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旅の名言 「旅は思索の……」

 旅は思索の助産婦である。移動中のジェット機や船や列車ほど、心のなかの会話を引き出す場はまずない。目の前にあるものと、頭のなかで考えることができるものとの間には、奇妙なと言っていいくらい相関関係がある。大問題を考えるときはしばしば大きな風景が求められ、新しいことを考えるためには新しい場が必要になる。内省的なもの思いは、流れゆく景色とともに深まりやすい。


『旅する哲学 ― 大人のための旅行術』 アラン・ド ボトン 集英社 より
この本の紹介記事

旅をしながら、旅について深く考えるエッセイ、アラン・ド・ボトン氏の『旅する哲学』からの一節です。

「旅は思索の助産婦である」とは、思索そのものを仕事とする人物ならではの名言ですが、もちろん彼のようなプロだけではなく、私たちのようなごく一般の旅行者も、旅が思索を促し、それを深めてくれることを経験的に知っています。

その思索は、彼のように人前に出せるような立派なものではないかもしれませんが、少なくともそれらは旅先の土地や人々のこと、世の中全般のこと、そして自分自身のことについて、日常の暮らしとは違う視点からの、さまざまな思考や内省をもたらしてくれます。

ちなみにド・ボトン氏は、同じエッセイの中で、こうも書いています。

 あらゆる移動手段のなかで、いちばん考える助けになるのは、列車なのではないか。船や飛行機の旅のように、風景が単調になるおそれはまったくない。うんざりしなくてすむ程度にはじゅうぶん速いし、対象を見定めることができる程度にはゆっくり走ってくれるからだ。


動いている乗り物には、いずれも思索を促す効果がありますが、彼に言わせると、列車のスピードがベストのようです。

もっとも、このあたりは個人の好みの問題もあるでしょう。あるいは、頭の中で繰り広げる思索の性質によって、最適のスピードも違ってくるかもしれません。

私個人としては、旅の手段としては列車よりもローカル・バスの方が面白いと思っているのですが、たしかに列車の方が、何かボーッと考え事をするのには適しているような気がします。ローカル・バスでは、車窓の風景にちょっと生活感がありすぎて、大きなテーマや少し抽象的なことを考えるのには向いていないかもしれません。

でも、どんな乗り物にせよ、窓の外を適度に流れていく風景や、移動する実感がもたらす自由で解き放たれた感覚が、思索を促すうえで重要なポイントなのでしょう。

そして、そうした思索は、ときには表面的な思考を超えて、自分自身の内奥へと近づき、まるで冥想のような深まりを見せることもあるようです。

 何時間か列車で夢見ていたあと、わたしたちは自分自身に戻っていたと感じることがある――それはつまり、自分にとって大切な感情や考えに接触するところまで引き返していたということなのだ。わたしたちが本当の自分に出会うのに、家庭は必ずしもベストの場とは言えない。家具調度は変わらないから、わたしたちは変われないと主張するのだ。家庭的な設定は、わたしたちを普通の暮らしをしている人間であることに繋ぎ止めつづける。しかし、普通の暮らしをしているわたしたちが、わたしたちの本質的な姿ではないのかもしれないのだ。


私たちは旅に出ることで、「わたしたちを普通の暮らしをしている人間であることに繋ぎ止めつづける」「家庭的な設定」から解き放たれ、移動するバスや列車や飛行機の中で、ふと「自分自身に戻」り、「自分にとって大切な感情や考え」を垣間見ることもあるのです。

ところで最近、特に若い人が、旅に出る理由として「自分探し」という言葉をよく口にします。その風潮に対しては、「若いうちは、大いにそういう旅をするべき」と共感する意見から、「旅をしたって自分なんて見つからない、そんなことしても意味がない」という辛口の意見まで、賛否両論です。

たしかに、「犬も歩けば棒に当たる」式に、適当にふらふらと旅をしていれば、すぐに「本当の自分」なるものに突き当たるほどこの世界は甘くないし、そのあたりの事情については、私自身も長い旅をしたことがあるので身にしみて分かっているつもりです。

ただ、「本当の自分」という言葉についてもう少し考えてみると、それを、一発当てて大金持ちになるとか、皆が憧れるような立派な仕事を見つけるとか、ハリウッド映画の主人公のようなヒーローやヒロインになるというような意味で言っているのであれば、いくら旅を続けても、そんな自分に出会えるチャンスはほとんどないでしょうが、「本当の自分」を、日常的な自分の意識とは違った、ある種の意識のモードみたいなものだと考えれば、ド・ボトン氏の言うように、旅先で、あるいは移動中の列車や飛行機の中で、束の間でもそうした状態を体験することはできるかもしれません。

それは、一般に「自分探し」と言うときに、多くの人が期待していることとは違うかもしれませんが、人が日常の機械的な生活に埋没して忘れかけていた「自分にとって大切な感情や考え」に、旅の中で再び出会えるかもしれないとしたら、その体験自体に派手さはなくても、そのプロセスはやはり、「自分探し」と呼ぶにふさわしいものなのではないでしょうか。


JUGEMテーマ:旅行

at 19:12, 浪人, 旅の名言〜旅について

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