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旅の名言 「私はもう、……」

もはや見るものも聞くものもないとばかりに、私はひたすら車を走らせてきた。私はもう、見聞して吸収する限界を越えてしまったのだ。満腹した後になってもひたすら食べ物を詰め込み続ける男のようなものである。
 目に入ってくるものがみんな同じように見え、戸惑いを覚えていた。どの丘も、みんな一度通ったように見えるのだ。マドリード のプラド美術館で百枚もの絵画を見た後にもこんな風に感じた。――視覚が満腹したどうしようもない状態で、これ以上見ることはできそうもなかった。


『チャーリーとの旅』 ジョン スタインベック ポプラ社 より
この本の紹介記事

ノーベル賞作家のスタインベック氏によるアメリカ旅行記、『チャーリーとの旅』からの引用です。

彼はキャンピングカーに愛犬チャーリーを乗せて東海岸を出発し、反時計回りにアメリカをぐるりと一周する長い旅に出るのですが、西海岸に達して再び東をめざし、南西部の大分水嶺に至って、旅もいよいよ大詰めにさしかかろうというところで、ついに彼の好奇心はすり切れてしまいます。

美術館で膨大な絵画を見ているうちに感覚が麻痺して、せっかくの名画がどうでもよくなってしまうように、彼の視覚は飽和状態になって、車窓から眺めるものすべてが同じに見えてしまうのです。

旅が一度こんな状態になってしまうと、あとはただ機械的に移動を続けているだけで、そこにはもう、新鮮な驚きや喜びはありません。スタインベック氏は、旅の感動を失った状態で、ただひたすらゴールに向かって車を進めるしかありませんでした。

そして、これは彼だけが体験した特別な状態ではなく、状況次第でどんな旅人にも起こり得ることです。特に、何か月、あるいは何年という長い旅をしたことのある人なら、その多くが、似たような経験をしているのではないでしょうか。

旅への倦怠というか、精神の飽和状態というか、こういう無感動状態は、旅先の風景に対してだけでなく、旅のあらゆる体験を不毛なものにしてしまいます。旅に出た当初なら間違いなく感動したはずの素晴らしい景色や、面白い人物に出会っても、以前にどこかで同じ経験をしたような感覚が、旅人をしらけさせてしまうのです。

こんなとき、失われた感受性を取り戻そうとして、さまざまな試みをする旅人もいます。目先を変えるために、気候や風土の異なる別の国や地方に足を向けてみるとか、新しい旅のテーマを探すとか、あるいは逆に、ひとつの場所に腰を落ち着けてアルバイトでもしながら、旅への好奇心が再び高まってくるのを待つとか……。

そして、それでもどうにもならないとき、旅人に残された道は、スタインベック氏のように、ただひたすら家路へと急ぎ、旅を早く終わらせることだけです。

ひとつの旅で人間が受け入れることのできる経験に一定の限界があるのだとすれば、それが、旅の終わりを決める一つの要因になるのかもしれません。

もっとも、新鮮な感受性が失われたからといって、必ずしも旅をやめる必要はないかもしれません。旅人にとってあまり現実的な判断ではありませんが、理屈のうえでは、感受性をすり切らしたまま、あえて苦しい旅を続け、そういう状態を突き抜けた先に何が見えてくるか、自分の目で確かめてみる、という道もあります。

しかし、さすがに私も、そこまで無理して旅を続けた経験はありません。だから、その先に何が起こるのかについては何ともコメントしようがないし、他の旅人にそれを勧めようとも思いません。

そして実際、その先には何もなく、どこまでも不毛な旅が続くばかりで、それはきっと、単なる孤独な我慢大会になってしまうような気がします……。


JUGEMテーマ:旅行

at 18:53, 浪人, 旅の名言〜旅の終わり・帰還

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