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ずっと昔の短編を読む

最近の、ネット上の無料コンテンツの充実ぶりは素晴らしく、ニュース・映画・音楽・ゲーム・マンガ・小説など、あらゆるジャンルにわたっていて、日々ものすごい勢いで増殖しつつあります。

また、プロが生み出す作品だけでなく、私たちのような一般人が公開したブログやSNSの投稿、さらには掲示板の匿名コメントまでが、今ではネット世界の重要な一部となっていて、誰もがそれを当たり前のように見たり利用したりするようになっています。

それに加えて、大量の有料コンテンツもあるわけですが、個人的には、もう無料のものだけで満腹状態だし、懐に余裕があるわけでもないので、さらに手間とカネをかけて、有料の世界までわざわざ探索しなくてもいいのではないかという気がしてしまいます。

でもまあ、そういう貧乏くさい考え方はきっと、長い目で見るなら、自分の世界を狭くしてしまうことになるのでしょう。それにたぶん、無料の世界をいくらウロウロしていても、最高のクオリティのコンテンツには巡り合えないだろうとは思います。

ただ、極端な話、自分は無料で与えられるモノだけでやっていくと覚悟を決めて、それ以外の世界など存在しないのだと割り切ってしまえるなら、それに越したことはないのかもしれません。あのロビンソン・クルーソーが、難破船から流れ着いたり、島で手に入るモノだけを頼りに生き抜いたみたいに、豊かなネット世界が日々吐き出し続ける「おこぼれ」だけで楽しめるなら、どの有料コンテンツを購入するべきか、みたいなことを、あれこれ思い悩む必要からも解放されて、むしろ、心にゆとりさえ生まれるかもしれません。

そんな風に考えて、近頃は、以前にも増して無料コンテンツを積極的に利用しつつ、自分はそれだけでも「サバイバル」できそうか、少し本気で考えてみるようになりました。

例えば、電子書籍に関しては、現時点ではいくつもの会社が参入し、電子書籍リーダーの規格もバラバラなので、個人的には、もう少し状況が落ち着いて、いちばん有利なサービスがはっきりしてから使い始めよう、くらいに考えて、ずっと傍観していたのですが、無料の電子書籍がけっこうあることに気づいてからは、Amazon のサイトをときどきチェックして、気になった無料本をどんどん Kindle にダウンロードしてみるようにしています。

その中には、無料キャンペーンなどで手に入る新作もあるのですが、そうした作品は、正直なところ、残念なものが大半です。単に自分の興味関心に合わないこともあるし、読みづらかったり面白くなかったりして、数ページで挫折するものもあります。そんなときは、作者の方には申し訳ないのですが、さっさと Kindle から削除してしまいます。

自分の経験から言えば、無料の作品だからといって、そこそこの内容で満足できるわけではなく、むしろ逆に、作品を見る目は有料のモノ以上に厳しくなる気がします。いったんカネを払ってしまうと、多少期待外れでも、せっかく自腹を切ったのだから楽しもうとか、楽しんだことにしたいという気持ちが芽生えたりして、つい評価が甘くなることがあるのですが、タダで手に入れたモノには、そういう迷いの入る余地が一切ないためか、ある程度以上の満足が得られないと、それにかけた手間や時間をムダにしたという後悔にとらわれてしまうのです。

タダで楽しませてもらっておきながら、何とも勝手な言い草ではありますが、まあ、人間というのはこういうものなのかもしれません……。

それはともかく、無料の電子書籍で、しかもそれなりのクオリティを求めるとなると、やはり青空文庫など、著作権の切れた、かつての名作を選ぶのが無難です。そして、長編だと、ハズレだった場合のダメージが大きいし、最近、ネット上の短い記事ばかり読んでいて、長い文章を読み通す力がすっかり衰えてしまったこともあり、読むのはもっぱら短編の小説やエッセイということになります。それに、短い作品なら、ふだん自分が手を出さないような、いろいろなジャンルをあえて試してみることもできます。

そうやって、かつて学生のころに名前だけは聞いたことのある作家や、名前すら知らない作家の作品を、タイトルに惹かれたというだけの理由で読んでみたりしたのですが、やはり、ずいぶんと昔の作品だけあって、同じ日本語で書かれていても、作品の舞台や登場人物の日常が今とはまるで違っていて、違う国の話のように感じられます。

