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『環境危機をあおってはいけない ― 地球環境のホントの実態』

評価 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です

最近、マスメディアでは、地球環境の危機がそれこそ四六時中叫ばれています。テレビの画面や新聞・雑誌の紙面には地球マークや緑色があふれ、何にでも「エコ」という言葉がくっつけられるようになりました。

私も昔から環境問題に関心がなかったわけではありません。しかし、最近の「エコ」の蔓延にはさすがに少々ウンザリしています。そして、皆が同じ言葉を、まるで政治的なスローガンみたいにひたすら繰り返しているのを聞いていると、だんだんあまのじゃくな気分が頭をもたげてきます。

そこで、現在の環境運動に対して懐疑的な立場に立つこの本を、今さらながら読んでみました。

この本は、環境運動家からの批判の的になったり、世間ではトンデモ本のように思われたりしているみたいなので、あまり期待はしていなかったのですが、実際のところ、この本は想像以上にマトモな内容でした。というより、読んでいて目からウロコが落ちるような、世界の見方が変わるような、すばらしい一冊でした。

この本には膨大な統計データが盛り込まれているので、数字の苦手な人には、ちょっと抵抗があるかもしれません。それに、二段組みで(注を除いても)600ページ近くあり、読み通すのもなかなか大変です。それでも、この本の著者、ビョルン・ロンボルグ氏のメッセージは、シンプルでとても前向きなものです。

今現在の人類をめぐる状況は、もちろん問題がないわけではないけれど、それは世の中で喧伝されているほど危機的でも、悪化し続けているわけでもなく、数十年、数百年という長いタイムスパンで見れば、むしろどんどん良くなってきていること、そしてこれからも良くなっていくという確かな見通しがあること、そしていくつかの問題も、私たちが物事の優先順位を間違えずに落ち着いて対処すれば、十分に解決できるのだということを、この本を通じて私たちに納得させてくれるのです。

それは私たちに、「ちゃんとデータで裏付けられた希望」(訳者の山形浩生氏によるあとがき)を与えてくれます。

とにかく、この本を読んでいると、この世界もまだまだ捨てたものじゃない、という気分になるし、ご先祖様や親の世代がこれまでコツコツと築き上げてきたことに対して感謝の念が湧いてくるし、余計な不安から解放されるせいか、前向きでワクワクした気持ちにもなってきます。

これは、私がちょっと単純すぎるからでしょうか……。

この本の前半では、まず、人類の期待寿命や健康状態、食糧生産や物質的な豊かさ、教育やインフラの普及など、人類がそのさまざまな活動領域において、ここ数百年のあいだに驚異的な進歩をとげてきたことが示されます(第局)。

また、今後も、食糧や水が不足する心配も、(エネルギーや原材料としての)非再生可能資源が枯渇する心配もないこと、地球の森林もそれほど減少してはいないことが示されます(第敬)。

さらに、公害の問題に関しても、その負担は先進国では激減しつつあること、発展途上国については、現在汚染が進んでいるものの、長期的に見れば、彼らの所得向上にともなって状況が改善される見通しであることが示されます(第孤)。

後半では、最近話題になることの多い化学物質(特に農薬)への恐怖と環境ホルモンの問題、生物多様性(種の絶滅)の問題、地球温暖化の問題が取り上げられます(第紘)。

特に、地球温暖化の問題に関しては、今、最もホットなテーマということもあってか、大幅にページが割かれています。ただし、考えるべきさまざまなポイントがいっぺんに提示されているため、ちょっと分かりづらいところもありますが……。

この本でロンボルグ氏は、過去1世紀で気温が上昇していることは事実であるものの、そのすべてが温室効果ガスの影響によるものとは限らないこと、また、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告に用いられたシミュレーション・モデルにおいて、二酸化炭素の温暖化効果の見積もりが過大である可能性があることなどを指摘しています。

そして、それ以上に重要だと思われるのは、仮に温暖化が起きた場合に人類社会全体が負うと想定されているコストよりも、現時点で二酸化炭素排出の大幅な削減に踏み切った場合、やり方によっては、そのコストの方がはるかに高くつくという分析結果があることを示していることです。

それを踏まえた上でロンボルグ氏は、二酸化炭素の排出削減に莫大なリソースをつぎ込むよりも、その分を発展途上国のインフラ整備や経済発展のために投資したり、太陽光エネルギーなど、再生可能なエネルギー源の価格を下げるために研究開発投資を増やすなど、もっと賢い使い方ができるのではないかと提案しています。

