでなんとかたどり着き、岩山の裏側に回りこむと、木の回廊は終わり、砂岩のしっかりした道に変わりました。ホッとひと安心です。
さらに少し歩くと、岩が大きくせり出して洞窟状になったところに、大きな木製のテラスが作られていて、ホールというか、本堂のようになっていました。ここにもやはり誰もおらず、しんと静まり返っています。
しばらくそこで休んでいたら気持ちが落ち着いてきたので、懲りずに再び階段を登り、「第6層」を見てみることにしました。
先ほどと同じように、頼りなさそうな空中廊下が断崖に沿って続いています。しかし、先ほどと違って、この下には「第5層」の廊下があると思うと、何となく安心感がありました。万が一のことがあっても、下の「第5層」に引っ掛かって助かるのでは、という淡い期待があったからです。
しかし、歩き出してみると、回廊はさっきよりも細く、もろく、踏むたびにキシキシと音を立てます。しかも岩壁が目の前にせり出していて、屈まないと歩くことができません。床板の隙間からは、頼みの綱の「第5層」は全く見えず、足元は、やはり数十メートル下まで何もないのでした。
何でこんなことを続けているのか、自分でもよく分かりませんでしたが、せっかくここまで来て引き返すのはどうしても嫌でした。かといって、これ以上進むのはあまりにも恐ろしく、体はへっぴり腰を通り越して、激しく「くの字」に曲がってしまいました。体もガチガチになっていて、こんな状態ではバランスを崩しやすく、かえって危険です。
恐ろしさのあまり、心の中ではほとんど泣いていましたが、同時に意地にもなっていました。おびえる自分自身を叱りとばし、励ましながら、怖いのを我慢して背筋を伸ばし、できるだけサクサクと歩きました。
それでも、足元の薄板を踏み抜いたら終わりです。一度に二枚ずつ板を踏めば、体重が分散して少しは安全に歩けるのでは、などと考えて、足を「ハの字」に踏み出してみたりと、涙ぐましい努力を重ねました。
きしむ廊下を渡り切り、やっと突き当たりまでたどり着きました。そこまで何十分かかったのか、自分でも分かりません。岩山の裏へ回りこむと、そこには仏像がありましたが、無事渡り切れたことに心から感謝して、思わず手を合わせました。
しかし、何でこんなに恐ろしい思いをしたのでしょう。木の回廊が非常にもろい作りで、リアルな危険が迫っていたことはもちろんですが、それ以上に私が、この空中の遊歩道を作った修行僧たちを信用していなかったからではないでしょうか。その仕事の仕上がりを見て、いかにも素人風の粗雑な作りに驚き、いつ回廊が崩れてもおかしくないと思い込んでしまったのでした。
しかも、この回廊の上を歩く人間を一人も見かけなかったことも疑惑の原因になりました。もしかして、作られてから時間が経ち、今は危険すぎて、修行僧ですら誰も歩いていないのではないか、私はそれを知らずにこんなところに迷い込んで、命の危険を冒しているのではないか、という妄想が膨らんでしまったのです。
そして、疑惑を晴らそうにも、そのとき境内には誰もいなかったのです。
しかし、そんな風にして彼らの仕事ぶりを疑っている自分がみじめでした。もしかすると、そんな自分が嫌で、ことさら意地になってこの回廊を渡り切ろうと思ったのかもしれません。
「第6層」からは、「第7層」へのはしご段があったので、一応登ってみましたが、そこにはもう回廊はなく、雨にぬかるんだ細いけもの道が見えるだけでした。足を滑らせる危険があったので、そこはさすがにあきらめて引き返しました。
岩山から降りてくると、「入山」してから2時間以上も経っていました。結局、最初に見かけた若者のグループ以外、誰とも会わず、一人で寺の境内をさまよっていたことになります。
終わってみれば何事もなかったものの、何とも不思議で恐ろしい体験でした。
朝から何も食べていなかったことに気づき、門前の食堂でビーフン麺の遅い昼食をとりました。冷や汗にまみれ、疲れ切った体に、田舎っぽい、素朴なスープの味が染み入ってくるようでした。
英語のガイドブックで、ワット・プートークという寺があることを知りました。ノンカイからはかなり遠いのですが、岩山の上に仏教の僧院があって、修行僧の小屋が断崖の途中に建てられ、小屋同士は木の回廊で結ばれているらしいのです。
何かとても奇妙なものが見られそうな予感にワクワクして、早起きして出かけました。
ノンカイからローカル・バスで東へ2時間、ブンカンという街で南に向かうバスまたはソンテウ(ピックアップ・トラックの後部を座席にした乗り合いバス)に乗り換えて30分、バン・シウィライという村からソンテウまたはトゥクトゥク(タイの3輪タクシー)で30分行ったところにワット・プートークがあります。
何もない平原のようなところに、赤い岩山がいきなりボコッと突き出していて、その表面には、マッチ細工のようにコチャコチャとした建物が張り付いているのが見えます(ちなみに、トゥッ・ムーさんのブログ「アライナ! 泰国生活記」には、ワット・プートークに関する写真入りの詳しい記事があります)。
