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『晴れた日は巨大仏を見に』

晴れた日は巨大仏を見に
晴れた日は巨大仏を見に
宮田 珠己

 

文庫版はこちら

Kindle版はこちら

 

評価 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください

著者の宮田氏によれば、日本には現在、40メートル以上の「巨大仏」が16体あるそうです。本書は、氏が北海道から九州まで、日本中に散在する16体の巨大仏のほとんどを訪ね歩いた旅の記録です。

これは以前に紹介した『東南アジア四次元日記』の姉妹編とも言えるもので、巨大仏を訪ね歩いたといっても、敬虔な信仰心からではなく、巨大すぎる仏像が周囲の風景との間にかもし出す、その四次元的違和感を楽しむためなのでした。

私としては、最初読み始めたときは、「巨大仏だけのネタで一冊もつのかな?」という不安がありましたし、パラパラとページをめくった限りでは、当然のことですが、どの大仏も姿かたちが似通っていて、これらをひたすら紹介していくだけならすぐにウンザリしてしまいそうな気がしました。

しかし、そのあたりは宮田氏も承知していたのか、巨大仏見物とセットで周囲の「珍スポット」を紹介したり、巨大仏と風景をめぐる哲学的考察もまじえ、単調にならないような工夫がなされています。

巨大仏が社会から期待される役割が、「救い→驚き→笑い」というように変化したという宮田氏の指摘はなかなか鋭いと思います。救済としての仏教の象徴であった時代から、巨大構造物を見上げるスペクタクル感を楽しむ時代へ、そしてそのようなものが見向きもされなくなり、むしろその無意味さによって失笑される時代へと、世の中は急速に移り変わっていったのですが、巨大仏を作った人々は、その変化の波を充分認識してはいなかったようです。

また、巨大仏と周囲の風景がかもしだす違和感について、宮田氏はそれを「ぬっとあるもの」と表現し、その感覚の根源がどこにあるのか、哲学的に考察していきます。実はそのあたりを深く探っていくと、仏教など既成宗教の枠を超えた、宗教的経験の根源にまで踏み込んでいくことになるので、気楽にいわゆる「珍スポット」を楽しみたい人にとっては、ちょっと遠慮したくなる部分だろうと思います。

そういう点で、「珍スポット紹介」と割り切ったお気楽な本でもなく、かといって宗教的なものの根源について鋭い考察を重ねた硬派な本ともいえない、どのあたりを読者層と考えているのか微妙なスタンスの本になっています。

本書の端々にかいま見えるコメントから想像するに、宮田氏には「私はこの息苦しい現実の世界とは別の、異世界への入り口を求めているのに、かつてその役割を果たしていた宗教施設も、高度成長期の夢の世界としての科学技術的建造物も、入り口としての力を失ってしまった。これからはどこにそれを求めたらいいのか? 今や見渡す限り、意味も価値もない平板な世界がどこまでも広がっているだけだ」という、実は非常にシリアスな問題意識があるように思います。

この本は一見お気楽な本に見えますが、実はそうした問題意識に基づいて、何か少しでも解決への手がかりを得たいという、一つの試みだとも考えられます。その試みが今後どういう方向に向かっていくのか、それは成功するのか、よくわかりませんが、もう少し宮田氏の作品を読んでみたいと思いました。


本の評価基準

 以下の基準を目安に、私の主観で判断しています。

 ★★★★★ 座右の書として、何度も読み返したい本です
 ★★★★☆ 一度は読んでおきたい、素晴らしい本です
 ★★★☆☆ 読むだけの価値はあります
 ★★☆☆☆ よかったら暇な時に読んでみてください
 ★☆☆☆☆ 人によっては得るところがあるかも?
 ☆☆☆☆☆ ここでは紹介しないことにします

at 20:46, 浪人, 本の旅〜日本

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