このブログ内を検索
新しい記事
記事のカテゴリー
            
過去の記事
プロフィール
            
コメント
トラックバック
sponsored links
その他
無料ブログ作成サービス JUGEM
<< 『日本型システムの終焉 ― 自分自身を生きるために』 | main | 『なにも願わない手を合わせる』 >>

旅の名言 「私はこの街で……」

 私は盗まれて困るようなものを持っていない。だから、荷物のすべてはホテルに残したままである。パスポートと現金をコートのポケットに入れている以外、手に何ひとつ持たずに街を歩きはじめた私は、異邦の街の中にあって、透明な存在になったような心地よさを感じている。私はこの街で何者でもない。この街の住人ではもちろんなく、ある意味で旅行者でもない。ただ、目的もなく街をさまよっているひとりの異邦人にすぎないのだ。


『天涯〈1〉鳥は舞い光は流れ』 沢木 耕太郎 集英社文庫 より
この本の紹介記事

『深夜特急』の著者、沢木耕太郎氏による旅の写真集『天涯』からの引用です。

沢木氏が旅人について語るとき、「透明な存在」といった表現がよく出てきます。例えば、ベストセラーの『深夜特急』だけを見ても、その中にいくつかそうした表現を拾うことができます。

旅の名言 「異国にありながら……」
旅の名言 「歩いても歩いても……」

「透明な存在」、それはある時は日常の世界を離れた自由さや解放感として語られ、またある時は旅人が感じる、旅先の日常世界と関わることのできない距離感として語られます。

旅人は、自らの属する土地から旅立つことによってそこから切り離され、一方では旅先の土地と深くつながることもなく、まるで宙に浮いたような状態で漂っています。移動の連続が、その浮遊感に拍車をかけます。飛行機で旅を続ける人なら、物理的な浮遊感すら感じ続けることになるでしょう。

ただ、多くの旅人には、しっかりとした旅の目的地があり、あるいは旅先での行動に関する詳細なプランがあります。

彼らは微妙な浮遊感や解放感を感じつつも、「旅行者」としてのアイデンティティを持ち、ガイドブックを手に観光名所をたどったり、有名なレストランを巡りながら旅行者らしいふるまいを演じます。彼らは旅先の土地の経済に貢献する人々であり、現地の人々からも「観光客」として受け入れられることになるでしょう。

しかし旅人の中には、沢木氏のように、旅行者というアイデンティティまで脱ぎ捨ててしまう人もいるようです。

明確な行き先も目的もなく、いわゆる放浪の旅人として風まかせの旅を続けているような人間は、たとえ旅行者のような格好をしていても、本人の意識の上では「透明な存在」と化しています。彼らは「街の住人ではもちろんなく、ある意味で旅行者でもない」、「何者でもない」存在として異国をさまよっているのです。

もしかすると、彼らはその「透明な存在」という感覚がもたらす独特の「何か」をはっきりと感じとりたいがために旅を繰り返し、長い旅を続けているのかもしれません。

見知らぬ街を目的もなくひとりでさまよっているとき、旅人の内面に感じられるその独特の感覚が、私たちの心の奥に眠っている「何か」を呼び覚まし、心を掻き立てるのではないでしょうか。

それは言葉で説明しようと試みるよりも、実際にそれを感じること、何度でもそれを感じることに意味のあるような「何か」です。

そしてそれは、なぜかは分からないけれども、自分が生きていくうえでとても大切だと感じられるような「何か」なのだと私は思います。

放浪の旅人にとっては、もしかすると、目的地を決めて地上の特定の場所にたどり着くことよりも、見知らぬ土地をさまよっているときにふと味わうそうした内面の感覚の方が、はるかに大きな意味を持っているのかもしれません。

at 18:21, 浪人, 旅の名言〜旅人

comments(0), trackbacks(0)

スポンサーサイト

at 18:21, スポンサードリンク, -

-, -

comment









trackback
url:http://ronin.jugem.jp/trackback/371