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バックパッカーは「時代錯誤」?
ウィキペディア 「バックパッカー」の項
バックパッカーがこのような旅をする理由の多くが「人生観を変えたい」というものである。しかしながら、前述したように旅をして旅先で結局は日本人と群れ、最低限のコミュニケーションツールとしての英語など語学力の上達や試みさえしておらず、人生観を変えたいがために来たのは良いが、その先の「人生の目標」がない、というタイプ人が多い傾向がある。
バックパッカーが目指すところの「一期一会の出会いを求め、非現実的な世界と新しい自分を探す旅」が、時代を経て姿を変え、批判の対称になりやすくなった原因の一つには「時代錯誤論」がある。多く人が出張や赴任先の海外から携帯電話一つで自国の会社に連絡をしているような情報化時代に、その真横で仕事もせず海外に出て自国にはない何かを見て何かを得ようとすること自体がそもそも「社会から逸脱した人間」「落伍者」のレッテルを貼られるのだという論調である。
この項目を書いた人が現役のバックパッカーなのかどうかは分かりませんが、読んでいると、海外の日本人宿に長逗留する旅人たちによって日々交わされている自虐的なボヤキが聞こえてくるような気がします。
確かに、バックパッカーをめぐる環境は、ここ数十年のあいだにすっかり変わりました。
ガイドブックが年々充実し、格安航空券が普及し、また、現地ではバックパッカー向けの旅行代理店、ネットカフェ、ゲストハウスなどの旅のインフラが整備されたことで、私たちが海外を旅することはどんどん楽になっています。
今ではもう、海外への個人旅行は特別な冒険ではなく、それなりの小金を用意すれば誰にでもできるレジャーです。極端な話、日本語しか話せない人が海外に長く暮らすことすら可能になってしまいました。
そんな環境では、海外をちょっと旅したくらいでは、周囲の人に自慢できるような冒険にもならないし、旅のみやげ話に目を輝かせて聞き入ってくれる友人も見つからないでしょう。旅人自身、ガイドブックどおりに行動すればどこにでも行けてしまうので、「何か凄いことをやりとげたぞ!」という達成感を感じにくくなっているのではないでしょうか。
しかも今や、世界各地の珍しいものはインターネットでいくらでも探すことができます。ただ単に珍しいものを見たい、知りたいという理由だけで、自分がわざわざ海外まで出かけていく意味があるのかと、旅人の誰もが深い疑問にとらわれるようになっているのではないでしょうか。
数十年前は、バックパックをかついで世界を巡るということが、何か未知の世界への扉を開くような、ロマンチックで新鮮な行為でした。
旅人は今、自分が旅をすることに何か意味があるのか、常に襲ってくる疑問や徒労感と戦いながら旅を続けなければならなくなっているのかもしれません。
しかし、バックパッカーという存在は、本当に「時代錯誤」の存在に成り果ててしまったのでしょうか?
もちろん、旅が何よりも好きで、とにかくどこかに出かけずにはいられないという人は、そういう社会的な意味とか周囲の評価には関係なく、これからも自らの好きな道を突き進むでしょう。そして、それで何の問題もないはずです。
きっと、バックパッカーという旅のスタイルが完全に消えてしまうなどということはなく、旅マニアを中心に、個人の自由旅行という形で、これからも変わりなく実践され続けることでしょう。
そして、私は思うのですが、それに加えて、バンコクの安宿街などでくすぶっているような人たちにとっても、バックパッカー的な生き方は「時代錯誤」どころか、今後ますます大きな意味をもってくるような気がしてならないのです。
世の中は、「人生の目標」を持ち、仕事などを通じて生き生きと自分を表現し、やる気満々でどんどん先に進んでいく人々ばかりで占められているわけではありません。
そんな人々を横目に見て羨ましいと思いながらも、そんな立派な目標も見つからないし、あんまりやる気も起きないし、でも、だからといって周りからグチグチと小言を言われるのもウンザリという人は大勢いると思います。
それに、ふだんは生き生きと働いている人でも、時には疲れ果てて休みたくなることもあるだろうし、何かのトラブルがきっかけで人生に行き詰まり、しばらくどこか遠いところにでも行ってしまいたい、と思うこともあるでしょう。
しかし世間は、そんな人たちに対して「頑張れ! 頑張れ!」と尻をたたいて追い立てるばかりです。ただ前進あるのみで、ちょっと休んだり、たまには脇道にそれてみたいと思っても許されないし、最近はそういう風潮がますます強くなっているような気がします。
最近、「外こもり」という言葉を耳にするようになりましたが、バックパッカーの中には、旅人という身分を隠れ蓑に、日本の外に「逃げ場」を求め、海外でしばらく潜伏して暮らすというタイプの人も増えているのではないでしょうか。
彼らは、例えばバンコクの安宿街で旅人と交じって暮らすことで、その無国籍な自由さに触れ、しばしの休息や解放感、あるいは個人的な救いを見い出しているのかもしれません。
