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『日本型システムの終焉 ― 自分自身を生きるために』

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

 今まで機能してきた日本社会のシステムが、機能不全に陥っている。いやそのシステムが機能していると見えたのはうわべだけで、うまくいっていると見えているうちから内部崩壊はすでに進んでいた。それに気づかなかったのは、そのシステムが表層的に誇示する利得、すなわち右肩上がりの経済成長があまりにも目覚ましく、その「豊かさ」が目くらましの効果を持っていたからだ。
 日本型システムが崩壊させていったのは、一言でいえばわれわれの「存在感」である。われわれはなぜ生きているのか。何を求めているのか。われわれとはそもそも何者か。これだけ「豊か」になったこの社会の中で、われわれはその問いに答えることができない。これだけ豊かになったのに、われわれは存在感の病いに悩んでいる。そしてこれだけ豊かになったのに、われわれはどこかで自分自身が根源的に自由でないと感じている。


本書の著者、上田紀行氏は、学生時代に自らその「存在感の病い」に苦しみました。「癒し」を求めてカウンセリングを受けたり、インドを旅してみたり、自己啓発セミナーにはまったりと、さまざまな経験を重ねました。

やがて彼は、文化人類学者として伝統社会の癒しを研究するようになり、現代社会における癒しについても、著書やマスメディアを通じて積極的な発言を続けています。

上田氏は伝統社会の持つ「つながり」、つまり、共に生きているという感覚の重要性に着目しました。以前にこのブログでも紹介した『悪魔祓い』という著作においては、スリランカの悪魔祓いの儀礼を紹介しながら、癒しと「つながり」感覚との深い関係を分かりやすく解説しています。

しかし、現代社会の癒しを考えるとき、ただ「つながり」の回復を訴えるだけでは、問題の解決にならないことも確かです。現代の日本を覆い尽くしている、目的と効率ばかりを優先する社会システムのあり方を考えてみるとき、単純にそのようなシステムに「つながる」ことが癒しをもたらすとは思えません。

上田氏は大学の教員として愛媛に赴任し、そこで目にした学生たちのあまりの元気のなさに驚愕します。その理由を探っていくうちに、前近代的なしがらみと近代的な合目的性や効率性が重なり合った、息苦しい「日本型システム」の姿が見えてきます。

 世間は効率性を求めている。世間はあなたに「意図」を抱いており、その「意図」が効率的に遂行されることを期待している。自分が存在する場にはすでに「意図」や「目的」があり、その目的に添って行動すればそこで認められるが、それに反する面を出せば排除される。あなた自身の「色」、ノイズを出してはいけない。それは過剰なものであり、決して歓迎されない。それは効率を下げ、みんなに迷惑をかける。「世間から後ろ指をさされないように、効率的に生きなさい」これが現代日本を覆っている意識に他ならない。


そうした日本型システムに過剰に適応しようとすれば、人は「透明な存在」になっていくしかありませんが、それが私たちの存在感を根底から失わせてしまうことになるのです。

上田氏は、私たちがこうした「存在感の病い」から癒されるためには、癒しの二つの原理のうち、「<つながり>型の癒し」だけでなく、「<断ち切り>型の癒し」にも着目する必要があるのだと言います。

それは、日本人が近代社会の矛盾を乗り越え、脱近代の新しい社会を目指そうとするならば、まずは私たちそれぞれが、近代的な「個」をしっかりと確立する必要があるということであり、同時に、「個」の確立が単なる孤立に陥ることなく、「つながり」に対しても開かれたものになることが必要なのです。

『日本型システムの終焉』という、大上段に構えたようなタイトルといい、本書を貫く「日本型システム」への鋭い批判といい、肩に相当力が入っている感じがしましたが、私は上田氏の主張自体には違和感を感じなかったし、むしろ読んでいて深い共感を覚えました。

ただ、理屈としてはその通りだと思うのですが、実践というレベルで考えるとき、私たち日本人の今後の道のりは相当厳しいと思わざるを得ません。

それは、開かれた「個」を確立していくという課題が、単なる心の持ちようだけで済む問題ではなく、私たちの日常生活に浸透しているあらゆるものに批判的に目を向け、残すべきものは残しながらも、それを乗り越えて新しい生き方を創造していく苦しい作業を要求するからです。

そしてその際、これまでの学校や会社のような組織だけを通じて「効率的」「システム的」に問題を解決していくことはできません。また、誰か他の偉い人だけに解決を任せて、自分は今まで通りの生き方を続けるというわけにもいかないでしょう。

現在私たちを悩ませる「存在感の病」から癒されるためには、私たちそれぞれが自らの責任で、内面・外面の双方において、自分なりの道を切り開いていかなければならないのです。

もちろん、それがうまくいけば、やがて私たちに深い癒しをもたらし、生きがいも与えてくれるはずなのですが……。

本書の出版から約10年が経った今、上田氏が指摘した問題は解決に向かうどころか、むしろ深刻化し、社会の閉塞感はさらに増しているように見えます。

その閉塞感が臨界値を超え、閉じられた社会の中で理不尽な暴力が噴出したり、スケープゴート探しが過熱したりする前に、私たち一人ひとりが重い腰を上げ、新しい生き方を創造する作業、苦しいけれどもやりがいのある作業に取り組み始める必要があるのではないでしょうか。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします

at 19:16, 浪人, 本の旅〜人間と社会

comments(3), trackbacks(0)

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じん, 2007/10/16 9:34 PM

こんにちは!
こういうことって、考えてしまうことありますよね。
私は、人生を考える人を応援するブログを書いています。
関心があったら、覗いてみて下さい。

maruyama834, 2014/11/28 11:36 AM

初めてコメントします。共感しました。貴方の書かれた部分は上田の考えとかなり近いのに、☆二つなのがいいですね!問題が深いということですね。

浪人, 2014/11/28 7:29 PM

maruyama834さん、コメントありがとうございました。

この本を読んだのは何年も前だったので、今日、本の要点を読み返してみて、上田氏の主張に改めて深く共感しました。

☆が少ないとのご指摘ですが、本の内容はともかく、全体のトーンがちょっと熱すぎるというか、日本社会の現状に対する怒りのようなものに満ちていて、読んでいてちょっとしんどい感じがしたのと、彼には『覚醒のネットワーク』や『悪魔祓い』など、同様のテーマをもっとシンプルに分かりやすく表現した本がいくつもあったので、このような評価にしたのだと思います。










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