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2010.06.16 Wednesday
旅の名言 「旅路における作法というものが……」
旅路における作法というものがある。あけすけな質問や立ち入った質問は禁物なのだ。単純かつ気持ちのいいマナーだし、世界じゅうどこでも通用する。
彼は私の名前を尋ねず、私も同様だった。
『チャーリーとの旅』 ジョン スタインベック ポプラ社 より
この本の紹介記事
ノーベル賞作家のスタインベック氏によるアメリカ一周旅行記、『チャーリーとの旅』からの引用です。
「旅路における作法」なんていうと、ちょっと仰々しく聞こえますが、別に難しいことを言っているわけでもなく、旅先で知らない誰かと会ったときには、お互いのプライバシーにはあまり踏み込まないでおこうという、ただそれだけのことです。
もっとも、私の知る限りでは、旅のガイドブックにこういうことが書いてあるのは見たことがないし、旅をしているあいだに、こういうマナーに関して他の人から注意された経験もないのですが、言われてみればたしかに、そういう暗黙のルールみたいなものはあるかもしれないな、という気はします。
旅がどうして楽しいのか、その大きな理由として、旅人が窮屈な日常から一時的に離れて、自由な気分を満喫できるということがあると思います。
旅先では、仕事とか家庭のゴタゴタや人生の悩みをとりあえず棚上げにし、一人の無名の旅人として、自由にふるまい、つかの間の解放感を味わうことができるのです。
そんな自由を楽しんでいるさなかに、本人の過去とか、現在の社会的な立場とか、背負っている人生の重荷について、赤の他人からあれこれ詮索され、そのことをいちいち思い出させられるというのは、決して気分のよいものではありません。
まあ、個人的なことをいろいろ聞かれても、別に不愉快にはならないという旅人もいるだろうとは思いますが、旅を楽しもうという各人の立場を尊重して、互いに余計なおせっかいはしないのが旅人としてのマナーなのでしょう。
ただ、こういうマナーは別に旅先に限った話ではなく、都会で暮らしていれば、仕事でも日々の暮らしでも、基本的には同じことがあてはまります。
この本が書かれたのは、もう50年近く前のことなので、当時はあえてこういうことを書く意味もあったのかもしれませんが、都市化の進んだ現在の日本では、むしろふだんの日常生活においても、そういうマナーがすっかり身についている人の方が多いかもしれません。
ただし、旅先で出会った者同士が、いつでもあたりさわりのない会話をするだけで、互いに無名のまま別れてしまう、というわけではないでしょう。何かのきっかけで意気投合することもあるし、泊まっている宿などで何度か顔を合わせてそれなりに親しくなり、互いの名前を聞いたり、メールアドレスや住所を交換することもあります。
それに、いま目の前で話している相手とは、きっともう二度と会うこともないだろうと思うからこそ、むしろ、自分の身近な人にも話せないような深い胸の内を語れるという場合もあるのです。
結局のところ、「旅路における作法」を尊重してクールにふるまうか、互いのプライバシーにもう少し踏み込むかという判断は、状況次第、相手次第というところがあるのでしょう。そしてその辺りの感覚というのは、人それぞれの性格とか経験によって多少の差はあれど、誰もが、特に意識することもなく身につけているものなのだと思います。
ちなみに、これはいわゆる「先進国」の旅人たちについて言えることで、インドみたいな国に行くと、こういう作法はもはや通用しなくなります。道を歩いていても、バスや列車に乗っていても、茶店でチャイやラッシーを飲んでいても、通りすがりの人々が集まってきて、彼らに「あけすけな質問や立ち入った質問」をされまくります。
まあ、彼らのほとんどは旅人ではないので、ここで「旅路における作法」を振りかざしてみても仕方ないのかもしれません。それに、我々の内面にズカズカと踏み込んでくるといっても、多くの場合、彼らに悪気があるわけではありません。
彼らに、「単純かつ気持ちのいいマナー」の必要性を訴えても、徒労に終わるだけです。旅人としては、彼らの土地を旅させてもらっている以上、ここはそういうところなのだと納得して耐えるしかないのでしょう……。
JUGEMテーマ:旅行
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ビジネスマナー, 2011/11/09 12:30 PM
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
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