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カレイドスコープ・メディアの時代?

いつごろからそうなったのか、はっきりと覚えていないのですが、私の場合、たぶん数年ほど前から、RSSリーダーを利用してさまざまなブログをチェックするのが毎日の習慣になりました。

もちろん、すべての記事を読むわけではなく、タイトルをざっと見て、面白そうな記事をつまみ食いするだけです。それでも、リストしてある何十かのブログの中からそれなりに拾い読みしていくと、結構な時間を費やすこともあります。

しかし、そうやってたくさんのブログをチェックすることに、何か実用的な意味があるのかと言われれば、正直なところ、私にもよくわかりません。

テレビや新聞に先んじて、世界をゆるがすような重大ニュースがブログの記事から先に飛び込んでくることなどまずないし、ブログには、本や雑誌のような信頼性や完成度、専門的な内容の濃さもあまり期待できません。

それに、文体や視点が全体として統一されている新聞などとくらべると、個人メディアのブログは書き手の視点もバックグラウンドもさまざまだし、文章や内容のバラツキの幅が大きいせいか、読んでいるとけっこう疲れます。

時には、記事が断片的すぎたり、内容が整理されていないために、書き手が何を言いたいのか、理解できずに苦労することもあります。あるいは、私にはとてもついていけないような、過激な意見や立場が表明されていたりして、読むだけでストレスを感じることもあります。

まあ、そういう点に関しては、自分のことをすっかり棚に上げて言っているわけですが……。

それはともかく、それでも無数のブログの集合体がつくり出す多彩で複雑な世界には、テレビや新聞などのマスメディアよりもずっと面白く、人を病みつきにさせる「何か」があります。そして、この魅力にすっかり慣れ親しんでしまった今では、新聞の記事などを読んでいると、あまりにもスカスカで薄っぺらな感じがしてしまうほどです。

ブログを読むとき、そこには情報収集という目的も半分くらいはあるのかもしれませんが、私の場合、それ以上に、世の中の重大事件や日常生活のささやかな出来事に対して、それぞれのブログの書き手がどのように考えたり、リアクションしたりしているか、あるいは、日々を暮らしながらどんなことに価値を見出しているのかなど、現在を生きるさまざまな人々のモノの見方や行動を知るという面白さを感じているのだと思います。

そして、いろいろな人のブログをまとめて読む体験というのは、実際には活字を読んでいるのにもかかわらず、同じ活字メディアの新聞・雑誌や本を読むよりも、どちらかというと、直接人と会って、酒でも飲みながら世間話をしたり、面白い話を聞いたりする体験に近いような気がするのです。しかも、リアル世界の限られた交遊圏ではたぶん一生出会うことができないような、非常にユニークな人物についても、まるで彼らと知り合いであるかのようにその生活をかいま見られるのが、ブログのすごいところです。

もちろん、リアル世界で人と直接会うという行為には、言葉以外にも、さまざまなレベルでのコミュニケーションが同時に含まれているわけで、それとネット上で文字だけを読む行為とを同列に考えることはできないのですが……。

ところで、私がブログを読むのは、他の人もたぶんそうだと思いますが、その中で誰の意見がもっとも正しいとか、誰の行動がもっとも適切であるかということを判定するためではありません。

バックグラウンドの違ういろんな人が、世の中の出来事や自分の置かれた状況に対して、それぞれ自分にふさわしいやり方で独自の反応をするところが興味深いのであって、それはまるで、この地球上における人々の美しくも多様な生活のありようを、RSSリーダーという万華鏡を通して覗き込んでいるようでもあります。しかも、その万華鏡の中身をどう組み合わせるかは、見る人の好みに合わせていくらでもカスタマイズできるというのが、インターネットのすごいところです。

これまでのマスメディアは、物理的な制約もあって、現実世界のそのような多様性を再現することはできなかったので、その代用品として、もっともらしい平均的日本人像みたいなものをつくり上げ、彼や彼女がどのようにこの世界を見つめ、何に価値を見出し、どのように行動すべきであるか、マスコミ人がそれを正しく代弁できるということになっていました。

もちろんそれは幻想にすぎなかったのですが、幻想は幻想として、あるいは一種のタテマエとして、長い間それなりに世の中の役に立ってきたとは思います。

しかし、考えるまでもなく、日本社会にも昔から背景も利害も異なるいろいろな人々がいて、それぞれ自分の損得や価値観に従って生きていたわけで、平均的日本人像のイメージどおりに、それを現実に生きた人がいたわけではありません。そしてそれが幻想である以上、私たちがどう生きるべきかを自ら考えようとするとき、それは具体的なロールモデルとしては役に立ちません。

それに比べれば、さまざまなブログを50〜100くらい適当に選んで、その全体を定期的にウォッチしているほうが、現在の日本人の姿を知るという意味ではよほどリアリティがあるし、面白いし、しかもその中から自分が最も共感を覚える書き手やテーマに注目していくことによって、自分がこの世界でどう生きていくべきかについても、大いに得るものがあるのではないでしょうか。

そしてこのことは、日本だけにとどまらず、世界中のブログについても言えるのだろうと思います。

世界中に存在する無数のブログや各種サイトの中から、読み手が自由に選択し、それらを各自の嗜好に合わせて万華鏡のように組み合わせることが、多様なモノの見方や立場をいつでもまとめて鳥瞰することのできる、メタ・メディアみたいな機能を果たすとしたら、実に面白いことだと思います。

そうやって、いろいろな人が自らの立場を表明するのを、常に全体として眺めるような習慣が広がれば、世界中の人々が織り成すその万華鏡のような世界の中で、私たち一人ひとりが果たしている役割は重要だけれど、同時に他の人も同じくらいの重みをもっていることや、自分たちが深く共感しているモノの見方や立場というものも、全体からすれば、たくさんの視点のうちの一つに過ぎないということが、自ずと理解されるようになるのではないでしょうか。

そしてそうなれば、何か絶対的に正しいとされるただ一つの「真実」を、世界中の人々に強制しようなんていう勘違いも減っていくだろうし、それによってこの世界も、今よりは少しだけ平和になるかもしれません。

まあ、こんな余計なことをつい考えてしまうということは、私はやっぱり心のどこかで、ネット世界がリアル世界へもたらす変化というものに、多大なる期待を抱いているのかもしれません。つい最近、インターネットへの期待が冷めつつあるなんてことを書いたばかりなのですが……。

記事 「冷めつつある期待?」


JUGEMテーマ:インターネット

at 19:06, 浪人, ネットの旅

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