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地上デジタルに感動しないのはなぜ?

2011年7月のテレビの地上アナログ放送終了まで2年弱となり、最近では、地上デジタル放送への移行を促す告知やコマーシャルを頻繁に目にするようになりました。
ウィキペディア 「日本の地上デジタルテレビ放送」

その移行についてはさまざまな問題も出ているようですが、日本全体としてはともかく、私たち個々の視聴者としては、今まで通りアナログ放送を見続けるか、それとも地上デジタル対応の機器をそろえ、必要なら工事をして新しい放送を受信するか、どちらかの選択肢しかありません。すでに、オリンピックなどのイベントやテレビ買い替えのタイミングで、デジタル放送に切り替えた方も多いと思います。

私も地上デジタルを見るようになったのですが、やはり当初は、これまでのアナログ放送よりはるかにシャープでゴーストのない画面に新鮮な驚きがありました。

しかしまあ、人間というものは、どんな環境にもすぐに慣れてしまうものです。特に贅沢さというものには、貧しさよりもずっと慣れやすいもののようです。2、3日もしないうちに、その美しい画面が当たり前になり、何も感じなくなってしまいました。

それどころか、逆に、何か微妙な物足りなさみたいなものさえ感じます。

デジタル化で、画質も音質もはるかに良くなっているはずなのに、テレビ番組を見ていても、その世界に引き込まれるどころか、むしろ何となく白けたような、醒めたような感じがしてしまうのです。

もちろん、これはかなり微妙な感覚で、気のせいだといえばそう言えなくもない程度なのですが、デジタル放送を見始めたころから、ちょっと気になっていました。

これは、なぜなのでしょう?

こんなことは、あまり考えても意味はないのかもしれないし、何か思いついたところで、素人のこじつけ以上のものにはならないのでしょうが、ヒマだったので、勝手にいろいろと理由を考えてみました。


 _萍未良措未細かすぎて、余計なディテールに注意がそらされるから?

画面があまりにも高精細で、細部まですべて映り込んでしまうため、余計で瑣末なところばかりに目が行ってしまい、たぶん制作者側が伝えたいメッセージに、こちらが集中できないということがあるかもしれません。

例えば、アナウンサーの眼が充血してるなあ、とか、タレントは料理をおいしそうに食べてるけど、湯気が立ってないからきっと冷めてるんだろうなあ、とか、変なところに気がついてしまう頻度が以前より高くなった気がします。


◆|韻貿型テレビの特性によるもの?

かつての、どっしりとして奥行きもあるブラウン管式の巨大テレビと、軽々とした液晶の薄型テレビとでは、画面の質が違うのはもちろんのこと、受像機自体の存在感みたいなものから受ける印象も、やはり違ってくるのではないかと思います。

それが、テレビを見ている私の心理に微妙な影響を与えているのでしょうか?

私には技術的なことは分からないので、あくまで素人の印象にすぎませんが……。


 リアルすぎて、かえって違和感があるから?

いくらテレビ画面が高精細といっても、現実の世界と同じように立体で見えるわけではないし、匂いや味、触覚などの、他の感覚も伴っていません。

画面だけがリアルだと、かえってその他の感覚の欠如とか、感覚同士のアンバランスさが際立ってしまい、それに違和感を感じるのかもしれません。

これは、あるいは、ロボット開発の世界でよく言われる「不気味の谷現象」、つまり、リアルに近づけようとすればするほど、むしろニセモノっぽさが際立ったり、不気味に感じられたりしてしまう現象に近いのかもしれません。


ぁ“崛箸瞭睛討旧態依然だから? 

アナログからデジタルに切り替えるのは、新しいテレビを買ったり、工事を頼んだりと、視聴者側にとっては生活上の大きな変化を伴うのに、地上デジタルの番組自体は、今まで見ていたものと全く変わりません。

視聴者側はそれなりの投資をする以上、デジタル化によって生活が大きく改善されることを内心では期待しているはずですが、実際には画質や音質がちょっと良くなったという程度の変化しか感じられず、ガッカリした人もいるのではないでしょうか。少なくとも、初めてテレビを買ったり、ビデオを使い始めた頃のようなワクワク感はなかったのではないでしょうか。

私のようなひねくれた人間は、変化に満足できないと、むしろ変わっていないところに目がいってしまいます。器が変わっても、中身の番組が旧態依然としている印象が際立ってしまい、それがどこか白けたような、醒めた感じを与えてしまうのかもしれません。


ァ〔犠錣魘く意識させるから?


以前に読んだ藤原新也氏の『黄泉の犬』という本に、あるチベット僧が日本のテレビを見て、これはマンダラだと言ったというエピソードが出てきます。

そのチベット僧は、さまざまな幻影を次から次へとめまぐるしく映し出すテレビという奇妙な箱に、チベットの砂マンダラと同じ性質を見出し、それを、現実の無常について学ばせる一種の修行の道具だと捉えたのでした。

テレビというテクノロジーのおかげで、私たちは、この世界のすべてがとどまることなく移ろいゆくものであるという現実を、さらに凝縮した形で見せられるようになりました。これは、地上デジタルに限らず、アナログ時代からそうだったわけですが、デジタル化によって情報量はさらに増え、プロセスも進化・加速しつつあるように思えます。

私たち現代人の多くは、テレビを見ることによって、そうとはほとんど自覚しないまま、この世が無常であることを骨の髄まで叩きこむ、一種の「修行」を続けていて、その結果として、現実に対して何か諦念のようなものを抱きつつあるのかもしれません。

最近のテレビに何か醒めた印象をもってしまうのは、そのプロセスがますます圧倒的なものとなり、養われた無常観がはっきりと自覚できるレベルにまで達しつつあるせいなのかもしれません……。

ただし、先ほどのチベット僧は、テレビを使ったマンダラ修行のあとには、画面の中だけでなく、「実際の世界で学ぶこと」も必要であると言っていますが……。


Α々眄査戮焚萍未、明晰夢のハイパーリアルな世界を連想させるから?


明晰夢とは、夢を見ているさなかに、自分が夢を見ていることに気づいている状態をいいます。

明晰夢の実践者であり、その科学的な研究者でもあるスティーヴン・ラバージ氏の著書『明晰夢 ― 夢見の技法』によれば、夢の中でそれが夢であると自覚した瞬間、目の前の世界が急にくっきりと鮮やかに見え出すといいます。

つまり、目の前のハイパーリアルな夢の細部を楽しみながらも、自分が見ているのは夢にすぎないという、醒めた意識も失わずにいることが可能だというのです。

その逆が成り立つのかどうかは分かりませんが、もしかすると、非常に高精細で美しい画面を見ていると、今、自分が見ている画面に引き込まれていくよりは、かえって明晰夢を見ているような、一種の醒めた感覚が呼び覚まされてしまうのかもしれません。

まあ、ここまでくると、ほとんどこじつけですが……。


以上、いろいろと考えてみましたが、いずれも素人の思いつき以上のものではありません。ほかに、より説得力のある、科学的な理由があるのでしょうか?

あるいは、地上デジタル放送を見ていて醒めた感じを抱いてしまうという、そもそもの話の前提自体、単に私の錯覚にすぎないのかもしれません……。


JUGEMテーマ:日記・一般

at 18:16, 浪人, テレビの旅

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