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バックパッカーと「自己責任」 (1)

◆ 「自己責任」という言葉へのモヤモヤ感

昨年10月にイラン南東部で誘拐され、その後8カ月にわたって武装グループに拘束されていた中村聡志さんが、6月14日に無事解放されました。

本人は帰国後、関西空港での記者会見に、日焼けした元気そうな姿を見せ、救出に尽力した関係者への感謝と謝罪を口にしました。

とにかく、事件が無事解決して一件落着というところですが、マスコミには彼の軽率な行動をとがめるようなコメントが出ているし、ネット上でも彼の行動を非難し、「自己責任」を問う声が飛び交っています。

そこには、「お気楽なバックパッカーが、よく調べもせずに危険なところに足を踏み入れて誘拐され、国に迷惑をかけた」というニュアンスが強く感じられます。

こうした「空気」は、2004年のイラク日本人人質事件以来おなじみのものです。

今回の事件が、イラクの人質事件のときのように、自衛隊の海外派遣といった国の政策を直接揺さぶるような性質はもっていないせいか、当時ほどの大騒ぎにはなっていませんが、私個人としては、旅人の「自己責任」を言い立てる方向へ世間の「空気」が固まっていくことについては、モヤモヤとしたものを感じます。

もちろん、彼を非難する人々の言葉にも一理あります。

事件の詳細な内容はまだ分かりませんが、彼が今回の旅にあたって充分な情報収集と安全対策を行わなかった可能性は高いし、この誘拐事件を解決するために、日本とイランを始めとする各国の関係者を煩わせたことは確かだからです。

しかし、「自己責任」の名のもとに、多くの人が同じような調子で彼個人を非難する風潮には、何か寒々としたものを感じるのです。

それは何よりもまず、私自身がバックパッカーで、いつ自分も彼と同じ立場に追い込まれるか分からないと痛切に感じているからです。

それに、こうした国際的な誘拐事件のいずれについても言えることですが、事件の経過やその報道のされ方をめぐって、個人と国や、個人とマスコミの関係を含めた、とてもややこしい問題が浮き彫りになっています。

彼一人に非難の矛先を向けたところで、問題の本質は何も変わらず、これからも同じような展開が繰り返されることになる気がします。

そこで、今回の事件についてというよりも、旅行者が海外で巻き込まれる可能性のあるこうした事件一般について、特に、「自己責任」という言葉の意味するところについて、旅人の立場から考えてみたいと思います。


◆ ユーラシア大陸横断ルートについて

ところで、今回の事件の舞台となったイラン南東部は、いわゆる「ユーラシア大陸横断ルート」、バックパッカーがインド・ヨーロッパ間を陸路で移動するための幹線ルート上に位置しています。

ベストセラーになった沢木耕太郎氏の旅行記『深夜特急』も、インド・ヨーロッパ間を陸路で移動する旅がテーマでした。

沢木氏が旅した1970年代の当時は、インド → パキスタン → アフガニスタン → イラン → トルコという陸上ルートが有名で、「ヒッピートレイル」と呼ばれていました。沢木氏も多くのバックパッカーやヒッピーたちと同様、そのルートを乗り合いバスで旅しています。

アフガニスタンが戦場になってしまった現在は、アフガニスタンを迂回し、南側のパキスタンからイランに抜ける(今回誘拐された日本人旅行者のルート)か、北側の、旧ソ連圏の中央アジア諸国を経由するルートがとられるようです。

20年前、30年前ならともかく、現在は格安の航空券が出回っているので、ユーラシア大陸を陸路で旅する合理的な必然性はありません。陸路だと時間がかかるうえに結局は空路よりもはるかに高くつき、危険や苦労のレベルもケタ違いです。

それでも、そこを陸路で旅してみたいという旅行者は大勢います。

事件当時、イラン南東部の危険情報は「渡航延期勧告」(退避勧告の手前)のレベルでしたが、その情報を知っていたかどうかにかかわらず、ある程度の危険を承知で、注意深くその地域を通過しようと試みていた個人旅行者はかなりいたはずです。

もちろんそれは日本人に限った話ではなく、欧米人のバックパッカーについても事情は同じです。実際に確認したわけではありませんが、事件後の今でも、陸路にこだわって同じルートを旅している各国のバックパッカーはかなりいるのではないかと思います。


◆ 旅人の自己責任についてシンプルに考えてみる

話を戻します。

まず、自己責任という言葉についてですが、法律論としては、それに対してさまざまな解釈があり得るようです。
ウィキペディア 「責任」の項

しかし、私は法律の専門家ではないし、こういう議論に深入りするとかえって分かりにくくなってしまいそうです。ここではあくまでも、旅人としての実感に基づくレベルで、できるだけシンプルに考えてみたいと思います。

どんな旅人にも、旅に出るにあたっては、もしものときの覚悟のようなものがあるはずです。

もちろん、それをどれだけ意識しているかは人によって違うでしょうが、それを一言でいうなら、「旅先で何が起こっても、その結果は自分自身で受け入れる」ということになるのではないかと思います。

