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自動的な逃走

3月の大震災と原発事故の直後、さまざまな危機的状況を伝えるニュースが相次ぐ中で、外国人が慌てて日本から逃げ出しているという報道もありました。

それを読んだとき、「外国人は気楽でいいよな……」と軽い反発を覚えつつも、自分が旅をしていたときは、まさに彼らと同じように考え、行動していたことに思い至り、立場が代わると、物事というのはこんなにも違って見えるものなのだと痛感しました。

そして、もう何年も前に、インドで体験したささやかな「騒ぎ」のことを思い出しました。

仏教徒の聖地、ブッダガヤ(ボドガヤ)に滞在していたときのことです。

私はいつものように、マハボディ寺院の周辺をブラブラと歩いていました。

マハボディ寺院は、お釈迦様がさとりをひらいたとされる歴史的な場所に建っていて、その周囲には、各国からの観光客目当ての小さなみやげ物屋が軒を連ねています。

そこで日本人の旅行者を見かけ、軽く立ち話をしていると、50メートルくらい離れたところから、パン、という、何かが弾けるような音がしました。

その直後、音のした方角から、大勢のインド人が全速力で逃げてきて、目の前を次々に駆け抜けていきました。

「クモの子を散らす」という言葉がありますが、まさにそんな感じです。

同時に、周囲のみやげ物屋からも人が飛び出してきて、まるで互いに示し合わせていたかのように、一斉にシャッターを下ろし始めました。

まったく想定外の展開にあっけにとられているうちに、すでに通りからは人がいなくなり、空気は一変して、辺りには異様な緊迫感が満ちています。

このままでは取り残される、と思った私は、目の前のシャッターに手をかけていた見知らぬ店員に、「中に入れてもらえないか?」とお願いしてみました。

店員が愛想よく、「いいよ」と言ってくれたので、一緒にいた日本人を促して中に入りました。店はとても小さく、数人も入れば身動きもままならないほどですが、シャッターの下ろされたその薄暗い空間で、私たちは息をひそめ、外の動きに耳をそばだてました。店員の若者は、シャッターの隙間からじっと外の様子を伺っています。

通りは、今やすっかり静まり返り、動くものの気配もありません。

さっきのあの音は、やっぱり何かの爆発か、それとも発砲音だったのでしょうか? インド人があんなに必死で逃げていたところを見ると、何かとんでもないことが起きたのは確かです。

だとすると、次はどんな展開になるのでしょうか? まさか、暴動のようなことが起こるのでは? 私たちは、ここにずっと隠れていなければならないのでしょうか?

さまざまな不安な思いが頭のなかを駆け巡ります。単なるひなびた観光地だと思っていたブッダガヤで、まさかこんなことが起きるとは……。

それからどのくらいの時間が経ったのか、よく覚えていないのですが、たぶん、ほんの数分くらいだったと思います。

先ほど、音のした「現場」から全力疾走で逃げ去った人々の一部が、少しずつ戻ってきたようで、それを見ていた店員も、シャッターを半開きにして外に出ると、様子を見にいきました。

私もしばらく待って、大丈夫だという確信が持てたので、店を出ると、彼らにならって、とりあえず現場に向かってみました。

そこには、すでに人だかりができていました。英語の話せる人から断片的に聞いた話を総合すると、どうやらある店の主人と、その知り合いの誰かが個人的ないさかいを起こし、その誰かが火薬でかんしゃく玉のようなものを作って、腹いせに店に投げ込んだ、というのが事の真相のようでした。

政治的背景のある事件でなく、単なるケンカらしいこと、そしてケガ人もいないらしいことが分かり、少しホッとしました。とはいえ、本当にそれが事実なのかは確かめようもありません。現地の言葉で情報収集できない私は、とりあえずそこまでで納得するしかありませんでした。

数十分後には、村にはいつもの人通りが戻り、シャッターは再び開かれ、空気はすっかり日常モードに戻っていて、まるでその日、その場所には何事も起こらなかったかのようでした。

後日、ブッダガヤでは、それとはまた別の事件が起きて、このひなびた聖地も俗世間の争いごとと無縁でないことを思い知らされたのですが、それについては、いずれまた別の機会にでも書くことにします。

それはともかく、その日実際に起こったことといえば、結局のところ、軽い爆発音が一回したというだけで、それに比べて、大勢の人間が必死で逃げまどい、数分とはいえ、店のシャッターが軒並み下ろされて、聖地がゴーストタウンのようになってしまったのは、いかにも過剰な反応だったように思えます。

ただ、パニックの瞬間には、物事がこれからどうなるのか、誰にもはっきりとは分からなかったわけだし、何かのきっかけで人々が暴徒化するということも、あり得ないことではなかったのかもしれません。シャッターを閉めたみやげ物屋の人たちも、まさにそういう可能性を心配していたのでしょう。