そうした人たちに対し、「社会から逸脱した人間」とか、「落伍者」とか、「時代錯誤」とか何とか、いろいろなレッテルを貼る人はいるでしょうが、むしろそうしたレッテルを貼りたがる人たちが日本の中に大勢いるからこそ、彼らの冷たい視線から逃れることのできる安全地帯が必要になってくるのです。
また一方では、ただ消極的に日本から逃避するのではなく、意識的にバックパッカー的な生活を自分の生き方として選び取り、日本社会の多数派とは距離を置いて生きているという人もいるはずです。
モノをほとんど所有せず、常に身軽でいられるのが、バックパッカー的な生き方のメリットです。社会とは必要に応じてインターネットでつながり、住む場所も状況に応じて自由に変えていくバックパッカー的な生き方は、今後、モバイルなライフスタイルの一種として、旅好きな人間だけでなく、より多くの人々の注目を集めるようになるかもしれません。
バックパッカーは「時代錯誤」どころか、来たるべき時代のライフスタイルの一つとなる可能性を秘めているのです。
もっとも、これは、私個人の希望的観測に過ぎないのかもしれませんが……。
それにしても、これまで数十年にわたってバックパッカーたちが世界中に作り上げてきた貧乏旅行者向けのインフラが、今や、「先進国」での暮らしに息苦しさを感じる多くの人たちの避難所・隠れ家として大いに役立っているのは、考えてみれば面白いことです。
世界中のバックパッカーたちが、そうなるのを見越して計画していたわけではもちろんありませんが、結果として見れば、ただ好きなように生きていたバックパッカーの先輩方が、その辺のビジネスマンなどには及びもつかないような、「時代の先を見すえた仕事」をしてくれていたというわけです……。
- comment
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go-ichi, 2008/07/02 9:43 PM
ウィキペディアなぞ、所詮は誰でも好きな事が書ける場所です。
バックパッカーを快く思わない人が書いたのでしょうが、
すぐにバックパッカーによって書き直されるでしょう。
そもそもバックパックーって身の丈にあった旅行をするという意味では
海外旅行のときだけ大金を使って
普段できない贅沢をする人たちよりよほど健全だと思います。
また、バックパッカーが社会から逸脱した人間になってしまうのは
日本社会だけの特別な事情で欧米では普通の人たちの旅行スタイルです。
飛行機で飛んでいるその下にある物を見たいと思えば、
おのずとバックパッカーとは言わなくても
気がつけばそういうスタイルの旅行になっているはずです。
こういうことを書く人は観光名所だけ見て世界を見たと思い込み人でしょう。
go-ichi, 2008/07/02 9:46 PMすいません、追記させていただければ、
「その真横で仕事もせず海外に出て自国にはない何かを見て何かを得ようとすること」の何が悪い?
それこそ仕事をする事だけが正しいことという日本特有の病気だと思います。
浪人, 2008/07/03 7:37 PMgo-ichi さん、コメントありがとうございました。
おっしゃる通り、このウィキペディアの文章を書いた人は、(私はたぶん、バックパッカー自身が書いたと思うのですが)一流企業などの大組織に属して仕事に打ち込むことこそ正しい生き方なのだという、日本社会の主流派の価値観からバックパッカーを批判しているのだと思います。
こういう価値観は、親や学校教育やマスコミを通して日本人の大多数にしっかりと植えつけられていくので、当然、バックパッカー自身の心の中にも強力に刷り込まれています。
旅が本当に好きで、旅自体に熱中している人なら、そういう価値観や外部からの批判など何の意味ももたないのですが、旅人によっては、せっかく海外を自由に旅していても、日本での評価や世間の目が気になって、「俺はこんなところで何をやってるんだろう?」と、考え込んでしまう人もいるのかもしれません。
私個人としては、自分が旅をしたいと強く思うのなら、世間の目など気にしないで、いつでも、いくらでも旅をすればいいし、その後のことは、十分に旅をしたと思った時点で改めて考えればいいと思うのですが、今の日本の社会を見ると、再チャレンジできない現状も含めて、そうした生き方を受け入れるようにはなっていないようですね。Loop, 2008/07/04 5:57 PM編集されたのか記述が見当たらなくなってましたが、偏りのあるパッカーがロクに調査もせず書いたのかも知れませんね。現在の記述も彼方此方から切り貼りしたような感じになってます。
>その真横で仕事もせず海外に出て
とあったようですが、パッカーを記事に沿って例えるなら実際には真横ではなく仕事先と自国の会社の間に位置する存在ではないかと思いますがどうでしょう?新幹線で都市から都市へ移動する途中、車窓から見える田園風景の中の学生の日常を都市はどこまで想像できるかといえば甚だ疑問で、むしろ情報化社会の今日こそその省かれた世界への認識は重要性を増しており、時代錯誤などとは自身のひきこもり現象の無自覚さの表れではないでしょうか?旅行者が狂犬病で死んで驚いたり、朝青竜問題でモンゴルの場所や首都や草原だけじゃないというようなことをわざわざ報道したり、ギャネンドラ国王が権限移譲を発表した日にパリスヒルトンがトップニュースだったり・・・。象徴的な気がします。同じ北東アジアへの認識もステレオ的なイメージ論ですから、今この時代にそれは非常にマズイですよね。