もちろん、以上のようなこの本の内容と主張をどう受け止めるかは、それぞれの読者次第でしょう。

ただ、私たちは、毎日飛び込んでくる暗いニュースや、あちこちで鳴らされる警鐘ばかり聞かされているうちに、将来に対してネガティブな見通しを抱きすぎているのではないかという気がします。

そうだとすれば、ロンボルグ氏がこの本で何度も強調しているように、私たちは将来に関する重要な判断を、一部の人が喧伝する破滅の恐怖におびえ、感情に走ることによってではなく、現在手に入る正確な情報をもとに、冷静に行うべきなのだと思います。

環境問題に関して声高に叫ばれるメッセージとバランスをとるためにも、私たちは、ときにはこうした「懐疑派」の本にも意識的に目を通して、いろいろな思い込みを改めてチェックしてみる必要があるのかもしれません。

ただし、訳者の山形浩生氏もあとがきで指摘していることですが、この本を読んですっかり安心してしまい、「もう何もしなくていいんだ」と思ったり、あるいは、この本がそういう趣旨の本だと誤解されてしまうおそれがないわけではないので、そこは気をつけなければならないと思います。

それと、この本の内容と主張は、良くも悪くも、近代合理的な考え方に貫かれています。

一方で、環境運動などに熱心に取り組むいわゆる「グリーン」な人々は、その世界観の根底に、人類の近代化によってもたらされたものに対する深い懐疑があるのだと思います。彼らがこの本を感情的に攻撃したくなってしまうのは、自分たちへの反論が記されているからだけではなく、この本の中で一貫している近代合理的なロジックそのものへの嫌悪があるからなのかもしれません。

もっとも、「グリーン」な人々も、こうしたデータの提示だけでやすやすと破られてしまうような粗雑な主張をしたり、人々の恐怖を煽るだけでは、近代を乗り越えるような新しい何かを創造していくことはできないように思います。

まあ、思い返してみれば、私もこのブログには変なことをいろいろと書いているわけで、偉そうなことを人に言える立場ではありませんが……。

いずれにせよ、12月7日からはロンボルグ氏の暮らすデンマークでCOP15(気候変動枠組み条約第15回締約国会議)も始まったし、その直前に、地球温暖化の根拠となった気候データに作為的な操作が加えられていたのではないかという、いわゆる「クライメイトゲート事件」騒動が広がるなど、話題には事欠かない時期でもあり、たまたまそのタイミングでこの本を読んだことは、個人的にはとても面白い経験でした。
ウィキペディア 「クライメイトゲート事件」



川島博之著 『「食糧危機」をあおってはいけない』 の紹介記事


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします



JUGEMテーマ:読書 

at 18:42, 浪人, 本の旅〜人間と社会

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go-ichi, 2009/12/13 11:54 AM

先日、会社の人に連れられて東京ビックサイトに「エコ展」というのを見に行ってきました。
結果は非常にがっかりなものでした。
うちの会社もエコに取り組んでるよ的なものが多く、それ以外も何がエコなのか分からないものだらけ。
売店ではエコ弁当というのを打ていましたが容器が使い捨てじゃないと言うだけでその容器も普通のタッパーウエア。
エコという言葉だけが流行り言葉のように勝手に独り歩きしているような気がしました。

浪人, 2009/12/13 7:11 PM

go-ichiさん、コメントありがとうございました。

考えてみれば、企業の人たちも大変だと思います。

これだけ「エコ」が喧伝され、消費者の目も厳しくなってくると、「ウチの会社でもいろいろ検討してみたけれど、コストの割に環境への効果が見込めないので、特に何もやりません」とは、口が裂けても言えないですよね。

とりあえず、何かやっている姿勢だけでも見せなければいけないので、その結果、妙な「エコ」が蔓延しているんだと思います。

でも、そういう奇妙な「エコ」の数々は、自分たちにとってあまり負担にならないレベルでお茶を濁そうという、人々の気持ちの正直な表れともいえます。

そしてそこには、マスコミが環境保護というタテマエを煽りすぎて、もはや冷静な対応ができなくなってしまった昨今の風潮に対する面従腹背みたいなものも、そこはかとなく感じられます。

ちょっと考えすぎかもしれませんが(笑)。










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