万が一にもそんなことになったら、地元の住民だろうが、ツーリストだろうが、自分の財産と身の安全は、自分の力で守るしかありません。想定されるダメージはかなり大きく、それに自己責任で対応しなければならないとなると、甘い判断はできないし、まずは身の安全を最優先に行動せざるを得ません。

そのうえ、そのとき何が起きていたのか、実際に手に入る情報といえば、周囲の人々のとっている行動だけでした。事件現場を直接見た人はほんのわずかで、残りの人間は、目の前で逃げ惑う人々を見ただけで、自分のとるべき行動を瞬間的に選ぶしかありませんでした。

そう考えると、ほんのささいなきっかけで、人々が逃走するパニック群集と化してしまったのは、仕方ないことなのかもしれません。

それにしても、人々はパニックになっていたとはいえ、その動きには、どこか手馴れたところも感じられました。もう何度も同じ経験をしていて、やるべきことが分かっているというか、何も考えずに、とりあえずいつものように逃げておくというか……。

これはあくまで私の想像に過ぎないのですが、彼らのうちの「持たざる者」は、何かヤバそうなことが起きたら、現場から全力で逃げ出し、「持てる者」は、とにかく自分の財産を全力で守る、という行動パターンが、日々の生活を通じて体に染み込んでいて、そういうことが起きるたびに、自動的に行動のスイッチが入るようになっているのではないでしょうか。そして、いざそのスイッチが入れば、後はいちいち頭で考えるまでもなく、やるべき手順を淡々とこなしていくだけになっているのかもしれません。

その一連の行動は、ほとんど自動的で、本能的行動に近いものなので、大きな音に驚いて飛び立つ鳥の群れみたいに、ささいなことでムダに逃げ惑ったり、いちいちシャッターを閉めたりと、過剰なまでに臆病な行動をとらせてしまうのでしょう。

それでも、本人たちにとっては習慣なので、それを徒労だと思うこともないだろうし、むしろ何事もなかったときは、ああよかった、と安心して、起きたばかりの出来事がすみやかに記憶から消えていくだけのことなのかもしれません。

しかし、日本で生まれ育ったために、(テレビや映画を除けば)人々が必死で逃げ惑うシーンというものに免疫のなかった私には、それはきわめて異常な出来事として目に映ったし、ずっと記憶に残ることになりました。そして今回、日本から逃げ出す外国人のニュースをきっかけに、それを思い出したのです。

もちろん、ちょっとした「騒ぎ」に過ぎなかったインドの出来事と、今回の大震災とでは、事態のスケールも性質もまるきり違います。

それに、いま、日本人のほとんどは、あのときのインド人のように我先に逃げ出したり、店を閉めて暴動に備えたりすることもなく、冷静で落ち着いて今まで通りの生活を続けようとしており、日本から逃げ出したのは、たぶん、わずかな日本人と、一部の外国人だけです。

ただ、日本から脱出していった人々の行動を、軽率であるとか無責任だといって責めることは、少なくとも私にはできない気がします。

私がもし、海外旅行先で同じような事態に遭遇していたら、きっと彼らと同じ行動をとったはずです。

それに彼らは、私たち日本人や日本政府が何を考え、どんな情報を伝え、どんな行動をとるにしても、そうしたことから基本的には自由だし、私たちと「空気」を共有する義務もありません。

もしも、自分の身に危険を感じるようなことが起きたら、まずは自分自身の判断に従って、ひとまず安全と思える場所まで避難したいと思うのは自然なことだし、言葉の不自由な異国では、必要な情報を手に入れることもままならないことを考えると、なお一層、安全策をとっておきたいはずです。

いざというときに誰かを頼りにせず、自分の行動に自分で責任を持つことを前提にすると、最終的にどんな結論を出すにせよ、まずは自分が冷静に思考できる状態を確保しなければなりません。いま自分の置かれている状況が、それを許さないほど緊迫しているのだとしたら、まずはいったん大きく撤退して、ゆっくり判断できる避難先に落ち着き、そこで体勢を立て直す、そこまでは、とにかく自動的に逃走し続ける、というのは、それなりに合理的なことなのかもしれません。

もちろん、それは、ここ日本の中にさまざまな大切なものやしがらみを抱えていないという意味で、「持たざる者」である外国人に限った話です。

「持てる者」である私たちは、そう簡単に撤退を選ぶことなどできないし、自分にとって大切なものを何としてでも守り抜くしかありません。外国人であっても、日本国内に大切な何かを抱えている人は、私たちのように日本に踏みとどまるでしょう。

もっとも、何をどれだけ大事だと思うかは、人それぞれです。

外国人の目には、日本人は一様に沈着冷静で忍耐強く、秩序正しく見えているようですが、実際には、考えることも、言うことも、実際の行動もさまざまで、むしろこういうときこそ、日頃のタテマエの陰に隠れていた、各人の人柄や価値観が露わになっているといえるかもしれません……。


JUGEMテーマ:旅行 

at 20:43, 浪人, 地上の旅〜インド・南アジア

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