あいにく小雨が降っていましたが、私は期待に胸を膨らませながら階段を登り始めました。周囲に人の気配は全く感じられず、境内は奇妙な静けさに包まれています。
途中で、参拝(?)を終えたらしいタイ人の若者5〜6人のグループとすれ違いましたが、彼らはみな、何だか顔が引きつっています。何があったのか分かりませんが、ちょっと嫌な予感がしました。
急な木の階段を上がっていくうちに、「第5層」と呼ばれている場所にたどり着きました。この山を修行の場所とするために僧院を築いた僧は、岩山全体を7つの階層に分け、それを修行の階梯に見立てているそうです。上に登ることが高い境地を象徴するということのようですが、たしかに「第5層」の岩場からの眺めは素晴らしく、周囲の平原がはるか彼方まで見渡せます。
その地点から、岩山の周りをぐるりと取り囲むように木の回廊が作られていて、その途中には、修行僧のためと思われる小屋が建てられているのが見えます。私はその先がどうなっているのか見てみたくなり、回廊の上を歩き始めました。頭上には、岩が屋根のように覆いかぶさっているので、雨に濡れずに歩くことができます。
しかし、しばらく歩いているうちに、不安を覚え始めました。木の回廊をよく見てみると、厚さ1〜2センチしかなさそうなペラペラの細長い板材で作られています。それも見るからに素人のやっつけ仕事で、いつバラバラになってもおかしくないような気がします。
薄いスノコのような床板の隙間からは、数十メートル下の森が見えます。足元のはるか下を、薄い霧のかたまりが流れていきました。
断崖に作りつけられた回廊といっても、ところどころで細い棒が岩に斜めに突き刺してあるだけで、それ以外に岩山と木の廊下との接点はありません。セメントで固めたり、何かワイヤーのようなもので縛り付けてあるようにも見えません。
回廊はほとんど空中に浮いていて、何かとても微妙なバランスで宙吊りになっている感じなのです。木の廊下全体がどうやってバランスを保っているのか、どうやって細い棒だけで回廊を支えているのか、今この瞬間、すべてが崩れ落ちていないことが、ほとんど奇跡のように思えます。
そう気づいた瞬間、ものすごい恐怖に襲われました。
以前このブログでマレーシアのタマンヌガラ国立公園にある「キャノピー・ウォークウェイ」という施設のことを紹介しましたが、ジャングルの中の吊り橋を歩くそのスリルと、ワット・プートークのリアルな恐怖とでは 1,000倍くらいの違いがあります。尻の穴がこそばゆいとか、そういうレベルをはるかに通り越して、あまりの恐怖にへっぴり腰になってしまい、なかなか前に進むことができません。
相変わらず周囲には誰もおらず、岩山全体が不気味な静けさに包まれています。いつ足元で板が割れるか、いつ木の廊下が崩壊するかと気が気ではないし、万が一そんなことが起きたら、私の人生はそこで終わりです。たとえ運よく断崖の途中に引っ掛かって、ハリウッド映画みたいに助けを求めようにも、私を見つけてくれそうな人が誰もいないのです。
さっきからほとんど動いていないというのに、Tシャツはもう、冷や汗でビショビショです。それでも、尻尾を巻いて引き下がるのが悔しくて、一歩一歩進んでいるうちに、気がついたら、「ポイント・オブ・ノー・リターン(帰還不能点)」まで来ていました。もう、行くも還るもその危険度は同じで、今さら引き返すことはできません。
実際には、回廊の残りはあと数十メートルくらいで、大した距離ではないのに、歩けば歩くほど恐怖心が増してきて、足がすくみ、ついに動きが止まってしまいました。
しかし、こんなところで無意味に立ち止まっていても、恐ろしさがつのるだけです。
「ええい、ままよ!」
覚悟を決め、半ばヤケクソになって再び歩き出しました。
回廊の突き当たりまでなんとかたどり着き、岩山の裏側に回りこむと、木の回廊は終わり、砂岩のしっかりした道に変わりました。ホッとひと安心です。
さらに少し歩くと、岩が大きくせり出して洞窟状になったところに、大きな木製のテラスが作られていて、ホールというか、本堂のようになっていました。ここにもやはり誰もおらず、しんと静まり返っています。
しばらくそこで休んでいたら気持ちが落ち着いてきたので、懲りずに再び階段を登り、「第6層」を見てみることにしました。
先ほどと同じように、頼りなさそうな空中廊下が断崖に沿って続いています。しかし、先ほどと違って、この下には「第5層」の廊下があると思うと、何となく安心感がありました。万が一のことがあっても、下の「第5層」に引っ掛かって助かるのでは、という淡い期待があったからです。
しかし、歩き出してみると、回廊はさっきよりも細く、もろく、踏むたびにキシキシと音を立てます。しかも岩壁が目の前にせり出していて、屈まないと歩くことができません。床板の隙間からは、頼みの綱の「第5層」は全く見えず、足元は、やはり数十メートル下まで何もないのでした。
