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「見えすぎる」世界

最近、コンビニやファミレスのアルバイトが店でイタズラをして、その様子を撮影した写真がネット上に拡散・炎上する事件が相次ぎ、マスメディアでも取り上げられています。

その結果、本人が社会的なダメージを受けるのはもちろん、雇っていた企業の側も、これまで苦労して築いてきたブランド・イメージが傷つかないよう、必死の対応に追われているようです。

また、そうした事件を知った多くの人も、ふだん利用している企業のサービスに対して、漠然とした不安を感じるようになったのではないかと思います。

一連の事件については、すでに多くの人がいろいろなことを書いていて、いまさらつけ加えることもないのですが、個人的には、今後どんな対策がなされようと、こうした事件をゼロにすることは不可能だろうし、企業側が予防に努めようとすればするほど、現場は余計なルールに縛られ、息苦しくなるだけだろうという気がします。

そしてたぶん、問題は、自分のちょっとした悪事を嬉々としてネットに上げる人々がいること以上に、それがネット上の膨大な情報の中から絶えず拾い出され、多くの人の目にさらされ、実際にそれを見た私たちが、つい過剰な反応をしてしまうことにあるような気がするのです。

多くの人が指摘しているように、こうしたイタズラは、ネットで「証拠」が拡散するようになったから大騒ぎになっているわけで、似たようなことは、ずっと昔から日本中で行われていただろうし、別の国なら、今でも笑ってスルーして終わりかもしれません。

というか、今の日本でも、見つかっていないイタズラは無数にあるだろうし、発覚しても内々で処理され、本人がきつくお灸をすえられて一件落着、みたいなケースも多いと思います。

たぶん、私たちが知ることになったのは、そうした中の、ごく一部の「運の悪い」ケースで、写真が外部に広がりすぎてしまい、そうなると、企業としても、タテマエ上、放置するわけにはいかなくて、結果として、非常に厳しい処置をとらざるを得なくなっているのでしょう。

こういう事件を目にするたびに、インターネットの出現によって、世界は「見えすぎる」ようになり、ときには、それが私たちの対応能力を超えるようになりつつあるとつくづく思います。

考えてみれば、こうしたイタズラに限らず、世界中のあらゆる場所で、あらゆる種類のできごとが、24時間休みなく起こり続けているし、そうしたできごとの中には、当然、私たちにとって面白いものもあれば、神経にさわるものもあるでしょう。

世の中には、いろいろな人がいて、互いにモノの見方や価値観も異なれば、発言や行動もそれぞれに違います。そしてそうした人々からなる世界は複雑で混沌としていて、ときにはそれが混乱や争いを引き起こすのだとしても、一方でその複雑さが、この世界に多彩さと奥深さを与え、そのおかげで、私たちはつねに退屈しないでいられるのかもしれません。

そして、それはインターネットが出現する以前も同じだったのですが、当時の私たちは、新聞・雑誌やテレビなど、限られたメディアを通して世界を見ていた、つまり、比較的少数の「プロ」の人々によって編集され、フィルターをかけられた後の姿を見ていたわけです。

そこでは、混沌とした世界が、かなり単純でわかりやすい形で表現され、私たちが見たくないもの、なかったことにしておきたいものは、その刺激が薄められたり、目に入らないように加工されたりしていました。

例えば、先ほどのイタズラの例でいえば、昔から同じことは起きていたでしょうが、それらは、マスメディアが取り上げるまでもない瑣末な事件として無視されるか、スポンサー関係などの「大人の事情」によって、あえて表沙汰になることもなかったでしょう。

そうなると、実際の事件を知りえたのは、直接に関わった現場のごく一部だけ、あとはその周囲の人々が、あいまいな噂話を漏れ聞く程度で、当然、何も知らない世間はそれで騒ぐこともなければ、再発防止を要求することもなかったでしょう。

今思えば、そうした仕組みは、たしかに、私たちが自由に世界を見るのを妨げていたかもしれません。

しかし、多くの忙しい人にとって、イタズラをするアルバイトをどうするか、というような問題は、それぞれの現場で関係者が悩みつつ、具体的に解決していけばいいことで、日本人みんなが知らされて緊急に対応するべき、優先順位の高い問題だとは思えなかったでしょう。

だとすれば、私たちが、そうしたありとあらゆる細かな問題にいちいち直面させられ、余計なことを考えたり心配しなくてもいいように、マスメディアが、注目すべき重要なできごとをあらかじめ選別する仕組みは、ある意味で、(自由と引き換えに)私たちを混沌や煩雑さから守ってくれていたともいえるかもしれません。

