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旅の名言 「ヒッピーとは……」

 私たちのような金を持たない旅人にとって、親切がわずらわしくなるというのは、かなり危険な兆候だった。なぜなら、私たちは行く先々で人の親切を「食って」生きているといってもよいくらいだったからだ。
 「食う」という意味は二重である。ひとつは、文字通り人から親切によって与えられる食物や情報が、旅をしていくために、だから異国で生きていくために必須だということ。もうひとつは、人々の親切が旅の目的そのものになっているということ。つまり私たちのようなその日ぐらしの旅人には、いつの間にか名所旧跡などどうでもよくなっている。体力や気力や金力がそこまで廻らなくなっていることもあるが、重要なことは一食にありつくこと、一晩過ごせるところを見つけること、でしかなくなってしまうのだ。しかし、そうではあっても、いやそうだからこそ、人が大事だと思うようになる。旅にとって大事なのは、名所でも旧跡でもなく、その土地で出会う人なのだ、と。そして、まさにその人と人との関わりの最も甘美な表出の仕方が親切という行為のはずなのだ。
 ヒッピーとは、人から親切を貰って生きていく物乞いなのかもしれない。少なくとも、人の親切そのものが旅の全目的にまでなってしまう。それが、人から示される親切を面倒に感じてしまうとすれば、かなりの重症といえるのかもしれなかった。
 

『深夜特急〈4〉シルクロード』 沢木 耕太郎 新潮文庫 より
この本の紹介記事

「ヒッピーとは、人から親切を貰って生きていく物乞いなのかもしれない」という沢木氏の言葉は、バックパッカーの心に突き刺さってくるものがあります。

私の場合、旅先で自分がどう見られていたかは別にして、少なくとも自分はヒッピーではないと思っているのですが、冒頭の文章では、ヒッピーとかバックパッカーとか、あるいは貧乏旅行者とか、そういう言葉の定義が問題になっているのではありません。どんなスタイルで旅をしているかに関わらず、「人々の親切が旅の目的そのものになっている」ような旅人すべてに当てはまる話なのです。

自分の経験から言っても、いわゆる貧乏旅行は旅先での人の親切なしに成り立ちません。金がないということは、結局のところ、物事を金で解決することができないということであり、そうなると何もかも自分の力で解決しなければならないはずです。それなのに、右も左も分からない私が何とか旅を続けられたのは、行く先々で会う現地の人たちや、同じ境遇の旅人たちに、しっかりとサポートされていたからです。

旅の始めのころはともかく、旅を続けるうちに名所・旧跡への感動は薄れ、何のために旅を続けているのか、自分でもはっきりと分からなくなっていきました。それでも旅を続けたのは、私の場合も、旅先での親切や、人々とのシンプルで温かい交流を期待していたからなのかもしれません。

そして私も、旅の中で、「親切がわずらわしくなる」という状態に何度も陥ったことがあります。沢木氏は、『深夜特急』文庫版第3巻の巻末対談で、この原因を単純な肉体的疲労として説明しています。

沢木 僕も外国のことはわからなかったけど、自分のことは少しわかるようになったかもしれないな。旅をするのは、人の親切にすがっていく部分があるけど、疲労困憊してくると、人の親切がうまく受けられなくなるんですね、わずらわしくて。たとえばバスでタバコをすすめられたり、食堂で会った人が食べ物を半分わけてくれる。ところが、だんだん肉体的な疲労がたまってくると、人を拒絶するようになって、その果てに、人に対しても自分に対しても無関心になって、どうでもいいじゃないか、たとえ死んでもかまわないじゃないか、と思うようになってしまう。自分に無関心というと超越的な何かをイメージするかもしれないけれど、そうじゃなくて、単純な肉体的疲労なんですね。死んでもいい、生きる必要なんかないんじゃないか、と思っていても、疲労が癒されると、やはりバスで前へ進もう、となる。


確かに、旅の最中にネガティブな思考に囚われるときは、長時間の移動中とか、宿が見つからずウロウロしているとか、腹が減っているとか、「肉体的なエネルギー水準の低下」で説明がつくことが多いのです。

何度も同じような経験を重ねるうちに、私も少しは賢くなって、ネガティブな思考パターンにはまりそうな時は先手を打って休息し、ゆっくりと体を休めるとか、たまには何かおいしいものでも食べて気持ちを紛らすとか、いろいろ工夫することを覚えました。

ただ、それだけでは説明がつかない部分もあるような気がします。

私の場合、旅を長く続けるうちに、人から受ける親切をうれしく思う反面、自分に対してふがいない思いに襲われるようになりました。毎日のようにあちこちで人に世話してもらい、一方的に恩恵を受けながら旅している自分が、許せなくなってきたのです。

旅先で会う貧しい人たちは、自分のもっているわずかなものを私に分け与えてくれます。しかし、私は旅を長く続けたいという思いから、自分の旅の資金に手がつけられず、彼らの親切に見合うだけのものを金銭的に報いることができません。

それにそもそも、受けた親切を金銭に換算することなどできるわけがありません。

しかも私は通りすがりの旅人にすぎず、親切を受けた人に再び会える可能性はほとんどないのです。だからせめて、その感謝の気持ちを、別の機会に誰か他の人にささやかな親切をすることで埋め合わせたいと思うのですが、勝手のわからぬ旅先では、どこへ行ってもこちらが親切を受けるばかりです。

自分の中で、義理を果たせないという「心の借金」が膨らんでいくような気がしてきて、このままでは永久に返せなくなるのではないかというあせりと自己嫌悪に襲われるのです。旅を続ければ「借金」は増える一方です。かといって、旅はやめられない、やめたくない。非常に自分本位な悩みではあるのですが、こうしたジレンマを乗り越えて旅を続けられるだけの強い動機を維持するのが、次第に難しくなっていくのです。

だからせめて、これ以上親切を受けすぎないようにしたい、あまり人に頼りたくないと思うのですが、そうやって周囲との間に距離を置けば、今度は見知らぬ土地で孤独に苦しむことになり、何のために旅を続けるのか、ますますわからなくなってしまう……。

頭の中のこういう混乱は、休息してリラックスすれば解消できるようなものではなく、むしろ余計なことを考える時間が増えてしまうので、ジレンマは深まります。

沢木氏の言うとおり、自分は「人から親切を貰って生きていく物乞い」なのだと開き直ることができれば、ずっと楽だったのかもしれません。そうすれば、「心の借金」などという考えに振り回されることもなかったような気がします。

当時、自分は自由な旅人なのだというささやかなプライドに支えられて、辛うじて旅を続けていた私は、実質的に人の親切にすがらなければ生きていられなかったのだとしても、もしかすると、それをいつかは返せる借金であるかのように考えることで、自分が「物乞い」であると認めるのを拒否していたのかもしれません……。


『深夜特急』の名言

at 19:40, 浪人, 旅の名言〜旅人

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