go-ichiさんの仰られる通りそういう人は観光名所だけ見て回ってればいいのです・・・ということでたった今、そのスタイルを「IT旅行」と呼ぶことに決めました。無論スタイルは人それぞれでパッカーを過剰讃美するつもりもありませんよ。
>私個人の希望的観測に過ぎないのかもしれませんが……。
非常に興味深いです。私の希望的観測でもあるのかな。(^^;)
最後になりましたが、はじめまして。ちょこちょこ覗いてますので今後ともよろしくお願いします。
追記:関連項目に「裸の大将 - バックパッカーが登場するドラマ 」とあって、山下清=BPと思っている人が他にもいたことに驚いた(笑)浪人, 2008/07/04 7:39 PMLoop さん、コメントありがとうございました。
ウィキペディアの編集履歴を確認してみたら、私が引用した部分は7月3日に誰かが削除したみたいです。
>むしろ情報化社会の今日こそその省かれた世界への認識は重要性を増しており
私も同じ問題意識をもっています。go-ichi さんの「飛行機で飛んでいるその下にある物を見たい」というのも同じ気持ちだと思います。
都市に住んで、便利で快適な環境や情報の洪水にどっぷりと浸かっていると、自分たちの生活が水面下で切り捨てているものに対して鈍感になっていくし、そうしたものに対する想像力さえ失ってしまいがちです。
そういう意味で、バックパッカー・スタイルの旅は、私たちの世界のリアリティに触れる、とても有効な方法の一つだと思っています。
あと、ウィキペディアに「裸の大将 - バックパッカーが登場するドラマ」とあるのは、本質をとらえているという意味で秀逸なギャグですね。
日本には他に「寅さん」という超有名キャラもあるし、「スナフキン」も、バックパッカー的生き方の理想形かもしれないですね。go-ichi, 2008/07/05 1:16 AM浪人さん、Loopさん、コメントしていただきありがとうございます。
私自身まだ個人旅行で1週間ほど予約なしで陸路で旅しただけで、
まだバックパッカーはあこがれているだけといったレベルです。
私自身観光地を巡るだけのツアー旅行でもバックパッカー旅行でも、
本人が望む旅の形ならそれでよいと思っています。
この文章が問題なのは自分の価値観と違う価値観に対して
非難ないしは軽蔑の色が見える事です。
辞書なら事実を説明すればいいだけ。
時代錯誤とか落伍者という言葉には主観が入っています。
自分とは違う価値観の人がいるんだと認識すればいいだけのことだと思います。
長々と何度もすいません。
浪人, 2008/07/05 7:42 PMgo-ichi さん、コメントありがとうございました。
たしかに、ウィキペディアは「百科事典」というタテマエなので、記事を書く人の主観が入りすぎるのは問題ですね。
ただ、バックパッカーに対して批判めいたことが書かれるのは、日本社会でのバックパッカーの一般的な受け止められ方を反映しているのだと思います。
これは日本に限った話ではありませんが、自由旅行や貧乏旅行を体験したことのない人の方が人口的には圧倒的に多いはずです。だから、バックパッカーのような「少数派」は、漠然としたイメージやステレオタイプで判断されてしまいがちです。
これは、ある意味ではどうにもならないことで、「少数派の悲哀」だと思って割り切るしかないのかもしれません。
世間がどう評価しようと、本人が旅に喜びや充実感を感じているのなら、それでいいのではないか、というのが私の考えです。
これは、単なる「少数派の開き直り」なのかもしれませんが……。ゆういち, 2010/05/28 11:24 PM結論として「日本はクズ社会!今こそ憲法9条にのっとった、人民と労働者のための革命政府を樹立しよう!」ですね?
浪人, 2010/05/29 6:37 PMゆういちさん、コメントありがとうございました。
私は、そういう結論にはならないと思います……。家大好きっこ, 2012/06/15 8:10 PM消極的な理由でも、旅にでるだけのパワーがあるだけ凄いと思います。
人生の少しの間を逃避に使ってもいいんじゃないでしょうか?
最低限のマナーを守っていれば、バックパッカーが時代遅れと言われても気にせず旅にでれば良いんです。
そもそも時代遅れという言葉が、いい加減な価値だとも言えるんですから。
電車も車も苦手で国内さえ旅行しない人間ですけど、放浪の旅人とかちょっと羨ましいですね。浪人, 2012/06/16 7:04 PM家大好きっこさん、コメントありがとうございました。
旅の目的とか動機は人それぞれで、なかには、ちょっと後ろ向きな理由で旅立つ人もいるでしょうが、おっしゃるとおり、旅への一歩を踏み出すのには、それなりのパワーが必要です。
そういうパワーが発揮できるのなら、周りの人が何と言おうと、それを気にする必要はないのかもしれませんね。
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