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旅の名言 「そして、私は自力で……」

 たとえば、旅をしていて、誰かと知り合う。そう、外国を旅していて外国人に「家に来ないか」と誘われたとしようか。さあ、そのときどうするか。
 ひとつは、絶対にそんなことを言う奴は悪い奴に決まっている、きっと悪巧みをめぐらしているに違いないと判断してついていかない。もうひとつは、人はすごく親切なものだし、せっかくの機会なのだからと喜んでついていく。その二つとも旅行者の態度としてありうると思う。
 私だったらどう考えるかというと、世の中には基本的に親切な人が多いし、そんなに悪い奴というのはいないと思う。しかし、同時に、悪い奴はきっといるとも思う。そう考える私は、どこまで行ったら自分は元の場所に戻れなくなる可能性があるかという「距離」を測ることになる。そして、私は自力でリカバリーできるギリギリのところまでついていくと思うのだ。もしかしたらそれは相手の家の庭先までかもしれないし、居間までかもしれない。もし女性だったら、ニ階の部屋まで入ったら、もう戻れないかもしれない。要するに自分の力とその状況を比較検討し、どこまで行ったなら元の所には戻れなくなるかを判断するのだ。そういうことを何度か繰り返していると、旅をしているうちにその「距離」が少しずつ長く伸びていくようになる。

『旅する力 ― 深夜特急ノート』 沢木 耕太郎 新潮社 より
この本の紹介記事

旅行記の名作『深夜特急』の著者である沢木耕太郎氏が、旅をテーマに自らの半生を振り返るエッセイ、『旅する力』からの引用です。

旅においては、未知の人々との出会いやハプニングなど、予想のつかない出来事が日常生活よりもはるかに頻繁に起こります。

そうした先の読めない新鮮な展開は、旅の大いなる魅力ではあるのですが、その反面、それは場合によっては旅人を危険にさらし、取り返しのつかない深刻な結果を招くこともないわけではありません。

旅人の中には、危険を避け、安心・安全な旅を楽しむために、知らない人間からの誘いや、旅の予定を乱しそうな物事は、とりあえず全てシャットアウトしてしまうという人もいるだろうし、反対に、考えられる危険よりも未知の展開のワクワク感を大事にして、旅先での流れやハプニングに積極的に乗っていくという人もいるでしょう。

現実には、旅人それぞれが自分なりの判断基準を設けて、その両極端の間のどこかで行動を選択しているのだと思いますが、それに関して沢木氏は、「どこまで行ったら自分は元の場所に戻れなくなる可能性があるか」という、非常に興味深い基準を示しています。

それに似た意味で、ポイント・オブ・ノー・リターン(帰還不能限界点)という言葉があります。航空機が目的地に向かって飛行するとき、あるいは、探検隊が補給のきかない極地を踏破するようなとき、これ以上進めば、燃料や食糧不足で出発地点には引き返せなくなるという限界点を意味しています。

その点の手前までは、いつでも引き返すという判断をすることができる、つまりある種の保険がかかった状態で行動することができますが、その点を越えてしまうと、引き返すという選択肢はなくなります。つまり、その先で何が起きようと、とにかく目的地に向かって進み続けるしかなくなるのです。

普通の人間の普通の旅には、そのようなリスクに満ちた行程というのはまずあり得ないと思います。ただ、沢木氏の言うように、自分の力で状況をリカバリーできるかできないかという観点から、旅先での一つひとつの行動を見てみれば、旅人の能力や状況に応じて、そういう限界点は意外に多く存在するのではないでしょうか。

例えば、冒頭の引用のように、旅先で知り合った人に家に来ないかと誘われたとき、車で送ってあげようと言われたとき、あるいは、会ってすぐに食べ物や飲み物を勧められたとき……。

たいていの場合、こうしたケースで相手の申し出をそのまま受け入れたとしても、たぶん変なことは何も起きないでしょう。むしろ、旅のいい思い出になったり、相手と意気投合して、旅がさらに面白い展開を見せたりするかもしれません。しかし、そうはならず、そのとき深く考えずに申し出を受けてしまったことを、後々まで非常に後悔することになる可能性もあります。

この場合の限界点とは、一度そこを超えてしまったら、自分の力だけではその場の状況や相手の行動をコントロールすることができなくなる、ギリギリのポイントやタイミングを意味しています。旅人本人がそれを自覚しているかいないかはともかく、その先に足を踏み入れると、相手の出方や状況がその後の出来事の主導権を握ることになり、そこで自分のできることは限られてしまいます。

主導権がなくなるからといって、必ずしも悪いことばかりが起こるわけではないのですが、重要なのは、そこでは自分は基本的に無力で、事態がどんな方向に向かおうと、自分は出来事の流れに身をゆだねるしかなくなるということです。

沢木氏は、「私は自力でリカバリーできるギリギリのところまでついていく」と言っています。その意味するところはたぶん、その限界点に達するまでの間に、あらゆる感覚を働かせて状況を見極め、引き返すべきか、そのまま進むべきかを決断するということなのでしょう。

もちろん、ときには覚悟を決めて、帰還不能限界点の向こう側へ足を踏み出すことも必要だろうし、それによって、旅に新しい展開が開けることもあるでしょう。しかし、限界点を一度越えてしまったら、どんな結果が起きようと、旅人はそれを引き受けなければならないということは自覚しておく必要があります。

旅に慣れないうちは、そうした限界点が身の周りのあちこちに出現するし、しかも、その限界点までの「距離」が短いので、その先に進むべきかという判断の最終リミットがすぐにやってきてしまいます。

その短い時間の中で、また、心にも十分な余裕のない中で、これまでの少ない経験と、旅人としてまだまだおぼつかない感覚をフル稼働させて最終的な決断をしなければならないとなると、その判断はかなり難しいでしょう。

そう考えると、最初のうちは、自分の限界点がどのあたりにあるのか、まずはその見極めをしていくことの方が大事で、あえてあちこちで限界点を踏み越えて、自分を大きなリスクにさらすべきではないのかもしれません。

沢木氏の言うように、旅をしているうちにその「距離」は少しずつ伸び、経験を積み、感覚もだんだん研ぎ澄まされてきて、最終的な判断に至るまでの心の中のプロセスも、ある程度自覚できるようになるはずです。ちょっとした冒険をするのは、それからでも遅くはありません。

これ以上進めばどんなリスクがあるか自分には見えているだろうか、そのリスクにあえて身をゆだねるだけの動機が自分にはあるだろうか、そして、限界点に達するまでの間に何か気になる兆候はなかっただろうか……。

実際には、ここまでいちいち理屈っぽく考えるわけではありませんが、半ば無意識にでも、こうした判断を自分の責任でできるようになれば、自分で思い描いた自由な旅に、ときには面白いハプニングも織り交ぜた、ワクワクするような旅が楽しめるようになるのではないでしょうか。


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at 18:50, 浪人, 旅の名言〜危機と直感

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