それは、本の読みにくさの原因にもなるのですが、一方で、別世界をのぞき込んでいるような、新鮮で不思議な感覚ももたらしてくれます。現代とのさまざまな違いを知るたびに驚きがあり、ささやかな時間旅行をしているような楽しさがあるし、過去の社会や人々の内面を知ることは、今の世の中を別の視点から理解するヒントにもなります。

それでも、古い本を読んでいると、そこはかとない虚しさを覚えてしまうのも事実です。

これは、過去の作品自体に問題があるからではなくて、たぶん、ずっと昔の本を、今なぜ自分が読んでいるのか、そこに意味や必然性があるのかと、つい自問してしまうからなのでしょう。

もちろん、昔の作品の中にも、時代を超えて通用する普遍的なテーマを扱ったものはいくらでもあるし、作品に感動したり、そこからさまざまな学びを得ることも、十分に可能だと思います。

ただ、やはりどんな作品も、時代性というか、その当時の世の中のさまざまな特徴を色濃く反映しているのを感じるたびに、そうした世界にどっぷりと浸って生きていた同時代の人々でないと、そうした作品の真価は味わえないのだろうと思ってしまうし、結局のところ、自分は、ほとんど全く利害関係もない遠い世界のことを、ただ表面的に観察しているだけのような気がしてしまうのです。

そこには、今を生きている自分の切実な問題意識に直接響いてくるような感覚はあまりないし、むしろ、自分が本来いるべきではない場所に紛れ込んでしまったような戸惑いや、さらには、見当ちがいの場所で道草をして、貴重な時間をムダにしているような罪悪感すら覚えてしまうこともあります。

それはちょうど、異国の地を旅して、現地で暮らす人々とささやかなコミュニケーションをするなかで、人間はみな似たようなもので、大筋では分かり合えるんだな、という思いに浸りつつ、でも同時に、その地には、その地特有の細かな習慣やしがらみがあって、それはそこに長く暮らしてきた人にしか深く理解できないものだし、その点では私は「異邦人」であり「部外者」であって、現地の人々と本当の意味で分かり合うことはできないんだろうな、という寂しさを感じてしまうのと似ているかもしれません。

逆に、私が古い小説やエッセイよりも、現代のごく普通の人々が書くブログやツイートに魅力を感じるのは、きっと、私自身も同じ時代を生きる生身の人間として、いろいろな面で世の中の状況に深く巻き込まれていて、「今」に関わるものは何であれ、おのずと強い感情を呼び覚ますからなのでしょう。それらは、時代を超えて生き残る名作とは違って、あと数年、いや数か月、ひょっとしたら数日も経てばどうでもよくなってしまうようなものなのかもしれませんが、今、この時に関わっているというだけの理由でどうしようもなく惹きつけられ、そのささいな内容にさえ一喜一憂してしまうのです。

というか、これはたぶん、私の個人的な傾向というより、「今」を感じさせるものにより大きな価値を感じてしまうのは、みな同じなのではないかという気がします。そして、今は世の中の動きがとても激しく、未来の予測も難しいだけに、好むと好まざるとにかかわらず、誰もが、期待と不安に満ちた「今」という瞬間から目が離せなくなっているのではないでしょうか。

別の言い方をすれば、ネット世界やリアル世界で日々生み出されるコンテンツは、それが新しいというだけでものすごい価値があり、強烈に人を巻き込む力を持っているけれど、すぐに賞味期限が切れて、別の新たなコンテンツにとって代わられるということが繰り返されているのでしょう。そして、その激しい新陳代謝のサイクルのおかげで、古くなったコンテンツがどんどん無料や格安で放出されるのだと思います。

目の前にあふれる昔のコンテンツの山に価値を見出し、それを心ゆくまで味わおうとするなら、「今」という時の放つ、圧倒的な力と輝きにさえ心を奪われることのない、超然とした心を、まずは手に入れる必要があるのかもしれません……。


記事 本の「賞味期限」


JUGEMテーマ:読書

at 19:01, 浪人, つれづれの記

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