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ネットカフェ「難民」というけれど……

以前にこのブログで、ネットカフェ難民についての記事を2回書きました。

記事 「ネットカフェ難民」
記事 「ネットカフェ難民2」

いずれも、日本テレビの深夜番組「NNNドキュメント'07 ネットカフェ難民」とその続編を見て、その内容に衝撃を受けて書いたものです。記事の内容も、番組の編集意図やメッセージに近いものになっていると思います。

最初の記事では番組の内容を紹介し、様々な事情でアパートに住めなくなった若者たちがネットカフェを転々としながら窮屈なイスの上で夜を明かし、ケータイで呼び出される日雇いの仕事で食いつないでいるということ、彼らの多くはそんな生活の中でも身だしなみには気を使い、ごく普通の格好をしているので、そうと知らされない限り、彼らが孤独の中で抱えている苦しみに、街行く人々の誰も気がつかないかもしれないこと、などを書きました。

その背景には、ケータイの普及や労働者派遣をめぐる規制の緩和、ネットカフェのサービスが進化し、格安で「宿泊」できるようになったことなど、家を失った「ネットカフェ難民」の生活を支える(?)巧妙な仕組みもありました。

2回目の記事では、仕事のめっきり減った40代のネットカフェ難民が、やがて24時間営業のファストフード店で夜を明かし、金がなくなると公園で野宿し、ついにはホームレスとして保護されることになったという、さらに衝撃的な「続編」の内容を紹介し、彼らの組織していた労働組合の活動にも同情的な立場で記事を書きました。

ただ、私個人としては、こういう紹介記事を書いていたにもかかわらず、こうした番組やマスコミの報道を通じて「ネットカフェ難民」という言葉が次第に定着し、ネットカフェで生活する人々に関する一定のイメージが出来上がっていく傾向に対しては、割り切れないものも感じていました。

やがて話が「格差社会」論のトピックの一つとして、政治的なキャンペーンにも結びついていくのを見て、何か違うなあ、という気がしたのです。

確かに、経済的な事情でアパートを追われ、ネットカフェやファストフード店で雨露をしのぎながら、日雇い派遣の不安定な収入でギリギリの生活を続けるのは辛く苦しいはずです。不本意ながらそうした生活をせざるを得なくなった人に対しては、何らかの救済策が講じられる必要があると思います。

しかし、ネットカフェで暮らす人たちの中には、ごく一部かもしれませんが、そうした生活を自らの意志で主体的に選びとり、そこに自分の居場所を見出している人もいるような気がするのです。

これはあくまで私の想像にすぎないのですが、今までの暮らしに耐えがたい息苦しさや虚しさを感じ、あえて身の回りの人間関係や環境を断ち切って、ネットカフェという匿名の空間に身を寄せている人もいるのではないでしょうか。

彼らにとっては、それ以前の暮らしの辛さにくらべれば、ネットカフェで生活する辛さなど、まだ我慢のできる範囲なのかもしれません。あるいは、住所不定という辛さを重々承知の上で、そこにささやかな放浪生活の自由を求めた人もいるかもしれません。

もしもそうした人がいるとしたら、彼らは「難民」というよりは「亡命者」であって、自分の選べるわずかな人生の選択肢の中から、ネットカフェで暮らすという方向に賭けたとも考えられるわけです。

だから、外側の暮らしぶりだけから彼らを見て「ネットカフェに暮らす人 = 難民」と一律に判断できるようなものではないと思うし、彼らの中には、マスコミの報道によって「難民」のイメージだけが一人歩きする傾向に対して違和感を覚えている人もいるのではないかという気がします。

もちろん、収入や生活環境は良いに越したことはありませんが、外国に移住したり親の遺産で好きなことをしたりする経済的な余裕のない人にとっては、今の日本人一般の生き方からある程度距離を置きながら、収入の方も何とか確保する一つの主体的な方法、いわば「プチ亡命」として、ネットカフェを転々とする生き方もあり得ると思うのです。

ただし、そうした生き方に果たして何らかの可能性や意味があるのか、実際のところ、一つのライフスタイルとして長く続けていけるものなのか、という点になると、それを実際に体験していない私には判断ができません。

また、仮にそれが彼ら自身の選んだ道だとしても、周囲からは「ネットカフェ難民」として一括りにされ、「かわいそうな人たち」というステレオタイプで見られてしまうかもしれないし、あるいは「住所不定の怪しい人間」という偏見で見られるだけなのかもしれません。

もっとも、世間からどのように呼ばれようと、どのようなステレオタイプを持たれようと、彼ら自身にとってはあまり関係ないとも言えます。彼らの外見は都会の群衆の中に溶け込んでしまっており、よほど注意して見ない限り誰にも気づかれることがないからです。気づかれなければ、差別や干渉の標的にされる危険もありません。

都会のインフラは、彼らが「不可視」の存在になれる環境を実現しています。ケータイで派遣会社と連絡を取り合い、昼夜を問わず人波の途絶えないネットカフェや24時間営業のファストフード店に身を寄せることによって、ある意味では、彼らはうまく身を隠しているとも言えます。

もしかすると、彼らはこれからも、マスコミから漠然と「ネットカフェ難民」と呼ばれるだけの透明な存在であり続け、ホームレスに対するような差別や余計な干渉をうまくかわしながら、都会の人波の中でしたたかに生き延びていくのかもしれません。


記事 「ネットカフェ難民3」
記事 「ネットカフェ難民4」
記事 「ネットカフェ難民5」

at 20:07, 浪人, つれづれの記

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