しかし、現在のネットの世界には、ある一定の目的をもって全体を管理したり、編集したりするような中心がなく、誰もが自由に情報を加えていくことができるので、人間が何らかの形で表現できるようなものは、ほとんどすべてネット上に存在し得る、ということになります。

その結果、個人のささやかなつぶやきから、犯罪の証拠写真のようなものまで、また、人を和ませるいい話とか、笑えるジョークのようなものから、人々の憎悪をあおる過激な発言まで、ありとあらゆるものがネット上にあふれています。

そして私たちは、そうした刺激の強いコンテンツのそれぞれを、その気になれば、ほとんど何の制約もなく見ることができるし、ときには自分が発信者となって、情報を新たに加えたり、拡散したりすることさえできます。

それは、以前の世界を知っている人からすれば、世界をほどよくマイルドに見せてくれていたフィルターが取り去られ、ギラギラとしてなまなましい、必要以上に「見えすぎる」世界に、無理やり直面させられているような感じなのかもしれません。

しかもそれは、どこか別世界のできごととして、気楽に眺めていられるものではありません。それは、私たちの日常生活に深く関わるさまざまな物事への疑惑や不安をかきたてたり、ときには、攻撃の矛先が自分に向けられることさえあるのです。

ミもフタもないことを言えば、しかし、それこそが私たちの生きている現実世界の混沌そのものなのであって、別にインターネットが悪いわけではないのですが、一部の人は、そうしたネガティブな側面のインパクトが耐えがたく、だからネットを嫌悪し、目を背けたいと思うのかもしれません。

それに、私たちそれぞれは、人生の持ち時間も、注意を払える対象の数も限られています。どれだけ個人で頑張ってみたところで、ネット上に表現されたこの世界のすべてを把握できるわけではありません。むしろ、自分が何を見て、何を見ないかをある程度コントロールしなければ、膨大な情報の海に圧倒されてしまうでしょう。

「見えすぎる」ということは、別の言い方をすれば、興味本位であれこれ見ているうちに、余計なことにどこまでも深入りしてしまう危険がある、ということでもあります。あるひとつのことに注目しすぎると、それだけで個人の時間や注意力やエネルギーを使い果たしてしまい、全体をバランスよく見渡すことが難しくなってしまうかもしれません。

毎日、リアル世界で数限りなく起きている事件をネットで追いかけたり、事件の当事者にネット経由でちょっかいを出したりするのは、人によっては暇つぶしになったり、ストレス解消になったり、それなりの効用はあるのでしょうが、そうして他人事に首をつっこんでいても、人生の持ち時間は容赦なくすり減っていきます。

だから、笑えないイタズラをネット上で見かけ、それが見る人の心をざわつかせたとしても、それが自分に直接関わる話でもない限りは、きっと現場の責任者がそれなりに対応してくれると信頼し、軽くスルーして、自分にとってもっと大事な問題に集中するべきなんだろうと思います。

まあ、そう言う自分が、注意力を適切に振り分け、時間やエネルギーを有意義に使っているかと問われれば、ただただ沈黙するしかありませんが……。

先ほど書いたように、ネットのいいところは、誰かが一定の目的のもとに情報を取捨選択したり、フィルターをかけたりすることがなく、とにかく管理されておらず、人間が表現しうるようなものはほとんどすべて見つけられるという、その自由さにあります。

しかし、そうした「見えすぎる」混沌とした世界とつき合っていくためには、それなりのスキルや、心の準備も必要になってくるのでしょう。

世界を見る覚悟ができている人にとって、世界がよく見えないことは苦痛ですが、逆に、心の準備ができていない人や、必要最小限のスキルを身につけていない人にとって、「見えすぎる」ことは苦痛だったり、そのインパクトに振り回されてしまうかもしれません。

インターネットは、私たち人類の膨大な思考や感情、行動とその結果を、フィルターなしにありのままに映し出す、「見えすぎる」鏡のようなものなのだと思います。

人類のスッピン姿を覗き込むのは、恐ろしいことでもあり、同時に、非常に興味をそそられることでもあります。

そこに問題があるとすれば、それは、子供だろうが大人だろうが、本人に準備ができているかに関わらず、ネットの世界にいったん触れれば、多くの人が、そのスッピンの魅力と奥深さのとりこになってしまうこと、その混沌に巻き込まれ、つい我を忘れてしまい、自分でも思ってもみなかったような結果をもたらしてしまうことなのかもしれません……。

記事 「見えにくい」世界


JUGEMテーマ:インターネット

at 18:49, 浪人, ネットの旅

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