何でこんなことを続けているのか、自分でもよく分かりませんでしたが、せっかくここまで来て引き返すのはどうしても嫌でした。かといって、これ以上進むのはあまりにも恐ろしく、体はへっぴり腰を通り越して、激しく「くの字」に曲がってしまいました。体もガチガチになっていて、こんな状態ではバランスを崩しやすく、かえって危険です。
恐ろしさのあまり、心の中ではほとんど泣いていましたが、同時に意地にもなっていました。おびえる自分自身を叱りとばし、励ましながら、怖いのを我慢して背筋を伸ばし、できるだけサクサクと歩きました。
それでも、足元の薄板を踏み抜いたら終わりです。一度に二枚ずつ板を踏めば、体重が分散して少しは安全に歩けるのでは、などと考えて、足を「ハの字」に踏み出してみたりと、涙ぐましい努力を重ねました。
きしむ廊下を渡り切り、やっと突き当たりまでたどり着きました。そこまで何十分かかったのか、自分でも分かりません。岩山の裏へ回りこむと、そこには仏像がありましたが、無事渡り切れたことに心から感謝して、思わず手を合わせました。
しかし、何でこんなに恐ろしい思いをしたのでしょう。木の回廊が非常にもろい作りで、リアルな危険が迫っていたことはもちろんですが、それ以上に私が、この空中の遊歩道を作った修行僧たちを信用していなかったからではないでしょうか。その仕事の仕上がりを見て、いかにも素人風の粗雑な作りに驚き、いつ回廊が崩れてもおかしくないと思い込んでしまったのでした。
しかも、この回廊の上を歩く人間を一人も見かけなかったことも疑惑の原因になりました。もしかして、作られてから時間が経ち、今は危険すぎて、修行僧ですら誰も歩いていないのではないか、私はそれを知らずにこんなところに迷い込んで、命の危険を冒しているのではないか、という妄想が膨らんでしまったのです。
そして、疑惑を晴らそうにも、そのとき境内には誰もいなかったのです。
しかし、そんな風にして彼らの仕事ぶりを疑っている自分がみじめでした。もしかすると、そんな自分が嫌で、ことさら意地になってこの回廊を渡り切ろうと思ったのかもしれません。
「第6層」からは、「第7層」へのはしご段があったので、一応登ってみましたが、そこにはもう回廊はなく、雨にぬかるんだ細いけもの道が見えるだけでした。足を滑らせる危険があったので、そこはさすがにあきらめて引き返しました。
岩山から降りてくると、「入山」してから2時間以上も経っていました。結局、最初に見かけた若者のグループ以外、誰とも会わず、一人で寺の境内をさまよっていたことになります。
終わってみれば何事もなかったものの、何とも不思議で恐ろしい体験でした。
朝から何も食べていなかったことに気づき、門前の食堂でビーフン麺の遅い昼食をとりました。冷や汗にまみれ、疲れ切った体に、田舎っぽい、素朴なスープの味が染み入ってくるようでした。
- comment
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トゥッ・ムー, 2007/05/15 12:23 AM
はじめまして
本文中からリンクいただきありがとうございます。
私はあの回廊を一人では渡れずに断念しましたが一周されたなんてすごいです。
高いところ怖くなかったのですか?浪人, 2007/05/15 7:09 PMトゥッ・ムーさん、早速のコメントありがとうございました。
今思えば、ワット・プートークの木の回廊を歩いたのは無謀だったかもしれません。引き返すのが悔しくて、意地で渡ってしまいましたが、あれは今まで生きてきた中で最大の恐怖体験の一つでした。
もちろん、怖さの尺度は人によってそれぞれだと思いますが……。
それにしても、木の板というのは見かけによらず案外丈夫なものなんだな、ということがよく分かりました。
sanetoki, 2014/02/16 9:54 PMこんばんは。私は今年(2014年)の1月29日にブンカンからワット・プートークに知人(日本人)と行きました。第6層までは木製の急な階段を息を切らしながら登りました。お堂で出会ったタイ人二名と、木製回廊を歩きながら降りてきました。回廊の入り口のところで、思わず回廊を見つめてしまいました。大丈夫かなと。天候があまりよくなく、人に出会うこともないのに、よく一人で回廊を歩きましたね。その勇敢さに敬服です。
浪人, 2014/02/17 6:58 PMsanetokiさん、コメントありがとうございました。
ワット・プートークのあの回廊は、まだ健在なんですね。
私が行ったときは周りに誰もおらず、まるで異世界にまぎれ込んでしまったみたいで、独りビクビクしながら回廊を歩きました。
やはり、連れがいるととても心強いと思いますが、一緒に薄い板の上を歩くとなると、重量オーバーで危険も倍増ですね(笑)。
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