このブログ内を検索
新しい記事
記事のカテゴリー
            
過去の記事
プロフィール
            
コメント
トラックバック
sponsored links
その他
無料ブログ作成サービス JUGEM
<< 『13歳からの反社会学』 | main | インプットとアウトプット >>

旅の名言 「デリーにいると……」

 デリーで暮らしていると、「怒りの回路」みたいなものが、自分の中にはっきりできてくる。あまりにも理不尽だと思える状況に見舞われ、派手に「ッキー!」となることが、あまりにも多いのだ。
 似た価値観を持つ人々に囲まれている自分の国での生活では、そこまで「ッキー!」とか「ムッカー!」となる事態には、なかなか遭遇しないものである。日本にいるときには、そんなことは考えたこともなかったが、思い返せばそうなのだ。デリーにいると、日本ではついぞ触られたことのない怒りのボタンを、バンバン押されるのである。こちらとしては、そんな部分に触られたことがなかったので、「私にこんな怒りが湧くとは知らなかった」みたいなヘンなことを思ったりする。

『インド人の頭ん中』 冬野 花 中経の文庫 より
この本の紹介記事

インドの首都デリーで4年間一人暮らしをした女性が、そこで日々遭遇した仰天エピソードと、激しいカルチャーショックの数々をユーモラスに綴ったエッセイ、『インド人の頭ん中』からの引用です。

インドで暮らしていると、「日本ではついぞ触られたことのない怒りのボタンを、バンバン押される」とは、ちょっと穏やかではありませんが、インドに長く滞在した経験のある日本人ならきっと、冬野氏のこの表現にとても深く共感できるのではないでしょうか。

具体的にどんなことで、そんなに怒りをかきたてられていたのか、詳しくは彼女のエッセイを読んでいただきたいのですが、あくまで通りすがりの旅人としてインドを体験しただけの私でも、現地では、旅行者を騙してカネを巻き上げようとする不良インド人から理不尽な扱いを受けるたびに、こみ上げる怒りを抑えきれず、彼らに怒鳴りまくっていた記憶があります。

ただ、かりにこうした激しい怒りを体験しても、旅行者の場合は、それを旅の非日常として受け止められる気楽な立場にあります。インド人に怒りを感じたり、思わずケンカをしてしまっても、それがほどほどである限りは、旅を盛り上げる多彩なエピソードの一つと見えなくもないし、やがて時が経てばいい思い出になる、くらいの気持ちで割り切ることもできるでしょう。

しかし、インドに長く暮らすとなると、そういう体験が日常的に、延々と続くことになるわけで、さすがにそれをいつも軽い気持ちで受け流すわけにはいかなくなります。

「あまりに理不尽だと思える状況」に毎日のように見舞われ、そのたびに怒りの炎を燃え上がらせていれば、やがて、そのプロセスがパターン化し、そういう理不尽に遭遇するたびに自動的にスイッチが入り、効率よく怒りを爆発させる、「怒りの回路」みたいなものが自分の中にできあがってしまうのでしょう。

その回路が作動し、心が「噴火」していく様子について、冬野氏は、次のようにリアルに描いています。


 きっとこう来るぞ……。インド人だもん、絶対こう来る……!
 そう思っているときが、地震が起きているときである。そして、
 出た! やっぱり出ちゃったよ! なんでそういうことになるのかね!? 百回考えても、それっておかしくない!?
 ってときが、噴火である。
 事が起きると、それがダイレクトにドカンと腹に来る回路ができてきて、それをさらにガーッと怒りの感情に変換する「怒りの筋肉」が鍛えられてしまうのだ。
 そのうち、自分のアドレナリンが吹き出る瞬間までわかるようになってくる。そして、怒りが湧くと同時に、胃や肝臓など、関連する内臓に負担がかかるのもわかるようになる。ある意味、怒りが派手でわかりやすいからだと思うが、ガーッと怒りが湧いて、ドバーッとアドレナリンが出て、ドスンと胃に来て、ズシッと肝臓が重くなるのを実感するようになるのだ。怒りと同時に、手先が冷えることまで知ってしまった。頭に血が行くからだろう。
 インドが悪いのではない。あくまでも自分の育った環境との落差の激しさによるものなのだ。


