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砂漠の洞窟不動産

中国・甘粛省の敦煌に滞在していたときのことです。

宿のドミトリーで知り合った日本人旅行者数人と、ミニバスに乗って、世界遺産の莫高窟に向かいました。

莫高窟には唐代を中心に、前後千年にもわたって掘り続けられたという数百の石窟が残されています。井上靖氏の小説『敦煌』や、TV番組の「シルクロード」などで紹介されたこともあり、日本人にはよく知られた観光名所です。
ウィキペディア 「莫高窟」

やがて私たちの前に、断崖に穿たれた無数の洞窟が見えてきました。といっても、実際には新しくコンクリートで補修が加えられ、それぞれの石窟の入口には防犯用の鉄扉もついているので、遠目にはまるで崖下に作られたアパートか何かのように見えます。

インターネットで調べると、現在、莫高窟の入場料はべらぼうな金額になっているようですが、私が旅した頃はその数分の一ほどでした。

それでも決して安いとはいえない入場料を払うと、数え切れないほどある石窟のうちのごく一部を、中国人ガイドが引率して案内してくれます。ごく一部といっても、貴重な「敦煌文献」が秘蔵されていた場所や、天井までびっしりと仏教壁画で埋め尽くされた石窟、大仏や寝釈迦仏の安置された石窟など、主だった見どころは網羅されているし、壁画には鮮やかな色彩がまだ残っていて、当時の華やかさをしのぶことができます。

また、「基本料金」の他に、さらに高額な特別料金を払うと、他の重要な石窟も追加で見学できる仕組みになっています。

ただし、ガイドが扉のカギを持っていて、一つひとつの石窟のカギを開け閉めしながら案内するので、自分のペースで自由にあちこち覗きまわることはできません。一つの洞窟に団体でドヤドヤと入り、中を数分間見学して、またドヤドヤと出ていく感じなので、ゆっくりと壁画を鑑賞したり、感慨に浸っている余裕はありません。

個人的な理想をいえば、ひとり薄暗い洞窟の中に座り、壁画を見上げたりしながら静かに時を過ごせたらいいなあと思っていたのですが、そういうぜいたくは許されないようです。

まるで時間を惜しむかのように、あちこちの「部屋」を慌ただしく出入りしていく様子は、まるで、不動産屋に連れられてオススメ物件を見て回るのにそっくりです。それに、払う金に応じて入れる部屋が違うというシステムも、実に資本主義的というか、現代のマンションやホテルにそっくりです。

考えてみれば、かつてはこれらの洞窟の中にも多くの人が暮らしていたわけで、そういう意味では、ここも一種の不動産物件といえなくもないのかもしれません。

さらに皮肉な言い方をすれば、マンションやホテルのような物件の場合、基本的に物件を購入したり、そこに住んだり泊まったりすることで初めてお金のやり取りがあるわけですが、ここの場合は、ただ物件を見るだけのためにお金を払わなければなりません。管理する側にとっては、多くの人に見せれば見せるほどお金が稼げるわけで、これは不動産の域を超えているというべきでしょう。

私は莫高窟について、ほとんど何の下調べも予備知識もなく見学したので、「基本料金」分だけで十分満足できましたが、この遺跡について詳しい人なら、実際に見てみたい石窟がいくつもあるはずで、そのたびに特別料金を追加徴収されるとなると、相当なフラストレーションを感じるのではないでしょうか。

でもまあ、それだけ熱心なファンなら、実物をただ一目見るためだけに多額の出費を重ねることも厭わないのかもしれないし、現地の物価水準に慣れてしまったバックパッカーとは違い、団体のツアー客なら、それほど高いとも感じないかもしれません。

それに、世界中の人々に知られた人気の高い遺跡だからこそ、すべての観光客をそのまま受け入れ、自由に見学するままに任せていたら、狭い洞窟の壁面に描かれた繊細な美術品は、すぐに傷んでしまうでしょう。私が見学するその行為自体も、わずかながらその風化を促進してしまうわけで、そう考えると、こうした厳しい管理や高い入場料も仕方のないことではあります。

いろいろと余計なことを書いてしまいましたが、これは莫高窟の本質とは関係のない話で、石窟遺跡自体はすばらしいものでした。当時、西の彼方から砂漠を越えてやってきた仏教という新しい信仰に人生を捧げ、莫高窟の造営に心血を注いだ人々の熱意がヒシヒシと伝わってきます。

ただ、そうは言ってもやはり、文化財保護の名目で鉄の扉の向こうに閉じ込められ、当時の信仰とは切り離された美術品として、金持ち観光客の見物対象になってしまったこの遺跡の姿には痛々しいものを感じたし、そうした印象が、遺跡をこの目でじかに見た感動をかなり打ち消してしまったのは確かです。

莫高窟自体は、当時そこに生きていた人々の熱い信仰が残した抜け殻のようなものですが、その抜け殻があまりに美しく、後世の人々の強烈な関心を惹きつけてしまったがゆえに、時間とともに少しずつ朽ち果てていくという本来の道に従うことを許されず、こうして見せ物のような運命をたどることになったのは、何とも皮肉です。

これはあくまで個人的な趣味の問題かもしれませんが、遺跡というのは、人間の管理の手からできるだけ離れ、そのまま自然に朽ちていくままになっている方が遺跡らしいと思うし、できれば、周囲の景観も含めて、遺跡全体が醸し出す雰囲気を、ゆっくりと静かに味わえるところの方がいいと思います。

そういう意味では、世界遺産のように「超有名」になっていないところの方が、訪れた人の総合的な満足度という点では、ずっとコストパフォーマンスが高いといえるかもしれません。

例えば、同じシルクロードなら、トルファン(吐魯番)の郊外に、交河故城という遺跡があります。

宿のある市街地から、自転車をゆっくりこいで数十分ほどで行けるので、タクシーをチャーターしたりツアーに参加したりする必要もなく、好きなときに、一人でぶらっと立ち寄ることができます。

もっとも、そこには、美術的に価値のありそうな建物は残っておらず、風化の進んだ、荒れ果てた街の跡があるだけです。私が行ったときには見物する人もごくわずかでしたが、午後の強烈な陽射しの中、人の気配のない、乾き切った廃墟にボーッと立ち尽くしていると、何ともいえない感傷がこみ上げてきました。

テレビの「シルクロード」的な雰囲気をじっくりと味わいたいのなら、こうした、何でもなさそうな遺跡の方がずっとふさわしいのかもしれません。

もっとも、そんな何もないような遺跡でも、入場料だけはしっかり取られますが……。


JUGEMテーマ:旅行

at 19:07, 浪人, 地上の旅〜中国

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