旅人がトラブルに巻き込まれて被害を受けることはめずらしくないし、ときには生死に関わる事態に遭遇するかもしれません。しかしそんなとき、周囲に頼れるような親しい人はいないし、自分の意志で旅を始めた以上、起こったこと全てを誰かのせいにするわけにもいきません。

トラブルに遭遇したら、旅人は自分の力で問題を解決するべく最大限の努力をしなければならないし、たとえそれで不幸な結末を迎えたとしても、その結果は旅人自身が引き受けなければならないのです。

これは、本人の内面・外面におけるすべての被害について当てはまるだけでなく、家族や友人などの周囲の人々にかける迷惑や、経済的な損失などもすべて含むはずです。

そして、例えば山岳遭難者の救助の場合のように、事態収拾のために多くの人を巻き込むことになれば、それに要した莫大な費用の支払いもそこに含まれることになるでしょう。

ガイドブックには、こういう心構えについてはハッキリと書いていないので、旅行者もふだんは明確に意識していないかもしれませんが、あえて最悪のケースが起こった場合を想定して考えてみるなら、ほとんどの個人旅行者は、常識的には以上のような考え方に落ち着くのではないでしょうか。

実際、世界の各地では、旅行者が犯罪の被害者になったり、事故に遭ったり、遭難したり、行方不明になったりするケースは絶えず起きています。

こうした「通常のケース」(もちろん、当事者から見れば通常ではあり得ないのですが)のほとんどは、マスコミに報道されるまでには至りませんが、この場合、本人が保険に入っていて、それが適用できるようなケースでもない限り、第三者が救済の手を差し伸べてくれることはありません。

本人も周囲の人も、起きてしまった悲劇を自分たちだけで受け止めるしかないのです。

ただ、そうした事件がマスコミを通じて広く知られることもないので、事件の当事者をつかまえて、わざわざ「自己責任」だといって非難する人もほとんどいないはずです。


◆ 国やマスコミがかかわる「特殊なケース」

しかし、マスコミに取り上げられるような「特殊なケース」の場合には、先に述べた常識的な自己責任の考え方で簡単に割り切ることが難しくなってきます。

マスコミが関わるケースとしては、旅行者が海外の自然災害や大事故、突然の政変などに巻き込まれる場合や、旅行者が海外の武装グループに誘拐・拉致されて、政府が交渉の当事者として関わってくる場合などが考えられます。

前者の場合は、「自己責任」の議論が出てくることはまずないでしょう。自然災害や大事故、突然の政変は、基本的に予測不可能なものです。被害者が災難に遭ったことに同情する人は大勢いても、被害者がたまたま現地にいたことを非難する人はほとんどいないのではないでしょうか。

そこで、ここでは後者の場合について考えてみることにします。

イラクの人質事件にしても、今回の誘拐事件にしても、犯行グループは被害者個人から金品を奪うことを目的にしていたわけではなく、人質の存在を利用して、現地の政府や日本政府を交渉の当事者として巻き込むことが目的でした。

犯行グループはそれによって、人命と引き換えに、国家による「超法規的な措置」を引き出そうとしたのです。

政府が当事者になり、国家として何らかの対応を迫られると、事件は一気に公的な性質を帯び、マスコミにも大々的に報じられることになります。

しかしそうなった場合、事件の焦点は犯行グループと政府関係者との交渉に移り、被害者の存在は、両者の交渉を継続させるための担保に過ぎなくなってしまいます。いわば被害者は、事件の最初のきっかけとして利用されただけで、拘束されている被害者はもちろん、被害者の家族も、その後の事件のプロセスをコントロールすることはできないのです。

もしも、事件によって生じた損失や政府側の経費について、そのすべてを事件の発端となった被害者の「自己責任」とみなすなら、被害者は、政府関係者などさまざまな人々の決断・行動によって生じる結果までも含めた全責任を負わされてしまうことになります。

山岳遭難のような場合には、これまでの長い経験の積み重ねによって、遭難者サイドの経済的な負担の範囲がはっきりしています。しかしそのような自然相手の遭難事件と、国際的な誘拐事件のような、政府を巻き込んだ大がかりな事件とを同列に考えることはできないのではないでしょうか。

今回のような誘拐事件の場合、誘拐されるまでのプロセスを被害者が振り返り、自らの不注意を反省する必要はあるかもしれませんが、事件のそれ以降のプロセスについては、多数の人間の意図・決断・行動がからんでくるため、どこまでが被害者個人の責任なのか、はっきりと切り分けることができません。

そう考えると、事件を解決するために要した費用(の一部)を被害者に負担させるという議論には無理があると思うし、そもそも犯罪事件の被害者が、その解決費用を負担させられるというのは理不尽な気がします。  

(続く)

記事 「バックパッカーと「自己責任」 (2)」


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