激しい怒りによって自分の体がダメージを受ける様子まではっきりと実感できてしまうくらい、繰り返し繰り返し怒りのボタンを押し続けられたんだと思うと、読んでいて、何だかいたたまれない気持ちになりますが、一方で、これだけ辛い思いをしても、「インドが悪いのではない」と言い切るところに、冬野氏のインドへの深い愛を感じます。

世の中には、ボロボロに傷つけあっても互いに別れられないというような、不思議な人間関係というものが存在するようですが、一部の日本人とインドとの間にも、そういう不思議で濃厚な関係が存在するのかもしれません。

まあ、頼まれもしないのにこうしてインドのことばかり書きたがる「インド病」の私も、その一人なのかもしれませんが……。

それにしても、インドというのはそういう大変なところなのか、何はともあれインドに生まれなくて本当によかった……と胸をなでおろしている方もおられると思いますが、では逆に、日本に生まれて本当によかったかというと、一概にそうとも言い切れないところがあります。

先日の大震災で、日本が、地震をはじめとする激しい自然災害に常にさらされる厳しい土地であることは、改めて世界中に知られることになりましたが、それを別にしても、日本での暮らしには、インドとはまた違った形のストレスがあります。

それについて、冬野氏はこんな風に書いています。


 デリーで受けるストレスは、「バッコーン!」「やったな、コラァ!」という種類のもので、まるで筋トレのような、何かを鍛えられているようなストレスである。ストレスを受けたことがはっきりとわかり、しかも複雑ではない。
 しかし、日本の生活で受けるストレスは、まるでガンのように恐ろしいと思うことがある。気づかないうちに、少しずつ、少しずつ、やる気や元気を奪われていく気がするのだ。ヤラれたことに気づかないくらい絶妙な、表面的には「正しいこと」「いいこと」っぽく思われていることの中に含まれる侵食細菌みたいなものに蝕まれる感じで、気づくとウツロになっている。
 自分の心に正直に生きようとすると、自分の欲求にすら気づいていない「なんとなくいい人」たちに、「なんとなく」「いつのまにか」引きずり降ろされてしまう。それがいろいろな形で現れ、なんだか自分が「無根拠由来・無自覚・自己抑制系・自己中心虚脱症」になっていくような気がするのだ。
 日本は日本で、けっこうワナが多く複雑な社会だ。ないものねだりというわけではないけれど、日本にいると、インドの筋トレ的ストレスが懐かしくなったりするのである。


そして、こういう見えにくい微妙なストレスは、きっと日本だけの問題ではないのでしょう。いわゆる先進国と呼ばれる国々にも、似たようなストレスに苛まれている人間が大勢いるのではないかという気がします。

また、それは微妙なストレスであるだけに、その中でずっと暮らしていると、ストレスを感じていることにすら気がつかないということもあり得ます。むしろ、インドのような国で、全く性質の違うストレスにさらされる経験をして始めて、それまで日本でどんなストレスを受けていたのか、初めて気がついたりすることもあるのではないでしょうか。

とはいえ、結局のところ、この地上で普通に生きている限り、世界のどこに住んでも、必ずストレスの源というのはあるわけで、残念ながら、そこから完全に逃れることはできません。

ただ、もし救いがあるとすれば、それは、それぞれの土地によって、受けるストレスに違いがあるということです。

土地ごとに違うストレスが、それぞれの土地の個性みたいなものだとするなら、そうしたストレスとの相性も、個々人によって違ってくるのではないでしょうか。

だとすると、世界各地を旅して、さまざまなストレスを味わってみれば、やがていつの日か、旅人自身にとって相性のいい土地、つまり、その土地の与えるストレスなら、なんとか耐えていけそうだと思えるような土地が、この地球上のどこかに見つかるのかもしれません……。


JUGEMテーマ:旅行

at 19:00, 浪人, 旅の名言〜土地の印象

comments(0), trackbacks(0)

スポンサーサイト

at 19:00, スポンサードリンク, -

-, -

comment









trackback
url:http://ronin.jugem.jp/trackback/701