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旅への幻想に振り回されることについて

前回の記事では、旅を重ねていくうちに、子供のころから抱いていた異国への幻想が失われていったことを書きました。
記事 異国への幻想

 

ただ、いま読み返してみると、そうした幻想に浸ることで味わえた幸福感も一緒に消えてしまったことを、感傷的に振り返るような内容になっていて、幻想を失うデメリットを強調しすぎたかな、という気がします。というか、むしろ、幻想に振り回されることがどれほどの災いなのか、きちんと説明していませんでした。

 

異国や旅への幻想は、結局のところ、思い込みや勘違いで出来上がっている部分が大きいので、それらが強力であればあるほど、旅先の現実とのあいだで矛盾や混乱を生じることになります。当然、それは旅をする上でさまざまなトラブルを引き起こすし、場合によっては旅人を危険にさらすこともあります。

 

だから、この世界をできるだけ曇りない目で見るためにも、安全に旅をまっとうするためにも、そうした幻想は、できるだけ早く手放してしまう方がいいのですが、ちょっと話がややこしいのは、幻想というのは、自分の意志でホイホイと捨てられるようなものではないし、幻想が打ち砕かれる瞬間は、当人にとって非常に苦痛だったりするので、それを手放すどころか、逆に必死になって守ろうとしてしまいがちだということです。

 

例えば、パリにずっと憧れていた日本人が、実際に旅をして現実のパリに幻滅し、心を病んでしまうようなケースは、「パリ症候群」と呼ばれているようですが、パリにかぎらず、長い間、自分の理想を投影し、大事にしてきたイメージが目の前で崩壊していくのは、旅人にとって大きなショックだろうし、その瞬間には、幻想から解放された喜びどころか、苦しみしか感じないでしょう。
ウィキペディア 「パリ症候群」

 

そうしたショックから回復するには、人にもよるでしょうが、それなりの歳月が必要です。そして、心の深い傷が癒えたあと、ようやく、当時の自分がどれだけ偏ったイメージにとらわれていたかに気づき、そうした幻想を失った自分が、少しだけ自由になっていることを、しみじみと実感するのです。

 

私の場合は、特定の国や街への強い思い入れはありませんでしたが、旅を続けるうちに、どこへ行っても心から旅を満喫できていないようなモヤモヤを感じるようになりました。

 

それは、旅が長くなりすぎて、好奇心や新鮮な感覚が失われたせいもあったのでしょうが、それに加えて、一目見ただけでその土地に夢中になってしまうくらい素晴らしい場所に、いつまでたっても出合えないというフラストレーションも大きかったのではないかという気がします。

 

それが特定の街への幻想だったなら、「パリ症候群」みたいに一気に壊れてしまい、幻想が生き延びることもなかったのでしょうが、私の場合、「素晴らしい場所」とは何なのか、具体的な条件がハッキリしていたわけでもなく、もしも理想の場所にたどり着いたら直感的にわかるはず、みたいな、怪しげな思い込みがあるだけだったので、もっと旅を続ければ、どこかにそんな場所が見つかるかもしれない、あるいは、どこかで予想もしていなかったようなものすごい体験が得られるかもしれないという、根拠のない期待となって、心の中にいつまでも居座り続けました。

 

そして、それが常に期待のハードルを上げてしまうので、どれだけ素晴らしい風景を目にし、貴重な体験をしても、目の前の瞬間に集中し、心から満足することができなかったのでしょう。

 

考えてみれば、少年時代の私の異国への幻想は、何年にもわたって旅への憧れをかきたて、さらには、さまざまな心の壁を乗り越え、実際に旅を始める後押しをしてくれたわけですが、それが同時に、旅に対する過剰な期待となって、むしろ、旅を心から味わうことを邪魔する、タチの悪い足かせになってしまったのでした。

 

しかし、当時の自分は、そういうことにはほとんど無自覚でした。どこに行けばいいのか、どうしたら満足のいく旅ができるのか、何も分からないまま自問自答を続け、試行錯誤を重ねるうちに、私の旅は、旅行者があまり訪れないマイナーな場所をめざしたり、困難の多いルートや方法をあえて求める、苦行のようなスタイルになっていきました。自分が幸せな気分に浸れるような理想の場所を求めるはずだったものが、心の中の幻想に振り回されることで、逆に、ストレスばかりの苦しい旅になり果ててしまったわけです。

 

そのまま、旅は迷走を続け、あるときふと、紛争地帯に足を踏み入れることまで考え始めている自分に気づいたとき、こんなことを続けていたら、そのうち命を落とすことになるんじゃないかとゾッとしました。

 

登山家や冒険家、戦場カメラマンなど、危険と隣り合わせの旅をしている人たちは、明確な目的意識はもちろん、必要な経験や能力も持ち合わせているだけでなく、生きて帰ってくるために周到な準備をし、それでもどうにもならない場合があることも覚悟して旅に臨んでいるはずです。しかし、そのときの私には、命をかけてもいいと思えるほどの思い入れもなければ、経験も能力も、しっかりとした覚悟もなく、そんなフラフラとした気持ちで絶体絶命の危機に見舞われても、こんなはずじゃなかったとジタバタするのが目に見えていました。

 

そんな自分の状況が見えたとき、どれだけ幻想を追ったところで、その先に「約束の地」なんてないんだと痛感し、私の旅は(いったん)終わりました。

 

本当に後悔するような状況になる前に気づけたのは幸いでしたが、前回の記事でも書いたように、それはたぶん、それまでの間に体験してきた旅の現実によって、幻想の威力が次第に薄れ、それに従わなければならないという強迫観念からも、少しずつ自由になれていたからなのでしょう。

 

そして、幻想から覚めたことで、それまでの自分が、どれだけ不自由なモノの見方をしていたかに、改めて気づかされたのでした。

 

子供のころの幻想を手放した大人たちが、別にスーパーマンになるわけではないように、幻想を失うといっても、それによって何か特別に素晴らしいことが起きるわけではありません。ただ、大人になってから子供時代を振り返ってみれば、当時の自分がモノを知らず、考えも浅く、出来ることもわずかで、いかに不自由に生きていたかがよく分かるし、それにくらべれば、(あくまで相対的にではありますが)大人の自分がずっと自由に生きていることに気づくはずです。

 

どんな幻想であれ、それに振り回されているあいだは、つねに混乱と不自由の中にいるわけで、その一部だけでも手放すことができれば、生きていくのがそれなりに楽になるし、現実の世界とも、もっと折り合いをつけられるようになるのだと思います。

 

このあたりに関しては、旅にかぎらず、仕事や恋愛でも、同じことが言えるのかもしれません。

 

もっとも、この世界はとてもややこしく出来ていて、何年もかけて、ようやくひとつの幻想から自由になったと思えば、それもまた、別の大きな幻想の中だったりするわけですが……。

 

 

記事 「旅人の楽園」は幻想?

 

 

JUGEMテーマ:旅行

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