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旅の名言 「長い旅行にでかけるという行為には……」

 たっぷりと時間をかけて車でアメリカ大陸横断旅行をしてみたいと、前々から考えていた。というか、もっと正確にいうならば、ずっと夢見ていた。「そこには何か目的があるのか?」と訊かれても困る。特別な目的なんてなにもないからだ。大西洋の波打ち際から太平洋の波打ち際まで、山を越え川を渡り、とにかくアメリカを一気に突っ切ってしまおうじゃないか――僕が望んでいたのはただそれだけのことである。「行為自体が目的である」と明快に言いきってしまえれば、それはそれでかっこいいのだろうけれど……
 いずれにせよ、長い旅行にでかけるという行為には、狂気とまではいわずとも、何か理不尽なものが間違いなく潜んでいる。だいたいどうしてそんなしちめんどうなことをしなくてはならないのか? 時間もかかるし、費用だって馬鹿にならないし、それでいてけっこう疲れる。トラブルが降りかかることもある。いや、「降りかからないこともたまにある」と言ったほうが話は早いかもしれない。スクラブル・ゲームの広告のコピーはいつも「これなら家でスクラブルでもしていればよかったな」というもので、旅先でいろんな災難にあっている気の毒な旅行者の漫画が描かれている。僕はその広告を見るたびに、「そうだ。まったくそのとおりだ」と強く頷いてしまう。旅行とはトラブルのショーケースである。ほんとうに家でスクラブルでもしているほうがはるかにまともなのだ。それがわかっているのに、僕らはついつい旅に出てしまう。目に見えない力に袖を引かれて、ふらふらと崖っぷちにつれて行かれるみたいに。そして家に帰ってきて、柔らかい馴染みのソファに腰をおろし、つくづく思う。「ああ、家がいちばんだ」と。そうですね?
 それはむしろ病に似ている。 (後略)


『辺境・近境』 村上春樹 新潮文庫 より
この本の紹介記事

瀬戸内海の無人島からノモンハンの戦場跡まで、さまざまな場所へのさまざまなスタイルの旅を収めた村上春樹氏の旅行記、『辺境・近境』からの一節です。

村上氏は、「アメリカ大陸を横断しよう」の章で、東の端から西の端まで、車で一気に大陸を横断する旅を描いているのですが、その旅には確固とした目的などなく、ただ、アメリカを一気に突っ切ってみたい、という思いがあるだけでした。

仕事のための出張や、ストレスから解放されるためのバカンス、あるいは冒険や探検の旅など、人が旅に出るにはそれなりの理由と目的というものがあるし、長い旅であれば、なおさらそうだと考える人は多いと思います。

実際、村上氏も書いているとおり、「旅行とはトラブルのショーケース」であり、とにかくひたすら疲れるものなので、しっかりとした目的意識がなければ、長い旅など到底やり遂げられないような気もします。

でも、私自身の経験からいっても、長い旅だからといって、そこに、人にうまく説明できるような立派な理由があるとは限りません。

むしろ旅人は、「目に見えない力に袖を引かれて、ふらふらと崖っぷちにつれて行かれるみたいに」旅に出てしまうことも多いのではないでしょうか。そんなとき旅人は、自分が一体何をしようとしているのか、自分がどこへ向かおうとしているのか、はっきりと自覚しているわけではないのです。

合理的に考えれば、それは、何か得体の知れないものに駆り立てられて、安心・安全な日常生活の安逸をみすみす放り出してしまうことであり、その見返りがトラブルと疲労ばかりなのだとすれば、そこには「狂気とまではいわずとも、何か理不尽なものが間違いなく潜んでいる」ということになるのでしょう。

たしかに、「それはどこか病に似ている」のかもしれません。

知らないうちに自分の中に忍び込み、自分自身のコントロールを奪い、辛い運命を自分に押しつけてくるとんでもない何か……。少なくとも、安心・安全を理想として生きる人にしてみれば、旅とはそういうものにしか見えないのかもしれません。

でも村上氏は、旅とは「何か理不尽なもの」が自分を駆り立て、どこか見知らぬ場所へ運び去ってしまうプロセスだということを認めつつも、それを受け入れているというか、むしろ楽しんでさえいるように見えます。

旅の中で起こるさまざまなことは、自分のコントロールを超えています。しかし、だからこそ、それはマンネリ化した生活に刺激をもたらさずにはいないし、これまでの自分の限界を超えていくような、別の視点や新たな経験も与えてくれるのではないでしょうか。

もっとも、そこで何が起こるかは予測不能であり、ときには旅人に、取り返しのつかない災難が降りかかる可能性もあります。

旅の巻き起こすプロセスを楽しむとしても、それはあくまで、旅を生き延び、帰りたい場所があるなら、そこに必ず戻ることが前提になるのでしょう。

まあ、いつか我が家に帰り着くことさえ前提とせず、常に未知へと突き進んでいかずにはいられない、完全なる旅のマニアもいるのかもしれませんが……。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:32, 浪人, 旅の名言〜旅の予感・旅立ち

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